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209 - 183.2 第172話【後編】
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- 209 - 183.2 第172話【後編】3-172-2.mp3 腕時計に目を落としていた男が顔を上げると、前に居た男が頷いた。 ガラガラガラっと民泊の玄関扉を開くと、どこからともなく二人の背後から6名程度のアウトドアウェア姿の男らが現れ、物音ひとつ立てずに宿の中に全員流れ込むように入っていった。 「ごめんくださーい。」 「はーい。」 しばらくして奥から宿の主人が現れた。主人は目の前に突然屈強な男らが大勢現れたことに、驚きのあまり腰を抜かした。 「こちらに朝戸さんって方、泊まってらっしゃるでしょ。」 「あ、あ…。」 声すら出せない主人の驚きようだ。 「どちらに居ますか?」 この質問に主人はなんとか首を振って応える。 「わからない?」 これには頷いて応えた。 「そんなはずはないんだよなぁ。」 ちょっと中調べさせてもらうよと言って、主人は猿ぐつわをされ、両手両足を縛られた。 「はじめるぞ。」 リーダー格の男が握った拳を広げると、全員が宿の中に散らばった。彼らは手に拳銃のようなものを持っていた。 ただの民泊だ。朝戸を探すと行っても、時間はかからない。リーダー格の男は主人を前にどっかと腰を下ろして、報告を待った。 先ず、一階の捜索をしていた者たちがこちらに戻ってきた。彼はリーダーに向かって首を振る。 「わかった。ここで待機せよ。」 「了解。」 それから間もなく二階の捜索をしていた者たちが戻ってきた。彼らも首を振った。 「何だって?」 どこかに隠れているのかもしれない。再度入念に調べろとリーダーは全員に指示を出した。 ふと横に転がっている主人の様子を見ると、どこか笑っているように見えた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「なに…居ない…。」 民泊からの報告を受けた一郎の声が神谷に届いた。 「その民泊からの脱出経路があるはずだ。虱潰しに調べろ。」 神谷と卯辰兄弟がビル屋上からエレベーターに乗って事務所に移動中の時だった。 エレベーターの扉が開く音 「朝戸が消えたのか。」 「はっ。例の拠点に外への脱出経路が用意されていたと想定されます。」 「敵も然る者。」 「いかにも。」 「脱出経路を抑えたら、その先も抑えねばならんな。」 「はい。」 「人手がウチらだけでは足りないか…。」 「隠密行動なら事足りますが、大がかりになると無理かと。」 「すぐに公安特課に指示を仰ぐ。一郎は脱出経路の調査と、その先を抑えてくれ。」 「はっ。」 「くれぐれも注意せよ。」 「了解。」 「カシラ。」 次郎が神谷を呼ぶ。 「なんだ。」 「これで連中が動きを早めると言うことはありませんか。」 「ないとは言えないな。」 「ヤドルチェンコの警戒を強めます。」 「ああ頼む。」 「あと比例してアルミヤプラボスディアが早期に動く可能性も見越して、部隊に早めの待機を命じます。」 「ああそうしてくれ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「そうか…失敗か…。」 「はい。現在、脱出経路の探索をしています。しかしその脱出先の探索となると、現状の我々の人員では無理です。」 「わかった。先は公安特課で対応する。お前さんは早急にその脱出経路を特定してくれ。」 「了解。」 それでは仁熊会はアルミヤプラボスディア対応に全てのリソースを振り向けます。そう片倉は神谷から静か告げられ電話を切った。 「なんで分かった…。」 片倉は拳を握り締め、きびすを返して椎名が詰める部屋のドアを開いた。 「椎名。」 見るからに不機嫌そうな顔つきの片倉を見て椎名は無言で彼の目を見て応えた。 「朝戸が消えた。」 「…。」 二人の間に5秒ほど沈黙が流れる。 「いま、何て言いました?」 椎名は静かに片倉に問う。 「朝戸が例の民泊から姿を消した。」 「…待ってくださいよ…片倉さん。あなたら公安特課が24時間監視していたんでしょう。」 「しとった。けどおらんくなった。」 「どういうことですか。」 「ウチのもんにガサ入れさせたんや。」 「ええっ!?」 感情をあまり表に出さない椎名がこの時ばかりは、あり得ないという様子を露骨に出した。 「ガサ入れた段階ですでに居らんかった。」 「何言ってんだ。あんたらがガサ入れたから、危険を察知して逃げたんだろう。」 「違う。」 「無能だ…。本当に日本の警察は無能だよ!」 直球で非難する椎名に、片倉はこう返した。 「お前か。朝戸を手引きしたのは。」 これには即座に椎名は返した。 「私が手引き?どうやって?この監視がキツい環境下でどうやって奴を?」 「お前ならできる。」 「だからどうやったらできるって言うんですか!」 「んなもん言えるか!」 「馬鹿馬鹿しい。言ったじゃないですか。彼の合図をもってテロが実行される運びとなってるって。彼の手綱が引けないと、自分は制御できませんよ!」 椎名は百目鬼から渡された携帯電話を取り出した。 「あぁっ!椎名!なんだその携帯!」 「百目鬼理事官から返してもらいました。」 「なにっ!」 「朝戸に連絡を取ります。」 「待て!待つんや椎名!」 片倉の制止を振り払って耳にそれを当てていた椎名だったが、しばらくして彼は力なく腕を下ろした。 「駄目だ…繋がらない…。」 椎名は頭を抱えた。 「どうした。」 別の部屋に居た百目鬼だったが、異変を感じて二人の間に入ってきた。 「片倉さんが朝戸の宿にガサ入れました。」 百目鬼は無言のまま片倉を見る。 「何だって?」 「それがきっかけで、朝戸は行方不明です。自分とも連絡が取れません。」 みるみる百目鬼の顔が紅潮するのが分かった。 「片倉ぁ!何やってんだ!このボケナスがぁっ!」 百目鬼は片倉を一喝した。 「申し訳ございません。」 「ごめんで済んだら警察いらんわ!どうするんだ!」 「しかし、踏み込んだときには既に朝戸の姿はなかった…。」 「だからあんたらが踏み込んだから、朝戸が逃げ出したんだろうよ。」 「待て。」 片倉の言葉にかぶせるようにして言った椎名だったが、それは百目鬼によって更にかぶせられてしまった。 「踏み込んだときには既に居なかった…だと…。」 「はい。現在、脱出経路を探索中です。」 「現場に張り付いていたマルトクは、朝戸の姿を目撃していないのか。」 「はい。従って踏み込んだと同時に外に出て逃走を図ったとは考えにくいかと。」 百目鬼は椎名を見やって口を開いた。 「だ、そうだ。」 椎名は何も言わない。いや言えなくなった。 「どういうことだ。椎名。」 今度は椎名に百目鬼から冷たい視線が注がれた。 「もしも片倉さんのガサ入れが原因でないとすると、朝戸の暴走としか考えられません。」 「朝戸の暴走?」 「はい。私は空閑をして彼を正午辺りに金沢駅方面へ誘導せよと宿の主人に指示を出していました。ですがそれが私の承諾なしに変更されたのです。」 「本当にお前の承諾はないのか。」 「ありません。何で私がここに来て不確定要素をわざわざ作る必要があるんですか。」 百目鬼は黙って彼の目を見た。 「неуправляемый…。」 こう言って椎名は携帯を百目鬼に見せた。 「制御不能です。私からの電話に出ない。これは今までに無かった事態です。」 ここで片倉の携帯が震えた。 「はい片倉。……なに?…………地下通路?」 この場の三人が顔を見合わせた。 「わかった。すぐそこに公安特課を派遣する。」 即座に片倉は岡田と連絡を取って、民泊付近で待機する公安特課の人間に、神谷と合流するよう指示を出した。そして脱出経路と朝戸の捜索をするため、人員の再編成、配置についてを至急対応を求めた。Sat, 09 Mar 2024
- 208 - 183.1 第172話【前編】3-172-1.mp3 「わかりました。公安特課が一時的に居なくなる隙を狙って、突入します。」 「現場の報告によると、今現在、対象の民泊で働いているのは、そこのオーナーただひとり。利用者も朝戸一名や。」 「環境は整っているというわけですね。」 「ああ。ほうや。事前に潜入しとったトシさんが見る限り、特段、武装しとるふうには見えんかったようや。が、油断は禁物。施設にどういった仕掛けが施されとるかわからんしな。」 「了解。」 ふと神谷は時計を見た。時刻は8時20分だ。 「こちらは0830(マルハチサンマル)をもって拠点制圧を開始します。」 「頼む。」 神谷は側の一郎にその旨を即座に指示した。 「アルミヤの方は何か分かったか。」 「金沢駅近辺にあった奴らの痕跡が一斉に消えました。」 「消えた…。」 「はい。攻勢の前触れかと。」 「それは自衛隊の方も把握しとれんろ。」 「勿論です。ただ…。」 「ただ、なんや。」 「例の影龍特務隊が気になりまして。」 「気になるとは。」 「中国語で会話をするビジネスマン風の人間がちらほらあるようです。」 「金沢駅にか?」 「はい。同様に観光客も居ます。」 「…わかった。頃合いを見てその中国人らに声をかけるようこちらから現場に指示を出す。」 「はい。」 「神谷。ところでお前は今はどこや。」 「機密上それは言えません。」 神谷は電話を切った。 昨日の天気が嘘のようだ。雲の切れ目からまばゆいかぎりの日の光が街を照らす。雨で濡れたそれらが反射によってさらに輝く。 美しい。そして静かだ。 この穏やかな状況がこのまま保たれれば、どんなに良いことであろうか。 神谷は、金沢駅近くのビルの屋上に居た。 「カシラ。」 次郎が神谷に声をかけた。 「何だ。」 「ヤドルチェンコの居所がわかりました。」 「なにっ。」 「奴はいま小松に居ます。」 「小松?」 「小松駅近くのホテルです。雨澤のダンナの解析を手がかりにホテルを虱潰しに当たったところ、突き止めました。」 「なるほど…」 神谷は眼下にある金沢駅から北西に延びる沿線を見やった。 「本体は大胆にも鉄道でやってくる可能性があるということか。」 「はい。しかしいくらボディチェックがないとしても、それでは相応の武器を運搬することは不可能かと思います。」 「ならば現地の近くに武器庫があるか…。」 「おそらく。」 「もしくは鉄道移動はヤドルチェンコのみ。他は既に散り散りにすでにスタンバっているとか。」 「そのほうが現実的でしょう。」 「ヤドルチェンコは俺から公安に情報を入れておく。次郎は一旦ヤドルチェンコからは手を引け。」 「はっ。」 「たった今からお前は一郎のフォローに重点を置け。雨澤は別の人間に引き継ぐが良い。」 「はっ。」 さてと言って、神谷は双眼鏡で金沢駅をのぞき込む。 「トシさんと相馬…。」 交番から古田と相馬が肩を並べて出てきた。古田は待ちきれずに喫煙所に付く前から煙草に火を着ける。方や相馬は煙草を吸わないため、手ぶらだ。彼らはそのまま近くの喫煙所へ吸い込まれていった。 視点を交番の中に移すと、若い男性2名が見えた。 「あれが自衛隊特務の二人か…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 喫煙所に到着したタイミングで、古田は煙を吐いた。 「前から思っていたんですけど、この外の喫煙所って本当に意味あるんですか。」 「あん?」 「くさいんですよ。何となく仕切っていますけど、ただの外じゃないですか。近くに居なくても風向きによっては結構臭うんで迷惑なんです。」 「んなら来んなや。」 煙草も吸わない人間がどうして喫煙所に来たのだ。 こっちはちょっとした息抜きで一人でここに来たと言うのに、わざわざついてきて小言まで言うとは喧嘩でも売っているのか。古田はこう相馬に言った。 「さすがに交番にずっと居ると息が詰まります。」 「だからここに来たんやろうが。邪魔すんな。」 スーツ姿の男が喫煙所に入ってきた。彼は慣れた手つきで煙草をくわえてそれに火をつける。 そして大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。 それとなく彼は相馬と古田の様子を見る。 一方は火のついた煙草を手にしており、もう一方は喫煙者の風ではない。 変わった男がいるもんだという風な表情を見せ、彼は明後日の方を見て煙草を吸った。 「で、なんや。」 「え?」 「用があるから、ここにおれんろいや。」 「だから煙草はやめた方がいいですって言ってるじゃないですか。」 スーツ姿の男の手が止まった。 「お前、それここで言う?」 「あ。」 相馬はスーツ姿の男を見た。彼と目が合った。 間違いなく彼は不愉快な顔をしていた。 「ごめんなさい...。」 「あのな、ここは煙草を吸う場所なの。公で認められたそういう場所なの。ここに煙草を吸わんお前がおることのほうがおかしいの。わかる?」 相馬は無言で下を向いてしまった。 その様子をよそにスーツ姿の男は煙草を吸い終えたのか、この場の居心地の悪さに耐えかねたのか、そそくさとその場から立ち去っていった。 「ほら見ろ。お前の感じの悪さ、最高やぞ。」 「古田さん。見ました?」 「………。何を?」 古田は相馬の言葉の意味が分からないような応答をした。 「煙草の銘柄ですよ。」 「…見た。珍しいやつやったな。」 「はい。中国製のものかと。」 「しかし、あれやな。普通の民間人を装っとるけど…。」 「内から出てくる殺気が段違い。」 古田は頷いた。 「人に分かるような殺気なんか、堅気の人間に出せん。あれは死線をくぐってきた人間にだけ出せる奴や。」 「ただ者ではないことは確かですね。」 相馬は喫煙所から外に顔を覗かせた。 「どうやさっきのおっさん。」 「どこかに消えましたね。…それにしても今日は中国人観光客が普段よりも多いような…。」 「念のため、吉川と小早川に対策を相談やな。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 金沢駅の雑踏 「金沢駅に到着しました。我々はこれからホテルに散って予定時刻を待ちます。」 我们已经到达金泽站。我们现在将分散前往酒店,并等待预定的时间。 「はい。アルミヤプラボスディアは現在確認できません。」 好的。目前无法确认阿尔米亚普拉博斯迪亚的情况。 「ウ・ダバですか…ウ・ダバについても未だそれらしき人員を見たという報告は入っていません。」 乌·达巴吗?…关于乌·达巴,我们还没有收到任何看到类似人员的报告。 「かしこまりました。こちらも対象に勘づかれないよう、後方支援に回ります。」 明白了。我们也会转向后方支持,以避免被目标察觉。 「我々は利だけを得る。このことは徹頭徹尾、隊員に周知しておりますので、ご心配なく。」 我们只会获利。这一点已经彻底通知给队员了,请不要担心。 電話を切る音。 「はい。皆さんお待たせしました。ここが金沢です。この駅は世界で最も美しい駅14選というものがありまして、それにも選ばれています。」 是的,各位久等了。这里是金泽。这个车站被选为世界上最美丽的14个车站之一。。Sat, 09 Mar 2024
- 207 - 182 第171話3-171.mp3 - 椎名はテロ実行直前までチェス組と連携し彼らをエスコートする。そこに警察は介入しないこと - 実行直前に公安特課の出番をつくるので、相応の人員を用意すること - 空閑と朝戸にはしっかりと専任者を配置し、勝手な動きをしないよう監視を強化すること - サブリミナル映像効果を少しでも薄めるため、こちらで用意した動画をちゃんねるフリーダムで短時間で集中的に配信すること - テロは爆発物によるものであるはず。可能性を徹底的に排除すること - 朝戸がテロの口火を切る行動をし、その後にヤドルチェンコがウ・ダバを使ってさらにそれを派手なものにする手はずである。したがってウ・ダバらしき連中の行動はつぶさに報告を入れること - その他現場サイドで気になることがあればすぐさま椎名に連絡し、その判断を仰ぐこと これが当初、椎名から警察側に要請されていたことだ。 空閑が保持してるであろう鍋島能力に関することも、今回の警察が椎名を隔離することも一切取り決めがない。 「だからと言ってここで椎名を完全隔離ってのは…。」 百目鬼は困惑した。 「理事官。椎名はまだ何かを企んでいます。」 腕を組んで片倉の顔をちらっと見た百目鬼は大きく息をついて視線を逸らした。 「椎名と話してくる。」 ドアが閉まる音 「空閑は鍋島能力を持っている。これは間違いないか。」 しばらく間を置いて椎名。 「間違いないかどうかは私にも分かりません。どうやらそのようだとしか。」 「お前自身、確証がないのか。」 「はい。未だに半信半疑です。」 空閑は鍋島能力を身につけている。この情報を得た椎名はダメ元で大川説得にその能力を使って見ろと指示を出した。結果それは功を奏したわけだが、椎名にとって空閑の持つ能力については未だ信用に足らないらしい。 「だから試してみたかった。」 「さすが百目鬼理事官。その通りです。」 百目鬼は大きく息を吐いた。 「鍋島能力に関しての取り決めがないんだから、その能力が本当にあるのか、使えるものなのか。そういった実験をするのも椎名、お前の自由だと?」 「はい。私は一方的にこのような完全隔離状態にされているんですから。」 百目鬼は二度頷いた。 「片倉。こういうことだそうだ。」 「はい。」 片倉の返事が部屋にあるスピーカーから聞こえた。 「椎名、残念やったな。サングラスかけて空閑の対応したら、鍋島能力の有無は検証できんぞ。」 「だから参りましたと言いました。」 「いまから空閑を逮捕する。」 「ご自由にどうぞ。空閑は紀伊に命じて光定を殺害せしめました。」 「…。」 この椎名の言葉に片倉からの返事はなかった。 「ここで空閑が消息を絶つと、朝戸やウ・ダバの連中に怪しまれないか。」 百目鬼が椎名に聞いた。 「問題ありません。自分が制御します。」 「…。」 椎名の目を見つめて黙った百目鬼だったが、彼はおもむろに一台のスマートフォンを椎名の前に差し出した。 「解析が終わった。これはお前に返す。」 「…。」 「お前さんが制御するんだろう。」 「片倉さんが黙っていませんよ。」 「あいつは俺の部下だ。」 しばらく黙って椎名はそれを受け取った。 「百目鬼さん。」 「なんだ。」 椎名は声に出さずに口を動かした。 その動きを見た百目鬼は手元にあるスイッチを押した。 「この部屋の音は外に聞こえないようにした。」 「私にはその真偽を確かめる術がありません。」 椎名は百目鬼にそう即答した。 「アナスタシアに関する情報は公安特課でも俺以上しか知らない。」 「片倉さんも?」 「ああそうだ。このテロ対でアナスタシアという言葉を知っているのは俺だけだ。だから案ずるな。」 で、何が聞きたいと百目鬼は尋ねる。 「アナスタシアがどうしたんですか。」 「…。」 「公安特課はアナスタシアのどこまでを知っているんですか。」 「それは言えない。」 「彼女は息災なんですか。」 「それも言えない。」 「どうすれば教えてくれるんですか。」 「今回の結果次第だ。」 「結果次第とは。」 「何度も言わせるな。テロの防止と一斉検挙だ。」 「…。」 「だから変な気を起こすな。いまの空閑の一件は看過できん。」 「申し訳ございません。」 椎名は伏して百目鬼に詫びた。 「お前がこっちを試すのは構わん。だがこっちもお前を試させてもらう。火遊びが過ぎるとお前も俺らも共倒れって未来もあるってのを理解しておけ。」 「わかりました。」 「エレナと連絡はとっているか。」 「エレナ?」 「ああ。」 椎名の反応にかなりの間があった。 「いいえ。」 「そうか。」 「彼女は…。」 「それも言えない。」 やはりと言った顔を椎名はした。 百目鬼はエレナと連絡を取っているかと聞いた。ということはエレナは少なくとも健在であるということだ。 椎名はエレナとはそれほど接点がない。アナスタシアの送迎で彼女の家に寄ることがあり、そこで二三度顔を合わせた程度だ。しかしあの時、アナスタシアがオフラーナに連行されて行く時、自宅の窓からこちらに向かって憎悪に満ちた表情を見せていたことは鮮明に覚えている。アナスタシアが連れ去られていった原因は椎名にある。そうとしか思っていない表情だった。 まさかそんなことまでも公安特課は把握しているのか。いや、あのエレナの顔は自分しか見ていないはずだ。となるといま目の前で告げられたエレナの名前にはどういった意図があると言うのか。今の椎名には推し量ることができなかった。 「昼までは特に自分はやることがありません。現場は準備が整ったようですので。」 「俺らはどこで何をしていれば良い?」 「警察はまず金沢駅周辺に実力部隊を秘密裏に配置してください。ウ・ダバは5班編制で金沢駅に襲来します。それを力で抑え込んでください。」 「襲来を待って抑えるのか。」 「はい。」 「その手前で抑えられないか。」 「いかんせん、直前のウ・ダバの所在までは自分は把握できません。ウ・ダバの指揮を執っているのは私ではなくヤドルチェンコですから。なので直前の17時半に近隣を封鎖しましょう。人の往来にもそこで規制をかけましょう。」 「そんなギリギリで間に合うか。」 「ギリギリでないとテロ自体が中止となる恐れがあります。しかしこれだと犯行グループの一斉検挙という目的は達成できません。」 公安特課が最優先することはテロを未然に防ぐこと。犯行グループの一斉検挙はおまけだ。市民の生命と安全を守ることが最も優先されるべきものであり、本来なら犯人検挙は後回しでも問題ない。百目鬼は正直そう思っている。しかし昨今の警察に対する世論の風当たりを考えると、テロの防止はできても犯行グループを取り逃がしたと報道されれば、更なるバッシングが容易に想定される。警察上層部はそれを恐れ、今回の事案に関しては、何が何でも犯行グループの検挙をセットでと言ってきている訳だ。 「百目鬼さん。」 「なんだ。」 「ヤドルチェンコの班は5名で1班です。2名で1人を抑えるとして、少なくとも50名の熟練した実力部隊員が必要です。」 「50名?何手心細い人員だ。」 「ではもっと手配していると。」 「数は秘密だ。しかし相応の人員を手配しているとだけ言える。」 「それは頼もしい。」 「因みにやつらの装備はどんなもんだ。」 「奴らも相応の武装をしていると考えてください。機関銃、手榴弾、RPGといったもので普通に攻めてきます。」 「SATは相応の装備と訓練をしている。なので対応については問題は無いと思うが、問題は相手方に気づかれずにどう配置させるかだ。」 椎名は金沢駅を移した衛生画像をスマホで表示した。 「奴らはおそらく金沢のシンボルである、この鼓門を破壊するでしょう。なのでこの門の上やもてなしドームの上に潜むというのは得策ではありません。」 百目鬼は頷く。 「ではその地下広場ならどうかとなりますが、低地から高地の制圧となります。地下広場は構造上広く見下ろせますが、見上げ分には視界を広く保てません。従ってこちらも選択しないほうが良いでしょう。」 「ではどうする。」 椎名は金沢駅に向かって右側の施設を指さす。 「ここに商業ビルがあります。この施設に協力してもらってバックヤードに潜ませましょう。」 「このビルの規制はどうする。」 「先ほどの17時15分をリミットに全員退去してもらいます。もちろんテロがあるという理由でなく、急遽メンテナンスが必要なったためとかで、アナウンスしてもらいます。17時15分には従業員が退去しはじめます。17時半には規制をしますので、一定の安全確保はできるものと思います。」 椎名は続ける。 「この商業ビルの高所に狙撃犯を配置します。1階の部隊は金沢駅に侵入してきた平地のテロ部隊を制圧します。1階部隊はこのビルを出て鼓門を包み込むよう音楽堂方面へ圧迫。音楽堂やホテルと言った周辺の施設はもちろんこの時にはアリ一匹も入り込ませない警備状況を作り出しておくことが必要です。」 「わかった。」 「この時注意して欲しいことがあります。」 「なんだ。」 「躊躇わないでください。」 「何を。」 「相手はテロリストです。検挙は最良ですが、最良を求めるがあまり犠牲を出すのは愚です。基本は力で制圧する。結果数名検挙程度で良とするくらいの割り切りが必要です。」 椎名の的確な作戦立案に百目鬼は驚きを隠せなかった。これがツヴァイスタンの秘密警察か。まるで軍人のようではないか。 「オフラーナはこのようなテロ対策も任務の一つに?」 「はい。ツヴァイスタンの国境近くでの少数民族のテロ事件は比較的多く発生しています。自分の何度かその現場にかり出されましたので。」 なるほど、ますますこいつは敵に回したくない。そう百目鬼は思った。 「今のお前の作戦。SATにも図ってみる。採用するかしないかはあいつらが判断する。」 「もちろん。自分の作戦はあくまでもプランAです。検討いただけるなら幸いです。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 備え付けの電話がなったのでそれに出た。 「はい。」 電話の取次の案内だった。 自分がこのホテルに滞在しているのは椎名しか知らない。 「どなたからですか。」 椎名さんとおっしゃる方からですとの返答だった。 あり得ない。どうして椎名が携帯ではなく固定電話に連絡をよこすのだ。何かあったのか。 不審に思いながらも空閑はそれに出た。 「もしもし。」 「ビショップか。おれだキングだ。大川の件よくやった。」 やはりキングだ。 「どうした。」 「携帯を奪われた。」 「え!?」 「すまない。俺としたことがヘマした。」 「何があった。」 「説明すると長くなる。もうしばらくしたら俺の使いの人間がその部屋に行く。そいつに金を渡して携帯を用意するよう手配してくれ。」 「待て。公安がうろうろしてるんだぞ。」 「大丈夫だ。ルームサービスとしてお前のところに行く。」 「でも身体検査くらいされるだろう。」 「それくらいうまく凌いでみせるさ。」 間もなく部屋のインターホンが鳴った。 のぞき窓には制服姿の女性がうつむき加減で映っている。 空閑は部屋のドアを少し開いた。 刹那彼女はそこに右足をねじ込んだ。 そしてそれを閉めようとする空閑の手を振りほどき、ドアを全開した。 「てめぇ!」 空閑は彼女の顔を見た。 彼女はサングラスをかけていた。 「!?」 彼女の背後から2,3名のこれまたサングラス姿の屈強な体つきの男達が続いて部屋に突入してきた。 あっという間の出来事だった。 「空閑光秀。殺人教唆の疑いで逮捕状が出ている。署まで来てもらおうか。」 「逮捕状?」 「あぁそうだ。」 「待ってくれ。」 空閑は男の目を見ようとするもサングラスで隠れているため、それは適わない。 「何を待つんだ。」 「いや…。キング…。」 「キング?なんだそれは。」 「5月1日 8時10分 確保。」 男に手錠をかけられた空閑はその場に崩れ落ちた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【X】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 24 Feb 2024
- 206 - 181.2 第170話【後編】3-170-2.mp3 「っくしょん!」 パソコンの前に座ったままで目を瞑り、軽く睡眠をとっていた椎名はくしゃみによって目を覚ました。 自分の体調について尋ねる声はない。椎名を監視しているはずの片倉や岡田といった連中も今は眠っているのかもしれなかった。 しかしこちらから向こうの様子は見えないので迂闊な言動は慎むべきだ。とりあえず椎名はSNSのタイムラインを流し読みすることにした。 ハッシュタグ立憲自由クラブでフィルタリングされたそこには、日章旗と旭日旗が入ったアイコンがよく見られる。その中で椎名は「日本大好き」という名前のアカウントが時々ポストしているのを発見した。 やるしなかない 戦うしかない 完全にもう俺らは米帝の植民地だ 出たとこ勝負でもいいじゃないか 全ては行動あるのみ 何か薄ぼんやりとした何かを鼓舞するポストだ。 椎名は即座にこのポストを縦読みする。 ーや た か で す 続けて日本大好きアカウントは以下のポストをした。 川岸からの合図で動くとしよう ー川岸…岸…。騎士…ナイトか。ナイトの合図で始まると言うことだな。 桃は未だ見ず ー桃…? 椎名は一瞬考えたが、すぐにそのポストの意味を把握した。 ー桃…ピンクか…。ピンク稼業はヤドルチェンコの表の姿。そうか、ヤドルチェンコの行方は矢高もまだ把握できていないか…。 ー上々だ。これは面白くなってきた。 「お、椎名起きてたか。」 タイムラインをぐりぐり下の方まで移動しながら椎名はこの声に応えた。 「すいません。すこし寝てました。」 「あぁ俺も今起きたところや。」 「久しぶりにカツ丼食ったら、急に眠くなってしまって…。」 「あぁ俺も。夜中にあんな脂っこいモン食ってもたれてしまうかと思ったら、しばらくして急に眠くなっちまってな。今起きたンやけど、案外すっきりしとる。」 「お若いですね。自分は少々もたれています。」 他愛もないやりとりをした。 「で、どうや。なにか動きはあったか。」 「いや。目立ったものはありません。」 「これからお前さん、どう出る。」 「まず朝戸を現地まで誘導します。」 「いつ、どうやって。」 「昼過ぎにいまの宿を出てもらって、駅近くのどこかの店で待機してもらいます。」 「どこにする。」 「お任せします。その店に誘導します。」 「わかったこちらで選定し、お前に指示する。」 片倉は合わせて空閑に関する対応についても、椎名に意見を求めた。 「空閑はこのまま放置します。頃合いを見て逮捕してください。」 「頃合いってなんや。」 「片倉さんのタイミングで結構です。」 「…。」 この間に椎名は反応した。 「いかがされましたか。」 「随分あっさりとしとるんやな。」 「駄目ですか。」 「…いや。」 「空閑逮捕に関する注意事項はないか。」 「彼は男前です。くれぐれもその誘惑に気をつけてください。」 「…。」 片倉は沈黙で応えた。 ー知ってるな。この様子。 「椎名。」 「はい。」 「サングラスはかけていった方が良いかね。」 「サングラス?え?なんで?」 「あぁサングラス。あれ?お前知らんがか。」 「え?なんですか?」 「鍋島やって鍋島。」 ーやはり分かっていた…。しかしどうしてサングラスをかけろって話なんだ。 「鍋島能力の発動はその目からくるもんやってのは、俺ら警察では周知のことや。要はその目からの刺激を直接的に受容せんときゃいい。そのためのサングラス。」 ーなんだって…。 椎名は必死で表情を取り繕った。 「そいつを研究しとったのは光定であり、第2小早川研究所。あいつらはその科学的証明をなんとかしてやろうとおもっとったんやけど、結局のところそれはできんかった。でもな俺らにとってはそんなよう分からん超常現象の解明とかは正直どうでもいいんや。そのややっこしい現象に対応する方法さえあればそれでいい。光定や小早川、天宮みたいな秀才の頭で解明できんもんの対応方法だけは、俺らは早々に確立しとる。高卒でデカしかしたことのないウチのもんが秒で生み出したって訳。」 「秒でとは…。」 「6年前の鍋島事件のことはあんたも知っとるやろ。あのとき鍋島と直接対峙するとき、既にその方法は確立しとった。」 すうっと息を吸って椎名はにやりと笑った。 「参りました。」 椎名の部屋のドアが開かれた。 「椎名賢明。悪ぃが別の部屋に移ってもらえるか。」 椎名の部屋のドアを開いて入ってきた片倉の顔から表情が消えていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 10 Feb 2024
- 205 - 181.1 第170話【前編】3-170-1.1.mp3 金沢市郊外の築古マンション。その一室にウ・ダバの構成員の一部が潜んでいた。 「おい起きろ。」 هيه استيقظ 肩を小突かれたアサドはやっとの思いでその目を開いた。 「もう6時だ。いつまで寝てんだ。メシを食え。」 إنها الساعة السادسة بالفعل. كم من الوقت نمت؟ كل الطعام. 「ああ、すまない。」أه آسف. アサドの目の前の男性は苛立っていた。 この部屋の間取りは2LDK。アサドが目を覚ましたこの部屋には、大型のアタッシュケースのようなものが多数置かれている。 「早くしろ!」أسرع - بسرعة! 慌てて身を起こしたアサドはリビングダイニングの方へ向かった。 そこには朝食の用意を命じる今ほどの男の他に4名。髭面の男達が円を描くように床に座って何かの興じているようだった。 ふとアサドはそこに目をやる。するとそこには日本円の紙幣の束が積み重なっていた。 「続いては昨日の大雨に関するニュースです。」 テレビがついていた。 石川県の地域のニュースのようだ。昨日の大雨は金沢市の一部で浸水の被害をもたらした。しかしその後雨は収まり、金沢市と野々市市に出されていた大雨洪水警報は注意報に切り替わった。一夜明けた金沢の街の様子を、この朝早くから現地リポートしている。 「しかしなんでここで雨が止むかね。」 ひとりの男がぼやくとそれに応える者があった。 「このまま雨が降り続いて作戦中止。それで仕事が流れちまえば、前金貰ってそれこそ丸儲けだったのによ。」 「まったくだ。こんなに割の良い仕事はないさ。正直、俺、ヤバい橋はもう渡りたくないんだよ。」 「そいつは俺もさ。俺だって家族があるんだ。」 「あぁお前んところのガキ、もうぼちぼち大学生だって言ってたよな。」 「ああ、あいつには来年留学して貰おうと思ってる。」 「どこに?」 「ヨーロッパの国のどこかだな。」 「そいつは賢明だ。ウチの国にいたって稼げねぇし。」 「正直、王立大学も考えたんだが、ウチみたいなコネも何もない階層じゃあ苦労するだけだ。結局搾取される側で固定される未来が目に見えるよ。」 「クソだな。」 「ああクソだ。」 「ところで日本はどうだ。」 「日本か?」 「ああ。」 「悪くない。」 「俺もそう思う。」 「だが俺らがここで生きていくのは無理だ。」 「だな。俺らがドカンとやるんだからな。」 男らの会話を耳にしながらアサドはパンを焼き、作り置きのシチューのようなものを暖める。 「それにしても運が良いな俺ら。」 「まったくだ。まさかここでドローンが手に入るとはな。」 で、と言って彼はアサドの名前を呼んだ。 「何だ。」 「昨日のお前のレク通りやれば、俺らでも本当にドローン飛ばせるんだよな。」 「ああ問題ない。」 昨日、ボストークで思わぬ武器を手に入れた。それが自爆ドローンだ。機体に爆弾が括り付けられ、それを対象に突っ込ませれば爆発する。ウ・ダバに所属して10年のベテランであるアサドはこの手のドローンの操縦についても知見を要していたため、この場に居るチームの連中にその操縦方法の手ほどき夜通し行っていた。そのため皆より遅い起床となったのである。 ー確かに運が良い。 アサドは心の中で呟いた。 本日、5班編制のウ・ダバは爆発物を積載した乗用車で金沢駅のもてなしドームの辺りに侵入、そこで金沢のシンボルである鼓門をはじめ、周辺の建造物を手当たり次第爆破、破壊せしめる。同時に、その場にいる人間を無差別に殺傷。周辺を大規模な混乱に陥れれば、今回のミッション達成だ。ヤドルチェンコの合図を持って、その場から撤収する。 しかし自爆ドローンという武器が手に入ったことで、作戦に一部変更が出た。ドローン操作の知見を有するアサドを中心としたドローン班を急遽編成。この班だけは安全な場所からドローンによる自爆攻撃に集中するべしとの作戦となった。アサドの班は攻撃後ヤドルチェンコの合図を持って、金沢駅で展開する他の4班を回収に向かう。その後、そのままちりぢりに逃亡せよとの指示だ。 ー今回は死ぬリスクが少ないとなるとなると、急にこのざまだ。 「それにしてもウ・ダバはビジネステロ集団に成り下がっちまったかと思っていたが、アサドのような良い面してる奴もまだまだ居るんだな。」158 部屋で浮き足立つ連中に思わず唾棄するアサドだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 部屋から食堂に降りてきた朝戸に宿の主人は声をかけた。 「もうこの宿にはだれも居ない。安心しな。」 朝戸は頷いて畳の上に座る。 間を置かず朝食が彼の前に出された。 「雨は?」 こう言って窓の外の方に目をやった朝戸の顔に陽光が降り注いだ。聞くまでもない質問だったようだが、主人はご丁寧に答えた。 「収まった。だけど今日の夕方からまた怪しい。」 そうかと言って朝戸は食事を口に運び出した。 「昨日みたいな雨だと、いろいろ都合が悪いことも出てくると思う。」 「逆に雨だから良いんじゃないか。」 「どうして。」 「気象条件は平等だ。俺らにとって都合が悪いことはあいつらにとっても都合が悪い。俺らが雨を克服すれば良いだけのこと。」 主人は朝戸の肩を軽く叩いた。 「藤木さんは。」 「あぁあの人は別の宿を当たるって言って出て行った。」 手を止め朝戸は咀嚼する。 「あれはどう考えてもお前さんを監視する公安かなんかだよ。」 「だろうね。」 「何か知られたか。」 「ある程度俺のことを知って接触してきたんだろう。あの人。」 「だろうな。」 「新たな情報を与えたつもりはないよ。」 「なら良いんだが。」 「ま、与えたところでって感じだけど。」 「偶然かわからんが、あの人とはいろいろありすぎたな。短期間で。」 「…偶然さ。」 朝戸は食事を再開した。 「外にも怪しい人影がある。」 「あぁ知ってる。袋のネズミだ。」 「どうする。予定の時間までまだ大分あるが。」 「予定の時間ってなんだ。」 「俺はお前さんを正午まで管理してろって言われている。」 「管理…ね。」 「正午以降はここで合流せよとも。」 朝戸のスマホに位置情報が送られてきた。 「なんだこのマンション。」 「武器庫だ。」 「…。」 朝戸の咀嚼音だけが部屋に響く。 「俺はお前さんをここに届けなきゃならん。」 「外の奴さんに感ずかれずに…か?」 「ああ。」 「無理だ。」 「そうかな。」 主人は食堂の隅の畳を一枚まくり上げた。 「地下通路か。」 「そうだ。」 この通路は別のアジトに通じている。そのアジトには朝戸を武器庫であるマンションに運ぶためのスタッフが待機しているそうだった。 「…。」 済まない。メシを食わせてくれ。そういって朝戸は無言で食事を続けた。 「ごちそうさまでした。」 合掌して頭を垂れた朝戸は側にあったポットから茶を注いだ。 そしてそれに静かに口を付けた。 「やはり俺は今日、死ぬわけだ。」 これには主人は無言でしか返事をしない。 「心配ない。それくらい分かってる。分かった上でこの仕事を引き受けてる。そもそも金沢駅でド派手なテロ起こして生きて還れるなんて思ってたら、そいつはただのアホだ。そりゃあ俺は落伍者さ。けどアホじゃない。一応それなりの大学でてるんだ。」 状況の飲み込みの良さと、どこか歪んだ言葉。このナイトと言われる男の根っこの部分には、やはり就職活動の失敗によって作られてしまった、卑屈さのようなものがある。事前にビショップより聞かされていた情報との整合性を確認した主人はため息をついて応えるしかできなかった。 「ご主人。」 「なんだ。」 「あんたはなんでビショップらとつるんでるんだ。」 「…。」 「ビショップにしろ、あんたにしろ、こんなちまちました商売するよりも、それなりの商売をすればもっと大きく稼げる可能性を充分に持っていると思うんだ。けどあんたらはそういったことをしない。そして危ない橋を渡る。」 主人は肩をすくめた。 「金は物差しのひとつでしかない。」 「ん?」 「そりゃあ生きていくために金は必要さ。幸い、俺は生きていけるだけの金はこの民泊って商売とビショップからの案件で賄えてる。俺にとってはこれ以上の金はあるには越したことはないが、別に必要なものでもない。」 「そうか。」 「ビショップの奴が金に関してどう思っているかはよくわからん。人それぞれだからな。因みに俺は天涯孤独な独り身だ。家族ってモンがない。まぁ世間一般で言う守るモンがないってわけ。そんな俺にも民泊の客であったり、ビショップのような奴だったり、お前さんのような人間と接点ができる。そしたらさ、妙なもんでよ、関わりのある人間に感情移入って言うの?なんかしてやんないとなって思うのよ。」 「…。」 「これって家族が居ないからなのかもしれないな。誰かと接点もって、帰属意識をつくって疑似家族。そんな感じなのかもしれないね。」 「放っておけないって感じか。」 「そうそう。ひと言で言うとそんな感じさ。」 はははと二人は笑った。 「嘘をつけ。」 こう朝戸は主人に言い放った。主人は一瞬驚いた顔を見せたがすぐにその顔は紅潮し、怒りに満ちたものに変わった。その主人の様子にもかかわらず、朝戸はたたみかける。 「楽しんでるんだろ。この秘密めいた企みを。結果もたらされるであろう非人道的な虐殺行為が楽しみでならないんだろう。」 この朝戸の煽り言葉によって、更に顔を赤くせしめるものかと思われたが、主人は冷静さを取り戻していた。 「…どうしてわかった。」 「わかるさ。同じ穴の狢って言うだろ。似たものが集まるもんさ。」 「と言うことはお前さんもそうか。」 「ああ、そうだ。俺だけじゃない。ビショップもな。」 「ビショップが?奴はインチョウを救いたいだけだろ。」 「んなわけないだろう。」 主人は黙した。 「建前だよ建前。そういう立て付けにしてるだけ。根底には自分以外の人間を塵芥のように見ている。じゃないとこの手の革命思想は出てこない。あんたも俺に共感しているようなフリをしているだけ。俺もあんたの気持ちを汲んでいるふりをしてるだけ。俺もあんたもビショップも結局、自分が1番だと考えている。ゴミクソな生き物だと卑下ながらね。」 主人は高らかに笑った。 「我々のような人種に共通している特徴をよくもまぁこんなに汚い言葉で明快に語れるもんだな。」 「同族嫌悪って言ったっけ?」 「いや愉快愉快。」 「似たもの同士、最後までよろしく頼むよ。ご主人さん。」 「まったくサイコパスだよあんた。」 「何言ってんだ。あんたもだろ。」 「ああそうだ。」 「見てろ。血の雨を降らせてやる。」 「楽しみにしてるよ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーSat, 10 Feb 2024
- 204 - 180.2 第169話【後編】3-169-2.mp3 「拉致被害者を全員返還ですと!?」 「はい。このことはこちら側に陶晴宗を引き込んだ、あなたの功績に依るものが大きいですよ。」 応接用のソファに座り正対する仲野の身体がどこか震えているように見えた。 「しかし、冒頭申し上げたとおり今回のテロを制圧することが条件です。」 「…鵡川総理はなんとおっしゃてらっしゃるのですか。」 「総理には私からまだ詳細をお話ししていません。」 「えっ?」 「仲野先生のご意見を拝聴した上で、総理の決断を仰ごうと思いまして。」 「どうして…。私の意見なんぞ、この段階では必要ないでしょう。」 「いいえ。」 こう言うと静かに櫻井官房長官はソファを立ち、床に座り直した。そして両手をついてそのまま深々と頭を垂れた。 「仲野康哉先生。鵡川内閣の特命担当大臣に就任ください。」 「いや待ってください。私は野党前進党の幹事長です。貴党から適任者を選抜してください。」 「いいえ。この拉致被害者返還交渉特命大臣は、ツヴァイスタン一国との交渉だけでなく、その背後に居る旧宗主国ロシアとの調整作業も重要な任務となります。しかしながら我が党には先生ほどのロシア通はいません。ここは先生以外の適任はいません。」 「何言ってんですか。貴党にもロシア通は何名かいらっしゃいます。」 「彼らは駄目です。」 「どうして。」 「理由は二つあります。先ず一つ。先生は私ども政府側の人間が働きかけないでも国益を最優先に考えて、陶の調略に協力くださった。あなたは最大野党の幹事長。ロシアの力を背景に陶と結託して政権を獲得することも考えられたはずです。しかしあなたはその選択をとらなかった。もう一つは我が党のロシア通と言われる者達はあの国の走狗だということです。」 「走狗…ですか。」 「彼らはもっともらしくあの国の正当性を唱えます。北方領土は話し合いで返還をと。ロシアの経済状況は良くない。だからあそこに救いの手を差し伸べて誠意を持って対応すれば、きっと理解してくれる。おそらく日本からの援助が少ないのだ。誠意が伝わっていないのだ。だからもっと経済援助をとあいつらは言います。ですがどうでしょうか。こちらからの経済援助によって、北方領土の軍事拠点を整備したり、樺太のガス田開発を我がもののようにしている。この様な連中を今回の大臣なんかに任命してみなさい。返すと約束されている拉致被害者も、ロシアの入れ知恵によって帰ってきませんでした。なんて最悪の結末が容易にできます。今回はそのような失敗は設定に許されないんです。金の話じゃありません。国民の生命と財産がかかっているんです。この重責は何よりも国益を最優先できる人材でなければ務まりません。」 仲野は櫻井の政治姿勢に共感を抱いた。 「ツヴァイスタンがオフラーナの手綱を引き締めて軍を粛正し、拉致被害者を全員返還する。このことは、あの国の完全な東側からの決別でもあります。それは世界秩序の変更となり、ロシアとしても黙っていないでしょうな。」 「はい。最悪、ロシアが直接ツヴァイスタンに進駐する想定も必要です。となるとツヴァイスタンの背後に軍事的裏付けが必要となります。」 「そこを日本がやるんですか?」 「いいえ我が国では地理的に無理です。とは言えツヴァイスタンがNATOに加盟することも無理です。従って米軍の関与が必要でしょう。」 「米軍に…ですか。できますか。」 「ひれ伏してでもお願いします。」 「ひれ伏してできますか。」 「勿論ひれ伏すだけではできません。我々の本気の度合いを今回のテロ制圧でアメリカに見せつけねばなりません。」 「できなければ拉致被害者の返還はもとより、我が国の安全保障状況も崩壊…ですか…。」 「そうです。」 「…死んでもやらねばならんと言うことですな。」 「はい。」 再び櫻井官房長官はソファに座る仲野に対して頭を垂れた。 「仲野康哉先生。何卒この国難をお救いください。」 「お止めなさい官房長官。」 とっさに仲野は彼女の土下座を制止した。 「もうその必要はありません。我が心は決まりました。」 「と言うことは…。」 「今からの党内意見の調整は物理的に無理です。私は前進党に離党届を出しましょう。」 「おおっ!」 喜びのあまり櫻井官房長官は仲野に抱きついた。 「前進党の党首には私から事情を説明します。彼も事ここに至って無理解な人間ではない。彼は彼なりに党内をまとめ上げてくれるでしょう。」 そう言って仲野は身を絡める櫻井の腕をほどいて彼女と距離をとった。 「前進党は心配ありません。私がなんとかします。むしろ貴党の調整を私は懸念します。」 「それは心配に及びません。鵡川総理は強い人です。」 「それは存じておりますが…。」 「とにかく仲野先生の特命大臣就任に関する承諾の旨をお話しして、総理のご判断を仰ぎますわ。」Sat, 20 Jan 2024
- 203 - 180.1 第169話【前編】3-169-1.mp3 今回のテロ計画はオフラーナの暴走であり、政府は一切関与していない。 またそのテロ計画をツヴァイスタン人民軍は、民間軍事会社アルミヤプラボスディアをして、阻止せしめようとしているわけだが、その内容はテロ実行部隊の殲滅を企図している。これはオフラーナの実働部隊であるウ・ダバの無力化のためで、この作戦で人民軍は、オフラーナに対して優位に立つことを画策している。 つまり今回のテロ計画を発端とした武力抗争は、日本を舞台にしたツヴァイスタン人民軍と秘密警察オフラーナとの権力闘争である。 そうツヴァイスタン外務省は認めた。 しかしオフラーナと人民軍、この二つの組織がツヴァイスタンの実質的な支配を行っている現状、政府指導部は彼らに歯止めがかけられない。ロシアに二つの勢力の仲を取り持つよう相談はしたが、他国の内政に関わる筋合いはないと突っぱねられた。 日頃、宗主国面して内政の様々に干渉してくるくせに、いざというときに知らん顔を通されたわけだ。 知らん顔ならまだしも、かの国はオフラーナと人民軍の双方の過激派に肩入れして、対立を煽ってすらいるようにも見受けられる。 このロシアに対して、ツヴァイスタン指導部も以前より不満を抱えており、近年の西側諸国との接近となっている。日本との友好関係構築もこの流れから来たものであると確認が取れた。 ともあれオフラーナによる目下のテロ計画は、20時間後に迫っている。先ほど指導部はオフラーナにテロ計画の中止を指示する文書を発出したが、それもどこでどうなっているのか、下に降りていない状況。指導部からストップを賭けるのは難しい状況だ。 事ここに至っては、日本政府の方に頼むしかない。それで今回の会談となった。 もちろんタダでお願いともいかない。 そこで先方から持ち出されたのは、ツヴァイスタンへ拉致されたとみられていた、特定失踪者に関する情報公開と、彼ら彼女らの返還だった。ツヴァイスタンとしては今回の両国政府の協力を持って、本格的な国交回復、経済支援を期待するというものだ。 「2,000人!?」 「はい。ツヴァイスタンに拉致された疑いがあると警察が発表しているの者は871名。民間団体がそれ以外にも470名程度はいるのではないかと言っていますが、それを足した数よりも遙かに多い人数です。」 「何てことなの…。」 鵡川政権の官房長官である櫻井淳子は驚きのあまり言葉を失った。 「因みに政府認定の拉致被害者は18名、うち6名は帰国済み。残る12名は既に死亡との奴らの回答でしたが、その情報にも誤りがあるとの話でした。」 「誤りとは。」 「まだ半数が生存していると。」 「何てことなの…。」 官房長官は頭を抱えた。 「ツヴァイスタン側は把握できている拉致被害者全員の即時返還を約束すると言っています。」 「即時返還とは。」 「今回のテロ事件が日本政府によって制圧された暁には、日を置かず直ちに。」 「しかし拉致の実行部隊は当のオフラーナであると聞いています。指導部のグリップが効いていない状況で、無理矢理そんなことをすると、拉致被害者にとっても危険な事になるのではないですか。」 櫻井官房長官の懸念はもっともだ。実力組織である秘密警察と軍が抗争に明け暮れている中、そのような芸当を誰がどうやってやってのけるというのか。 「地方の党委員会に指導部の手足となって動く連中がいるらしいです。」 「それで拉致被害者の安全は担保できるの?」 「それはできません。」 「…でしょうね。」 櫻井官房長官は首を振った。 「ですが、千載一遇のチャンスであるのは間違いないわ…。」 「はい。」 「共産党指導部の意見は一致しているの?」 これには上杉は首を振って応えた。 「博打ね…。国際世論だけが頼りになるわ。」 「ご明察です。」 すぐに鵡川総理と相談します。そういって彼女は電話の受話器を持ち上げた。 「待ってください。」 櫻井は手を止めた。 「総理に話す前に、官房長官にはお話しせねばならない事がまだあります。」 受話器を元の位置に戻した彼女は聞きましょうと応えた。 「先ほどの2,000人ですが、これはツヴァイスタン外務省が生存を確認している拉致被害者の数字です。拉致被害は警察が確認しているものでも戦後間もない頃から2,000年頃に渡っています。その間45年。この45年の内に病気や高齢によってあの土地で亡くなった方は少なからずいらっしゃるでしょう。」 「それは、つまり…。」 「お察しの通り、この人数を遙かに上回る人間が、奴らに拉致されていたという証拠です。」 櫻井官房長官は突きつけられた事実の重大さに身体を震わせた。2,000人、3,000人、いやもっと多くの国民の拉致を我が政府は今まで黙殺してきたのだ。生きて返還される喜びもあるが、それ以上に日本政府のこれまでの無為無策ぶりに激しく憤った。 が、大きく息をつくことで、いつもの平静を彼女は取り戻した。 しばらく黙って櫻井官房長官はひと言。 「ツヴァイスタンは亡くなられた方たちの情報もすべて把握していますか。」 「はい。それらすべての情報を公開する用意があると、申しております。」 もはや全面降伏と受け止められるほどの譲歩だ。あまりにもできすぎている話。 櫻井官房長官は疑いの眼で上杉を見つめた。 つい数時間前、櫻井はNSC(国家安全保障会議)において、椎名賢明の投降と協力状況について説明を受けた。 彼のいままでの動きはまさに今回のツヴァイスタン外務省申し出の露払い的なものと言える。 「今回の外務省の申し出は、先の仁川征爾の投降と協力に関係があるのかしら。」 「仁川に関してはらツヴァイスタン側には一切の情報を提供していませんのでわかりません。ですが…。」 「ですが、何?」 「今ほどツヴァイスタン外務省の交渉役として来日しているのは、外務省国際戦略調整局のエレナ・ペトロワです。彼女は仁川征爾の恋人である、アナスタシア・ペトロワの実の妹であることを我々は把握しています。」 「仁川征爾の恋人の妹?」 「はい。この仁川の恋人のアナスタシアは、反動的発言があったとかでオフラーナに逮捕され、現在でもその行方が知れません。」 「仁川の組織によって逮捕ですか…。」 「はい。エレナは以前よりこの仁川の存在を疎ましく思っていたようで、姉の連行によりエレナは仁川に対する悪感情を決定的にしました。」 「しかし今回、エレナは憎むべき対象の仁川と握っているかのような動きをしている…。」 「情報の世界で個人的な感情は抜きですが、遠く離れた国交もない国に身を置くもの同士。そして所属組織も全く違うもの同士が、こうも連携をとって動けるとは到底思えません。従って我々は仁川とエレナは別の意図を持って、今回の行動に出ていることが推察します。」 「偶然という事ね。」 「はい。」 「仁川の別の意図とは?」 「わかりません。ですが現在のところ仁川の協力が日本政府にとっても、ツヴァイスタン外務省にとっても、評価できる事であることは事実です。それだけで充分なのではないかと内調としては思料するところであります。」 「そうね。」 「ただ一点だけ、懸念がありますが。」 「アルミヤプラボスディアかしら。」 「はい。」 「それは心配ないわ。」 「と言いますと。」 「それについては自衛隊に任せてあります。最高司令官の鵡川総理も自衛隊に全幅の信頼を置いています。」 「はっ。勿論私どもも自衛隊を信頼しております。きゃつらの制圧は無事なされることでしょう。」 「では何が御懸念?」 「事後の国際関係です。ロシアとその友好国の中国は黙っていないでしょう。」 櫻井官房長官は顎に手をやる。 「それはあなた、米軍に睨みを効かせてもらうのよ。」 「その米国ですが、ジェレミー・カステリアン大統領の再選がやはり難しいのではとの情報です。」 「あなた、まだ5月よ。アメリカの大統領選挙は11月。選挙は最後まで分からないわ。」 「とはいえ我々としては全てに対して備える必要があります。」 「何が言いたいの。」 「野党進歩党のエリカ・ストーン候補にも張りましょう。進歩党は与党保守党に比べて、歴史的に見て対外政策に積極的に関与する傾向があります。」 「確かに進歩党は歴史的にみてその傾向はあるわ。けどエリカ・ストーンは女性よ。彼女が大統領になったら、それはアメリカ史上初の女性大統領の誕生だし、そんな彼女が外に強い姿勢をとれるかしら。」 「現在のカステリアン政権のスローガンはアメリカ第一主義。このスローガンは強いアメリカをイメージさせますが、結局のところ世界の厄介ごとから手を引いて、内向きになるスタンスです。事実カステリアン政権はNATOからの脱退検討しました。これは記憶に新しいところでしょう。」 「だからストーン女史がその反動で外向き姿勢をとるとおっしゃるの?」 「はい。」 櫻井官房長官はしばし考えた。確かに上杉の言葉は一理ある。 保守党支持層の中にカステリアン大統領の内向き過ぎる姿勢を嫌う勢力があるのは事実であり、これが急にエリカ・ストーン女史と交わりつつあるというのは以前から聞いていた。 「近頃、米国軍需産業トップ3であるFalcon Defense Dynamics、Atlas Arms Industries、Cerberus Systems CorporationのCEOがそろってストーン女史との会談を持ち、政治献金の提供を約束したとの情報があります。これを持って彼女の対外政策のスタンスを図ることができます。」 「ファルコン、アトラス、ケルベロス…。どれもカステリアン政権の軍縮の割を食っている企業ね。」 「はい。」 「わかったわ。ストーン女史には我が政友党から人を派遣します。」 「ありがとうございます。今のうちから次期政権とのパイプを作っておくことはきっと国益に適うことでしょう。」 「でもそれは今やる事じゃありません。」 「は?」 「私言ったわよね。今は5月よ。11月なんて先の話に力をかけるほど我が国には余裕はないの。」 今の説明における成果はなしか。上杉は嘆息した。 「上杉情報官。考えてもみなさい。」 こう言って櫻井官房長官は言葉を続ける。 「あなたは今回のテロ事件の後の国際関係に備えよとしてエリカ・ストーン女史に張れとおっしゃる。でもね。国際社会は仁義の世界なの。もしも今の段階で私らがカステリアンとストーンを両天秤にかけているなんて両陣営にバレてみなさい。それこそ保守党と前進党の両陣営から総スカンよ。総スカンならまだ良い。これがきっかけでシカトなんてされてみなさい。それこそ日米関係がひと昔前のように危機的な状況になるわ。そうなったらツヴァイスタンとロシアの思うつぼじゃないかしら。」 後ねと言って官房長官は続ける。 「ミリタリーミリタリーの関係は時の政権によって、そう左右されないものなの。今の自衛隊の姿は米軍が求める姿。だから時の政権が変わろうが、基本的な協力関係は変わらない。ここで風見鶏的な動きをする方が、政治的にもリスクを持つし、軍人同士の信頼関係にひびを入れかねないの。そのあたりの現実をもう少し見なさい。米軍は見ていますよ。我々日本が、今回のテロ事件をどう制圧するか。向こうも我々の実力を見ているんです。そして同盟国として値する存在かを試しているんです。ストーン女史に対する工作は今回の件が我々の力である程度抑え込めた暁にやればいい。私らは先のことよりも目下のことに全力を注ぐ。これです。いいかしら。」 ぐうの音も出ない。この女性は強い。上杉は出過ぎた事を詫びた。 「おわかりいただけて嬉しいですわ。」 櫻井官房長官は立ち上がり、机の上にある大きな地球儀に手をやった。そしてそれをゆっくりと回す。 「上杉情報官。先の大戦のことを考えてください。我が国は世界の半分を敵に回して、あの戦い方でした。しかし今はツヴァイスタンとロシアの二正面です。しかも今回はあのときみたいに戦端が切られているわけでも何でもありません。外交努力で我が国はなんとでもできます。」 引き合いに出す例が極端だ。反論しようとした上杉だったが彼女にそれは遮られた。 「組む相手を間違えず、アメリカと戦争さえしなければ、あのまま我が国は世界で最大で最強の国だった。私たちはそんなポテンシャルを秘めている。私はそう思うの。」 経験に学ばず歴史に学ぶ。その姿勢は政治家として評価できる。上杉は自分の歴史観とそう異ならない櫻井のものを評価した。 「今回のツヴァイスタン側からの提案は天佑としか言えないもの。話が出来すぎてイマイチ信用できませんが、私は賭ける価値はあると思います。上杉情報官。あなたはその提案内容をよくよく吟味して、拉致被害者の返還を実現するよう全力で臨んでください。」 「はっ。」 「人質救出は政府の責務です。直ちに総理との会談をセッティングします。あなたもその場に居なさい。」 「かしこまりました。」 「米軍の協力があって私たちの安全保障は成立する。これって自衛隊はいつまで経っても半人前的なイメージだけどそれは違う。米軍の全面的な協力さえあれば、私たちは無敵ということ。今の私たちは無敵になることを求められています。」 上杉が官房長官室を退出すると、自分と入れ違いに官房長官室に入っていく男があった。 野党前進党幹事長、仲野康哉だった。 ー目の前の危機を回避するために、対立野党の幹事長さえ協力者に引き込んでしまう豪腕…。 ー次期総理はこの方しかいない…。Sat, 20 Jan 2024
- 202 - 179 第168話3-168.mp3 深夜、都内の静かな高級ホテルの一室で、緊迫した会議が行われていた。 窓の外は漆黒の闇に包まれ、部屋の中の緊張が余計に際立っている。 ツヴァイスタンの代表者、エレナ・ペトロワとイワン・スミルノフは、不安と戸惑いを隠せずにいた。彼らの目的は、日本でのオフラーナと人民軍の対立を終わらせることだったが、予期せぬ展開に直面していた。 一方、日本政府側の代表、内閣情報調査室の関孝雄と陶晴宗は、冷静な表情を崩さずにいた。 特に陶は、この状況における重要な駒であることが明らかになっていた。 「彼は貴国のオフラーナの協力者です。」 こう関が静かに告げたとき、エレナとイワンの表情には驚きが浮かんだ。 彼らは日本国内で起こり得るオフラーナと人民軍との抗争を止めるための情報を求めていたが、この新たな事実によって彼らの計画は複雑なものとなった。 エレナが陶に質問を投げかけると、彼からの答えは静かながらも重いものだった。 朝倉忠敏という名前が話題に上がり、彼の影響力がツヴァイスタンにまで及んでいることが明かされた。朝倉は、日本国内でのオフラーナの活動に深く関わっており、その力は計り知れないものだった。 陶の話はさらに続いた。彼は朝倉の後継者としての地位を確立しようとしていたが、ウ・ダバを利用したテロ計画が日本の治安機関に露見し、彼はその場で全てを白状したという。 深夜に行われるこの会議は、それぞれの代表者が持つ複雑な思惑と計算によって、さらに重苦しい雰囲気を帯びていた。 夜の静寂が、部屋の中の緊張感をより一層高めていた。 「どうしてここでオフラーナの協力者を同席させたのですか」 エレナが関に問いかけると、関は鋭い眼差しで応じた。 「我々日本政府は貴国の手の内を世に出すこともできるということです。」 関の言葉は、その場にいる全員の緊張感を一層高めた。 日本におけるオフラーナの非合法活動が公になれば、国際的な非難を浴びることは避けられない。エレナの心は複雑な思考で満ちていた。さらに日本人拉致問題がこのタイミングで改めて明るみに出れば、日本の反応は予測不能だ。 今の自衛隊は、名実ともに強力な軍事力を持つ。もし奪還作戦を行うとなれば… 彼女の目は一瞬、イワンの方に移り、その後、再び関に向けられた。 「今回、ツヴァイスタン外務省から日本政府に提案があります。」 部屋には重苦しい空気が流れ、時計の秒針の音だけが、時間の経過を刻んでいた。エレナの心は、緊迫した交渉の行方と、ツヴァイスタンと日本の未来を案じていた。 深夜に行われる会議の重圧は、彼女たちの肩に重くのしかかっていた。そして、それぞれの心には、それぞれの国の運命を背負った思いがあった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「王志強?」 「はい。解放軍の関係者の可能性があります。」 「解放軍か…。」 神谷からの連絡を受けた片倉は思わず顔を拭った。彼の大きな手が顔をなぞる仕草には、疲労と緊張が混じり合っていた。 「これ以上はちょっとウチでは無理です。」 「わかった。ありがとう。」 隣にいた岡田に向かって片倉は頷くと、彼はそのまま別室の方へ向かっていった。 「こちらの準備は整いました。いつでも動けます。」 「よし。今のところは待機。おそらく明日の朝には動いてもらうことになる。それまでは休んでくれ。」 「了解。」 どこか神谷の声の様子がおかしい。そう感じた片倉は「どうした」と気にかけた。 すると彼は 「正直、震えています。」 「おう。俺も震えとる。」 「片倉さんもですか…。」 「ああよく考えたら晩飯食ってない。低血糖かね。」 こう言って、彼はポケットのなからナイロンの薄い袋に包まれた茶褐色のあめ玉を取り出して、それを口に入れた。 カラカラと口の中で転がす音が電話越しに神谷に伝わった。張り詰めていたものがどこか緩んだのか、彼のこわばった声が変わった気がした。 「ふっ…片倉さん。飯はちゃんと食べてくださいよ。」 「おう。」 「俺はカツ丼とりました。」 「え?験担ぎ?そんなベタな…。」 「何か?」 「いや…いいんじゃねぇの。」 おれもカツ丼にしようかと言って片倉は神谷との電話を切った。 彼の前のモニターには椎名が映し出されている。相変わらず彼の表情に目立った変化はない。 「おい椎名。」 椎名は直ぐさま彼の呼びかけに反応した。 「なんですか。」 「立憲自由クラブの離間策は順調や。どうや。晩飯でも食わんけ。」 時計の針は22時を回っていた。 「飯すら食わせんってなると、ただの虐待や。ってか俺も食っていない。カツ丼なんかどうや。」 「カツ丼?」 「おう。」 「まるで刑事ドラマですね。」 「あぁあれはドラマの話。調べ室にカツ丼なんか持ち込まんけどね。」 「お願いします。警察で俺、マジでカツ丼食べたって、後でネタにもなりますんで。」 「いいねぇジョーク言えるじゃん。」 「少し慣れました。」 椎名に若干の人間味を感じた片倉は少しほっとした。 「ところで椎名。王志強って人間知っとるか。」 「え?」 椎名から表情が消えた。 「おう…しきょう…?」 「ああ王志強。」 「中国人ですか。」 「ああ解放軍の軍人らしい。」 「解放軍?どうして解放軍が?」 どうやら椎名は王志強の事は知らないらしい。彼の表情が物語っている。となると椎名は白銀の本当の情報を持ち合わせていないと判断できる。 「その王志強がどうしたんですか。」 「いや、とある捜査線上に出てきたんやわ。お前が知らんがやったらほんでいい。何でも知っとる椎名さんやし、とりあえず聞いてみただけや。」 「しかし今、解放軍って言いましたね。」 「おう。」 「解放軍が何か?」 食いつきが良い。しかし片倉の方もたいした情報を持ち合わせていないため、彼は椎名の言葉をいなした。 すると岡田が部屋に戻ってきた。 「自衛隊には王志強の情報を伝えました。」 「どうやった。」 「少なくともこの金沢駐屯地の方ではあずかり知らない情報のようで、情報本部の方で調査をするとのことでした。」 「そうか。百目鬼理事官は?」 「いま別室で食事中です。」 「なに食っとる?」 「カツ丼のようです。」 理事官も験担ぎか。ここまで来ると天命頼りということか。 岡田、お前も食事はまだだろと言って、片倉は自分と椎名の分と合わせてカツ丼を3つ手配せよと彼に命じた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー カツ丼を食べる百目鬼の下に片倉からのメッセージが届く。 「王志強…人民解放軍総参謀部第七情報分析局…。」 残りわずかの飯をかき込み、味噌汁でそれを彼は胃に流し込んだ。 「知らんなぁ…。」 彼は片倉から届いたメッセージをある場所に転送した。そして腕時計に目を落とす。時刻は22時半を回っている。 「さてツヴァイスタン外務省はどう動くかね…。」 こう言ってスマホの画面をスライドさせた彼は、表示された画像に目を落とす。 「今まさにこいつが交渉役で、関と陶に対峙してるって訳か…。」 「アナスタシア・ペトロワの妹、エレナ・ペトロワ…。」 部屋にあるモニターには椎名賢明の姿が映し出されていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 金沢駅の交番に詰めている相馬の携帯にも王志強に関する情報が入ってきていた。 「どうした?」 難しそうな顔をして携帯電話を見る相馬を気にかけた古田は声をかけた。 「片倉班長からです。この人物について情報は無いか聞いてくれって。」 「うん?誰に?」 相馬は奥の休憩室で横になって休んでいる児玉と吉川の方に顎をしゃくった。 二人は死んだように寝ている。 「ずっと寝てなかったらしいな。」 「そうみたいですね。」 「寝返りすらうってないしな。二人とも1時間前と同じ格好で寝とる。」 相馬は児玉の身体を揺らした。するとパチッと目を開いて彼はすっくと起き上がった。 そして腕時計を見る。 「1時間も!」 児玉は慌てて横になっている吉川を叩いた。 30分の仮眠のつもりが1時間も寝てしまった。しかも二人とも。 「死んでるのかと思いました。冗談抜きで。」 「すまない…。休みすぎた。」 「いえ。しっかり休息をとらないと、肝心の時に動けません。」 マクシーミリアン・ベネシュを取り逃がした児玉と吉川は、その旨を本部に報告。上官からの叱責を受けた。 しかし警察と自衛隊の連携は機能しており、県警側で緊急配備を敷き、ベネシュの捜索に協力をしてくれている。したがって児玉と吉川はそのまま現地警察と連携し、アルミヤプラボスディアに関する情報収集と、その作戦行動の阻止に全力を注げとの命令を受けた。これによりこの交番では相馬、古田、児玉、吉川の警察と自衛隊の混合チームが結成されていた。 「王志強だと?」 相馬からの情報を聞いた児玉は驚きを見せた。 「知ってるんですか。」 「あぁ知ってる。といっても仄聞だが。」 数年前、国防関係者が集う会合があり、そこに出席した児玉は解放軍関係者と知己(ちき)を得た。そのときに彼から聞いたのは軍制改革のことだ。関係者曰く、正直張りぼて感が否めない解放軍も今後は実質的に動ける軍にせねばならない。その為には軍内部の腐敗防止は最優先事項ということで、規律の引き締めは過去にないものとなっているというのである。 「それでもすぐに実力を伴う軍隊って訳にはいかない。軍制改革には時間がかかる。おれら自衛隊だって6年の月日を経てようやくここまで来たんだ。これでも急ピッチでできたほうだよ。」 しかしその鈍重な改革を共産党指導部、いや張頴華(ちょうえいか)主席は良しとしない。従って彼の意に即応できる新たな部隊が編成されたと言うのだ。 「この部隊の創設に活躍したのが王志強という名の学者上がりの軍人だと、当時そいつから聞いた。」 「その新たな部隊はいま動いているんですか。」 児玉は頷いて応える。 「どうせ張主席のご機嫌取りのパフォーマンスでぽしゃるだろうって思ってたけど、最近、界隈ではよく聞く。」 「この間、米軍との意見交換の時も影龍特務隊について言及があった。」 起きた吉川が口を挟んだ。 「エイリュウ特務隊?」 「ああエイは影のエイ。リュウはドラゴンの龍だ。こいつは極秘の作戦に従事する特殊部隊だ。高度な訓練を受けた隊員は、情報収集、サイバー戦、さらには対テロ作戦にも対応する。」 「極秘の作戦に従事するってのがミソで、この極秘ってのがつまり張主席の密命って噂。」 児玉が言葉を付け足し、吉川が続ける。 「その王志強は主席の意に即応できる部隊を実際に編成することに成功したって訳だ。」 「だが影龍特務隊もその性格から情報が少ない。ただ米軍の情報機関は彼らが関わったであろうと思われる事案についてある程度把握しているようだ。だから時折、影龍特務隊についての情報交換もある。」 「王志強についてはこれ以上の情報は我々でには無い。ひょっとすると我々の上層部で把握しているものがあるかもしれない。」 この王志強が今回の事件に何の関係があるのかと二人は相馬に尋ねた。 しかし相馬もそれについては知らされていないとして、影龍特務隊の情報だけを片倉に返信した。 「しかし、何だな…。」 吉川がぼそりと呟く。 「話がでかくなりすぎるぞ。ここで影龍特務隊が絡んでくると…。」 「チェス組、ウ・ダバによるテロ事件ってだけでも日本では前代未聞の事件。そこにツヴァイスタンの秘密警察、軍、民間軍事会社アルミヤプラボスディア、ツヴァイスタンの宗主国ロシア、そして影龍特務隊…。」 「あ、そこに更にややこしくなるもんがひとつ加わるから、わしから先に言っとくわ。」 古田が口を挟んだ。 「更にややこしくなる?」 「ああ。」 「なんですか…。」 恐る恐る相馬は尋ねる。 「仁熊会。」 「え?」 相馬はまさかという顔つきだ。 「なんですか?仁熊会って。」 児玉が古田に聞く。 「石川の反社や。」 「え!?反社が何で!?」 「まぁ反社っちゅうのは世を忍ぶ仮の姿。その実、民間軍事会社やわ。」 「え、ウソでしょ日本に民間軍事会社なんかないはずです。」 児玉が即座に古田の言葉を否定する。 「ほうや。ない。表向き民間警備会社って言っとるから。」 「…反社なのか警備会社なのかどっちなんですか。」 「どっちもや。」 児玉も吉川も古田の発言がおかしいと困惑した表情だ。 「仁熊会ってのは公安特課の協力企業。公安特課じゃできん汚れ仕事をやってくれる優良企業や。そのためあいつらの銃の携行についてはワシらは目をつぶっとる。」 「嘘だろ…ってまさか…。」 「明日の件はワシら警察サイドだけではどうにもならん場合が発生する可能性がある。従って協力企業に協力を要請した。」 「要請内容は。」 「アルミヤプラボスディアの制圧。」 「無理だ。」 「どうして。」 「火力が桁違いだ。」 「火力は心配ない。最新の武器を揃えとる。」 「人材はどうなんだ。ただの暴力団だろう、その仁熊会は。」 「あんたら卯辰兄弟って知っとるか。」 古田の発言に児玉と吉川は驚きのあまり言葉を失ったようだ。 「自衛隊特務の教官とか言ったっけ?」 「嘘だろ…。」 「本当や。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 06 Jan 2024
