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オーディオドラマ「五の線3」

オーディオドラマ「五の線3」

闇と鮒

五の線2の続編です

209 - 183.2 第172話【後編】
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  • 209 - 183.2 第172話【後編】
    3-172-2.mp3 腕時計に目を落としていた男が顔を上げると、前に居た男が頷いた。 ガラガラガラっと民泊の玄関扉を開くと、どこからともなく二人の背後から6名程度のアウトドアウェア姿の男らが現れ、物音ひとつ立てずに宿の中に全員流れ込むように入っていった。 「ごめんくださーい。」 「はーい。」 しばらくして奥から宿の主人が現れた。主人は目の前に突然屈強な男らが大勢現れたことに、驚きのあまり腰を抜かした。 「こちらに朝戸さんって方、泊まってらっしゃるでしょ。」 「あ、あ…。」 声すら出せない主人の驚きようだ。 「どちらに居ますか?」 この質問に主人はなんとか首を振って応える。 「わからない?」 これには頷いて応えた。 「そんなはずはないんだよなぁ。」 ちょっと中調べさせてもらうよと言って、主人は猿ぐつわをされ、両手両足を縛られた。 「はじめるぞ。」 リーダー格の男が握った拳を広げると、全員が宿の中に散らばった。彼らは手に拳銃のようなものを持っていた。 ただの民泊だ。朝戸を探すと行っても、時間はかからない。リーダー格の男は主人を前にどっかと腰を下ろして、報告を待った。 先ず、一階の捜索をしていた者たちがこちらに戻ってきた。彼はリーダーに向かって首を振る。 「わかった。ここで待機せよ。」 「了解。」 それから間もなく二階の捜索をしていた者たちが戻ってきた。彼らも首を振った。 「何だって?」 どこかに隠れているのかもしれない。再度入念に調べろとリーダーは全員に指示を出した。 ふと横に転がっている主人の様子を見ると、どこか笑っているように見えた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「なに…居ない…。」 民泊からの報告を受けた一郎の声が神谷に届いた。 「その民泊からの脱出経路があるはずだ。虱潰しに調べろ。」 神谷と卯辰兄弟がビル屋上からエレベーターに乗って事務所に移動中の時だった。 エレベーターの扉が開く音 「朝戸が消えたのか。」 「はっ。例の拠点に外への脱出経路が用意されていたと想定されます。」 「敵も然る者。」 「いかにも。」 「脱出経路を抑えたら、その先も抑えねばならんな。」 「はい。」 「人手がウチらだけでは足りないか…。」 「隠密行動なら事足りますが、大がかりになると無理かと。」 「すぐに公安特課に指示を仰ぐ。一郎は脱出経路の調査と、その先を抑えてくれ。」 「はっ。」 「くれぐれも注意せよ。」 「了解。」 「カシラ。」 次郎が神谷を呼ぶ。 「なんだ。」 「これで連中が動きを早めると言うことはありませんか。」 「ないとは言えないな。」 「ヤドルチェンコの警戒を強めます。」 「ああ頼む。」 「あと比例してアルミヤプラボスディアが早期に動く可能性も見越して、部隊に早めの待機を命じます。」 「ああそうしてくれ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「そうか…失敗か…。」 「はい。現在、脱出経路の探索をしています。しかしその脱出先の探索となると、現状の我々の人員では無理です。」 「わかった。先は公安特課で対応する。お前さんは早急にその脱出経路を特定してくれ。」 「了解。」 それでは仁熊会はアルミヤプラボスディア対応に全てのリソースを振り向けます。そう片倉は神谷から静か告げられ電話を切った。 「なんで分かった…。」 片倉は拳を握り締め、きびすを返して椎名が詰める部屋のドアを開いた。 「椎名。」 見るからに不機嫌そうな顔つきの片倉を見て椎名は無言で彼の目を見て応えた。 「朝戸が消えた。」 「…。」 二人の間に5秒ほど沈黙が流れる。 「いま、何て言いました?」 椎名は静かに片倉に問う。 「朝戸が例の民泊から姿を消した。」 「…待ってくださいよ…片倉さん。あなたら公安特課が24時間監視していたんでしょう。」 「しとった。けどおらんくなった。」 「どういうことですか。」 「ウチのもんにガサ入れさせたんや。」 「ええっ!?」 感情をあまり表に出さない椎名がこの時ばかりは、あり得ないという様子を露骨に出した。 「ガサ入れた段階ですでに居らんかった。」 「何言ってんだ。あんたらがガサ入れたから、危険を察知して逃げたんだろう。」 「違う。」 「無能だ…。本当に日本の警察は無能だよ!」 直球で非難する椎名に、片倉はこう返した。 「お前か。朝戸を手引きしたのは。」 これには即座に椎名は返した。 「私が手引き?どうやって?この監視がキツい環境下でどうやって奴を?」 「お前ならできる。」 「だからどうやったらできるって言うんですか!」 「んなもん言えるか!」 「馬鹿馬鹿しい。言ったじゃないですか。彼の合図をもってテロが実行される運びとなってるって。彼の手綱が引けないと、自分は制御できませんよ!」 椎名は百目鬼から渡された携帯電話を取り出した。 「あぁっ!椎名!なんだその携帯!」 「百目鬼理事官から返してもらいました。」 「なにっ!」 「朝戸に連絡を取ります。」 「待て!待つんや椎名!」 片倉の制止を振り払って耳にそれを当てていた椎名だったが、しばらくして彼は力なく腕を下ろした。 「駄目だ…繋がらない…。」 椎名は頭を抱えた。 「どうした。」 別の部屋に居た百目鬼だったが、異変を感じて二人の間に入ってきた。 「片倉さんが朝戸の宿にガサ入れました。」 百目鬼は無言のまま片倉を見る。 「何だって?」 「それがきっかけで、朝戸は行方不明です。自分とも連絡が取れません。」 みるみる百目鬼の顔が紅潮するのが分かった。 「片倉ぁ!何やってんだ!このボケナスがぁっ!」 百目鬼は片倉を一喝した。 「申し訳ございません。」 「ごめんで済んだら警察いらんわ!どうするんだ!」 「しかし、踏み込んだときには既に朝戸の姿はなかった…。」 「だからあんたらが踏み込んだから、朝戸が逃げ出したんだろうよ。」 「待て。」 片倉の言葉にかぶせるようにして言った椎名だったが、それは百目鬼によって更にかぶせられてしまった。 「踏み込んだときには既に居なかった…だと…。」 「はい。現在、脱出経路を探索中です。」 「現場に張り付いていたマルトクは、朝戸の姿を目撃していないのか。」 「はい。従って踏み込んだと同時に外に出て逃走を図ったとは考えにくいかと。」 百目鬼は椎名を見やって口を開いた。 「だ、そうだ。」 椎名は何も言わない。いや言えなくなった。 「どういうことだ。椎名。」 今度は椎名に百目鬼から冷たい視線が注がれた。 「もしも片倉さんのガサ入れが原因でないとすると、朝戸の暴走としか考えられません。」 「朝戸の暴走?」 「はい。私は空閑をして彼を正午辺りに金沢駅方面へ誘導せよと宿の主人に指示を出していました。ですがそれが私の承諾なしに変更されたのです。」 「本当にお前の承諾はないのか。」 「ありません。何で私がここに来て不確定要素をわざわざ作る必要があるんですか。」 百目鬼は黙って彼の目を見た。 「неуправляемый…。」 こう言って椎名は携帯を百目鬼に見せた。 「制御不能です。私からの電話に出ない。これは今までに無かった事態です。」 ここで片倉の携帯が震えた。 「はい片倉。……なに?…………地下通路?」 この場の三人が顔を見合わせた。 「わかった。すぐそこに公安特課を派遣する。」 即座に片倉は岡田と連絡を取って、民泊付近で待機する公安特課の人間に、神谷と合流するよう指示を出した。そして脱出経路と朝戸の捜索をするため、人員の再編成、配置についてを至急対応を求めた。
    Sat, 09 Mar 2024
  • 208 - 183.1 第172話【前編】
    3-172-1.mp3 「わかりました。公安特課が一時的に居なくなる隙を狙って、突入します。」 「現場の報告によると、今現在、対象の民泊で働いているのは、そこのオーナーただひとり。利用者も朝戸一名や。」 「環境は整っているというわけですね。」 「ああ。ほうや。事前に潜入しとったトシさんが見る限り、特段、武装しとるふうには見えんかったようや。が、油断は禁物。施設にどういった仕掛けが施されとるかわからんしな。」 「了解。」 ふと神谷は時計を見た。時刻は8時20分だ。 「こちらは0830(マルハチサンマル)をもって拠点制圧を開始します。」 「頼む。」 神谷は側の一郎にその旨を即座に指示した。 「アルミヤの方は何か分かったか。」 「金沢駅近辺にあった奴らの痕跡が一斉に消えました。」 「消えた…。」 「はい。攻勢の前触れかと。」 「それは自衛隊の方も把握しとれんろ。」 「勿論です。ただ…。」 「ただ、なんや。」 「例の影龍特務隊が気になりまして。」 「気になるとは。」 「中国語で会話をするビジネスマン風の人間がちらほらあるようです。」 「金沢駅にか?」 「はい。同様に観光客も居ます。」 「…わかった。頃合いを見てその中国人らに声をかけるようこちらから現場に指示を出す。」 「はい。」 「神谷。ところでお前は今はどこや。」 「機密上それは言えません。」 神谷は電話を切った。 昨日の天気が嘘のようだ。雲の切れ目からまばゆいかぎりの日の光が街を照らす。雨で濡れたそれらが反射によってさらに輝く。 美しい。そして静かだ。 この穏やかな状況がこのまま保たれれば、どんなに良いことであろうか。 神谷は、金沢駅近くのビルの屋上に居た。 「カシラ。」 次郎が神谷に声をかけた。 「何だ。」 「ヤドルチェンコの居所がわかりました。」 「なにっ。」 「奴はいま小松に居ます。」 「小松?」 「小松駅近くのホテルです。雨澤のダンナの解析を手がかりにホテルを虱潰しに当たったところ、突き止めました。」 「なるほど…」 神谷は眼下にある金沢駅から北西に延びる沿線を見やった。 「本体は大胆にも鉄道でやってくる可能性があるということか。」 「はい。しかしいくらボディチェックがないとしても、それでは相応の武器を運搬することは不可能かと思います。」 「ならば現地の近くに武器庫があるか…。」 「おそらく。」 「もしくは鉄道移動はヤドルチェンコのみ。他は既に散り散りにすでにスタンバっているとか。」 「そのほうが現実的でしょう。」 「ヤドルチェンコは俺から公安に情報を入れておく。次郎は一旦ヤドルチェンコからは手を引け。」 