- 201 - 178.2 第167話【後編】3-167-2.mp3 現在 エレナは窓辺に立ち、東京の輝く夜景を眺めていた。 「姉さん。これが外の世界よ。」 冷めた声で独りごちる彼女は、その美しさに心を奪われることはなかった。 彼女の心は、姉のアナスタシアが連行されたあの日に囚われている。 彼女が最後に交わしたあの切ない微笑みを、エレナは決して忘れられなかった。 彼女はツヴァイスタン外務省の国際戦略調整局に所属し、国際政策の策定や戦略的情報分析、危機管理などの重要な任務に就いている。だがそのすべての知識と能力をもってしても、オフラーナの壁は厚く、姉の安否についての情報は一切手に入らなかった。 彼女がいまどこで、どうしているのか― ―生きてさえいるのかさえも。 ホテルの部屋でひとり、エレナは姉が引き起こした「外を見たい」という単純な願いが、どれほどの結末を迎えたかを思い返す。 アナスタシアが秘密警察に連行されるシーンが、彼女の脳裏に焼き付いて離れない。 そのすべての原因を作ったのは仁川である。 彼女は仁川を憎んでいた。 彼がいなければ、姉は今も自由だったかもしれない。 彼がいなければ、彼女が抱いていた外の世界への憧れを、あそこまで募らせることはなかったかもしれない。 エレナは、窓から東京の夜景を眺めながら、家族の影響と自分の感情との間で揺れ動いていた。 彼女は、なぜアナスタシアが仁川にそのような愛情を注げるのか理解できなかった。 両親の考え方が、今の彼女の心にも影を落としていた。 しかし今、彼女はそれを超えなければならなかった。 国際テロ組織ウ・ダバとアルミヤプラボスディアの抗争を、平和裏に収めるために彼女は日本に来ている。 しかもそれは日本の治安当局情報では明日の夕刻に迫っていると言うではないか。 この重要な任務は、姉の運命を左右するかもしれないし、エレナ自身の運命も変えるかもしれない。 いや、祖国ツヴァイスタンも、世界秩序も一変させかねない。 エレナは深いため息をつきながら、1時間後の会議で提案する日本への協力要請の詳細を頭の中で反芻する。 腕時計に目をやり、時刻を確認した。夜は更けていくが、彼女の心と任務は休まることを知らない。 東京の夜は静かにその輝きを深めていた。 エレナはホテルの部屋の窓辺に立ち、外の世界を眺めている。 彼女の心は重い思いで満ちていた。 姉のこと、ツヴァイスタンでの自分自身の運命、そして明日に迫った任務の重圧。すべてが彼女の心を圧迫していた。 携帯電話の音 ふと彼女の携帯電話が鳴り始めた。 エレナは一瞬ためらった。 それは新たな情報が入ることを意味し、彼女の任務にまた一つの転機をもたらすかもしれなかった。 深呼吸をして、彼女は電話に出た。 「Алло... Да, я немного отдохнула.もしもし…ええ、少しだけ休めたわ。」 彼女の声は落ち着いていたが、その奥には緊張と期待が隠れていた。 「 Узнала, кто будет представлять Офла́ну на следующем совещании... Как его зовут?... Харлмуне Суэ. Надеюсь, Офла́на об этом пока не догадалась?... Поняла. Тогда в назначенное время. 次の会議に出席するオフラーナの協力者が分かったのね…。名前は?…ハルムネ スエ。このことはオフラーナには悟られていないわね?…わかったわ。では予定時刻に。」 エレナの視線は再び窓の外に向けられるが、今度は遠くの光ではなく、窓ガラスに映り込む自分自身の姿を見つめていた。 長い間、彼女は姉の影に隠れ、家族の期待と社会の圧力に押しつぶされそうになりながら生きてきた。 しかし今、彼女は自分自身の役割と使命について深く考えていた。 「姉さんは自分の道を選んだ。そして今、私も自分の道を選ぶ時が来た。」 エレナは静かに呟いた。彼女は、これまでの自分を支配してきた恐れや不確かさを手放す決意を固めていた。 彼女は深く息を吸い込み、過去の影を振り切るように立ち上がった。 姉のため、そして自分自身のために、彼女はツヴァイスタンの未来を変える戦いに身を投じる覚悟をしていた。 彼女はもう一度窓の外を見た。夜の東京は、無数の光で輝いていた。 その光は、彼女にとっての新しい始まりを象徴しているようでもあった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 隔離された部屋の中で、椎名賢明は過去を振り返り、自分の中に渦巻く感情に直面していた。 彼の心には、ツヴァイスタンに拉致された時の無力感が鮮明に焼き付いていた。 自分は日本の土を踏み、普通の生活を送る普通の日本人だった。 しかしオフラーナによってその平穏は一瞬にして奪われた。 彼は抵抗することも逃げることもできず、ただ連れ去られるのを受け入れるしかなかった。 ーあの時、俺はただの無力な人形だった。誰も俺を救うために手を差し伸べなかった。 椎名は心の中で呟いた。 彼の心の中では、日本政府に対する裏切られたと感じる怒りが、日々強まっていた。 彼は自分が拉致されたにも関わらず、日本政府が何も行動を起こさなかったことに深い失望を抱いていた。 しかしその怒りと失望による心の痛みはアナスタシアとの関係によって満たされた。 彼女との時間は、彼にとって唯一の光だった。 だがその彼女さえもオフラーナによって奪われ、彼は完全な孤独に陥った。 ーどうして全てを俺から奪う。 彼は悲しみに暮れた。 椎名の心の中では、過去に感じた無力感、裏切られたと感じる怒り、そして愛する人を失った悲しみが複雑に絡み合っていた。 部屋の一角にある、小さなカメラがこちらを向いている。 椎名(仁川)はその存在を意識しながらも、感情を抑える。 彼の周囲は静寂に包まれており、壁に掛かる時計の秒針の音だけが時間の流れを告げていた。 ーアナスタシアと過ごした時間だけは平和だった。 椎名(仁川)は心の中で呟いた。 彼女との散歩、共に笑った夜、そしてにこやかに答えてくれる彼女の声。 これらの幸せな瞬間を思い出す度に、彼の心は痛む。 彼女がオフラーナに連行された日、彼の世界は崩壊した。 ー光は消えた。 彼は悲痛に満ちた声で思い返した。 椎名の目は、目の前にあるラップトップに釘付けになっていたが、その表情からは何も読み取れないようにしていた。 心の中では、過去の記憶と未来への復讐計画が渦巻いている。 彼は日本政府に見捨てられ、ツヴァイスタンのオフラーナと人民軍の間で翻弄された苦い経験を繰り返し思い返していた。 部屋の中で、彼は深いため息をつきながらも、一切の感情を露わにしないように自己制御している。 ー勝利には、冷静であれ。 彼は心に誓い、表面上は落ち着き払った態度を保っていた。 日本とツヴァイスタン。この両政府に対する彼の復讐心たるや凄まじいものがある。愛するアナスタシアの喪失と自分を見捨てた世界への怒りが、彼の計画を推進する燃料となっていた。 監視カメラの視線を意識しながら、椎名(仁川)は計画の最終段階を心の中で見直していた。 自分の行動が、ひとつ間違えばすべてを台無しにすることを知っていた。 彼の冷静な表情の裏には、破壊と復讐への深い決意が隠されていた。Sun, 17 Dec 2023
- 200 - 178.1 第167話【前編】3-167-1.mp3 6年前 仁川征爾は査問委員会の厳粛の中心に座り、委員たちの厳しい視線を一身に受けていた。 部屋の空気は緊張で張り詰めている。オフラーナの制服を身に纏った委員たちの表情は、仁川の忠誠心を疑うかのように冷ややかだった。 「では始めよう。」 委員長が静かに宣言し査問が始まる。 問いは鋭く、彼の過去をえぐるようだった。仁川の答えは慎重に選ばれ、かつ相手に悪感情を抱かせないように自信をひた隠しにしていた。彼は自分の二重スパイとしての任務を隠し続けながらも、オフラーナという組織への忠誠を誓うような言葉を巧みに操っていた。 この場はツヴァイスタン人民共和国オフラーナによる査問委員会だ。 会議室の壁に掲げられた国旗の下で、仁川は訓練された自らの能力と冷静さを示し続ける。 彼の真の任務、つまりツヴァイスタン人民軍の情報部員としての役割は、心の内にしっかりと秘めながら。 査問委員会が終わりに近づくと、仁川は内心でほっと一息ついた。 「査問委員会は、仁川征爾の疑いは晴れたと結論づける。」 これが、日本に向けて潜入する最終テストだった。 仁川はこれから日本での新たな任務を完璧にこなすための準備が整ったことを確信していた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ひとりの女性がドアの向こう側で、躊躇いながらも決心を固めていた。彼女はそのドアを静かにノックした。 「どうぞ。」 仁川の声が部屋の中から聞こえる。 彼の声はいつも通り落ち着いていたが、今日は何かが違っていた。それは出発の重みだろうか。 彼女は深呼吸をしてからドアを開けた。彼女の目は決意に満ちていたが、心の奥底には不安が渦巻いている。 仁川は荷造りをしているところだった。その姿をただ眺めて一言。 「外の世界を見てみたい。」 彼女は静かに言った。 その言葉は、仁川の動作を止めさせた。 彼は振り返り彼女の瞳を見つめた。彼女はツヴァイスタンの壁に囲まれた生活を知っている。しかし、外の世界に対する憧れは、国の厳しい規制や秘密警察の目をも越えていたようだ。 "外の世界を見てみたい" と言った彼女の心は、親や社会の目から逃れたいという渇望で満たされていた。仁川は、彼女にとっての一時的な自由であり、彼を通じて外の世界を垣間見ることが彼女の希望だった。 仁川は近づき彼女の手を取った。 彼女の手は冷たく震えていた。 「アナスタシア、僕も君にはもっと広い世界を見てほしい。」 と仁川は言った。 彼の声には温かみがあったが、同時に悲しみも混じっていた。 「でもそれを見たところで僕たちの世界は、そう簡単には変わらない。」 と彼は続けた。 彼は自身が秘密警察オフラーナであることはもとより、人民軍の軍人であることも彼女には秘していた。 秘密警察に秘密は作り得ない。つまり彼は常時監視の環境にある。不用意な発言は先の査問委員会の対象となる。 いま彼がアナスタシアに話した言葉は、どうとでもとれる最も適切なものであったのは間違いない。 彼の言葉にアナスタシアは頷いたが、その目は涙で潤んでいた。 彼女は仁川が秘密警察であることを知ってたのだ。そして彼がこれからどれほど危険な環境に身を投じるかも。 「約束して。戻ってきて。」 と彼女は小さな声で言った。 仁川は彼女を抱きしめそっと耳打ちした。 「戻るよ、必ず。」 彼の声は決意に満ちていた。しかしスパイとしての生活は何も約束できないことを、二人は知っていた。 その夜アナスタシアは一人、ツヴァイスタンの星空を眺めながら、仁川の安全を祈った。 彼が見るはずの外の世界を心の中で描いていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 出発日。 朝の光がまだ新しい空気を満たすベルゼグラード。彼の車は静かにアナスタシアの家の前を通過した。 その瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、アナスタシアが秘密警察に連行される姿だった。 驚愕に打たれた仁川は、車を急停止させた。 近くにいた人に何が起こっているのかを尋ねると、「反動的発言があったから」という返答が返ってきた。 ふと彼の頭にアナスタシアの両親の姿がよぎった。 アナスタシアの両親は、彼女が成長するにつれてますます心配の種を抱えるようになっていた。 特に父親は、伝統的な価値観とツヴァイスタンの厳格な社会規範に深く根ざしており、娘の自由奔放な性格に常に眉をひそめていた。彼にとって、アナスタシアは家族の名誉と伝統を守るべき存在であり、仁川のような外国人との接触は、家族の評判を損ねるものと見なされていた。彼の問題行動はしばしばで、娘と仁川に行動を逐一監視する事もあった。 一方で母親は、より保護的でありながらも、娘の幸福を心から願っていた。 しかし母親もまた、社会的な圧力と「良い家族」であることの期待に縛られていた。 彼女はアナスタシアが仁川との関係で苦しみや危険に晒されることを深く恐れており、時にはその恐れがアナスタシアに対する過干渉となって表れていた。 アナスタシアの父親はあの日のあのセリフを耳にしていたようだ。 娘への過干渉故のストーカー行動から来るものであろう。 あの言葉には、外の世界への憧れと、ツヴァイスタン社会の枠を超えたいという強い願望が込められていた。 これを「反動的発言」と捉えた父親は、家族の名誉を守るため、そして娘を「誤った道」から引き戻すために、秘密警察に通報する決断を下した。 アナスタシアの両親は彼女を愛してはいたが、その愛はツヴァイスタンの伝統と社会規範によって歪められていた。 彼らは自分たちが正しいと信じる選択をしたが、その結果が娘の運命をどのように変えるかは、その時点では想像もしていなかったのである。 ーしまった…。 出発にはまだ余裕がある。彼は躊躇いながらも車から飛び出し、アナスタシアの方へと駆け寄る。 彼女に声をかけようとしたその瞬間、自分が秘密警察の一員である現実が脳裏をよぎった。 この場で彼女を弁護すれば、自分への疑念を招くかもしれない。 心の内で激しい葛藤に苦しむ仁川。 その時、アナスタシアが彼の存在に気付いたようで、彼の方を見た。 彼女は涙を浮かべながらも、優しい笑顔を見せて頷いた。 そして彼女は警察車両と共にその場を去った。 仁川はその場に崩れ落ち慟哭した。 周囲の目も気にせずに。 そこに居合わせた一人の親切な男が、慰めの言葉をかける。 力を失いながら立ち上がる仁川の目の前には、アナスタシアの家があった。 そこで過ごした幸せな時の記憶が、彼の心を駆け巡る。 しかしその記憶は突如として途切れた。 アナスタシアの家の窓から、彼をじっと見つめる一人の人物がいた。 それは彼女の妹、エレナだった。 彼女の目には何かを訴えかけるような切迫感があった。 仁川はエレナと視線を交わし無言のメッセージを受け取った。Sun, 17 Dec 2023
- 199 - 177.2 第166話【後編】3-166-2.mp3 小便器の前に立って用を足す椎名の背後から声が聞こえた。 「Присоединение капитана к войскам завершено.部隊合流完了。」 「Я слышал, что продукт был передан стороне "У Даба".例のブツはウ・ダバ側にわたったらしいな。」 「Извинения.申し訳ございません。」 「Никогда больше не делайте так плохо надписи на дне кофейной чашки и не присылайте мне информацию. Это оставляет следы.コーヒーカップの底面に文字を書いて俺に情報を寄越すような下手なやり方は二度とするな。 痕跡が残る。」 「Однако слежка настолько сильна, что информация не может быть передана майору.しかし監視の目が強くて、少佐に情報を流せません。」 「О чем вы говорите. Так можно было бы обмениваться информацией.何言ってるんだ。こうやって情報のやりとりが出来ているだろう。」 「Такой подход также опасен.このやり方も危険です。」 「Временные ленты социальных сетей постоянно просматриваются.Сделать сообщение, связанное с Клуб конституционной свободы.SNSのタイムラインは常時見ている。立憲自由クラブ関連のポストをせよ。」 「Роджер.Счет... Я люблю Японию.了解。アカウントは…日本大好き。」 彼のネーミングセンスに椎名は思わず吹き出してしまった。 「Должны присутствовать символы как японского флага, так и военного флага. Я думал, что это будет легко заметить.日本国旗と軍旗のマーク、両方入れておきます。目につきやすいかと。」 「Здравый смысл.良いセンスだ。」 小便器の流れる音 「完全に分裂やな。よくやった椎名。」 「私ではありません。空閑の力です。」 「特別なコミュニケーション…か。」 ー気づいているな。あの感じ。 手を洗う音 ーここいらで気づいてもらわないと…ね。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 電話がかかってくる音 「你好 啊,是李先生 最近怎么样? 有什么发现吗? もしもし。あー李さんか。どう?何か分かった?」 「诶? 发现什么了? 你知道谁进出过 "白银 "家吗? え?何?その「白銀」って奴の家に出入りしていた奴知ってるって?」 「什么? 你说他给人留下深刻印象 是因为他戴着圆形太阳镜? えっ?丸いサングラスかけてたから印象に残ってたって? 「我不知道我是否知道他的名字... 名前は分かるかな…。」 「锅 岛…。 鍋島…。」 江國の上半身の至る所から急に冷や汗のようなものが流れてきた。 「嗯......对了,你知道'白银'本人的任何信息吗? あの…因みに「白銀」自身の情報って知らないかな?」 「不知道... 我就知道... 我想是的 李先生说得没错 你一定是干这行的 よくわかんないか…。やっぱりそうか…。そうだろうね。まぁ李さんの言うとおり、その筋の人間だろうね。」 「谣言? 什么谣言? 当时的谣言? 谣传人民解放军里有个尖子叫白银? 噂?何?当時の噂かい?人民解放軍に白銀って言われる切れ者がいるって噂?」 「不,我从来没听说过... 我是说,我跟共产党和解放军都没关系 不,等等 你说的解放军 你听说过白银在解放军的什么地方吗? いや…俺は聞いたことないな…。というか俺は共産党本体とか解放軍とは基本関係ないからさ。いやでも待ってよ。解放軍って言うけど、白銀はどの辺りのポジションだったか聞いてる?」 「在总参谋部是个相当不错的职位... 総参謀部の結構良いポジションだった…。」 「老实说,我对解放军的组织情况了解不多。 您能给我一些明确的信息吗? あの俺さ、解放軍の組織とか正直よくわかんないんだ。何かわかりやすい資料とかもらえるかな。」 電話を終えた江國の携帯にしばらくしてメールが送られてきた。 当時、白銀と称されていた人物が誰かと改めて聞き回ったところ、一人の人物が候補として上がってきたのでその資料も付けるとあった。 「やっぱり困ったときの李さんだ。」 組織図のURLと一緒に送られてきたPDFファイルを開くとそれは研究論文か何かだった。12年前のものだ。どうやら軍の内部で出回っているクローズドなもののようだ。 執筆者は王志強。人民解放軍総参謀部第七情報分析局とある。中国語で書かれたその論文の内容は極秘の作戦に従事する特殊部隊の創設は喫緊の課題であると説く内容のものだった。 「高度な訓練を受けた隊員による、情報収集、サイバー戦、対テロ作戦に対応する特殊部隊の創設が求められる…。」 江國はふとカレンダーを見る。今は2020年4月30日。これから12年前となると2008年だ。 「鍋島惇が初めて公に登場した熨子山連続殺人事件が2011年…。その3年前に既にはこんな論文を出してて、ここ日本で鍋島と実際に接触をしていた。しかも鍋島のほうから白銀の家を訪問していた?」 李より送られてきた資料には王志強の写真はなかった。 そのため白銀篤が王志強であるという確証は得られない。 「ツヴァイスタン、ウ・ダバ、アルミヤプラボスディア、ロシア。これだけでもかなりややっこしいのに、ここで解放軍まで参入…。」 神谷へ事の次第を報告する江國の手の震えは止まらなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 金沢市南部。 ベネシュは、狭く曲がりくねった道を慎重に進んでいた。 車のヘッドライトが時折、道の端に生えた濃密な緑を照らし出す。深まる夜。周囲は静かでありながら、何かが息づいているかのような、不可解な気配に満ちていた。 その道は藩政期から昭和初期まで石を切り出す作業員たちの足音で賑わっていたが、今は別の存在によって静寂が支配されている。車は洞窟の口まで到達するとエンジンを止た。ベネシュは深く息を吸い込む。彼はその黒々とした空間を見つめながら、潜伏していたトゥマンの人員たちが、命令一つですぐにでも動けるよう、緊張の糸を張り詰めていることを知っていた。 「Напоминает Афганистан. アフガニスタンを思い起こさせる。」 彼は独り言ちながら、車から降りて冷たい空気を肌で感じた。足音ひとつ立てずに洞窟に入ると、そこは驚くほど静かで、外の世界とは切り離されていた。 この場の人員はベネシュを含めて20名。彼らは無駄な会話を交わすことなく、それぞれが指定された位置に静かに座り、明日の作戦に備えていた。 ーВсе они выглядят хорошо. 良い面構えだ。 彼らの表情は、前夜の緊張と期待で硬直していた。ベネシュはその静寂を打ち破ることなく、腕時計を見た。時計の針はゆっくりと予定時刻に近づいていた。24時間後には全てが終わっているだろう。 彼は隊員たちの間を歩き、一人一人の目を見つめ、黙って頷いた。その頷きは、彼らがこの数ヶ月で築き上げてきた絆と信頼の象徴であった。 「Завтра ночью придет наше время. 明日の夜、我々の時が来る。」 彼の声は低く、しかし隊員たちにははっきりと届いた。彼らは言葉を交わさなくても、その言葉の重さを理解していた。ベネシュは再び外に出て、星の光も届かない暗い空を見上げた。Sat, 02 Dec 2023
- 198 - 177.1 第166話【前編】3-166-1.mp3 立憲自由クラブによる明日の 金沢駅での決起集会の予行演習。これを阻止せよ。そう椎名に指示を出して1時間ほど経過した。 現在は4月30日木曜。時刻は20時になろうとしていた。 「片倉班長。」 岡田が片倉の側にやってきた。彼はベネシュが乗ったと思われるハイエースの動きを捕捉するべく、相馬からの情報を元に所轄署との連携をとっていた。 「相馬の抑えたハイエースですが…。」 岡田の表情が成果を物語っていた。 「駄目やったか。」 「早々に乗り捨てられてました。」 敵も然る者。そう片倉は言った。 「こちらの動き、気づかれたか。」 「それは分かりません。車が乗り捨てられていたのは金沢駅から1キロ程度離れた病院の駐車場です。発進から間もない地点での移動手段の変更ですから、当初から予定されていたものかもしれません。」 「やるな…。」 で、相馬は今何をしてると片倉は聞いた。 「彼は古田さんと自衛隊の連中とで金沢駅のPBに居ます。」 「PBで何をしとる。」 「予想されるテロ行為への対応可能性を協議しています。」 「ほう…。」 「機動隊の協力が欲しいとの申し出でしたので、私から機動隊へ繋いでおきました。」 「しかし…県警だけやと無理じゃないか。」 「と言いますと?」 「想定されることから逆算して。県警の所帯だけじゃ役不足にならんか。」 「それは…。」 「まぁ心配すんな。そのあたりはいま松永課長が手を回しとる。」 「えっ?」 「広域の警察からの応援を要請、既に中国四国管区から出発したと連絡がはいっとる。明日の朝には石川に入れる。」 いつの間に。岡田は特高の秘匿性の高さと手際の良さを痛感した。 「警備部長には人員的なモンは心配すんなって言っておいてくれ。どんな警備体制も敷けるように察庁と警視庁が人的、設備的バックアップをしていますってな。」 「ありがたい。」 「岡田、お前はあくまでも公安特課や。お前が機動隊の調整に手を取られるとケントクが制御きかんくなってしまうやろ。本来の役割に専念してくれ。」 岡田は意味ありげな表情で笑った。 それはそれとしてと、片倉は言った。 「さっき百目鬼理事官から連絡が入った。自衛隊との連携の話や。」 椎名の情報をベースに考えればテロが予定されているのは明日の帰宅時間あたり。場所は金沢駅辺りだ。 それは自衛隊としても独自の情報網で共通の情報を把握していたようだ。 「基本路線は今までと変わらん。公安特課はテロ防止と関係者の一斉検挙。自衛隊はもしもの時に実力でねじ伏せる。今回、その詳細が詰められた。」 「と言いますと。」 「自衛隊は独自のタイミングで動く。あいつらが動いた時点で俺らはあいつらの指揮下にはいる。」 岡田は驚きを隠せないでいた。 「この運用は政府において決定された。」 「政府が?」 「ああ。いまさら国会がどうとか言ってられん。この運用をしくじると選挙どころか政府自体が吹っ飛ぶ。その事の重大さは流石に先生方もご理解いただけたようや。」 「とんでもないことになってきていますね。」 「あぁとんでもない。平和呆けのツケが一気にこの瞬間に回ってきたわ。」 岡田はにじみ出てきた汗を拭う。 「市民の安全確保などは自衛隊には出来ん。治安の維持は警察が請け負う。これはいままでと変わらん。ほやけど公安特課みたいな防諜機関は自衛隊の特務とかぶる部分があるから、それは事態が発生次第、指揮系 統を一本化するってことになった。具体的には自衛隊情報本部の下に公安特課は置かれる。」 「それは片倉さんの特高もですか。」 「ほうや。今回のケースはな。」 「しかし…どうにも手続きごとが多くなるだけのような気がするんですが…。」 「そこんところを百目鬼理事官と松永理事官が調整なさった。」 「と言いますと。」 「組織的には公安特課の上に自衛隊特務がある感じになるって言ったな。」 「はい。」 「つまり俺らは一時的に軍に編入されるって事や。」 「軍に…。」 「岡田、軍と治安組織の違いは?」 「それは…。」 「主権防衛と民間防衛。National DefenceとCivil Defence。俺らは主権防衛の方に回る。敵の撃破と国家の独立と領域を守ることに徹する。それを実現するために警察と軍隊とでは、その運用に明確な違いがあるのは知っとるよな。」 「ポジティブリストとネガティブリストですね。」 日本政府は6年前の朝倉事件をきっかけに安全保障体制整備の政策転換を打ち出した。 防衛予算を倍増させると同時に自衛隊の運用面での充実を図るため、自衛隊法を改正。現行の自衛隊のポジティブリストによる運用からネガティブリストでの運用に切り替えた。 ポジティブリストとは許可事項列挙型であり、個人の権利をみだりに侵害せしめないよう配慮された、平時対応の法律文である。一方ネガティブリストとは禁止事項列挙型で、敗北を避けるため最大限の措置が可能な戦時対応の法律文となっている。警察や消防はポジリスト、軍隊においてはネガリストでの運用が国際的に通例となっている。 「そう。軍に編入されるって事はネガリストになるわけやから、お前、さっき言っとった手続きごとが面倒になるんじゃないの的な懸念は払拭される。」 「…。」 「これはつまり岡田…どういうことか分かるな。」 片倉の言葉を聞く岡田の顔は冴えない。 「そのときは俺らも躊躇うことなく、敵を殺傷せんといかん。」 これが岡田の顔を曇らせている原因だった。 「軍隊ってモンは国家そのものや。政権とか官庁とかの括りじゃない。そこんところの頭を切り替えられんと…。」 片倉は真剣なまなざしで岡田を見つめる。5秒、10秒、沈黙の時間が続いた。 「死ぬぞ。全員。」 「全員…。」 「ああ、全員や。お前だけじゃない。俺も、お前も、守られるべき民間人も。みんな死ぬ。」 この場に沈黙が流れた。 片倉自身が自分に言い聞かせるように言っている。おそらく彼もまだ心の整理が付けられていないのだろう。 「ほやから止めなならんがや…。」 「なんとしても…。」 「ほうや。」 「片倉さん。」 自分の名前を呼びかける声が聞こえた。 椎名だった。 「どうした。」 「立憲自由クラブの流れ、少しだけ変わってきましたよ。」 本当かと言って片倉はタイムラインを見た。 デモンストレーションの予定地である金沢駅の周辺では、今回の大雨で被害が出ている地域があり、そのような状況でデモ活動をするのは、被災者の感情を逆なでするものである。そう大川自身がSNSで中止を訴えていた。 これに対して立憲自由クラブの反応は二つに割れていた。 主催者がそう言うんだからそうしようという、至って従順で聞き分けの良い派閥。彼らは金沢の大雨被害の義援金をクラウドファンディングを利用して集めようと言い出している。 一方、今までこの日のために準備し、煽りに煽っていた運営側のほとんどは、主催者を急に日和ったと断罪。この土壇場での日和が現在の我が国の病巣そのものであると批判し、デモの中止はないとしていた。 「完全に分裂やな。よくやった椎名。」 「私ではありません。空閑の力です。」 「特別なコミュニケーション…ね。」 片倉のこの言葉に椎名は意味ありげに沈黙を作った。 「ここでたたみかけましょう。」 「たたみかける?」 「デモ推進派と中止派の双方を煽ります。」 「どうやって。」 「富樫さんの力が必要です。」 「なに…?」 片倉と岡田は言葉を失った。 「富樫さんは既にSNSの監視をなさって、誰がどういった影響をもっているか私よりもご存じですから。」 「なぜ、それを…。」 「時間はありません。理由を探るよりも先に富樫さんに指示を出してください。」 岡田はその場から電話をかけた。 「椎名。お前さん何をどこまで知っとるんや。」 「何をどこまで話せば、片倉さんの信頼を得られるんでしょうか。」 「てめぇ…。」 岡田が片倉の二の腕を掴んで、気持ちを落ち着かせるようなだめる。 「私は何も知りません。ただなぜかそういった情報が私の元に入ってくるだけです。」 何やら感情を煽るような言葉だ。 流石の片倉もこれは椎名の罠であると感じとったのか、無言を決め込んだ。 「椎名。富樫さんにはSNSの対立を煽るよう指示を出した。」 岡田がマイクに向かって言う。 「ありがとうございます。しかしこの対立がデモを中止にまで持って行けるとは限りません。おそらく一部の先鋭化した連中が行動を起こすでしょう。ですが当初の予定されていたよりも大幅に少ない人員になることが見込まれます。そうすれば明日の影響は少ないものに止めることが出来るでしょう。立憲自由クラブのSNSを常時監視して、主催者の動きを注視してください。」 「了解した。」 通話はここで終わり、椎名はトイレへと席を外した。 「全部知っとる。そう思って接しましょう。いちいち反応しとったら身が持ちませんよ。」 「そうやな。」 「バケモンです。俺らはバケモンと対峙しとるんです。」 「ああバケモンや。」 「問題は、このバケモンが組織の一部ってところ。我が国はとうとうこのバケモンらと向かい合って戦う。」 片倉はため息をつく。 「なぁ岡田。」 「はい。」 「これまるで漫画やな。」 「漫画…ですか。」 「あぁ少年ステップってあったやろ。あそこの漫画って、ラスボス倒したら次のシーズンで更に強いラスボス登場やがいや。」 「あぁ…。ラスボスの無限ループですか。」 「そうそう。」 「もしもそうだとしたら、この連載はいつ終わるんでしょうか。」 「作者次第じゃないのかね。」 「作者って誰なんでしょうかね。」 「普通に考えたら、椎名の背後にあるオフラーナであり、その上のツヴァイスタンの指導部って事になる。」 岡田は黙る。 「どうした。」 「片倉さん。それって普通に戦争ですよ。ツヴァイスタンと我が国の。」 「そうやな。」 「今日日正直言って国と国とが戦うって考えられません。あの国に何の得があるって言うんですか?実際、ツヴァイスタンと我が国は現状友好ムードが漂っていたじゃないですか。」 「それを隠れ蓑に奇襲とか。」 いやいやと岡田は彼の意見を否定した。 「そもそもツヴァイスタンと日本は地理的にも離れてます。歴史的にもそんなにつながりがありません。冷戦時にツヴァイスタンは一方的に我が国を敵国認定。これは宗主国であるソ連の差し金だったと言われています。」 「…。」 「基本受け身なんです。ツヴァイスタンは。独力で何でも出来るような国じゃありません。ソ連崩壊して独立したとは言え、あの国は旧ソ連の手助け無しでは何も出来ません。ツヴァイスタンが我が国戦争をふっかけるって事はロシアがそれを望んでいるってことになります。そして我が国に戦争をふっかけることは同時にアメリカにも宣戦を布告するって事になりますよ。」 ツヴァイスタンの秘密警察が計画したテロ。これが成功、もしくは実行されたとすれば岡田の言うとおりになる。 それは特定の地域の紛争に留まらず、最悪の場合米露を巻き込んだ大戦の火蓋が切って落とされることになる。 こんなものツヴァイスタンも旧宗主国のロシアも望んでいないのは明らかだ。 冷静に考えれば考えるほど、明日に予定されているテロの意図するものが見えない。そもそも椎名はなぜこのテロを実行するに至ったのか。もちろん彼はツヴァイスタンの一つの駒に過ぎず、テロの意味するもの、戦略的なものまでは知らされていないだろう。 「わからん…。」 いつになく力ない様子で片倉は呟いた。 「慢性的な人材不足を補うために教育水準の高い優秀な人材を獲得する。それが日本人の拉致。そういう説もあります。それくらいどうにもならない国なんです、あそこは。」 「確かにそうや。」 「でも確かにこのテロの筋書き、一体誰が作者なんでしょうかね…。」 「指導部じゃないとしたら…。」 「一部の暴発…。」 片倉はSNSのタイムラインを見ていた。立憲自由クラブの中は二つの意見に割れていた。Sat, 02 Dec 2023
- 197 - 176.2 第165話【後編】3-165-2.mp3 「Хорошо. Но будьте умеренны. Не поднимайте шума. О, да. Это обнадеживает. Я бы предпочел, чтобы вы считали это демонстрацией силы с нашей стороны.そうか。しかしほどほどにしておけよ。決して騒ぎを起こすなよ。ああそうだ。それは頼もしいな。むしろ我々の力の見せ所と思って欲しい。」 「Да, я вижу. Вот этот.ああ見えた。あれだな。」 「Но... что это за пробка? Будет ли завтра в это время так же оживленно?しかし…なんだこの渋滞は。明日のこの時間もこんなに混雑してるのか?」 「Понятно, дождь тому причиной... Но, наверное, так и будет, когда я поеду домой в выходные.なるほど雨が原因か…。だが週末の帰宅時となるとやはりこのような感じになるのだろうな。」 ーロシア語…。週末の帰宅時間を気にしている? 白人男性の側にやってきた相馬は彼が話す言葉をかろうじて聞き取ることができた。 「Японцы хорошо себя ведут. Они никогда не врываются в дом. Нам стоит поучиться этому, не так ли?日本人は行儀が良い。決して割り込んだりしない。そこは本当に見習わなければならんな、我々は。」 「Мы слишком много говорили. Остальное мы сделаем, когда встретимся. Ах... Увидимся позже.あまりにも話しすぎた。後は合流してからにしよう。ああ…。では後ほど。」 電話を切った彼は携帯をポケットにしまい、そのまま両手を底に突っ込む。そして大きく息をつき両肩をストンと落とした。 一見、送迎車両を待つただのロシア系外国人と言った風貌の彼だが、相馬は彼が持つ独特の顔の特徴をつかんでいた。 ー顔に十時の傷…。 「その白人については公安特課は関わらない。冴木についても一旦保留とする。」 「どうしてですか。」 「その白人は防衛省マターとなる。防衛省マターに公安特課は関わらない。」 「防衛省?」 「そうだ。防衛省だ。あいつらのヤマはスルーしろ。」160 相馬は児玉らの車が止まっている方を見やった。 ーおいおい…まだ車の中だぞあいつら…。ロストしてんじゃないのか。 一台のハイエースが彼の前に止まった。それと同時に相馬は彼と距離をとる。そして柱の陰に自分の身を隠してスマートフォンをそちらの方向けて構えた。 シャッター音 スライドドアを自分で開いた彼は車に乗り込み、即座にそれを閉めた。 シャッター音 「ったく…何やってんだよ、あいつら。」 舌打ちした相馬はそのままホテル側に停車している吉川らの方に走って向かった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 助手席側の窓が激しく叩かれたため、児玉と吉川はそちらの方をにらみつけた。 そこには先ほど職質を装って接触を図ってきた男が立っていた。 「公安特課…あいつ…いい加減にしろ。」 明らかに不快な表情になった児玉は窓を開けた。 「言っただろ。相互不干渉だ。あっちいけ。」 相馬は何も言わずに先ほど撮影した写真をドア越しに児玉に見せた。 「こいつじゃないですか。対象は。」 写真を見せられた児玉は絶句した。 「これ…いつ…。」 「今さっきです。ハイエースに乗ってどこかに行きました。」 「おいっ吉川!」 相馬から携帯を奪った児玉はそれを吉川と一緒に見た。 「間違いないベネシュだ。」 「ベネシュ?」 しまったという表情を見せた運転席側の吉川だったが、ここに至ってはもうそんなことはどうでも良いという感じで相馬を後部座席に乗るように言った。 ドア閉まる音 「ベネシュって誰ですか。」 「アルミヤプラボスディアだ。」 「アルミヤプラボスディア…。」 知っているかと尋ねられた相馬は首を縦に振った。 「こいつはマクシーミリアン・ベネシュと言って、アルミヤプラボスディアの精鋭部隊の隊長だ。」 「精鋭部隊…。」 「ああその名はトゥマン。業界でその名を知らないものは居ない。」 「トゥマン…。霧ですか。」 「なんだ、お前ロシア語分かるのか。」 「少々。」 「どこに行った。」 相馬はこの場から向かって正面にある鼓門の奥の方、北東を指さした。 それを受けて運転席の吉川は慌ててシートベルトを締め、車を発進させようとした。 「無駄ですよ。」 後部座席から相馬はこう言った。 「方角しか分からないのに、どうやって追いかけるって言うんですか。」 「じゃあどうするんだよ。」 「あの、一応自分警察です。」 相馬は装着しているイヤホンを指で押さえた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「片倉班長。報告が。相馬からです。」 岡田が片倉に耳打ちした。 「そうか。で。」 「とりあえず自衛隊とウチらの連携の詳細が詰められていませんので、キンパイは敷こうと思うんですが、どうでしょうか。」 「そうやな。それがいい。居所を押さえることを優先しよう。見つけても決して逮捕はするな。」 「ではその線で動きます。」 岡田は部屋から急ぎ出て行った。 彼の後ろ姿を見届けた片倉が振り返ると、ディスプレイに映し出される椎名の姿があった。 「大川に立憲自由クラブを止めてもらうのか?ここに来て?」 「ああそうだ。」 「なぜ。」 「予期せぬ事が起こった。」 椎名は空閑に電話をかけていた。 「なんだ。何が起こった。」 「言えない。ただ、このままだと計画は失敗する。」 「おいキング…。ここに来て何なんだ。俺はホテルで謹慎、せっかく仕込んできた立憲自由クラブのデモ行動まで中止しろって、何が起きてるんだ…。」 「君は知らなくていいい。」 「…急に態度が変わったな。」 「坊主が王と対等であるはずが無いだろう。」 突然の高圧的な態度に空閑は面食らった。それは彼の様子を観察していた片倉も同様だ。 「勘違いするな。お前は駒だ。俺はキングだ。俺がお前に指示をすることはあっても、お前が俺に指示することは許さん。」 「キング…。」 「お前が俺に指示をするとき。それは反逆と言うことで処分だ。」 「ま、待ってくれ。」 「待って…くれ?」 「あ…。」 「く、れ?」 「ください。」 「もう一度。」 「待ってください。」 沈黙が答えのようだ。空閑はいよいよそのプレッシャーに耐えきれなくなった。 「お願いします。待ってください。」 「…。」 「私の身はどうでも良いのです…。」 「…。」 「ただインチョウの解放、それは成し遂げられるのでしょうか。大川を動かすことで、立憲自由クラブのデモ活動を中止に持っていくことで、インチョウの解放ができるのでしょうか。」 「…。」 「キング。それだけは教えてください。」 「…できる。そのための措置だ。」 今度は空閑が沈黙した。 「その沈黙はどういう意味か。」 「…考えていました。」 「何を考えていた。」 「大川を説き伏せる術です。」 「説き伏せる?」 「はい。」 「君は特別なコミュニケーション方法も持っているだろう。」 この椎名の発言を聞いていた片倉の顔色が変わった。 「特別なコミュニケーション?…何のこと言ってる。」 「…ですがそれはこのホテルの部屋の中にいて使えるものかわかりません。」 「やってみたらどうだ。」 「え?」 「テレビ電話だよ。」 「賭けになりますよ。」 「いい。やってみろ。何事もやってみないことにはな。」 「わかりました。」 電話を切った椎名は監視カメラのレンズに目をやった。 「ご苦労さん。」 「あとは空閑の働きにこちらが賭けるのみです。」 「何だあの特別なコミュニケーションってのは。」 「彼なりの人心掌握術です。」 「具体的に。」 「具体的にって言っても…。」 椎名は困惑している様だった。 「言葉で表現できない?」 「そうですね。自分にはない能力ですから。」 「?」 「何て言うんだろう。いい男なんですよ奴は。いわゆるイケメン。男の自分が言うのものなんですが、格好が良いんですよ。」 「なんや見てくれの話か。」 「空閑は見てくれだけじゃない。彼は学習塾を経営しているくらいですから、口が立つ。もちろん頭も良い。これって結構な武器なんです。」 「相手は大川だ。男だぞ。女ならまだ分からんでもないが…。」 「片倉さんはまだその手の人に会ったことがないから分からないんですよ。」 「いや俺も会ったとこある。その手の人間ってのは少なからず居る。けどそこまでか?」 「多分、片倉さんの頭に浮かんでいるその人、圧倒的じゃなんですよ。」 確かに一色にせよ松永にせよ、頭脳明晰であるがビジュアル面では突っ込みどころはある。しかしそれは空閑においても同様ではないだろうか。確かにぱっと見た感じの彼はどこか魅力的な顔立ちである。 彼の髪は短く、黒色。目は細くて濃い茶色で、鋭いまなざしをしている。眉は太めで直線的な形。鼻は高く顎はしっかりとしている。顔の輪郭は細長く、年齢の割に肌は滑らか。全体的に彼の顔立ちは整っており、クールな印象を受ける。 しかし眉目秀麗と言えるほどの男性には見えない。この手の精悍な顔立ちの男は、警視庁内でも時々見る。 「完全無欠のビジュアルと頭脳をもつ人間ってのは、オスメス関係なく生物として無条件に魅力を感じるもんです。」 「あの…確かに空閑は男前や。けどそんなに圧倒的かね。」 「圧倒的に見えるんですよ。相対すると。」 「相対すると?」 「それが彼の特別なコミュニケーション能力です。」Sat, 18 Nov 2023
- 196 - 176.1 第165話【前編】3-165-1.mp3 四畳半程度の部屋の真ん中にあるデスクでラップトップ型PCを向かい合うのは椎名賢明だ。インカムをつけた彼はビデオ会議ツールで外の捜査本部のスタッフとコミュニケーションをとっていた。 ドアをノックする音 「はい。」 資料ですと言って、男が紙の束を持ってきた。 椎名はそれをご苦労様ですと受け取った。 続けて彼は紙コップに入ったコーヒーを椎名の前に差し出した。 これには椎名は紙コップに目を落とし「ありがとうございます」とだけ言ってそれを受け取った。 男は頭をぺこりと下げ、椎名とはなんの会話もせずにそのままこの場から立ち去った。 「何や。コーヒー頼んでいたのか。」 片倉の声がイヤホンから聞こえた。 「はい。」 椎名がこう応えても片倉は何も言わなかった。 コーヒーをすする音 視線を部屋の隅に移す。そこにはこちらの様子を覗うカメラがあった。 「今のところ、チェス組の動きはどうや。」 「空閑はホテルで待機、朝戸は例の民泊にまだ滞在しています。」 片倉は岡田を見た。椎名の証言が現在公安特課が把握している現状と一致していたため、岡田は首を縦に振った。 「ヤドルチェンコはどうや。」 「彼の居場所は把握できませんが、ウ・ダバがそろそろ動く時間です。」 「ウ・ダバが動く?」 「はい。」 「何をする。」 「物資の補給です。」 「なんや物資って。」 「武器です。」 「どこで受け渡しする。」 「それはわかりません。」 「なんや…それもわからんのか…。」 「はい。」 「クソが…。」 片倉は歯がゆそうな声を出した。 「現段階で我々に出来ることはありません。奴らが準備万端、整うまではなにもできない。」 「居場所を特定しておけば即応できるやろうが。」 「こちらがあいつらの居場所を押さえるって事は、向こうにもこちらの出方を知られるって事になります。」 「そんなヘマ、マルトクはせん。」 「したらどうなりますか?」 「…俺らを信用せんって言うんか。」 「信用するかしないかの問題じゃありません。リスク回避です。」 不毛だ。このやりとりはなんの生産性もない。片倉は再び黙った。 「自衛隊との連携の方はどうなんですか。」 「調整中。」 「いつ結論が出ますか。」 「わからん。急がせとる。」 「見込みは。」 「それもわからん。」 それよりもお前が警察方に寝返ったことは、ツヴァイスタン本国にまだバレていないのかと片倉は尋ねた。 「おそらくまだかと。バレてたら既に私を消しに来ています。」 「消すって言っても、お前はまさに今、公安特課の一室で厳重に管理されている。さすがにそう易々と侵入されんよ。」 「自分が寝返ったとなれば、オフラーナはおそらく空閑と接触をするでしょう。しかしこの空閑がオフラーナと接触した様子もありません。先ほども言ったように、自分が寝返ったことを私の監視役が知ったとしても、保身を図る必要があります。そのため動けてないものと判断します。」 「しかしその状況はいつまでも続くものじゃない。」 「はい。ですが一日程度は稼げます。そのあたりを考慮した今回の作戦です。」 一体、何手先を読んでいるんだ。彼の計画は想像を遙かに超えてくる。神算鬼謀と言うがこれがそうなのか。ツヴァイスタンのオフラーナという組織にはこのような人材が多数いるとでも言うのか。それともこの椎名が特殊な人材なのか。モニターに映し出される椎名は、コーヒーカップを机の脇にそっと置いてパソコンの画面を見ていた。 「椎名のパソコン画面を映してくれ。」 「はい。」 スタッフが映像をスイッチングした。 「何見とるんや。」 「SNSですね。立憲自由クラブ系のポストをフィルタリングして見ているようです。」 「立憲自由クラブ…。」 「はい。」 「どんな流れや。」 スタッフは手元のパソコンを操作して椎名が見ている画面と同じような情報を表示させた。 「5.2決起! 防衛軍創設を求める全国運動 金沢駅…やと…。」 「明後日ですね…。」 「そいつは残念。中止やわ。」 「相変わらず反米右翼丸出し。徹底的にアジっています。結構な閲覧数ですよ関連ポストは。」 「どれだけや。」 「平均5万から10万ですか。」 「それ多いんか。」 「少なくありません。と言って多いとも言えません。…いや、待ってください。」 スタッフの顔色が変わった。 「どうした。」 「いや…これはマズい。」 彼は画面をスクロールしながら、その大きな手で顔を拭う。 「なんねん。」 「明日、その決起集会のリハ的なものをするから興味ある人は来るようにって呼びかけています。」 「え?明日?どこで?」 「金沢駅です。」 「金沢駅!?」 「あぁ…これはマズい。結構な賛同者いますね…。金沢が大雨だからそのままボランティア活動をしようとか呼びかけている連中もいます。」 「おいおいおいおい。」 片倉はマイクに口を近づけた。 「椎名。」 「はい。」 「それはマズいぞ。」 「マズいと思って見ていました。」 「チェス組、ウ・ダバ、アルミヤプラボスディアが集結するような場所に反米右翼連中が乱入なんて、地獄以外の何物でも無い。なんとかできんのか。」 「大川に止めてもらいましょう。」 「大川?いまさら?んなもん聞くか?」 「やらないよりかやってもらった方が良いのでは。」 「それはそうやが、もういっそ規制かけたほうがすっきりするがいや。」 「駄目です。それでは一斉検挙はできません。」 「くそっ!」 年季が入った拳で拳叩かれた机の振動は、横に座っているスタッフの身体にも伝わった。 「椎名。お前大川とはどうなんや。」 「大川とは連絡を取ったことがありません。空閑が大川の担当です。」 「じゃあ空閑に言ってなんとかさせろ。」 「わかりました。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「しばらくぶりやな相馬。」 「古田さん。大丈夫なんですか。」 「あ?ここ?」 古田は自分の頭を指さした。 あまりに自虐的でジョークとも受け止められない。相馬は閉口した。 「大丈夫っていったら嘘や。」 「じゃあ。」 「ほやからっていって、じっとしとることもできんやろ。」 「まぁ。」 「足手まといか?」 「いえそういうことを言っているわけではありません。」 「まぁワシのことがウザいってなったら、そんときはそんときでお互いが好きにやれば良いと思うぞ。ほやけど一応命令でワシお前さんと合流したんやから、そこんところよろしく。」 「承知しています。」 「で、ここで何をしとるんや。」 「現場はここです。ここで何かが起こるんですからそれに備えるだけです。とりあえず自分は自衛隊の動きを見て考えようと思いました。」 「自衛隊?」 相馬は顎をしゃくった。ふたりは金沢駅東口の交番の中に居る。ここからは外の様子がよく見える。正面には石川県立音楽堂がある。その隣にホテルがあり、その側には吉川と児玉が乗る車がまだ止まっていた。 「あれか。」 「はい。」 「あのふたりはなんやって言ってあそこに張り込んどるんや。」 「わかりません。わかりませんが多分、アルミヤプラボスディアの関係者があのホテルに居るんじゃないですかね。」 古田はホテルとは対極にある鼓門の方を見た。先ほどの大雨を受けてか、送迎車両が列をなしていた。 「あの雨のせいで電車とかバスもダイヤぐちゃぐちゃやろうな。」 「でしょうね。」 「でもいつもこんなもんですよ。」 交番に詰めている若手の警部補がふたりに応えた。 時刻は18時。帰宅ラッシュ時だ。毎度この時刻は送迎の車でかなり混雑するらしい。 「雨の日は特にですよ。こいつが週末になれば…どうなることやら…。」 言わずもがなである。この場の古田と相馬、そしてこの警部補の喉仏が動いた。 「マルバクはありませんよ。機動隊がどれだけ調べてもそれらしいもんがない。」 「ですね。」 「良くも悪くも金沢は都会と違って田舎です。地域の結びつきが都会と違って強い。少しでも変やなって思うことがあれば、人を介して明るみになるもんです。わたしもこの交番に来て3年ですが、正直言ってそんなもんを人目につかずに設置できるなんて考えられない。」 古田は彼の言うことに理解を示すように相槌を打った。 「3年間この場所から金沢駅を見てきたあんたに聞くが、ここで大々的なテロ行うとしたら何が良いと思う?」 「マルバクはなしですよね。」 「おう。」 警部補は外を眺める。 「ここには金沢の象徴になっている鼓門があります。こいつを破壊することは地元の人間の心を痛めつけるのに良いんでしょうが、爆発物を使わずに破壊なんてできっこないでしょ。」 「ほうやなぁ。」 「まぁこの通り、この時間帯は人がたくさん居ますからねぇ…。人がたくさん居るところでやることは何だって衝撃的じゃないでしょうか。」 「確かに…。」 「ただ単に無差別に人を殺すとか。」 「やっぱりそう思うか。」 「どうしても駅というと地下鉄サリン事件を思い出します。」 「ほうやよな。」 「人ひとりが殺されても騒ぎになります。それが無差別となると…。」 考えるだけでもおぞましい。その可能性が24時間後に現実のものになる。そう考えると三人とも身がすくむ思いだった。 「仮にそういう事態が起こったとして、どういう対応が考えられますか。」 相馬が警部補に聞いた。 「どこでどうやってテロが発生するか分かりませんので、なんとも言えませんが、とにかく避難経路を確保せねばならんでしょう。」 「どういう避難経路が適当だと思いますか。」 「無差別殺傷を行い、かつテロとしてのメッセージ性を出すなら、やはりこの鼓門の下辺りが良いでしょう。テロの動画を撮影すれば必然的に鼓門が映り込みますから、あとで拡散にも使いやすい。」 「なるほど。」 警部補は立ち上がって鼓門と駅の構内を接続するガラス張りのドームであるもてなしドームを見つめた。 「四方八方散り散りに逃げるってのも良いですが、確実に安全を確保できる場所を作っておくのも必要かと思います。そこへいざというときに市民を誘導するのはどうでしょうか。」 「どこなら安全を確保できるでしょうか。」 「そこの音楽堂はどうでしょう。かなりの人数を収容できると思います。」 「わかりました。機動隊に手配します。」 「あの…私はもしもの時の話をしていますが…。」 「はい、もしもの時の話です。」 「…どうなんですか。その可能性が高まっているんですか。」 「予告されているテロの期日が近づいているという意味で、テロの危険性は高まっています。ですがテロ対としては依然としてそれは未然に防ぐ予定です。」 「では…。」 「可能性は全て潰さねばなりません。これが公安特課の仕事ですから。」 こう言ったときのことだ。身をかがめながら送迎場まで歩くひとりの白人男性の姿が相馬の目に映った。 「…。」 「どうした相馬。」 突然黙った相馬に古田が声をかけた。 「あのサングラスの白人、気になる。」 「何が?」 ちょっと行ってくると言って相馬は交番を後にした。Sat, 18 Nov 2023
- 195 - 175 第164話3-164.mp3 「久しぶり。トシさん。」 取調室の中に入ってきたのは片倉だった。 それを目で追いながら古田が言った。 「なんや、なんでお前がここに居るんや。」 「いろいろあってな。」 「ちっ。」 古田は舌打ちして片倉から目をそらした。 「何け。」 「お前もあれか。」 「何?あれって。」 「おめぇもワシのこと厄介払いしとるんか。」 片倉はあきれ顔を見せた。 「まー厄介や。」 「あん?」 「厄介やわいや、んな直ぐ一歩歩いたらさっきのこと忘れるんやしな。」 「おいおめぇ人のこと呆け老人呼ばわりしやがって。」 「トシさん。俺だって受け入れるのに苦労しとれんて。」 「ふざけんなや!くそったれが!」 「待て待て!」 古田は立ち上がり部屋から出ようとする。しかしそれは片倉によって力ずくで押さえ込まれた。 「トシさんだけじゃねぇんげんて。」 「は?」 「石大病院通院者にトシさんのような症状でとる人間多数。」 「え…何やって…。」 「おそらくこれはすべて光定公信による人体実験の影響や。」 「人体実験?」 片倉の制止を振り切ろうとしていた古田だったが、ひとまず落ち着きを取り戻した。片倉の手を振り払って彼は席に着いた。 「悪い、俺もなんかイライラしてトシさん煽るようなこと言っちまった。」 「んと感じ悪いわ。」 「すまん。」 「…第2小早川研究所の件か。」 「何でそれを…。」 「ワシなりの捜査網に引っかかった。」 「恐れ入るわ…。」 ふうーっと息をついた古田は両手で頭を抱えた。 「なんでワシが…。」 「わからん。けど光定が自分のとこの患者を利用して鍋島能力の実験をしとったのは明らかや。」 「いや、待てま。わし光定に診てもらったことなんかないぞ。そもそもあいつ心療内科とか脳神経のほうやろう。」 「でも現にその症状が出とる。」 「…。」 「原因はひとまず置いとかんけ。とにかくトシさんには認知症状がでとる。こいつはトシさんと絡んだ連中がみな口をそろえて言っとるところから明らかや。」 古田はうなだれた。 「トシさん、俺はトシさんを責めとるわけじゃないんや。ファクトを抑えてからトシさんと一緒に動こうとしとるんや。そこんところだけは信じてくれ。」 「一緒に動く?」 「ああトシさんの長年の勘が必要や。」 「暇出したくせにか。」 「そうや。」 「ムシのいい話やな。」 「ほうや。ムシのいい話や。」 「断ると言ったら。」 「そんときはこの国が破滅への一歩を踏み出すことになる。」 「はぁ?」 「誇張じゃない。」 明日、金沢駅でテロが計画されている。それは朝戸に依るものだけでなく、ヤドルチェンコとウ・ダバが絡んだ大規模なものになるはずだ。一方それを潰すためにアルミヤプラボスディアというツヴァイスタン系の民間軍事会社が動いている。これは日本を舞台にしたツヴァイスタンの秘密警察オフラーナと軍の代理抗争としての様相を呈してきた。ここで金沢駅テロの首謀者である椎名賢明が警察に出頭。ヤドルチェンコ達をテロ直前に一斉検挙できるよう協力すると言ってきた。現在このテロ対策本部はその協力者椎名を司令塔として機能している。 片倉はこのテロ対策本部の現況をこう古田に説明した。 「オフラーナはウチら公安特課。アルミヤプラボスディアは自衛隊ってふうに線引きして相互不干渉で行くって話やったんやけど、今ほどのほらあれ。」 「アパートに居るはずのそいつらが居らんくなっとったやつか。」 「そう、それ。トシさんがあそこで動かんかったら、いまも自衛隊は空っぽのあそこを監視しとるとこやった。結構な人員を割いてな。」 「そりゃ偶々やわいや。」 「偶々でもいい。トシさんの動きがきっかけになったのは確か。で、自衛隊と公安特課は縦割りじゃなくて連携していこうってなった。」 「どっちが音頭とるんや。」 「基本の動きは今まで通り。お互いのもっとる情報を共有する感じや。ただ実力行使に関してはウチらは専門外。あくまでもウチらはテロを未然に防ぐとか、関係者の一斉検挙に力を注ぐ。」 「いざの時は、自衛隊が出る。」 「そう。そうなったら俺らは解散。ってかその後はどうなるか全く想像ができん。なにせこの国始まって以来の事態になるからな。」 事態はそこまで切迫していたのか。事の次第を把握した古田は諦めた様子で片倉への協力を了承した。 「その椎名はもちろんワシらの範疇で食い止める算段なんやろうな。」 「そうあってほしい。」 「そうあってほしい?」 「ああ。」 「信用がおけんのか。」 「おけるわけないやろ。ついさっきまでテロの指揮を執っとった奴やぞ。普通の感覚ならんなもん重用せん。」 「じゃあなんでそんな輩を。」 「理事官の判断や。」 「百目鬼理事官か。」 「あぁ…でも理事官のお考えも納得できる。ウチらに打てる有力な手はない。ほやから敢えて毒を飲んだ。」 「ワシはその椎名と会うことは出来るんか。」 「できん。椎名は隔離した。隔離された場所からネット経由で俺らとコミュニケーションをとる方法をとっとる。直接あいつと会えるのは理事官と俺、そして岡田。この三名以外にはあいつの身の回りの世話をする人間ひとりや。」 「どうして絞る。」 「アルミヤプラボスディアはオフラーナの企てを潰そうと動いとる。オフラーナの企てはその椎名が全て。あいつを排除するように動くのは自明の理。だから接触ができないよう物理的な壁をつくっとる。」 「なんや気に食わんな。」 「ん?」 「個室でこそこそなんかしとるんじゃないやろうな、その椎名は。」 「充分に考えられる。が、もちろんその部屋にもカメラを設置しとる。勝手なことはできんはず。」 「で、ワシは何を。」 「トシさんにはマルトクのレーダーになってほしい。」 「レーダー?」 「ああ、いまのアパート突入みたいに長年の勘で敵方の情勢を捕捉し、逮捕や。」 「でもテロの直前まで相手を惹きつけるんやろ。」 「いきなり敵方がわあっって出てきてもらっても、こちらとして対応ができん。事前にどういう連中がどういう風に動いとるかをある程度把握しとらんと、準備っちゅうもんがあるやろ。」 「わしひとりでんほんなもんできんわ。」 「強力な協力者を用意した。」 「誰や。」 「仁熊会。」 「神谷か。」 「ああ。仁熊会には朝戸を拉致することとアルミヤプラボスディアへの備えを指示してある。」 「え?」 「確かに自衛隊は不測の事態への備え。しかしこちらも明日のテロまで指くわえて待っとるわけにはいかん。しかるべき時に朝戸は拉致する。んで自衛隊が動く前にアルミヤプラボスディアの妨害をする。」 「それは自衛隊は知っとるんか。」 「知るわけないやろ。」 「そいつはマズいやろ。」 「確かにマズい。でもこれくらいの手を打っておかんと、本当のいざというときに公安特課は無能のそしりを受けることになる。」 「なるほど…椎名賢明を信頼できんが故に打つ極秘の策ってことか。」 「ご明察。」 「わかった。ワシは神谷のところと合流する。」 「いや、トシさんはもう一人の協力者と合流して欲しい。」 「もう一人?誰や。」 「相馬や。」 「相馬…。」 「ああ。相馬にはトシさんと同じような任務を与えとる。トシさんは相馬と共に自分らなりの判断でテロ防止に全てを注いで欲しい。」 「わかった。」 「相馬は俺らとは別で独自に自衛隊との連携を取り始めた。このテロ対は一応こんだけの所帯や。意思決定とか実行の面で多少の時間的ラグが出る可能性が高い。非常の際は現場判断でなんでもやってくれ。」 「思い切った指示やな。」 「何でもかんでも自分で制御できん。これもそれだけ切羽詰まっとると理解してもらえれば。」 「要は好きにやれ、っちゅうことやな。」 「そういうこと。」 ようやく片倉は笑みを浮かべた。 「しかし、トシさん。今んところあんたとこうやって話しとっても認知症的な感じは微塵にもないげんけど。」 「ふっ…。」 「え、なに?」 「片倉。ワシやって自分の様子がおかしいって知っとるんや。」 「え…。」 「んでその症状が出るときもあれば、出んときもあるのもなんとなく分かる。いつも通り記憶を引き出せるときもあれば、それがさっぱりなときもある。それには大体、頭痛が絡んどる。」 「頭痛?」 「ああ。たぶんこいつがその鍋島能力の影響なんやろうな。こんな頭痛、いままで全くなかった。」 「頭痛か…。」 「実はこの認知症のことで気になる事があってな。」 「なんや。」 「天宮憲行おったやろう。」 「おう。」 「あいつワシと会ったときにそれっぽい症状を見せとった。」 「え?それ俺聞いたっけ。」 「ワシもお前に言ったかどうか分からん。この頭やし。」 片倉は苦笑いした。 「冗談は置いておくとして、天宮の記憶から曽我のことがすっぽり消えとったんや。」 「記憶にございません的なアレじゃなくて?」 「ああ、あれは完全に記憶から消えた感じやった。で、これを似たようなもんをワシは立て続けに目撃する。」 「なんや。」 「千種。」 「千種?あれかトシさんの目の前で車に轢かれた医学生。」 「あいつ、自分の名前を忘れとった。」 「自分の名前?」 「おう。あいつの名前は千種賢哉や。それが自分の名前を千種錬やと言うんや。」 「え?なんで?」 「わからん。わからんがやって。とにかくのそのときの千種も天宮同様、何か演技をしとる感じでなくて、完全にそう思い込んどる的な感じやったんや。で、このふたりがワシに同じ問いかけをする。」 「なんやって言んや。」 「あんた認知症の疑いがありますねって。」 「…。」 「ワシからしたらあんたらの方が認知症やろって感じやったんや。そしたら本当にワシは認知症状が出とったってオチ。」 「笑えんな。」 「あぁ笑えん。」 「その話、なんか繋がってそうやな。光定の人体実験と。」 「何が繋がっとるって?」 「いや光定の人体実験がその天宮とか千種にもされとったってこと。」 「人体実験?片倉、お前なに妙なこと言っとれんて。お前頭大丈夫か?」 「え?」 「あ…痛た…。たたた…。」 古田はこめかみの辺りを指で押さえて机の上に突っ伏し出した。 「おい大丈夫かトシさん。」 「あ…。」 「しっかりしろ!トシさん!」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 目を開けると男がこちらの顔をのぞき込んでいるのが分かった。 「マサさんか…。」 「自分の事が分かるようで何よりです。」 身を起こそうとするも頭痛が走ったため、古田はそのまま横になった。 「ゆっくりしとってくださいな。」 「すまん…。」 ポケットの中から鍵をとりだした富樫はそれを机の上にことりと置いた。 「ご返却いたします。」 「…。」 「古田さんとは以後、もう会うことは無いと思ってましたが、また同じように働けるなら自分がこいつを持っている必要は無いでしょう。これは古田さんが持っていてください。」 「しかしマサさん、ワシに万が一のことがあれば…。」 「そのときはそのときです。自分以外にも多くの仲間が居ます。自分以外の人間がちゃんと対応してくれますよ。」 「…。」 「それにここまで来れば自分が生き延びれる保証もありませんから。」 「…そんなにか。」 「ええ。今回ばかりは先が見えません。今までの公安マターとは別種の事件です。」 「そうやな…。」 「しかも自分らの指揮官があの椎名と来ています。」 「ふぅ…マサさんとしては複雑やな。」 「本当に複雑ですよ。こっちは命からがらツヴァイスタンから逃げてきた拉致被害者の仁川征爾を匿っとった立場ですから。もちろん椎名がツヴァイスタンの工作員である可能性を常に考えて接してましたけど、まさか本当にそうやったとは…。」 「誰もが工作員の可能性を想定しとったやろうが、多分本当にそうやと思っとった奴はおらんよ。あんたがそうやったんや。」 「悔しい。」 「ワシも悔しい。」 「しかもあいつの言うとおりにサツは振り回されとる。」 「ああ。でもそれしか方法がいまのところ無いのも事実。」 「だから悔しいんです。」 富樫は椎名の身の回りを洗うために、彼が所持していた携帯電話とパソコンの中身を調べていた。結果、彼が編集していたと思われる動画データとテロの関係者と連絡を取るために使用されたと思われるアプリの痕跡を発見した。動画データはちゃんねるフリーダムで配信予定のもの3部作。アプリの方は復元を試みるも何らかの要因で不可能であった。 「椎名の動画、がっつり入っていましたよ。サブリミナル。」 「ほうか。」 「こいつが仕上げやったんでしょうね。こいつを流して不特定多数のトリガーを引く。すると方々で「ぶっ壊せ」という指示に沿ったなんらかの破壊行動が起こる。」 「あと一歩のところやったってことか。」 「はい。」 古田は天を仰ぐ。 「そこが合点いかんところなんですよ…。」 「と言うと?」 「だって後は仕上げってところまで行っていたんですよ。日本に来て5年か6年、この日のために椎名はワシの目をかいくぐって準備してきたんです。それが直前になって、良心の呵責に耐えかねて出頭です。おかしいでしょう。」 「あからさまに嘘。」 「そうです。どうしてそれに上は乗ったのか。」 「なんらかの意図があるんやろう。」 チッと富樫は舌打ちした。 「仮にテロの首謀者が寝返ったのが、本当の意味でのテロ成功のためのシナリオやったとしても、最後は力業で抑え込めればそれで良いってのもあるんじゃねぇか。」 「力で…ですか。」 「おう。もうここまできたらなりふり構わずいくしかないやろ。なんや民間軍事会社もいっちょ噛みしとるみたいやがいや。」 「ええ。」 古田は身を起こし、ゆっくりと立ち上がった。 「大丈夫ですか。」 「ちょいふらっと来たけど問題なさそうや。」 「頭痛ですか?」 「ああ、なんか認知症状とか頭痛とかや。」 富樫は気の毒そうな顔をする。 それをよそに古田は身支度を始めた。 「マサさん。あんたには言ったと思うが、やっぱりワシ数日後の自分の姿が想像できん。いまでもや。」 「古田さん…。」 「流れを変えないかん。このままやとテンパっとる相手に振り込んでしまうぞ。」 「自分は何を。」 「自分で考えて動くんや。」 「ですね。」 「相手の手をちょん切ってでも自摸らせるのを止める。それくらいせないかんげんろうな。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 04 Nov 2023