「はっ。」 「たった今からお前は一郎のフォローに重点を置け。雨澤は別の人間に引き継ぐが良い。」 「はっ。」 さてと言って、神谷は双眼鏡で金沢駅をのぞき込む。 「トシさんと相馬…。」 交番から古田と相馬が肩を並べて出てきた。古田は待ちきれずに喫煙所に付く前から煙草に火を着ける。方や相馬は煙草を吸わないため、手ぶらだ。彼らはそのまま近くの喫煙所へ吸い込まれていった。 視点を交番の中に移すと、若い男性2名が見えた。 「あれが自衛隊特務の二人か…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 喫煙所に到着したタイミングで、古田は煙を吐いた。 「前から思っていたんですけど、この外の喫煙所って本当に意味あるんですか。」 「あん?」 「くさいんですよ。何となく仕切っていますけど、ただの外じゃないですか。近くに居なくても風向きによっては結構臭うんで迷惑なんです。」 「んなら来んなや。」 煙草も吸わない人間がどうして喫煙所に来たのだ。 こっちはちょっとした息抜きで一人でここに来たと言うのに、わざわざついてきて小言まで言うとは喧嘩でも売っているのか。古田はこう相馬に言った。 「さすがに交番にずっと居ると息が詰まります。」 「だからここに来たんやろうが。邪魔すんな。」 スーツ姿の男が喫煙所に入ってきた。彼は慣れた手つきで煙草をくわえてそれに火をつける。 そして大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。 それとなく彼は相馬と古田の様子を見る。 一方は火のついた煙草を手にしており、もう一方は喫煙者の風ではない。 変わった男がいるもんだという風な表情を見せ、彼は明後日の方を見て煙草を吸った。 「で、なんや。」 「え?」 「用があるから、ここにおれんろいや。」 「だから煙草はやめた方がいいですって言ってるじゃないですか。」 スーツ姿の男の手が止まった。 「お前、それここで言う?」 「あ。」 相馬はスーツ姿の男を見た。彼と目が合った。 間違いなく彼は不愉快な顔をしていた。 「ごめんなさい...。」 「あのな、ここは煙草を吸う場所なの。公で認められたそういう場所なの。ここに煙草を吸わんお前がおることのほうがおかしいの。わかる?」 相馬は無言で下を向いてしまった。 その様子をよそにスーツ姿の男は煙草を吸い終えたのか、この場の居心地の悪さに耐えかねたのか、そそくさとその場から立ち去っていった。 「ほら見ろ。お前の感じの悪さ、最高やぞ。」 「古田さん。見ました?」 「………。何を?」 古田は相馬の言葉の意味が分からないような応答をした。 「煙草の銘柄ですよ。」 「…見た。珍しいやつやったな。」 「はい。中国製のものかと。」 「しかし、あれやな。普通の民間人を装っとるけど…。」 「内から出てくる殺気が段違い。」 古田は頷いた。 「人に分かるような殺気なんか、堅気の人間に出せん。あれは死線をくぐってきた人間にだけ出せる奴や。」 「ただ者ではないことは確かですね。」 相馬は喫煙所から外に顔を覗かせた。 「どうやさっきのおっさん。」 「どこかに消えましたね。…それにしても今日は中国人観光客が普段よりも多いような…。」 「念のため、吉川と小早川に対策を相談やな。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 金沢駅の雑踏 「金沢駅に到着しました。我々はこれからホテルに散って予定時刻を待ちます。」 我们已经到达金泽站。我们现在将分散前往酒店,并等待预定的时间。 「はい。アルミヤプラボスディアは現在確認できません。」 好的。目前无法确认阿尔米亚普拉博斯迪亚的情况。 「ウ・ダバですか…ウ・ダバについても未だそれらしき人員を見たという報告は入っていません。」 乌·达巴吗?…关于乌·达巴,我们还没有收到任何看到类似人员的报告。 「かしこまりました。こちらも対象に勘づかれないよう、後方支援に回ります。」 明白了。我们也会转向后方支持,以避免被目标察觉。 「我々は利だけを得る。このことは徹頭徹尾、隊員に周知しておりますので、ご心配なく。」 我们只会获利。这一点已经彻底通知给队员了,请不要担心。 電話を切る音。 「はい。皆さんお待たせしました。ここが金沢です。この駅は世界で最も美しい駅14選というものがありまして、それにも選ばれています。」 是的,各位久等了。这里是金泽。这个车站被选为世界上最美丽的14个车站之一。。
    Sat, 09 Mar 2024
  • 207 - 182 第171話