- 194 - 174.1 第163話【前編】3-163-1.mp3 「失礼します。」 スライドドア音 「あぁ京子か。」 身支度をする三波の姿があった。 「もういいんですか?」 「まぁ、正直良いか悪いかわかんない。主治医がいなくなっちまったからな。」 京子は返す言葉を失った。 「どこまで知ってる?」 三波の質問の真意を測りかねる京子はただ首を振って応えるだけだった。 「で俺から根掘り葉掘り聞き出してやろうってことでここに?」 「そんなところです。」 彼はため息をつく。 「残念だけど、今回ばかりはお前に話せることはない。」 「どうしてですか。」 「俺らのような民間人がしゃしゃり出るのは控えた方が良い。」 「自粛ですか。」 「まぁそんなところだ。」 「三波さんもそんなことを…。」 「俺も?」 「…はい。」 「なんだその言い方。何と一緒にしてる?」 京子はネットカフェ爆破事件を報じるメディアが、地元石川のメディアに留まっていることを三波に伝えた。 「私が調べたところ、警察からの要請で報道協定を結んだとかじゃないんです。各社が自主的に報道していない。」 「報道各社が自主規制か…。」 「はい。」 「どうせそんなことしてもSNSですぐに広まる。放っておけよ。既存メディアはやっぱりクソって事で、ウチみたいなネットメディアの信用性が高まるだけ。商売的にはいいんじゃん。」 「でもあり得ないと思います。」 身支度を終えた三波はベッドに腰をかけた。 「あり得ない?」 「だってそういう事件をお茶の間に伝えるのが報道の仕事じゃないですか。」 「あの…京子…事件報道だけじゃないだろ。報道ってのは。何のために政治部とか経済部とか国際部とかあると思ってんだ。」 京子は口をつぐんだ。 「大きな組織には大きな組織なりのしきたりがあるの。それに俺らと違うんだよ、発信力も社会的影響も。」 「…。」 京子は面白く無さそうな顔つきだ。 それを横目に三波はやれやれといった風にペットボトルに口を付けた。 片倉京子は明日予定される金沢駅テロのネタは掴んでいない。これは三波が光定公信から直に聞き出した特大のネタだ。 このネタは公安特課である相馬と自分の中だけに止めた話。京子に知られることは絶対許されない。ましてやちゃんフリで報道するのは論外である。 テロの目的のひとつに大衆の不安につけ込んだ不当な要求がある。 大衆が不安になればなるほどテロの実行側にとっては要求を呑ませやすくなる。現在、全国各地でテロのような事件が発生している。ここに追い打ちをかけるように今回のネットカフェ爆破事件報道がなされたとしよう。その結果は言うまでも無い。大衆の不安を煽ることとなろう。 不安は不安を呼び込む。また同じようなことが起きる。今度はもっと重大な被害をもたらすと大衆が思い込んだら最後、恐慌状態となり制御が効かなくなる。これは治安当局が最も恐れるものだ。 そのため報道協定を結ぶというのは妥当な措置であると三波は思っていた。しかし京子調べによると、それはなされていないとのことだった。 ー報道協定を結んだとなると、どういった事件報道に協定を結んだのか、その対象くらいは身内にバレる。今次テロ事件に関してはそれすらも身内に漏らすことは許されない。だから自主規制の体をとってるだけだよ。 三波自身が報道協定を結んでいる。そんなこと目の前の京子には口が裂けても言えるはずがない。 「きっとなにか理由があるんだよ。」 「わたしはその理由を知りたいんです。」 「なんで。ただのビジネスチャンスでしょ。俺らネットメディアにとってさ。再生数稼ぐチャンスだよ。」 「もう再生数なんかどうでもいい。」 「え?どした?」 「私の特集、ボツになったんで。」 「ええっ?」 デスクの黒田に理由もなく特集をボツにされたことを京子は彼に説明した。 「このサブリミナルのことに関しては俺の方から黒田にチクっとくから心配ない。あんたは小早川を洗ってくれ。」79 ーなるほど…京子の特集にもアレ仕込まれてたか…。 「で、することなくなってキー局の様子がおかしいからそれ探ろうと?」 「はい。」 「やめとけ。」 「嫌です。」 「いまから何をどう調べるって言うんだよ。」 「それが分からないから三波さんのところに来たんです。」 「だから俺から君にアドバイスできることなんてないって言ってるだろ。」 「本当のところ何があったんですか。三波さん。」 「…。」 「デスクも誰も三波さんのこと教えてくれないんです。」 「…でも君はここに居るじゃないの。」 「それだけは教えてくれました。で、そろそろ退院する頃だろうから迎えに行ったらどうだって。」 「…。」 「あーあ、なんか立て続けに悪いことばっかり。特集は急にボツになるし、三波さんに何があったか誰も教えてくれないし、安井さんは急に会社で見なくなるし、デスクにお前なんか辞めちまえって言われるし、せっかく発掘した外注先も今後使うなって言われるし、何これ。」 「ひでぇな、確かに。」 「なにかひとつでも何があったのかくらいわかんないと、納得いきませんよ。」 三波は頷いた。 「三波さんの身に何があったんですか。」 「頭痛だよ。それを当直の先生が診てくれた。そしたらその先生が殺された。」 「光定公信先生ですね。」 「ああ。」 「三波さんを診たときの先生に何か変わったところは。」 「ないよ。ってか初めて会ってなんか変だなって思わせる人ってよっぽど変な人だぜ。」 「まぁ。」 「殺される直前の人と会って話した。俺の周りであったことはこれだけさ。デスクのことだ。そのことに俺がショック受けてるだろうからって配慮して、俺に関する情報を遮断したんだろ。」 京子はつまらなさそうな顔をした。 その彼女の反応をよそに三波は窓の外を見る。 「小降りになってきたかな…。」 「これからどうされるんですか。」 「今日はこのまま家に帰る。おととい東京出張から帰ってきて、昨日この病院に救急搬送。で、今日退院。少しは家でゆっくりさせてもらわないと死んでしまうわ。」 「私送っていきますよ。」 「え?いいの?」 「もちろんじゃないですか。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 雨が止めどなく降り続ける状況では周囲の様子も分かりにくい。しかし10分ほど前からそれは小康状態となり、視界も良くなっていた。 ここに来るまでに至るところで冠水していた。明らかに床下浸水しているような地域もあった。 京子の運転する車は別院通りの有料駐車場に止まった。 「大丈夫かよ。結構、店閉まってるぞ。」 「こんな時に電話してやってますかって聞くのも野暮だと思いません?」 「まぁ。」 「とりあえず行ってみて考えましょうよ。」 車から降りた二人は別院通りを歩く。この通りは幸い冠水状態というわけではなかった。しかしそこかしこに土嚢が積まれていた。 「雨は弱まるみたいですけど、明日ヤバめな予報出てますね。」 スマホを見ながら京子はこう言った。 「ヤバめって?」 「明日の午後から大雨の予報です。」 三波も自身の携帯を見た。確かに明日の16時くらいから大雨予報だ。 金沢駅でのテロ予定は明日。さっきまで降っていたような雨が明日も降るとなると、テロは決行されるのだろうか。 三波は淡い期待を抱いた。 「あ、電気ついてる。」 こう言って彼女は足を速めた。 三波は携帯から再び視線を前方に移す。そこにはボストークと書かれた看板があった。 ドアを開ける音 「こんばんわー。」 しばらくして奥の方からマスターが顔を出した。 「外にcloseってあったんですが、今日はお休みですか。」 「あぁ臨時休業にしました。こんな天気ですから。」 「雨、弱まりましたよ。」 「え?」 マスターは外に出た。先ほどまで外を白ませていたものが梅雨時に霧のように降る雨に変わっていた。 「収まったんだ…。」 「ええ。一時はどうなることかと思いました。」 「でも、バイトみんな帰してしまったから今日は閉めます。ごめんなさい。」 こう言って改めてたった今来店した二人を見て、マスターは誰と話しているか気がついた。 ー仁川少佐と接触していた女…。 「ワンチャン行けるかなって思って来たんですが、やっぱり駄目でしたか。」 また来ますと言って側を後にしようとしたとき、マスターに呼び止められた。 「ワンオペで良ければどうぞ。」Sat, 21 Oct 2023
- 193 - 174.2 第163話【後編】3-163-2.mp3 「あり合わせで用意しました。」 そう言って出されたのはハンバーガーだった。 「自分、奥にいますのでごゆっくり。」 マスターが奥に引っ込んだを見届けてふたりはそれを頬張った。 「うまい。」 京子も三波もその確かな味に唸る。 「このボストークって最近映えるとかで有名な店だろ。」 「はい。」 「この手の雰囲気重視の店って、どっちかっていうと味は微妙ってのが多いけど、ここは違うね。」 「そうでしょ。しっかりおいしいんです。」 「ランチですとかいってワンプレートのもん出されても、え?こんだけで1,000円するのって量の店もあるじゃん。でもほらこのハンバーガー、普通に大きいんだけど。」 「まかないっていうのもあるかもしれませんよ。」 「あ、そうか。」 「ってか肉がおいしいですよ。これ。よくみたら網で焼いてる。」 「本当だ。くそー…しっかしなんか悔しいな。」 「何がですか?」 「なんか女子とかカップルとかでキャッキャ言って映えばっかり気にされる店にされてんじゃん。」 「なんですか三波さん。私のことそのキャッキャしてる女子って言ってんですか。」 「いやそうじゃなくて。もっと俺らみたいなおじさんにも利用しやすい感じにしてくれって言ってるだけだよ。」 「そんなの構わずガンガン利用すれば良いじゃないですか。」 「出来るわけ無いだろ。」 「えーでもいろんな人が利用して、その店の雰囲気って良くなっていくと思いますよ。」 「なにそれ。」 「ほら私もよくわかんないですけど、ヨーロッパの方の老舗カフェとかBarっておじさんもおばさんも、あんちゃんねぇちゃんもいろんな人が利用してるイメージあるじゃないですか。そういったところって著名作家とか芸術家が足繁く利用していたりして、店としての格式が高いでしょ。」 「おう。」 「この店もそうなれば面白いと思うな。」 「そのためには俺みたいなおっさんが人柱となって積極的に利用するのも必要、ってか。」 「三波さんみたいな人だけだと困りますが…。」 彼は苦笑いした。 「いやぁ美味かった。」 ハンバーガーを平らげた三波は出されていたコーヒーに口を付けた。 「相馬と来たことあんのか。ここ。」 京子は首を振る。 「あいつ東京で何やってんのさ、実際のところ。」 「バイトって聞いています。」 「それは俺も聞いたことあるけど本当にそうなのか?海外留学して、現地バイトで食いつなぐってのは分かるけど、日本に帰ってきてバイトって…。あれか何か目指すものがあんのかな。」 「多分嘘ですよバイトって。」 「へ?」 「言えないことあるんでしょ。だからそこのところは私、敢えて聞かないようにしてるんです。」 「あ…そうだったんだ…。」 「こういうの私、慣れていますから。」 「慣れてるって?」 「私の父です。」 「あ、あぁ…。」 「父も絶対に嘘だってことを家族に言ってました。多分、父自身も家族が分かっていることを知っていたでしょう。父は家族をだまし公安としての任務に身を投じる。私や母は父が公安なんて知る由もない。父から見て善良な妻と娘。三人が三人、同じ舞台の上で役割を演じていた。」 「ってことは相馬も…と。」 「全く同じ仕事をしてるか分かりません。でも父も周もどちらも東京です。」 ーそうだよな。公安の親父がいて、同じニオイを感じないわけがない…。 「つらいか。」 「いえ。なんとも思っていません。」 即答だった。 「でも。」 「でも?」 「危険がありますから、そこだけが心配です。」 「それは京子、君もそうだよ。」 こくりと頷いた京子の頬から一筋のものが流れるのが見えた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「父も絶対に嘘だってことを家族に言ってました。多分、父自身も家族が分かっていることを知っていたでしょう。父は家族をだまし公安としての任務に身を投じる。私や母は父が公安なんて知る由もない。父から見て善良な妻と娘。三人が三人、同じ舞台の上で役割を演じていた。」163 イヤホンを付けたマスターは手で顔を覆った。 「…。」 「ってことは相馬も…と。」 「全く同じ仕事をしてるか分かりません。でも父も周もどちらも東京です。」163 「親父も彼氏も公安か…。それを分かった上で少佐はこの京子という女と接触を図っていたのか…。」 電話呼び出し音 「どうした。」 「いかかでしたか。ベネシュ隊長への弁明は。」 「なぜ君がそれを気にする。」 「あ、いえ…。」 「…問題ない。ご理解いただいた。」 「あ…それはよかった…。」 「それだけか。」 「いえ。」 「今度は何だ。」 マスターは3秒ほど黙った。 「マスター?」 「あ、いや…。」 「何もなければ切るぞ。」 「明日は店を閉めようと思います。」 「なに?」 「不測の事態に備えて、自分も動けるようにしておいた方が良いかと。」 「不測の事態とは。」 「雨です。いまは小康状態となりましたが、明日の16時ころから再び大雨の予報です。例の行動に影響を与えかねないタイミングです。」 「確かにそうだな…。」 「場合によってはそのままこの店を引き払えるよう、今日中に痕跡も消そうかと。」 「素晴らしい。さすがは信頼する同志だ。頼む。」 「了解。」 電話を切ったマスターは机の引き出しから一枚の写真を取り出し、それに目を落とした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「京子。」 「はい。」 「だったらこの件についてはもう首を突っ込むな。」 「…。」 「なにかひょっとして相馬や片倉さんの力になれるかもしれない。そう思っての日頃の仕事なんだろ。」 京子は頷くだけだ。 「何か役に立つ情報をそれとなく公安に提供できないかって気持ちで、今回の特集だろ。どこかの誰かがテロの予行演習としてあんなことやってんじゃないかって。だから気をつけろって公安にも市民に言ってるんだろ。」 「はい…。」 「んなもん気づいていない訳ないじゃないの。デスクも気づいてるよ。」 うんうんと頷く京子の涙は止まらない。 「全部ひっくるめて特集は止めた方が良いって判断のはずさ。デスクは。」 それは薄々分かっている、分かっている故に自分が出来ることのちっぽけさに打ちのめされ、かえって反発してしまうのだ。そう京子は三波に心境を吐露した。 「あぁちっぽけさ。人間ひとりができることなんて。でもそんなちっぽけな人間ができることがある。」 「なんですかそれは。」 「演じることさ。」 「…。」 「そんな大人の事情は知ってますが、知りません。私はただの善良な一市民です。こう演じることくらいは出来るだろ。」 「いつもの私ですね。」 「今の君にはそう振る舞われることが、多分彼らにとって一番ありがたいことなんじゃないかな。」 「三波さんもやっぱり何か知ってるんですね。」 彼は静かに頷いた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 21 Oct 2023
- 192 - 173.2 第162話【後編】3-162-2.mp3 「なに?突入した!?」 朝戸班からの報告を受けた岡田は大きな声を出した。 普段大きな声を出さない彼がこのような反応を見せるのは珍しい。テロ対策本部の中のスタッフが一斉に彼を見た。 古田が朝戸が泊まる宿近くのアパート部屋を何件か当たったところ、屈強な男らがそこに合流。突如としてその中の一室に踏み込んだとの報告だった。 「それってまさかトシさんが?」 「いいえ。どうもそうじゃないようです。古田さんはその場に越し抜かすように座り込んでしまってました。」 岡田は片倉を見ると彼はそれにうなずいて応えた。 「トシさんは。」 「なんかぼーっとしてます。」 「保護しろ。」 「え?」 「保護してここまで連れてこい。事情を聞く。」 「わかりました。」 「朝戸は引き続き監視するんだ。」 「了解。」 電話を切った岡田が頭を振るのを見て、片倉は口を開いた。 「自衛隊か。」 「おそらく。」 「ってことはアルミヤプラボスディアがそこに。」 岡田は二度うなずいた。 「とうとう動いたか。」 「テロを明日に控え、いつ動いてもおかしくありませんから。」 百目鬼が険しい顔をした二人の元に戻ってきた。 「いま報告が入った。トシさん自衛隊と接触したらしい。」 「お耳が早いようで。」 「なんだお前らも知っていたのか。」 「こちらもいまその連絡が入ったところです。」 「ったく…何やってんだあの人。」 「わかりません。一旦保護してこちらまで連れてくよう現場に指示を出しました。」 「ああそうしてくれ。」 「自衛隊からクレームですか。」 「いや。クレームじゃない。」 「じゃあなんて?」 百目鬼はチラリと椎名の方を見る。目が合った。 三人だけで話がしたいと言って百目鬼は片倉と岡田を連れて別室に入った。 「自衛隊から連携を打診してきた。」 「連携…ですか?」 「ああ。」 「あっちはあっち、こっちはこっちって完全縦割りで行こうって話だったんじゃなかったですか。」 「そうだ。そのため三好を連絡役として先方に張り付かせた。」 「ですよね。」 「いいか。これから話すことはほかの誰にも漏らすな。俺ら三人だけの秘密にするんだ。」 片倉と岡田は頷いて応えた。 「結論から言うぞ。突入は失敗だった。」 「え!?」 「すでにもぬけの殻。どの部屋もだ。」 片倉と岡田はお互いの顔を見合った。 「自衛隊は以前から今回のアパートを独自でマークしていた。アルミヤプラボスディアが潜伏している可能性があるとしてな。」 「そうだったんですか。」 「その対象にトシさんが手当たり次第にアクション起こしたもんだから、あいつらが動いたってわけだ。」 「んで動いてみたら中は空っぽやった…ですか。」 「そうだ。つまり自衛隊は気づけなかった。あいつらが行方をくらましていることに。」 「でも常時監視やったんでしょう。」 百目鬼は頷く。 「ほんならどうやって…。」 「アパートの一室から立坑が見つかった。」 「立坑?」 「いまそこを調べているらしいが、おそらくそこが外への脱出路だろう。」 「理事官…それ…。」 片倉がなんとも言えない嫌な顔をした。 岡田のほうは手で顔を覆う。 「聞き覚えあるだろう。これ。」 この百目鬼の問いかけに二人は頷いた。 「そうだ。三好さんが下間悠里を見失ったっていう能登のアレだよ。」 片倉も岡田もやっぱりと言う。 「今回のアパートの件はトシさんが動かなかったら今もそこにアルミヤプラボスディアが居るもんだとして動かなかった。トシさんがどういった情報を得てそういうアクションをとったのか分からんが、自衛隊にとってはトシさんの動きはナイスプレーだったわけだ。」 「で、やっぱり協力して臨もうと。」 「そういうことだ。立坑の件も三好さんが以前関わって情報を持っている。やはりここは連携したほうが良いという結論になった。」」 「しかし図体がでかくなりすぎませんか。公安特課と自衛隊ですよ。あいつらの指揮系統はウチらの比にならん程ややっこしい。」 「その通り。だから現場サイドでの連携を密にするって形でいく。」 「現場サイドとは?」 「自衛隊情報部と公安特課の合同テロ対策本部だ。」 「自衛隊情報部?」 「ああ。すでに上層部で話はつけた。俺はこれから現在の捜査状況の説明に駐屯地まで行ってくる。」 「公安特課の捜査方針は今のままで良いんですか。」 「いい。変更が出たらお前に連絡を入れる。椎名の管理を頼む。」 「椎名にはこのことは?」 これには百目鬼は首を降る。 「絶対に言うな。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「自衛隊がアパートに突入したことについて何かありましたか。」 戻ってきた片倉と岡田に椎名は尋ねた。 「何もないわけないやろう。上から大目玉や。」 「大目玉?」 「自衛隊とウチは相互不干渉。この原則を破ってウチの人間が干渉した。お前らの管理は一体どうなとるんやってすげえ剣幕で叱られた。」 「百目鬼さんは。」 「別の場所で再度お叱りちお詫び。」 「なんか公安特課もそうですが、日本の会社ってお詫びばっかりしてますよね。」 「ほうや。うまくお詫びが出来る人間が出世できる。」 「片倉さんはお詫びができるひとなんですね。」 「少なくとも、この岡田よりはな。」 片倉は岡田の方をぽんと叩いた。 叩かれた方の彼は憮然とした表情を見せた。 「その古田って人はこちらの方に来るんですか。」 「ああ。」 「で、お詫びを。」 「絶対んなことせん。」 「詫びない?」 片倉と岡田は頷く。 「どうして?」 「んなことで詫びるような人じゃない。」 「それって組織の人間としてどうなんですか。」 「甘いか。」 椎名は頷く。 「お前の組織やったらどうなる?」 「組織の命令は絶対です。命令を無視したものはその場で処分です。」 「その場で処分…物騒やね。」 「なので普通は逆らうなんて変な気は起こしません。」 「だがお前さんは逆らった。」 「はい。」 片倉と椎名。二人の間に沈黙が流れた。この沈黙は何を意味するものなのか。 二人とも表情一つ変えずにお互いを見つめている。 この沈黙を破ったのは椎名だった。 「アルミヤプラボスディアが姿を消したんだったら、その行方を追うのは無駄です。」 「え?」 「ベネシュです。相手は。トゥマンですよ。」 「そんなになんか、精鋭部隊って。」 「はい。トゥマンとは霧のことです。部隊の出現、消失がまさに霧にようで予測不能なところから名前が付けられました。もちろん元はクラウゼヴィッツの言葉、戦場の霧からくるものです。トゥマンはまさにその不確定なことを作り出すプロフェッショナルです。」 「マジで無駄か。」 「はい無駄です。」 きっぱりと言い切る椎名を見て、片倉は話の方向性を変えた。 「じゃあどうすればトゥマンの悪さを抑え込める。」 「相手は民間軍事会社。警察では役不足です。」 「ほやから自衛隊が対応しとるんや。」 「自衛隊の実力は実際のところどうなんですか。」 「それは分からん。俺らは警察やから。ただこの日本において実力組織ってのは自衛隊しかない。」 「だったら公安特課は自衛隊と連携しましょう。相互不干渉なんて言わずに。でオフラーナとも結ぶ。これでトゥマンを封じ込める。」 いましがた決定された自衛隊と公安特課の連携を、椎名は既に考えていたことを知り、片倉は恐懼した。 「で、どうやってトゥマンを抑え込むんだ。行方を知ることはできなんだろう。」 岡田が片倉の代わりに椎名に尋ねる。 「行方知れずですが、いつごろどういった行動を起こすかは予想できます。なのでそれに備えることで抑え込める可能性が高まります。」 「それは?」 「トゥマンの出現は、オフラーナつまり私の日本における工作妨害が目的です。その為に私を含めたテロ実行班の殲滅を狙っていると私は言いました。」 岡田は頷く。 「アパートにトゥマンが複数人居たんですよね。」 「そのようだ。」 「その全員が姿を消した。ということは部隊ごとどこかに移動したということになる。この段階で散り散りに潜伏していることは考えにくい。なにせテロが予定されているのは明日です。時間がありません。おそらくどこかに集結していることでしょう。」 「集結?どこに?」 「それはわかりません。なので迎撃しませんか。」 「迎撃?」 「はい。」 「どういうことだ。」 「トゥマンは強い。正面衝突すれば被害は甚大です。だから奴等を必勝の地に引き込みます。」 「必勝の地?」 「はい。」 椎名は壁に貼られた地図を指した。 「金沢駅?」 「はい。」 「金沢駅は朝戸らが。」 「朝戸らを無事実行までエスコートできれば、トゥマンはそこで動く。なぜなら彼らの目標はオフラーナの顔を潰すことだから。」 「トゥマンが朝戸やヤドルチェンコを制圧すると?」 椎名は頷く。 「そうせざるを得ない状況を作れば良い。」 「どうやって。」 「テロの首謀者はこの私です。必ず奴らは私を消しに来ます。なのでこれを逆手にとりましょう。私を個室に隔離してください。そして私に接触できる人間を絞ってください。こうすることで私の殺害というミッションに物理的な障壁つくりましょう。」 「しかしあなたは本部の司令塔です。あなたが隔離されては本部の機能が崩れてしまいます。」 「ネットを使えばどうとでもできます。」 岡田は片倉を見る。 片倉はいいだろう。直ぐに部屋と環境を手配せよと岡田に命じた。 「なるほど椎名、お前を使った陽動か。」 「そうです。私に手を取られることで戦力を分散させます。そしてついでにモグラをあぶり出す。」 「モグラをあぶり出すとは?」 「私に接触を試みようとするはずです。トゥマンの実行者が。そこを抑えましょう。」 「わかった。やってみよう。」 「自衛隊との連携は?」 「やってみる。」 「できますか。」 「やってみんとわからんやろうが。」 「その通りです。」 片倉は椎名に背を向け早速調整をするといって部屋を後にした。 このとき彼の眉間に深い皺が刻み込まれていたのを気づいたものはいなかった。Sat, 07 Oct 2023
- 191 - 173.1 第162話【前編】3-162-1.mp3 「もぬけの殻…だと…。」 「はい。」 赤石は頭を抱えた。 「監視していたんだろう。」 「はい。常時監視していました。」 「どうしてこんなことが起きる。」 「アパートの一階の床下に立坑発見。」 「立坑…。」 「現在、中を捜索中です。」 「十分に注意されたい。」 「了解。」 電話を切った赤石は歯ぎしりした。 「アルミヤプラボスディアの手がかりが消えた…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「陽動成功。」 「よくやった。」 「引き続き地点デルタにて待機する。」 「ではこちらも合流する。」 「了解。」 短いやりとりをしてベネシュは携帯電話を机の上にそっと置いた。 そして備え付けの電話でフロントに連絡を取る。 「いかがしましたか。」 「ちょっと飲み物をこぼしてしまってね。なにか拭くものが欲しい。」 「かしこまりました。」 間もなく男が部屋にやってきた。 「そろそろ俺もここを出る。」 「外に見張りらしき人間がいます。」 「何名だ。」 「二名です。」 ベネシュは苦笑した。 「舐められたもんだな。」 「はい。」 「引きつけておいてくれ。」 男は頷いた。 「しかしこの雨、なんとかならんものか。」 「この近くに浅野川という川があります。そこがひょっとすると氾濫するかもしれないとニュースになっています。」 「氾濫?」 「ええ。なので移動にはご注意を。」 そのときである。ベネシュの携帯が鳴った。 「どうした矢高。」 「隊長。申し訳ございません。例のブツはウ・ダバへ流しました。」 「は…?」 「この雨のため、改造場所のボストークに浸水の恐れあり、ウ・ダバが武器を早めに回収に来ました。その際ブツの存在を隠しきれず、そのまま奴らに流しました。誠に申し訳ございません。」 「なん…だと…。」 「申し訳ございません!」 「なぜ俺に相談しなかった。」 「時間がありませんでした。」 「お前、あのドローンがなぜ俺らに必要だったか分かっているよな。」 「はい。」 「言ってみろ。」 「御社の社員の犠牲を最低限に抑えるためです…。」 「どうして犠牲を抑えなければならんか分かっているよな。」 「人手不足のためです。御社は慢性的に人手が不足しています。人的資源の損失を最小限にせよと本社からの通達です。」 「分かっているならどうしてそんな勝手なことを自分で決めた!」 「隊長!自分は悔しいんです!」 「何言ってんだお前。」 「悔しい!アルミヤプラボスディアには実力がある!他を圧倒する力がある!それなのにどうしてこんなラジコンみたいなものを使ってコソコソ戦わねばならんのですか!」 「我々が最強の部隊であることはわかりきったこと。我々はアルミヤプラボスディアの精鋭部隊トゥマンだ。精鋭が損耗することになれば我が社に大きな損害をもたらすことになる。その損失を最小に止めるために本作戦にドローンを投入したんだろう。そもそもこの作戦はドローンありきで立ててるんだ。」 「おっしゃるとおりでございます。」 「矢高。お前のやったことはその前提をひっくり返すことなんだぞ!」 「はい!」 「ウ・ダバのテロに乗っかる形で我々がドローンで自爆テロ。この日本では考えもつかないテロ行為だ。これは日本国民に大きなショックを与えるだろう。しかしそれはあくまでも見た目の話。一見派手だが人的被害は最小に止める。それはトゥマンという精鋭部隊による作戦だからだ。我々がドローンを操縦するから被害は最小限に食い止めることが出来る。」 「まさに。」 「それがあいつらの手に渡っただと…。あれをウ・ダバなんて素人が使うなら、ノウハウもクソもあったもんじゃない。思いつくままあいつら突っ込ませるぞ。被害はとんでもないことになる。」 「それが私の目論見でございます。」 「お前の目論見?」 「はい。ウ・ダバはドローンを利用した無差別殺傷テロを当初の計画通り、金沢駅で行うことでしょう。民間人の人的被害は甚大なものになります。それがための日本人の憎しみはかつて無いほどのものになります。」 「だから民間人の人的被害は最小限に止めよとの本社からの指令だろうが。」 「果たしてそんな気遣い、必要でしょうか。」 「…なに?」 「私は御社がどうも日本人を誤解しているように思うのです。日本人は弱くはありません。強い。そしてしたたかだ。中途半端な攻勢はかえって彼らの力を強くする。日露戦争をご覧ください。旅順、日本海海戦、奉天会戦を経て日本はなんとかロシアから勝利を勝ち取った。しかしそのとき既に弾薬は枯渇。もしもそのまま戦が続くようだったら、物量戦となり日本はロシアに敗北していたことでしょう。彼らは外交や諜報の力も駆使してなんとか勝利をもぎ取った。ありとあらゆる手を使って勝利を勝ち取ったのです。当時の帝政ロシアは中途半端に日本を相手しました。そのため手痛い打撃をうけ、その後のロシア革命へと進みます。しかし大東亜戦争ではその逆を日本はアメリカにやられた。しかも総力戦というかたちで徹底的にたたきのめされた。おそらくアメリカは分かっていたのです。相手方の総力を潰す総力戦を仕掛けるくらいでないと日本人は潰せないと。その後のこの国を見てください。鬼畜米英と絶叫していたこの国の国民は気がついたら二言目にはアメリカでは、米国ではと出羽守です。」 この矢高の論説にベネシュは反論できなかった。 「日本人を自分の意に沿う生き物に変えるには総力戦を仕掛けるしかありません。わたしはこの事実を見逃していました。おそらく御社の本社もそれを見落としています。本作戦でアルミヤプラボスディアの日本における一定の影響力を獲得しようとするなら、彼らにそれなりのお灸を据える必要があると判断します。」 「そのお灸が凄惨なテロと。」 「いかにも。国際テロ組織ウ・ダバをアルミヤプラボスディアのトゥマンが音もなく現れて制圧。そして音もなく消える。ウ・ダバは国際テロ組織ですから、彼らが壊滅されるのは国際的にウェルカムです。かつアルミヤプラボスディアは日本人にとっては仇を討ってくれた恩人。決して悪い感情は抱きません。」 「それを指をくわえて見ているしかなかった自衛隊、そして治安組織の警察。これは日本国民からやり玉に挙げられて信用失墜。」 「結局、日米安保もただの飾りと日米関係を分断せしめることも可能かと。」 「少々話を盛っているようにも感じるが。」 「それくらいの展望が抱けないと、遂行する意味を見いだせません。作戦というものは。」 ベネシュは頷いて矢高の案を採用した。 「そうなればツヴァイスタン本国の国際的プレゼンスは高まるな。」 「はい。そして人民軍としてはオフラーナの力を削ぐこともできます。」 「鍋島能力はどうするんだ。」 「このまま消し去りましょう。研究者は全て抹殺しました。たしかにあれは実用化できれば誠に都合の良いものです。しかし現状は人民軍とオフラーナの火種でしかありません。」 「確かに。」 「こちらに関してはその方向で仁川少佐が本国に調整を図っていることと思います。」 あい分かったとベネシュは返事をした。 「アルミヤプラボスディアのトゥマンは世界中のPMCの中でも精鋭中の精鋭。遡ればベトナム戦争、レバノン内戦、アンゴラ内戦、 アフガニスタン紛争での活躍を業界で知らないものはいません。音もなく現れ作戦を成功させ、また音もなく消える。その秘匿性の高さから誰も実態を把握できない。それ故トゥマン(霧)の異名がついた。いよいよ明日、わたしはそのトゥマンの作戦をこの目で見ることが出来ます。」 「時代に合わせて近代化を施した作戦にするつもりだったんだがな。」 「今回のドローンの不手際は全て私の責任です。当初計画を私の不手際で変更せざるを得ない状況になりました。しかもあろうことか敵方のウ・ダバに渡すという不始末です。この責任は本作戦終了時にとらせていただきます。」 「それはもういい。」 「…は?」 「良いデモンストレーションになるだろう。我々の本来の力を見せつけるのも。」 「良いデモンストレーション?」 「ああ未来の顧客にだよ。」 「さすが【民間の】軍事会社。恐れ入ります。」 「最新テクノロジーに疎い連中はまだまだ居る。彼らには伝統的なプレゼンの方がぐっとくるもんさ。」 「仁川少佐との調整、頼んだぞ。」 「ははっ!」 「俺はホテルを出て拠点に移動する。連絡手段はおって知らせる。」 「かしこまりました。」Sat, 07 Oct 2023
- 190 - 172.2 第161話【後編】3-161-2.mp3 「国土交通省と気象台によりますとこの大雨で石川県の金沢市を流れる浅野川は芝原橋観測所と天神橋観測所で「氾濫危険水位」に達しました。国と気象台は洪水の危険性が非常に高まっているとして「氾濫危険情報」を出して厳重に警戒するよう呼びかけています。自治体の避難情報を確認するとともに浸水のおそれのない場所に移動するなど、安全を確保するようにしてください。」 宿を追い出された古田は避難所である近くの小学校にいた。 避難所にあるラジオから、現在の大雨の状況が古田の耳に入ってきていた。 「代わりの宿は?」 「一応抑えれたんですが、この雨ですから。」 「タクシー呼ぼうか。自分の知っとるタクシー会社なら来てくれると思うよ。」 「あ、えぇ。いや、一応仕事の関係の人が迎えに来てくれるって事になりまして。なんでしばらくだけここに居ても良いですか。」 「しばらくって?」 「迎えに来るまで。」 「ラジオでも言っとるように浅野川の上流で氾濫危険水域やって言っとるし、すぐにここの辺りもそうなる。雨が弱まれば少しは安心なんやけど…。」 「スマホで雨雲レーダー見たら、あと20分ほどで雨脚は弱まるみたいですよ。」 「雨が弱まってもすぐに水が退くわけじゃないからね。危険には変わりないよ。用心に越したことはない。」 「確かに。」 それにしてもと古田はこの避難所にいる人間が少ないのではないかと指摘した。 これに対応の男は首を振る。 「この辺りは高齢者が多くて、まぁ動きが遅いンやわ。一応消防団とか町内の人間が声かけしとるんやけど、まぁゆっくりしとる。しゃあない。それにしても集まり悪いなぁ…。」 一応年に一度は災害対応の訓練を地域で行っている、その際はまぁまぁのできだった。しかしいざ本番となるとこうも動きが鈍いものか。彼は嘆息を漏らす。 「それはそれとして、ほらこの辺りって意外と外人さん多いでしょう。」 「あぁ観光の。」 「いや、それもそうなんですが、白人の男の人らあのアパートにたくさん滞在しとるんでしょ。」 古田は外を指さす。 「あんたよその人なんに、ようほんなこと知っとるね。」 ここに来たとき、近所の女性にいろいろ教えてもらったと古田は彼に説明した。 「一応呼びかけに行ったんやわ、消防団が。ほしたら分かったって言ってそのまんま。気にはなっとれんて…。」 しかし相手は外国人。外語を話せる人員はここには居ないと彼は言う。 「自分行ってきますか?」 「え?」 英語を話せるのかと尋ねられ、古田は話せないがなんとかなると言った。 「スマホですよスマホ。こいつ使えばなんとかなります。」 人は見かけによらない。相手によっては失礼に受け止められる言葉を彼は口にしハッとした。 古田は意に介さない様子でアパートの方面に向かった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー あのアパートには管理人はいない。全部の部屋に外人が住んでいるから適当な部屋を当たれば良い。 そう聞いた古田は一階のある部屋のインターホンを押した。 雨音に インターホンの音 返事がない。 何度か同じ事を試みるも同じ反応だ。 留守なのかと思い、他の部屋を当たる。 インターホンの音 「ここも?」 再度インターホンの音 返事がない。 隣の部屋に移動した古田はそこでも同じ事を試みた。 しかし反応は同じだった。 「おかしいな…。」 こう呟いたときのことだった。彼は後ろから肩を叩かれた。 びっくりして振り返るとそこには髪を短く刈り込んだスポーツウェアの男が立っていた。リュックサックを担いでいる。 見た限り日本人だ。ここの住人では無さそうだった。 「あんたここで何やってんだ。」 「ひょっとして消防団の方ですか?」 男は首を振る。 「じゃあ。」 「こっちが聞いてる。手当たり次第ピンポン鳴らしてるみたいだけど、あんた何やってんの。」 「いや、この大雨ですから避難した方が良いって呼びかけようと思って…。でも何反応もないんです。」 「え?」 男の顔色が変わった。 そして自分も手伝いますと言って、彼は二階の方に駆け上がり部屋を当たる。 しばらくして古田の元にやってきて首を振った。 「全部居ない…。」 「全部居ない?」 ここで古田は気がついた。かれの右耳にイヤホンのようなものが装着されている。 「サツか。」 彼はハッとして古田を見る。 「おまえサツなんか。」 彼は目を逸らす。 「なんやわれ、ワシのこと付けとるんか。面倒なことするんじゃねぇって暇出したくせになんか監視しとるんか。誰の差し金や言ってみぃや。」 急に酷い言葉遣いで食ってかかる古田を彼はぽかんとした表情で見た。 「おい言わんかワレ。」 「勘違いです。」 「はぁ?んなイヤホンなんか着けとって、サツじゃねぇとかほざくなや。」 「警察とウチは相互不干渉です。」 「は?」 「はい。」 「ウチ?」 「はい。」 「ウチ…って…。」 「自衛隊です。」 「自衛隊?」 すると彼は装着していたイヤホンを指で押さえた。しばらく何かを聞いているようだった。そして了解と言って担いでいたリュックからごそごそと何かを取り出した。 「え?了解って?」 古田が彼の様子に戸惑いを見せているうちに、彼はリュックからハリガンバーを取り出して扉の隙間に強引にねじ込んだ。 するとどこからともなく別の男が登場。そのバー向かって大型のハンマーでたたきつける。 扉の隙間にぐっと入り込んだハリガンバー。それを男はてこの原理で引っ張る。するといとも簡単にそれは開かれた。 と同時にいつの間にか数名の男がそこに居て、彼らは小銃を抱えて流れるように中に突入した。 この間、ものの数分の話。古田は唖然としてその場に立ち尽くしていた。 「オールクリア!」 この声が部屋の中から聞こえたかと思うと、先ほどのジャージ姿の彼がやってきた。 「もぬけの殻でした。」 彼はイヤホンを抑えて誰かに報告を入れている。 「了解。撤収します。」 彼はこの場で合流した複数の男たちと、雨のしぶきの中に消えていった。 「なんじゃあ…こりゃ…。」 あまりの突然のことに古田はその場で腰を抜かしたように座り込んでしまった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 23 Sep 2023
- 189 - 172.1 第161話【前編】3-161-1.mp3 卯辰一郎の朝戸調査報告は第一報からちょうど6時間後の16時に行われた。 第一報で明らかになった人物、朝戸の妹殺害のもみ消しを図った疑いのある白銀篤についてである。 「ある日忽然と姿を消した?」 「はい。家族全員失踪。奴が済んでいた家は荒れ放題です。白銀の自宅の周辺住民曰く、近所付き合いがほとんど無い家庭だったようです。なので気がついたら家の草が生えっぱなしになって荒れていたと。」 「何か手がかりのようなものは。」 神谷の問いかけに卯辰一郎は首を振って応える。 「ヤサに踏み込ませたんですが、ただ散らかっているだけでめぼしい情報は何一つありませんでした。」 「くさいな。」 「はい。プロの仕業かと。」 「まさか朝戸が白銀を始末したとか?」 いやそんなはずなはい。朝戸が白銀を始末すればその復讐心は満たされる。彼のゲームはこれで終わりだ。神谷は自分の発言を即座に撤回しようとした。 「カシラ。実は自分もひょっとしてと思っていまして。その線。」 「え?」 一郎の言葉は神谷にとって意外だった。 「うん?どういうこと?」 「いや、白銀篤って名前は出てくるんでが、朝戸沙希をひき殺したと言われる白銀の息子ってのが、名前も顔写真もなにも出てこないんです。」 「そういやそうだな…。名前も顔写真も見ていない。」 「はい。おかしいと思いませんか。朝戸沙希に直接危害を与えたのは白銀息子です。その人物の情報が得られず、こちらに入ってくるのはオヤジのネタばっかり。そいでそのネタも不完全なものです。匂わすだけ匂わせて、肝心なネタが入ってこない。」 「まさか朝戸が嘘をついていると?」 「可能性は排除できません。」 「ただそうなると朝戸が最上にノビチョクを盛った動機が…。」 自分の顎をさすりながら考えていた神谷の手が止まった。 そして目の前のパソコンにノビチョク事件の記事を表示させた。 「東倉病院か…。」 「カシラはこの東倉病院に最上が入院していたのはご存じだったんですか。」 「いや知らなかった。というか引退した人間とは基本接点はない。」 「というとただのご隠居ですね。」 「そうだ。」 「しかしそんなサツに接点のないただのご隠居を殺害することに正直何の意味があるんでしょうか。奴らにとって。」 「いや、ただ最上は協力者だった可能性はある。」 「協力者…。」 神谷はそうかと言って立ち上がった。 「事件当時、最上と直接会っていた松永理事官は間もなく逮捕拘留された。事件の被疑者として。」 「なるほど…その松永理事官の協力者だったって訳ですか、最上は。」 「しかし誰が誰の協力者かってのは察庁の理事官クラスじゃないと把握していない。」 「となると察庁に朝戸らのモグラが居ると。」 「だろうな。そうでないと説明がつかん。」 携帯バイブ音 神谷の携帯が震えた。 画面に表示される名前を見て神谷は姿勢を正した。 「お疲れさまです。片倉さん。ちょうどこちらからも連絡しようとしていたんです。」 「うん?ヤドルチェンコの件か。」 「それもありますが、まぁ諸々です。」 「手短に頼む。」 神谷は野本経由の古田による朝戸調査依頼について端的に片倉に説明した。 「白銀篤か…。」 「はい。ご存じですか。」 「情報が無いわけじゃあない。」 「どんな情報ですか。」 「ウチにモグラがおってな。そいつが全部仕組んだ存在らしい。その白銀って奴は。」 「仕組んだ存在?」 「話すと長くなるんやけど、まぁサツの中にモグラがおったんや。仮にそいつをKとする。Kは朝戸とコミュで知り合った。Kは朝戸に妹の事故死の件を相談。するとKは朝戸にこいつがホシやって事故車両の写真提供。その運転者は白銀という警察幹部の倅って吹き込まれる。ただ相手は強大。だからKが手を貸してやると持ちかける。」 「何を持ちかけたんですか。」 「復讐の機会を作ってやるってな。」 「なんだって?」 「って言っておきながら、Kは朝戸に相談を持ちかけられたとき既に、その白銀を特定の上殺害していた。そして朝戸の妹の事故を担当する所轄署に、警察幹部である白銀という男が圧力をかけていると噂を流す。所轄署に妹の事故死の捜査依頼を訴え出る朝戸はその噂を耳にする。朝戸は白銀篤という得体の知れない強大な力に復讐心を募らせていく。って感じや。」 「なんて用意周到な。」 「で、いよいよ復讐の機会ですって最上さんにノビチョク盛らせた。」 「…。」 「どうした?」 「片倉さん。その白銀なんですがウチの調べでは、朝戸沙希をひき殺したと思われる白銀息子の名前も顔も出てこないんです。片倉さんのとこにその情報ありますか。」 「えっ…。」 「その反応…。」 「あ…確かに言われてみれば白銀篤って…ホシのオヤジや。ホシ自体の情報が何も無い…。」 「そうなんです。実はウチ、白銀家のヤサも調べたんです。」 「白銀のヤサを?」 「はい。ですが何も手がかり無くってですね。」 「息子のか。」 「はい。息子って言うか何の痕跡もないんです。ただサツの中にモグラが居たとなれば、その用意周到っぷりもうなずける。」 「…。」 「当の白銀息子の情報が全くないもんだから、案外、朝戸がとっととそいつを殺して、適当なことを触れ回ってるんじゃないかとも思ったんです。」 「適当なことを触れ回ってる?」 「はい。白銀篤という警察幹部の存在と圧力です。そのサツの中のモグラがやっていたと思われること自体、朝戸がやってたんじゃないかって。ただ、いまの片倉さんの話を聞いて合点がいきました。モグラいたんですね。そのモグラが何らかの理由で朝戸を誘導し、最上さんを殺害した。」 「待て神谷。」 「はい。」 「白銀息子の調査継続できるか。」 「え?」 「お前の言う通りや。確かにホシ自体の情報が入ってこんのはおかしい。」 「しかしサツの中にモグラが居たんだったらそれで説明がつくような気がしますが。」 「確かに説明がつく。しかし肝心な部分が抜け落ちとるがいや。白銀息子の情報が。」 「まぁ…。」 「至急、洗ってくれるか。」 了解しましたと、神谷は片倉の依頼を受け入れ、調査継続を一郎に指示した。 「で、片倉さんは何のご用事で。」 「いま一件頼み事したついでで申し訳ないんやが、あとふたつ頼み事がある。」 「どうぞ。仕事はいくらあっても良いです。」 「まずひとついいか。」 「はい。」 「その朝戸を拉致してくれ。」 「えっ!?」 その場から電話で調査継続を指示する一郎も驚きの表情で神谷を見た。 「ちょ…片倉さん、何言ってるんですか。確かにウチは元はヤクザですがそのてのシノギからは足洗いましたよ。」 「わかっとる。わかっとるんやがそうでもせんといかんのや。」 「何が起こってるんですか?」 「朝戸は明日、金沢駅でテロを起こす。ほやから未然に奴のガラを抑えたい。」 「んなもん警察でやれば良いじゃないですか。」 一郎も大きく頷いている。 「できんのや。できんからお前に頼んどる。」 神谷は頭を抱えた。 「なんですか…現場の意見に上がウンと言わないとかの話ですか…。」 「それは半分ある。」 「半分?」 「ああ半分や。」 「もう半分は。」 「もしもの事があるとこの国はヤバいことになる。」 「この国がヤバいことに?」 「ほうや。警察の面子とかの次元じゃない。」 「自衛隊がその準備に入った。」 「自衛隊が…。」 神谷の顔から血の気が引いたのを一郎は見逃さなかった。 彼は神谷に向かってゆっくり頷いていた。 「その自衛隊の話は上層部は?」 「もちろん理解している。しかしその理解の度合いに隔たりがある。その為にお前を頼った。」 「…わかりました。やりましょう。」 「感謝する。ただ動くのは今じゃない。」 神谷の携帯に地図情報が送られてきた。 「ここが今、朝戸が潜伏しとる宿や。」 「すぐに張り込みます。」 「その必要は無い。そこにはウチの捜査員が既に張りついとる。時が来ればおたくに合図する。おたくはそのための準備をしておいて欲しい。」 「わかりました。」 「ただ注意が必要や。」 「どういった注意が。」 「この宿の周辺に、外国人が妙なくらい滞在しとるという情報が現場捜査員から入っとる。」 「妙な外国人?」 「ああ。ロシア系の白人多数。」 「怪しいですね。」 「周辺情報を総合して分析したところ、アルミヤプラボスディアの疑いが高いと先ほど情報が入った。」 「アルミヤプラボスディア…。」 「知っとるな。」 「はい。」 「このアルミヤプラボスディアに関しては、自衛隊が対応することになっている。我々公安特課の出番はない。」 「しかし民間軍事会社がこんなところに集結しているのは、きっと何らかの意図があるはずです。」 「わかっとる。しかしここは上で線引きしとるんや。ほやからお前に依頼しとる。」 「まさか二つの依頼の内、もうひとつって…。」 「ほうや。民間警備会社もとい民間軍事会社である御社の力で、外国の民間軍事会社の動きを封じて欲しい。」 電話を切った神谷は一郎を見る。 「白銀に関しては江國に一任だ。」 「はっ。」 「部隊を編成する。一郎は精鋭を集めてくれ。」 「規模は。」 「小隊規模。」 「30から60ですね。」 「そうだ。頼む。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーSat, 23 Sep 2023
- 188 - 171 第160話3-160.mp3 「県内は前線の影響で大気の状態が非常に不安定になり金沢市では大雨となっていて、金沢市昭和町では午後3時半までの1時間に55ミリの非常に激しい雨が降りました。気象台と県は金沢市に土砂災害警戒情報を発表し、土砂災害や低い土地の浸水、河川の増水に警戒するよう呼びかけています。 金沢地方気象台によりますと、30日の県内は梅雨前線の影響で大気の状態が非常に不安定になっていて、金沢と野々市市では大雨になっています。 金沢市昭和町では、30日午後3時半までの1時間に55ミリの非常に激しい雨が降りました。 30日午後4時半時までの3時間に降った雨の量は金沢市昭和町で90ミリ、野々市市で50ミリなどと急速に雨量が増えています。 金沢市と野々市市には午後3時40分ごろまでに大雨洪水警報と土砂災害警戒情報が出されています。 県内はこのあとも大気の不安定な状態が続き、31日にかけて1時間に降る雨の量はいずれも多いところで加賀地方で40ミリ、能登地方で30ミリと予想されています。」 スマートフォンで地域のニュースを見ていた相馬はそれを閉じた。 彼は金沢駅の構内にあった。 現在時刻は16時。そろそろ学生たちが帰宅の途につきはじめる時刻であるが、ここの人手はまばらだった。 この大雨により金沢駅発着の電車は全線運転を見合わせているためだ。 相馬はため息をつく。 ふと外に視線を移すと冴木が姿を消したホテルがあった。 「わかった。そのホテルに捜査員を派遣する。」155 岡田はこう相馬に応えたが、それからこのホテルに捜査員らしき人間がやってきた形跡はなかった。 それもそのはず。このホテルに滞在する白人男性を調べて欲しいと片倉に告げて間もなく、彼から返事があった。 「その白人については公安特課は関わらない。冴木についても一旦保留とする。」 「どうしてですか。」 「その白人は防衛省マターとなる。防衛省マターに公安特課は関わらない。」 「防衛省?」 「そうだ。防衛省だ。あいつらのヤマはスルーしろ。」 ホテルの側に一台のステーションワゴンが止まっている。 助手席の男はパソコンの画面の覗き、運転席の男は電話をしている。この大雨にも関わらず彼らはそこから動く気配はない。 数時間前、このホテルから4名の外国人が出てきた。30年落ちのオンボロ車に乗り金沢駅を発ったとき、一台のハッチバックがそれをつけるように走って行った。 そのとき相馬は思った。 同じニオイがすると。 いま目の前にあるステーションワゴン。この車もまた彼に同じ感覚を抱かせていた。 「防衛省か…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 大雨の中、外から激しく窓を叩かれたことに車内の二人は驚きを隠せなかった。 「こんな天気に誰だ。」 助手席の男がわずかに窓を空かした。 「すいませーん。警察ですー。もうちょっと窓開けてもらえますか。傘さしてとるんでもっと開けてもらって大丈夫ですよー。」 「は?警察?」 開けられた助手席の窓から、警察手帳を見せられた。 「お二人ともこんなところで何やっとるんですか?ラジオとかでも言っとるでしょう。大雨警報がでとるんで早めに安全な場所に移動してください。」 「あ、あぁ…ちょっと仕事の打ち合わせしてまして。」 「打ち合わせ?こんな雨の中、車の中で?打ち合わせなら建物の中とかでできるでしょう。いまは安全のためにここから離れてください。」 「もうしばらくしたらお客さんと合流するんです。」 「この天気で?」 「はい。」 「どちらで?」 「ここにお客さんがいらっしゃるんで、そこで考えます。」 「この雨の中、ここに?」 こう言いながら相馬は車の中さっと見回した。 車内には男二人以外、何もない。これから客と落ち合うというのに、鞄のようなものも、書類の類いも車内にはなかった。 「念のため運転免許証お願いします。」 相馬がこう言うと運転席側の男が胸元のポケットに手を突っ込むのを視線で追った。彼の大胸筋上部の張り出しが普通の男と違う。 「お名前は?」 「吉川春樹。」 「キッカワ…。」 写真と彼は同一人物である。 続けて助手席の男のものも確認した。助手席の男は児玉穰二というらしい。児玉は吉川と対照的で身体の線は細かった。 「おふたりともお仕事は。」 「安芸重工という会社に勤めています。いろんな機械の部品を作っています。」 「そうでしたか。」 警報が出されている状況で、この場に留まるのは危険である。その客と合流したら速やかに安全な場所へ移動されたいと言って、相馬はその車から離れようとした。 「テロの兆候は?」 「えっ…。」 唐突な質問に相馬は言葉を失った。 「多分、なにも仕掛けられてないぜ。俺の見た感じな。決め打ちは良くない。」 児玉はそう言うと顎でしゃくる。 その方向を見やると、雨合羽を着た警察官たちの姿があった。彼らは植え込みの中や物陰を丹念に調べている。 さっきから同じところばっかり調べてる。あれは無駄だ。 「何者だ。」 「勘づいてるんだろ。公安特課さんよ。」 相馬は何も言えなかった。この二人も自分の出自を察していたようだった。 「ったく…おたくの指揮系統はどうなってんだ。俺らには干渉するなって話だろうが。」 「何の話ですか。」 児玉はかぶりを振った。 「俺らはあんたらのシマを荒らさない。あんたらも俺らのシマを荒らさないでくれ。」 「だから何の話なんですか。」 「自衛隊情報部。」 「じえいたい?」 「なんだ本当にあんた聞いていないのか。」 相馬はかろうじて自然に頷いた。 「テロを防ぐのはあんたら公安特課の仕事。俺らは俺らでもしもの時に備えている。そういうこと。」 「もしもの時に備える?」 「おい児玉。もういいだろう。」 吉川が遮った。 「相馬とか言ったな。」 吉川は相馬の警察手帳に書かれている名前を把握していたようだ。 「児玉が言ったとおりだ。おたくらとウチらは上で役割分担をしている。今のところその指示が行き届いていなかったってことで見逃してやる。とっととこの場から消えろ。」 こう言い捨てた吉川は助手席の窓を閉めようとした。 「待って。」 「なんだ。」 「いま言ったでしょう。何も仕掛けられていないって。」 吉川は窓の動きを止めた。 「ああ言った。」 「その手の作戦とかに詳しい自衛隊として、他にどういったテロの手段が考えられるか教えてくれませんか。」 「だから相互不干渉だと言っただろう。」 「自分には想像力が欠けています。プロとしての意見を参考にしたいんです。」 吉川が児玉を見ると、彼はやれやれと言って代わりに話し出した。 「テロにおいて爆発物の使用を疑うのは普通のことだ。しかしこれだけ警察が血眼になって探しているのに見つからないなら、そもそもそれが設置されていないと踏んだ方がいい。」 「ではどういった方法が考えられますか。」 「自爆テロ。」 「自爆テロ…。」 「これなら面倒な準備も何もいらない。爆発物を身につけてそのまま対象に突っ込むだけ。どんなに場所でも自分の意思だけでテロができる。」 「自爆テロ…。」 現実しか見ない自衛隊という組織の人間が突きつける分析は、相馬にとってわずかの希望も見いださせない冷徹さを持っていた。 「あんたらの捜査はどこか希望を持っている。だからさっきから同じところを何度も何度も調べている。最悪を想定し切れていない。最悪を想定するなら今のうちにもっとやれることがあるだろう。」 「自爆テロ以外にもいろいろある。毒劇物を散布するというのもあるし、無差別に人を銃か何かで襲撃するってのもある。もちろんその全てを決行するというのも可能性として考えられる。」 吉川が更なる可能性を提示した。 「しかしどうもあんたらの捜査が、その全部を想定したんものであるように見えないんだよ。ここから様子を見る限り。」 相馬はとっさに児玉の手を握った。 「なんだよ。」 「ありがとうございます。プロの意見を聞けて良かった。」 「…。」 「自分は全ての可能性を排除するなと言われました。大変参考になりました。」 素直に感謝の意を示す相馬に二人はまんざらでもない表情を見せた。 「と言うことは、自衛隊はその全ての可能性を想定して、いま準備をしているという理解でよろしいでしょうか。」 この相馬の問いに児玉はゆっくりと頷いて応えた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「なに?自衛隊と接触した?」 喫煙所で片倉は思わず大きな声を出してしまった。 「なんで…。俺、お前に念押したやろが。防衛省のヤマはスルーしろって。」 「はい。ですが自分なりの判断でテロ防止に全てを注げとも言われています。」 「おいおい …。」 「使えるもは何でも使えとも。」 「お前はそのまま金沢駅周辺におかしな様子がないかどうか探ってくれ。」 「あ、はい。」 「今のところ金沢駅でマルバクのようなものは見つかっていない。となればそれ以外の可能性を当たる必要がある。警備総出であたりの周辺を捜索しとる。お前はお前なりの判断でテロの防止にすべてを注げ。」 「応援は。」 「ない。」 「自分ひとりで何ができるって言うんですか。」 「使えるものは何でも使え。」155 確かに言った。頭をクシャクシャッとかき乱した彼は吸い込んだ煙を大きく吐き出した。 「で。」 「マルバクは設置されていないと、彼らも見立てています。」 「そうか。ほしたら他にどういったものが考えられる。」 「自爆テロ。」 「自爆テロ…。」 「あとはサリンのようなものを散布したり、銃のようなもので無差別殺傷を行ったり、ありとあらゆるものが想定されると。」 「聞きたくないな…。」 「考えたくもありません。」 「しかしそれを想定すると作戦が変わってくる。」 「作戦ですか?」 「ああ。」 「どういった作戦で。」 「それはこちらで考えるもんや。相馬、お前はそこに首突っ込まんでいい。」 「わかりました。」 「しかし…」 こう言って片倉はしばらく黙った。 「班長?」 「あ…あぁ。」 「自分はどうすれば。」 「…んー。」 「いっそ自衛隊情報部と連携してみるってのは。」 「それはできない。話がややっこしくなる。」 即答だった。 「朝戸ですかね。自爆テロがあるとすれば。」 「相馬、お前もそう思うか。」 「はい。」 「その朝戸が最上さんを殺した張本人や。」 「え?」 「さっき椎名が白状した。捜査を攪乱させるためにやったらしい。」 「鍋島能力の実験体が…最上さんを殺害ですか。」 「そうや。」 「パクりま。」 「駄目や。」 「なんで。」 「作戦や。」 「人が殺されてるんですよ。それを見ぬふりですか。」 「作戦やっていっとるやろうが。」 「作戦…。」 「ほうや。作戦についてはお前が口を出すことじゃない。」 しかしと言って片倉は言葉を続ける。 「くそ…ほうなんやって…。全ての可能性を排除せんのやったら、とっととやればいいんやって…。」 「班長?」 「うん?」 「班長何言ってるんですか。」 「あ、あぁ何でも無い独り言や。」 電話を切った相馬はこころに何かモヤモヤとしたものを抱えながら、雨のしぶきに身を隠す吉川と児玉が乗る車の姿を見つめた。 「あんたらの捜査はどこか希望を持っている。だからさっきから同じところを何度も何度も調べている。最悪を想定し切れていない。最悪を想定するなら今のうちにもっとやれることがあるだろう。」 「どこかに希望を持っている…それって希望って言わないんじゃないのか…。」 「ただの願望か…まずいな…。」 きびすを返した相馬はこの場から姿を消した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 09 Sep 2023