    3-171.mp3 - 椎名はテロ実行直前までチェス組と連携し彼らをエスコートする。そこに警察は介入しないこと - 実行直前に公安特課の出番をつくるので、相応の人員を用意すること - 空閑と朝戸にはしっかりと専任者を配置し、勝手な動きをしないよう監視を強化すること - サブリミナル映像効果を少しでも薄めるため、こちらで用意した動画をちゃんねるフリーダムで短時間で集中的に配信すること - テロは爆発物によるものであるはず。可能性を徹底的に排除すること - 朝戸がテロの口火を切る行動をし、その後にヤドルチェンコがウ・ダバを使ってさらにそれを派手なものにする手はずである。したがってウ・ダバらしき連中の行動はつぶさに報告を入れること - その他現場サイドで気になることがあればすぐさま椎名に連絡し、その判断を仰ぐこと これが当初、椎名から警察側に要請されていたことだ。 空閑が保持してるであろう鍋島能力に関することも、今回の警察が椎名を隔離することも一切取り決めがない。 「だからと言ってここで椎名を完全隔離ってのは…。」 百目鬼は困惑した。 「理事官。椎名はまだ何かを企んでいます。」 腕を組んで片倉の顔をちらっと見た百目鬼は大きく息をついて視線を逸らした。 「椎名と話してくる。」 ドアが閉まる音 「空閑は鍋島能力を持っている。これは間違いないか。」 しばらく間を置いて椎名。 「間違いないかどうかは私にも分かりません。どうやらそのようだとしか。」 「お前自身、確証がないのか。」 「はい。未だに半信半疑です。」 空閑は鍋島能力を身につけている。この情報を得た椎名はダメ元で大川説得にその能力を使って見ろと指示を出した。結果それは功を奏したわけだが、椎名にとって空閑の持つ能力については未だ信用に足らないらしい。 「だから試してみたかった。」 「さすが百目鬼理事官。その通りです。」 百目鬼は大きく息を吐いた。 「鍋島能力に関しての取り決めがないんだから、その能力が本当にあるのか、使えるものなのか。そういった実験をするのも椎名、お前の自由だと?」 「はい。私は一方的にこのような完全隔離状態にされているんですから。」 百目鬼は二度頷いた。 「片倉。こういうことだそうだ。」 「はい。」 片倉の返事が部屋にあるスピーカーから聞こえた。 「椎名、残念やったな。サングラスかけて空閑の対応したら、鍋島能力の有無は検証できんぞ。」 「だから参りましたと言いました。」 「いまから空閑を逮捕する。」 「ご自由にどうぞ。空閑は紀伊に命じて光定を殺害せしめました。」 「…。」 この椎名の言葉に片倉からの返事はなかった。 「ここで空閑が消息を絶つと、朝戸やウ・ダバの連中に怪しまれないか。」 百目鬼が椎名に聞いた。 「問題ありません。自分が制御します。」 「…。」 椎名の目を見つめて黙った百目鬼だったが、彼はおもむろに一台のスマートフォンを椎名の前に差し出した。 「解析が終わった。これはお前に返す。」 「…。」 「お前さんが制御するんだろう。」 「片倉さんが黙っていませんよ。」 「あいつは俺の部下だ。」 しばらく黙って椎名はそれを受け取った。 「百目鬼さん。」 「なんだ。」 椎名は声に出さずに口を動かした。 その動きを見た百目鬼は手元にあるスイッチを押した。 「この部屋の音は外に聞こえないようにした。」 「私にはその真偽を確かめる術がありません。」 椎名は百目鬼にそう即答した。 「アナスタシアに関する情報は公安特課でも俺以上しか知らない。」 「片倉さんも?」 「ああそうだ。このテロ対でアナスタシアという言葉を知っているのは俺だけだ。だから案ずるな。」 で、何が聞きたいと百目鬼は尋ねる。 「アナスタシアがどうしたんですか。」 「…。」 「公安特課はアナスタシアのどこまでを知っているんですか。」 「それは言えない。」 「彼女は息災なんですか。」 「それも言えない。」 「どうすれば教えてくれるんですか。」 「今回の結果次第だ。」 「結果次第とは。」 「何度も言わせるな。テロの防止と一斉検挙だ。」 「…。」 「だから変な気を起こすな。いまの空閑の一件は看過できん。」 「申し訳ございません。」 椎名は伏して百目鬼に詫びた。 「お前がこっちを試すのは構わん。だがこっちもお前を試させてもらう。火遊びが過ぎるとお前も俺らも共倒れって未来もあるってのを理解しておけ。」 「わかりました。」 「エレナと連絡はとっているか。」 「エレナ?」 「ああ。」 椎名の反応にかなりの間があった。 「いいえ。」 「そうか。」 「彼女は…。」 「それも言えない。」 やはりと言った顔を椎名はした。 百目鬼はエレナと連絡を取っているかと聞いた。ということはエレナは少なくとも健在であるということだ。 椎名はエレナとはそれほど接点がない。アナスタシアの送迎で彼女の家に寄ることがあり、そこで二三度顔を合わせた程度だ。しかしあの時、アナスタシアがオフラーナに連行されて行く時、自宅の窓からこちらに向かって憎悪に満ちた表情を見せていたことは鮮明に覚えている。アナスタシアが連れ去られていった原因は椎名にある。そうとしか思っていない表情だった。 まさかそんなことまでも公安特課は把握しているのか。いや、あのエレナの顔は自分しか見ていないはずだ。となるといま目の前で告げられたエレナの名前にはどういった意図があると言うのか。今の椎名には推し量ることができなかった。 「昼までは特に自分はやることがありません。現場は準備が整ったようですので。」 「俺らはどこで何をしていれば良い?」 「警察はまず金沢駅周辺に実力部隊を秘密裏に配置してください。ウ・ダバは5班編制で金沢駅に襲来します。それを力で抑え込んでください。」 「襲来を待って抑えるのか。」 「はい。」 「その手前で抑えられないか。」 「いかんせん、直前のウ・ダバの所在までは自分は把握できません。ウ・ダバの指揮を執っているのは私ではなくヤドルチェンコですから。なので直前の17時半に近隣を封鎖しましょう。人の往来にもそこで規制をかけましょう。」 「そんなギリギリで間に合うか。」 「ギリギリでないとテロ自体が中止となる恐れがあります。しかしこれだと犯行グループの一斉検挙という目的は達成できません。」 公安特課が最優先することはテロを未然に防ぐこと。犯行グループの一斉検挙はおまけだ。市民の生命と安全を守ることが最も優先されるべきものであり、本来なら犯人検挙は後回しでも問題ない。百目鬼は正直そう思っている。しかし昨今の警察に対する世論の風当たりを考えると、テロの防止はできても犯行グループを取り逃がしたと報道されれば、更なるバッシングが容易に想定される。警察上層部はそれを恐れ、今回の事案に関しては、何が何でも犯行グループの検挙をセットでと言ってきている訳だ。 「百目鬼さん。」 「なんだ。」 「ヤドルチェンコの班は5名で1班です。2名で1人を抑えるとして、少なくとも50名の熟練した実力部隊員が必要です。」 「50名?何手心細い人員だ。」 「ではもっと手配していると。」 「数は秘密だ。しかし相応の人員を手配しているとだけ言える。」 「それは頼もしい。」 「因みにやつらの装備はどんなもんだ。」 「奴らも相応の武装をしていると考えてください。機関銃、手榴弾、RPGといったもので普通に攻めてきます。」 「SATは相応の装備と訓練をしている。なので対応については問題は無いと思うが、問題は相手方に気づかれずにどう配置させるかだ。」 椎名は金沢駅を移した衛生画像をスマホで表示した。 「奴らはおそらく金沢のシンボルである、この鼓門を破壊するでしょう。なのでこの門の上やもてなしドームの上に潜むというのは得策ではありません。」 百目鬼は頷く。 「ではその地下広場ならどうかとなりますが、低地から高地の制圧となります。地下広場は構造上広く見下ろせますが、見上げ分には視界を広く保てません。従ってこちらも選択しないほうが良いでしょう。」 「ではどうする。」 椎名は金沢駅に向かって右側の施設を指さす。 「ここに商業ビルがあります。この施設に協力してもらってバックヤードに潜ませましょう。」 「このビルの規制はどうする。」 「先ほどの17時15分をリミットに全員退去してもらいます。もちろんテロがあるという理由でなく、急遽メンテナンスが必要なったためとかで、アナウンスしてもらいます。17時15分には従業員が退去しはじめます。17時半には規制をしますので、一定の安全確保はできるものと思います。」 椎名は続ける。 「この商業ビルの高所に狙撃犯を配置します。1階の部隊は金沢駅に侵入してきた平地のテロ部隊を制圧します。1階部隊はこのビルを出て鼓門を包み込むよう音楽堂方面へ圧迫。音楽堂やホテルと言った周辺の施設はもちろんこの時にはアリ一匹も入り込ませない警備状況を作り出しておくことが必要です。」 「わかった。」 「この時注意して欲しいことがあります。」 「なんだ。」 「躊躇わないでください。」 「何を。」 「相手はテロリストです。検挙は最良ですが、最良を求めるがあまり犠牲を出すのは愚です。基本は力で制圧する。結果数名検挙程度で良とするくらいの割り切りが必要です。」 椎名の的確な作戦立案に百目鬼は驚きを隠せなかった。これがツヴァイスタンの秘密警察か。まるで軍人のようではないか。 「オフラーナはこのようなテロ対策も任務の一つに?」 「はい。ツヴァイスタンの国境近くでの少数民族のテロ事件は比較的多く発生しています。自分の何度かその現場にかり出されましたので。」 なるほど、ますますこいつは敵に回したくない。そう百目鬼は思った。 「今のお前の作戦。SATにも図ってみる。採用するかしないかはあいつらが判断する。」 「もちろん。自分の作戦はあくまでもプランAです。検討いただけるなら幸いです。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 備え付けの電話がなったのでそれに出た。 「はい。」 電話の取次の案内だった。 自分がこのホテルに滞在しているのは椎名しか知らない。 「どなたからですか。」 椎名さんとおっしゃる方からですとの返答だった。 あり得ない。どうして椎名が携帯ではなく固定電話に連絡をよこすのだ。何かあったのか。 不審に思いながらも空閑はそれに出た。 「もしもし。」 「ビショップか。おれだキングだ。大川の件よくやった。」 やはりキングだ。 「どうした。」 「携帯を奪われた。」 「え!?」 「すまない。俺としたことがヘマした。」 「何があった。」 「説明すると長くなる。もうしばらくしたら俺の使いの人間がその部屋に行く。そいつに金を渡して携帯を用意するよう手配してくれ。」 「待て。公安がうろうろしてるんだぞ。」 「大丈夫だ。ルームサービスとしてお前のところに行く。」 「でも身体検査くらいされるだろう。」 「それくらいうまく凌いでみせるさ。」 間もなく部屋のインターホンが鳴った。 のぞき窓には制服姿の女性がうつむき加減で映っている。 空閑は部屋のドアを少し開いた。 刹那彼女はそこに右足をねじ込んだ。 そしてそれを閉めようとする空閑の手を振りほどき、ドアを全開した。 「てめぇ!」 空閑は彼女の顔を見た。 彼女はサングラスをかけていた。 「!?」 彼女の背後から2,3名のこれまたサングラス姿の屈強な体つきの男達が続いて部屋に突入してきた。 あっという間の出来事だった。 「空閑光秀。殺人教唆の疑いで逮捕状が出ている。署まで来てもらおうか。」 「逮捕状?」 「あぁそうだ。」 「待ってくれ。」 空閑は男の目を見ようとするもサングラスで隠れているため、それは適わない。 「何を待つんだ。」 「いや…。キング…。」 「キング?なんだそれは。」 「5月1日 8時10分 確保。」 男に手錠をかけられた空閑はその場に崩れ落ちた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【X】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。