- 187 - 170 第159話3-159.mp3 テロ対策本部に戻ってきた椎名を迎えたのは、百目鬼をはじめとするスタッフたちのただならぬ殺気だった。 「外の様子はどうやった?」 片倉が椎名に声をかける。 「酷いですね。こんな雨いつぶりでしょうか。」 「いつぶり?とは?」 (あっ…。) 「あぁ西日本豪雨ってのが2年前にあったっけ。あいつも酷かったけど、最近こんな感じの雨の降り方多ないけ?ある地点で局所的にドバーってバケツひっくり返したみたいに降って、んでしばらくしたらからーって晴れてさ。」 「…確かに。」 「あれか。気候変動ってやつか。」 「正直それについては自分は懐疑的です。」 「へぇ。こんな感じなんに?」 片倉は窓の外を見る。 「ええ。」 「まぁ気候変動なんて地球規模の危機よりも、いまは目下の危機の対応や。気候変動については今の危機対応が終わってから、ゆっくりと議論するとしようか。」 片倉が椎名と何気ないやりとりをすることで、対策本部の重苦しい空気感は多少軽くなったような気がした。 継続し続けるこの場の緊張感に世間話という一拍を入れることで、スタッフたちの注意が別の方に向いたのかもしれない。 「で、どう指示を出す。」 「ビショップに連絡をとります。」 「空閑か。」 「はい。彼もこの天気を見て焦っていることでしょう。」 「ほうやろうな。」 片倉が同意を示したそのとき、椎名の携帯に空閑からのメッセージが入ってきた。 「今電話できるか。」 片倉が頷くのを見て、椎名は彼に電話をかけた。 「おいキング。なんなんだこの天気。」 「何だって、見ての通りだ。大雨だ。」 「俺はこんなところでじっとしてる場合じゃないだろう。」 「確かにそうだが、この天気相手にお前に何がやれるってんだ。第一お前は公安にマークされてるんだ。ヤドルチェンコに任せろ。」 「キングはヤドルチェンコとは連絡をとったのか。」 ヤドルチェンコとは直接連絡を取る術はなく、空閑を介してのものだけと椎名は富樫に語っていた。しかしその空閑が開口一番ヤドルチェンコと連絡を取ったのかと椎名に聞いてきた。先ほどの最上の一件がある。百目鬼と片倉、岡田。顔色ひとつ変えず嘘を言う椎名に疑いを持っているような表情だった。 「ああ。」 「なんて言ってた?」 「問題ない。計画に変更はない。」 「本当か。」 「ただ。」 「ただ?」 「この天気が続いて洪水とかの災害に発展したら話は別だ。」 「クソが…。」 「ああクソだ。付近一帯が水についてしまうみたいな事態になれば中止だ。なにもできない。」 「くっ…。」 「水浸しになった無人の金沢駅で何ができるって言うんだ。」 「…わかっている。わかっているが…。」 「もしもそんな状況になるようだったら、運がなかったと思ってどこかに身を隠すんだ。」 「しかし俺の周りには既に公安が。」 「いる。いるがお前の力を使えばなんとかなるんじゃないか。」 (お前の力…) 百目鬼らはお互いの顔を見やった。 「今からでもそのホテルの脱出経路を確認しておけ。最悪の場合に備えるのも大事なことだ。」 「しかし…。」 「一か八かの賭けをすることが俺らに求められている訳じゃないだろう。お前の目的は何だ。」 「インチョウの奪還。」 「だろ。」 「わかった。いまはお前に言うとおりこのままおとなしくしてる。水害の際の行動も了解した。しかし明日は俺はどうする。」 「俺が合図する。」 「合図?」 「ああ。俺が合図したらビショップはヤドルチェンコと合流するんだ。」 「どこで合流すれば良い。」 「もちろん金沢駅だ。奴らに加勢してやってくれ。」 「わかった。で、その合図は。」 「そうだな…。」 椎名は百目鬼を見る。 「アナスタシア。」 百目鬼の顔色が変わった。 「アナスタシア?」 「ああ。」 「なんで女の名前なんだ。」 「なんでも良いだろ。いまひらめいた。」 「…わかった。」 「頼むぞ。」 椎名は空閑との電話を終了した。 「ご苦労さん椎名。聞きたいことが二つある。」 百目鬼が口を開いた。 「先ず一つ。椎名、お前ヤドルチェンコと直接連絡とる方法は持ち合わせないって言ってたが、アレ嘘だったのか。」 「はい。」 「なんで俺らに嘘ついた。」 「全てはテロを未然に防ぐため。」 「最上の一件で嘘織り交ぜて、ここでも嘘。こんなことだと流石にお前の言は信用できんくなるぞ。」 「理事官。」 片倉が口を挟んだ。 「なんだ。」 「ちょっと一緒に来てもらえますか。」 片倉は百目鬼と一緒に席を外した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ドアが閉まる音 「なんだ片倉。」 「理事官。多分椎名の奴、わざと嘘をついています。」 「わざと嘘を?」 「はい。って言うか嘘を言っている体をとっているだけかも。」 「なんで。」 「アルミヤプラボスディアですよ。ほら椎名言っとったじゃないですか。冴木とか佐々木のヤサをあいつらが抑えてるなら、自分のヤサもきっと抑えとるやろうって。あいつがガンガン嘘を織り交ぜだしたのが、その情報が本部に入ってきてからです。」 「たしかに…。」 「情報に嘘を盛り込んで、椎名なりにアルミヤの連中を攪乱させようって魂胆なんじゃないですかね。」 「って事は、本部には既にスパイが。」 「それは分かりません。予防線を張っているだけかもしれません。いずれにせよ椎名の嘘は本部内に不協和音をもたらします。これをアルミヤプラボスディアがどうとらえるか。」 百目鬼は頭を抱えた。 「理事官。ここは何が嘘で何が本当のことかはひとまず触れないようにして、椎名に全部任せてみましょう。オフラーナやらアルミヤプラボスディアやら、魑魅魍魎がこの本部に紛れ込んどる可能性がある今、それがベターでは?」 「いやそれはできない。」 「なんで?さっきの空閑との電話でわかったでしょう。あいつテロの直前に実行犯を一定の場所に集合させようとしとる。理事官が出したオファー通りですよ。一網打尽です。」 「できすぎだ。」 「何言ってるんですか。理事官が求めたことでしょう。」 「片倉。」 「はい。」 「本当にお前、椎名を信じているのか。」 「信じていません。」 即答だった。 「信じていませんが、あいつに張ったんです。ここで降りるわけには行きません。」 「なんだお前、意地になってるのか。」 「そうじゃありません。椎名の芝居に乗るんです。」 「芝居に乗る?」 「あいつは賢い男です。いまのこのテロ対の不協和音も計算ずくでしょう。ほやからその裏をかくんです。俺らが従順にあいつの言うとおり動く。それがあいつにとって一番の想定外じゃないんかと思うんです。」 「ということはお前…。」 「はい。自分はあいつのことを1ミリも信じていません。ですがあいつの力がないと何もできないところまで追い詰められているのは確か。だからギリギリまであいつの言うとおりに振る舞おうと思います。」 「…。」 「そもそも椎名に乗るって言ったのは百目鬼理事官、あなたです。あなたがここでブレてしまったら現場の連中に示しがつきませんよ。」 「…。」 「何か。」 「内調から椎名と連携して欲しいと要請が来ている。」 「内調?上杉情報官ですか。」 「いや、情報官自身からのものではない。しかしその意思が反映されていると思って良い。」 「だったら尚更、椎名の芝居に乗っかるのは妥当な措置かと。」 「そうなんだ。」 「なんだ理事官もわかってらっしゃるじゃないですか。」 「当たり前だ。そんなもん言われなくても理解している。ただ…。」 「ただ、何ですか。」 「片倉、お前もわかるだろう。何というか、胸騒ぎがするんだ。」 「胸騒ぎ…ですか。」 「ああ。」 「どういう点に胸が騒ぎますか。」 「得体の知れなさだよ。椎名の。」 「確かに得体が知れませんね。」 「鵺のようだ。」 「鵺…か…。」 「この鵺が椎名だけならまだいい。ただ椎名が投降したこの僅かな時間で、このテロ対もオフラーナもアルミヤも内調も、そしてこの天気も鵺のように得体の知れないものになってきている。」 百目鬼の言うとおりだ。対象が得体の知れないものになるが故に、対応する公安特課、自衛隊情報部、内調の役割分担、任務も曖昧なものになっている。それがための胸騒ぎのようなものは片倉も同様に感じていた。 「このぼんやり感は危険だ。」 「おっしゃるとおりです。」 「理屈ではわかっているんだ。このままで良いって。しかし本能がこれじゃ駄目だって言ってるんだ。」 焦りのようなものを全面的に出す百目鬼の様子を持て、片倉は煙草を一本彼に差し出した。 「なんだ?」 「そういうときこそ息抜きです。一本どうですか。」 「吸うなら喫煙所にしろ。」 「面倒です。」 そう言って片倉はその場で煙草を吸い出した。 「ふぅーっ…。」 百目鬼は迷惑そうな表情を見せる。そして室内に充満する煙草の煙を逃がすために窓を少し空かした。 振り付ける雨の勢いはまだ強く、窓の桟で跳ね返り、その僅かに空かしたそこから室内に飛び込んできた。 「毒ですよ煙草は。身体にとって何も良いことはない。こんなもん吸ったところで頭がさえることもないし、身体が休まることもない。」 「じゃあ場所を選んで吸えよ。」 「リズムです。」 「リズム?」 「ええ。リズムとってるんです。なんか今のところリズムが良くない。」 煙草を吸う片倉を百目鬼は黙って見つめた。 「どうです?」 チッと舌打ちした百目鬼は片倉の差し出すそれを抜き取り、それに火をつけた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 煙草を吸う音 煙を吐く 大雨の音 「くっそ…ここで突っ立っとるだけでびしょ濡れや…。」 急いで2,3回それを吸うと古田は宿の中に入った。 「あ、藤木さん。朝戸さん目ぇ覚ましましたよ。」 つい先ほど目を覚ました朝戸はいま、身体を温めるために風呂に入っているらしい。 彼の身体に悪いところは得に見受けられないとのことだった。 「そいつは良かった。」 「それにしても偶然が重なりますね。藤木さんは朝戸さんに助けられ、朝戸さんは藤木さんに助けられ。」 「そうですね。」 「どちらも気を失い、助けられる。」 「まぁ。」 「偶然というか…お導きというか、何というか…。」 古田は宿の主人が自分に何らかの疑いを抱いていることを察した。 「必然。」 「え?」 「巡り合わせなんでしょうね。以前接点があったわけでも何でもない。そんな二人がこれですよ。もう必然としか言えない。」 「必然ですか…。」 「ええ。」 「…これが女性だったらどれだけ心が躍るだろうかと思う自分がいます。」 「あ…。」 「冗談です。んなこと言ったら朝戸さんに失礼ですね。」 「いいえ。自分も同じ状況なら藤木さんと同じ思いですよ。」 二人は笑った。 「今日はこれからはどうするんですか。」 「いやぁこの天気でしょ。降り方が尋常じゃない。何もできませんよ。って言うか、ここは大丈夫なんですか。直ぐそこに浅野川がありますが。」 主人はため息をつく。 「2008年にありましてね。そのときウチは水に浸かっちまった。だからそういうこともあるって考えておいてください。」 「そうですか…。」 滝のように落ちる雨音に混じって、微かにカーンカーンと消防車の鐘のような音が外で鳴っているのがわかった。 「まずいですね。ほかの宿に移られてはいかがですか。」 「お代は?」 「一泊分で結構です。」 朝戸は最上殺しの犯人だ。そう見知らぬ男から告げられ、その真偽を確かめるためにここに来た。 しかし今のところ、彼が最上を殺したと決定づける情報は得られていない。むしろここに来て白銀篤という、全く情報の無い人物が登場し、情報が入り組んできた。朝戸をこのまま掘り下げ続けるのは果たして捜査にとって得策なのだろうか。 「どうです。藤木さん。」 「あ、あぁ…。」 東京から仕事でやってきた設定だ。あまりに朝戸に執着するのも彼自身もそうだが、宿の主人にもあらぬ疑いを抱かせてしまう。古田はこの宿から一旦距離を置く事を決めた。 そのときである。けたたましい音と共に古田の携帯が震えた。 自治体からのエリアメールだ。 宿の中にある携帯という携帯が音を出している。 「土砂災害警戒警報…。」 古田がこう呟くと同時に、主人が言った。 「避難場所は近くの小学校です。」 「小学校…。」 「こいつはヤバそうだ。避難するかほかの宿に移るかしてください。何があってもウチは責任とれませんよ。」 グズグズしている暇はないと主人は体よく古田を宿から追い出した。 「困ったな…。」Sat, 26 Aug 2023
- 186 - 169 第158話3-158.mp3 「最上さんを狙ってノビチョクを盛った…。」 「はい。それが公安特課に最も混乱をもたらせると判断して、朝戸に実行させたそうです。朝戸は光定によって最上が白銀篤であると刷り込まれていたそうです。」 片倉はため息交じりに呟いた。 「つくづくクソやな…。」 「その肝心の朝戸の妹をひき殺した人間なんですが、それは白銀で間違いは無いそうです。」 「いやそんな奴は警視庁にいない。これは確認できた。」 「はい白銀はサツカンでも何でもありません。ただの民間人です。」 「なに?」 「これはさっき椎名が理事官に言ったように、紀伊によるでっち上げだったようです。紀伊が朝戸の妹の事故死を独自で検証。結果、それらしき車両を発見。ここで所轄署に黙って紀伊は事件をもみ消すことが出来るから協力せよと被疑者、白銀と接触。車両の写真を撮影した後、白銀自身を口封じのため殺害した。そして所轄署に噂を流した。警察幹部の白銀篤という人物の倅が朝戸の妹をひき殺した。しかしそれを圧力をもってもみ消していると。こうすることで所轄署内部の不穏な雰囲気を作り出します。その空気を敏感に感じ取った朝戸は架空の被疑者である白銀篤の存在を信じ込み、奴に対する復讐心を募らせていったそうです。」 「…手の込んだ芸当を…。」 力なく電話を切った片倉は百目鬼に首を振った。 スピーカモードのそれに聞き耳を立てていた百目鬼はそれに頷いた。 「徹底的だな。あいつら。」 「はい。」 「椎名班は今どこだ。」 「あと5分程度で到着です。それよりも理事官。」 「わかってる。雨だろ。」 「はい。ヤバいですこの降り方。方々の機動隊から冠水とか浸水の報告が入ってきています。マルバク探そうにもどうにもなりません。」 「確かに…。これだけの雨だと、あらかじめ設置したものが流されてってこともあり得るな。」 「いやいや、それはマズい。」 「でも片倉こう考えられないか。その危険性があるなら。奴らはそれをどうにかするために動く。」 「はい。」 「でもそれらしき連中の動きを捜査員は捉えられていない。」 「はい、そうです。」 「ということはハナからマルバクは設置されていない…とか。」 「んな馬鹿な。じゃあどうやってやるんですか。」 「当日に運搬する。」 「運搬?」 「ああ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「少佐。金沢北署に再び入りました。」 「また?」 「はい。」 コーヒーチェーン店の窓際の席で、豪雨の外の様子を眺めながらチャットにいそしむ矢高の姿があった。 「なにか変わった様子は。」 「この大雨の中、移動中の車の窓を時々開けていました。」 「窓を開ける…。」 「どうしますか。」 「北署内の協力者は。」 「います。現在署内にいます。」 「よし。それとなくお力添えが出来ることがあればなんなりと言ってくださいと近づいてくれ。」 「了解。」 「あ、くれぐれも出しゃばるな。何かあればこちらまでって具合でいい。」 「了解。」 スマホをうつ伏せの状態でテーブルにおいた矢高は、その苦い苦いコーヒーを飲んだ。 「極秘任務…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 金属を削る音 金属を叩く音 溶接の音 ドアを叩く音(激しい) 溶接マスクを外したマスターは怪訝な顔つきで扉を開けた。 「なんだ!こっちは忙しいんだ。」 「大変です!水が!」 こっちが言い切る前に店員はそれを遮るように言った。 ただ事ではない。それを察知したマスターは部屋を飛び出した。 15段ほどの階段を登るとマスターは異常に気がついた。 人気店であるはずのこの店に客がひとりもいないのだ。 「どうしたんだ。」 「どうもこうもありませんよ!いま商店街で土嚢を用意してるんです。」 「土嚢?」 「線状降水帯ですよ。浅野川がヤバいらしいです。あそこがやられたらここもアウトです。」 「なにっ!」 慌てて外に出たマスターはその光景に絶望した。 凄まじく振り付ける雨が外を白ませている。雨樋は機能していない。そこからあふれた雨水がゴボリゴボリといって滝のように吐き出されている。 「こりゃあマズいな…。」 マスターは地下に続く階段を見やる。このままでは地下に水が流れ込むのも時間の問題だ。 「おい。お前は地下のブツをとにかく高いところに移動しろ。」 「はい。」 「俺もやる。若い衆は商店街の連中と共同して水害に備えさせろ。」 「ですが自分とマスターだけじゃ無理です。」 「若い衆に手伝わせるわけにいかんだろう。応援を呼ぶ。」 「応援ですか。」 「ああこいつは俺らだけじゃ無理だ。」 「どっちにですか。」 「決まってるだろう。矢高さんだよ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 携帯が震える音 「はい。」 「緊急事態です。」 「なんだ。」 「応援をよこしてください。」 コーヒーに口をつけていた矢高の動きが止まった。 「まさか…。」 「はい。浅野川がやられたらウチは終わりです。」 感情というものをまったく表に出さない矢高だったが、このときの彼の顔面は蒼白となっていた。 「全部終わったか。」 「いいえ。ですが半分程度はできています。」 「使えるか。」 「使えないことはないでしょう。」 「よし。すぐに運び出す。誰か寄越してくれ。」 「だから人手がありません。こっちにそれをよこしてください。」 矢高は頭を抱えた。 「時期ヤドルチェンコが人をここまで遣わせるでしょう。それとバッティングしたら最悪です。」 「そうだな…。」 「矢高さん。」 矢高はしばらく黙った。 「矢高さん?」 「マスター。それ、ヤドルチェンコに渡してくれないか。」 「え?」 「そうだ。それがいい。」 「何言ってるんですか?これアルミヤのブツでしょう。」 「ベネシュ隊長には自分が言って聞かせる。」 「駄目ですよ。そんな独断で決めちゃあ。」 「いや、それしかない。当局の目をかいくぐるにはそれしかない。」 「なんで?」 「アルミヤはすでに自衛隊にマークされている。」 「…。」 「公安特課の目をボストークからそらすことは成功したが、今度は自衛隊だ。」 「公安特課がガサを入れ、続いて自衛隊がとなるとこの店、逃げ場なしですね。」 「だろう。」 「チェス組やヤドルチェンコの注意は逸らしたけど、本丸アルミヤが完全マークされるとなると、計画は失敗になる。」 「だったらいっそのことそれ、奴らにくれてやれ。で、濡れ衣を着せてやるんだ。」 「でもどうするんですか。計画が完全に狂いますよ。」 「いい。よくよく考えたらこのやり方もちょっと微妙だ。」 「ここでそれ言いますか?」 「ドローンを操縦するのがアルミヤじゃなくてヤドルチェンコ側になるってだけだ。」 「アルミヤプラボスディアが操縦するから確実に目標に散布できるんじゃないですか。だから無駄な損耗を抑えることができる。素人のあいつらがこいつを操縦したらとんでもない事になるかもしれません。」 「とんでもない状況になるのはむしろ望むところ。ますますアルミヤプラボスディアの存在意義が高まる。」 「しかしこれがあいつらの手に渡るってことは…。」 「アルミヤプラボスディアとしても一定のダメージを考慮に入れねばならんということになる。」 「…それをベネシュ隊長がうんといいますか?」 「それをうんと言わせるのが俺の仕事だよ。マスター。」 マスターは黙った。 「非道はヤドルチェンコにお譲りしよう。あいつらは派手目のことをやりたいんだろ。さらに派手なアイテムが加わったとなれば危機として喜ぶはず。いずれにせよマスター。あんたの手元にあるそれが水に浸かっておシャカになるよりよっぽど良いと思わないかね。」 「自分は、矢高さんを信頼しています。」 「ありがとう。君は本当に頼りになる。」 「しかしどうしても引っかかっていることがありまして。」 「なんだ?」 「矢高さん。ドンパチだけだと脳がないっていってませんでした?」 「ああ言った。それは俺の信条だ。もうそんな時代じゃない。」 「今、ドローンをアルミヤから奪うとなると、あいつらただの戦闘集団ですよ。」 「マスター。俺はドンパチだけだと脳がないって言ってるんだよ。」 「いや、だから。」 「ドンパチだけだといけないんだ。」 「ん?」 「いいかい。最後は力。その力だけを頼るのはいけないって事なんだ。頭はあくまでも力を使うために、もしくは力を有効に使うために使うんだ。」 「…。」 「力だよマスター。最後にものを言うのは。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー それからまもなく一台のバンがボストークの前に横付けした。 店の入り口にはCLOSEの札が出されていた。 「おう待ってたよ同志。」 マスターは中東系の男ら四人を店の中に招き入れた。 「店閉めたのか。」 「ああこんなじゃ商売にならない。」 カウンター奥に大小様々なライフルケースのようなものがずらりと並んでいた。 「なんか多いような気がするが。」 「あぁお土産つけておいた。」 「お土産?」 「ちょっとな。派手にやりたいって言ってたろ。ヤドルチェンコ。」 「ああ。」 「C4だけだとちょっと盛り上がりに欠けると思ってな。こいつら持って行ってくれ。」 マスターは大きなケースを指さした。 「何が入っている。」 「ドローン。」 「ドローン?」 「ああ。車で突っ込んでドカンもいいが、こいつで突っ込んでドカンも派手だろ。」 「同志マスター。」 中東系の彼はマスターの肩を抱いた。 「ヤドルチェンコの覚悟みたいなもんを俺は見た。俺にできることは精一杯させてもらうよ。」 「恩に着るよ。」 「…無駄に死ぬ必要はないぞ。同志。」 「何言ってる。死を恐れていては何もできない。」 「車で突っ込むんだろ。確実に犠牲が出る。」 「それは本望だろう。それを担うのも神の思し召しだ。」 「お前、ウ・ダバに入ってどれくらい経つ。」 「10年だ。」 「古参だな。」 「まあな。」 「名前は。」 「アサド。」 「アサド…。」 「獅子、勇敢な男という意味がある。」 「…。」 「どうした。」 「いや、つい最近お前さんと同じような名前の男に会ってな。そいつもお前さん同様良い面構えしてたんだ。」 「ほう。」 「なんて名前なんだ。そいつ。」 「日本人だが、朝戸っていうんだ。」 「アサト?」 「そう朝戸。」 「確かに似ているな。」 「それにしてもウ・ダバはビジネステロ集団に成り下がっちまったかと思っていたが、アサドのような良い面してる奴もまだまだ居るんだな。」 アサドは肩をすくめた。 「それはどうかな。」 マスターはそれには苦笑いで応えた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 12 Aug 2023
- 185 - 168 第157話3-157.mp3 自宅に帰った椎名が片倉らのテロ対策本部に出した指示は以下のものだった。 - 椎名はテロ実行直前までチェス組と連携し彼らをエスコートする。そこに警察は介入しないこと - 実行直前に公安特課の出番をつくるので、相応の人員を用意すること - 空閑と朝戸にはしっかりと専任者を配置し、勝手な動きをしないよう監視を強化すること - サブリミナル映像効果を少しでも薄めるため、こちらで用意した動画をちゃんねるフリーダムで短時間で集中的に配信すること - テロは爆発物によるものであるはず。可能性を徹底的に排除すること - 朝戸がテロの口火を切る行動をし、その後にヤドルチェンコがウ・ダバを使ってさらにそれを派手なものにする手はずである。したがってウ・ダバらしき連中の行動はつぶさに報告を入れること - その他現場サイドで気になることがあればすぐさま椎名に連絡し、その判断を仰ぐこと 「冴木はベネシュの部屋に入って、そのまま姿を消した。」 「...。」 「どうした?」 「奴らならあり得る。」 テロ対策本部に戻ってきた百目鬼の顔を片倉は見やった。 「そうかそういうことか…。」 椎名はひとりで納得しているようだ。 「そういう事ってどういう事や。」 「アルミヤの連中、このテロを全力で潰しに来る気だ。」 「え…。あんたさっき粛正とか言っとったけど。」 「訂正します。もう始まったようです。」 「始まった?なにが。」 「アルミヤプラボスディアとオフラーナとの抗争が。」 「え?この金沢で?」 「はい。」 「なんでここ?」 「それを理解するのは無理です。ツヴァイスタン人のことはツヴァイスタン人が一番分からない。これは向こうの人間が常々言ってるジョークです。」 「奴らの狙いは。」 「アルミヤですか?」 「ああ。」 「わかりません。ですがオフラーナの計画を潰すのが目的でしょうから、金沢駅でのテロ自体はこれで防ぐことができるんじゃないでしょうか。」 「テロを防ぐって、どうやってや。」 「関係者の殲滅です。」 「殲滅?」 「はい。」 「え?」 「ですから殲滅です。」 「殲滅って?」 「皆殺しです。」 流石の片倉も何のためらいもなくこの言葉を使われる状況に接して血の気が引いた瞬間だった。 「百目鬼だ、椎名。」 百目鬼が片倉に代わった。 「すまないがどうやってそんなことやってのけるんだ。アルミヤプラボスディアは。」 「冴木という自分の監視役の存在までも把握してるんですから、主要実行犯の所在などはすでに把握済みでしょう。ターゲットの位置情報さえわかれば、あとは手段だけの問題です。物理的に障害を排除すれば奴らのミッションは達成です。」 「朝戸や空閑のみならず、椎名、お前の所在も奴らに筒抜けということか。」 「でしょうね。」 百目鬼は手のひらで顔を拭う。彼は焦りというか、困惑というか、いづれにせよ他人から見て良くない方の表情だった。 「取り敢えず椎名、直ぐにここに戻ってこい。」 「無駄です。それに正直、警察署も安全とは言いがたい。相手は軍事会社です。脅威への対応力は警察の比ではありません。」 「しかし…。」 「ですがこれでテロの実行を阻止できる可能性が高まったと見た方が良いです。」 「待て待て待て!」 百目鬼は声を荒げた。 「椎名。お前、気は確かか?外国勢力が好き勝手に人殺しするのを見守って、結果テロを未然に防いでもらいましょう。お前はこう言ってるんだぞ?」 「はい。」 「馬鹿いえ!ウチにはウチの法律ってもんがあるんだ!んなもん自分の家でやれ!他人の家でんなことすんな!」 「しかし百目鬼さん。あなた言いましたよね。テロの防止がすべてに優先する。」 「…。」 「ここでアルミヤプラボスディアが出てきたとなれば、奴らにすべてをお任せするのが、確率一番高いですよ。」 「駄目なものは駄目だ。」 「しかし…。」 「いいか。俺らは犯罪を未然に防ぐのが仕事なんだ。いまお前が俺らに言ってるのは、犯罪を促進しろって言ってんだぞ。」 「ですがその方が当初の目的を達成できます。」 「駄目だ!」 「考えてみてください。百目鬼さん。あなたが仰っているのはただただ手続きのことです。朝戸にしろ空閑にしろ、この国の司法で裁かれればそれなりの刑罰が適用されることでしょう。」 「それがこの国の原理原則だ。罪刑法定主義が刑法の根幹だ。」 「その罪刑法定主義に則ったとしても結果は変わらない。朝戸も空閑も死刑は免れない。手続きを経て死ぬか、アルミヤに殺されるか。遅いか早いかだけの話です。」 「は?朝戸も空閑も死刑?」 「はい。」 「何言ってんだ。ふたりともこれからだろうが。」 「…。」 「これからのテロ如何で、その罪の軽重が決まるんだろうが。」 「あぁご存じなかったですか。」 妙に椎名の声が落ち着いていた。 「朝戸ですよ。ノビチョク盛ったの。」 「は?」 「椎名決め 空閑が図りて 毒あたふ 朝戸動かす 光定の技」 言葉が出ない。それは百目鬼だけではなかった。 片倉も岡田も、その場にいた対策本部の全員がこの悪意に満ちた和歌のようなものに戦慄した。 「私はこの国の司法で裁いて欲しいと言いました。ですがアルミヤが動いているならやむを得ない。死を受け入れます。そうすることでテロが未然に防がれるのですから。」 「待て。」 「先ほどから待てとの指示が多いような気がしますが。」 「ああそうだ。待ってくれ。」 「…。」 「今のその歌。朝戸動かす光定の技とあったが、それは鍋島能力のことか。」 「いかにも。」 「鍋島能力はすでに実用段階なのか。」 「朝戸は失敗作です。」 「失敗作?」 「はい。」 「意味がわからん。なぜ朝戸は最上に毒を盛った。」 「失敗作だからです。」 「よくわからない。詳しく教えて欲しい。」 「このあたりはテロ防止に何の役にも立たない情報です。これこそ時間の無駄です。」 「無駄じゃない!」 いままで誰よりも感情をコントロールしているように見えた百目鬼の顔が紅潮していた。 「朝戸が失敗作だから最上が殺されただと?全権お前に渡すって言ったが、サツカン殺しについてはっんな事認めねぇぞ。」 「理事官、抑えて。」 片倉が百目鬼を抑えようとするも彼は振り払う。 「言え!椎名!」 椎名は深いため息をついた。 「白銀だった。標的は。それを朝戸は取り違えただけです。」 「白銀?」 「はい。」 「誰だそれは。」 「朝戸の妹を殺した男ですよ。」 「朝戸の妹を殺した?」 「百目鬼さんは白銀篤という人物はご存知ですか?」 「いいや。聞いたことない。」 「朝戸の記憶ではその白銀の息子が、自分の妹を轢き殺し、それを警察幹部である父、篤が揉み消した事になっているようです。」 「それはいつの話だ。」 「5、6年前と聞いています。」 すぐに白銀を調べろと百目鬼は職員に指示を出した。 「それには及びません。」 椎名は百目鬼の指示を止めた。 「白銀篤はこの世に存在しませんので。」 「この世に存在しない?」 「はい。もともとそんな人間はこの世にいません。朝戸の妹さんが事故で亡くなったのは確かですが、その犯人は見つかっていない。それだけの話です。」 「じゃあその白銀篤はいったい。」 「紀伊によるでっちあげです。」 「でっちあげ?」 「ええ。全部でっちあげです。朝戸という人間を良質な実験体として利用するための演出です。」 「白銀というサツカンも居ないのか。」 「はい。いません。なので白銀という男が朝戸の妹さんをひき殺したというのも嘘です。」 「朝戸は嘘の情報を刷り込まれているのか。」 「はい。」 「嘘だ。」 百目鬼は言い切った。 「じゃあなぜ、白銀と最上を取り違えたなんてお前、言ったんだ。」 椎名は黙った。 「信用できないな。お前の言。」 「…だから時間の無駄になるって言ったんです。」 「あん?」 「どうでも良いことにガタガタ言ってますね。頭脳は俺に任せるって言ったのに手足が指図してくる。日本の官僚機構ってのは、朝令暮改なんですね。」 あからさまな皮肉を椎名は言った。 「理事官、ここで仲間割れなんかしてなにひとつ得るもんはありません。」 片倉が割って入った。 「椎名、お前の言う通りや。白銀篤のことは後で教えてくれ。時間の無駄や。悪かった。すまん。」 「片倉ぁ。」 「理事官!すこし冷静に…。」 「お前、サツカン殺しの疑いがあるんだぞ。」 「もう何人も死んでいます!」 片倉は百目鬼の言葉を制するように言った。 「椎名。しかし、しかしだ。俺らは警察、しかも公安特課や。犯罪を未然に防ぐのが仕事なんや。確かにテロを阻止するのが最優先や。けどそのために人殺しを黙認するなんてできん。」 「小さな犠牲で多くの命を救えるんです。」 「だめや。命に大小なんてない。」 「きれい事です。それにあなたらのその任務という名の面子を立てることが、この状況でそんなに重要なことなんでしょうか。」 「面子の話じゃない。命の話や。」 「だからいずれ処分されるって言ってるじゃないですか。」 「諦めるんか。」 椎名は黙った。 「アルミヤプラボスディアが出てきたら無条件降伏なんか、オフラーナは。」 「…。」 「随分弱っちい組織ねんな、オフラーナってやつは。それじゃあ抗争にすらならん。」 「なんですか、煽ってるんですか。」 「どいや一方的にやられるだけやがいや。事実じゃないけ?」 「…。」 「お前さん、情報を仕事にしとるんやろが。なんでその情報であいつらをかき回すって発想にならんがけ?」 椎名は言い返さなかった。 「さっきお前、敗北を認めるのかって俺らに言ったよな。」 「…。」 「いまのお前にそれ、そのままお返しするよ。」 僅かであるはずの沈黙が、このときの対策本部内には途方もなく長いもののように感じられた。 「犠牲者を出さないように努力はします。」 絞り出すような声で椎名は言った。 「よし。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「気象庁によりますと、暖かく湿った空気が流れ込んでいる影響で、石川県加賀地方では停滞する前線の活動が活発になり、雨雲が発達しています。加賀地方では、発達した積乱雲が次々と連なる「線状降水帯」が発生して、非常に激しい雨が同じ場所に降り続き、災害が発生する危険性が急激に高まっているとして、気象庁は午後2時20分に「顕著な大雨に関する情報」を発表しました。この時間、発達した雨雲が加賀地方、特に金沢市を中心とした地域に流れ込んでいます。石川県が設置した雨量計では、午後2時までの1時間に、▽金沢市昭和町で54ミリの非常に激しい雨を、▽同じ金沢市平和町でも41ミリの激しい雨を観測しました。これまでの雨で、加賀地方では土砂災害の危険性が非常に高まり、「土砂災害警戒情報」が発表されている地域があります。加賀地方では、このあとしばらくは局地的に雷を伴って激しい雨が降るおそれがあります。気象庁は土砂災害に厳重に警戒し、低い土地の浸水や川の増水に厳重に警戒するとともに、落雷や突風にも注意を呼びかけています。加賀地方では状況が急激に悪化するおそれがあります。自治体からの避難の情報に注意し、安全な場所で過ごすよう心がけてください。 車内にはラジオが流れていた。 「うわぁ冠水しとらいや。」 運転席の男が見る方向には、踝(くるぶし)くらいまで浸かった足を重そうに動かし、じゃぶじゃぶと水をかき分けて歩く歩行者の姿があった。 「線状降水帯やろ。尋常じゃないわこの降り方。」 「ヤバいなぁ。怖いくらいや。」 運転席と助手席のやりとりをよそに、後部座席に座った椎名は窓から外を見る。 あまりにも激しく雨が振り付けるので、外の様子が見えない。そこで彼は少しだけ窓を空かしてそこから覗きこんだ。 見たこともない水位を保ち、まるで竜が身体をくねらして進むような濁流がそこにあった。 「椎名さん?」 「あっ。」 「窓開けるのはちょっとやめてください。この雨ですよ。雨入ってびしゃびしゃになってしまう。」 「あ、はい。」 椎名はとっさにそれを閉めた。 「はぁー。延期って風にならんもんですかね。」 「延期…ですか。」 「はい。」 「それはないです。この日のためにすべての準備をしてきているんで。」 「ですけどマルバクでしょ。」 「マルバク?」 「あっ、ええっとすいません。爆発物のことです。爆発物によるテロを予定してるんでしょ。あれって雨の影響とか関係ないんですか。」 「ありません。」 「その爆発物、どこにあるんですか。」 「知りません。知ってたら教えています。」 「本当ですか。」 「本当です。危険なことは未然に防ぐ方が良いですから。ただし相手方に悟られないように。」 「…。」 「焦る気持ちはわかります。私だってテロの実際の実行計画を把握しているわけじゃないんですから、手探りです。ですが自分が司令塔です。司令塔という立場を利用して、ヤドルチェンコとチェス組を引っ張り出します。その時点で全部を抑える。おそらくそれしか方法はない。」 「…。」 「自分だってこう見えて不安に押しつぶされそうなんですよ。普段と違うことをやったりしないと気が紛れない。」 「普段と違うこと?」 「大雨に関わらず窓を開けるとか。」 「あぁ…。」 「誰かと話すとか。」 「話す…ですか。」 「はい。」 「何話します?」 「そうですね…。」 相変わらず窓の外を眺めながら椎名は少し考えた。 「片倉さん、あの人どういった方なんですか。」 「片倉ですか?」 「ええ。」 「あのお方は警視庁の人ですよ。公安特課機動捜査班の班長です。元はここ石川の公安の人間ですよ。どうしました?」 「あの人、気になりまして。」 「え?どういう意味ですか。」 「場を制圧するというか、場を軌道修正する術を持っています。」 「…まぁあの人は修羅場をくぐってますから。」 「修羅場…ですか。」 「ええ。」 「どういった修羅場を?」 「それはまたの機会でいいんじゃないですか。私らはあなたの身の安全を確保せよとだけ言われています。」 「いや、教えてくれませんか。」 助手席の男は運転手を困った顔で見た。 「上に聞いてみたらどうや?」 無線で指示を仰いだ助手席の男はふうっと息をついて口を開いた。 「6年前の鍋島事件。その指揮をとりつつ、朝倉を追い詰めた人間のひとりです。」 「鍋島と朝倉を…。」 「こちらはご存じですか。」 「はい。その事件の顛末は私も把握しています。私はその事件を受けて日本に戻ってきました。」 「だったらその3年前の事件は?」 「さらに3年前、ですか?」 「ええ。その鍋島事件の前身となった事件です。」 「なんとなくって程度です。鍋島がそれくらい前のころに自分の能力を使って何者かを操った実験のようなものをやっていたと。」 「そうですか。まぁその捜査の指揮を執っていたのも、片倉班長なんです。」 「へぇ、出来る人なんですね。」 「確かに出来る人です。ですがこの事件までは正直そこまで冴えた感じはしませんでした。普通の警察幹部です。役人的で面倒ごとは極力関わりたくない人柄でしたよ。」 「ほう、そうなんですか。」 「ええ。」 「なにかきっかけでもあったんですか?片倉さんが覚醒する。」 「ありました。」 「それは。」 「ひとりの警察官の死です。」 「警察官の死?」 「はい。当時、片倉班長は捜一の課長でしてね。その直属の上司である刑事部長が亡くなったんです。」 「刑事部長って結構上の役職なんじゃないですか。」 「はい。そのお方は警察幹部でありながら、自ら現場に乗り込んで指揮を執る極めて希な存在のキャリアだったんです。それが結果的に事件に巻き込まれて…。」 「それは…。」 「その事件も、6年前の朝倉鍋島事件も結局のところツヴァイスタン由来です。そこに今回のテロ予告。ツヴァイスタンは我々にとっても決して組みがたい存在です。」 「…。」 「だけどそれを堪えて、我々上層部はあなたと組むことを決めた。そこのところをご理解ください。」 「朝戸が失敗作だから最上が殺されただと?全権お前に渡すって言ったが、サツカン殺しについてはっんな事認めねぇぞ。」 「北署まであとどれくらいですか。」 「雨が酷くて時間がかかっています。あと10分は見てください。」 「充分です。」 「なにが?」 「最上殺しについてお話しします。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 29 Jul 2023
- 184 - 167 第156話3-156.mp3 出社した椎名だったが、やはり体調が優れないと言うことで今日は休むこととした。 「どこに向かっている。」 「とりあえず一旦家に帰ります。あてもなく車を走らせるのも、見つかったらリスクですから。」 雨脚が強くなっている。 滝のように降るそれはフロントガラスから見えるはずの景色を白いしぶきのようなもので覆い、視界は極めて悪い。 前方の車のストップランプが断続的に光る。 椎名の運転する車は減速せざるをえなかった。 「一体どれだけ降るんだ…。」 家に向かう間も雨が収まる気配はない。やがて携帯に通知が届く。 大雨警報だ。氾濫警戒情報も併せて知らされた。 「やめてくれ…。」 椎名はぼそりと呟いた。 雨粒が車体をたたきつける音が大きいためか、この彼の言葉に対する警察側の反応はなかった。そのときフロントガラスをはねた水が覆った。 「うわっ!」 「どうした!」 直ぐさま警察無線で椎名に連絡が入る。この呼びかけが椎名を引き戻した。 「あ…いや…ちょっと水はねにびっくりしてしまって…。」 「水はね?」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 百目鬼は部屋を出て行ったきり戻ってこない。富樫も椎名のPC解析のため別の部署にいる。 金沢北署のこの部屋の幹部は片倉と岡田。このふたりだ。 「うわっ!」 椎名の大きな声が片倉と岡田に届いた。 「どうした!」 片倉がすかさず呼びかける。 「あ…いや…ちょっと水はねにびっくりしてしまって…。」 「水はね?」 ふたりが顔を見合わせた。 「あ、いえ、なんでもないんです。すいません。驚かせてしまって。」 「あんたほどの人間が水はねごときにそんなびっくりするなんて、意外すぎる。」 「不意を突かれると人間誰だってびっくりします。」 すべてが計算ずくの椎名賢明こと仁川征爾。そういう認識だった片倉と岡田にとって、彼もまた自分たちと同種の生身の人間であることを感じさせるに足る言動だった。それは一種の安堵を二人にもたらした。 「この大雨はしばらく続くらしい。この状況が続けば人手も少なくなるし、何かを起こすにも障害となる。俺らにとっては恵みの雨になるかもしれない。」 「どれだけ続く予報ですか。」 「一応夜には収まる予報や。けど今後線状降水帯が発生すると災害になるかもしれん。」 「線状降水帯?」 「知らんか。」 「はい。」 「なんか次から次と雨雲ができて、集中的に豪雨をもたらすやつ。俺が話すよりもネットか何かで情報を得てくれ。その方が正確や。あぁ今は駄目やぞ、運転中やしな。ちゃんと帰ってから調べるんや。」 「わかりました。ところで百目鬼さんは。」 「理事官は所用で席を外しとる。」 「所用とは?」 片倉は言葉を飲み込んだ。 「どうしました。」 「あ、いや。」 「隠し事は無しですよ。自分はあなたらのことを把握している必要があります。なにせ私が頭であなたらが手足なんですから。」 「…。」 「なにがあったんですか。」 「マクシーミリアン・ベネシュ。」 「…マクシーミリアン・ベネシュ。」 椎名の反応に間があった。 「知ってるか。」 「はい。」 「関係あんのか。今回のテロ事件に。」 「いいえ。関係があるはずがないです。」 「なんで?」 「今回のテロ事件はオフラーナである自分が指揮監督してるんです。なんでツヴァイスタン人民軍の息がかかったアルミヤプラボスディアがそこに協力してくるんですか。」 「悪い。オフラーナと人民軍ってそんなに仲悪いんか?俺、その辺りは理事官ほど詳しくないんや。」 「犬猿の仲ですよ。オフラーナが右って言えば人民軍派左と言います。人民軍が白と言えばオフラーナは黒と言います。」 「そんなに?」 「はい。」 「えっと…それであの国の安全保障、よく回るね。」 「回っていないんです。」 「どういうことや。」 「オフラーナと人民軍。この二つがいつも足を引っ張り合う。決して一枚岩じゃないんです。」 「俺にはそうは思えんが…。」 「その辺りの外向けの見せ方は、あの国は一流です。決して綻びを見せません。」 「じゃあその強大な力を持った秘密警察と軍の勢力のバランスを、だれがどうやって保たせとるんや。」 「それは…。」 何かを言いかけたときだった。 「うわっ!」 「どうした!」 「ごめんなさい。水はねです…。」 片倉と岡田は再びお互いを見る。 「ところで今どこや。」 「家まで後半分の距離のところです。このままドラブスルーで食事でも買って帰ります。」 「それがいい。この雨や。外に出たら一瞬でずぶ濡れや。ここであんたに風邪でも引かれたら最悪や。」 「では。」 「あ、待って。ところどころで冠水が発生しているとの報告が入っとる。気をつけて帰宅されたい。」 「冠水?」 「おう。不用意に水溜まりに突っ込むなや。浅いと思っとった水溜まりも実は深くって、エンジン周りに水が入って車が動かんくなるなんてこともある。」 これの椎名の返事に間があったような感じがした。 「了解。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 目を覚ますと木目の天井が朝戸の視界に映り込んだ。 「ここは…。」 身を起こすと自分が布団の中で眠っていたことに気づかされる。 辺りを見回す。昭和が色濃く残る一般住宅の和室。そう。ここは自分が逗留する民泊の部屋だ。 彼はゆっくりと立ち上がり障子を開ける。そこから見えるものは滝のような雨。外の様子はそれによって靄がかかってる。 「なんだこりゃ…すげぇ降り方だ…。」 恐怖すら感じさせる雨脚に思わず声が漏れた。 枕元に携帯がある。それをタップすると14時を表示した。 「14時!?」 瞬間、頭痛が走る。 「ってぇ…。」 ボストークを出たところで警察に職質を受け、持ち物も改められたが、特にこれと言った処置をされることなく解放。そのまま金沢駅方面に向かった。あの沙希にそっくりの女性を見るために。そこで偶然、藤木と再会。彼に誘われ喫茶店でコーヒーを飲んでいたところ、ヤクザ風の男たちが目の前のホテルに駆け込んでいくのを目撃し、危険な感じがするとしてその場で彼と別れた。 「そこからの記憶がない…。」 部屋を出て食堂である十畳間のほうに行くと店の主人に呼び止められた。 「大丈夫ですか。」 「あ、はい。」 「藤木さんが運んでくれました。」 「藤木さんが?」 「なんでもこっちの方に移動してたらあなたが倒れているの発見したって。」 「え?俺が倒れていた?」 「はい。」 「どこで。」 「すいません。そこまでは。」 「藤木さんは。」 「部屋で休んでらっしゃいます。」 「わかった。」 「ナイト。」 主人は朝戸をチェスの名前で呼んだ。 「藤木には気をつけた方が良いかと。」 「どういうことですか。」 「あなたとの距離の詰め方が急です。」 「偶然では。」 「いや。」 こう言って主人は窓を数センチ空かせた。 宿の屋根を雨が打ち付ける音の中、しぶきが靄のように立ちこめている。 「ほら、あの向こう側のアパートの2階にカーテンが閉まったままの部屋があるでしょう。」 朝戸は目をこらして彼の言う方を見た。 「あそこで誰かがこちらの様子を監視してます。」 「監視?」 「はい。ナイト、あなたがこの宿に来てしばらくしてからです。」 「既にそうだったんだ。」 「なにかありましたか。」 朝戸は今朝ここで早めの食事を済ませた後、ボストークに向かい、そこのマスターから起爆装置の指南を受けた。しかし時を同じくして警察らしき人間がボストークに入店。いろいろを察した朝戸は店を出たところ、別の警官に職務質問をされた旨を主人に話した。 「ナイト。それなら尚更、藤木には注意したほうがいい。奴の接近がタイムリーすぎます。」 「…ですね。」 「警察からの職質の件、ビショップにも報告されましたか。」 「ビショップには言ってません。」 「…え?」 「言ってません。」 「いや待って下さい。自分はあなたの管理をビショップから依頼されてるんです。」 「管理管理って、俺はビショップの部下かよ…。」 「あ、いや…。」 「ったく…。どいつもこいつも同志よ!って接してきておきながら、時間が経てばあーしろこーしろ指図ばっかりだ。」 「ナイト。それは考えすぎです。」 「いいや考えすぎじゃない。大丈夫ですよ。そのあたりも自分、含んでのことですから。」 主人はこのナイトの言葉に黙るしかなかった。 「大丈夫です。みんなに迷惑はかけません。俺はちゃんとやります。」 「…。」 「ただね。ちょっと思うところがありましてね。」 「なんですか。」 「ここまで自分のことを気にかけてもらったのって、実は生まれて初めてでしてね。」 「気にかけてもらった?」 朝戸は窓の隙間からその先を見やり、呟いた。 「その相手が警察なんて、皮肉なもんですよ。」 雨が止む気配はない。 排水能力を超えてしまった雨水が雨樋からあふれ出ている。 「それにしても酷いですね。」 「このまま降り続けたら、計画に変更も出てくるんじゃないんですか。」 主人が朝戸に尋ねる。 「自分は全体像は把握していません。ですがいまのところビショップから俺のところに連絡がないんで、このまま予定通りなんでしょう。」 「あ、ビショップからも連絡がないんですね。」 「はい。まぁここまできたらむやみに連絡を取り合うよりも、各人が各人の判断で動く方が良いと思います。」 朝戸のこの合理的な判断に主人は納得した。 「しかしどうします?」 「なんですか。」 「藤木です。」 「…。」 「あなたは藤木という人間にマンマークされている可能性があります。」 「…。」 「思うに奴、公安の人間では?」 「…だったらそのままこちらも藤木をマンマークすれば良いんじゃないですか。」 朝戸の顔から表情というものが消え失せているのを、この時の主人は見逃さなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 15 Jul 2023
- 183 - 166 第155話3-155.mp3 「くせぇ…臭すぎる。」 「どうしました。次郎アニキ。」 「ほら見てみろよ。」 顔面に切り傷のようなものが十字に入った男に前に次郎は出力した紙を並べた。 「これが例の白人だ。」 次郎が指す白人はどうやら2日前の4月28日からこのホテルのスイートルームに泊まっているらしい。 雨澤が作り出した画像解析ソフトが、時間をかけずにそのことを次郎に示していた。 このホテルにはスイートルームは2室があり、一方はこの白人。そしてもう一方の部屋は先ほど雨澤が身の危険を感じた部屋であった。 部屋を利用するのは彼ひとりだ。来客はない。正直ひとりでは持て余す広さである。 彼は外出の際に荷物のようなものを持って出ることはない。またその際に誰かと一緒ということもない。 時折スマートフォンをいじりながら誰かと連絡をとりながら、ホテル内のロビーでくつろいだり、スイート利用者の特権なのかもしれないバーカウンターでウイスキーを飲むこともある。その時にも彼以外の人の気配はない。 しかし今日の朝、彼の宿泊する部屋にはじめて男がひとり訪ねてきた。 それが相馬が行方を捜していたサツカンの人間だった。 いままで白人以外、誰ひとり人の気配がなかったスイートルーム。そこにひとり来訪者が現れたことは象徴的でもあったが、その先がさらに次郎に疑惑を抱かせた。 来訪者である警察官。以降、彼の足取りが途絶えたのである。 「この来訪者はまだ白人の部屋に居るってことですか。」 「いいや。こいつみてみろ。」 今度は次郎は手元のラップトップを操作し、別の人物を抑えた映像を示した。 「なんですかこの外人集団。」 次郎と相馬がホテルの外で見かけた、ビッグシルエットの服を着た屈強な外国人集団の姿がそこにあったのだ。 「まぁ見てな。」 ボタンを押すと、その外国人観光客の動きが時系列で再生された。 ロビーで自然と合流した彼らは、そのまま流れるようにエレベータに乗り、スイートルームがある27階で降りる。 するとそこには清掃スタッフがいた。 「あ。」 外国人の中のひとりが清掃スタッフと接触し、手振り身振りを交えて何かを話している。 清掃スタッフは彼に手を振って、何かを拒んでいるようだった。 「なんか揉めとるんですかね。」 「いや。」 外国人が清掃スタッフの身体を掴んだ。そして彼が身につけるエプロンポケットの中に何かをねじ込んだ。 すると清掃スタッフは急に従順になり、外国人集団をいま清掃していた部屋の中に通した。 「この部屋、雨澤のアニキが泊まった部屋じゃないですか。」 それから経つこと1時間。彼らはその部屋から再び姿を現したのである。 顔に切り傷のある男は考えた。 「なるほどこういうことか…。」 「そう。こいつらがあのホテルの従業員に金を握らせて雨澤アニキの部屋に先にはいっとったって訳や。」 「しかしこいつら、何でこんなことを?」 こう言った直後、彼はあっと言った。 「ボストンバッグもっとるじゃないですか。大きめのやつ二つ。」 「盗みですか?」 「盗みに1時間かけるか?」 「いや、手際悪すぎですね。」 「雨澤アニキの部屋のバルコニー鍵開いとったやろう。」 「はい。」 そこで次郎は先ほどの白人の写真を指さす。 「アニキの部屋と白人の部屋は隣同士なんや。」 「え…。」 この次郎の言葉を聞いた彼は絶句した。 「白人の部屋にサツカンが来訪、それからしばらくして隣の部屋に外国人集団侵入。1時間後にはあいつら、バルコニーの鍵をかけ忘れてそこからボストンバッグ抱えて出て行った。因みに白人の部屋に来たサツカンの消息は不明。」 次郎も同様の推理をしている。そう感じた彼は戦慄した。 「お前、この手のシノギ、やったことなかったっけ?」 「…アニキ、それ今の俺に言います?」 「あぁ悪ィ。気を悪くせんでくれ。」 その場にいた二人に重苦しい空気がのしかかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 相馬に冴木の情報が入ってきたのはそれから間もなくの事だった。 「白人の隣部屋からボストンバッグ抱えて出てきた…。」 「白人の部屋にいたそのサツカンは未だ部屋から出た様子はありません。」 しばらくの沈黙を経て相馬は言った。 「アレですか。」 「…アレとは?」 「サツカンは殺されている。」 次郎は何も言わない。沈黙で相馬の推理に同意を示しているようだ。 「サツカンの遺体処理に外国人集団が動いた。」 「はい。自分はその線が強いような感じがしてます。」 「…なんか回りくどいやり方ですね。」 「あいつらなりに外に勘ぐられないように、カモフラージュしてるんじゃないですかね。」 「調べる必要がありますね。」 「警察の方で調べてもらえますか。」 「はい。」 「ついでにその白人の情報もこっちに流してもらえませんか。」 「それは…。」 次郎は口ごもった。守秘義務的にマズいのだろう。 相馬はその申し出をすんなり撤回した。 「いやそういうことじゃないんです。」 次郎の返答は意外なものだった。 「こいつは、こいつだけはよくわからない。」 「どういうことですか?」 「あるとき突然、ここに姿を現したんです。」 次郎が言うにはこうだった。 街頭設置の監視カメラの動画アーカイブにアクセス。そのログから当該白人の映像を抽出した。 しかしその痕跡はなし。この白人が映っていたのは先ほどのホテルの中のカメラしかない。 「待って。なんであなたら仁熊会が街頭カメラのアクセス権を持ってるんですか。」 「え?ダンナ知らないんですか?」 次郎は仁熊会と警察の関係を簡単に説明した。 仁熊会が警察の協力企業と化している現状を、相馬はこの時初めて知った。 「神谷さんが…。」 「ダンナ面識おありで?」 「ま、えぇ…。」 相馬ははっきりとしない返事をした。 「とにかくまぁ、あの白人。ヤバいニオイしかしない。」 「どうやって街頭カメラの監視の目をかいくぐったのかはわかりませんが、何らかの目的があって自分の姿を消しているってこことですね。」 「ええ、そうとしか考えられません。」 「じゃあなんでホテルではノーガードなのか。」 「考えられることはひとつです。」 相馬も次郎も黙った。 「もう姿を現しても大丈夫な状況になった。」 先に口を開いたのは次郎だった。 「誰なんですか…この白人。」 「わかりませんよ。わからないから困ってるんです。相馬さんの方こそしらんがですか。」 知らない。見たこともない。 「こいつも警察の方で調べてもらうってわけにいきませんか。」 「やってみましょう。」 ではと言って相馬は電話を切った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 電話の着信音 「はい岡田。」 「相馬です。冴木の情報です。」 「おう。頼む。」 「金沢駅近くのホテルに確かに冴木は入りました。そこのスイートルームに誰かを訪ねています。」 「なに?で。」 「カメラを見る限り、現在もその部屋に居るようなんですが…。」 「ですが、なんだ?」 「奴はもうそこには居ないかもしれません。」 「ん?なんで?」 相馬は次郎からの情報をそのまま岡田に伝えた。 「わかった。そのホテルに捜査員を派遣する。」 「お願いします。」 「相馬、お前は冴木の件はこれで一旦離脱してくれ。」 「はい。で、自分どうしますか。」 「相馬。片倉だ。」 岡田の電話から片倉の声が聞こえた。 一体何が起こっているのか掴めない相馬は言葉を失った。 「たった今からお前はケントクから特高に戻す。お前は俺の指示で動け。」 「え?なんで。」 「なんでもいいがいや。ここには百目鬼理事官もいらっしゃる。」 「え!?」 一体どこから出しているんだと思うほどの妙な声を相馬は出した。 「お前はそのまま金沢駅周辺におかしな様子がないかどうか探ってくれ。」 「あ、はい。」 「今のところ金沢駅でマルバクのようなものは見つかっていない。となればそれ以外の可能性を当たる必要がある。警備総出であたりの周辺を捜索しとる。お前はお前なりの判断でテロの防止にすべてを注げ。」 「応援は。」 「ない。」 「自分ひとりで何ができるって言うんですか。」 「使えるものは何でも使え。」 無茶振りだ。 片倉からたまには休めと石川に帰るように言われ、帰ったら帰ったでケントクのフォローをせよと言われた。 彼は言われるがまま岡田の下で古田と連携。鍋島能力の研究者である石大病院の光定公信の情報をとるために木下すずと接触した。その後ひょんな事で天宮の遺体の第1発見者になってしまう。石大病院にさらに入り込むために病院部長の井戸村と坊山に接点をもち、入院する三波と接触。彼から光定に関する情報を入手し、さらに光定本人と直接対峙して彼の籠絡に成功した。 この間わずか4日間。かなりの成果だ。 続いて岡田から冴木の行方を追えと命じられ、それを抑えたかと思えば、ここで金沢駅テロの兆候をつかみ取れという。任務の困難さと労働時間の過酷さはブラック企業の比ではない。 しかしことここに至って片倉のこの指示は、相馬に事が逼迫していることを悟らせた。 「もうひとついいですか。」 「なんや。」 片倉の携帯に相馬から写真が送られてきた。 その写真を見た片倉は首をかしげる。 「どうした。」 百目鬼が片倉に声をかけた。 「冴木の行方を追っていたウチの捜査員が、この白人が気になるので調べてくれないかと言ってきまして。」 「白人?」 「はい。」 「見せてみろ。」 片倉のスマホを見た百目鬼の表情が硬直した。 「理事官?」 「片倉。これはマズい。これはノータッチだ。」 「え?」 「こいつは防衛省マターだ。俺らが関わったらだめな奴だ。」 「え、誰なんですかこいつ。」 「アルミヤプラボスディアの精鋭部隊、トゥマンの隊長。マクシーミリアン・ベネシュ。」 「なんやって…。」 「片倉。こいつの話は俺から防衛省に伝える。おまえはその捜査員にストップをかけろ。」 「はい。」 「マズい…。こいつはどうやら途轍もなくヤバいヤマになってきてるぞ…。」 すぐさま百目鬼はその場から席を外した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 古田は金沢駅から1キロ程度離れた交差点にさしかかっていた。 古田の前方10メートル先に朝戸の姿がある。 その姿を見て古田はため息交じりに呟いた。 「コミュの残党ってわけか…。」 彼の手には携帯電話がある。 先ほど野本から第一報として朝戸慶太の情報が送られてきた。 「妹さんを事故で…。んでそれは事故ではなくてコロシと…。」 「住職の言(げん)の通りってことか…。」 「白銀篤…。東京の方のサツカンの話なんかわしゃ知らん。誰なんやそいつ。」 古田はその男の詳細を調べて欲しいと野本にメッセージを送った。 これには現在調査中と即座に返ってきた。 雨が止む気配はない。 瀑とした雨の降りっぷりは身を隠すのに好都合だ。反面、対象を見失う危険性をはらむ。手元の文字情報を見たり、遠くの対象を監視したりと、同じ動作を繰り返す。するといい加減この単調な動きに飽きが来て不意によその様子を見て気を紛らわしたくなる。 この時の古田もそうだった。 ガラガラガラっと近くでシャッターを開ける音が聞こえたので、そちらの方を見る。 するとそこは串焼き居酒屋であった。 どうやらこれから夜の営業に向けて仕込みをはじめるのだろう。 そういえば昼食はまだだ。途端に彼の腹の虫が騒ぎ出す。 「いかん。いかん。後や。後で食えば良い。」 古田は自分に課した朝戸の尾行という任務に意識を戻した。 「あ…。」 つい先ほどまで対象の姿を確実に抑えていたのに、この一瞬の油断、そして先ほどより幾分弱くなったといえ、しっかりと降るその雨が朝戸の姿をかき消してしまった。 見失った。 得も言われぬ虚脱感が古田を襲う。 しかし次の瞬間、彼は気がついた。 朝戸はそこにいた。 青になった歩行者信号の下で、彼はただ呆然と立ち尽くしていた。 先ほどまで動きがあった対象が、突然動きを止めて周囲と同化するかのようにただ立ち尽くす。 そのために古田は彼を見失ったのだった。 これに安堵の表情を浮かべた古田だったが、同時に疑問をもった。 信号がすすめの合図を出しているというのに、なぜ彼はその場から動かないのか。 この疑問の答えは彼の頭上にあった。 そこにはよくある信号機に地名を記した白地に青文字の看板があった。 「白銀…。」 古田が呟いたと同時に、視線の先にある朝戸は膝から崩れ落ちた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 01 Jul 2023
- 182 - 165 第154話3-154.mp3 椎名が乗り込んだ車は何事もなかったように、そのまま北署を出発した。 その様子を窓から眺めていた百目鬼が誰に言うわけでもなくつぶやいた。 「気づかれることを心配せず、椎名をおおっぴらに尾行できるだけマシになった。浮いた人員は別の方面に回せる。」 「油断は禁物です。」 片倉が苦言を呈した。 「心配してもどうしようもない。いずれにせよこれで椎名は丸裸だ。気楽にいこう。」 百目鬼が楽観的な見解を示したそのとき、椎名の車内に設置されたカメラからガサゴソと音が聞こえた。その場の百目鬼、片倉、岡田、富樫がモニターに視線を集中させた。 「椎名です。すいません。ちょっと体調を崩してしまって病院にいってました。え?あ、はい…今のところは…。いまそちらに向かっています。」 無断遅刻に関する勤務先への弁明だった。 「大事なことや。」 片倉は椎名の行動に納得した。 「片倉班長。」 岡田が片倉の名前を呼んだ。 「なんや。」 「この場でこんな相談をするのも何なんですが、気がかりなことがありまして。」 「いいよ聞くよ。言ってみろ。」 「何個かあるんですが。」 「なんだ?俺も聞く。」 百目鬼がそこに入ってきた。 いまここには普段接点を持てないほどの上位の存在である百目鬼、そして嘗てのバディ的存在である片倉の二人がいる。 今回のヤマはあらゆるところから重要情報がもたらされる。通常の公安業務とは比べものにならない。岡田の処理能力は限界に達していた。そこに情報を共有でき、相談できる存在が増えたと言うことはどれだけ心強いことか今の岡田には身にしみて感じるところだった。彼は半ばすがるように二人に話した。 「ボストークに目の写真…。」 「ええ。同じようなシチュエーションは先の天宮憲行の事件でもありました。」 「天宮憲行は自殺に見せかけたコロシの線が強いって言っとったな。」 「はい。天宮憲行の臨場は佐々木統義が担当していました。」 「なんやろう…気にはなるな…。」 片倉は顎に手を当てて何かを考えている。 「まだあるんです。」 さらに岡田は光定班の班長が行方不明になっていること、ボストークに調べに入っていた朝戸班の2名が行方不明になっていること、そして昨日のネットカフェ爆破事件の被疑者、冴木亮も未だ行方知らずであることを二人に報告した。 いままで自分の中で消化しきれずにため込んでいたことを吐き出すように。 「冴木は光定が殺害された時間の警備担当でした。その調べをしていたのが光定班の班長。やつは班長に言われて戻ってきましたと言って、ケントク部屋に一時帰還。マサさんが休憩中、無線の仕切りをしていました。」 「その無線で冴木は朝戸班の2名を内灘へ派遣指示。しかし今その2名が行方不明か…。」 「いっそ冴木のこと椎名にぶつけてみるか。」 こうつぶやいた百目鬼は周りに確認することなくその場で椎名にコンタクトをとった。 「百目鬼から椎名。」 「はい椎名。」 公安特課に寝返った椎名の対応は早かった。 「聞きたいことがある。いいか。」 「どうぞ。」 「冴木亮は今どこに居る。」 数秒、間があった。 「わかりません。彼は自分とは別ルートのオフラーナ要員です。」 知っていた。その場の人間が顔を見合わせた。 「連絡は取れるか。」 「直接は無理です。」 「どうすれば連絡を取れる。」 「佐々木が唯一のルートでした。」 「その佐々木は死んだ。」 「はい。」 「つまり無理って事か!」 百目鬼は声を荒げた。 「公安特課は冴木の行方を?」」 「把握できていない。しかし昨日のネットカフェ爆破事件の際、奴が現場にいたことは把握している。」 「そうでしたか。」 「冴木はそこで何をしていたか知っているか。」 「奴は佐々木の協力者を偽った自分の監視役です。」 「佐々木の協力者を偽った監視役?」 「それは佐々木も承知していたのか。」 「わかりません。ですが多分気づいていないでしょう。佐々木はオフラーナの協力者です。外部委託先の人間はそこまでの内部事情は知らされていません。」 「あの爆破事件の際、冴木が同じ場所に居たことは君も知っていたのか。」 「はい。知っていました。冴木もろとも爆破する予定でした。」 「え…。」 「ですがしくじりました。全く別の人間を巻き込んでしまいました。」 「あの爆破は冴木殺害が目的だと。」 「それはあくまでもサブの目的です。主目的は単なる爆発テロ。建物だけが被害を受けるよう意図していました。人に危害を与えることは企図していませんでした。」 爆破テロのついでに邪魔な存在を消し去ることに何のためらいを感じない椎名の冷徹さを感じた発言だった。 椎名は出頭時に多数の人に危害を与えたことに、良心が痛んだ的な発言をしていた。しかしその解釈は間違っていたのではないか。 ネットカフェを爆破し、ビジュアル的成果を得ることが主目的で、そのついでに目障りな監視役を事故を装って爆殺。それがあくまでも椎名の計画。しかし結果は爆発成功、冴木殺害失敗、一般人を巻き込まないことも失敗と1勝2敗。自分の思ったとおりの成果を出せなかった事が心を痛める一番の理由だったのではないか。 こう考えたのは椎名とやりとりをする百目鬼だけではないことを、この場に居る皆の表情が物語っていた。 「君のようなオフラーナ直轄要員は、冴木や佐々木の存在にあるように用心に用心を重ねた体制を承知ということだね。」 「はい。」 「ということは君が寝返ったことが先方に露見するのは時間の問題。」 「はい。ただ冴木が行方不明であることは今の我々には良い作用をもたらします。」 「と言うと?」 「おそらく冴木も佐々木同様、粛正されたんでしょう。」 「粛正?」 「はい。あの組織にはよくるあることです。ある時突然消息を絶つ。これは工作活動に従事する者への無言のメッセージなんです。」 「無言のメッセージ?」 「はい。ボヤボヤしてるとお前もこうなるぞと。」 非道すぎる。あまりにも日常とかけ離れた冷酷無比な世界がそこにあることを知った百目鬼は、こんな単純な感想しか思いつかなかった。もちろん百目鬼だけではない。片倉も岡田も富樫も皆、言葉を失っていた。 「私のお目付役がひとり粛正された。そのことは別の私のお目付役をその事実確認に奔走させます。なぜなら我が身を護る体制を整えなければなりませんから。」 「芋ずる式の粛正を恐れて保身の準備をすると。」 「はい。ですから偶然にもオフラーナが私を監視する体制は現在のところ手薄ということです。」 「…なんと言って良いものやら…。」 ここで無線は切られた。 「椎名のやつ、どこからどこまで把握しとるんでしょうか。」 「わからん。ただこう言う場合、さすがにこのことは知らないだろうと適当な見当を付けるのは事故の元だ。」 「なるほど…。」 「今のところあいつは全知全能の神的な存在として対応した方がいい、変な油断は身を滅ぼす。」 「その神は我々をどう使うんでしょうか。」 「さあ、それは神のみぞ知る。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「すいません。遅くなりました。」 身をかがめながら職場に入ってきた椎名の様子を、同僚が横目で見た。 「どうしたん?体調悪いん?」 彼女は目を合わせずに気遣いの言葉をかけた。 「ちょっとなんか身体がここのところずっと重くって…。」 「へぇ…。」 気遣いの言葉をかけた割には、こちらのことに興味なさそうである。 このやりとりに何の意味があるんだ。こう思ったときのこと、課長が自分の名前を呼んだ。 「椎名大丈夫かー。無理すんなよ。」 「あ…えぇ…。」 「医者はなんて言ってた。」 「疲労かと。」 じゃあと言って課長は椎名を自販機コーナーに連れ立った。 自販機の音 椎名は栄養ドリンクを手渡された。 「今日の晩にはひととおり準備は整うようです。ボストーク。」 煙草に火を着けてそれを吐き出す課長がそれとなく呟いた。 「そうか。」 「ヤドルチェンコはまったくこちらの動きに気づいていません。」 「では予定通りで。」 「数時間前に公安特課から私にあなたの動きを探る連絡がありました。」 「で。」 「以降、何の連絡もありません。」 「奴らにはくれぐれも勘づかれないように注意されたい。」 「はい。」 「これから以降、俺の動きにはノータッチで。」 「矢高さんからは極秘だと聞かされています。」 「そうか。」 「ひとつだけ確認をと。」 「なんだ。」 「このままベネシュ隊長に任せていいですか。」 「ああ。隊長を全面的に補佐して欲しい。」 「わかりました。」 「俺はまた外に出る。このまま会社には戻らない。」 「ではこちらで調整しておきます。」 「頼んだ。」 営業の人間が自販機コーナーにやってきた。 「お疲れッス。」 「お疲れ様です。」 椎名が彼に応えた。 「あ、椎名さん聞きましたよ。ちゃんねるフリーダムの記念誌受注確定なんですって?」 「あ…はい…。」 「すごいなぁ。どうやってあそこと繋がったんですか?」 「あ…まぁちょっと…。」 課長は一足先にその場から姿を消した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「Да.Значит, дальнейшие действия будут возложены на капитана Бенеша. はい。なので今後はベネシュ隊長に一任されます。」 「Понятно. わかった。」 「いかがします?」 「いかがとは?」 「少佐ですよ。」 ファミリーレストランの隅に座ったベネシュは一緒に座る白人連中の顔を見やった。 「君の言っている意味がよくわからんが。」 「注意された方が良いのでは。」 「なぜ。」 「極秘の任務のようです。」 「少佐のような特務の人間はその存在自体が極秘。今更何を。」 「アルミヤプラボスディアはあくまでもツヴァイスタン人民軍のフロント。いざとなれば即座に切り捨てられることもあり得ます。」 「何が言いたい。」 「人民軍の狙いは別にあるのかもしれない。そう勘ぐりました。」 「人民軍がどういう企みを持っていようが、我々は彼らとの契約を履行するだけだ。それがビジネスってもんだろう。」 「しかし。」 「政治はもうこりごりだ。だから俺はこっちに来た。我々に政治将校は必要ない。それに。」 「それに?」 「こちらが切られるときは先方からの一方的な契約破棄。こちらにも考えがある。」 「相手は正規軍です。」 「だから?」 「…。」 「矢高。君はいったい何をしたいんだ?」 「あ…いや…。」 「本作戦は俺に一任されたんだ。味方の士気を下げるようなくだらん情報を俺に上げるな。」 「はっ。出過ぎました。」 「ただし。君の言うことも一理ある。少佐の動向に注意を払え。」 「はっ。」 政治はこりごりというベネシュである。しかし矢高の邪推を咎めつつ、ビジネスマンベネシュの立場を通し、かつ密かに矢高を使って軍にも睨みを効かせるというこの立ち振る舞いは極めて政治的なものだった。 「自ら命を絶ったと聞いた。」 「はい。警察の調べの前に。」 「手厚い対応をするよう本社に私から言っておく。」 「ありがとうございます。」 「しかし目障りだな。」 「はい。あからさまな尾行までやり出しました。抑止行動でしょうか。自衛隊情報部。侮れません。」 「ボストークは問題ないのだろうな。」 「ええ。公安特課に一時的にマークされましたが、あそこのマスターがうまくあしらってくれています。」 「ボストークにはウ・ダバらの銃火器はおろか、いま我々のブツが運び込まれている。抑えられれば全部ぱあだ。」 「承知しております。ですから本日中にその完成を見る手はずとなっています。」 「ところでそのケイタとか言ったか。」 「はい。チェス組テロ実行の先兵、朝戸慶太です。」 「奴は具体的にどういった行動を起こす予定となっているんだ。」 「爆破です。」 「いま金沢駅は厳重警戒態勢だ。どうやる。」 「どうやら車両を使うらしいです。」 「車両か…。」 「はい。古典的です。」 「ヤドルチェンコの奴、どうも冷戦時代からアップデートできていないと見える。」 「ですが確実な方法でもあります。」 「まあな。」 「いずれにせよ派手目のことをやられる方がこちらとしては大義が立ちます。」 「そうだ。」 「明日の夕方まで準備をしてお待ちください。」 「Спрашивается. 頼んだぞ。」Sat, 17 Jun 2023
- 181 - 164.2 第153話【後編】3-153-2.mp3 前進党幹事長、仲野康哉に呼び出された陶は議員会館の彼の部屋の前に居た。 ノック音 ドアが開かれ秘書の男性が彼を迎えた。 「先生はいま会議室でミーティング中です。先生の執務室でお待ちいただけますか?」 執務室に通された陶はソファに腰をかけた。 「もうしばらくしたら終わりますので、しばらくお待ちください。」 ドアが閉まる音 すっくと立ち上がった陶は窓際に立った。 衆議院第一議員会館8階のこの位置からは首相官邸と首相公邸が見える。 窓から視線を逸らし、左を一瞥すると壁側に三脚台に立てかけられた日章旗が目に入った。そしてそれを背にする形で仲野が執務する机がある。机の上には固定電話とデスクトップ型パソコン。紙の書類は少しだけ。無機質な印象があった。 「愛国精神だけでは政権は取れませんよ、先生。」 こう呟いたときだ。会議室の扉が開かれ仲野が部屋に入ってきた。 「あぁお待たせしました。」 どうぞと言われ陶は仲野とソファに座って相対した。 「今日は折り入って陶専門官に頼みがありましてね。」 「先生の頼みであれば何なりと。」 「先日のあなたの提案を参考にしました。」 「おお!」 「ツヴァイスタンと連携をとりたい。」 「ん?」 狂喜に満ちた表情の陶の顔が一瞬にして歪んだ。 「あれ?先生…。私はアルミヤプラボスディアを止めるために、そのツヴァイスタンの親分格であるロシアと連携しませんかと言ったと思いますが…。ツヴァイスタンですか?」 「え?あぁ…そうか…私の聞き間違いだったかぁ…。」 「そうですよ先生。ご公務でお疲れなんでしょう。」 「しかしなぁ、そのつもりで協力者を用意したんだよ。」 「え?」 どうぞと仲野が言うと会議室の扉が開かれ、男が入室してきた。 きょとんとした様子で陶は彼の様子を見る。 三つ揃いに縁なし眼鏡。髪の毛は整髪料で固められ、寸分の隙も無い整った出で立ちである。 「こちらは?」 「関さんといって、あなたと同じ内閣情報調査室の方だ。」 「えっ!」 どうもと言って関は仲野の横に座り、陶と向かい合った。 「陶専門官はロシアの情報機関と連携する用意があると伺いましたが、それは具体的にどういった機関のどうのような方のことを指すのでしょうか。」 関は静かに陶に尋ねた。 「陶晴宗。」 呼び方に敬称が無くなった。 「あなたはツヴァイスタン内務省警察部警備局、通称オフラーナの協力者として我が国で工作活動に従事してきましたね。そのあなたがなぜロシアの情報機関と連携をするのでしょうか。」 どうしてそのことをこの関という男は知ってるのだ。 「答えてください。」 ここで陶は下間悠里の画像を入手した昨日のことを思い出した。あのとき部屋から出た直後に人の気配を感じた。ひょっとしてこの関が自分のことを監視していたのではないか。 いや昨日だけではない。関はオフラーナの工作員としてその活動に従事してきたと断定している。ということは一体いつから 自分は監視されていたのだろうか。 陶の首筋は脈打ち、その音が脳に響く。 「関さん。」 「はい。」 「まさかあなたも双頭の鷲の…。」 「違います。」 関は陶の言葉にかぶせて発言した。 「陶。あなたは私の問いに答えていない。もう一度聞きます。ツヴァイスタンのオフラーナ協力者であるあなたが、なぜロシアと接近しているんですか。」 相変わらず陶の呼び方に敬称はなかった。 陶は口ごもる。 「私の問いに答える気が無いですか…。」 「…。」 「いくらロシアがツヴァイスタンと友好関係を持つ国と言っても、秘密警察がよその国の情報機関と妙な関係を構築するなんて許されるわけがないでしょう。」 「力関係が違う。ツヴァイスタンとロシアでは。」 「ほう。」 「俺は強いものにつく。オフラーナではアルミヤプラボスディアの動きは牽制できない。所詮警察は軍には勝てない。」 「軍?アルミヤプラボスディアは民間軍事会社じゃないですか。」 「実質ツヴァイスタン軍だ。」 「実質でしょう。軍じゃない。」 「何が言いたい。」 「まだオフラーナは抑え込めると言うことですよ。アルミヤプラボスディアを。」 「…どういうことだ。」 「我々と組みましょう。」 「!?」 陶の眼球の動きが激しくなった。関の目を見たり、その隣の仲野の表情を探ったり、部屋の様子を目で追ったりと落ち着きがない。 「内調と組む…とは。」 「あなたは内調の人間。オフラーナのスパイだ。あなたが今までやってきたこと。あなたを取り巻く人間関係。そのすべてを我々は把握しています。」 「すべてとは。」 「高橋勇介。」 陶は関の目をじっと見つめた。 「朝倉忠敏。」 「…。」 「佐々木統義も付け加えましょうか。」 陶は何も言わない。 「あなたは随分と特定秘密保護法違反を犯してきました。いや考えようによってはそれに留まらない。」 「…。」 「外患誘致という重い罪もあります。」 仲野が口を挟んだ。 「陶専門官。内調さんはそのすべてに対して目を瞑ると言ってるよ。」 「目を瞑る?」 関は黙って頷く。 「その代わりあなたは今のままオフラーナと連携してくれないか。」 「今のまま?」 「そう。当初の計画通りそれを実行するんだ。私なんかに色目を使わず、粛々と計画を実行に移す。」 「何のことでしょうか先生。」 「金沢で大規模なテロを起こすんだろう。」 陶は何の反応も示さない。 関が仲野に代わって口を開く。 「明日ですね予定日は。チェスを模した連中がそれに向けて着実に動いています。具体的にはナイトとビショップ。そしてキング。」 「…。」 「朝戸慶太、空閑光秀そして椎名賢明こと仁川征爾ですね。」 「…。」 「これにプラスしてレフツキー・ヤドルチェンコとウ・ダバも付け足します。大規模なテロになります。ならないはずがありません。」 「つまりこういうことだ。オフラーナは朝倉事件でミソをつけてしまった。その失地回復を期して翌年仁川征爾を日本に送り込み、朝倉の意思を引き継いだ君に別の形でこの日本という地で何かしらの実績を作り、国内のプレゼンスを高めようとした。その中には長年の懸案事項だった鍋島能力、すなわち瞬間催眠のオフラーナによる実用化と管理があるのは言うまでも無い。瞬間催眠を我がものとし、かつそれを使って派手な実績を作る。そうすれば人民軍なにするものぞとなれるわけだオフラーナは。本国でね。」 仲野が関が言うはずだったことを淀みなく語った。 流石政治家だ。簡潔明瞭な語りである。 「しかし敵も然る者。アルミヤプラボスディアを日本に寄越してきた。そしてオフラーナの企みを監視、その牽制をしてくる。昨今の不審船漂着。あれはアルミヤプラボスディアの手口だ。オフラーナはあんな直接的実力行使みたいなことはしない。いやできない。なにせ警察だからね。あれは訓練を積んだ軍がなせる芸当だ。」 「いかにも。」 ようやく陶が反応を見せた。 「陶専門官。きみはアルミヤプラボスディアがここ日本で何をどうするかご存じか?」 「恥ずかしながら全てを把握できていません。」 「だろうな。」 陶は関を見る。 関は彼に頷いて見せた。 「なるほど…。」 この瞬間陶は全てを悟った。 自分だけが知らなかったのだ。自分が内閣情報調査室という部署にあったのは、全てを承知の上での事だったのだ。 朝倉忠敏の薫陶を受け、この国の治安組織の改革をゼロから作り直すことを自身の使命とした陶晴宗。しかしなんでもゼロから作るのは難しい。何かを手本としてそれを猛スピードで追いつく。いわゆるキャッチアップ型の方法が一番である。その手本を陶も朝倉も旧ソ連に見いだしていた。それ故に彼らの行動の根底に革命と似通った思想が根を張っているのである。 しかし現実はどうだろう。 彼らの夢想は今この瞬間に見事に打ち砕かれた。いやむしろ我が国の治安組織は彼らが思うほど愚かな体制でもなかった。 スパイを敢えて受け入れることで相手方の情報を抜き取り、対策を講じる。安全保障予算の拡充という予算措置は、それらの機能強化を急ピッチで着実に進めた。確かに急ごしらえのためそこかしこに綻びはあった。しかし日本のインテリジェンス機関の勤勉さと能力の高さはそれを埋めてあまりあるものだったようだ。 大日本帝国のころ、あまたの優秀な情報機関をこの国は有していた。その眠っていた実力を経済的な裏付けが呼び覚ましたのかもしれない。 「参りました。」 陶は腰を折って二人に頭を下げた。 「ではご協力いただけると?」 この仲野の問いに陶は素直に応じた。 「はい。私はなにをすれば?」 これには関が応えた。 「何もしなくて良いです。あなたは今まで通り動いてください。」 「今まで通り?」 「はい。仁川と連携をとって粛々とテロを実行するよう、その下地を整えてください。」 「それがアルミヤプラボスディアの牽制になると?」 「はい。アルミヤプラボスディアはあなたらのそういった実力行動を嫌がっている。だから牽制をかけるんです。」 「しかしそれではどんどんエスカレートしませんか。お互いが。」 「その心配はあります。ですがそこはあなたが考えることではない。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 03 Jun 2023
- 180 - 164.1 第153話【前編】3-153-1.mp3 雨が窓を打ち付ける。 電話が相手につながるまでの間、その様子を見ていた小寺はため息をついた。 「はい。」 「あ、明石隊長。小寺です。」 「聞いたよ。相手はもう勘づいているというわけだ。」 「はい。」 「取り逃がした連中は。」 「申し訳ございません。」 電話の向こう側から嘆息が聞こえた。 「巻かれました。申し訳ございません。」 再び小寺は謝った。 「やめろ。過ぎたことだ。で、突っ込んできた外国人は?」 「自ら命を絶ちました。警察の調べの前に。」 「なに…。」 「ベネシュとの関係は。」 「未だ判然とせず。」 「収穫無しか…。」 「はい。」 「ベネシュはいつからそのホテルに滞在を?」 「2日前からです。我々を巻いた外国人連中はベネシュと同じホテルに泊まっているわけではありません。奴らはどこからともなく集まってきました。」 「連中は何をしたんだ、そのホテルで。」 「分かりません。しかしベネシュの指示によるものであるのは間違いないでしょう。」 「だな。」 「ひとつご報告が。」 「なんだ。」 「公安特課もそのホテルに居ました。」 「公安特課も?」 「はい。」 「アルミヤプラボスディアに関しては警察はノータッチでとの話のはずだが。」 「それは三好に念を押してありますし、彼の上司もそれをちゃんと理解しています。」 「ということは、公安特課の監視対象もまた偶然、そのホテルに居た。」 「おそらく。」 「アルミヤプラボスディアとオフラーナが同じ場所に集う…んなことあり得るのか?」 「あの二つが連携するなんて考えられません。そもそも役割が違います。」 「…ならばお互いが牽制し合っている…か。」 「そう推察されます。」 「もしそうだとしたら奴らの企みを未然に防ぐ事は可能。」 小寺はしばし無言となった。赤石の意図をはかりかねないところがあった。 「詳細お聞かせ願えますでしょうか。」 「公安特課とオフラーナが手を組む。そしてアルミヤプラボスディアを封じ込める。」 「…。」 「アルミヤプラボスディアはツヴァイスタン人民軍のフロント。そのツヴァイスタン人民軍は同国の秘密警察オフラーナとは犬猿の仲。人民軍側の妙な動きを潰すとなれば公安特課がオフラーナに協力すればそれは防げるのでは。」 「それは…。」 「敵の敵は味方。」 「理屈は分かりますが…。」 「ツヴァイスタン外務省の高官が秘密裏に我が国政府と接触した。」 「接触、ですか?」 「ああ。いま都内の某ホテルで我が国政府首脳と会談を行っている。どうやらアルミヤプラボスディアとオフラーナの動きをツヴァイスタン外務省は承知しているようだ。その収束のための協議を政府首脳と行っているらしい。」 「我が国とここまで友好関係を築き上げてきたツヴァイスタン外務省としては、なんとしてでも今回の破滅的なテロ計画は止めたいところでしょうが、協議の相手が違うような気がします。軍と秘密警察の対立はあくまでも内政問題です。なんでその抗争の地を奴らは我が国に求め、そしてその収拾までも我が政府に求めるのでしょうか。」 「そこがあの国の理解のできんところなんだよ。理解できたらこんなにも苦労はしない。しかし…。」 「しかし?」 「この不確実性極まりない周辺国家の存在無しでは、今日の安全保障体制の強化もなし得なかったことだろう。」 「皮肉なことです。」 「まったくだ。」 「となると、やはりキーとなるのは公安特課ということになりますね。」 「そうだ。」 「しかし敵国秘密警察と我が国治安組織が手を結ぶ…。決して歓迎できない方法です。」 「お互いの眼前の脅威を排除するためだけの共闘だ。それ以上でもそれ以下でもない。ここで時間稼ぎをしておいて公安特課はその機能をさらに強化すれば良い。今後オフラーナのような奴らに食い込まれないようにな。」 「それにしてもこの国の危機管理はいつの世も綱渡りですな。」 「それはどこの国も同じ事。表に出ないだけだよ小寺三佐。」 「いずれにせよ我々は不測の事態に備えます。」 「それなんだが、アルミヤプラボスディアの具体的な戦力はどうなんだ。」 「これもまた判然としません。」 「なんだこちらも未確認情報ばかりだな…。」 「はい。ですからこちらも相応の準備をしています。いざとなれば強制的に周辺住民を退避。実力でねじ伏せます。」 大粒の雨が音を立てて地面を叩き、霧のようなしぶきがあがる。うっすらと靄がかかるそこには車両の準備に余念の無い自衛隊員たちの姿があった。彼らが纏う雨具のしわとなる部分に雨が溜まり、動作のたびにそこから溜まったものが流れ落ちている。重量というものが目で分かる状態だ。 「とはいえそればかりに気をとられて、本陣ががら空きというのはいかんぞ。」 「それに対してもこちらの連隊長は承知しています。」 「よし。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 03 Jun 2023
- 179 - 163.2 第152話【後編】3-152-2.mp3 ドアが開かれると襟元を緩めた40代後半と思われる男、それに続いて記録係が現れた。 彼は椎名と向かい合って座った。 「話は富樫から聞いた。俺が責任者の百目鬼だ。」 「責任者…。」 「ああ警察庁警備局公安特課課長補佐 百目鬼和成だ。本件の現場責任者だ。現場の指揮は俺に一任されている。」 警察手帳を見せながら百目鬼は椎名に言った。 「結論から言う。われわれ公安特課は椎名賢明。君のオファーを受け入れる。」 椎名は口をつぐんだまま、百目鬼の目を見る。 その場にいた記録官にとって途方もなく長い沈黙がその場に流れたような感覚を覚えた。 「どうした?」 「いえ…。」 「公安特課は君の提案を受け入れたんだ。少しは何か反応を見せたらどうだ。」 机の上に目を落とした椎名は頭を垂れた。 「ありがとうございます。」 またもその場に沈黙が流れようとしたが、百目鬼はそれを遮った。 「素直にどういたしましてと受け入れるのが正しい反応なのか、今の俺にとっては判断できない。」 「…。」 「ただ君がこちら側に立って協力するという提案は少なくとも今の我々にとって得られるところが大きい。そう判断した。」 「英明です。」 部屋のありとあらゆるものが凍り付いたかのように思える、緊張感あふれるこの場の空気は、冒頭の二人のやりとりによって溶解の兆しを見せた。 「まずは何をゴールとするか決めようか。」 富樫よりも高次の存在が現れたということは、知りうる情報が多い立場から取り調べをし、その精度を上げる作業が始まるのだろうと椎名は思った。まずはこちらの提案を全面的に受け入れる。心を許し敵意はないことを示してその実、油断を誘う。それをこの百目鬼という男は初手から全力で放ってきたのである。 「私に対する調べは良いのですか。」 「いまはそんな暇はない。調べは後だ。君は我々に協力することで明日に予定されるテロ事件を未然に防ぐと言った。そこのところをもう少し具体的に設定したい。」 「と言いますと。」 「今回の協力体制を敷くことで得ようとする、お互いの成果だ。それを明確にしておきたい。」 「わかりました。」 「まず君が求める成果を言ってくれ。君は何を求めて我々に協力をするんだ。」 「明日予定される金沢駅でのテロを防ぐ。それだけです。」 「テロを防ぐ。だな。」 「はい。」 「それ以外は。」 「自分をツヴァイスタンから解放させてください。」 「というと?」 「自分が取り返しのつかない事をやってしまった事は理解しています。テロを未然に防ぐことが出来た暁には私を日本国の司法で裁いてください。自分は日本人です。ツヴァイスタンの価値観で裁かれるのはごめんです。」 百目鬼は言葉を飲んだ。 「それ以外に何も求めるものはありません。私はけじめをつけたいだけです。」 「事後の君の処遇については我々に一任すると。」 「はい。」 感情のかけらも見せずに淡々と口をつく椎名の言葉は一切の無駄がない。言葉と言うよりも情報として百目鬼はそれを捉えられた。 「そちらのゴールは。」 椎名が聞き返す。 「君が富樫に打診したことがゴールだ。つまりテロの阻止。それと同時に関係者の一斉検挙。」 「同時にですか。」 「ああ同時だ。君はそう富樫に打診した。それは現状我々が求める最良のシナリオだ。」 百目鬼は椅子に座り直して改まって椎名と向き合う。 「ゴールは一致している。お互いの最優先事項はテロの阻止だ。君の裁きとか我々の検挙の話はその次の話。テロの阻止、これをお互いのゴールとしよう。」 「わかりました。」 「今後我々と君との協力関係はテロの阻止がすべてに優先する。これでいいね。」 「はい。」 よしと言って百目鬼は椎名の前に右手を差し出した。 「これは?」 「協力関係の象徴的な儀式だよ。」 ゆっくりと手を差し出して、椎名もそれに応えた。 百目鬼の手のひらは暖かかった。 「本当にご苦労様でした。椎名さん。」 そう言って百目鬼はもう一方の手で椎名の右手を包み込んだ。 「あなたは被害者だ。あなたが拉致された時代に我々のような組織が既にこの国に存在していれば、あなたのような存在を生み出すことも無かったかもしれない。」 張り詰めていたものが切れた瞬間だった。 彼は百目鬼の手を掴みながら机に頭を打ち付け、そのまま嗚咽した。 「…う…ぐ…うぅ…。」 「椎名さん。よくここで我々に力を貸してくれました。一緒に頑張りましょう。」 「…は…い…。」 そのときである。 椎名は握られた手になにかの紙切れのようなものが手渡されたような感覚を覚えた。 ポンポンと肩を叩かれた椎名は顔を上げる。 「これで涙を拭いて。」 百目鬼からハンカチを渡された椎名はそれを使って濡れに濡れた顔を拭く。 そのときにさりげなく手渡された紙切れをポケットにしまい込んだ。 「ぐしゃぐしゃに濡れてしまいました。」 「あ…そうだね…。」 「すいません。」 「いいよ。」 こう言うと百目鬼は濡れたハンカチを嫌な顔ひとつ見せずに回収した。 「まずは我々公安特課の総合的な現状を君に報告する必要があるかな?」 相手方には必要最低限の情報しか提供しない。それ以上の情報提供は相手方にいらぬ詮索をさせることにもなり、混乱をもたらすことになる。治安組織の隠密行動において鉄則ともいえる情報の制御。百目鬼の発言はこれとは真逆であった。 「自分にですか?」 「ああ。」 「その必要はありません。」 「…。」 「私はすべての種明かしをします。その上で百目鬼さん。あなたが私をいいようにお使いください。」 「俺は君の知恵を借りたいんだ。」 「それはいくらでも協力します。」 「いいや。オフラーナの思考方法、手法を学びたいんだ。」 「仰る意味がよくわかりませんが。」 「我々は君の指揮下に入る。俺に君が指示を出してくれ。」 不意を打つオファーだった。 「君は我々の頭脳だ。俺は君の手足になる。」 「なにを馬鹿なことを…。」 表情や声色は変えないが今までフラットだった椎名の様子に、何か波打つものを感じた。 「時間が無いって言ってそれですか。」 「そうだ我々に残された時間はない。お互いの認識をすりあわせて調整を図る暇なんてない。いまさらだ。テロを計画したのは君だ。君はその全貌を知っている。しかしそれは君の手を離れて自律分散的に動く連中もあり、君ひとりで統制がとれない。要は今回の計画は自分の手に負えない状態になったってわけだ。だから我々に協力をして欲しいんだろう?だったらすべてを知る君が我々を使う立場になれば良い。我々は素人じゃないんだ。治安のプロ。これを君が手足のように使える立場になれば、それは食い止めることが出来るんじゃないのか?君は頭脳。俺らは手足。現状考えうる目的を達成するための最短ルートだと思わないか?」 これに椎名は答えない。 「すでに金沢駅には厳重警戒態勢を敷いている。必要があればすぐにでも周辺から市民を避難させることもできる。だがこのテロは自律分散的に動く連中がいる。全国各地にだ。我々は金沢駅のテロさえ止めればOKって訳じゃないんだ。我々は国民をすべての危険から護る必要がある。金沢駅のテロだけを先に防いでも、むしろその動きが他の自律分散テロを助長する可能性がある。」 「可能性をあげつらうだけだと結局なにもできないですよ。」 「そうだ。」 「行動しないと何も変わらない。」 「だからどう行動すれば良いのか分からんのだよ。」 「思考停止ですか。」 百目鬼は肩をすくめた。 「情報機関といえども、結局その情報をどう活用するかは人が決める。しかしこの人というのは厄介なもので、決定に至る演算でコンピューターでは加味されないいろんな情報を組み込んでしまうんだ。君もそれが邪魔したんだろ。だからいまこうやって俺と向かい合っている。」 椎名はこれにも返事をしない。 「目の前の脅威だけを取り除けといわれれば、話は簡単だ。空閑と朝戸を逮捕。金沢駅周辺数キロ圏は避難命令。これで金沢駅のテロ事件は未然に防ぐことが出来る。ただそれがために第2、第3のさらに大きな脅威を招く可能性も考えなければならい。むしろ実はそっちの方が想定される被害は大きいなんてこともある。それらの全貌は残念ながら君の頭の中にしかない。君がすべてを打ち明け、その情報の真偽を精査なんてやっててみろ。その時点で時間切れゲームオーバーだ。まぁそもそも君がここに出頭した時点で俺らは詰んでいたんだ。」 「敗北を認めると…。」 「おや?何に負けたと言うんだ?」 しまったという表情。椎名はそれを出してしまった。 百目鬼はにやりと笑った。 「君次第だよ。勝敗の行方は。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 調べ室から出てきた百目鬼を片倉が待ち構えていた。別室で調べの様子をカメラ越しに見ていた彼の表情はどこか不満げだった。 「理事官本気ですか。」 「うん。」 「しかし…。」 百目鬼は右手で片倉の言葉を遮った。 「言うな。百人居れば百人がお前と同じことを言う。」 これに片倉は流石に言葉を続けることは出来なかった。 「問題はここからだ。」 「と言いますと。」 「椎名は言った。自分の脳みそだけをオフラーナからこちら側にすると。」 「はい。」 「つまり外向けにはオフラーナ椎名賢明のままを貫き通さねばならんということだ。ここ北署に留め置いて奴に我々の指揮を執らせるというわけにはいかんということだ。」 「解放するということですか。」 「そうだ。突然テロの司令塔と連絡が取れない状況になると相手は疑う。」 「しかしこの椎名の出頭自体がオフラーナに勘づかれとらんという保証はありません。」 「確かに。」 片倉は黙った。 「いずれにせよ我々と逐一連絡を取れる体制を構築し、椎名は一旦解放して元の通りにしてくれ。」 「理事官。」 「なんだ。」 「なに渡したんですか。」 「ん?」 「椎名に何か渡したでしょう。」 「俺が?」 「はい。奴の手を握ったときです。」 「…。」 百目鬼は片倉の目を見て何も言わない。 「あんなことしたら、せっかく椎名の言を信用して動こうとしとる現場の連中の信用を裏切ることになりますよ。」 百目鬼は口をつぐんだ。 「バレたか。」 「バレるもなにも見えますよ。何渡したんですか。」 「言えない。」 「理事官が言えんのやったら、椎名を改めます。」 「おい、俺が陶と同じ穴の狢とでも疑ってるのか?」 「はい。」 「おいおい。」 「じゃあ何渡したんですか。」 「抑止力だ。」 「抑止力?」 「ああ。椎名が土壇場で妙な行動をとらないように牽制するメッセージを渡した。」 「なんですか。それは。」 「極秘だ。」 「…。」 「信用してないな。」 「はい。」 「この抑止力の出所は内調だ。」 「内調…。」 「ああ。上杉情報官からだ。」 「上杉情報官?」 百目鬼は頷いた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 取調室を出た椎名はトイレにあった。 小便器の前に立った背後に警備担当の人間が立って、こちらの様子を観察しているのが分かる。 手錠がかけられた状態で用を足す椎名は、先ほど百目鬼から手渡された小さな紙切れを器用に取り出して、それを背後の警備に見られないように目を落とした。 瞬間、彼から放出されるものの勢いが急速に弱まった。 ーどうして…。 「ふぅ〜。」 大きく息をついた彼は放出を再会した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 20 May 2023
- 178 - 163.1 第152話【前編】3-152-1.mp3 「キンタイで椎名をパクっちまおうかとの話もあったが、その協議の最中、当の本人が出頭となったわけよ。」 椎名を取り調べている金沢北署に入った片倉らは、岡田と富樫に特高内での会議の内容を簡潔に報告した。 「出頭のタイミングといい、マルトクのスパイになりますという申し出といい、話が出来すぎとる。こいつは最高レベルの警戒態勢を敷かんといかんってことで、こちらの百目鬼理事官にもお越しいただいた。たった今から我々はこの百目鬼理事官直下の指揮に置かれることとなる。これは県警の本部長並びに警備部長の承認済みである。」 片倉は百目鬼を紹介した。 「百目鬼だ。よろしく頼む。」 岡田と富樫は彼に向かって最敬礼した。 二人とも百目鬼と顔を合わせるのは初めてだ。 年齢は40代半ばと聞いている。見た感じ広告代理店の営業マンという風貌であるが、彼らにはない落ち着き払ったオーラのようなものを醸し出している。親しみやすさを演出する出で立ちに反して、どこか近寄りがたさを感じさせるものがある。 「で椎名は?」 百目鬼は富樫に尋ねる。 「結論から申しますと、判断がつきません。」 百目鬼と片倉は顔を見合わせる。 「正直、どこからどこまでが嘘でなにが本当のことかの判別が出来ません。自分はあいつが石川に来てからずっとその様子を観察してきました。ご存じのようにあいつの住まいには監視カメラを設置し、自分はその様子を24時間365日追ってきました。あいつの生活パターンは嫌というほど分かっています。ですが分かるのはあくまでも自分がこの目で見えるところだけ。見えないところは自分にはわかりません。」 カメラが設置されていないトイレと風呂。椎名の振る舞いについてはこの二カ所についてだけは分からないと富樫は言うのであった。 彼は机の上に置かれた自身のノートPCの画面を指し、椎名の自宅部屋の様子を百目鬼に説明した。 「先ほどの調べの中で椎名はここに越してきたときからカメラの配置を把握しとったことがわかりました。ほやから奴は自宅内ではそのカメラがないトイレと風呂で外部とのコンタクトをとっとったようです。」 「なんでバレたんだ。」 「オフラーナとしては常識だと。」 「カメラを探すような素振りを見たことはなかった?」 「ありません。あの部屋の中ではあいつはただ生活をしていただけです。」 「協力者か。」 「おそらくは。」 百目鬼は片倉を見る。彼はさもありなんといった表情でうなずいた。 「モグラ探しは今はいい。椎名のスマホとPCの解析はどうだ。」 「これから自分がやります。」 「富樫、お前がか?」 「はい。」 「ひとりで?」 「はい。」 百目鬼は片倉を一瞥する。 「理事官。マサさんはこう見えておそらく県警では一番その方面に長けた人材です。他の誰よりもデジタル系の知識と技術があります。」 片倉がすかさずフォローを入れた。 「それは俺も聞き及んでいる。」 「あ…そうでしたか。」 「俺が言いたいのは富樫がそれに当たるとなると、椎名の対応は誰がやるんだって事だ。椎名は富樫だから話をしてるんだ。他の人間が出てきたら奴の気持ちに変化が出るかもしれない。」 「たしかに…。」 「理事官いいですか。」 岡田が口を挟む。 「仮に我々を欺くことが椎名の本意だとして、我々としてはどう奴と接するのが正解でしょうか。」 「奴に我々の本当の考えを悟られないようにする。そしてさらに偽情報を与えて奴をミスリードするのが良い。」 「はい。ですが今の我々は奴がもたらす情報の何が本当で何が嘘なのかがよくわかりません。だからどういった情報を与えれば奴に混乱を与えることができるのか見極められない。そこでとにかくあらゆる手法を試してみるのが良いのではないかと思います。」 「具体的に。」 「椎名に当たる人間を富樫に絞らないで、何名かに担当させます。そしてシフトを組んで彼らを椎名に当たらせます。彼らの中に椎名にものすごくシンパシーを感じる人間をひとり潜り込ませ、彼を通じて椎名の本当に意図するところを引き出す。」 「だめだ。」 岡田から目を逸らした百目鬼が言った。 「どうして。」 「そんな悠長なことをしている時間は無い。」 「…。」 「岡田課長。時間があれば俺もその方法を採用するだろう。しかし我々に残された時間は24時間程度。そんな手の込んだ芸は採用できない。」 「そうですか。」 「しかし偽情報を与えるのは有効な手立てだ。」 「ではどうしましょうか。」 「俺が椎名の調べをやる。」 「えっ。」 岡田もうそうだが、その場に居た富樫と片倉が声を出して反応した。 彼らの反応を意に介さないように、百目鬼は着ていたジャケットを脱いだ。 「理事官自らですか。」 「ああ。俺がやる。俺が情報を見極めてその場で判断する。一番早い対応方法だ。」 「しかし理事官は椎名と初見です。予備情報も何も無い状態で奴を調べるなんて無謀です。」 心配ないと言って百目鬼はスマートフォンを取り出して片倉に見せる。 そこにはマインドマップのようなものが表示されており、放射状に無数の項目が打ち込まれていた。 「調べの基本は抑えてある。あとは俺と椎名とここの力比べだ。」 こう言って百目鬼は自分の左側頭部を人差し指で指した。 「リスキーすぎます。」 「じゃあどうする。」 「それは…。」 百目鬼は窓側に歩いて行き、しまっていたブラインドシャッターを引き上げた。 先ほど降り出した雨が横風に煽られて、目の前の窓に打ち付けられている。 「酷い天気だ。」 「…。」 「今の俺らには椎名のオファーを断る術はない。」 その場は沈黙した。 皆が心の奥底に抱えていた本心を百目鬼が代弁した瞬間だった。 「このオファーが出された瞬間、俺らには断れない状況を作り上げられていた。将棋で言えばもう詰んだ状況だ。ここから奴はどう出るんだ?この詰みの状況はブラフか?とここで考えるのは全く意味が無い。」 「俺らはもしもの時の被害を最小限に食い止める。これにつきる。」150 ここ金沢に来る新幹線の中で百目鬼が呟いたこの言葉が片倉の頭の中でぐるぐる回った。 何も言えない。只々途方もない絶望のようなものが片倉の脳を、そしてその場に居る岡田と富樫の脳を支配する。 「しかし負けではない。」 気のせいか、窓を打ち付けていた雨が弱まったような気がした。 「王将を獲られなければ良い。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 20 May 2023
- 177 - 162 第151話3-151.mp3 「え?見た?」 「はい。数時間前です。目鼻立ちがくっきりしてるけど、身体の線が細くってちょっとアンバランスな感じがしたんで覚えています。」 相馬は駅に隣接するホテルの事務所にあった。 「どの部屋に?」 「それはわかりません。」 「カメラ見せてもらって良いですか。」 「あ…はい…。」 「支配人。」 フロントの女性が困惑した様子で部屋に入ってきた。 「なに?」 「例のあの方が支配人を呼んでます。」 「マジかぁ…。」 支配人は相馬を見る。 「そうだ刑事さん。ちょっと力になってもらえません?」 「なんです?」 「さっきヤクザ風の男らがスイートに走って行ったんですよ。」 「え?そうなんですか。」 「これから私対応しますんで、妙な言動があればそこで逮捕とかできませんか。」 「え…。」 「あの、仁熊会は?」 「…そっちはマル暴のシマや。そっちでやる。」150 ーいやいや、ここで俺が出しゃばるとマル暴すっ飛ばしになる…。 ーおそらく岡田課長からマル暴には連絡いっとるやろうし、時期あいつらここに来るはず。 「刑事さん。」 「あ、あぁ。はい。」 ー支配人の横で睨みを効かせるくらいなら問題ないか。 支配人は相馬を帯同してフロントに出ると、そこにはリーゼント頭の男がひとり立っていた。 「支配人さんですか?」 「はい。」 ご多用のところ恐縮ですと丁寧な言葉使いで男は名刺を差し出す。そこには綜合警備会社仁熊会 卯辰次郎とあった。 「お騒がせしまして申し訳ございません。」 「何があったんですか?私どもとしましても他のお客様にご迷惑がかかるようなことはお止めいただきたく…。」 「その名刺にもあるとおり私ども警備の仕事をしてまして。個人のボディーガード的なこともやってるんですよ。で、その依頼主から身の危険を感じたって連絡があって乗り込んだ訳です。御社に迷惑をかけようとしてこんなことをしたわけじゃありません。私どもも仕事の一環でして。」 「でしたら事前に話を通してください。」 「申し訳ありません。」 次郎は深々と頭を下げた。 「ところで支配人。」 「はい。」 「一つ伺うんですが、チェックイン時部屋の鍵はどうなっているのが普通なんでしょうか。」 「え?どういうことですか。」 「窓の鍵が開いてたんですよ。ベランダに出るところです。なんか依頼主がこれを見て気味悪くなっちゃって。」 「いや、それは申し訳ございません…。クリーニング時には基本、施錠を確認する事になってまして。」 「ということは確認漏れということでよろしいでしょうか。」 「おそらくは…。」 「もう一つ良いですか。」 「なんでしょう。」 「いまこのホテルに白人のお客さん泊まっていますか。」 「…すいません。お客様の情報は公開できないことになっています。」 「ではこのホテルの中で今日、白人を見ませんでしたか。」 「申し訳ございません。お答えできません。」 ーなんだ白人って。ホテルなんだから外国人だっていろいろ泊まってるだろう。随分雑な質問だな…。 「おーう。」 次郎の背後から彼の肩を叩く者があった。 彼は振り返る。 「あっ!」 「次郎。久しぶりやな。」 「十河のダンナ。」 ー十河さん!? 相馬は十河と目が合ってしまった。 雨で濡らした肩をハンカチのような者で軽く拭っている十河も目の前に居るのが相馬だと知り、なんでこんなところに居るんだと言う表情を見せ、彼から目を逸らした。 「物騒なことはやめろや。なぁ。」 「ダンナ。俺、何もしてませんぜ。」 「馬鹿野郎。目立ったことはすんなってことよ。」 「…。」 「で、なんだ次郎。」 「いや…。」 「白人がなんだ?」 「ヤバい白人が居るんスよ。」 「どうヤバい。」 「プロです。」 「プロ?」 「はい。」 ーなんだプロって…。 「…。」 「カメラさえ見れば確認できるんです。」 「見せてもらえよ。」 「無理でしょ。」 「わかんねぇぞ。」 「なにアホなこと言っとるんですか?警察でもあるまいしんなもん見せてくれるわけないでしょ。」 「サツおらいや。」 「なに言っとるんスか?ダンナ辞め警でしょうが。」 十河は顎で相馬を指した。 「はい?」 「あれサツカンや。あいつと一緒に見せてもらえばほんで良いがいや。」 「ええ!?」 次郎は漫画のような驚きの声を出した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ホテルを出た相馬と次郎は、外に待たせてある黒塗りの車に乗り込んだ。 車のスライドドア閉まる音 「支配人迷惑そうでしたね。」 「そりゃそうでしょう。サツとヤクザがセットで来るんですから。」 次郎のこの言葉に相馬は思わず笑ってしまった。 「で卯辰さん。カメラのデータ、コピーしてそれ全部目で見るんですか。」 「いいえ解析にかけます。」 「解析?」 「はい。顔認証とAIを組み合わせたプログラムをつかいます。」 「なんです…それ…。」 「ところで相馬さんはどちらさんを探しとるんですか。」 「こいつです。」 相馬は次郎に写真を見せる。 「綺麗な顔してますね。まるで中東系の外人みたいや。」 「はい。こいつがホテルに来た事は支配人さんの記憶にもあるそうです。」 「こいつちょっとデータもらえますか。」 データを受け取った次郎はそれをどこかに転送した。 「特定の人物を探すだけなんで、30分程度で解析終わります。こいつと同一人物と思われる画像を時系列に抽出してくれます。」 「本当ですか…。」 「この凄いもの作ったのが今回の自分の依頼主ですわ。」 「まさかその腕前を狙って…とか。」 「わかりません。ただその依頼主、おととい東京でも同じような目に遭ってまして。」 「やっぱりじゃないですか。」 「いやそれは違うと思います。」 あっさりと自分の予想を否定された相馬だった。 「差し支えなければ、こいつ何者なのか教えてくれませんか。」 「サツカンです。」 「え?サツカン?」 「探してるんです。今朝、急におらんくなりまして。」 「あぁ、そうやったんですか。」 車のスライドドアが開かれる音 強面の男がひとり車に乗り込んできた。 「おう。アニキの様子は。」 「大丈夫です。大分落ち着きました。ひととおり調べたら一郎アニキから聞いたホテルに送ります。」 「ああ頼む。」 「ただ、やっぱりプロが関係しとると思いますね。」 「どういうことよ。」 「ほらベランダに出るとこの鍵もそうなんですが、どこにも指紋ないんです。」 「あー…。」 「完全に何かの目的があって部屋に入って、ベランダに出てって感じだと思います。」 「ベランダには?」 「この雨です。」 「だな。」 「そういや、そこに十河のダンナいましたよ。」 「あぁ、このホテルにマル暴来たら適当に対応してくれるってさ。」 「えっなんでそんなに協力的?ってかダンナ、サツカン辞めて久しいんじゃないですか。」 「サツはサツの事情があるんだろうよ。」 こう言って次郎は相馬をみた。 彼はそれに含み笑いをして返すしかなかった。 「あれ?」 白人男性と黒人男性、そしてアジア系と多国籍な人種の姿が相馬の視線に入ってきた。 それぞれが当のホテルからスーツケースを転がして出てきた。 「金沢も本当に外国人観光客が増えました。昔は外国人観光客って言えばチャイニーズばっかりだったんですが、いまは本当に多国籍ですよ。」 「本当ですね。ほら卯辰さんの探してる白人候補のひとりがいますよ。」 「ですね…。」 次郎の目つきが鋭い。 「相馬さん。なんか気になりませんか。」 「なんです。」 「ほらなんかあいつら妙にガタイがいい。」 皆、どちらかというとだぼっとした服装を着ているのでぱっと見気づかなかったが、言われてみれば確かにそうだ。 白人と黒人は日本人とは比較にならないから置いておくとして、アジア系人間までも相当の体つきだ。 「でも大陸系の人間はそもそもの骨格が違うんで、特に珍しいことでも無いような気がしますが。」 「そうですか…。」 「あ、何かしゃべってる。」 相馬は窓を少し空かした。 「Где находится пикап? 迎えはどこだ?」 ーロシア語…。 「Станция. 駅だ。」 スタンツィア 「なんですか。あの言葉。」 「ロシア語。」 「ロシア語?」 「はい。」 「相馬さん。ロシア語分かるんですか。」 「多少。」 「なんて?」 「あいつら駅に行くそうです。そこに迎えが来てるって。」 何か気になる。そう言って次郎はホテルから出てきた4人組の外国人連中を写真に収めた。 相馬と次郎はそのまま彼らの姿を目で追った。駅のロータリーの方へ向かった彼らは遮蔽物によってその動きが見えなくなった。 「あ、あれだ。」 一台の白いバンが大通りの方へ走り出した。 「随分ボロい車でお迎えやなぁ…。あれ平成5年ぐらいの車やぞ。」 「平成5年?」 「ええ。1993年。約30年前の車ですわ。」 次郎がこう言うと、更に一台のハッチバックがその白いバンに続いてロータリーから出庫した。 今度はその車をみた相馬の目つきが変わった。 「どうしました。相馬さん。」 「同じニオイがする…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「Эй. За вами следят. おい。付けられてるぞ。」 「Я знаю. わかってる。」 バンの運転手は無線で連絡をする。 「Избавьтесь от преследующих вас машин. 後続の車を排除せよ。」 「Понял. 了解。」 しばらく走るも後ろに同じ車がぴったりと張り付いてくるのが、ルームミラーで確認できる。 数分後無線が入った。 「Полная скорость при следующем сигнале. 次の信号で全速力だ。」 「Понятно. わかった。」 車は信号で止まった。 社内は無言である。 交差する道路の車の流れがやがて止まろうとした。 「Давай, пойдем. さぁ行くぞ。」 ダヴァィ ポィデム 信号が青になるかならないかのタイミングで運転手はアクセルを踏み込んだ。 しかしその出足は遅い。間を置かずに後続車が続く。 事故音 ミラーをみると後続車の右側面にSUVが突っ込んでいた。 「Oбезьяна. 猿が。」Sat, 06 May 2023
- 176 - 161 第150話3-150.mp3 「朝戸離脱。朝戸は武蔵が辻方面に向かいました。」 「古田さんは。」 「距離を置いて尾行の構え。」 「朝戸班は両名をつけろ。」 「了解。」 「内灘より本部。」 息つく間もなく無線が入る。 「はい本部。」 「先ほど応援依頼した人員が未着です。状況どうですか。」 担当者と岡田が目を合わせる。 「すいません。引き継ぎ漏れです。どこから応援をよこすって言ってました?」 「朝戸班と聞いています。」 担当官は直ぐさま朝戸班に繋ぐ。 「本部から朝戸班。」 「はい朝戸班。」 「内灘からの応援要請の件、状況はどうなっていますか。」 「派遣済みです。」 「え?内灘からは未着とありますが。」 「いいえそんなはずはありません。無線が入ってすぐに指示を出しました。」 担当官と岡田はまたも目を合わせた。 「了解。確認します。」 「朝戸班了解。」 「あれか。冴木がここに座っていた時のことか。」 「おそらく。」 「あいつマルトクの中、引っかき回す気か。」 「しかし朝戸班はちゃんと内灘へ応援派遣に応じています。そのあたりの指示関係はちゃんとこなされているのでは?」 「確かに…。」 岡田はマイクの前に立った。 「本部から朝戸班。」 「はい朝戸班。」 「その応援部隊と連絡取れるか。」 「はい。」 「電話でもいいから連絡とって対応してくれ。」 「あ、はい。」 「あっ待って。」 冴木は岡田に対して、自分は光定班の班長に言われて本部に戻ってきたと言った。光定殺害に関する取り調べの報告が岡田の元に上がっていない状況であるのにだ。それを確認するために光定班に岡田は連絡を取った。するとその光定班の班長が行方不明であるとの事。この班長は未だ行方不明だ。もしも朝戸班も光定班と同様の工作が仕掛けられているとしたら、この無線でのやりとりを鵜呑みにするわけに行かない。 とはいえ人員が限られている。 「本部から朝戸班。」 「はい朝戸班。」 「班長か。」 「はいそうであります。課長、良くないご報告です。」 「何だ。」 「いまさっき応援部隊の二名に電話かけたんですがどちらも電源が切られています。」 「な…に…。」 「探しに行きたいのですが如何せんこちらも人員が不足してまして…。」 岡田は力なく椅子に腰をかける。 「二人とも…か…。」 「はい。マズい感じがします。」 「思い当たる節は。」 「ボストークの捜査をしとるときは問題ありませんでした。ボストークの捜査を終えて直行せよと指示を出しました。」 「ボストーク…。」 ー椎名が片倉京子と接点を持った店か…。 「ボストークに変わった点は?」 「それは既に送ってあります。」 「なに?俺はそんな報告もらっていない。」 「課長。冴木の時じゃないですか。」 担当官が口を挟んだ。 「悪いが再送してくれ。」 「はい。」 しばらくして目の画像が送られてきた。 「こいつは…。」 「天宮のときと同じ奴ですね。」 「ああ。」 「本部から朝戸班。」 「はい朝戸班。」 「ボストークはこの気味の悪いポスターについて何か言ってたか。」 「昔店に来たバンドが貼らせてくれって言ったんで貼らせたとか言ってました。」 「バンド?なんて名前だ。」 「わかりません。店側もあまり興味がないので覚えていないと。」 ーまてまて…。ここで天宮憲行の家にあった目の写真って、なんか図ったような情報の小出し具合じゃないか? ーここでさらに情報を出して捜査現場を混乱せしめる。混乱させればそれだけテロを起こしやすいってもんやろ。 「…わかった。班長は引き続き朝戸監視を継続。応援部隊の捜索はこちらでやる。」 「ありがとうございます。動きアリ次第報告いたします。」 椅子に深く座った岡田は腕を組む。 「ところで冴木について何か情報は。」 「いまのところ目立った報告はありません。」 ーいまのところ自由に動かせるのは相馬ひとりか…。 ーしかしあいつには冴木の捜索を命じたばかり、それを途中で放り出して応援部隊捜索に転身ともいかんよな…。 ーいやしかしそんなあいつの顔を立てるとかも言ってられん。 携帯を手にしたときである。 偶然相馬からの着信が入った。 「はい岡田。」 「課長。妙なことが起きてます。」 「妙なこと?なんだ。」 「いま金沢駅に居るんですが…。」 「金沢駅?冴木がそこに?」 「いや、まぁそれはちょっと置いといて仁熊会がホテルの中に突入していきました。」 「仁熊会が?」 「はい。4名程度の男がえらい怖い顔して。気になったんで電話しました。」 岡田は頭を抱えた。 「おいおい相馬、冴木のほうはどうしたんだ。」 「この辺りで冴木の目撃情報があったんで来たんですが、来たその現場で仁熊会が騒動起こしていまして…。」 「まさかあいつ高飛びとかじゃないやろうな。」 「念のためそっちの方の手配もしておいた方が良いかもしれません。」 「わかった。」 「あの、仁熊会は?」 「…そっちはマル暴のシマや。そっちでやる。」 電話を切った岡田は思わず壁を足で蹴った。 「いまさら仁熊会がなんやって言うんや…いまはそれどころじゃねぇやろう。」 相馬に対するいらだちが自分の感情を支配するかと思ったそのとき、岡田は待てよとそこで立ち止まった。 ーいや、でもここで仁熊会に抗争事件とか起こされたらそいつはそいつでマル暴とマルトクの調整とかでややっこしいことになる…。 岡田の手は携帯電話を握りしめていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「わかった。また動きがあったら連絡してくれ。」 片倉は電話を切った。 「誰だ。」 「OBのエスからです。いまは喫茶店のオーナーやってます。」 「店の名前は。」 「エスですよ特定されます。言えません。」 「エスの管理は俺の仕事でもある。」 「…セバストポリ。」 「野本か。」 「はい。」 「金沢についたらそこ帳場にするか。」 「営業妨害です。」 「じゃあそこから出前とるとか。」 「あぁ…いいかもしれません。あすこのプレートランチは美味いですよ。あ、ただ出前やっとるかどうかはわかりません。」 「いまどきほら、ユーバーとかあるだろ。アレ使えばいいんだよ。」 「あー自転車とかバイクで食べ物運ぶやつ。」 「うん。」 「あれ自分、前からどうなんかと思ってるんですよ。」 「どうなんかって?」 「いやほら、ロードバイクやったらほら前傾姿勢であのリュック担いで運ぶでしょ。」 「うん。」 「絶対、中身偏ってますって。ひょっとしたらぐちゃぐちゃかも。」 「それは承知の上だろう。」 「いや自分絶対嫌です。そんな見栄えの悪い食事は。いくら美味いって言ってもそこそこ金払うんですから、それなりのもんじゃないと。」 「まぁ言わんことは分かるか…。」 「だいいちなんでリュック担いでチャリとかバイクなんですかね。あの手のサービス、昔の食堂ならどこもやってましたよ。おかもちに専用の原付使って。」 「自分の店でやるには割が合わないんだろう。」 「そうかもしれませんが、出前って視点で言えば。むしろ退化しとるんじゃないですか。」 「なんだお前、食い物の話になると急に饒舌になるな。」 「大事な話なんで。」 「しかし確かに出前文化自体はひょっとして退化してるのかもしれないな。あり方は変わったのかもしれんが。」 「どうせならドローンとか使って出前とかのほうが未来あって良いと思いますよ。自分。」 隣に座る百目鬼は片倉の目を見た。 「なんすか。」 「かっこいい。」 「え…。ちょ、やめ…。」 「ドローンの出前かっこいい。それいい。それ頂戴。」 「え…。」 「ほら都心のビルの高層階まで直接届けられるだろ。いいぞそれ。っていうかわくわくする。」 「あ、はい…どうぞ。」 百目鬼が自分に対して妙な気を起こしてしまったのではと、一瞬戸惑いを見せた片倉であったが、そんなはずもなく、百目鬼の起業家スピリッツを喚起させただけだった。 「で、トシさんはなんだって。」 「相変わらず単独行動。朝戸と直接接点を持って、完全マンマークしとるみたいです。」 「この局面でスタンドプレーか…面倒くさいことにならなければ良いが。」 「トシさんをここで無理矢理排除しても、朝戸にそれ気づかれて、事がマズい方向に転ぶなんてこともあり得ます。なのでいまはトシさんに朝戸の手綱を引いてもらう方が得策かと。」 「だよな…。」 「理事官は今回の件、どう思ってらっしゃいますか。」 「椎名投降の件か。」 「はい。」 「正直分からん。」 「ですよね。」 「俺らはもしもの時の被害を最小限に食い止める。これにつきる。」 「その発言。事が起きる前提ですよ。」 「希望は持っている。だが考えても見ろ。予定日は明日だ。」 「…。」 「相当食い込まれているという現実を見た方が良い。その状況で司令塔の投降、怪しさしかない。」 「一体いつからなんでしょうか、椎名。」 「考えるまでもない。おそらくこのためにあの国から逃げ帰ってきた。そのエスコート役が内調の陶だった。」 「陶専門官ですか…。」 「あいつについては上杉情報官に管理されている。あいつの悪さはこれで終いだ。」 「いや自分が気になるのは上杉情報官が陶をどの段階であっち側の人間だと特定していたのかって話なんです。」 「というと?」 「この数日、自分らはある意味陶によって翻弄されました。鍋島能力についても内調は早くからその研究について把握をしていたことになる。それを我々は知らされることなく、目隠しされた状態で捜査していたわけです。」 「…。」 「理事官?」 「やめよう。この話は。内調のことは内調に任せよう。」 「…。」 「しかし一般論だが…。」 「一般論?」 「ほとほとこの国の統治機構はクソだ。」 「…。」 「縦割りが過ぎる。」 「…。」 「平時前提だからさ。有事の前提が皆無。だから回してなんぼ。大事なのは前例と面子。敗戦から何も学んでいない。」 「敗戦ですか。」 「話せば長くなる。やめよう。」 「…はい。」 「いずれにせよ縦割りで面子の塊であるのは事実だ。その中で最大の効果を発揮させるためには現場の力に頼るしかない。」 「どこかで聞いた話ですね…。」 「上杉情報官を筆頭にできる限りの安全保障上の連携を講じている。そこだけは片倉、疑いはない。」 「…。」 「信じてくれ。」 「わかりました。」 携帯バイブ音 「はい。片倉。」 「…うん……そうか。わかった。到着次第協議としよう。」 「どうした。」 「ケントク課長の岡田からです。椎名の聴取一旦終了。」 「そうか。」 「対象、マルトクのスパイになることを希望しているようです。」 「なに…。」 「他にも判断を仰ぎたいことが多数。」 新幹線は長野駅を出発していた。 時刻は11時を回ったあたり。 12時には金沢に到着する予定だ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー トラックがエンジンをかけ走り去る音 「ぎりぎりセーフか…。」 腕時計に目を落とすと時刻は11時少し前だった。 「うん?」 ポツポツと雨が降り出していた。 店の扉にかけられているCLOSEの文字が書かれた札をひっくり返したマスターは中に戻った。 事務所のドアを閉める音 鼻をかく音 「問題ない。匂わない。」 タバコを吸う音 携帯操作音 「あぁ矢高さん。ボストークです。遺体処理終了しました。痕跡はありません。」 「ご苦労さん。」 「でもいずれバレます。時間の問題では?」 「うん。もうしばらくすればバレるだろう。」 「え?そんなに早く?」 「うん。でもボストークで失踪したとまでは突き止められない。だってそこは異常が無かったんだから。」 「しかしあの妙な写真は送りました。」 「あれがきっかけで再びそこに乗り込むことはない。むしろ頭の中かき乱されるさ。考えても見ろ。ただでさえ混乱してるところに、さらに気になる情報が入ってくる。アレも重要。これも重要。そんな情報の優劣がつけにくい状況で、それをどう処理するってんだい?何事も順番が大事。結局はひとつひとつ地味に解決していかなきゃならんのだよ。マルチタスクとか言うけど、それは処理を自動化できる術があってなしえること。ヒトの要素が大きい公安でそれを行うのは至難の業だな。そして公安は既に人員不足。完全にパンク状態さ。」 ーどこまで計算ずくなんだこの人…。 「公安よりもむしろ今警戒せねばならんのはヤドルチェンコ。」 「ヤドルチェンコ。」 「ああ。君が私と通じていると知れば、明日の行動をやめる可能性がある。やめるときはボストークに運び込まれた銃火器を奴が警察にリークする可能性がある。アルミヤプラボスディアがテロを計画しているとな。そうなると計画はパァだ。」 「そのためにキングがいるのでは。」 「もちろんそうだ。しかしキングも全知全能ではない。」 「…。」 「ここは君が踏ん張るんだ。」 「…了解。」 「ひとまずヤドルチェンコとコンタクトをとってくれ。明日の確認だ。」 「ここにきて何を確認するんですか。もう段取りはすべて整っています。」 「物理起爆スイッチは朝戸には渡していないと報告してくれ。公安に持ち物検査される恐れがあったのでウェブサイト経由の起爆システムに切り替えたと。」 「細かい事じゃありませんか。報告するまでのことではないかと。」 「報告を要するか要しないかは相手が決める。一見そんなもの必要なかろうと思われる些末なこと。この報告の怠慢が、相手の猜疑心に火を着ける。結果、粛正される。そんな事例は歴史上多々ある。人間ってもんは疑い深い生き物さ。」 電話を切ったマスターは、矢高に言われたとおりSNSでヤドルチェンコにメッセージを送った。 しばらくして返事が返ってきた。 「報告ありがとう。機転の利いた対応だ。」 「朝戸への対応はこれで終了。あとは明朝の引き取りを残すだけ。これでいいか。」 「それでいい。間違いない。」 「健闘を祈る。」 「ああ。信頼できる同志よ。」 ドアノックの音 携帯をしまったマスターはドアを開く 「なんだ。」 「またブツが届きました。」 「またか…。」 「どうします。」 「仕方が無い。すぐにここに運んでくれ。」 雨に濡れたスーツケースが複数、部屋に運ばれてきた。 それを開いたマスターは運んできたスタッフに尋ねる。 「これ、いつ取りに来るって?」 「閉店時間にでもと言ってました。これで最後です。」 「わかった。店の方はお前に任せる。俺はこっちにかかる。何かあれば内線で連絡をよこせ。」 部屋に再びひとりになった彼は床に退いてあるラグを捲りあげた。木床のそれの内、一枚を剥がすと取っ手のようなモノが現れた。それを掴んでスライドさせると地下に通じる階段が出現した。 階段を降りスイッチをつけるとその中が明らかになった。 広さ十畳ほどのこの空間の壁面に設置された棚には、整然とそしてびっしりと銃火器が並べられていた。 「どう考えても矢高さんのほうが上手なんだよな…ヤドルチェンコより。」 濡れたスーツケースをタオルで軽く拭き、それ開いた彼はそこに入っているモノを確認する。 「にしても、どうやってこいつ手に入れたんだ…。」Sat, 22 Apr 2023
- 175 - 160 第149話3-149.mp3 広すぎる。 部屋も調度品もベッドも何もかも。 自分ひとりでは完全に持て余してしまう。 落ち着かない。 浮世離れしたこの環境が自分の心の安寧を妨げる。 そう思っていた。いやそう思おうとする自分があった。 ドアを開く音 ーあれ…。なんだこの感じ…。 「お客様。どうされました?」 「あ、あぁ…。」147 この部屋に案内されるときに背中に感じた妙な感覚。あれは一体何だったのか。 どうしてあの白人を見た瞬間、悪寒を感じたのか。 つい最近も同じような感覚に襲われた覚えがある。 そうだ。曽我のマンションを張り込んでいたときのことだ。 さっきまで居たはずのパーカーの男が姿を消したかと思ったら、動けなくなった。直感的に自分に危険が迫っていることを感じとった。自分ではどうにも出来ない圧倒的な力が自分の側に居る。しかも悪意を持って。 あの感覚と全く同じだ。 気づくと雨澤は電話をかけていた。 「あ雨澤です。」 「おう気に入ってもらえた?」 「無理です。」 「へ?」 「助けてください神谷さん。」 「おいおい何よ…。」 「居ます。絶対居ます。」 「だから何が。」 「曽我のマンションに居た奴です。」 「なに…。」 「同じ奴かどうかわかりません。けど同じ感じがするんです。このホテルに居ます。」 「わかった。いまホテルか。」 「はい部屋の中です。」 「鍵は。」 「かかっています。開けていません。」 「本当に鍵かかってるか?すぐに調べろ。」 雨澤は部屋の入り口、そして窓の鍵を調べる。 すべてかかっているはずの鍵。しかしベランダに通じる窓の鍵は開いていた。 「開いてます…。」 「部屋に誰かいるか。」 「んなもん分かりませんよ!」 「すぐに鍵のかかる部屋に入ってそこに引きこもれ。」 「は、はい!」 雨澤は書斎部屋らしきところに駆け込んだ。 鍵をかける音 「なんなんスか…。」 「わからん…。いまその部屋に応援が向かっている。」 「勘弁して下さいよ…。」 震えが止まらない。雨澤は書斎机の下に潜り込んでガタガタと震えだした。 しばらくして物音が聞こえた。 「アニキ!雨澤アニキ!」 次郎の声が聞こえた。 あの強面の連中が自分を助けに来てくれた。これほど頼もしいものはない。 雨澤は安堵のあまり立ち上がることができなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「はい、ドリップのショートね。」 古田がマグカップを持って朝戸に前に座った。 ここは金沢駅隣接のファッションビル一階。コーヒーチェーン店のオープンテラスだ。 「あぁ何から何まですいません。」 「いや気にしないでください。それにしてもなんなんですかね。さっきまでからっと晴れてたのに、急にこの雨。せっかくのオープンテラスが一気に辛気くさくなってしまった。」 どうぞと促され、朝戸はそれに口をつける。 「うん。苦い。」 「あれ駄目でした?」 「いや。久しぶりにここの店のコーヒー飲みました。がつんって来ますね。マズいわけじゃないんです。これはこれで良いですよ。」 「良かった。天気も併せて、完全に下手打ってしまったかと思いました。」 「奢ってもらってんのに、それダメ出しするほど感じ悪くありませんよ自分。それに天気はどうにもなりません。」 「なら良いんです。」 「本当にありがたいことだと思っています。」 「…。」 にやりと笑って古田もまたコーヒーを一口飲む。 「ところでここで何を?」 「…。」 ー久美子を監視する理由が言えない理由があるってわけか…。 「野暮でしたね。すいません。」 「いえ…。」 妙な沈黙が二人の間に流れた。 「藤木さん。」 「…はい?」 「孤独ってどうしようもないですね。」 「孤独…ですか。」 「はい。」 「藤木さんご家族は?」 「いました。」 「いました?」 「ええ。妻と娘がひとり。ですが随分前に愛想尽かされて出て行かれましてね。今の私は天涯孤独の老人です。」 「そうでしたか…。」 「ただ仕事とかそれにまつわる人間関係が自分を紛らわしています。朝戸さんは?」 「自分は母親が居ます。」 「じゃあ孤独ではない。」 「そうです。藤木さんに比べれば全然孤独じゃない。だけどものすごい寂寥感が自分を覆うんです。」 「それが孤独と…。」 朝戸はうなずく。 「よくわかんないですね。それは孤独とは言わない。孤独をただ感じているだけです。事実はそうじゃない。」 「事実が大事なんですかね。」 「と言いますと?」 「実質的に自分は孤独です。」 「実質的な孤独?」 「はい。」 「はて…。」 「信頼関係を構築しているような見た目。でも結果的には良いように使われてポイ。そういう運命なのは分かっている。」 「なんです?もしやお仕事の悩みですか?」 「それと似たようなモノです。救いを求めて友人を頼る。彼は親身になって自分の訴えに耳を傾けてくれた。彼は出来ることはないかと必死に考えてくれた。そしてあれこれと世話を焼いてくれた。でも。」 「でも?」 「それも見せかけ。その背後に別の意図があった。」 「なんと…。」 「それを知った瞬間。藤木さんはどう感じますか。」 「…。」 「自分は何かにすがるしか希望を見いだせなかった。」 「何にすがったのですか。」 「その彼の表向きの好意にすがりました。」 「なぜそんな見せかけの好意に。」 「彼は自分の孤独を埋める術を持っていた。」 「それは?」 「事故で(死んだ妹の姿ですよ)…。」 黒塗りの車がテラス前の金沢駅ロータリーに何台か横付けした。 かと思えばそこから強面の男たちが数名降りて、目の前の高級ホテルに走って行く。 それを見た古田は呟いた。 「仁熊会…。」 「え?なんて?」 「あ…いや、なんでしょうかね。物騒ですな。」 「…ですね。見た感じヤクザっぽかったですが…。」 「ですよね。」 「まさか組同士の構想とかですかね。」 「だったらヤバいですね。ここは早々にずらかりましょうか朝戸さ…。」 朝戸と席を立ったときのことである。 今し方仁熊会の連中が入っていったホテルからサングラスをかけた白人の男がひとり出てくるのを目撃した。 「どうしました?藤木さん。」 「え?」 「大丈夫ですか?」 「え?ワシ?」 「はい。」 「自分、なにか変ですか?」 「ええ。手が震えていますよ。」 「はい?」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「Что это за парни? なんだあいつら。」 イヤホンを耳に刺しホテルを出たベネシュは呟く。 「Якудза "дзинюкай". ヤクザの仁熊会です。」 「дзинюкай?」 「Да.」 「Только не говори мне, что ты испортил уборку за Саэки? まさか冴木の後始末をしくじったのか?」 「Нет. Невозможно. いえ。ありえません。」 「Пожалуйста, не разрушайте мой замок. 頼むから俺の城を荒らさないでくれよ。」 ベネシュはそのまま金沢駅の地下に進む。 あまり人気の無い地下には制服姿の警察官が数名、死角となるようなところを重点的に調べていた。 「Я вижу. Общественная безопасность располагает некоторой информацией о терроризме... なるほど。公安はある程度テロの情報を掴んでいるか…。」 「Как мы можем успешно завершить эту часть проекта? Давайте посмотрим. Майор Зинкава. ここをどうやって見事完遂させるのか? 見物だな。ジンカワ少佐。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「あれ?次郎は。」 スキンヘッドの厳つい顔立ちの卯辰一郎が部屋に入ってきた。 神谷はパソコンの画面を見たまま、一郎とは目を合わさずにそれに応える。 「雨澤の様子見に行った。」 「雨澤さん、なんかあったんですか。」 「俺が曽我のマンションに行ったときに居たって言ったろう。」 「プロらしき連中ですか。」 「うん。そのときと同じ空気を持った奴が雨澤のホテルにいるらしい。だから次郎に向かわせた。」 神谷の携帯が鳴る。 「おう次郎どうだ。」 「オールクリアです。」 「雨澤は。」 「駄目です。ガタガタ震えて立てません。」 「仕方が無い。場所変えよう。とりあえずウチまで連れてきてやってくれ。」 「はい。」 「何か変わったことは。」 「ベランダに通じる窓の鍵が開いてます。ほかは問題ありません。」 「それは雨澤も言ってた。なんでだろう。」 「調べます。」 「頼む。」 「あと雨澤のアニキ気になる事言ってまして。」 「なんだ。」 「白人を見たと。」 「白人?」 「ええ。そいつが例のおっとろしい感じを出してたって。で、自分まさかとおもってヤドルチェンコじゃないかって聞いたんです。」 「で。」 「違うようです。ヤドルチェンコの顔は雨澤アニキも作業中ずっと見てるんで分かるはずなんで間違いは無さそうです。」 「あいつ変装とかしてるって次郎、言ってたけど。」 「その変装の具合もアニキ見てるんで。」 「そうか…。」 「こいつも誰か調べます。」 「頼んだ。」 神谷は電話を切った。 「ま、こういうことだから一郎。雨澤のホテル手配してくれないか。」 「はい。」 「ところで早い帰還だね。もう分かった?朝戸。」 一郎はコピー用紙の束を神谷の前に差し出した。 「朝戸慶太。1977年東京生まれ。父雅也、母千鶴の間に長男として生まれる。沙希という妹がひとりいます。東京の有名私大を卒業するも就職先に恵まれず、現在はフリーターです。」 「氷河期直撃世代か。」 「はい。朝戸の性格は一言で言えば明るい。バイト先の評判も悪くありません。父の雅也は6年前からがんを患っておりまして、母の千鶴はその看病で家に籠もりがち。朝戸家の稼ぎは慶太のバイト代、両親の年金であり裕福でもなく貧困でもなく、平均的な経済状況です。」 「あれ妹は?」 「妹の沙希は6年前に横断歩道を渡っていた際のひき逃げ事故で死亡しました。」 「それは気の毒だな。犯人は。」 「こちら未解決でございます。」 「未解決?」 「実はこの未解決事件について気になる情報が入ってまして。」 卯辰一郎は当時、朝戸慶太がひき逃げ事件の捜査が不十分であると何度も警察署に抗議に来ていたことを神谷に報告した。 「具体的にどういった点が捜査不十分だと言うんだ。」 「慶太曰く真犯人は当時の警察幹部の息子だ。」 「え?」 「証拠として写真も持ってきていたそうです。ですが再捜査はなしだったそうです。当時の関係者から聞きました。」 「その写真は?」 「わかりません。捜査していないのでそれは警察方には残っていません。」 「その当時の警察幹部ってのは?」 「白銀篤(しろがねあつし)。」 「白銀?」 「はい。」 神谷は記憶をたどる。かつては警察キャリアとして自分の立ち位置を見極めるために、諸先輩たちの名前と役職、その派閥など自分なりの人物名鑑を作成していた。なので幹部連中の名前はほぼ網羅している。しかし彼の記憶には白銀という人物はない。 「ひょっとしてこのことと先日のノビチョク事件に何らかの関係があるんじゃないかって考えたんですが、あの事件で殺害されたのは6年前にここの県警本部本部長だった最上です。最上と朝戸について調べても彼らに何らの関係も見いだせません。」 「…。」 「なのであの事件は怨恨によるものとは考えにくいと思います。」 「他には。」 「朝戸はコミュに参画しています。」 「コミュ?」 この単語は神谷の警戒感を高めた。 「はい。インターネットサークルのコミュです。6年前にここ金沢で起こったテロ未遂事件の大きな要素となったコミュです。」 「そうだな。」 「あのコミュの東京オフというイベントがありまして、そこに朝戸は参加しています。」 「いつの話だ。」 「2013年です。7年前。例の事件が起こる1年前です。」 鍋島・朝倉事件の一年前にこの朝戸はコミュと接点を持っていた。つまりインチョウこと下間悠里と接点を持っていたということになる。下間悠里はツヴァイスタンの工作員。コミュは彼の工作活動の拠点となっていた。そこに朝戸が加入していたのである。 「コミュにおける朝戸の様子などは。」 「誰にでも努めて明るく接していたようです。」 「努めて明るく?」 「若干無理してるのではないかと思われる節もあったようで。」 「コミュ内で特に親密な関係になっていた人物とかはなかったか。」 「光定公信。」 「光定公信?」 「はい。」 「あれ?聞いたことあるぞ。」 一郎は写真を神谷に見せる。 「昨日、石大病院において遺体で見つかった光定公信医師です。」 「そうだよな…。」 「ある程度調べて情報を整理してからカシラにあげようと思ったんですが、ささっと調べてこれだけ出てくるので、この段階でご報告に上がりました。」 「なんだこの朝戸って奴は…。」 「本当になんだこいつです。掘ればどれだけでも出てきそうです。」 「ツヴァイスタンと非常に濃い関係があるコミュ。」 「そこに出入りする朝戸と光定。」 「ノビチョクなんて代物は一民間人が手に入れることが出来る代物じゃない。」 「ただツヴァイスタン経由で手にれようと思えば、出来なくもない。」 「コミュの残党による工作活動がいまだに健在であるならば。」 「ですね。」 神谷は時計を見る。 まだ30日の10時だ。野本からの朝戸調査依頼は2日間。しかし朝戸がノビチョク事件なんて重大事件の犯行を行った人物であるとしたら、そんな悠長なことは言ってられない。 「一郎。次は6時間後に報告してくれ。もしそれまでに緊急を要する情報があればかまわす俺に連絡入れろ。」 「了解。」 一郎が部屋を出て行くのを見届けて、神谷は電話をかけた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 08 Apr 2023