    Sat, 24 Feb 2024
  • 206 - 181.2 第170話【後編】
    3-170-2.mp3 「っくしょん!」 パソコンの前に座ったままで目を瞑り、軽く睡眠をとっていた椎名はくしゃみによって目を覚ました。 自分の体調について尋ねる声はない。椎名を監視しているはずの片倉や岡田といった連中も今は眠っているのかもしれなかった。 しかしこちらから向こうの様子は見えないので迂闊な言動は慎むべきだ。とりあえず椎名はSNSのタイムラインを流し読みすることにした。 ハッシュタグ立憲自由クラブでフィルタリングされたそこには、日章旗と旭日旗が入ったアイコンがよく見られる。その中で椎名は「日本大好き」という名前のアカウントが時々ポストしているのを発見した。 やるしなかない 戦うしかない 完全にもう俺らは米帝の植民地だ 出たとこ勝負でもいいじゃないか 全ては行動あるのみ 何か薄ぼんやりとした何かを鼓舞するポストだ。 椎名は即座にこのポストを縦読みする。 ーや た か で す 続けて日本大好きアカウントは以下のポストをした。 川岸からの合図で動くとしよう ー川岸…岸…。騎士…ナイトか。ナイトの合図で始まると言うことだな。 桃は未だ見ず ー桃…? 椎名は一瞬考えたが、すぐにそのポストの意味を把握した。 ー桃…ピンクか…。ピンク稼業はヤドルチェンコの表の姿。そうか、ヤドルチェンコの行方は矢高もまだ把握できていないか…。 ー上々だ。これは面白くなってきた。 「お、椎名起きてたか。」 タイムラインをぐりぐり下の方まで移動しながら椎名はこの声に応えた。 「すいません。すこし寝てました。」 「あぁ俺も今起きたところや。」 「久しぶりにカツ丼食ったら、急に眠くなってしまって…。」 「あぁ俺も。夜中にあんな脂っこいモン食ってもたれてしまうかと思ったら、しばらくして急に眠くなっちまってな。今起きたンやけど、案外すっきりしとる。」 「お若いですね。自分は少々もたれています。」 他愛もないやりとりをした。 「で、どうや。なにか動きはあったか。」 「いや。目立ったものはありません。」 「これからお前さん、どう出る。」 「まず朝戸を現地まで誘導します。」 「いつ、どうやって。」 「昼過ぎにいまの宿を出てもらって、駅近くのどこかの店で待機してもらいます。」 「どこにする。」 「お任せします。その店に誘導します。」 「わかったこちらで選定し、お前に指示する。」 片倉は合わせて空閑に関する対応についても、椎名に意見を求めた。 「空閑はこのまま放置します。頃合いを見て逮捕してください。」 「頃合いってなんや。」 「片倉さんのタイミングで結構です。」 「…。」 この間に椎名は反応した。 「いかがされましたか。」 「随分あっさりとしとるんやな。」 「駄目ですか。」 「…いや。」 「空閑逮捕に関する注意事項はないか。」 「彼は男前です。くれぐれもその誘惑に気をつけてください。」 「…。」 片倉は沈黙で応えた。 ー知ってるな。この様子。 「椎名。」 「はい。」 「サングラスはかけていった方が良いかね。」 「サングラス?え?なんで?」 「あぁサングラス。あれ?お前知らんがか。」 「え?なんですか?」 「鍋島やって鍋島。」 ーやはり分かっていた…。しかしどうしてサングラスをかけろって話なんだ。 「鍋島能力の発動はその目からくるもんやってのは、俺ら警察では周知のことや。要はその目からの刺激を直接的に受容せんときゃいい。そのためのサングラス。」 ーなんだって…。 椎名は必死で表情を取り繕った。 「そいつを研究しとったのは光定であり、第2小早川研究所。あいつらはその科学的証明をなんとかしてやろうとおもっとったんやけど、結局のところそれはできんかった。でもな俺らにとってはそんなよう分からん超常現象の解明とかは正直どうでもいいんや。そのややっこしい現象に対応する方法さえあればそれでいい。光定や小早川、天宮みたいな秀才の頭で解明できんもんの対応方法だけは、俺らは早々に確立しとる。高卒でデカしかしたことのないウチのもんが秒で生み出したって訳。」 「秒でとは…。」 「6年前の鍋島事件のことはあんたも知っとるやろ。あのとき鍋島と直接対峙するとき、既にその方法は確立しとった。」 すうっと息を吸って椎名はにやりと笑った。 「参りました。」 椎名の部屋のドアが開かれた。 「椎名賢明。悪ぃが別の部屋に移ってもらえるか。」 椎名の部屋のドアを開いて入ってきた片倉の顔から表情が消えていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。
    Sat, 10 Feb 2024
  • 205 - 181.1 第170話【前編】