- 174 - 159 第148話3-148-1.mp3 金沢駅隣接のファッションビル。 「どうや。」 「あ!古田さん!」 「しーっ。声でかい。」 「あ…すいません…。」 久美子の様子を監視している協力者と合流した古田だった。 「ほらあのちょっと奥まったところあるでしょ。」 エレベータ乗り場に休憩スペースのようなものがある。そこから奥のトイレと喫煙所に続く通路があり、その方面を男は目で指した。 「いまあそこにいます。便所でも行ってんでしょうか。」 「で、どんな感じで久美子を?」 「遠巻きに見るだけです。何気なくこのフロアを歩いて店の前をちらっと見てって感じです。かろうじてここのフロアは最近雑貨店ができたんで、あいつみたいな男がいてもまぁアリなんですが、レディスのショップしかないフロアだったら目立ちまくりますよ。」 「久美子は?」 「店の奥です。」 古田は男の手を握った。 「報酬や。ワシと交代や。」 「いいんですか?Aに顔割れてるんでしょう?」」 「問題ない。ばれんようにここであいつの監視をする。」 「…わかりました。」 男は古田に軽く頭を下げて、この場を後にした 「何やってんのよ。」 背後から声をかけられた。 「その声はマスター。」 「目立ちすぎよトシさん。」 森は古田を喫煙所へ連れ込んだ。 「いい?ここは流行の最先端のファッションビル。トシさんみたいな格好かまわないお爺さんが居るだけで浮いちゃうの。」 「ほやけど。」 「大丈夫なの?身体調子悪いんじゃないの?」 「ワシの身体?」 「そうよ。おととい物忘れヤバかったじゃん。」 「おととい?」 「今日は何月何日?」 「え?」 「いいから。」 「4月30日」 「曜日は?」 「木曜。」 「これはこれで変ね…。」 「おいマスター。なんねん。」 「問題ないなら良いのよ。あのとき疲れてただけかしらね。」 「ほんなにか。」 森はうなずく。 「なぁマスター。ワシ、あんたの言うとること分からんでもないげんわ。」 「え?」 「なんとなくワシ変なこと言うとるなぁってのは、相手の反応見てわかっとった。」 「…。」 「ただワシの何が相手をそういう反応をさせとるんかまでは分からんがや。」 「…。」 「けどいまマスターと話して分かった。ワシ、知らんうちに記憶がおかしな事になっとるって事なんやな。」 本人を前に森は反応に苦慮する。 「いわゆる認知症状や。」 「でも今のトシさんはそんなじゃない。」 「そりゃ始終ほんな状態やと、ワシ完全に施設やわ。まだらな状態ってわけや。」 「…。」 「けどこのまだらってのも具体が悪い。同じ事何遍も聞いたり話したりしてしまうからな。」 「ある程度年とった人はみんなそんなもんよ。」 「あのなマスター。」 神妙な面持ちで古田は森を見る。 「何よ…。」 「認知症の戯れ言として受け止めてもらってかまわんが、ひとつ頼まれてくれんかな。」 「戯れ言で頼みは嫌よ。」 「じゃあ本気で頼む。」 茶化せない。この場に自分以外のものが居たとしても、絶対に誰もが断ることなど出来ないだろう。そう思わせる何かがこの時の古谷はあった。 「これ渡しとく。」 古田は森に鍵を手渡した。 「なに…これ…。」 「ウチの鍵。」 「え…。」 「ワシにもしもの事があったら、こいつをウチの娘に渡してやってくれんか。」 「え…何言ってんのよ…トシさん。もしもって何よ…。」 「もしも言うたらもしもやわいや。」 「ちょっとちょっと。」 「娘の住所ここに書いとくさかい。」 紙の切れ端にペンを走らせる。 「ちょいちょい。待てま。」 「あん?」 「待て言うとるやろ。何勝手なこと言うとるんや。」 「マスター。」 古田の目は鋭い。 馬鹿なこと言うなとたしなめようとした森だったが、脅迫にも似た古田の視線を前に言葉を飲んでしまった。 「心配ない。あんただけに頼んどるわけじゃない。同じ事は同僚にもお願いしとる。」 「は?」 「あんたと同じ反応やった。ほやけどあいつは察してくれた。マスターなら同じくワシを見送ってくれるはず。」 「ちょっと…勘弁してよ。あんたにもしもの事があったら、久美子はどうするのよ。」 古田はため息をつく。 「そんときはそんときで。」 「何をするって言うのよトシさん。」 「何もせん。」 「何もしないのになんでもしもの事?」 「…なんかな…数日後の自分の姿が想像できんがや…。」 「自分の姿が想像できない?」 「ああ。急にな。その物忘れみたいな症状が出るようになってから、数日後もいつも通りに自分が飯食って、酒飲んで、タバコ吸って、誰かを張り込んで、仕事してみたいな状況が想像できんくなってしまったんや。」 「…。」 「こんなことは今までに無い。必然的に死が頭をよぎる。」 「やめて。」 「やめたところで後始末が大変なだけ。ほやからマスター。あんたに託したい。」 「なんで私にも?その同僚さんだけでいいじゃない。」 「あんときは良かった。」 「え?あんとき?」 「あんときはほんで良かった。けど今は違う。嫌な予感がするんや。」 「嫌な予感?」 「その為の保険。マスターは保険や。」 そう言って古田は森の肩を叩いた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「向こうから接近してきたら別やが、決してあんたや久美子の方から対象とはコミュニケーションはとるな。」 こう古田に言いつけられた森は自分の店の中に入った。 「おはようございます。社長。」 久美子が森に挨拶した。 「おはよう。今日のおつり持ってきたわ。」 「ありがとうございます。」 「最近の売上、あまりぱっとしないわね。」 「すいません。SNSでコーデとか流してるんですが…。」 「ファストファッションの影響かしら。」 「捨てきれません。」 「私らにしか提供できない価値を提供する。そこをもう少しわかりやすくお客さんに伝える必要があるわね。」 「わかりやすく?」 「そう。わかりやすく。」 久美子は口をつぐんだ。 「もっと高めのアイテムで揃えてみたら?SNSのコーデ。」 「高めですか?」 「そう。」 「でもそうするととても手が出ないって、敬遠されません?」 「ぱっと見そこら辺でも帰そうなアイテムなんだけど、実はお高めの奴で揃えてみたら?。それ見た人があぁこれなら真似できるって思って、ファストファッションで同じようなもの買って着る。けどなんか違う。それは当たり前。だってモノが違うんだもの。縫製だったり、生地だったり。それを身をもって勉強してもらって、ウチの取り扱い品にたどり着くって感じで。」 「…やってみます。」 久美子の表情が冴えない。 「どうしたの?」 「社長、ちょっといいですか。」 二人は店の奥に引っ込んだ。 「なんか変な男が居るんです。」 「変な男?」 「ええ。店の様子をチラチラ見てるんです。」 なるほど久美子は既に気づいている。 「いつから?」 「おとといから居るような気がします。今もいます。」 「どんな感じの男?」 「40代くらい。中肉中背。眉毛濃いめ。唇も厚め。」 ちょっと待てと言って森は店に出る。吊り下げの服を手に取って右に左視線を動かす。 いる。ちょうど影になる場所にいま久美子がいった特徴を持つスウェット姿の姿形が見える。 「朝戸さん。」 「奇遇ですね。朝戸さんはここで何を?」 「自分、休憩しようと思ってたんですよ。よかったらどうです?ご一緒に。」 朝戸を連れ去る際、彼が目配せしたのを森は見逃さなかった。 「久美子。」 店の奥で携帯をいじる久美子に森は声をかける。 「大丈夫。居なくなった。」 「わかりました?」 「うん。わかったわ。」 「どうすればいいでしょうか、私。」 「久美子。心配ないわ。心配いらない。ちゃんと対応してくれてる。」 「対応してくれてる?」 「うん。ちゃんと責任もって対応してくれてる。だからあなたは何の心配も無く今まで通り仕事に専念して。」 「でもまた来たら…。」 「来てもなんとかしてくれる。そういう風に話しつけたから。」 「ビルの警備の人ですか。」 「そうよ。だから問題ないわ。それよりSNSの件、ちょっとやってみておいて。」 「わかりました…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「古田。朝戸と接触。」 朝戸班からケントクに入った報告に岡田は思わずため息をつく。 「はぁ…。」 「いかがしましょうか。」 いま富樫は北署で椎名を取り調べている。 その様子はここでライブで分かるようになっている。 「キングが椎名であり、奴がチェスの司令塔やったとしてだ。」 「はい。」 「具体的な指令がない限りはナイトである朝 戸もそう行動できんのじゃないか?」 「確かに。」 「それなら古田さんには直接朝戸に張り付いてもらっとるほうが、こっちとしては良いかも。」 「じゃあ黙認ですか。」 岡田は考える。 ボストークから出た朝戸を朝戸班がバンかけ。 しかし彼の受け答えや所持品に不審な点はなかった。 またボストークの中を調べた朝戸班からも不審点無しとの報告を受けている。 総合的に考えて、今の朝戸と古田が接点を持つのは問題はないものと判断する。 岡田はうなずいた。 それを受けスタッフは朝戸班に指示を出す。 「こちら本部。古田と朝戸の接触は黙認。現場は二人の動向を注視せよ。」 「了解。」 「おい。」 岡田がスタッフに声をかける。 「金沢駅の隣のファッションビルって言ったよな。」 「はい。その中の女性モノのショップの中をチラチラ覗いているようでした。」 ー久美子か…。 「朝戸も?」 「はい。」 ー久美子を監視する中で不審人物である朝戸を発見。その動向を探る。その流れはごく自然。 ーしかしこの朝戸は椎名の仲間。明日予定のテロの実行役を担っているとの情報。しかもナイトというポジションで奴と近い。 ーその朝戸が久美子の監視…。 ー久美子が何か関係があるとでも? ーいや…待てよ…。 ーまさか…まさかやぞ…久美子を監視する古田さんを釣るための釣り針とかじゃないやろうな…。この朝戸の存在…。 岡田は椎名の調べの様子をモニターで見る。 「そこで私から提案があります。」 「なんや。」 「私が公安特課のスパイになります。」147 「なにっ!?」 岡田は声を上げた。 その場に居るスタッフも同じく驚きを隠せない。 「今までと形は変わりません。私の脳みそが公安特課側にすげ変わるだけです。外見上は何の変化もありません。彼らは偽の情報を私に掴まされ、知らない間に公安特課の網にかかる。これがテロを未然に防ぐ手っ取り早い方法かと。」 「…。」 「テロを目前にまでひっぱって、関係者を一網打尽に検挙。この方法ならそれすらも可能かと思います。」 「話が出来すぎとる。」 「…。」 「まるで今のこの状況になることさえも、椎名、お前が望んどったかのようような展開やな。」 「と、言いますと。」 「自分が公安特課のモグラになること。このこと自体がお前の計画そのものなんじゃないか?」 「富樫さんがそう判断するのならそうなんでしょう。これは提案です。公安特課の皆様で判断ください。」 147 「お前…どう思う。」 「富樫さんのおっしゃるとおりです。話が出来すぎです…。」 「だよな。」 椎名の投降とも言える出頭。 これ自体が奴のシナリオ通りの事だったとしたら…。 そう考えると古田が朝戸と接触していることの目的は一体何なのか。 「朝戸班の警戒度を最高にしておけ。」 「了解。」Fri, 24 Mar 2023
- 173 - 158 第147話3-147.mp3 「世に出ないように緊急逮捕で身柄を抑えましょう。」 「逮捕後の立証が難しいのだぞ。」 「しかしこのまま指を咥えて待つというわけには…。」 「もちろん。そのつもりはない。」 146 百目鬼が捜査員にこう答えたときのことである。 男が若林の元にやってきて彼に耳打ちした。 「なに…。」 「どうした?」 松永が若林に聞く。 「椎名賢明が金沢北署に出頭したようです。」 「なん…だ…と…。」 特高上層部三名の表情が明らかにおかしい。この場の皆がそう感じとった瞬間だった。 「ゲンタイどころじゃありません。」 「確かに…。」 「いかがしますか。松永課長。」 この百目鬼の問いに松永は額に手を当てて考えた。 松永の考えはこうだった。 椎名の居所はネットカフェ爆発事件後の数時間を除いて24時間監視出来ている。事件後、彼の監視要員も補充した。よほどのことがなければ今後巻かれると言うことはないだろう。テロの予定日は5月1日。明日だ。工作活動の主犯である椎名がこのまま何の動きも見せずにテロが実行されるとは考えにくい。彼自身がテロの実行犯にならずとも、実行の合図とか指示のようなものを出すはずだ。それを掴んでその場で確保。タイミング良ければ椎名のみならず、実行部隊の足止めもしくは検挙までいけるかもしれない。 しかし今報告が入った椎名の行動は、その松永の思惑を完全に外させたのだった。 「…パクる手間が省けたんだ…。良しとしよう。椎名を落とせばそれで良い。」 「ではこの帳場は。」 若林が松永に尋ねる。 「継続だ。椎名賢明の直接的な脅威が消えただけで、テロそのものの脅威が消えたわけじゃない。そこを封じ込めるよう方針を変更して仕切ってくれ。」 「かしこまりました。」 「百目鬼。ちょっと。」 松永と百目鬼は捜査本部から退出した。 「どう思う。」 「怪しいですね。」 「だよな。」 「私が石川に行きましょうか。」 「頼めるか。ここは俺と若林で仕切る。」 「お任せください。」 「ちょっと待ってください。」 割り込んできたのは片倉だった。 「理事官直々に石川に行かんでもいいです。石川は自分が土地勘あります。」 「おい片倉。お前大丈夫なのか。」 松永が心配そうに片倉を見て言った。 「しばらく寝たら案外すっきりしました。」 百目鬼はあきれた表情で片倉を見る。 「ここはあくまでも大本営。現場は石川です。戦略的なものは松永課長にお任せし、私は現場に入って動きたく存じます。」 「何言ってる。お前は特高の班長だ。」 「若林警視正がいらっしゃいます。自分より適任です。」 「おい片倉。」 「行きたいんです。」 松永を片倉は遮った。 「行かせてください。放っておけません。」 「…。」 「自分はやはり現場踏んでなんぼの人間です。大所高所からの戦略眼はどうもなさそうです。現にここまで仁川に攻め込まれました。」 「それはお前が悪いとかの話ではない。」 「行かせてください。仲間がもがいているんです。」 松永は百目鬼を見る。 百目鬼はうなずいて口を開いた。 「片倉。俺についてこい。」 「え。」 「俺の補佐をするって言うなら良い。お前単独ではだめだ。」 「なんで。」 「頭数は多いに越したことはないだろう。」 片倉は松永を見る。 彼は諦めた様子で首を縦に振った。 「たった今から特高は若林に仕切らせる。若林にはテロ防止を主眼に目を光らせる。お前らふたりは今すぐ石川に向かえ。」 「はい。」 「百目鬼。陶に関してはこちらに任せろ。手は打ってある。」 「わかりました。」 「課長。ひとついいですか。」 「なんだ。」 「石大病院での人体実験の疑いについて、厚生省のほうの動きはいかがでしょうか。」 「すでに医政局から石大に人員が派遣されたそうだ。認知症の専門医も複数名同行していると聞いている。」 「小早川研究所の件は。」 「文部省と厚生省との間で調査を始めることになっている。人体実験も小早川研究所も警察はその後に動く。我々の目下の優先事項はテロ防止だ。」 「流石です。松永課長。名采配です。」 「気持ち悪い。片倉。」 「でも悪い気しないでしょう。」 「…まあ…な。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「なんて言えば良いんかわからん…。」 「…すいませんでした。」 椎名は富樫に向かって頭を下げた。 「ツヴァイスタン人民共和国内務省警察局警備局。通称オフラーナ。」 「お前はその所属か。」 「はい。」 富樫はまたもため息をついた。 「なんでここで出頭した。」 「もう無理でした。」 「何が。」 「実際、昨日犠牲者を出してしまった。事後のあの状況をテレビで見て自分のやったこと、これからのことを考えると耐えられなくなって。」 「これからのこと?」 「はい。」 「それは?」 「明日、金沢駅でテロが実行されます。」 「なにっ!?」 富樫ははじめてそのことを知ったようなふりをした。 「何が起こる。」 「金沢駅構内に仕掛けられた爆発物が爆発します。その量は今回の爆発の比じゃありません。」 「明日のいつや。」 「18時。」 「帰宅ラッシュやがいや。」 「はい。」 「それは椎名。お前が仕切っとらんか。」 「はい。」 「ということはお前が止めれば、実行されんがか。」 「すべてとは言えませんが一部は。」 「ちょっと待っとれ。」 富樫は席を立った。 「待ってください富樫さん。」 「なんや。」 「まずは私の話を聞いてください。自分が言うのもアレですが、構造が複雑なんです。全体を把握してから報告してください。」 「内容の把握よりもテロを止めることが先決や。とにかく責任ある人間をここに同席させる。」 「だめです。」 「なんで。」 「どこにオフラーナの協力者がいるかわかりません。」 「信頼できる上司や。」 「その人は信頼できるのかもしれませんが、そこから先はわかりません。」 「ワシひとりやとそんな重い話、受け止めきれん。せめてもう一人同席者をつけさせてくれ。」 「だったら黙秘します。」 「なんで。」 「私は富樫さんだから話すんです。」 「なんでワシなんや。」 「一緒に暮らしている間柄じゃないですか。」 富樫は言葉を失った。 「ある意味家族よりも濃密ですよ。あなたと自分の関係は。」 「…いつから。」 「さぁ…。」 この局面で、平気にブラフを仕掛ける椎名の存在が怖かった。 同時に良心の呵責に耐えきれなくなって出頭してきたとの言葉が信じられなくなった。 富樫は正直にその感情を顔に出した。 「家族同様のあなたにだけ話したいんです。すべてを。」 「…。」 「あなたが誰に相談をするかは自由。ひとまず富樫さんが私を受け止めてください。」 「…。」 「記録係もいますから、厳密に言えば富樫さんひとりが受け止めるわけじゃありません。」 富樫は記録係を見る。 彼は意を決したような表情でうなずいた。 「…わかった。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「きた。」 モニターには地図が表示されている。 その左下にはスライダのようなものが配され、そこを左から右に移動すると地図上にある複数のピンのようなものも合わせて移動するように表示された。 「これでできたかな…。」 「おおっ!」 リーゼント頭の卯辰次郎が雨澤のデスクをのぞき込んだ。 「雨澤のカシラ!やりましたねぇ!どうやってやったんですか?」 「機械学習的な…。」 「すごい!ヤバい!間違いないッ!」 なんだ次郎のこのテンションの高さは。 ここで雨澤はまさかと一郎と距離をとった。 「何スか。自分、シャブやってませんよ。」 バレた。 殺される。 雨澤が恐怖におののくのをよそに、次郎は電話をかける。 「カシラ。雨澤のアニキやってくれました。はい。…そうですね…。」 次郎は横から手を出し、雨澤のマウスを操作する。 「一カ所にとどまる感じはありません。ただ、どうも変装をしてるみたいですね。…ええ、付けひげしてたり、サングラスかけたり帽子被ったり、マスクしたり。…いずれにせよ、こいつが金沢市内にいるのは間違いなさそうです。はい。はい…。わかりました。その辺りのドサ回りは自分がやります。」 「お疲れ様でした雨澤さん。ひとまずホテルで休んでください。」 雨澤はカードキーを渡された。 「このすぐ側のホテルです。ここで羽伸ばしてください。自分、仕事あるんでこれで失礼します。」 「あ、はい。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「レフツキー・ヤドルチェンコ。」 「はいそうです。」 「元ロシア対外情報部情報員。雑貨商、武器商人、中国共産党の情報機関顧問。ウ・ダバの教育係も請け負っとるとの話もある。」 「そのとおりです。」 「そのヤドルチェンコがなんや。」 「今回のテロ事件の有力なスタッフです。」 「なに?」 「自分はテロ全体の画を描いて指揮をする。奴はその補給、段取りなど具体的な部分を仕切る。」 「…具体的に。」 椎名は今回のテロのプロデューサーであり、ヤドルチェンコはディレクターのような存在である。 椎名ひとりでは今回のテロは彼一人の夢想でしかなく、それを実現するためにオフラーナのからの依頼を受けてヤドルチェンコが噛んできた。ヤドルチェンコは日本に潜むウ・ダバ構成員をオーガナイズし、ここ石川にテロの実行部隊を展開している。彼ら実行部隊が、椎名へ関係者の動きを逐一様々な方法で知らせ、物資等を供給していた。その中には武器の類いも含まれる。 このようなことを椎名は富樫に供述した。 「ヤドルチェンコの強力なバックアップがあって、お前のテロ計画は実行へ着実に進んだ。そういうことやな。」 「はい。彼なしではここまで進められませんでした。」 「昨日のあれもヤドルチェンコが?」 「はい。公安特課が私の周辺をどぎつくマークしてるので、ヤドルチェンコが手を回してくれました。」 「ヤドルチェンコはどこに?」 「それは私にはわかりません。」 「ヤドルチェンコと直接会ったのはいつだ。」 「会ったことはありません。」 「どうやってコミュニケーションをとっている。」 「向こうからいろいろな方法で私に接触をしてきます。私はそれに応じるだけです。」 「お前からヤドルチェンコにアクセスする方法はないと?」 「いいえ。」 「ではどうやって奴と接触する。」 「空閑ですよ。」 「空閑?」 「はい。ご存じなのでは。」 ーこの椎名…どこからどこまでワシらのこと把握しとるんや…。こいつはうっかりこいつの言うこと鵜呑みにできんぞ…。ひょっとするとここでワシがこいつの相手をすること事態が、こいつの思うつぼとかって事もありうる。テロを止めるまでの時間稼ぎとか…。 「ご存じでない?」 「ワシは知らんが…。」 「ビショップ。」 「…。」 「クイーン、ナイト、ルーク。」 「…。」 「そしてキング。」 椎名は自分を指さす。 「嘘はいけませんよ富樫さん。」 富樫の心を見透かすように椎名はたたみかける。 「私はすべてを明らかにするためにここに来たんです。それをあなたが嘘を持って対応をすると言うなら私はここで供述をやめます。」 富樫は右手の平で自分の顔を拭った。 「すまん…ワシが悪かった。…だが。」 「だが?」 「お前も嘘はなしやぞ。」 「私が嘘を言う理由がありません。」 「どうして。」 「私はこのテロを止めてほしいんです。そのためにここに来たんです。」 「なぜこうも冗長に説明する。止めればそれで終わりやろ。」 「だから言ったでしょう。関係者が多すぎるんです。ある部分だけ止めても止めてない部分が実行します。」 「お前とヤドルチェンコを押さえればそれで終いや。」 「違います。」 「どう違う。」 「それは追々説明します。とにかく私がヤドルチェンコにアクセスするには空閑を介して出ないとできません。」 「なんで。」 「私もまた監視される立場ですから。」 「…だれに。」 「オフラーナ。」 「…徹底しとるな。」 椎名はうなずく。 「二人の間だけで何事かを秘密裏に進行させるようなことは絶対排除です。どこかを経由して必ずその情報はオフラーナに入ることになっています。」 「だからヤドルチェンコとも距離がある。か。」 「はい。なので私からヤドルチェンコにストップをかけることも難しい。」 「空閑という第三者を介するから。」 「そのとおり。」 「ならその空閑もこちらに落とせば良いのでは?」 「その先はどうします?」 「…。」 「その先の先。そのまた先の先の先は?」 「無理ゲーやな。」 「そこで私から提案があります。」 「なんや。」 「私が公安特課のスパイになります。」 思いがけない椎名からの提案だった。 「今までと形は変わりません。私の脳みそがオフラーナから公安特課側にすげ変わるだけです。外見上は何の変化もありません。彼らは偽の情報を私に掴まされ、知らない間に公安特課の網にかかる。これがテロを未然に防ぐ手っ取り早い方法かと。」 「…。」 「テロを目前にまでひっぱって、関係者を一網打尽に検挙。この方法ならそれすらも可能かと思います。」 「話が出来すぎとる。」 「…。」 「まるで今のこの状況になることさえも、椎名、お前が望んどったかのようような展開やな。」 「と、言いますと。」 「自分が公安特課のモグラになること。このこと自体がお前さんの計画そのものなんじゃないか?」 「富樫さんがそう判断するのならそうなんでしょう。これは提案です。公安特課の皆様で判断ください。」 「…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「え?」 案内された部屋の前に立つと、そのドアの立派さ、入り口の造作の凝った感じに雨澤戸惑った。 「ここは…。」 「当ホテルのスイートルームになります。」 「ええっ!」 「ささ、どうぞ。」 部屋の扉が開かれそこに通されると同時に、偶然廊下を歩いて来た白人がこちらの様子をチラリとのぞき込んだのを感じとった。 瞬間、雨澤の背筋に悪寒が走った。 ーあれ…。なんだこの感じ…。 どこかで感じた妙な感覚だった。 「お客様。どうされました?」 「あ、あぁ…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 11 Mar 2023
- 172 - 157 第146話3-146.mp3 4月30日木曜 7時半 警視庁公安特課機動捜査班は警視庁内の会議室に集結していた。 総勢30名。全国各地から集められた凄腕の公安警察たちだ。 「定刻なので始める。」 若林がそう言うと松永がマイクを持った。 「おはよう。」 全員が松永に挨拶を返す。 「前置きは無しだ。我が国始まって以来の危機が目前に迫っている。」 こう言うと正面の大型モニターにある眼鏡をかけた男性の画像が映し出された。 どこにでもいる顔立ち。グレーのTシャツに紺色のジャージを羽織っている。 「この男の名は仁川征爾。石川県に椎名賢明という名で潜伏するツヴァイスタン人民共和国のスパイだ。」 捜査員たちがざわついた。 公安特課たるものツヴァイスタンに拉致されたと見られる人物くらい既に頭の中に入っている。 その人物の消息を松永が把握しているということも驚きだが、彼がツヴァイスタンのスパイとしてこの日本に存在しているという報告がさらなる驚きと混乱をもたらした。 「いまから説明する話はにわかに信じがたい事も多分に含む。しかしこれは事実だ。我々の上層部は既にこの情報を事実として共有している。そこのところを十分に理解して欲しい。」 こういうと松永はマイクを百目鬼に譲った。 「1994年、近畿地方の土砂災害で行方不明になったと偽装工作の上、ツヴァイスタンに拉致されていた仁川征爾は5年前ロシア経由で我が国に帰還した。その後我々の監視下で取り調べ、一定の期間を経て石川県へ監視付きで生活を送っている。」 モニターのスライドを進めると、遠目から彼の様子を抑えた画像が何枚も表示される。 自宅の部屋でテレビを見る彼の様子。会社に向かう彼の様子。食事をする様子。会話をする音声、コミュニケーションをとる動画も時々差し挟まれる。 百目鬼が作成したプレゼン資料は彼と一度も会ったことのない特高捜査班のひとりひとりが、その映像や音声によって椎名賢明という人間をより立体的に把握できるような工夫が凝らされていた。 「これらのスライドを見て分かるように、仁川は日本での生活に適応しようと当初積極的に他者との接点を持っているように見受けられる。しかし1年も経たないうちにあまり他人との接点を持たなくなった。」 ここでネットカフェに入っていく仁川をおさえた映像が流される。 「自宅かこのネットカフェで過ごす時間が多くなっていった。」 スライドが切り替わった。爆破事件後のネットカフェの様子が映し出される。 「今見せたネットカフェの今朝の様子だ。仁川がネットカフェを拠点に工作活動を展開している疑いがあり、現場を抑えようとしたところ、証拠もろとも爆破。マルトク捜査員2名死亡。店の従業員、利用者に複数の重軽傷者を出す惨事となった。」 特高捜査員たちの顔つきが変わった。 「君たちの憤る気持ちと哀悼を示す気持ちはわかる。だがそれはこの事件が終結したときまでとっておいてくれ。その猶予すら与えてくれないほど事態は進んでいる。」 百目鬼はスライドを送る手を止め、捜査員たちを見る。 「我々は犯罪を未然に防ぐのが任務だ。いま私は同僚の死を悼む猶予すらないと言った。つまり我々はこの仁川にしてやられているのだ。奴は我々の監視の目を見事にかいくぐり、あと一歩で大願成就といったところまで逆に我々を追い詰めているのだ。その大願成就というのは」 金沢駅の外観が映し出される。 「これは金沢駅の写真だ。この金沢で何らかの大規模なテロが計画されている。それが5月1日の金曜。明日だ。」 会場はどよめいた。 「捜査員諸君はどうして我々マルトクがこうも仁川征爾という一個人に翻弄されることになっているか、疑問に思うことだろう。結論から言えば奴、いや奴らの組織的工作力が我々よりも優れていたからである。」 百目鬼はスライドを進める。 不審船漂着の様子、ノビチョク事件のニュース動画、全国各地で起こるテロ事件。 「これらはすべて仁川の手引きによるものである可能性が高い。そのひとつひとつをここで説明する時間は無いが、ひとつ仁川の恐ろしさを伝える事例を紹介する。」 動画投稿サイトが表示される。 「この動画投稿サイトにちゃんねるフリーダムというチャンネルがある。金沢に拠点を置く報道チャンネルで登録者数も再生数もかなりの数字を持っている。ここの動画にサブリミナル映像が差し込まれていたことが捜査によって判明した。」 会場は再びザワつく。 「仁川はちゃんフリの制作技術者と個人的に接点を持ち、彼の弱みにつけ込んで巧みに自分の協力者として引き込んだ。」 ここで百目鬼はとある学術論文を紹介する。 「これはサブリミナル効果に関する研究だ。この研究によるとサブリミナル効果というものは人間の潜在意識の記憶装置に働きかけるものだそうだ。アルコールがイケる人間とそうでない人間がいるように、この潜在意識の記憶装置には許容量というものがある。通常はそこに記憶された情報は処理可能だが、規定量を超えた時点で自分の力でそれは制御不能となる。このちゃんフリの動画に仕込まれたサブリミナルは言わば薄められたアルコールで、それひとつを見たところで人体に影響はない。しかし摂取回数を重ねることでそれは確実に蓄積されていく。」 ここでそのサブリミナル映像を見せるには皆に影響があると百目鬼は告げ、その内容を口頭で説明した。 人間の目の画像。その天地に「ぶっ壊せ、ぶっ潰せ」の表示。ただそれだけの繰り返しであると。 「じっとこちらを見つめる目があり、それで視聴者の潜在意識にインパクトをもたらすと同時に、主語も目的語もなくただ行動を促す言葉。そんなものが何のサブリミナル効果を生み出すというのか?そんなもの刷り込まれても何の害もないのでは?これは至極まっとうな感覚だ。…だが、この目の画像。この目が鍋島惇の目の画像だと言ったら、諸君はどう思うだろう。」 会場は凍り付いた。 6年前の鍋島事件については鍋島の特殊能力の存在が、事件に大きな影響を与えたとして公安特課の人間全員が共有を義務づけられていた。 つまり理解不能の鍋島能力はマルトクの人間ならば周知のことであった。 そのため百目鬼が鍋島の目と行った瞬間、会場内の全員が事の意味を知ったのである。 「鍋島能力については我々公安特課において、極秘にメカニズム解明に取り組んでいた。しかし一方でこの仁川はサブリミナル映像という形で鍋島能力の応用を試みた。つまりこれが意味するところは…。」 「マルトク内部に仁川のエスがいた。因みにこのエスについては既に対応済みだ。」 「仁川征爾は映像編集のスキルを持っていた。奴はちゃんねるフリーダムの外注先として活躍できる程度のレベルだ。おそらく奴がこのサブリミナル映像を作成し、ちゃんフリ協力者に流し、彼が仕込んだんだろう。」 「つまり仁川はインテリジェンスの中枢であるマルトク内に潜り込み、政府機密にアクセス。その機密を自分で料理し、ちゃんフリという民間メディアを使って頒布した。」 「こんな大それた事を身ひとつで成し遂げる。それが仁川征爾という男の凄まじさだ。」 「そんな仁川が明日、5月1日に金沢でのテロを計画しているという情報が入ったわけだ。」 感情のやり場がない。 会場のものたちは百目鬼の説明に言葉では表現できない複雑な表情を見せるしかない。 そんな中ひとりの男が手を上げた。 「なんだ。」 「仁川征爾の居場所は把握済みと言うことでよろしいでしょうか。」 「ああ。」 「即刻確保しましょう。」 「確保してどうする。」 「おそらく明日のテロは仁川ひとりが起こすテロではないのでしょう。」 「なぜそうと言える。」 「いまの理事官のご説明を聞くとひとつの傾向がみえます。仁川はエスを駒として使っています。仁川が頭脳でエスは手足です。だとすればその首をはねれば危機は取り除かれるかと思います。」 百目鬼は松永を見る。 松永がそれに軽くうなずくのを見て百目鬼は答える。 「既に手遅れである。」 「えっ!?」 「先ほどもサブリミナルの許容量について説明したな。」 「はい。」 「その許容量がピークに達しつつある。」 ここで再び百目鬼は直近のテロまがいの事件をスライド表示する。 「これらはそれが許容を超えた状態を示すのではないかとの報告が入っている。」 男は言葉を失った。 「つまりちゃんフリの視聴者は既に仁川の手を離れているのだ。視聴者の大半はサブリミナルの許容がもういっぱいいっぱいになっている。あとちょっとのサブリミナルを接種すれば大量のテロリストが誕生する。彼らは潜在意識に働きかけられた結果、行動を起こすわけだ。この前代未聞の犯罪教唆に関する物証をどうやって抑えろと言うのか。」 会場は沈黙した。 「我々、公安特課をとりまく世論は厳しいのはこの場にいるものなら誰もが感じているところだろう。そこで我々が仁川を事前に取り押さえたなんて世に出てみろ。それがトリガーとなって視聴者のコップの水があふれることになるかもしれない。」 「世に出ないように緊急逮捕で身柄を抑えましょう。」 「逮捕後の立証が難しいのだぞ。」 「しかしこのまま指を咥えて待つというわけには…。」 「もちろん。そのつもりはない。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「椎名班から本部。」 「はい本部。」 「椎名の進路がおかしいです。」 「なに?どうおかしい。」 「勤め先の方向から逸れました。」 「なんやと!?」 「付けます。」 「頼む。」 横から岡田が富樫に声をかけた。 「どこに向かう言うんや。」 「わかりません…。」 岡田は電話をかけた。 「もしもし俺だ。今日って椎名の奴、どこかに直行する予定あったか?……聞いていない…か。…わかった。継続監視頼む。」 「どちらさんで?」 「椎名の上司。」 「あぁ宝くじ大好きおじさん。」 「椎名はいつも通りの勤務になってるってさ。」 「ふうむ…。何でしょうかね。」 「椎名班から本部。」 「はい本部。」 「椎名、北署の駐車場に車止めました。」 「北署かぁ…。え?なんて?」 「北署に車止めました。鞄の中確認しています。車降りるようです。」 「おいおいおいおい。」 このとき片倉の言葉が岡田の脳裏をよぎった。 「5月1日金曜の対応は明日、4月30日木曜の午前に判断される。もしも椎名がキングとしてそのチェス組の司令塔をやってるとすれば、まだこれから何らかの動きを見せるはず。その瞬間を抑える方向で行こう。」137 いままさに片倉たち特高が5月1日の対応を検討している最中だ。そんな中で意表を突く椎名の警察訪問。 しかも監視役兼世話役である富樫を訪ねて警察本部に来るというのではなく、縁もゆかりもない所轄署への来訪だ。 「マサさん。無線で注意喚起。椎名の奴何をするか分からんぞ。」 「了解。本部から北署。」 「はい北署。」 「たった今、椎名が北署に到着した。」 「え?」 「椎名班と協力して奴の行動を充分に監視しろ。」 「了解。」 「本部岡田から北署。」 「はい。北署。」 「もしも危険を感じたら椎名の確保より、身の安全を優先しろ。」 「しかし。」 「いいから!」 「椎名、車降ります。」 「椎名班は北署と連携し、充分に注意せよ。」 「了解。」 心臓の鼓動 とてつもない緊張感が岡田と富樫がいるこの部屋を覆う。 無言の状況が3分ほど続いた。 「北署から本部。」 「はい本部。」 「椎名賢明、出頭です。」 「なに…。」 「自分が昨日のネットカフェ爆破事件を起こしたと言っています。」 岡田と富樫は顔を見合った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 25 Feb 2023
- 171 - 156 第145話3-145.mp3 「このことは京子には話して良いのでしょうか。」 「駄目や。」 「…ですよね。」 「もちろんマルKも無しや。」 「わかっています。」 「…頼む。」 「はい。」 「説得できるか。」 「やるしかないでしょう。」 「そうか。」 「任せてください。」 頼んだと言って電話は切られた。 別室に籠もっていた黒田は部屋を出た。 偶然前を京子が通りかかった。 「あ、デスク。」 「おう。」 「早速面白い話入ってきました。」 「え?何のこと?」 「何言ってんですか、デスク言ったじゃないですか。ネカフェ爆発事件がなんでキー局放送されてないのかって。」 「あ、あぁ…。そんなこと言ってたな…。」 「あれ、国民の不安を助長させるとかで、各局示し合わせて報道を控えたそうです。」 「はぁ!?」 「ネカフェ事件の前から全国でテロ事件が多発してたでしょう。あれがきっかけで放送各局と新聞通信社が話し合ったらしいんです。」 「それって警察からの依頼があって?」 「それがどうも無さそうなんです。あくまでも自主的にって話です。」 「嘘だろ…。いやぁ…あり得ないでしょ。」 「私もあり得ないと思います。でも最近はあり得ないことが普通のことになってますから、私は案外普通に受け入れられますけど。」 「あっ…そう…。」 「はい。」 「しかし、それ本当だとするといずれ中の人がリークすると思うよ。SNSで。」 「ですよね。」 「警察からの依頼で報道協定結ぶってのなら分からなくもない。でもそうだとしても具体的に何を守るために協定結ぶんだって話だ。それが報道側で自粛なんて…報道そのものの信用が落ちかねない。」 「信用が落ちた人の話に聞く耳を持つ人はいません。」 「まずいな…。」 「商売仇の自滅は私ら的にはありがたい話なんですが、これメディアの存在そのものを揺るがす事態に発展するかもしれません。」 「だな。」 「はい。」 興奮と困惑が入り交じった複雑な表情。 京子のそれが物事の本質を端的に表していた。 「京子。」 「はい。」 「それはそれで一旦ストップ。」 「はい?」 「ちょっと込み入った話がある。」 そう言って黒田は今出てきた部屋に京子を招き入れた。 「例の特集なんだけど。」 「はい。今日の配信で終了です。」 「止める。」 「…?」 言葉の意味がよく分からない表情を彼女は見せた。 「あれはボツだ。今日の配信は中止。過去二回のアーカイブも削除する。」 「え!?」 「京子は今からその報道自粛の取材に取りかかって欲しい。」 「えぇ!?」 「特集のことは忘れろ。」 「ちょっと待ってください。なんで特集はボツなんですか!」 「理由は言えない。ボツなものはとにかくボツだ。」 「デスクも社長も評価してくれてたのに?」 「当初はね。」 「当初は?」 「うん。」 「数字ですか?初速が鈍いのはウチの伝統じゃないですか。」 「理由は言えない。いまはここであーだこーだ言ってる時間は無い。すぐに取材だ。」 「人がいないってさっきまで言っててじゃないですか。」 「言ってた。」 「それがなぜ。」 「だから理由は言えないって言ったろ。」 「理由が分からないと私動きません。」 覚悟が見える彼女の表情を見た黒田もまた覚悟を決めた。 「じゃあ辞めな。」 「え…。」 「俺の命令が聞けないって言うんだったらウチに要らない。すぐに荷物をまとめてここから消えろ。」 「ちょ…わたし理由を聞かせて欲しいだけなんですが。」 「同じ事を何度も言わせないでくれ。」 なんだこの態度の豹変ぶりは。 いつもの説明を尽くす彼ではない。 「さぁどうなんだ。やるのか辞めるのか。」 「辞めません。」 「じゃあすぐに取材に移れ。」 「それもやりません。」 「なに都合のいいこと言ってんだよ。」 「デスクが特集ボツにしたその理由を探る取材をします。」 黒田は呆れた。 「ボツに関しては私の仕事じゃありません。デスクがボツと言えばボツです。受け入れます。」 「…。」 「ですが理由すら明らかにされないのは納得いきません。なのでその理由を探って一本の動画にしたいと思います。」 「俺は報道自粛を取材しろと言ったが。」 「それだと必然的に私が東京に張り付くって事になりますよ。人が足りないって言ってんのに。」 「外の人間使えばいいだろ。」 「あ、椎名さん使うんだ。」 「それはない。」 食い気味で黒田はそれを否定した。 「椎名は使わない。いや今後、ウチが彼を外注で使うのは認めない。」 「え?なんで?」 「ちょっと問題のある男だってわかった。」 「それが理由ですか。ボツの。」 「それとこれとは別。とにかく椎名とは関わるな。」 「あ…はい…。」 「これは命令だよ。」 「はい。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 金沢駅近くのとあるホテル。 扉を開く音 「Входите.. 入れ」 扉閉める音 「Слышал эту историю. Молодец. 話は聞いた。よくやった。」 訪れた彼は部屋に招き入れられた。 「Удобно. 手際がいい。 Где вы научились это делать? どこで修得したんだ?」 「Россия. ロシアだ。」 「Россия? ロシア? Где твое место? どこの所属だ?」 「Не могу сказать. 言えない。」 「ФСБ. FSB。」 「Я не знаю. どうだろう。」 「Ну, хорошо. まあいいだろう。」 男は彼にグラスを手渡し、それにワインを注いだ。 「Слава Отечеству. 祖国に栄光あれ。」 「В этом вине нет яда, не так ли? 毒は入ってないだろうな?」 「Конечно. もちろん。」 「А теперь, пожалуйста, выпейте мое вино. では私のワインをどうぞ。」 グラスの交換を促された男はそれに素直に応じた。 「Как насчет этого? これでいかがかな?」 「После тебя. Капитан Бенеш. お先にどうぞ。ベネシュ隊長」 「Тогда. では。」 笑みを浮かべたベネシュはそれをひとくちで飲み干した。 それを見届けた彼はそれに続いた。 ワインを飲む音。 ベネシュは部屋のバルコニーに出て、そこから金沢の街を見下ろす。 「Саеки. Подойдите сюда и посмотрите на него вместе со мной. 冴木。こっちに来て見てくれ。」 呼ばれた冴木もバルコニーに立った。 「Это спокойный город. のどかな街だ。」 ため息をついた冴木は改めて眼下の金沢駅を見る。 バスターミナルに赤とベージュ色でペイントされたバスが次から次へと吸い込まれ、吐き出される。 朝の通勤時間であるためだ。 ここはその喧噪とは無縁の高層マンション。 慌ただしさなど無い。すがすがしささえ感じる。 「Правильно. そうだな。」 「В Канадзаве есть традиции и культура. 金沢は伝統も文化もある。 Это благоустроенный и привлекательный город. 住みやすく魅力的な街だ。」 「…。」 「Сегодня последний день, чтобы увидеть и это. それも今日で見納めだ。」 「Сегодня ?今日?」 「Правильно. そうだ。」 ライフルで撃ち抜かれる音 刹那、何かが弾けるような音がして隣に立っていた冴木が崩れ落ちた。 その直後に銃声のような音が聞こえた。 「Удар. Убери это. 命中だ。片付けてくれ。」 ベネシュは携帯でどこかに連絡していた。 「Принято. 了解。」 「См. Никто не обратил внимания на стрельбу. Насколько вы спокойны? Народ этой страны. 見ろ。だれも銃声に気がついていない。 どれだけ平和呆けしてるんだ? この国の民は。」 ポツポツと雨が降り出した。 「Дождь... Удобно. 雨か…。好都合だ。Sat, 11 Feb 2023
- 170 - 155 第144話3-144.mp3 「本部から各局 ケントク捜査員冴木亮の逃走事案につき 6時47分 6時47分 鞍月1丁目1番地中心の10キロ圏警戒態勢を発令する。 実施署は金沢北、金沢南、松任、野々市、津幡中央、川北、寺井、辰口 の各署とし同一に体制はいずれも甲号とする。」 「ケントク岡田から相馬。」 「はい相馬。」 「いまの無線の通りだ。相馬も冴木亮の警戒に当たって欲しい。」 「わかりました。」 「いま何やってる。」 「石大病院の様子を伺っています。」 「人体実験の件か。」 「はい。」 「あまりそれには首を突っ込むなとの指示のはずだが。」 「上層部の調整はいかがでしょうか。」 「厚生省との調整を図っているとだけは聞いている。それ以外情報は無い。」 「酷い状況です。」 「…そんなにか。」 「外来は混乱しています。全然捌けていません。連携先に協力を仰いでいるようですがうまくいっていないようです。」 「くそったれ…。」 「冴木の件了解しました。すぐに動きます。しかしこの石大の状況はなんとかしないと…。」 「暴動に発展する…ということか?」 「可能性は十分にあります。怒号が飛び交っています。」 「マジか…。」 「警察が万が一に備えた方が良いかもしれません。」 「わかった。」 「あともうひとつ気になる事が。」 「なんだ。」 「マスコミがいません。」 「ん?」 「こんな騒動が起きてるってのに、マスコミの姿がありません。」 「なぜ?」 「それはこちらが聞きたいくらいです。」 「…ったく…しょうもない話は取り上げるくせに、肝心なときに機能せんよ…。」 「どういう事情か分かりませんが、この状況は世間に知ってもらうのが一番だと思います。」 「しかし混乱を助長することになりやしないか。」 「おそらく石大が連携先の協力を取り付けられていないのは、この状況が世の中に知られていないからじゃないでしょうか。この状況を見て黙殺する医療機関なんてないでしょう。むしろこれを見て、我関せずを貫く医療機関はむしろ患者から捨てられる。」 「そうだな。」 「なので自分、さっき匿名でちゃんフリに動画送りました。ネットやSNSはここから火がつくと思います。あとは地上波です。」 「よしそれはこっちで対応する。」 「では自分は冴木確保に動きます。」 「すまない。」 無線を切った相馬は電話をかける。 「お疲れ様です相馬です。」 「あぁ…。」 「どうしたんですか。元気がありませんよ片倉班長。」 「いま病院なんだよ。」 「え?」 彼は自分の周囲を見る。 まさか片倉がここにいるというのか。 「あの、自分も病院ですが。」 「は?どこの。」 「石大病院です。班長は。」 「警察病院。」 もしや片倉がここにいるのではと思ったが、その期待は瞬時に砕かれた。 「ちょっと色々あってな。詳しい話はまた今度ってことで。…で、なんや。」 「石大病院が大変なことになっています。」 「どう。」 「例の人体実験の被害者と思われる患者が押し寄せています。」 「…そうか。」 「岡田課長には私から暴動に備えた方が良いのではと進言しました。」 「そんなにか。」 「はい。患者は別として、その家族の不満は相当のものです。」 「ふうむ…。」 「上の調整はどうなっていますか。」 「それは俺まで下りてこんげんわ。」 「と言うと?」 「察庁とかの話。」 「でもこれヤバいですよ。」 「ほうやな。」 「どうすれば良いでしょうか。」 「相馬。お前岡田に言ってんろ。警察は準備した方が良いって。」 「はい。」 「お前としてはそれで十分や。お前はお前の事だけを考えてベストを尽くせ。」 「あ…はい…。」 「その為にお前を岡田にレンタルしとるんや。お前は岡田を信じて動け。」 「…。」 「岡田はやる男やぞ。」 「…わかっています。」 電話を切った相馬は顔を上げる。 外来に押し寄せた群衆と病院職員が押し合いへし合いしていた。 「責任者出せ!受付すら出来んってどういうことなんや!」 「一体どれだけ待たせるのよ!」 「近くの医者に行っても予約してもらわんとの一点張りやからここに駆け込んどれんに、ほったらかしかいや!」 患者の群衆からは苦情の怒号が投げられる。 「あーうるさい!うるさい!黙れ!静まれ!静まれー!」 病院職員の一人が群衆に叫んだ。 先ほどまですいませんだとか、申し訳ございません。お待ちください、順番ですからと丁寧な言葉遣いを駆使して、なんとかその場を制止しようとしていた病院側だったが、ここで強い言葉を発する者が現れた。 「順番やって言っとるがいや!順番つけば診る!」 「こんなに人居るげんにいつになったら診てくれるんや!」 「んなもん知らんわ!こっちはあんたら診れる先生、ひとりしか居らんがや!ほやから他当たった方が良いぞって言っとるやろうが。」 「ひとり?ひとりしか居らんがか?」 「おいや。あんたらもテレビで見たやろ。あんたら診る先生が死んでしもうたんや。」 「どいや大学の附属病院やろうが。それっぽい人間たくさん居るやろうが。」 「あのな。あの人が主力なんやって。雑魚ばっか集めたって役に立たんわ。それに普通の状況でさえ人が足りんげんぞ。そこにこんなバーゲンセールみたいにいっぺんに来られても、対応できる訳ねぇやろ。」 「だからてったいとかは学生でも出来るやろって話しとるんや。」 「いくら手伝いつけても診る先生居らんかったら話ならんやろうが!何遍言わせるんや!順番付けって!順番に診るー!どんだけ時間かかるか分からんけど。」 病院側が強い言葉を発することで、群衆の反応がエスカレート。最悪の事態に発展することも想定された。 しかしやがて自然と群衆は列を形成しだした。 「ん?どした?」 群衆の中に携帯を見ている者が散見される。彼ら彼女らはそれを見るや冷静さを取り戻し、順番をつくよう他者にも働きかけているようだった。 「なんか分からんけど、一先ずヨシ。…で良いんかな。」 場を後にしようとしたとき、電話をする相馬の姿が彼の視界に入ってきた。 「あの野郎、この騒ぎもちゃっかり東一に報告しとるんけ?クッソ…チョロチョロしやがって。」 吐き捨てると、携帯が鳴った。 「病院長…。なんねん…こっちはそれどころじゃないんやって…。」 渋々彼はそれに出た。 「お疲れ様です。坊山です。」 「よくやった。」 「へ?」 「何言ってんだ。坊山、お前が場を静めたんだろう。」 「え?あ…あぁ…。まぁ。」 ー情報はやっ…。 遠くに見える相馬は電話を終えており、こちらに向かってガッツポーズをした。 「なんじゃありゃ。」 「どうした?」 「あ、いえ…。」 「プロも最大級の評価をしていたぞ。」 「は?プロ?」 「あ…いや…。ま、と、とにかく…よくやった。ありがとう。」 「あ、いえ…。」 電話切る音 シャツの袖口で自分の額を拭った坊山の視界からは相馬の姿は無くなっていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「脳神経の先生が死んだタイミングで、その診療科に患者が殺到。」 「はい。行って良いですか。」 「…。」 「デスク。」 「今回はパスしよう。」 「え!?」 「もう無理。人がいない。」 「私がいます!」 「お前が出て行ったら、もう完全に余力が無くなっちまう。」 「安井さんの制作部は健在です。」 「安井さんは無理なの。」 「何でですか。」 「いろいろあるんだよ。それには首突っ込むな。」 「じゃあ外部委託すればいいでしょ。」 「どこにだよ。」 「例えば椎名さんとか。」 「椎名…。」 「はい。」 「でもあの人編集の技術者でしょ。記事とかいけるの?」 「一応、私のゲラみてここは良い、ここは駄目って結構的確な指摘します。」 人差し指でトントンと机の上を叩く黒田はフロアにあるテレビを眺める。 「それにしてもこんな大きなネタ、なんで地上波、取材行ってないのかな…。」 「わかりません。」 「旧来メディアの凋落で、テレビも大分人員削られてるみたいだけど、それにしてもなんだよな。」 「と言いますと?」 「いや、ここ数日の報道ぶりを調べたんだ。そしたらさ昨日のほら熨子町のネットカフェの爆発事件。」 「ええ。」 「あれキー局で放送してないの。」 「えっ?」 「でかい話じゃん。画的にも映えるしネタ的にもかなりでしょ。」 「はい。」 「それが石川の放送局止まりなの。」 「なんで?」 「わかんない。石大の光定先生死亡の件もなんだよ。」 「変ですね。」 「だから今ひとつなんだ。地元でも。で、いまのこの石大病院の取り付け騒ぎ的なやつもさ、今度はろくに取材すら来ていないって感じでしょ。どうなってんのって。」 「私、そっちを調べてみます。新聞、テレビにもツテありますんで。それならここから電話とかでできますから。」 「じゃあ頼むよ。」 「はい。」 黒田の携帯が鳴った。 画面の表示されるそれを見て彼は席を外した。 「おつかれさまです。片倉さん。」 「至急対応して欲しいことがある。」 「…なんでしょう。」 「京子の奴、特集とかなんかの仕事、外部委託しとるやろ。」 「よくご存じで。」 「それいつ流す。」 「今日の夜流して完了です。」 「止めてくれ。」 「え?」 「今すぐそれの配信を止めて欲しい。」 「アーカイブもですか。」 「おう。」 「まさかこれにもサブリミナルが?」 「わからんが念のため。」 「サブリミナルを仕込んでたウチのスタッフは今は警察です。今の時点でそういった仕込みは出来ません。それにすでに片倉さんに言われたとおり、そのアーカイブは全部ストップしています。サブリミナルによる影響排除は完了しています。」 「まだ可能性がある。」 「片倉さん。あなたの娘さんの仕事ですよ。」 「既に止めたアーカイブの中にも京子の仕事はあったと思うが。」 「しかしこれには彼女は並々ならぬ思いがあるようで。」 「その並々ならぬ思いが仇となって返ってくるかもしれんぞ。」 「可能性だけをあげつらって、彼女の思いを潰すのは…。」 「逆もしかり。思いだけをあげつらって、危険に目を瞑るのはいかがなもんか。」 「ぼんやりしすぎです。」 「…。」 「もっとはっきりした脅威を示してください。」 「椎名賢明。」 「既に名前もご存じでしたか…。」 「極めて危険な人物や。」 「…極めて危険?」 「黒田。お前を真に信頼できる協力者として打ち明ける。」 「…どうぞ。」 「椎名賢明は仁川征爾や。」 「仁川征爾…?」 「覚えてないか。」 聞いたことがある名前だ。 黒田が記憶を呼び起こすのに時間は不要だった。 「…まさか…。」 「そう。6年前、下間悠里が成りすましとった仁川征爾。その本人や。」 「うそでしょ…。」 「本当。」 「え…でも…ありえない…。仁川はツヴァイスタンに拉致されたままのはず...。」 「はぁー(ため息)」 二人の間に沈黙が流れた。 「仁川征爾はすでにこの日本に亡命している。」 衝撃的な情報は黒田の言葉を失わせた。 彼はこの後に話される片倉の言葉に耳を傾ける事しかできなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 21 Jan 2023
- 169 - 154 第143話3-143-1.mp3 着信バイブ それは一度の震えで止まった。 病室のドアを開く音 靴の音 「容態は。」 「安定しています。今は眠っています。」 「そうか。」 「極度の疲労が原因かと。」 「特高はこれからどうするんだ。百目鬼理事官。」 「若林警視正が片倉の後を引き継ぎます。」 「大丈夫なのか。」 「問題ありません。松永課長の人選です。朝倉事件時、石川で活躍した人物です。私がこうして上杉情報官と直接お会いできるのも若林警視正の調整力の高さです。」 「…そのようだ。」 パイプ椅子を引く音 座る 椅子に座った上杉は片倉の眠るベッドの横に装着されたガードを握った。 「年配だな。」 「片倉ですか。」 「ああ。」 「能力がすべてです。年は関係ありません。」 「…。」 「石川には70代の捜査員もいます。」 「…ダイバーシティ。」 「いかにも。」 「聞こえは良いが、その実慢性的な人員不足に悩まされている。」 「おっしゃるとおりです。」 「お互い予算だけではいかんともしがたいな。人材確保というものは。」 「はい。」 「防諜機関でありながら、敢えてスパイを受け入れ、それを正規のスタッフとして使わねばならん。」 「それほどまでに内調も人員が不足しているということですか。」 「そっち(警察)は潜入される方だが、こっち(内調)は敢えてだ。そこのところ間違いの無いように。」 「御意。」 「人材確保は急務だ。」 「このヤマが終わったら、採用のほうに行きたいもんです。」 「何か妙案が?」 「無いことはないです。」 「ま、そのときは知恵を貸してくれ。」 「はい。」 さてと行ってベッドガードから手を離した上杉は立ち上がった。 「今日だろ。」 「これからです。」 「大体の流れは予想できるが、後で報告を入れてくれ。こちらで調整する。」 「はい。」 何があっても冷静沈着。 感情を表に出すことなど決して無い。 冷淡にも思えるが、インテリジェンスの世界のトップであるポジションの彼がそうであることは、指揮下で動く人間にとってはむしろこれ以上のない信頼でもある。 病室を後にする上杉を見送った百目鬼は呟いた。 「感情を捨てた人のはずなのに、こうやって捜査の最前線までふらっと顔を出し現場の信頼を得る。並の人間にはできることじゃない…。」 片倉の方を見ると彼が目を覚ます気配はない。 「じゃ行ってくるわ。気が向いたら顔出してくれ。」 こう言って百目鬼も病室から早々に退散した。 ドアを閉める音 百目鬼が去って10秒程たっただろうか、片倉は目を開いた。 そして上杉が握っていたベッドガードに触れる。 「手汗でびしょびしょやがいや…。」 テッシュをとる音 「まぁ感情は捨てきれるもんじゃねぇって事や。」 片倉は訝しげな表情でベッドガードを拭いた。 「雲の上の存在であるにも関わらず、不意を突くように捜査現場まで足を運ぶ。そして百目鬼理事官には冷静沈着であるぞと振る舞い、寝たふりの俺には緊張しまくっとるんやぞと心の内をさらけ出し、早く戻ってこいと暗に言う。どんな感情コントロールしとるんや。恐れ入るわ…。」 拭いたそれをゴミ箱に捨てた彼は枕元の携帯電話を見た。 「トシさんから?」 古田の離脱は岡田からの報告で知っていた。 「んー…。」 かつての部下である岡田から休めと言われ「はいわかりました」と素直にその言いつけを聞く。そんな個性を古田が持ち合わせていないことは、付き合いの長い片倉は知っている。 スッポンのトシ。そう呼ばれた古田のことだ。捜査から外されても独自のルートでその真相を解明するよう動くだろう。 しかし捜査を外されたといえども古田は岡田の部下だ。 ついさっき古田の上司、岡田はケントクをすっ飛ばして特高が椎名の管理をしているのはないかと疑いをかけてきた。その疑念を晴らすことはできたように感じたが、ここでまた特高の長である自分が岡田をすっ飛ばして、彼の部下である古田と直で連絡を取り合うと、二つの部署の間に新たな亀裂を生じさせかねない。 「今は無理や…トシさん。」 古田の着信を片倉は黙殺した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 朝のルーティンをこなす椎名 冷蔵庫を開ける音 「しまった…。」 常備しているはずの牛乳がまたもない。ため息をついた椎名は面倒くさそうに外に出た。 コンビニの音 ドアを閉める音 備品棚に手を伸ばした彼は、そこから携帯電話を取り出した。 電話発信音 「おはようございます。少佐。」 「おはよう矢高。現状を報告されたい。」 「朝戸がボストークに接触。」 「無事接触できたか。」 「明日の爆破について指南完了です。」 「そうか。」 「ただちょっとモタつきまして。」 「モタついた?」 「はい。そのとき公安を二名連れて来てしまいました。」 「ボストークにか。」 「はい。なのでこの二名についてはその場で処理しました。」 「つじつま合わせは大丈夫か。」 「現在のところ問題はない状況です。」 「しかしいずれ明るみになる。」 「はい。ですが例の時刻までは引っ張ることは可能かと。」 「くれぐれもヤドルチェンコにそのことを悟られないように。」 「念を押してあります。」 「俺はこれより単独任務に移る。決行の時まで俺とは基本連絡は取れない。」 「ベネシュ隊長との連絡はいかがしますか。」 「通信は使えない。ベネシュ隊長もそうだが、冴木も同様だ。」 「御意。では使いの人間を送るようにします。」 「頼む。」 今電話をしている携帯とは別の、椎名のポケットに入っているものが震えたため、それを彼は取り出した。 冴木からのメッセージには、椎名が入った便所の前に公安が待ち伏せしている。椎名が退出後、その中を改めるようだとあった。 椎名はそれに了解と返事をしてそれをしまった。 s 「差し支えなければお教えいただけますか。」 「何を?」 「少佐のその任務です。」 「…極秘である。」 「…。」 「それ以上の情報が必要であるか?」 「いえ。十分です。」 「Слава Отечеству.祖国に栄光あれ。」 「Слава Отечеству.祖国に栄光あれ。」 流す音 トイレから出ると中年男性がそわそわとした様子で、そこに立っていた。 おそらく自分の退出を待つ望んでいたのだろう。 彼に会釈をした椎名は牛乳を手にしてレジに向かう。 「274円です。」 「ディンギで。」 ディンギ音 「Этот магазин недоступен только сейчас. たった今からこの店は使えない。」 エタット マガジン 値DOSツペン とるこ せいちゃす こう言って椎名は携帯電話を店のレジ係に渡した。 「Спасибо.」 「Пожалуйста.」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「こちら椎名班。コンビニトイレに特に変わった様子はありません。」 「念のためコンビニそのものも改めてほしい。」 「了解。」 背もたれに深く身を委ねた冴木は大きく息をついた。 ドアを開く音 「おはよう。」 岡田が部屋に入ってきた。 「おはようございます!」 「あれ?」 立ち上がる冴木を見て岡田は要領が掴めない表情を見せた。 「マサさんは?」 「休憩されています。」 「あ、そう。」 「30分ほど休むっておっしゃって出て行かれましたが、すでに1時間は経ちました。」 「…疲れてんだろう。」 「そのようです。」 「君は?」 「あ、自分冴木と申します。」 「冴木?」 「はい。」 「どこかで見たような…。」 「光定公信の警備担当でした。」 「あ!なんでお前がここにいるんだ。」 「光定班の班長から中に戻れって言われまして。」 「待て、こっちにはろくに調べの報告も入ってきてないぞ。」 「しかしそんなことを言われても、自分は班長に言われたとおりにここに来たので…。」 岡田はため息をつく。 そして鼻息荒く冴木の前にある無線機器を操作し、そのマイクに口を近づける。 「本部から光定班。」 応答はない。 「こちら本部。光定班班長、応答せよ。」 またも応答がない。 「本部から光定班。」 「はい!光定班。」 「班長か。」 「いいえ、自分は班長ではありません。」 「班長に用がある。班長と繋いでくれ。」 「班長はいま調べ中でして…。」 「至急だ。とにかく繋げ。」 「あ!はい!」 「なに呆けたこと言ってんだ…。」 待つこと数分 「光定班から本部。」 「班長。これはどういうことだ?」 「申し訳ございません。班長の行方がわかりません。」 「はぁ!?」 「自分は班長ではありません。班長は調べ室の中にいるものと思っていたのですが、いらっしゃらないんです。」 「おい、お前さっきから調べ調べって言うけど、班長は何の調べやってんだ。」 「冴木の調べです。」 「…え?」 岡田はとっさに振り返る。 先ほどまで話していた冴木の姿はその部屋には無かった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 07 Jan 2023
- 168 - 153 第142話3-142.mp3 最上殺害の実行犯は朝戸であると告げてきたあの男はいったいどういう立場の人間なのか。 そもそも自分が山県久美子の監視をしているのは公安特課のごく限られた人間しか知らない事実。 そうなると中の人間の線は薄い。 「どうやって公安特課からネタを仕入れることができる言うんや…。」 古田は煙を吐く。 「…当初から言われとったしな、モグラの存在…。」 ーモグラを使ってまでマルトクの内情を知りたい存在。それは何か…。 「監視対象やろうな。」 古田は少し離れたところにあるアパート型の民泊を見つめる。 気のせいか先ほどからそこから出て行く人間が多いように感じる。 「時間の使い方は古田さんの勝手ですが、それにこちらを巻き込むようなことはお控えください。」117 古田はため息をついた。 携帯バイブ音 「はい古田。」 「例の男現れました。」 山県久美子の監視をさせている協力者からの電話だった。 「来たか。」 「ビルの前で、携帯を触ってます。」 「久美子の出勤を待っとるんか。」 「そうだと思います。」 「対象A。」 「はい?」 「以後奴をAと呼ぶ。」 「A…。」 「とにかくこのAを久美子に近づけるな。」 「近づけるなって言っても、あっちが一方的に近づいてきたら…。」 「大声を上げる。」 「へ?」 「火事や!って言えばいい。騒ぎになる。」 「でもそんなことしたら自分が。」 「こっちでうまいこと処理する。任せろ。」 こう言っておきながら古田は本当にそれでいいのかと自問した。 朝戸はあの東京で起こったノビチョク事件の実行犯であるとの情報。 これが本当であれば、今後何をするか分からない危険な存在だ。 その危険人物の監視を、自分の協力者だけに頼るのというのは問題ではないか。 「いや待て…。」 「へ?」 「やっぱりお前はそのまま監視で良い。」 「あ、わかりました。」 電話を切った古田は再びタバコをくわえた。 火を着けて吸う音 「やっぱりワシひとりで抱えるのはマズい。」 電話を手にした彼はある人物の電話番号を表示させる。 そして意を決したように発信ボタンを押下した。 呼び出し音 電話切る 「いや止めや…。なんしとれんて…ワシ…。」 古田はため息をつき、電話を胸にしまった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「ご苦労様です。」 富樫が詰める公安特課の指揮所に男がひとり入ってきた。 「うん?」 「岡田課長に言われて来ました。」 「岡田課長から?」 「はい。富樫さんには少し休息が必要。しばらくの間、交代してやってくれって。」 男は紙コップに入ったコーヒーを富樫に差し出す。 「しばらくの間とは。」 「2、30分程度です。」 「あぁ本当に休憩って事ね。」 「はい。」 それは助かると言ってコーヒーを手に富樫は席を立った。 「あれ…。」 「なんです?」 「お前さん、確か…。」 「はい。光定死亡の際、その警備担当だった冴木です。」 「…。」 「何か?」 「いや…。」 「いま私のこと疑ったでしょう。」 「…。」 「でも自分、岡田課長に言われてここに来ています。」 「…そのようやな。」 「そのようとは?」 「…。」 ぱっと見どこにでもいるような優男。色白で長袖シャツの袖口から見える彼の手首は女性のように細く、そして白い。 この冴木が公安特課の目をかいくぐって、光定公信を殺害せしめた人間にはとても見えない。 「聴取は?」 「その程度でいいのかなって感じでした。」 「え?」 「光定公信の警備をしてたのは自分。その間に事件が発生した訳です。」 「そうや。」 「なのにちょちょいって聴取されて、持ち場に戻れですから。」 「え、そうなん?」 「はい。」 「だから自分もやりにくいんですよ。しばらく謹慎させられてほとぼり冷めたら復帰ならまだしも、速攻現場復帰でしょ。怪しまれますよ。」 「誰がその判断を?」 「自分の再配置の判断は岡田課長と聞いています。だから岡田課長に言われて来たと言いました。」 「お前さんの調べは?」 「自分の調べは光定班の班長でした。」 ふうんと言って富樫はコーヒーに口を付けた。 「アレじゃないですかね。」 「アレ?」 「人員不足。」 「…そうやろうな。」 再びコーヒーを飲む。 「ろくに休みもないじゃないですか。」 「ああ。」 「だから期待したんです。これで俺、休めるなって。」 「今の俺らには喉から手が出るほど欲しいもんやしな…。」 「だから30分の休憩とってください。岡田課長の計らいだと思いますよ。」 「そうやな…。」 ドアを閉める音 部屋を出た富樫を急な眠気が襲った。 今まで張り詰めていたものが一気に緩んでしまったのか。 彼はそのまま仮眠室に向かった。 「朝戸班から本部。」 「はい本部。」 「ボストークに変わったところはない。」 「本当にちゃんと調べたのか。」 「え?」 「調べろと言ってから間もない報告。徹底的な捜査がされているとは思えない。」 「それは…。」 「普段は営業していない店が気分で営業。そこに旅行者朝戸がふらり来店。偶然を装ったものだとすれば、店のすべてを改める位の徹底的な捜査がされてしかるべきだと思うが?」 「ですね。」 「バンかけと併せてあらためて報告されたい。」 「りょ、了解。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「指揮所からボストーク。」 「はいボストーク。」 「足りない。店の中を徹底的に調べろ。」 「徹底的にとは?」 「徹底的と言えば徹底的だ。」 無線は切られた。 「なんだこれは。」 ボストークのマスターは電話をかけた。 「なんだ。」 「公安が妙なこと言ってまして。」 「どう妙なんだ。」 「調べが足りない徹底的にしろとだけ。具体的な指示も何もないんです。」 「…。」 「どう思います?」 「お土産だな。」 「お土産?」 「ああ、調べましたっていう何らかの成果が欲しいってことさ。」 「え?それって…。」 「忖度だよ。」 「アレですか。ねつ造ですか。」 「いや、とにかくお土産が欲しいってだけさ。」 「でもそんなことしたら、捜査をミスリードすることになりませんか。」 「そういうところあるんだよ。あそこは。」 「馬鹿か…。」 「しかし何をお土産にするか…。」 「拳銃一丁出しますか。」 「銃とクスリは無しだ。ややっこしくなる。」 「じゃあ…。」 「それとなく匂わせて、核心には迫らない何か。」 二人は沈黙した。 「そうだ。」 「何です?」 「店にプリンターってあったか?」 「ウチにですか。」 「ああ。」 「ありますよ。」 「じゃあ今から送る写真印刷して、店のどこかに貼ってくれ。」 「はい?」 「で、その様子をカメラで撮って指揮所に送るんだ。後はこちらでうまくやる。」 しばらくして矢高から写真が送られてきた。 「なんだこれ…」 それを見たマスターは眉をひそめた。 プリンター音 「これでいいのか?本当に…。」 A4サイズに印刷されたそれを店の奥の目立たないところに貼り、その様子を写真に収めた。 シャッター音 「こちらボストーク。妙なものを発見。今送る。」 「了解。」 彼はそれを送った。 しばらくして指揮所から無線が入った。 「これ以外に何もないか。」 「ない。」 「わかった引き上げろ。」 「了解。」 「本部から朝戸班。」 本部から朝戸班全員に聞こえる無線が流れた。 ボストークのマスターはそれに耳を傾ける。 「内灘海岸の不審船漂着との報あり、朝戸班は直ちに2名の人員を現地に派遣されたい。」 「こちら朝戸班。了解。」 「朝戸班指揮所からボストーク。」 「はいボストーク。」 「今の無線の通りだ。悪いがふたりとも内灘に急行されたい。」 「了解。」 マスターは壁に貼っていた先ほどのA4用紙を取り外しながら呟いた。 「にしても気持ち悪いもん印刷させるよな…。」 あらためてそれを手にして眺める。 「なんで目の写真なんだよ。」 紙をぐしゃぐしゃにする音 「手際よすぎるぜ…矢高のダンナ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 24 Dec 2022
- 167 - 152 第141話3-141-re.mp3 古田は目を覚ました。 枕元のにある腕時計を手にすると、それは8時を示していた。 「え!?」 前日の疲労の度合いが何であろうと、いつも朝5時には目が覚める。それが今日は3時間も寝過ごしてしまった。 彼は飛び起きて、部屋に唯一ある窓を開け外の様子を見た。 今は4月30日木曜。4月29日水曜は古田にとって激動の一日だった。 古くからの友人、公安特課の富樫に朝っぱらから休んでじっとしてろと言われ傷つき、ぶらぶら外を歩いていたら妙な男と接触。彼から東京のノビチョク事件のホシが朝戸慶太であるとリークされ、その朝戸が潜伏していると思われる東山へ向かう。東山周辺で朝戸を探っているときに偶然、本人を発見。彼を追って行くとある寺に行き着いた。 そこでその寺の住職が登場。住職は聞きもしない朝戸の身の上話を古田に披露。挙げ句、古田のことを警察の人間だと見抜く。すると彼はその場で気絶。目が覚めると朝戸が目の前に。朝戸が自分を宿まで運んでくれたとのことで、その礼にボストークセバストポリで昼を一緒に過ごした。話す限りノビチョクなんてとんでもない化学兵器を使用して、人を殺すような人間に見えない。ごく普通の中年男性。むしろこんな老いぼれに気を遣う心優しささえ感じさせる。 しかし心のどこかでこの社会に対して何らかの闇を抱えているのは分かった。 そして宿に戻り周辺を散策。すると宿の周辺から敵意というか威圧というか、妙な圧迫感を感じた。 最近、ロシア語的な言葉を話す人間が大挙してこの辺りに滞在している。 ここで古田は国際テロ組織ウ・ダバの存在を疑うこととなったのだった。 古田はカメラバッグからおもむろに一眼レフカメラを取り出した。 そしてそれを窓の外に向けて構える。 「特に動き無し…か。」 昨日の夜、宿に戻った古田は今手にしているカメラに暗視レンズを装着。 近くの集合住宅型の民泊施設の様子を覗っていた。 時折外に出て行く人間はいたが、それらが皆一人。 複数名で行動するものは居なかった。 彼らの動きは22時を持ってパタリと止まっていた。 「ワシが見る限り外に出て行って、そのまんま帰ってこんって奴はおらんみたいや…。みんなちゃんと帰ってきとる。」 「酒盛りみたいな事すりゃ、それなりに騒がしくなるようなもんやけど、そうじゃないしな…。」 「あいつらあの中でなにやっとるんや…。」 引き戸を開ける音 居間の扉を開くとテーブルを拭き上げる宿の主人の姿があった。 「おはようございます。」 「あぁ、おはようございます。」 朝食出すのでお待ちくださいと言われ、古田は手近な場所に座った。 8畳程度の部屋には古田ともう一人。 彼はスマホに目を落としながら朝食を食べている。 真っ白なご飯に味噌汁。卵焼きにキャベツの千切りとスライスハムとソーセージ。梅干しと昆布の佃煮、納豆もある。 なんとも正しい朝ご飯ではないかと思わず古田は笑みをこぼした。 「はい、朝ご飯です。」 改めてうれしさがこみ上げた。 湯気を立ち上らすご飯と味噌汁。輝かんばかりの存在感だ。 もうこれと梅干しだけで何倍でもご飯がいけそうだ。 古田の表情を察したのか主人は言葉を付け加える。 「ご飯と味噌汁のおかわりはご自由におっしゃってください。」 この主人の言葉は古田の心を躍らせた。 ふと先に食事をしている彼を見る。すると彼はこちらの方を向いてにっこりと頷いてくれた。 ーこれはワシに思う存分行けってことやな…。よし。 古田は合掌した。 「いただきます。」 まずは何はともあれご飯だ。箸でそれをつまんだ古田はそれを目の前に引き寄せて様子を見る。 シャッキリとしており、水気を十分に含んでいるためだろう、一粒一粒が輝いて見える。 そこに豊かな湯気が立ち上る。古田はそれを口に放り込んだ。そして二度三度噛む。 刹那一陣の風が拭いたような気がした。 「うまい。」 味噌汁を飲む音 「あぁ…。」 ふと先客を見る。彼は主人にお代わりを頼んでいた。 ーそうだ。そうなるわな。絶対にそうなる。いや、そうならないはずがない。 古田は完全に朝食と自分だけの世界に入り込んでしまった。 「ごちそうさまでした。」 なんだこの多幸感は。 どうして宿の朝食というものはもうも旨いのか。 同じ食事を同じ朝に自分の家で食べてもここまで満足しない。 この仕組みを説明できる人がいるなら、教えて欲しい。 ここが分かればそれで商売できるはずだ。 「あの、ワシをここまで運んでくれたあの方、もうここ出ちゃいました?」 食事を終えて部屋を出る古田は主人に尋ねた。 「あぁあの人ですね。1時間ほど前に出て行かれました。」 「早いですね。」 「朝の散歩っていう人結構いらっしゃいます。」 「なるほど。」 「チェックアウトしたわけじゃないので、戻ってきますよ。いつになるかは分かりませんが。」 「あ、わかりました。ありがとうございます。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ドアを開く音 「待っていたよ。入りな。」 彼は男を店の奥に招き入れた。 「ナイトだな。」 男はうなずく。 「大丈夫か。誰かに付けられてないだろうな。」 「分からない。」 「分からない?」 「はい。」 「…そういうのは困るんだ。」 「俺はプロでも何でも無いんだ。」 「まぁ…。」 マスターため息。 「朝飯は食ったのか。」 「少しだけ。」 「食っていけ。用意する。コーヒーは飲むか?」 「はい。」 「タイミング良いよ。ちょうど今淹れたところだ。」 朝戸の前に大きめのマグカップでコーヒーが出された。 「ありがとうございます。」 「それとこれ。」 QRコードが表示されたスマホの画面を朝戸は見せられた。 「何ですかこれ。」 「こいつ読み取って、そこブックマークしておいて。」 朝戸は言われたとおり自分スマホをかざしてそれを読み込んだ。 すると飛んだのはとある商品のキャンペーンサイトだった。 「何です…これ…。」 「お前さんだけのためのウェブサイトだよ。」 「ん?」 「ほら一番最後にシステムメンテナンスってところがあるだろう。」 朝戸は画面を一番下までスクロールする。 たしかに真ん中に小さめのその文字があった。 「それは隠しリンクだ。その中にお前さんの欲しいものがある。」 「ここから先、見ても良いんですか?」 「いい。だが見るだけにしておけ。決してそこから先は行くな。」 朝戸はシステムメンテナンスの文字をタップする。 すると画面の中央にGOと書かれたボタンのようなものがあるだけのページになった。 「起爆装置だ。」 「起爆装置?」 「あぁ。明日こいつを使え。お前の望む派手目のことが起こる。」 朝戸の目つきが変わった。 そしてほくそ笑む。 「いいか。実行の時までは絶対にこのボタンは押すな。その時になったら躊躇わずに押せ。」 「わかった。」 「後は存分に暴れろ。」 「任せてくれ。」 ドアが開かれる音 「やってる?」 男二人が店に入ってきた。 瞬間、マスターの目つきが変わった。 ーやってる?じゃねぇよ…。やっぱり付けられてるじゃねぇか…。 ーこんな店に朝から大のおっさんが雁首並べて「やってる?」なんかあり得んよ。 「営業時間は昼は11時から15時。夜は18時から26時って口コミサイトに書いてあったんだけど、ほら。」 男は奥に座る朝戸の方を見る。 「お客さんが入っていったから、まさかと思ってさ。」 「たまに気が向いたときに開けてるんですよ。」 「へぇ。」 「ささ、どうぞ。」 マスターは男二人をカウンターに座らせようとした。 「あー奥の方が良いかな。」 「奥ですか?」 「うん。あのお客さんと同じのボックスの方が良いな。」 ーうーん。グイグイ来るな…。 「あ、どうぞ。お好きな席に。」 「ありがとう。」 男二人は椎名朝戸の対角の席に座った。 「いやぁ人気の店って聞いてたから、ラッキーだわ。」 「ありがとうございます。」 「ところでこの店のボストークって名前、何語?どういう意味?」 「ロシア語で東って言う意味です。」 「ロシア語?え?何でロシア語?」 偶然店に入ってきた割には質問攻め。 一方の男がマスターと会話をし、もう一方の男は朝戸と店内の様子を観察する。 ー完全にアレだなこいつら…。 妙な空気感になった店の様子を察した朝戸は席を立った。 「お会計お願いします。」 「ありがとうございます。」 「ディンギで。」 「はいお願いします。」 ディンギ音 「ありがとうございました。」 店から出て行った朝戸を目で追った男二人はお互いを見合った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「対象、店を出ました。」 「変わった様子は。」 「特にありません。」 「しばし待機せよ。」 「了解。」 朝戸観察班の班長はしばらく考える。 そしておもむろに無線のマイクに口を近づける。 「朝戸班から本部。」 「はい本部。」 「朝戸にバンかけしようと思います。」 「なぜ。」 「いまボストークという店に入って出てきました。」 「ボストーク?」 このボストークで椎名は片倉京子と接触を図っていた。 ここでまたもボストークという単語を聞くことになり、富樫は驚いた。 もしやこの店も先のネットカフェ同様、椎名の妙な行動の拠点となっているのではないか。 「はい。駅前のカフェのような店です。営業時間外に店に入って、しばらくして出てきました。」 「営業時間外に?」 「はい。気分で店をやってる時があるとかで、朝戸はコーヒーを飲んでそのまま店から出て行きました。」 「臭いな。」 「いいですか?」 「よし頼む。」 「了解。」 「あ、あと。」 「何でしょう。」 「ボストークの中も調べろ。」 「了解。」 班長は無線の周波数を変えて話しかける。 「こちら指揮所。ボストーク聞こえるか。」 「はい。こちらボストーク。」 「店の中を改めて報告されたい。」 「了解。」 「よし。俺らは対象のバンかけだ。」 車の中から班長ともう一人のスタッフが飛び出した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー タバコを吸う音 「ふぅー。」 「ぐ…う…。」 「おっと。」 サイレンサーで打ち抜く音 横たわった遺体から無線機を取り出したマスターは、イヤホンを装着する。 携帯呼び出し音 「私です。」 「どうした。」 「訳あって公安二名消しました。」 「え?」 「遺体はこちらで処理します。」 「わかった。だがこれからどうするんだ。」 「ヤドルチェンコに頼んでなんとかします。」 「いや、ここでヤドルチェンコとなるとさらに公安を引き寄せてしまう。」 「ではどうすれば。」 「わかった。ここは俺に任せてくれ。」 「申し訳ございません。矢高さん。」 「はぁ…。てか何があった。」 「朝戸ですよ。」 「朝戸?朝戸がどうした。」 「公安連れて来やがりまして。」 「あぁそういうこと。」 「はい。」 「まぁ素人だから、そういうこともあるだろう。」 「にしてもですよ。」 「こちら指揮所。ボストーク聞こえるか。」 「あ、ちょっと待ってください。」 「はい。こちらボストーク。」 「店の中を改めて報告されたい。」 「了解。」 「なんだ。」 「店の中改めろと言ってます。」 「適当に返しておけ。こちらで調整する。」 「しかし消した二人をどうすれば…。」 「それ含めて俺がやる。マスター、あんたはこのことをヤドルチェンコに悟られないようその場を取り繕ってくれ。」 「わかりました。」 「ではまた。」 矢高はため息をついた。 そしてスマホの画面に指を滑らせ、テキストを入力する。 「公安特課二名欠員。対応されたい。」 しばらくして了解との返事が返ってきた。 それをしまった矢高はひとり呟く。 「冴木ひとりに頼る状況がこうも続くのは良くない…。」 神妙な面持ちで彼は車のハンドルを握った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 10 Dec 2022
- 166 - 151 第140話3-140.mp3 現在時刻は2時半。 陶は携帯電話でパソコンの画面を撮影した。 シャッター音 スマホに指を滑らせる音 マウス音 「シャットダウンと…。」 席を立ち上がった陶は部屋全体を見回す。 誰もいない。 「よし…。」 スイッチ音 ドア閉める音 革靴の音響く ドアが開く音(遠くで) 「ん?」 陶は立ち止まった。 背後でドアが開く音が聞こえた。 いま自分が消灯して出てきた部屋の方だ。 ーまさか…誰かいたのか…。 汗のようなものが陶の首筋に流れた。 そしてそちらの方に振り返る。 「…気のせい…なのか…。」 しばらくその場に立ち尽くした彼はきびすを返して元の方に進み始めた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 夜の街の音 「おつとめご苦労様でした。松永課長。」 「いやぁ…シャバの空気はいいもんだな。」 「いまどちらですか。」 「警視庁の前。コンビニ寄ってから察庁に行くよ。」 「あれ?お迎えは?」 「あぁ百目鬼が迎えに来るって言ってきたが、直ぐ横だろ。いいよ、断った。」 「直ぐの復帰、大丈夫ですか。少し休んでは?」 「いやそれは無理。片倉が倒れたって連絡が入ってさ。」 「片倉さんが?」 「あぁ。疲労らしい。」 「それは…。」 「知らないうちに情勢は随分と変わってるみたいだ。」 「それはこちらもです。」 「なんだ?」 「目標、ここに来てボロ出しました。」 「やったか…。」 「仲野を唆していました。」 「…ロシアがらみか。」 「はい。我が国におけるアルミヤプラボスディアによる作戦行動を止めるには、そこと深い関係のあるロシアの力を借りるしかない。そこで議員の中でも最もロシアとのパイプをもつ仲野に動けと。」 「なんで自衛隊を使わないんだよ…。」 「そうすると手柄をすべて与党に持っていかれますよ、と。」 「あぁ…そういうことね…。」 「またついさっきのことですが、目標は下間悠里の写真を携帯で撮影し、それをどこかに送っていました。」 「悠里の写真を?」 「はい。」 「…わかった。それについてはこれから情報を整理してすぐに調べる。」 「よろしくお願いいたします。」 「関。」 「はい。」 「時間は無いぞ。」 「理解しています。」 「上杉情報官は。」 「全体の状況はほぼ把握しています。」 「よし。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 金沢駅近くのビジネスホテル。 この一室に空閑は居た。 電気を消しベッドに横たわるも、先ほどから妙な汗が止まらない。 併せて発熱もしていないのに体の節々が痛み、手足を虫が這いずり回るような感覚がある。 これでは到底眠ることなど出来ない。 何度も寝返りを打っては立ち上がる。 うろうろと部屋の中を歩き回って、また横になるの繰り返しだ。 今は4月30日木曜日。時刻は午前3時だ。5月1日まで24時間を切った状態。 少しでも休息は取らなければならない。 かと言ってじっと横になっていることもままならない。 無為に時間を過ごしてしまっている自分に腹立たしい思いだった。 バイブ音 携帯電話が光った。 それを手にした空閑は立ち尽くした。 頭髪を真ん中で分け、丸眼鏡をかけた男がスウェットのようなものを着てこちらを見ている写真が表示されていた。 「インチョウ…。」 その画像に次いで椎名からのメッセージが届く。 「収監されたときの下間悠里だそうだ。」 「…。」 「Вы собираетесь спасти Юрия, не так ли? ユーリを救うんだろ?」 「Конечно. もちろん。」 「じゃあ明日に備えて今日一日は英気を養え。いまのお前にはやることはない。明日に向けてお前はやるだけやった。」 「休むと言っても…。」 「休むのも仕事のウチだ。俺はお前の体調が心配だ。」 「体調?」 「ああ。」 「何のことだ?」 すこし間を置いて椎名から返信がきた。 「その感じなら問題なさそうだな。」 「どういうことだ?キング。」 「とにかくいまお前は動かない方が良い。公安の目が光っているから。」 部屋のカーテンを開き外の様子を見る。 午前3時というこの時間でも、向こう側のホテルには明かりがついた部屋があった。 どういう人間がどういう活動をしているかなんかわからない。 ましてや人を欺いてなんぼの公安警察が、どういう形で今の自分を監視しているかわかりっこない。 カーテンを閉めた空閑は椎名の意見を素直に聞くことにした。 「…わかった。」 「今どこだ。」 「金沢駅近くのビジネスホテル。」 「窮屈かもしれないがそこに一日引きこもってくれ。朝戸の管理は俺の方でする。」 「リモートでの管理も可能だが。」 「やめておこう。通信も割れるかもしれない。俺が別ルートで奴の管理をする。」 「わかった。」 「では当日。」 机の上に携帯を置いた空閑は、そのままベッドに横たわった。 そして目を瞑る。 一瞬にして彼は深い眠りについた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー バイブ音 点灯した画面を見ると時刻は午前3時だった。 「なんだ…こんな時間に…。」 ベッドの中から手を伸ばしそれを手にする。 そこには若林という名前が表示されていた。 咳払いをして彼はそれに出る。 「私だ…。」 「局長。お楽しみのところ申し訳ございません。」 「馬鹿言え、こんな時間まで楽しめるか。時間を考えろ。」 「あっ申し訳ございません。局長のことですからてっきり。」 「ふふっ。」 「ふふふ。」 「で、なんだ。」 局長と言われるこの男は空いた右手で隣に手を伸ばす。 「全部聞かせていただきました。」 「えっ。」 男は何度も右手でその辺りをまさぐる。 そこにあるはずの女性の体の感触がない。 飛び起きた彼は部屋の電気を付けた。 「警察のお偉方ってのは、どうしてこうも色に弱いのでしょうかね…」 「おい…若林…お前…。」 「警備局長になってもこの詰めの甘さ。組織改編をしても結局は人が運用します。その人が、しかもその要職にある人がこうだと、税金の無駄使いと言われても仕方が無い。」 「ま、待て…。」 ドアを叩く音。 「開けろ!」 「監察ですよ。」 「若林…お前俺を…。」 「何言ってんだ。国を売ろうとしたお前に比べてどっちがマシなんだって話だよ。」 ドアがぶち破られる音が電話越しに聞こえる タバコを吸う音 「若林です。局長の件終わりました。」 「よくやった。」 「しかしこうも色が効くとは。」 「朝倉と同じだ。俺が干されて油断した。」 「あぁ…。」 「人間の性ってもんはそうは帰られんさ。」 「同族が集まるわけですからね。」 「ああ。」 職員から何かの報告を受けた若林は、彼に撤収しろと合図を出す。 それに敬礼で応えた職員は駆け足でその場から立ち去った。 「ところで片倉が倒れた。」 「えっ!?」 「なので若林、お前は特高の応援に行ってくれ。」 「あ、はい。ってか大丈夫なんですか。片倉さん。」 「疲労だ。いまは病院で休んでいる。」 「しかし自分に特高が務まるでしょうか。」 「問題ない。百目鬼も居る。」 「…。」 「どうした?」 「奥様には?」 「おいおい。ややっこしいことは無しだ。」 「冗談です。」 「…冗談も言えん状況だぞ。」 「気づけばオールスターじゃないですか。」 「だろう?」 「…しくじれませんね。」 「だな…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 26 Nov 2022
- 165 - 150 第139話3-139.mp3 枕元の携帯電話が光ったため、椎名はうっすらと目を開きそこに目を落とす。 日付が変わった4月30日の午前1時半だった。 ーなんだこの夜中に…。 彼は自分の動きを悟られないように、布団を被ったままそれを操作する。 空閑からのメッセージだった。 「ルークから聞いた。石川の警察電話が不通になる障害が発生している。」 「ほう。」 「この計画は聞いていないが。」 「ヤドルチェンコの仕込みじゃなくて?」 「ヤドルチェンコ?」 「うん。」 空閑からの返信が止まった。 ー空閑…どうした…。 「派手にかますよう奴に頼んだって言ってたろ。」 相変わらず彼からの返信が無い。 ーおい…なんだこれは…。 「大丈夫か?」 「すまん。ちょっと頭痛が…。」 ー頭痛? 「鍋島にしてもらった。」 「えっ?」 「俺を鍋島そのものにする催眠をかけてもらった。」 「なんだ…それ…。」 「話すと長くなる。とにかく俺はあいつの手で鍋島能力を手に入れた。」 「待て。鍋島能力ってまさか。」 「そう。ルークが欲しがっていたやつさ。」 ーで、頭痛か…。 ーナイトと一緒だな。 ーなるほど頭痛は鍋島コピーの共通症状ってことか…。 ーこれで空閑が本当に鍋島能力を手に入れたならまだ良いんだが、どうも思ったような効果を得られていないみたいだしな…。 「すまんキング。ヤドルチェンコってなんだ?」 ーえ? 椎名は改めて空閑の異常さを感じとった。 ーヤドルチェンコの存在が記憶から消えてるのか…。 「君は何度も彼と連絡を取り合ってるはずだけど。」 「携帯を見ても連絡を取り合った形勢がないんだが。」 ーそりゃそうだ…。残らないように連絡取り合ってるんだから。 「待ってビショップ。それで本当にあさって大丈夫なんだろうな?」 「どういうこと?」 「そのヤドルチェンコがキーマンなんだけど…。」 「は?」 ーマジかよ…。こいつは想定外だ…。 ーしかしここで妙にこいつに混乱されると、余計に面倒くさいことになる。 「わかった。後は俺が代わりに奴とコンタクトをとる。ビショップ、君はゆっくり休んでくれ。」 「ゆっくりもしてられない。」 「どうして。」 「妙な奴らが俺の周りをウロついている。」 ーそうか…公安は空閑も抑え始めたか…。 ーならばここは空閑とヤドルチェンコとの接点を切ってしまう絶好の機会と言うことか。 「警察がウロつくなら尚更動かない方が良い。」 「しかし…。」 「普通にしてろ。普通にしてる分には奴らはなにも仕掛けてこない。」 「今の状態が普通じゃないんだ。」 「どういうことだ?」 「虫みたいなものが体を這いずり回ってる。」 ーえ…。 「いまこうやって携帯を持っている手も、足も虫だらけなんだ。」 ーそれ…シャブ中によくある症状だろ…。 「頼む。」 「キング。」 「助けてくれ。」 光定は朝戸に彼の妹と瓜二つの容貌をもつ山県久美子の写真をあてがって、その精神状態の平静を保たせていた。朝戸の喪失感の源である妹の代替物をもって心の穴を埋めたと聞いたことがある。 ならばこの空閑も喪失感の元になるものの代替物を示すことが出来れば、副作用を抑えることが出来るのかもしれない。 ー空閑の精神的支柱は…。 椎名は空閑と初めて接点を持ったときの記憶を呼び起こした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 5年前 「今日からは俺と山田が交代でお前の面倒を見ることになった。」 「田中さんは?」 陶は首を振った。 「それは残念です…。」 「だがおかげでコソコソする必要がなくなったってわけだ。」 椎名は指で机の上をたたき出した。 「・・-・・ ・・- ・・-・ -- ・・- -・-・・ ・-・-・・ 盗聴器。」 「-・・-・ ・-・-・ -・ ・・ ・- ・-・ --・-・ ・-・-・・ / ・・-・・ --・ -・・・ ---・- ・・ --・-・ -・ ・-・-・・問題なし。取り外した。」 「証拠を見せろ。」 パスケースのようなものを胸元から取り出した陶はそれを机の上に置いた。 「これでどうだ。」 「双頭の鷲…。」 「そうツヴァイスタン人民共和国オフラーナの旗章だ。」 「なるほど。」 「もしもこの部屋に盗聴器が仕掛けられているなら、盗撮カメラももちろんそのままだ。だとすれば今、おれがここでこれを見せることは…。」 「自殺行為。」 「そう。だからその辺り理解してくれ。」 「わかった。」 椎名は立ち上がった。 「それにしても急な緩和具合だな。」 「俺が手を回した。」 「はっ…まるでザルだ。いままでの警戒態勢は何だったんだ。」 「協力者はまだまだいるんだ。」 「キャプテンよりも上にか?」 「上かどうかは分からんが、同格程度の人間はいる。」 「浸透具合も相当なもんだ。」 「下間一族の働きによるところが大きい。」 「下間…。」 「キャプテンからはいずれ亡命を装って日本人がやってくると聞かされていた。その時は俺がそのエスコート役になるよう指示をされている。」 「逮捕後も君は彼のコントロール下にあると言うことか?」 「任務に忠実と言ってくれないか。」 「すまない。敬服する。」 「ありがとう。」 「お前の活動を全面的に補助するにはこうやって面と向かって話す機会が必要だろう。そのためのこの場の設定だよ。」 「なるほど。」 陶は4枚の写真を彼の前に並べた。 「これは?」 「君に協力してくれる人間たちだ。」 その中の一人を陶は指さした。 「空閑光秀。」 「くがみつひで…。」 「こいつは下間悠里の忠実な部下でな。」 「ユーリの…。」 「…悠里と面識あるのか?」 「まぁ。」 「それなら話は早い。この空閑は悠里に心酔した人間だ。悠里から逮捕される前に一連の工作について聞かされていた男だ。悠里は日本でインターネットコミュニティのコミュというものを運営していて、協力者予備軍を集めていた。空閑はそこの事務局の人間。」 「つまり協力者予備軍の管理をする人間ということか。」 「そうだ。」 「俺は空閑を使って任務を遂行していけば良いと言うことだな。」 陶はうなずく。 「とにかくこいつは悠里の信者だ。こいつは悠里を解放させることがすべてだ。空閑を抑えていればこの連中は手足のように動くはず。」 「わかった。」 「ちなみに空閑の他には紀伊、光定、朝戸だ。」 「紀伊、光定、朝戸…。」 「紀伊は最近、警察に新設された公安特課の精鋭部隊、警視庁公安特課機動捜査班のスタッフ。光定は鍋島能力の研究者。朝戸は鍋島能力の実験体だ。」 「鍋島能力の実験体?」 「そうだ。実験に関する詳細はまた別の機会にお前に教えるが、この朝戸は光定によって完全に制御されている、いわば人形のような存在だ。つまり我々の鉄砲玉になり得る存在と考えてくれて良い。」 「わかった。」 「因みにお前はここで俺らの調べを受けた後、石川のほうで解放される。」 「石川?」 「ああ。悠里たちが失敗した石川だ。」 「なぜ石川。」 「悠里らの残党が多く残っているその地にお前を敢えて据えて、様子を見るんだよ。」 「意外と徹底してるんだな。」 「まあな。」 「ここでは石川に行った後、お前がどのように空閑と接点を持つのかも綿密に打ち合わせておきたい。」 それからしばらくして仁川は椎名賢明として石川で生活をすることとなった。 ーまずは最寄りの牛丼屋を使え。そこからお互いで接点を持つ方法を探ってくれ。 椎名は自宅近くの牛丼屋に入った。 「牛丼並盛りで。」 待つこと数分。注文の品が目の前に出された。 なんだこのスピード感は。ツヴァイスタンではこんなことあり得なかった。 店側の対応の良さに若干の戸惑いを感じながら、備え付けの箸を手にした時のこと、聞き覚えのある言語が左隣から聞こえた。 「Вы король? お前がキングか?」 ーキング…。俺のコードネームか…。 「Да. そうだ。」 「Я епископ.Люк рассказал мне о тебе. 俺はビショップ。ルークからお前のことを聞いている。」 ールーク…。なるほど…チェスか…。 「Вы собираетесь спасти Юрия, не так ли? ユーリを救うんだろ?」 「Конечно. もちろん。」 「Я позабочусь об этом. 俺に任せろ。」 人目を盗むように左隣の男は一枚の紙切れを椎名に渡し、店から姿を消した。 牛丼を掻き込んだ椎名は店のトイレに入った。 メモを開く音 「金沢市郊外のネットカフェ…。」 店の名前を頭に入れた椎名はそれを便所に流した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ー空閑の精神的支柱は下間悠里…。 「助けてくれ」というメッセージを最後に空閑からのものはない。 症状が落ち着いたのか、それとも症状が酷くなり連絡すら出来ない状況にあるのか。 ーここで自殺なんてのは勘弁だ…。 布団を頭から被った椎名は目を瞑る。 ーダメ元で朝戸みたいに悠里の写真でも奴に送ってみるとか…。 「下間悠里が逮捕されたときの写真って手に入るか?」 陶に送ったこのメッセージの返信はすぐだった。 「手に入る。」 「至急俺まで送ってほしい。」 「わかった。」 「いつ送ってもらえる?」 「1時間もかからない。」 「できる限り早急に頼む。」 「わかったすぐ送る。」 ーここで空閑にコケられたらいろいろ計算が狂ってくるんだわ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 12 Nov 2022
- 164 - 149 第138話3-138.mp3 いつものように頭から布団を被った椎名は、その中でスマホの画面に指を滑らせていた。 「ん?」 陶からのメッセージが画面に表示された。 ー紀伊倒れる…。 椎名は即座にそれに返信をする。 「何を使った?」 「ノビチョクを使った。」 「大丈夫か?バレないか?」 「心配ない。いま手の者に処分させているところだ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 町の雑踏 ハイヒールの足音 「お姉さん。」 自分を呼ぶような声が聞こえたため、彼女はそちらに振り向いた。 突如として物陰から男が現れたと思った瞬間、羽交い締めにされた彼女はそこに引き込まれる。 大声を出そうとするも、もう一人の男が自分の口を手で覆ってきた。 刹那、首筋が何か鋭利なもので切り裂かれるような感覚を覚えた。と同時に今まで感じたことがない部位で風を感じた。 気づくと自分の視界に噴水のように湧き上がるような液体が見えた。 この間ものの数秒の話。 彼女の意識は遠のき、そのままそれが戻ることはなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「確認を怠るな。」 「もちろんだ。」 またも画面に通知が表示される。 今度は冴木からだ。 矢高の連絡先を伝えるメッセージだった。 ーどれどれ…山田正良のこと矢高慎吾。こちらの方はご機嫌はいかがかな…。 椎名は指を滑らせる。 「お久しぶり。」 しばらくして返信があった。 「お久しぶりです。流石の活躍ぶりですね少佐。」 「いま高橋君と話してた。」 「高橋勇介ですか?」 「うん。」 「懐かしいですね。」 「うん。」 「さては奴の分身が殺された件でしょうか。」 「山田君。君の仕業だろう。」 「はい。」 「どうして佐々木を消した?」 「あなた様に直接コンタクトを取り出したからです。」 「…。」 「チェス組の連中や、陶自身が少佐とコンタクトをとるのは自然です。」 「同志だもんな。」 「はい。しかし佐々木はただのお目付役。チェス組が無事5.1テロを成功させれるよう、その支援をするだけの影の存在。決して表に出てはならない。」 「うん。」 「そんな影が出しゃばって少佐と直接接点を持った。」 「出過ぎたわけだ。」 「佐々木の動き。何かを感じ取った故の行動ではないでしょうか。」 「だと思う。わざわざ高橋勇介の名前で電話をかけてきたんだから。」 「無駄に勘のいい人間は邪魔以外なんでもありません。そこで奴にはご退場いただいたわけです。」 「手際がいい。」 「お褒めにあずかり光栄です。」 メッセージのやりとりをする画面の上部に陶からのものが表示された。 「今確認が取れた。」 椎名はそれに了解と返して、矢高とのやりとりに戻った。 「ルークは陶によって消された。」 「え?ルークとは陶の特高における有力なエスでは?」 「内ゲバだよ。」 「あぁ…オフラーナお得意の。」 「チェス組のクイーンとルーク。この主力を壊れた人形のようにぽいぽい捨てる。思い切りがいいというか。短絡的というか。」 「私にとってオフラーナの粛正は、恐怖以外のなにものでもありません。」 「俺は慣れてる。」 「自分は生理的に無理です。」 「あそこの掃除は徹底してる。ルークに毒を盛った人間の始末も完了済みだそうだ。」 「あぁ…。」 「どうした?」 「無慈悲すぎます。そこがオフラーナの無理なところです。」 「あぁそういうことか。」 「はい。ただの駒としてしか見ていない情報機関特有のあの雰囲気がどうも性に合わないんです。」 「だから君は軍を選んだといういう訳か。」 「いいえ。」 「?」 「少佐。あなたがいらっしゃったからですよ。」 この矢高からのメッセージを椎名はしばし見つめた。 「5月9日の戦勝記念日には凱旋と行きたいものだ。」 「ベルゼグラードですね。」 「ああ。」 「私もお供してよろしいでしょうか。」 「もちろんだ。」 「Слава Отечеству.祖国に栄光あれ。」 「Слава Отечеству.祖国に栄光あれ。」 椎名は電話の画面を暗くして、それをそっと置いた。 そして誰にも聞こえないようにひっそりと呟く。 「全部殺す。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「こんな夜遅くに何の用事ですか。陶専門官。」 「またもノビチョクが使用された由。」 「え?また?」 議員会館の自分の部屋にあるソファで横になっていた仲野康哉は眠り眼をこすって飛び起きた。 「今度は現役警察官に被害が。」 「え?この間は警察OB、今度は現役?」 「はい。」 「なんで警察ばかりが。」 「わかりません。ですが我々治安組織に対する重大な挑戦と捉えて良いでしょう。」 「ふうむ…。」 「仲野先生はロシアと深いパイプがあります。どうでしょう。今こそ先生のその人脈を利用して、独自にロシアからの協力を取り付けるよう動くというのは。」 「私がロシアに協力を仰ぐ?」 「はい。」 「何の協力を仰ぐんですか。」 「私が言うのもどうかと思いますが、日本の治安機関はダメです。こうも立て続けに化学兵器によるテロ事件を許してしまうほどですから。」 「内調がそれ言いますか。」 「はい。わたしはちゃんとした治安機関をこの国に作りたいのです。」 「ちゃんとした治安機関とは。」 「先生が精通するロシアという国をお手本にすれば、なんとなくイメージできるでしょうか。」 「…。」 「ロシアの情報機関と連携をする用意は私にはあります。」 「待て。」 「はい。」 「陶専門官。君はアルミヤプラボスディアによる我が国への何らかの作戦行動が近いのではないかと、私に言いましたね。」 「はい。」 「アルミヤプラボスディアはツヴァイスタン人民軍に深いつながりを持つ民間軍事会社。ツヴァイスタン人民軍はロシア軍とも緊密に連携をしています。ロシアと連携をすると言うことは、アルミヤプラボスディアと手を結ぶと言うことにもなりませんか。」 「いいえ。」 「ではどう捉えれば?」 「ロシアに止めてもらうのです。」 「アルミヤプラボスディアをロシアに止めてもらう?」 「はい。ツヴァイスタンの旧宗主国ロシアに手綱を締めてもらう。そのための調整を私がロシア情報部と行います。」 「君がひとりで?」 「はい。」 この時仲野の携帯が震え、何らかの情報を彼に伝えたようだった。 彼はおおきく息をついた。 「どうされました?先生。」 「あ、いや…。あの、陶専門官。君はロシアという国のことをよく知らないようです。」 「と言いますと?」 「そんなことをしてみなさい。奴らはそれに乗じて我が国を乗っ取ります。」 「…。」 「なぜソ連が崩壊し、いまのツヴァイスタンがあるか。それを考えたことがありますか。」 「いえ。」 「そんなにロシアラブならツヴァイスタンなんて国をやめてとっとと元の姿に戻れば良い。でもそうなる様子は一つも見えない。なぜ?」 「なぜでしょう。」 「ツヴァイスタン自身がロシアに愛想を尽かしているんです。表向き一枚岩を装ってる旧東側ですが、その裏で実は微妙なんですよ。」 「…。」 「このタイミングで旧宗主国がツヴァイスタンの連中に再び俺らの指導下に入れと偉そうに迫る。それはツヴァイスタンからの反感を買うだけの行動になることでしょう。」 「先生。」 「はい。」 「先生が今おっしゃった考えは平時においては正しいのかもしれません。しかしいまは平時ではありません。有事です。」 「有事…。」 「そうです。有事では力こそが正義です。利害調整は力によって成されます。いま必要なのはツヴァイスタンを制御し、いざとなれば物理的にアルミヤプラボスディアを止めることが出来る力です。」 「だからなぜそこにロシアが介在する必要があると言うんです。我が国には自衛隊という実力組織もある。」 「自衛隊にできますかね?」 「え?」 「戦後一度も実戦を経験したことがない自衛隊が、百戦錬磨の奴らを止めることが出来ますか?」 「それができるようにここ6年間、死に物狂いで防衛整備をしてきたんだろう。」 「はぁ…。」 「なんだ陶専門官。」 「だからそれだと与党政友党に手柄持って行かれるでしょうが。」 仲野は言葉を詰まらせた。 「万年野党をいつまで演じるつもりなんですか?」 「…。」 「すぐそこに政権与党になるチャンスが転がってるんですよ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 都内某病院 救命救急センターの待合室にひとり座る百目鬼がいた。 奥の自動ドアが開き、医師が姿を現した。 百目鬼は立ち上がった。 「容態は安定しています。」 医師のこの言葉を聞き百目鬼は安堵の表情を見せた。 「片倉さんからは有機リン系の神経剤らしきものの検出はされていません。」 「では?」 「極度の疲労が原因かと。」 「…。」 「片倉さんのほうは休めば回復します。」 「紀伊の方は?」 医師は首を振る。 「意識はありません。呼吸も弱くなってきています。時間の問題かと。」 百目鬼はベンチに座り、そのままそれに垂れかけた。 「どうする…。頭とその補佐役が同時に欠けたら特高は機能不全だ…。」 そのとき百目鬼の携帯が鳴った。 「はい百目鬼です。」 彼は覚醒したかのように突如すっくと身を起こした。 「松永課長が復帰…。」 「なるほど今回のノビチョク使用で疑いが晴れたと…。」 「はい。…わかりました。すぐにお迎えに上がります。」 電話を切った彼は思わず呟いた。 「天は俺らを見捨ててはいなかったぞ…。片倉。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 29 Oct 2022
- 163 - 148 第137話3-137.mp3 「まぁ座れ。」 言われるがままに紀伊はそこに座った。 「回りくどいことは無しや。直球で行く。」 「…。」 「ビショップは空閑。空閑光秀。金沢の進学塾の経営者兼講師。ほうやな。」 目の前に座る片倉とは彼は目を合わせず無言である。 「黙秘か…。」 あきれた顔で彼の様子を見た片倉はため息をついた。 「紀伊、お前には期待しとってんけどなぁ…。残念だよ。」 「…。」 「ま、どうせ一生しゃべるつもりないんやろ。ほうやろうからこっちからしゃべらせてもらうわ。」 こう言って片倉は両足を目の前の机の上に乗せる。 「クイーンは光定公信。ナイトは朝戸慶太。ビショップは空閑光秀。んでキングは椎名賢明ってわけか。まるでチェスやな。」 「…。」 「チェスやとしたら他にはルークとポーンが居るはずや。お前はどっちや?」 「…。」 「警視庁公安特課機動捜査班のお前がまさかポーン、つまり使いっ走りの歩兵と言うことはねぇやろう。」 「…。」 「ルークはお前や紀伊寛治。」 「…。」 「そうやとしたらなんか見えてくるもんがある。」 「…。」 「ポーンは不特定多数の市民や。」 片倉のこの言葉に紀伊の表情にわずかな変化があった。 「ぶっ壊せ。ぶっ潰せ。」 「…。」 「これお前らの仕業ねんろ。あ?」 「…。」 「さっきの電話のやりとりでピンときたわ。椎名がキングって聞いた瞬間な。椎名の奴、個人的に動画編集の仕事を請け負っとるやろう。ちゃんねるフリーダムの制作責任者がゲロしたわ。なんやら金積まれてそいつが協力しとったらしいな。ぶっ壊せ動画をサブリミナルでぶち込むのに。」 「…。」 「んでそれだけだと今ひとつとでも思ったんやろうかね。椎名はウチの娘に直接接触した。」 「…。」 「5月1日のテロに関係するんか?」 「…。」 「椎名賢明。この男の詳細を紀伊、お前は知ってのことなんやろうな。」 この時初めて紀伊は片倉の顔を見た。 しばしの間無言の状態が続いた。 「はぁ…紀伊…。お前調べる側はまあまあ優秀やと思うけど、調べられる方はどうもセンスがない。」 「…。」 「目は口ほどにものを言う。お前、椎名の正体を知らんままあいつと行動を共にしとったって訳か…。」 「正体とは…。」 「言える訳ねぇやろ。だら。」 「…。」 「ま、いいわ。」 こう言って片倉は席を立った。 「俺の離席が多いのを良いことに派手にやり過ぎたな、紀伊。」 「…。」 「ここ数日間、お前の行動はつぶさに監視させてある。どう言い訳しようがお前の企みの大体はわかる。」 「う…。うう…。」 俯いた紀伊がうめき声のような者を発した。 「おいおい、これからやろうが。早くも完落ちとか、肩すかすような真似はやめ…。」 「はぁ…はぁ…はぁ…。」 紀伊の様子がおかしい。 「おい、どうした。」 異変に気がついた片倉は俯く彼の抱き起こす。 彼の口からは唾液が漏れ出し、その呼吸は荒い。 「おい。しっかりしろ!紀伊!」 体を揺さぶり名前を呼ぶも、紀伊の体は脱力しきり、目は白目をむいている状態。明らかに異変が生じていることを感じとった片倉は記録係に救急車を呼ぶよう指示を出す。 「おい!しっかりしろ!紀伊!紀伊!」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 電話の音 「はい公安特課富樫です。あ、片倉班長。岡田課長ですね、お待ちください。」 うなずく富樫を見て岡田はそれに出た。 「岡田です。」 「なんや通信障害って。」 「分からんがです。警察携帯で通話できんのです。」 「…テロの類いか。」 「分かりません。」 「調べてこっちに報告してくれ。」 「はい。」 「で何や。」 「椎名の件です。」 「…椎名がどうした。」 「特高、うちらを差し置いて独自に椎名の管理しとるんでしょう。」 「は?何のこと?」 「惚けんでください。こっちは捜査員二名が犠牲になったんです。」 「捜査員二名犠牲?」 「あれ…まだそっちまで話、行ってませんか。」 「おう。ってか何や、何があったんや。」 「はぁ…。」 「あのー岡田が言っとることの半分も理解できてないんやが、俺。」 富樫を見ると彼は口をへの字して、肩をすくめてそれに応えた。 「本当に何も知らんがですか。」 「知らん。ってか何があった。」 「…。」 「ってかなんでそっちも椎名なんや。」 「…え?」 「わかった。なんかお前の物言い、俺の方に何か知らん疑いをかけとる感じやしこっちからお前に報告するわ。」 「あ…えぇ…。」 「キングが誰か分かった。」 「え?」 「キングは椎名や。んでルークはウチの捜査員、紀伊寛治。」 「ええっ!」 岡田も富樫も声を出した。 「そのルークなんやけど、俺の調べ中に容態が急変。いま病院に救急搬送されたところや。」 「なんで?」 「知らんわい。急に息が荒くなって白目むいてよだれ垂らし出した。」 「なんだ…それ…。」 「岡田、お前椎名が何やって言うんや。」 岡田は先ほどのネットカフェでの爆発事件の一部始終を片倉に説明した。 「捜査員二名が死亡…。」 「はい。」 「当の椎名は?」 「いま自宅です。」 「伊藤拓哉の行方は。」 「掴めていません。」 片倉はため息をついた。 「まさかほんなことになっとるとは…。」 「ここ数時間で石川の情勢はめまぐるしく動いとります。」 「そのようやな…。」 「で、その椎名なんですがどうも我々石川の公安特課をすっ飛ばしておたくの人間と連絡を取りあっとるようやったんです。そこで片倉班長に直接ぶつけてみようということで、今回の電話です。」 「まぁお前の言うとおり椎名が怪しい行動しとるとすっと、ウチの紀伊がその受け皿になっとった可能性があるってわけや。」 「はい。」 「ただそこがちょっと首をかしげる点でな。」 「どういうことです?」 「紀伊が倒れる前、気になる事言っとってぃや。」 「なんですか。」 「どうも紀伊自身は椎名が仁川征爾やってことを知らんかったみたいなんや。」 「え?」 「え?やろう。」 「じゃあ紀伊はどうやって椎名と接点を持ったんですか?」 「わからん。俺はてっきり紀伊がどこかで椎名が仁川征爾やって事を聞きつけて、奴と何らかの接点を持とうとしたんじゃないかって思ったんやろうと踏んだ。けどどうも違う。」 「椎名賢明というただの一市民と特高職員が、個人的に接点を持つってのはどうも合点がいきませんね。」 「ほやろ。」 「石川の公安特課の職員が椎名と接点を持つなら未だしも、東京の特高職員ですから。」 「あいつが仁川が東京で保護されとった時代に、それに何らかの関わりがあったって言うんなら納得がいくんやけど…。」 ここで片倉は黙り込んだ。 「あの…班長?」 「…保護されとった時代…。」 「何か心当たりが?」 「いや、なんでもない。」 片倉が石川の公安特課を差し置いて、独自に椎名の管理をしていたのではないかという岡田の疑念はこの段階で完全に晴れていた。反面、椎名の存在が脅威としてしか映らなくなっていた。 「班長。椎名のガラ抑えましょう。」 「…。」 「奴の周りで人が立て続けに死んどります。」 「だな。」 「良いですか。」 「待て。」 「なぜ。」 「5月1日金曜の対応は明日、4月30日木曜の午前に判断される。もしも椎名がキングとしてそのチェス組の司令塔をやってるとすれば、まだこれから何らかの動きを見せるはず。その瞬間を抑える方向で行こう。」 「しかし…。」 「この件は俺が百目鬼理事官に判断を仰ぐ。それまでは今まで通り監視を怠るな。」 岡田は唇をかみしめた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「と言う状況です。」 片倉の電話での説明を聞き終えた百目鬼は席を立った。 そして室内をうろうろと歩き出した。 「モグラは紀伊だけじゃない。」 「は?」 「先ほど病院から連絡があってな。紀伊に有機リン系神経剤の典型的な症状が見受けられるらしい。」 「神経剤?」 「そう神経剤。」 「え…まさか…。」 「わからん。ただノビチョクも同じ有機リン系の神経剤だ。」 「え…どのタイミングで…。」 「知らん。しかしもしも紀伊の症状が本当に神経剤によるものだとしたら片倉、お前のところの誰かがそれを盛ったってことになる。」 「え、でも…どうやって…。」 「なにか思い当たる節はないか。」 片倉は記憶をたどる。 電話を切った紀伊がこちらに振り向いた。 驚きのあまり彼は手にしていた紙コップを床に落とした。 拾い上げたそれの中は空だった。 「ひょっとして…。」 「どうした。」 「理事官、ちょっと自分も気分が悪くなってきました…。」 「え?」 「あれかもしれません…。紀伊が飲んだコーヒーかなんかやと思います…。」 「おい、片倉?」 「か…み…コップ…。」 片倉はその場で崩れ落ちた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 15 Oct 2022
- 162 - 147 第136話3-136.mp3 玄関ドアの音 部屋に入ってくる音 「あ!帰ってきた!」 画面を見ていた富樫は大きな声を出したため、岡田もつられてそれを見る。 「ひとまず…よかった…。」 その場に居る二人とも安堵の表情を見せた。 「椎名の車が見当たらんっちゅう現場の報告から、多分タッチの差で難を逃れとるやろうと思っとりましたが、これでひとまず安心ですね。」 岡田は口をつぐむ。 それを見た富樫はしまったという表情を見せた。 「ウチから二名だ。」 「そうでした…軽率な発言申し訳ございません。」 岡田は両手で顔を覆う。 そしてしばらく室内をうろうろと歩き、足を止めた。 「まさか…椎名がネットカフェを爆破させた…とか…。」 「え?」 「椎名のガラ抑えろ。」 「自宅にいることを抑えてるのに?」 「いい。ニンドウでここまで引っ張ってこい。」 「マジで言っとるんですか課長。」 「…。」 「椎名はいつでもパクれます。現にいまこうやって奴の動きをつぶさに監視しとるんです。」 「ネットカフェの中はどうなんだ。」 「…。」 「ネットカフェから自宅までの間もロストしていたぞ。」 「それは…。」 「偽造免許の伊藤拓哉が椎名の部屋の隣に来た途端これだ。ウチの捜査員二人は吹っ飛び、民間人の重軽傷者多数。なのに爆心地の一番近くに居た伊藤は忽然と姿を消し、椎名はすんでの所で難を逃れた。」 「…ですね。」 「全部これ、椎名の計算通りだったとしたらマサさん。どう思うよ。」 富樫は何も言えない。 「もうダメだ。特高にすべてを問い質す。」 「その方が良いかもしれません。」 「特高が椎名と何かよくわからん関係なんなら、今回のこの爆発事件の責任の一端は特高にある。」 「はい。」 ふと岡田は考えた。 特高周りの動きでほかにも怪しい点がある。 片倉京子が椎名と直接接点を持っていた点だ。片倉京子は言うまでも無く片倉肇、特高班長の娘。 古田からの情報によれば、自分が抱えている特集の手伝いを椎名にお願いしているとのこと。 片倉特高班長の娘である京子との接触は単なる偶然だったのか。それとも特高班長である片倉と何かを通じ合うための偶然を装った出来事なのか。 時を同じくして特高から派遣されてきたのは、京子の恋人である相馬周。 相馬と京子との交際は片倉公認である。 椎名と京子が直接接点を持っているところに、相馬と木下がニアミスするように出現。 一瞬、浮気の現場を目撃してしまったと焦ったが、実はあれもケントクを欺くための特高の巧みな指示によるものだったのではないか。 考えれば考えるほど疑念が沸き起こる。 気がつくと岡田は携帯を耳に当てていた。 不通音 「あれ?」 耳からそれを外し、画面に目を落とすと通話に失敗しましたとの表示が出ている。 「なんじゃこれ。」 もう一度通話ボタンを押すも、同じ表示である。 「課長どうしました?」 「なんかうまく電話できんげんけど。」 「え?」 今度は富樫が片倉肇に電話をかける。 不通音 「課長。ワシの方もです。」 「こちら本部。現在通信障害が発生し、管内の携帯電話がつながらない状況が発生している。当面の間、各員は無線、若しくは固定電話の通信手段を採用されたい。障害復旧の目処は追って連絡する。以上本部。」 「何これ…。」 「気味悪いですね…。」 こう言って岡田は固定電話の受話器を持ち上げた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「班長は外出中です。」 「そうですか…。」 「石川のケントクは班長の携帯ご存じなんでしょう。そちらに直接連絡を取られたら…。」 「通信障害が発生していまして。」 「通信障害?」 「はい。石川の管内のすべての携帯電話が不通になってます。」 「それは大変だ。」 「なので班長から折り返し石川の岡田まで連絡がほしいのです。」 「わかりました。伝えます。」 「至急で。」 「了解。」 電話を切る音 「どうした?」 電話を切った特高スタッフに紀伊が声をかけた。 「石川の岡田課長が片倉班長に連絡を取りたいと。」 「え?携帯知ってるだろ。」 「なんでも石川の管内の携帯、全部不通のようです。」 「マジか。」 「はい。」 ーえ?通信の遮断って予定にあったっけ?しかもこのタイミングで…。 「とりあえず班長に連絡とります。」 「あ、待て。」 「え?」 「班長には俺から連絡とる。お前は石川のその通信障害のことをもう少し詳しく調べろ。」 「あ、はい。」 「紀伊主任。コーヒーお持ちしました。」 紙コップに入ったそれを手にして、席を立った紀伊は別室に入った。 そしてそこで携帯をかける。 「はい。」 「なんだ電話通じるじゃないか。」 「何言ってるんだルーク。どういうことだよ。」 「いや、いま石川の警察内の携帯電話が不通だって話が入ってきててさ。」 「携帯が不通?」 「あぁ、でそんなプランってあったっけ?って思ってビショップ、お前に確認したくって。」 「ないよ。偶然だろ。ってかどこのキャリアだよ警察の携帯って。」 「イツモ。」 「イツモ?俺のこの携帯もイツモだぜ。」 「え?」 「え、待てよ。イツモの障害じゃなくて警察携帯の障害なんじゃないのそれ?」 「かもな…。」 ールークの奴…ちょっとした異変に動揺しすぎだ。何か変なことがあったら直ぐに誰かに確認をとろうとする。こうも決行直前であたふたされるとこっちの身動きがとれなくなっちまうじゃないか。 「ルークも信用できない。だから用のないこの二人を同時に消す絶好の機会だと思わない?」119 ー然もありなん。 ーでもどうやってルークを消す? 「なぁクイーンは始末したんだろ。」 「あぁ。」 「落ち着けよ。偶然だろう。たまにあるだろう通信障害なんて。」 「あ、あぁ…。」 「なんか不安になるよ。最近のお前と連絡とってると。」 「不安?」 「あぁ不安になる。一番冷静沈着でなければならないポジションだろうよ。特高警察なんだし。」 明かりをつけて室内を見渡す。 長机に椅子。 自分以外にこの部屋には誰もいない。 外部と連絡を取るときには、常にそこに人気がないか確認している。 「その選ばれし特高警察である俺が動揺するようなことが起こってる。どうしてそう考えられないんだ。」 「なんだその言い方。」 「いいか、お前らの方だ気をつけてもらわないといけないのは。俺らの協力なしには何も為し得ないポジションにあるんだぞ、お前らは。」 そう言って紀伊は手にしていたコーヒーに口をつける。 「随分、お高くなったもんだなルーク。」 「それはこっちの台詞だ。」 「とにかく確認をしてほしい。ひょっとしたらキングの奴、まだ明らかにしていない計りごとを持ってんのかもしれない。」 「もしも今回のその通信障害が意図的に引き起こされてものだとしたら、確かにその線も気になるな。」 思っていたよりコーヒーは温い。彼はそれを一気に飲み干した。 「そうだろう。」 「椎名賢明…。」 「そう、ツヴァイスタン人民共和国の工作員、椎名賢明。」 「本当の名前は何なんだろうな。」 「知らん。俺もキングというあだ名しか教えてもらっていない。」 「キングの思うように俺らはただ動いてるだけ…なんてことも考えられるってわけか。」 「それでもいいんだ。結果が俺らの望むものであれば。」 「確かに。」 「ただ予期せぬ事が起こると、対応ができなくなる。それだけは避けたい。」 「わかった。確認してみる。」 「頼んだぞビショップ。」 電話を切り部屋から出ようと振り向くと、そこに片倉が立っていた。 思わず紀伊は手にしていた紙コップを床に落とした。 「椎名賢明がツヴァイスタンの工作員?」 「え…。」 「椎名賢明はキング?」 「…。」 「今、頼んだぞビショップって言ってたよな、紀伊。」 片倉は床に落ちた紙コップを拾い上げた。 「ここじゃ何だから、場所変えようか。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 01 Oct 2022