    3-170-1.1.mp3 金沢市郊外の築古マンション。その一室にウ・ダバの構成員の一部が潜んでいた。 「おい起きろ。」 هيه استيقظ 肩を小突かれたアサドはやっとの思いでその目を開いた。 「もう6時だ。いつまで寝てんだ。メシを食え。」 إنها الساعة السادسة بالفعل. كم من الوقت نمت؟ كل الطعام. 「ああ、すまない。」أه آسف. アサドの目の前の男性は苛立っていた。 この部屋の間取りは2LDK。アサドが目を覚ましたこの部屋には、大型のアタッシュケースのようなものが多数置かれている。 「早くしろ!」أسرع - بسرعة! 慌てて身を起こしたアサドはリビングダイニングの方へ向かった。 そこには朝食の用意を命じる今ほどの男の他に4名。髭面の男達が円を描くように床に座って何かの興じているようだった。 ふとアサドはそこに目をやる。するとそこには日本円の紙幣の束が積み重なっていた。 「続いては昨日の大雨に関するニュースです。」 テレビがついていた。 石川県の地域のニュースのようだ。昨日の大雨は金沢市の一部で浸水の被害をもたらした。しかしその後雨は収まり、金沢市と野々市市に出されていた大雨洪水警報は注意報に切り替わった。一夜明けた金沢の街の様子を、この朝早くから現地リポートしている。 「しかしなんでここで雨が止むかね。」 ひとりの男がぼやくとそれに応える者があった。 「このまま雨が降り続いて作戦中止。それで仕事が流れちまえば、前金貰ってそれこそ丸儲けだったのによ。」 「まったくだ。こんなに割の良い仕事はないさ。正直、俺、ヤバい橋はもう渡りたくないんだよ。」 「そいつは俺もさ。俺だって家族があるんだ。」 「あぁお前んところのガキ、もうぼちぼち大学生だって言ってたよな。」 「ああ、あいつには来年留学して貰おうと思ってる。」 「どこに?」 「ヨーロッパの国のどこかだな。」 「そいつは賢明だ。ウチの国にいたって稼げねぇし。」 「正直、王立大学も考えたんだが、ウチみたいなコネも何もない階層じゃあ苦労するだけだ。結局搾取される側で固定される未来が目に見えるよ。」 「クソだな。」 「ああクソだ。」 「ところで日本はどうだ。」 「日本か?」 「ああ。」 「悪くない。」 「俺もそう思う。」 「だが俺らがここで生きていくのは無理だ。」 「だな。俺らがドカンとやるんだからな。」 男らの会話を耳にしながらアサドはパンを焼き、作り置きのシチューのようなものを暖める。 「それにしても運が良いな俺ら。」 「まったくだ。まさかここでドローンが手に入るとはな。」 で、と言って彼はアサドの名前を呼んだ。 「何だ。」 「昨日のお前のレク通りやれば、俺らでも本当にドローン飛ばせるんだよな。」 「ああ問題ない。」 昨日、ボストークで思わぬ武器を手に入れた。それが自爆ドローンだ。機体に爆弾が括り付けられ、それを対象に突っ込ませれば爆発する。ウ・ダバに所属して10年のベテランであるアサドはこの手のドローンの操縦についても知見を要していたため、この場に居るチームの連中にその操縦方法の手ほどき夜通し行っていた。そのため皆より遅い起床となったのである。 ー確かに運が良い。 アサドは心の中で呟いた。 本日、5班編制のウ・ダバは爆発物を積載した乗用車で金沢駅のもてなしドームの辺りに侵入、そこで金沢のシンボルである鼓門をはじめ、周辺の建造物を手当たり次第爆破、破壊せしめる。同時に、その場にいる人間を無差別に殺傷。周辺を大規模な混乱に陥れれば、今回のミッション達成だ。ヤドルチェンコの合図を持って、その場から撤収する。 しかし自爆ドローンという武器が手に入ったことで、作戦に一部変更が出た。ドローン操作の知見を有するアサドを中心としたドローン班を急遽編成。この班だけは安全な場所からドローンによる自爆攻撃に集中するべしとの作戦となった。アサドの班は攻撃後ヤドルチェンコの合図を持って、金沢駅で展開する他の4班を回収に向かう。その後、そのままちりぢりに逃亡せよとの指示だ。 ー今回は死ぬリスクが少ないとなるとなると、急にこのざまだ。 「それにしてもウ・ダバはビジネステロ集団に成り下がっちまったかと思っていたが、アサドのような良い面してる奴もまだまだ居るんだな。」158 部屋で浮き足立つ連中に思わず唾棄するアサドだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 部屋から食堂に降りてきた朝戸に宿の主人は声をかけた。 「もうこの宿にはだれも居ない。安心しな。」 朝戸は頷いて畳の上に座る。 間を置かず朝食が彼の前に出された。 「雨は?」 こう言って窓の外の方に目をやった朝戸の顔に陽光が降り注いだ。聞くまでもない質問だったようだが、主人はご丁寧に答えた。 「収まった。だけど今日の夕方からまた怪しい。」 そうかと言って朝戸は食事を口に運び出した。 「昨日みたいな雨だと、いろいろ都合が悪いことも出てくると思う。」 「逆に雨だから良いんじゃないか。」 「どうして。」 「気象条件は平等だ。俺らにとって都合が悪いことはあいつらにとっても都合が悪い。俺らが雨を克服すれば良いだけのこと。」 主人は朝戸の肩を軽く叩いた。 「藤木さんは。」 「あぁあの人は別の宿を当たるって言って出て行った。」 手を止め朝戸は咀嚼する。 「あれはどう考えてもお前さんを監視する公安かなんかだよ。」 「だろうね。」 「何か知られたか。」 「ある程度俺のことを知って接触してきたんだろう。あの人。」 「だろうな。」 「新たな情報を与えたつもりはないよ。」 「なら良いんだが。」 「ま、与えたところでって感じだけど。」 「偶然かわからんが、あの人とはいろいろありすぎたな。短期間で。」 「…偶然さ。」 朝戸は食事を再開した。 「外にも怪しい人影がある。」 「あぁ知ってる。袋のネズミだ。」 「どうする。予定の時間までまだ大分あるが。」 「予定の時間ってなんだ。」 「俺はお前さんを正午まで管理してろって言われている。」 「管理…ね。」 「正午以降はここで合流せよとも。」 朝戸のスマホに位置情報が送られてきた。 「なんだこのマンション。」 「武器庫だ。」 「…。」 朝戸の咀嚼音だけが部屋に響く。 「俺はお前さんをここに届けなきゃならん。」 「外の奴さんに感ずかれずに…か?」 「ああ。」 「無理だ。」 「そうかな。」 主人は食堂の隅の畳を一枚まくり上げた。 「地下通路か。」 「そうだ。」 この通路は別のアジトに通じている。そのアジトには朝戸を武器庫であるマンションに運ぶためのスタッフが待機しているそうだった。 「…。」 済まない。メシを食わせてくれ。そういって朝戸は無言で食事を続けた。 「ごちそうさまでした。」 合掌して頭を垂れた朝戸は側にあったポットから茶を注いだ。 そしてそれに静かに口を付けた。 「やはり俺は今日、死ぬわけだ。」 これには主人は無言でしか返事をしない。 「心配ない。それくらい分かってる。分かった上でこの仕事を引き受けてる。そもそも金沢駅でド派手なテロ起こして生きて還れるなんて思ってたら、そいつはただのアホだ。そりゃあ俺は落伍者さ。けどアホじゃない。一応それなりの大学でてるんだ。」 状況の飲み込みの良さと、どこか歪んだ言葉。このナイトと言われる男の根っこの部分には、やはり就職活動の失敗によって作られてしまった、卑屈さのようなものがある。事前にビショップより聞かされていた情報との整合性を確認した主人はため息をついて応えるしかできなかった。 「ご主人。」 「なんだ。」 「あんたはなんでビショップらとつるんでるんだ。」 「…。」 「ビショップにしろ、あんたにしろ、こんなちまちました商売するよりも、それなりの商売をすればもっと大きく稼げる可能性を充分に持っていると思うんだ。けどあんたらはそういったことをしない。そして危ない橋を渡る。」 主人は肩をすくめた。 「金は物差しのひとつでしかない。」 「ん?」 「そりゃあ生きていくために金は必要さ。幸い、俺は生きていけるだけの金はこの民泊って商売とビショップからの案件で賄えてる。俺にとってはこれ以上の金はあるには越したことはないが、別に必要なものでもない。」 「そうか。」 「ビショップの奴が金に関してどう思っているかはよくわからん。人それぞれだからな。因みに俺は天涯孤独な独り身だ。家族ってモンがない。まぁ世間一般で言う守るモンがないってわけ。そんな俺にも民泊の客であったり、ビショップのような奴だったり、お前さんのような人間と接点ができる。そしたらさ、妙なもんでよ、関わりのある人間に感情移入って言うの?なんかしてやんないとなって思うのよ。」 「…。」 「これって家族が居ないからなのかもしれないな。誰かと接点もって、帰属意識をつくって疑似家族。そんな感じなのかもしれないね。」 「放っておけないって感じか。」 「そうそう。ひと言で言うとそんな感じさ。」 はははと二人は笑った。 「嘘をつけ。」 こう朝戸は主人に言い放った。主人は一瞬驚いた顔を見せたがすぐにその顔は紅潮し、怒りに満ちたものに変わった。その主人の様子にもかかわらず、朝戸はたたみかける。 「楽しんでるんだろ。この秘密めいた企みを。結果もたらされるであろう非人道的な虐殺行為が楽しみでならないんだろう。」 この朝戸の煽り言葉によって、更に顔を赤くせしめるものかと思われたが、主人は冷静さを取り戻していた。 「…どうしてわかった。」 「わかるさ。同じ穴の狢って言うだろ。似たものが集まるもんさ。」 「と言うことはお前さんもそうか。」 「ああ、そうだ。俺だけじゃない。ビショップもな。」 「ビショップが?奴はインチョウを救いたいだけだろ。」 「んなわけないだろう。」 主人は黙した。 「建前だよ建前。そういう立て付けにしてるだけ。根底には自分以外の人間を塵芥のように見ている。じゃないとこの手の革命思想は出てこない。あんたも俺に共感しているようなフリをしているだけ。俺もあんたの気持ちを汲んでいるふりをしてるだけ。俺もあんたもビショップも結局、自分が1番だと考えている。ゴミクソな生き物だと卑下ながらね。」 主人は高らかに笑った。 「我々のような人種に共通している特徴をよくもまぁこんなに汚い言葉で明快に語れるもんだな。」 「同族嫌悪って言ったっけ?」 「いや愉快愉快。」 「似たもの同士、最後までよろしく頼むよ。ご主人さん。」 「まったくサイコパスだよあんた。」 「何言ってんだ。あんたもだろ。」 「ああそうだ。」 「見てろ。血の雨を降らせてやる。」 「楽しみにしてるよ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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