- 161 - 146 第135話3-135.mp3 椎名がネットカフェの個室に入ったと報告が入って1時間半。 彼に張り付く現場捜査員から変わった様子などの報告は未だない。 「そういやいつ頃からやったけ…。週に一回はネットカフェ。これが椎名のルーティンになったんは。」 ホットコーヒーに口をつける 息をつく マウスの音 しばし無音 「ワシをすっ飛ばして頭越しに直でやり取りする警察の誰かさんもさることながら、身近で世話してきたワシに悟られんように特高とコンタクトとっとった椎名にもがっくり来ました。」59 「あいつがワシをすっ飛ばして、特高とコンタクトとるとしたらこのネットカフェを利用するタイミングが一番可能性が高い…。」 富樫はとっさにマイクを口に当てる。 「富樫から椎名班。」 「こちら椎名班。」 「椎名は個室に入ったとの報告であるが、そこには隣部屋とかあるのか?」 「はい。個室は6室。椎名が入る部屋は角部屋でして、隣部屋は一室あります。」 「その部屋は使用中か。」 「え?」 「その部屋が使用中ならそこの利用者調べてくれ。」 「確認して報告します。」 ドアを閉じる音 部屋に岡田が戻ってきた。 「いやぁ凄いわ…。」 「どうしたんですか。」 「これ見てみ。」 岡田は携帯の画面を富樫に見せる。 「なんですかこの残念な頭のおっさん。」 「よく見てみろ。」 「え?よく見るんですか?」 「うん。」 「凄まじい散らかしっぷりですね。こんな具合になるくらいやったら、ワシならいっそ坊主にしますけどね…。なんちゅうかみっともない…。」 富樫は黙った。 「気づいた?」 「はい…。」 「誰かな?」 「…確か…矢高とか言ったような…。」 「そう。その通り。矢高慎吾。マサさん、あなたとは能登署で一緒やったことがあると思う。三好さんも。」 「どうしたんですか、この矢高がなにか?」 「ウチの捜査員がこいつと直接接触するようなことがないように徹底してほしいんやわ。」 「…なんで?」 「いろいろあって言えん。」 「…。」 「もしも偶然接触したとしても、すぐに退け。もちろん公私ともに。」 「教えてください。どうして矢高が。」 「心強い人間からの指示。」 「心強い人間?」 「心配ない。心強い人間がこちらに接触してきた。」 「心強い人間?」 「ああ。」 「誰ですか?」 「それは言えない。」133 「ほら今マサさん、この写真見て矢高やってすぐに分からんかったやろ。」 「いや、あまりにも汚い頭やったんでそっちに目が行ってしまって。」 「プロっぽくないか?」 「あ…。」 「見た瞬間、その汚らしい禿げ散らかした様子で頭の中がいっぱいにさせられる。」 この岡田の言葉に富樫は思わず身をすくめた。 「ヤバい奴やぞ、こいつ。手一杯の今の俺らには対応は無理や。ほやからここは心強い人間の指示の通りにしよう。そいつががっつり対応してくれる。」 「はい。」 「すぐにケントク全員に知らせてくれ。」 「わかりました。」 キーボードの音 富樫はすぐさま県警の公安特課全捜査員対象に矢高の画像を送る。次いで無線で矢高との接触を持たないよう指示を出した。 「仮に電話等で向こうから接触があれば、深入りせず至急ケントク富樫まで報告されたい。以上ケントク。」 「椎名班からケントク。」 「はいこちらケントク。」 「椎名の隣部屋は現在空室です。つい10分前までは利用されていたようです。」 「その部屋調べてくれ。ついでにどんな奴がその部屋に居ったかも。」 「はい。」 「どうしたマサさん。」 「いや椎名の奴いつものネットカフェに居るんですが、よく考えたら、こいつがワシをすっ飛ばして特高の誰かとコンタクトをとるとしたら、このタイミングが一番やと思ったんです。」 「なるほど。」 「個室でセキュアなネット環境。そして施設備え付けのPC。ワシらの監視をかいくぐれる。」 「椎名のPCは遠隔でマサさんが中を見れるが、店の備品は簡単にそんなことできっこないもんな。」 「はい。」 「で、なんで隣部屋を?」 「なんとなく気になりました。」 「どう気になった。」 「今まで我々を欺いて特高と接点をもってきた椎名です。椎名ひとりの考えで奴の周りがまわっとる訳じゃありません。特高の中の誰かが奴を手引き若しくは指南しとる可能性もある。となると裏を読む必要があります。」 「ネットカフェで誰かとコンタクトをとるとしたら、まぁ普通はネット、携帯、SNSとかやな。そいつらを遠慮無く使えるのが椎名にとってネットカフェの良さやしな。」 「だがそこであえて真逆の方法を使うことでワシらの裏をかくとも考えられませんかね。」 「…隣部屋に特高の誰かが居た。」 「もしくはそのエスが居た。」 「椎名がこの店に入る時、いつも。」 岡田が言うように、もしも椎名がこのネットカフェを利用し始めた当初から、いつも特高が独自に椎名と接触していたとしよう。石川の公安特課の極秘任務である、椎名の行動監視。これが何の意味も持っていなかったことになってしまう。公安特課による監視行動は、特高の本当の意図を公安特課から隠匿するためだけに命じられた任務だったとの意味合いを持ってくる。 「だとしたら何で?何でって話ですよ岡田課長。」 「だよな。」 「椎名班、隣部屋に入りました。」 無線の声が富樫と岡田のモヤモヤとした気持ちを吹き飛ばした。 「怪しいものが無いかひととおり調べてくれんか。」 「了解。」 「ちなみにさっきまでその部屋を使っとった奴は?」 「伊藤拓哉という男です。」 「伊藤拓哉?」 「ちゃんとした店でして、会員証を作る際に本人確認をしてたんです。そのファイルはしっかりデータで保管されていました。いまそちらに免許の写しを送りますので検証をお願いします。」 富樫のパソコンにそれが届いた。 「きたきた。」 マウス音 口ひげを生やし、縁が厚めの眼鏡ををかけている男の写真だった。 「なんかぱっと見やと、中東系のハーフかってぐらいの顔立ちやな。」 「はい。ひげも眼鏡も自然です。」 「単なる男前か…。」 ダブルクリック音 富樫は写真を拡大縮小して、顔の特徴をつかもうとする。 「ケントクから椎名班。」 「はい椎名班。」 「この伊藤の情報は他にはないかどうぞ。」 「椎名と同じく常連です。来店頻度は3週間に1回程度です。使用する部屋はまちまちです。いつも個室というわけではなさそうです。」 「考えすぎか…。」 「それならそれで良いんですが…。」 「一応、この伊藤の照会とっておいて。」 「了解。」 富樫は無線を使って紹介センターに連絡を取りだした。 「こちら椎名班。」 富樫が無線対応中のため、岡田がそれに応えた。 「はいケントク。」 「ひととおり調べたが、特に不審な点はありません。床にはマットのような者が敷かれてますが、めくりあげても何もありません。」 「もう一度椎名の部屋と隣接する壁側を重点的に調べてくれないか。」 「壁側ですか?」 「あぁ何か小さな穴のようなもんとか、何かを受け渡しできそうな隙間とかないかな。」 「穴のようなものは確認できませんでしたが…。」 「念のためや。もう一回頼む。」 「わかりました。」 「課長。」 振り返ると顔を青くした富樫がいた。 「どうした。」 「この免許証、偽造です。」 「え?」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「よし、もう一回壁側調べるぞ。」 「もう一回ですか?」 「ああもう一回だ。小さな穴とか隙間みたいなもんがないか見るんや。」 「今度は叩いてみますか。」 「だら。んなことしたら隣に丸わかりやろ。」 一畳半程度の狭い個室の中で立派な体躯の男二人が壁に手を当てて何かを調べる様子は、端から見ると滑稽に映った。 「あ。」 「なんや。」 「穴あるじゃないですか。」 「まじか。」 どれどれとしゃがみ込むとそこにはコンセント口があった。 「確かに穴言うたら穴やな…。」 こう言ってそれに触れると、ガタリと右に少しだけずれた。 「まさか。」 再びコンセント口を動かそうとしたときのことである。 爆発音 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「偽造?」 「はい。該当する番号は別人のものです。」 「と言うことはこの伊藤…。」 「ビンゴかもしれません。」 とっさに岡田はマイクを持つ。 「ケントクから椎名班。」 返事がない。 「ケントクから椎名班。」 「…。」 「ケントクから椎名班。聞こえますか。」 「…。」 コールサイン 「本部から各局。先ほど19時半頃、熨子町付近で爆発音がしたとの報あり。付近のPBは直ちに現地に急行されたい。」 「こちら北署。今、最寄りのPBからPMを派遣した。」 「了解。現場を把握次第本部まで報告されたい。」 「北署了解。」 「え…。」 「ケントクから椎名班。」 「…。」 「ケントクから椎名班!」 「…。」 「ケントクから!」 「課長。例のネットカフェは熨子町です…。」 無線を力なく落とした岡田はその場で崩れ落ちた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「仮に電話等で向こうから接触があれば、深入りせず至急ケントク富樫まで報告されたい。以上ケントク。」 「こんな感じです。矢高さん。」 後部座席に座る男は停止ボタンを押して、それを横に置いた。 そこには縁の厚い眼鏡と、つけ髭のようなものもあった。 「公安特課としては我々のことはノータッチで行くんだな。」 「別の情報部預かりということでしょう。」 「自衛隊か。」 「でしょうね。」 運転席の矢高はルームミラーを確認する。 「問題ないですか?」 「問題ない。尾行については公安特課の方が一枚も二枚も上手だ。」 「ですよね。」 「ただ油断はできない。素人じゃないからな。」 「で、少佐の件どうします?」 「俺と直で連絡を取りたいってやつか。」 「はい。ベネシュ隊長は問題ないって言ってました。」 矢高は返事をしない。 「どうしたんですか?」 「苦手なんだよ。」 「少佐が、ですか?」 「うん。」 「え?でも矢高さん、少佐の面倒を東京で見てたんでしょ。」 「面倒、見てたのかね…俺。」 「違うんですか。」 「なんか逆にこっちが監視されてるような気がしたよ。正直。」 「そうなんですか。」 「ああ。」 「どんな人間の懐の中に入り込むことが出来るあなたにも苦手なものがあると言うわけですか。」 「あの方の場合、むしろこっちが逆に取り込まれそうな気がしてさ…。」 「それが少佐の凄さなんでしょう。」 「まぁな。」 コールサイン 「本部から各局。先ほど19時半頃、熨子町付近で爆発音がしたとの報あり。付近のPBは直ちに現地に急行されたい。」 「こちら北署。今、最寄りのPBからPMを派遣した。」 「了解。現場を把握次第本部まで報告されたい。」 「北署了解。」 後部座席の男は携帯無線機にイヤホンジャックを差し込み、それを耳に装着する。 「自分、公安特課に戻ります。」 「その方が良さそうだな。」 「番号どうします?」 「いいよ。少佐には伝えてくれ。」 「了解。」 車はとあるスーパーマーケットの駐車場に止まった。 「佐々木の始末といい、少佐との連絡役といい優秀だよ君は。」 「ありがとうございます。」 「俺ももう少し若ければなぁ。」 「矢高さんにはトゥマンの目って大事な役割があるじゃないですか。」 にやりと笑った矢高は彼を降ろした。 「もうしばらくだけ陶のハンドリング頼むよ。冴木。」 ルームミラー越しに冴木の姿が消えるのを確認し、彼もまたこの場を後にした。Sat, 17 Sep 2022
- 160 - 145 第134話3-134.mp3 陸上自衛隊兼六駐屯地内の一室で三好は男と向かい合って座っていた。 「そうです。我々はいざというときの即応体制を整えるためにいます。水際対策はあくまでもそちらの仕事。我々の存在は保険と考えてください。」 「と言うことは、自衛隊としてはその危機が目前にまで迫っているとの認識なんですか。」 「何度も言うように我々が動かないに越したことはない。そちらの仕事の内で完結するのが国益としては良とされることではないでしょうか。」 「確かに。」 「ただ最悪の場合、我々は動きます。そのために準備をする。それだけです。」 二人の前に金沢の住宅地図が広げられている。 蛍光ペンで印が付けられていた。 「この6拠点にロシア系の人間が集中的に住み込んでいる。で良いですね。」 「はい。」 「火器類を運び込んだ形跡などは。」 「そこまで把握できていません。」 「5月1日のテロ計画との関連性は?」 「それもわかりません。」 「警察として踏み込む予定は。」 「今のところそれはありません。」 「なぜ。」 「特定の人種を狙い撃ちにした強制捜査、すなわち人権弾圧とされかねない。」 「人権弾圧との批判を恐れて、自国民を危険にさらすのですか。」 「…。」 「政治があなた方にそう言ったのですか。」 「いいえ。」 「じゃあなぜそんなことを。」 「人権派の活動家が勢いづきます。」 小寺は腕を組む。 「うーん…よくわかりません。たかが活動家じゃないですか。」 「たかが活動家?」 「はい。ただ煽り散らかすだけしか能が無い連中。直接的な脅威はありません。」 「なるほど自衛隊は奴らをそう見てらっしゃると言うことですか。」 「公安特課は違う見方をしていると?」 小寺の目を見た三好はふうっと息を吐いて続ける。 「ご承知の通り我々公安特課に対する世論の風当たりは強い。現下のこの状況でそうような強硬手段に出ると、それをネタに人権派が勢いづきます。戦前特高警察の復活だ。とうとう本性を現したと。」 勘の良い小寺はこの三好の言を受け、何かに気づいたような表情を見せた。 「なるほど。立憲自由クラブのような反米右翼思想の連中には役立たずと罵られ、人権派の連中にも攻撃される。左右両方から袋だたきですか。」 「そのとおりです。」 「短期的にはたいした影響はないが、中長期的に世論に悪影響をもたらしますね。それは。」 「国民の信頼があって成り立つのが治安機関。それが我々の行動によって国民を分断するきっかけをつくる。そうなったら目も当てられません。」 「かつての自衛隊もそれに似た存在でしたよ。表に出たら戦争をする気だ、軍靴の足音が聞こえると騒がれ、表に出なければ税金泥棒、タダ飯くらいの役立たず。」 「それがここ数年でその自衛隊を取り巻く環境はずいぶんと変わったというわけです。」 「それはお宅ら警察もそうでしょう。」 「ご尤も。だからこの場を設けることができてる。」 二人はにやりと笑う。 「反米保守や革新派の活動家の動きについては、公安特課のお仕事です。そのハンドリングはお任せします。そちらはそちらで押さえ込みに専念してください。」 「はい。」 「我々としても独自のルートで得られた情報の提供を惜しみません。」 「ありがとうございます。」 「さっそくですが情報があります。」 小寺は一枚の写真を三好に見せる。 「三好さん。あなたこの男をご存じですね。」 写真を手に取ってそれを見る。 ずいぶんと頭を禿散らかした不潔感さえ感じさせる風貌の男ではないか。 「失礼、あなたがご存じの方はこちらの方でしょうか。」 こう言ってもう一枚の写真を手渡された三好は思わず声を出した。 「え?矢高?」 「はい矢高慎吾。」 二枚の写真を見比べる。 一方はスポーツ刈りの精悍な出で立ち。もう一方は見るも無惨な禿げ散らかしようで不潔感すら感じさせる風貌。 「対照的な印象のこの二枚の写真。同一人物です。」 「え!?」 「見事な変貌っぷりです。」 「え?どうして…。」 「作戦に関わることなので詳しくは話せません。私があなたにこのタイミングでこの写真をご覧に入れたには理由がございまして。」 「なんでしょう。」 「矢高慎吾。こいつだけは公安特課はノータッチでお願いします。」 小寺の目つきが変わった。 「現在、県警の岡田公安特課課長の協力者として活動する三好さん、そして同じく岡田課長の部下である富樫さん。おふたりはこの矢高と面識があり、かつて能登署勤務時にツヴァイスタンについての監視行動を水面下で行っていた仲でしたね。」 三好は何も言えない。この男どこまで調べているのだ。 「あなたや富樫さんがこの矢高と偶然接触するようなことが発生したとしましょう。その時は絶対にこいつを追わないでください。」 「なぜ。」 「我々の作戦行動の妨げになります。」 三好は口をつぐんだ。 「警察と自衛隊。この二つの組織で決定的に違う点を三好さんはご存じでしょうか。」 「なんでしょう。」 「6年前まではただ火力の強い警察的な存在でした。我々は。ですが今の我々は違う。」 「改正自衛隊法ですか。」 「はい。ちまたでは自衛軍創設と反米右翼の連中は叫んでいますが、名称なんかどうでもいい。実質的運用の部分で我々はすでに軍と同等の存在です。」 「ここでその話を持ち出すと言うことは、我々公安特課の存在が作戦遂行上邪魔であると判断された際は、実力で排除される可能性もあると。」 「はい。そのときの作戦判断によりますが。」 「しかしそんな強硬手段は許されるでしょうか。」 「許されるかどうかは改正自衛隊法によって裁かれます。我々は第一義的にこの改正自衛隊法の下にありますので。」 「実質的な軍法会議ってことですね。」 「はい。よくご存じで。」 三好はため息をつく。 「自衛隊と警察の法的な関係性は未だ整備がされていない点が多々あります。あまりにも強引な運用はせっかく積み上げた自衛隊の評判を落としかねませんよ。」 小寺はにこりと笑った。 「おっしゃるとおりです。なのでここは自衛隊と警察でしっかりと役割の線引きをしておいた方が良いと思うのです。」 「そうですね。」 「とにかく矢高慎吾。こいつは私らの管轄とします。三好さん。あなたも富樫さんも公私に関わらず奴と接点を持たないでください。」 「そのようにします。」 「またあなたら以外の公安特課の人間が奴と接触をした。そのような事があれば、すぐに私に報告ください。」 「いや待って。自衛隊は矢高をマークしているのでは?」 「24時間監視しています。ですが奴の携帯での連絡だけは傍受できずにいます。」 「携帯の傍受…。」 「はい。」 自衛隊情報部の実力は侮れないと耳にしていたが、ここまで徹底しているとは正直考えてもいなかった。 すでに作戦行動は始まっているのか。 三好の背中が寒くなった。 並べてあった矢高の写真をしまった小寺はふうっと息を吐いた。 「もしもその6つの拠点全てに既に火器が大量に運ばれていたとしたら…。」 「われわれ警察では対応不能です。」 「踏み込んでも返り討ちに遭ってしまう。ですか。」 「はい。拠点がひとつふたつならSAT投入に躊躇いはありません。ですが6拠点となると我々には無理です。」 小寺は頷く。 「自衛隊には対テロ部隊が存在すると聞きます。」 小寺ため息ついて 「そのような名称の部隊は自衛隊に存在しません。」 「...。」 「ですが我々の力をもってすれば、脅威を排除できるものと判断しております。」 「心強い限りです。」 「この日のために死に物狂いで訓練をしてきましたから。」 6年前の鍋島事件や朝倉事件時にはこうはいかなかった。 三好も小寺も隔世の感を禁じずにはいられなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーSat, 03 Sep 2022
- 159 - 144.2 第133話【後編】3-133-2.mp3 「申し訳ございません…。」 岡田を前に富樫は目を合わせることができないでいた。 「んなこともある。」 岡田は彼の肩を叩いた。 「相馬さん管理の下、光定を泳がし関係者の尻尾を出させる策、完全に裏目に出ました。」 「…。」 「本当に申し訳ございません。」 「もういいってマサさん。」 県警本部内にある公安特課の指揮所。 今のここには富樫と岡田の二人しか居なかった。 「当の相馬は。」 「気になることがあるとかで、石大病院から離脱しました。」 「そうか。」 「しかし…なんで…。」 「んなもん決まっとるでしょう。やっぱり居るんですよモグラ。」 「マルトクにモグラ。」 「公安特課厳重監視の下、光定の部屋に忍びこんで消音化された銃で、腹と頭に二発撃ち込んで退散。その行動は目撃者は居らず、院内のカメラにもその様子は映り込んでない。外部の犯行なんてありえんだろう。」 「はい。」 「問題はどいつがモグラかってことや。」 富樫は黙った。 岡田は当初から警察内部のモグラの存在に気を遣っていた。 富樫による椎名監視の様子はケントクないでしか共有されないようになっている。すべての情報は岡田で止まり、必要があれば彼から直接特高に渡す仕組みだ。しかしそれがなぜか、岡田をすっ飛ばして特高に筒抜けになっていた。 「北署マルトクよりケントク。」 指揮所に所轄からの無線が入ったため、それに富樫が応える。 「こちらケントク。」 「郊外のショッピングモール駐車場で、PMの遺体発見との報。」 「なに?」 「PMの名前は佐々木統義。本部捜査一課警部。」 「佐々木!?」 「はい。ショッピングモールに駐車中に車の外からこめかみに一発。即死と思われる。」 「なん…やと…。」 「天宮殺しの現場に千種が愛人であるとして侵入。現場の書斎で捜一の警部が対応。お引き取りいただいた…。その後、古田と接触した千種は車に轢かれて死亡…だったよな。」 「はい。そういう奇妙なことがありました。」 「その千種の対応をした警部ってどんなやつだ。」 「佐々木統義(のりよし)。古株デカです。自分もかつて何度か絡んだことあります。いわゆる昔気質な奴です。」113 「その佐々木、この天宮の奥方の件も勿論、臨場してるんだろうな。」 「でしょうね。」 「にしても千種のときのこいつの対応が気になるんだよなぁ…。」 「関係者以外立ち入り禁止。なのに千種をほいほい現場に入り込ませ、そこで話し込む。あり得ませんからね。」 「やっかいごとを引き受けたくない人間が、だ。」113 「佐々木統義…。」 「岡田課長はご存じで。」 「…まぁ…。」 「…どんな印象でしたか。」 「印象?」 「はい。佐々木警部にどんな印象をお持ちでしたか。」 岡田はため息をつき何も無い壁を見つめる。 「厄介なヤマにはなぜか居らん不思議な存在。」 「ほう。」 「何かの力が働いとるんかと思うぐらい、あいつにはややっこしいヤマは回ってこん。」 「結果、目立った成績を上げることも無い。」 「うん。」 「その分失点もないので、いまのポジションをキープしとる。」 「俺の正反対。正直うらやましいとさえ思っとったよ。」 「いままでややっこしいヤマが回ってこなかった佐々木が、なぜか今回の天宮殺害に臨場した。」 「そうなのか?」 「はい。そこでいつものように無難に処理しとりゃ、こっちにも奴の情報は入ってこんかった。」 「というと?」 「そいつがあろうことか千種の対応をした。」 「佐々木がか?」 富樫はうなずく。 「厄介ごとはとにかくスルーする性分の奴がか?」 「関係者以外立ち入り禁止の現場。そこに取り乱した千種が現れ、まんまと現場に入り込まれた。部屋の中で説得を試み、なんとかお引き取りいただいたようだったと、捜一の捜査員からの私にタレコミがありました。」 「臭いな。」 「はい。」 「天宮殺しの現場に侵入した千種は死に、奴の相手をしとった佐々木も死んだ…。」 「はい。」 岡田は頭を抱えた。 「手に負えん。」 「課長…。」 「もう俺らの手に負えんぞ…。」 「課長どうしたんですか。ここで…。」 「正直もう訳がわからん。俺らを取り巻く情報が多すぎる。佐々木死亡、光定死亡、天宮死亡、曽我死亡、全国各地で起こるテロまがいの事件、犀川のテロデマ事件、妙な動画、鍋島能力、古田さんの認知、椎名と特高のつながり、モグラ、不審船、んで5月1日の金曜にはテロの予定。その日を目前に妙なロシア系の人間が大挙して金沢駅周辺に住み着く。俺らに残された時間は…。」 岡田は時計を見る。いまは4月29日水曜、18時を回ったところだ。 「明日の午前中には何らかの判断を百目鬼理事官に仰がんといかんし…。」 「あと18時間でしょうか。」 「あー情報が渋滞しとる…。」 「課長、こんな時こそひとつひとつです。」 「ん?」 「自分、情報の交差点に居ります。始終いまの課長の状態です。」 「あ…。」 「光定でやらかしたワシがこう言うのも何なんですが、起こってしまったことは悔いても仕方が無い。ワシらはあくまでも犯罪を未然に防ぐのが指名。いまのところわれわれの最優先事項は5月1日の金曜のテロ事件です。」 「そうや。」 「当面はそれに集中しましょう。佐々木の件はきっと別の誰かが対応してくれます。」 「…。」 「課長?」 「あ…あぁそうやな…。」 釈然としない態度の岡田を見て富樫は改まった。 「はっきり言います課長。もう無理です。もうケントクはキャパ超えています。」 「…。」 「事実、課長の処理能力が追いついとりません。」 岡田は何も言えない。 「DDOS攻撃みたいなもんです。ここまで来たらもう我々を意図的に混乱に陥れとるとしか思えません。一連の事件とそれに伴う情報の渋滞は。」 「確かに。」 「敵のことががよくわからんがに、どうやって戦えっいうんです?」 「無理だな。」 「だから戦えそうなところだけ戦うんです。光定は5月1日にテロを起こす予定であると我々に知らせてくれました。とりあえずその予定者であると思われるビショップとナイト。こいつらを厳重監視しましょう。」 「そうだな。」 「で同時に他のキング、ルーク、ポーンの手がかりを探すのです。」 「併せてロシア系の大量人員に対する対応やな。」 「はい。それに集中しましょう。」 「外国人部隊は三好さんが動いてくれとる。」 「三好ですか…。大丈夫ですか、あいつひとりで。」 「心配ない。心強い人間がこちらに接触してきた。」 「心強い人間?」 「ああ。」 「誰ですか?」 「それは言えない。」 「中央署からケントク。」 「こちらケントク。」 「朝戸に動きあり。」 岡田は富樫にうなずく。 「どういった動きか。」 「古田顧問捜査官と接触。ふたりは同じ宿に滞在している模様。」 「え…。」 二人は絶句した。 「こちらケントク。いつからだ。」 「今日の昼頃からです。」 「待て、朝戸は昨日の光定の言から居場所を特定しとる。べったり誰かが張りついとるんじゃないんか?」 「張り付いています。張り付いていますが昼まで報告が入りませんでした。」 「なんじゃそりゃ。」 「申し訳ございません。」 「二人の現在の状況はどうか。」 「朝戸は宿に。古田捜査官はひとり宿の近くを歩いている様子。」 「人員を増やせ。朝戸だけでなく古田捜査官も監視しろ。」 「了解。」 無線を切った富樫は思わず手で顔を覆った。 「なんでここで古田さんが…。」Sat, 20 Aug 2022
- 158 - 144.1 第133話【前編】3-133-1.mp3 「事故じゃなくて殺された。」 「事件として明るみになっていない…。」 「証拠はあるし、誰が犯人なのかも特定済み。」 「法の裁きでは時間がかかる。」 「だから別の方法で…。」 宿に戻っていた古田は夜の帳が落ちた外の喫煙所で、タバコを吸いながらひとりごとを呟いていた。 タバコを吸う音 「で、一色は事件の本質である本多と仁熊会、県警の闇に一度にメスを入れ、それらに社会的制裁を与えようとした…。」 確固たる考えと実績。この二が一色という男の基盤をなしており、なおかつ彼には警察幹部という立場があった。だから一見夢想とも思える世直し劇の実行にも一定の信憑性を持って受け入れられることが出来る。だがその一色ですら村上の反撃に遭い、その計画は頓挫した。 「いやいや…なんで朝戸を一色なぞらえとるんや、ワシ。」 タバコの火を消した彼はポケットに手を突っ込んで、歩き出した。 「あいつはただのテロリストや。」 古田は振り返って宿を仰ぎ見る。 「ははははは!」 「なんかあるじゃないですか。ウォシュレットすると、その刺激でどれだけでも出てくるみたいな。」 「そんな話、初対面の人間にします!?」127 「ワシのゲス話にも付き合える、心の広い中年男性にしか見えんがやけどなぁ…。」 再び古田は歩き出した。 仮に朝戸のテロ事件も一色と同じような世直し的意味合いを持って実行されたとしよう。しかしそれでどう世直しが図られたというのか。 妹をひき殺したのはあくまでも最上の息子だ。だがこの息子本人には制裁が科せられていない。もみ消そうとした最上本人は殺害という方法をもって処罰されたが、殺害の隠蔽をしたのは最上の力によるものだけではなく、警察の組織体質からくるものでもある。この警察組織の改革のきっかけも作らず世直しの意味合いは見いだせない。 また最上を殺害するのになぜノビチョクという入手困難な化学兵器をわざわざ使用したのか。入手困難ゆえ時間がかかるが調べればそのルートは特定できる可能性は高く足がつきやすい。またノビチョクの使用には一定の注意が必要であり、その保管、運搬にも気を遣わなければならず、素人である朝戸がそこに介在する合理性を見いだせない。 「朝戸が自分の意思でノビチョクを使ったと考えるのは、ちょっと無理がある。…となると誰かが朝戸にノビチョクを使えと入れ知恵したか…。」 朝戸の背後に何者かがいる。 しかしその存在はなぜノビチョクを朝戸に斡旋したのか。 どうしてその存在はノビチョクを手に入れることが出来たのか。 「ノビチョクという化学兵器をあの場所、あのタイミングで使用させること自体に意味があった?」 このときリュックを担いだロシア系の男が現れた。 午前にもマッチョなロシア系の男と遭遇したが今度の彼はどちらかというと華奢な体つきだ。 一瞬目が合ったが、今度の彼は古田に愛想しない。むしろ気配を消しているようにも思える。 彼は携帯をいじりながら、集合住宅の民泊の中に吸い込まれていった。 「何なんやあいつら…。」 ふと古田は足を止めた。 「あ…そうや…。」 「ツヴァイスタンの仕業じゃない…と。」 「はい。」 「どういうことや。」 「イギリスの事件にツヴァイスタンのエージェントが関与していた実績だけです。今回もツヴァイスタンの仕業じゃないかって騒いでいる人たちの根拠っていうのは。単なる憶測ですそれは。根拠にならない。」 「そんなもんや、世論っちゅうモンは。」 「都内の病院でテロ。被害者も多数。犯人に憎しみしか抱きません我が国の国民は。そんな結果を得てツヴァイスタンになんの得があるっていうんです。」 「得…。」 「ええ。テロというものは政治的目的を完遂するための手段に過ぎない。あの国と我が国は最近は友好ムードが流れています。それもあの国が我が国の安全保障体制の強化を脅威に感じるようになり、反日よりも親日のほうが得るものが多そうだと判断し始めたからです。」 「ほうや。」 「せっかくその基礎工事が出来つつあるというのに、ここでそれを壊す利点があの国にどうしてあるのか。ちょっと考えればツヴァイスタン犯行説なんかとるに足らないものだとすぐわかるはず。」 「そんな正常な判断が我が国の国民ができんくなっとる。それを顕にしたのが今回の事件の本質ってか?」 「はい。」 「なるほど。」 「みんな肝心のことを忘れています。」 「なんや。」 「先日の犀川のテロデマ事件の犯行予告です。」 「ウ・ダバか。」 「はい。」 「ウ・ダバはあの声明で現在のツヴァイスタンを弱腰と断罪しています。なぜかと言えばツヴァイスタンが最近、我が国と接近しているからです。仮に今回のテロ事件がツヴァイスタンによるものならば、ウ・ダバはあの国と再びかつての共闘関係になり、今回の行動を称賛することでしょう。ですがウ・ダバはなんの反応も示していません。もちろんツヴァイスタンによる犯行声明がまだであるということも理由のひとつでしょうが、おそらく自身の関係者の犯行であるためだんまりを決め込んでいるんでしょう。」 「なぜ黙る。」 「ノビチョクという神経剤が使用されたということで、ツヴァイスタンに疑いの目が向けられているからです。ツヴァイスタンに監視の目が行き、仮にあそこに何らかの精細が課せられるとなれば、ウ・ダバとしてはざまぁみろってところでしょう。だから現在のところ様子見なんです。」22 古田は自分の頭をぴしゃりとたたいた。 「あー…やっぱワシ頭どうかしとる…。相馬とこんなやりとりしとったんやった…。」 「レフツキー・ヤドルチェンコ。」 「ん?」 「ウ・ダバの協力者と思われるこの男が密かに東京に潜伏しています。これがウ・ダバ犯行の可能性のひとつです。」22 「ウ・ダバ…。まさかこいつら…。」 気づくと古田の足取りが速くなっていた。 一刻も早くこの場から距離をとりたい。 その気持ちが彼をそうさせているのだろうか。 「朝戸慶太自身がウ・ダバである可能性も捨て切れん…。」 なんだこの感覚は。 ありとあらゆる場所から敵意を感じる。 いま自分が歩く住宅街、いや町全体が圧倒的な威圧感を醸し出している。 絶体絶命。 今の古田には、恐怖という感情しか沸いてこない。 気づくと古田は駆け足になっていた。 「この朝戸、一昨日に東京からこの金沢にやってきた。宿泊先は東山の宿だ。」 「…あんた、どこのモンや。」 「…どこの人間だろうが、お前には有益な情報だろう。行動は起こしておいたほうがいいと思うぞ。」121 「あいつ…あいつもまさか…こいつら同様、ウ・ダバやったんか…。」 心拍は上昇、息が上がり妙な汗が首筋に流れる。 「まて…ワシ、どこに向かっとる…。」 彼はふと足を止めた。 と同時に体中から汗が噴き出した。 そこに4月の夕風が古田の体にそよそよと吹き付ける。 清涼を纏うことができた彼は辛うじて平静を取り戻すことが出来た。 「ここから逃げてワシはどこに居くっちゅうんや…。」 振り向くと向こう側に自分と朝戸が宿泊する民泊、ロシア系と思われる人間が数多く止まるアパート民泊がある。 「時間の使い方は古田さんの勝手ですが、それにこちらを巻き込むようなことはお控えください。」117 「ワシは公安特課や…。あいつらがもしもウ・ダバとかならワシが監視せんでどうするんや…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーSat, 20 Aug 2022
- 157 - 143 第132話3-132.mp3 「…わかった。」 佐々木死亡の報が陶にもたらされたのは4月29日の夜になった頃だった。 「注意を怠るな。」 電話を切ると陶は天を仰いだ。 「佐々木統義警部補。こいつは俺の石川の分身だ。」 「本部長の…。」 「ああ石川における…な。こいつを貴様に紹介する。俺の分身だと思って気軽に話してくれ。きっと貴様の力になるはずだ。」118 「キャプテンの分身が死んだ…。」 佐々木は陶の石川における工作のハブ役を担っていた。 捜査一課である彼は同部署に数名の協力者をつくり、彼らをたくみにコントロールし、チェス組と言われる仁川、光定、空閑、朝戸、紀伊のハンドリングをしていた。そしてかれらが暴走をしないようその監視を行っていた。 明後日、5月1日金曜。この日の夕刻に朝戸が金沢駅でヤドルチェンコらとテロを起こす手はずとなっている。 あと二日。あと二日で重大な局面を迎えるというときの主力戦力の喪失。 陶の喪失感は想像を絶するものだった。 「一旦自由の身になってアルミヤプラボスディアの動きに目を光らせたいのです。5月1日。ここで石川の部隊が金沢駅で何らかのテロを起こします。やつらはそれで今手一杯です。おそらくマルトクも何かしらの兆候を見つけてそれを阻止するよう動いているでしょう。石川部隊、マルトクこの両者が睨み合う中、奴らだけノーマークとなるのはまずいです。」116 「アルミヤプラボスディア…。」 受話器を手にした陶は電話をかけ始めた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 携帯バイブ音 助手席に置かれた携帯電話が震えた。 非通知の表示がされている。 ーお構いなしの直電。相当焦ってると見た。 イヤホンを装着した椎名はそれをそれを膝上に起き、通話ボタンを押した。 --・-- -・--・ ・・-・- ・-- --・・ ・・--・ ・・・ -・・ ・・ ---・- ・-・-- ・・ --・-- -・-・ ・・-・ ・・- ・- ・---・ -- 「アルミヤプラボスディアニ チュウイセヨ」 椎名はマイク部分を指でなぞる。 「ナニガアッタ」 「トウホウノ エス サツガイサレタ」 「イツノコトダ」 「サンンジカンマエ」 椎名は時計を見る。 時刻は18時半。 高橋勇介を名乗る電話を会社で受けたのは昼頃だ。 「タカハシユウスケカラ デンワアッタ」 「コロサレタノハ ソイツダ」 「イシカワノ ハブカ?」 「ソウダ」 「タイミングガ ワルイ」 「ゲンザイ ゲンバハ コンラン トウホウカラノシジハダセナイ」 「リョウカイ コチラノウゴキハ マカセテクレ」 「リョウカイ イチニンスル クレグレモ チュウイサレタシ」 電話を切った椎名はそれを再び助手席に置く。 ー実の兄が殺されてもまったく感情を出さない。 ーさすがプロ。 ーいや、それとも…。 ーま、どこかで確かめてみよう。 ーそれまではあんたの言うとおり一任されますよ。高橋さん。 椎名の車は郊外のネットカフェに滑り込んだ。 車のドア音 歩く音 自動ドア 「いっらしゃいませ。」 「個室開いてますか。」 小声で 「なんで来たんですか。それらしい人間がマークしてますよ、この店。」 「心配ない。いつもの部屋空いてる?」 端末を操作し部屋の空き状況を確認した店員はこくりと頷く。 「迷惑はかけないよ。」 ドア閉める音 個室に入った椎名は荷物を置き、部屋の隅にあるコンセント口に手を伸ばす。 カバー部分を指でつまみ、上下左右に揺らすとそれは簡単に外れた。 外れた場所は空洞であり、隣の部屋と繋がっていた。 隣の部屋から携帯電話が差し出された。 椎名はそれを受け取り、自分の持っていたものを向こう側に渡す。 続いて向こう側からメモ用紙が送られてきた。 紙を広げる音 「всё чистоオールクリア…。」 「その部屋の中は調べ済みです。盗聴器も何もありません。安心して話せます。」 となり部屋から声が聞こえた。 「そうか。」 「矢高さんが公安特課の攪乱をしているとのベネシュ隊長からの伝言です。」 「三時間前に陶の石川におけるハブ役を殺害したそうだな。」 「はい。」 「残念ながらそのハブ役は公安特課の人間ではない。捜査一課だ。」 「その件は矢高さんの本来の仕事じゃありません。」 「行きずりの犯行だとでも?」 「矢高さんは矢高さんの考えが合ってのことでしょう。」 「では彼は具体的に何を。」 「公安特課の古参に古田という人物がいます。70過ぎの老人ともいえるベテランです。この人物とチェス組の朝戸を引き合わせるよう誘導しました。」 「それがなぜ公安特課の攪乱になると言うんだ。朝戸はテロの実行部隊。テロが未然に防がれる恐れがあるではないか。」 「古田は暴走しています。」 「なに?」 「例のアレの影響を受け、公安特課の捜査から外されました。」 「例のアレか…。」 「はい。石川大学病院のルートのほうです。」 「光定の人体実験か。」 「古田は捜査から外されたことに不服だそうで、何かしらの功を立てて周囲を見返そうと必死です。」 「功を焦っているか…。」 「はい。そこにテロ事件の実行予定の人物をぶつけ、その古田の暴走を煽り混乱を巻き起こす算段のようです。」 「最終的に潰し合えばそれでよいということか。」 「はい。」 「だがそれはリスクが高い。もしも古田が暴走しなかったらどうする。テロは実行されず計画はぱあになるぞ。」 「その煽りに矢高さんは傾注する。そのための佐々木殺害だとも聞いています。」 「佐々木…。佐々木というのかその三時間前に殺された男は。」 「はい。この佐々木がチョロチョロ動いているのが目障りだったようです。」 「深謀遠慮の仁川さんにしては随分と短絡的に見えますが。」 「いやいやいや、高橋さんのことを思ってのことですよ。」 「勇介にひとことはありますか。」 「心配いりません。お任せください。」124 「まぁ俺も目障りだったんだがね。」 「ベネシュ隊長からまだあります。」 「なんだ。」 「自衛隊の情報部隊に注意されたし。」 「自衛隊?」 「はい。オフラーナ系の公安特課の情報は矢高さんが目を光らせてますので、その動きは察知できます。」 「うん。」 「オフラーナ系のチェス組によるテロの決行は明後日の18時。光定公信が公安特課に転んだと思われる状況から、ある程度は奴らはそれをつかんでいると判断して良いでしょう。」 「だな。」 「ただその中で公安特課の連中がわれわれトゥマンをマークしている節が全く見えないんです。」 「というと。」 「あえて泳がされているのではないかと思えるほど、我々に触れる捜査をしている形跡が見えない。」 「なるほど。公安特課と自衛隊の情報部で役割を分担していると。」 「はい。我々トゥマンは自衛隊情報部の監視対象になっている可能性があります。」 「だとしたら日本の情報機関の動きというのも、なかなか優秀であるな。」 「はい。」 「秘密警察には秘密警察。軍には軍。やるじゃないか。」 「したがって十分に注意をされたいとのベネシュ隊長からの伝言です。」 「問題ない。任せてくれ。」 「頼もしいお言葉です。ベネシュ隊長は仁川少佐に全幅の信頼を寄せています。」 「Заслуженный. 光栄だ。」 「あとこれを。」 壁の向こう側から洋型の封筒がねじ込まれた。 「プリマコフ中佐からです。」 仁川はそれ開き、目を落とした。 同志少佐。 君のように深く謀を巡らせることができる人材が、日本という東方の国には数多く存在する。そのことを君から聞かされたとき、私は絶望と共に光明を見いだした。 なぜなら君が我が共和国人民であるからだ。 君がこの遠大なる作戦を私に提案してきたのはいつの頃だっただろうか。私は君の時空を超越した作戦内容を聞き、心躍らせずにはいられなかった。作戦はすぐに私から参謀本部へご提案申し上げた。 共和国人民としての模範的価値観に基づいた君の深謀に舌を巻く彼らの様子を見たとき、私は同志少佐を部下に持ったことを誇らしく思った。あれから6年。同志少佐の作戦は実行に移され、今まさにその成功を見ようとしている。 同志少佐よ。作戦が成功の暁には、日本で共に祝杯を挙げよう。 そして堂々たる威厳を持って凱旋しよう。 英雄のひとりとして君の名前はベルゼグラードの戦勝碑に刻まれることだろう。 同志少佐。今こそ撃鉄を起こせ。反共主義者に鉄槌を下すのだ。 我が祖国に栄光あれ。 「これは人目に触れると不味い。」 こう言って仁川はそれを壁の向こうに返した。 「焼却処分を命ず。」 「はい。」 「中佐には仁川、命に代えてもこの作戦成功させますとお伝えしてくれ。」 「かしこまりました。」 「ベネシュ隊長とは今後はこの携帯を使えば良いのだな。」 仁川は先ほど渡された携帯を触る。 「はい。メッセージアプリも音声通話も他には漏れない仕様となっています。」 「これで矢高とは連絡は取れないのか。」 「矢高さんですか?」 「ああ。隊長に確認してくれ。」 「はい。」 ここらへんでおしまいだと言い、仁川はコンセント口の蓋を閉めようとした。 「Слава Отечеству.祖国に栄光あれ。」 「…。」 「少佐?」 「Слава Отечеству.祖国に栄光あれ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 06 Aug 2022
- 156 - 142 第131話3-131.mp3 「はい。夜の警邏中に発見しました。」 朝の港町は騒然としていた。 事情聴取を受けるのはこの港町の駐在、矢高慎吾。 「発見時からのこの状態でしたか。」 「はい。」 港の浜に立つ彼の前には横たわる2体の遺体があった。 「過去にこの浜から姿を消した特定失踪者がいますので、毎晩巡回を怠らないようにしとりました。」 「昨日の晩は特に変わったことはありませんでしたか?これらの遺体を発見するまでに。」 矢高はしばらく考える。 「いえ。特には。」 「そうですか…。」 「あ。」 「なんです?」 「いや、気のせいです。」 「何でも良いです。気になったこと教えてください。」 「言われてみれば、珍しいものを見たかもしれません。」 「珍しいもの?」 「はい。たばこ吸っとる人居ました。」 ーえ…? 「ほらあすこの民宿あるでしょう。」 矢高は指さす。 「ここらの人は夜は基本外に出ません。台風が来るとかでどうしても船の様子を見ないかん時くらいしか、夜に外出んがです。」 「…。」 「けど昨日の夜はあそこの宿泊客ですかね。そとでたばこ吸っとる人居ったんです。多分宿の主人にも止められたと思うんですが。」 ーこいつ見とったんか…。 「んにしても物騒ですね。ふたりとも殺られた形跡ありますから、どこかにホシが潜伏しとる可能性がありますね。」 このときの矢高は聴取する佐々木から目をそらし、海の方を見つめた。 ーお前だ。お前しか居らんやろ。矢高。 ーにしてもひとりでふたりをこうもあっさりと返り討ちにあわせる…。 ー相当の腕の持ち主なんか? 「矢高巡査部長のおっしゃるとおりです。帳場を開いて対応する必要があります。」 矢高への聴取をひととおり終えた佐々木は彼に背を向けた。 その瞬間、彼は得も言われぬ感覚を背後に覚えた。 姿は見えないが何か獣のようなものがこちらを見ている。 ひとつではない。そこかしこに視線を感じる。 佐々木の死線は前方を捉えているが、すべての感覚は背中にあった。 ーなんや…この感覚は…。 プレッシャーに耐えかねて佐々木は振り返る。 矢高が付近の住民と何やら話し込んでいた。 佐々木の様子に気がついた彼は敬礼をして、佐々木に敬意を払った。 ー気のせいか…。 帰路につこうと再び振り返る。 すると昨日宿泊していた民宿の姿が目に入ってきた。 主人がこちらの方を見てたばこを吸っている。 昨日の自分を見ているようだ。 宿の主人が煙を吐き出して、その吸い殻を地面に落とし足で踏みつける。 すると民宿の影から2名の漁師風の男が現れた。 「な…に…。」 おもわず佐々木は動きを止めた。 現れた漁師風の男らは佐々木の様子をよそに、駐在所側に駐車されている軽トラに乗り込んでその場から走り去っていった。 気のせいか宿の主人がこちらに向かってほくそ笑んだように見えた。 「まさか…この町は…。」 佐々木はしばらくその場から動けなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「あのときに感じた恐怖ともいえる感覚を、俺はいま受けとるわけなんやが…。」 目を開くと仁川征爾の写真がそこにある。 「決して直接的な威嚇はせん。すべてが遠回し。わかる人間だけにはわかるように…。静かに林のように…。」 「継承者がいるなら彼をして研究を続ければいい。だから転んだ光定は消した方が良い。」 「えぇおっしゃるとおりです。」 「深謀遠慮の仁川さんにしては随分と短絡的に見えますが。」 「いやいやいや、高橋さんのことを思ってのことですよ。」 「勇介にひとことはありますか。」 「心配いりません。お任せください。」124 「仁川が勇介の何を思って任せろ言うとるか正直わからん…。」 「勇介はオフラーナの協力者。オフラーナは鍋島能力の実用化を目下のところ最優先事項としとる。仁川の発言、額面取りに受け取れば、鍋島能力の実用化の最短ルートは光定抹消であると判断したと言うことやが…。」 「空閑は本当に鍋島能力を継承したんですか。」 「ええ。」 「証拠はありますか。」 「いいえ。」 「でも継承していると?」 「はい。」 「あなたなりのなんらかの根拠があっての判断ですか。」 「あーそれですか、それはすいませんクリエイティブのことは理屈で説明できることばっかりじゃないんですよ。それに関しては感覚的なもんです。」 「空閑の言っていることは確からしいと?」 「うーんそうですねぇ。」124 「あまりにも感覚に頼りすぎとるんやって…。大事な決定であるにもかかわらず…や。」 「何をするにも慎重を期する仁川の発言とは思えんがや…。」 「ここにきて雑なんやって…。」 佐々木は髪をかき上げる。 「その雑さが妙に怖い…なんか、奴の手の内で転がされとるような気がしてしょうがないんや…。」 「矢高慎吾。」 「矢高?」 「はい。ご存じでしょうか。」 「あ、いや…。」 「能登署を辞め、以降行方知らずのこの矢高、先日の千種の事故死の時、ひょっこり現場に姿を現した。」 「なんだそのもの言い。佐々木、おまえその矢高の知り合いなのか。」 「はい。」 「どういう関係だ。」 「同じ穴のムジナですよ。」 「同じ穴のムジナ…。」116 「仁川…こいつ矢高と同じニオイがすれんて…っちゅうことは、こいつも同じ穴の…。」 手にしていた仁川の写真を彼は懐にしまった。 「…杞憂であってくれればそれでいいんやが。」 そのときである。 一発の銃弾が運転席側のガラスを貫通し、佐々木のこめかみを穿った。 助手席にもたれかかった彼はピクリとも動かない。 静寂な時間だけがそのまま流れていった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「よくやった。」 車を運転していた矢高は電話を切り、そのままハンドルを握る。 「さすがに少佐に直接コンタクトはマズい。佐々木警部。」 「10年前から変わってない…どこか自分の力を過信してるきらいがある…。」 「その点、古田の方がまだマシだ。」 彼の運転する車は県警本部の前を通過した。 「やはり一色という男が異常だった…だけか…。」 矢高の車はかつて本多善幸事務所が入っていたビルの前で信号待ちとなった。 「それとも政治が水面下で我々を牽制していた…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 23 Jul 2022
- 155 - 141 第130話3-130.mp3 「第2小早川研究所?」 「はい。」 「…わかった。すぐに調べる。」 「もうひとつ気になることが。」 「なんや。」 「物忘れ外来の予約、問い合わせが昨日から激増しとるみたいです。」 「はぁ?」 「石大病院だけじゃなく、県内の同種の外来窓口も同様。他県はわかりません。」 「認知症が流行っとるってか?」 「現状を見る限りまさにそういう状況です。」 片倉は頭を抱えた。 「どいや…認知症がうつるって聞いたことねぇぞ。」 「似たものにクロイツフェルト・ヤコブ病ってものがあるらしいです。」 「それ狂牛病やろ。」 「はい。」 「ってかあれは狂牛病の肉とか内臓食ったらうつるってやつや。んなそれっぽい肉が流通しとるなんて話は聞いとらん。」 「光定はもとは脳神経の医師。石大病院の物忘れ外来の担当のひとりが光定。その貴重な戦力が現在欠けてしまったのも相まって、あの病院は混乱状態です。」 ふと昨日の百目鬼とのやりとりが思い起こされた。 「急に認知症のような症状が出た...ですか。」 「あぁ疼痛を抑えるための催眠治療を受けた直後から。」 「トシさんはその疼痛に?」 「いや、アイツは高血圧と狭心症だ。」 「じゃあ。」 「片倉。石川大学病院だぞ。トシさんがかかってんのは。」 「でもなんでトシさんに催眠治療なんか。」 「だから言ってるだろうが。石川大学病院だって。」 「あのぅ…理事官。自分、ちょっと頭の整理がつかんがです。」 「天宮。」 「天宮?」 「天宮なんだよ。その難治性疼痛を抑える催眠療法を施したのが。」99 「まさか …。」 「どうしました?」 「いや…いままでまさかまさかって言って、結局そうでしたって事ばっかや。」 「片倉班長?」 「そうだ。ちなみに天宮はツヴァイスタンのシンパだ。催眠と聞いて片倉、ピンとこないか。」 「瞬間催眠。」 「そう。」 「え…まさか…。」 「石川大学病院がその今川が言っていた外注先と考えられないこともない。」 「もしもそれが本当にそうやったとしたら…。」 「患者を適当に見繕って、瞬間催眠の人体実験を行っていた可能性がある。」 「MKウルトラ異聞にある瞬間催眠。その人体実験ですか。」 「ああ。」 「その対象の一人が、その今川と面会した男の父親。」 「そして古田登志夫。」99 「人体実験の結果や。」 「え?人体実験?」 「まずい。んなもん俺らの手に負えん。マサさん、あんたはそれにはタッチすんな。相馬にもそう伝えてくれ。デリケートな案件や。上層部に指示を仰ぐ。」 「はい。」 富樫との電話を切った片倉の顔からは血の気が引いていた。 「瞬間催眠の元請けが東一の第2小早川研究所…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「聞いたことがない。」 「ですがあるはずです。」 「存在しないものにガサ入れなんてできっこない。」 「何言ってんですか。東一の事務方だった石大の病院部長がその名前を口にしてるんですよ。」 「じゃあそれが存在する証拠は。」 「だから…。」 「ダメだ。」 「もう何でも良いでしょう。とりあえず踏み込むんです。」 「片倉っ!」 「…。」 「落ち着け。今そんなことやってみろ。それこそ思う壺だ。」 「誰の。」 「いろいろ。」 「はぁー…。」 「非常にデリケートなんだ。今回のヤマ、ステークホルダーが複雑に絡み合っている。」 「…俺の段階でもそうなんですから、理事官のポジションはさらに面倒くさいことになってることは理解しています。ですが。」 「ですが、なんだ。」 「いま行動を起こさんととんでもないことになりそうな予感がするんです。」 「デカの勘的なやつか。」 「はい。」 「でもそれはできない。」 「ぐぬぅ…。」 「軽挙妄動は慎め。いままでの仕込みがすべてパアになる。俺らマルトクだけならいい。だがさっきも言ったようにこのヤマは桁違いにでかい。」 「…わかりました。私が軽率でした。申し訳ございません。」 「分かってくれればいい。だが第2小早川研究所については別ルートで調べておく。いざと言うときに直ぐにガサ入れるようにな。」 「ありがとうございます。」 百目鬼は鼻の付け根の辺りをつまむ。 疲れのためか目がかすんでいた。 「で、どうしますか理事官。」 「うん?あ、あぁ…認知症の流行か…。もしもその元が第2小早川研究所による人体実験の副産物だったとしたら…。」 「光定公信は死亡。その病気を発症する源らしきものは今回で排除されたんで、被害の拡大は考えにくいかと。」 「そうなんだが、その副作用に対する正しい対応法は闇の中のまま。やっかいだぞ。」 「確かに。」 「古田への正しい対応法も正直よくわからんからな。」 「弱りましたね。」 「あぁ弱った…。」 「直らないんですよね、認知症。」 「そうらしい。ただ進行は遅らせることはできる。現状は従来通りの認知症患者に対する対応をしてもらうしかないだろう。」 「しかし予約が殺到しとる状況です。」 「すぐに死ぬとかの話じゃ無いだろう。」 「はい。そのような話は聞いていません。」 「だったら申し訳ないがゆっくり順番ついて診察をお願いするしか無い。これが元で医療崩壊には至るなんてことはないだろう。」 「ですが周りの人間が疲弊します。」 「…。」 「厚労省の協力を仰ぐことはできないでしょうか。」 「…やってみる。」 電話切る音 ため息 「なんてやっかいな病気なんだ…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 髪をかき上げる佐々木の目には仁川征爾の写真が映っていた。 「仁川征爾。下間芳夫ら工作員によって拉致され、ツヴァイスタンで秘密警察要員として育成。主な任務は日本語教育、亡命・移民者の管理監督。その勤務態度は極めて優秀。自分の意思に反してのツヴァイスタン生活であったが、ツヴァイスタン労働党籍を得、生活基盤を確立。将来は安泰かと思えたが、命がけの亡命。何があった…。」 仁川の写真をポケットにしまい、佐々木は車の座席を倒す。 そして何の愛想も無い車の天井部分を見つめる。 「我が国を混乱に陥れる工作要員として、オフラーナからの密命を帯びて奴はこの国に帰ってきたと勇介は言うが、本当にそうなんか?」 佐々木はそっと目を閉じた ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 10年前 夏 金沢市内某喫茶店 「元気そうだったよ。」 「勇介ですか。」 「うん?」 「あ、いや…。」 「あぁそうだった。今と昔、名前が違うんだったな。」 「はい。」 「なんて名前だったんだ。」 「…高橋勇介です。」 「ほう…。」 「何の変哲も無い普通の名前です。」 「いまは陶晴宗。山口あたりの武将みたいな名前だしな。」 「立派な名前です。」 「名に恥じない仕事ぶりだよ。」 「そうですか。だったら良かった。」 佐々木と向かい合って座る男は、紅茶に口をつけた。 「あの…朝倉本部長。陶管理官が石川に来るなんてことは…。」 ティーカップをゆっくりと置き、朝倉は息をつく。 「現状では難しい。」 「…そうですか。」 「優秀な人間を石川に限って取っかえ引っかえとは流石にいかん。」 「一色課長ですね。」 「そうだ。赴任早々、ただ者では無い気配を醸し出している。奴は優秀だ。こういう人間にはここで実績を作って中央でさらに羽ばたいてもらわねばならん。」 「ですが一色課長の鬼捜査には、現場から不満が。」 「知ってる。だがそれはあくまでも組織内部だけの話。外向けには一切の苦情も受け付けていない。」 「しかし目の光らせ方が半端じゃありません。この県警の中のことで知らぬ事は一つとしてないって具合です。」 「…。」 「本部長。私とあなたの間に建前は不要です。私はあなたの影です。」 朝倉は佐々木をじっと見つめた。 「こんなに監視の目が厳しい環境だからこそ、例の件を首尾良くやる。さすればその実績を持って貴様の弟の件、何とかできるかもな。」 佐々木は唾を飲み込む。 「上陸作戦ですね。」 朝倉はうなずく。 「今度の新月のときに富来の海岸から誘導する手はずになっとります。」 「漏れは無いか。」 「ありません。さすがの一色課長にも感づかれていません。ただ…。」 「ただ何だ?」 「引っかかることがありまして。」 「なんだそれは。」 「生安に矢高という男が居るんですが、ここ最近、夜な夜な海岸線に出没するんです。」 「ほう。」 「この間の上陸の際も、上陸ポイントから500メートル先の居酒屋で呑んどったのを確認しています。」 「監視してるな。まさか一色の手下とか。」 「いや、それはないでしょう。」 「どうして言い切れる?」 「そもそも接点がありません。奴は所轄署と交番を行ったり来たりしとる何の特徴も無い人間です。」 「そういう特徴も何もない人間が本当のところ怖いんだ。」 「杞憂です。矢高の周囲は調べ済みです。ただ。」 「上陸監視をしている可能性は否定できない。か。」 「はい。」 「年齢は。」 「40です。」 「特徴が無いのが特徴…。」 「はい。」 「誰に指示されること無く、単独で監視してる感じか?」 「はい。」 朝倉は腕を組んだ。 「邪魔だな。」 「はい。」 「消えてもらうか。」 「よろしいですか?」 「うん。」 「ではこちらで手はずを整えます。」 「こういうものは早めに対処しておくに限る。」 「はい。」 「これで抜かりないな?」 「はい。」 「ではよろしく。」 「勇介の件。」 「…。」 「前向きにご検討くださいますようお願い申し上げます。」 「もちろんじゃないか。」 それから数日後の夜。 佐々木は能登方面のとある小さな港町の民宿にあった。 「あー酔った。ちょっと夜風に当たってくるよ。」 「お客さん。あんまり外に出んほうがええよ。」 「なんで?」」 「人攫いが出る言う噂ある。」 民宿の親父が佐々木と目を合わせないように言う。 「人攫い?」 「悪いことは言わん。出るにしても玄関先で涼む程度にしとき。」 「わかったよ。」 ー拉致事件は2000年を境に収まったはずやが、ここら辺の住民はそれを依然として警戒しとるってわけか…。 外に出た佐々木はそこでたばこに火をつけた。 たばこの音 ー目の前は漆黒の闇。 ー当たり前か…。目の前は海やもんな…。 ーポツンポツンとある住宅の明かりが、かろうじてあたりをなんとなく照らすって具合。 ー未だに人攫いを警戒してもおかしくない。 ー逆を言えば、それだけ人気が無いってことだ。 ーで…。 佐々木の目の先には暗闇の中に赤く丸い光を灯す建物が映っていた。 矢高のいる駐在所である。 明かりがついている。 パトカーも自転車も止まっている。 ー奴はこの人気の無い暗闇を夜な夜な警邏しとるってわけや。 「ご苦労さん。」 佐々木がたばこの火を消すと音も無く2名の人間が暗闇から現れ、矢高の休む駐在所に向かっていった。 「攫うよりこちらの方が簡単でね。」 こう言うと佐々木は民宿の中に引っ込んだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 09 Jul 2022
- 154 - 140 第129話3-129.mp3 自販機の音 「話が違いますよ。」 「申し訳ない。」 病院の自販機コーナーで、距離を保ちつつ話す病院部長の井戸村と相馬があった。 「完全にこちらの落ち度です。」 「確実にこちらにも飛び火します。」 「…。」 相馬は気まずそうに黙った。 「まだあちらからは何のコンタクトもありません。」 「そうですか…。」 「おそらく私はこの責任で職を解かれます。」 「代わりのお仕事はこちらで…(斡旋します)。」 言葉を言い切る前に相馬は胸ぐらをつかまれ、そのまま自販機に背中をたたきつけられた。 「身の安全は保証するって言ったよな…。」 「…。」 「公安特課ってのは口ばっかりのはったり野郎の集まりか!?」 「…。」 「病院で厳重管理の人間をみすみす殺されるような監視行動しか出来ない連中が、この国に及ぶ危険を水際で回避?笑わせるな!」 「…。」 何も答えない相馬を前に一方的に怒りをぶつけている自分の存在を気づかされたのか、井戸村は彼の胸ぐらからその手を離した。 「申し訳ございません。」 「くそっ!」 「あっ部長!」 声をかけてきたのは部下の坊山だった。 「なんだお前。休めって言っただろうが!」 「休んでました。休んでましたが、こんなことになって家でぼーっとしとれんでしょう。」 「だから尚更休んでろって言ってんだよ。危ねぇだろ!」 「部長。」 「なんだ!」 「自分だけが重い十字架背負ってる的な設定、もうやめましょう。」 ーえ?今なんて言ったこいつ。 「あの、そういうのもう良いですから。キモいっす。」 ーキモい?うそ…こんな強いキャラだった?坊山…。 「結局、誰も代わりやってくれんのですよ、仕事。俺が休んだらその分仕事が溜まるだけ。休めって言うのは簡単ですが、まずは気軽に休める環境を作ってくださいよ。」 ーあ…俺、普通にディスられてる…。 「光定先生の件は警察に任せましょう。自分らが出来ることはありません。」 「そ、そうだな。」 「これを相馬さんが東一にどう報告するか知りませんが、言っときますけど、これについては当院は一切関係ありませんからね。」 「承知しております。」 ここで坊山はため息をついた。 「大体ね。全部おたくのせいなんですわ。」 「ウチのせい?」 「そうやろうが。」 「おたくの天宮先生がすべての元凶なんッスわ。なんか知らんけどウチと東一とのコネ作るとかなんとか言ってさ。」 ーおい…坊山、相馬さんは東一の人間じゃ無くって…。 「拝聴いたします。」 「あのジジイどういった経緯でうちの病院に来たんか知らんけど、東一じゃいらん先生のくせに、こっちに来たらやったら威張り散らしてぃや。ほんでいっちょ前に文科省とか厚労省にコネあるとかいって、政治やり始めたやろうが。」 「…。」 「ったく…うちの連中もあほねんて。ほんなジジイの言うこと真に受けて手もみですり寄るんやから。」 ー確かにそうだ…。 「ほんな用無しになったジジイにどんだけ力あるんやっていうんや。ほっときゃよかってんわ。相手にせんときゃ、しょんぼりそのまま引退やってんわ。ほんねんになんとか甘い汁吸おうってスケベ根性出しやがってぃや。」 ー強い。強いぞ坊山…。ワードが強い。 「その結果がこれですわ。毎年必ず複数名の天下りを受け入れる病院になってしまった。で、その天下りがうちの主要ポストを占めるようになった。誰得ですかこれ。」 「…天宮先生と懇意になった人たちでしょう。」 「そう。仕事の出来不出来ではなく天宮憲行とその取り巻きに取り入ることが上手な人だけがうまい汁を吸えた。うちの病院自体には何のメリットも無い。」 「中央とコネクションを作れたんですから、何のメリットも無いというのは些か違うような気がしますが。」 「何もないの。」 「どうして?」 「覚醒剤ってメリットある?」 「覚醒剤?」 「目が覚める、妙にやる気がでる、集中力が上がる。って面に光を当ててシャブを使う事って肯定できますか?」 「いや…それは…。」 「接種した人間のみならず、その周辺も腐らせる。良いとこなんて何もないでしょう。」 「…確かに、今起こっている結果を見れば、反論はできません。ですがシャブに例えるのは行き過ぎかと思いますよ。現に今日までにおたくの病院は何らかの利益を得られたはずです。」 坊山は肩をすくめる。 「これだから現場の苦労も知らん、口ばっかの人は困るんだ。」 「おい坊山、いい加減にしないか。」 「あんたの事ですよ。病院部長。」 「え…俺…。」 ーえ?俺?ここでなんで? 「俺は許せんのだよ。国立大学って名の下で国を滅ぼす研究をしてる輩が。そして知らなかったとはいえその片棒を担いで、今まで人より良い生活をしてきた自分がよ。」108 「じゃあ聞きます。あれ国じゃなかったら良かったんですか?」 「え?」 「国家存亡の片棒を担いだのが悔やんでも悔やみきれんみたいな言いぶりですが、あんたがやってきた天宮連中の環境整備、十分、病院の労働環境を滅ぼしてんですけど!」 「なん…だ、と…。」 「うまいこと回ってるように見えてるでしょう。病院。ね。」 井戸村は答えられない。 「うまく回ってる姿しか見えないようにしてんですよ。私ら中間管理職が。」 「…。」 「任せるって言っといて、気が向いたらチェックして、このようにしろって指示した覚えはないってキレるでしょう。」 「俺が、か。」 「はい。」 金槌か何かで打ち付けられたような衝撃が、井戸村の頭に走った。 「ですがもう我慢できません。」 「ま、待て坊山落ち着け…急にどうしたんだ…。」 「気に食わないんです。」 「何が。」 「部長、あんた私のことを救いたいんですよね。」 「あ、あぁ…。」 「ヤバい連中に襲われるかもしれないから、休めって言いましたよね。」 「言った。」 「じゃあなんで昨日俺をあのタイミングでわざわざ談我に呼んだんですか。」 「え?」 「俺や楠冨の事を本当に心配するなら、なんで有無を言わさずそのまま姿をくらませって言わないんですか?」 「とにかく俺は俺なりのやり方で事態の収拾を図る。その間はお前ら2人に危険が及ぶ恐れがある。だから休むんだ。有給とか欠勤とか言ってられん。とにかく俺との接点を消せ。わかったな。」108 「順序が違うんですよ。過去の話を延々開陳する方がなんで先なんですか?こっちはそんなことはどうでもいいんです。身に危険が及ぶっていうなら、その人の安全確保が最優先されるはずでしょ?」 「…。」 「ほら黙った。それが気に食わないんです。」 妙な汗が井戸村の体からほとばしる。 「これが結果です。東一天下りを受け入れるっていうシャブ漬けになってしまった当院の末路です。」 井戸村が肩をがっくりと落とした。 「あーすっきりした。」 自販機で飲料を買う音 それを飲む 「さ、これで仕切り直し。部長、訳わかんねぇ組織から自分の身を守る的なことは自分らでなんとかしましょう。あんまり人を当てにしとったら足下すくわれます。」 「自分ら?」 「はい。」 「いいのか…俺も…。」 「光定先生の件も大変ですが、大変な事が同時に起こっとるんですよ。ここ昨日から。」 坊山はA4ペラを井戸村に見せる。 「おい。なんだこれは。」 「昨日から物忘れ外来の予約が激増しています。はっきり言って異常です。」 「は?なんで昨日から。」 「わかりません。今日も朝から問い合わせの電話が止まりません。」 「こんなもんウチだけで裁くのは無理だ。他のところ紹介しろ。」 「ところが他の病院の物忘れ外来も同様のようです。」 「なんだって…。」 その場にいた相馬の表情が険しくなった。 「なんか俺ピーンってきたんです。」 「何だ。」 「そこで昨日の話ですよ。」 「研究の詳細は私も知りません。国の威信がかかる重要な研究だとだけ私は聞かされています。もしもそれがそんなオカルト研究だとしたら、この国は滅ぶでしょうね。間違いなく。」108 「第2小早川研究所…。」 「ま、とにかく非常事態なんです。気に食わないっていってられんのですよ部長。」 「お…おう、そうだな。」 「なんで相馬さん、そこんところ酌んでください。」 「はい。わかりました。」 こんなところでぼやぼやしている暇はないと急かされ、井戸村は彼と共に自部署へ戻っていった。 「第2小早川研究所…。」 つぶやいた相馬はその場で立ち尽くした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 25 Jun 2022
- 153 - 139 第128話3-128.mp3 「お疲れ様です。」 「お疲れ様です。」 石川大学病院の当直室。 その部屋の前にある男に声をかける者があった。 「この部屋の中に対象がいる。」 「俺らはこの対象の身の安全を図る。で、いいですね。」 「定期的に中の様子を見てくれ。もしものこともあるから。」 「自死ですか。」 男は頷く。 「報告関係は富樫のオジキまで。」 「オジキですね。了解。」 男がこの場から姿を消したのを確認して、彼は両手にゴム手袋を装着した。 ノック音 返事が無い。 再度ノック 「光定先生。警察です。」 ドアが開かれる音 「交代でこれからしばらく先生の部屋にいます。何かあれば何なりと申し付けください。」 「…は…はい…。」 「いま一度部屋の中を調べたいのでご協力願います。」 彼はゴム手袋をはめている両手を光定に見せる。 「盗聴器とか付けられていないか一応確認せよとのことですので。」 「あ…はい…。」 部屋に入ると男は即座に鍵をかけた。 「え?」 消音化された銃弾は光定の腹部を穿ち、続いて彼の頭部を撃ち抜いた。 それは全く無駄のない流れるような出来事だった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「おかしい…出ない…。」 相馬は富樫に電話をかける。 「はい。」 「あ、富樫さん。おかしいんです。」 「何がおかしいんですか。」 「光定、電話に出ないんです。」 「え?相馬さんの電話にですか。」 「はい。何度かかけてるんですが。」 「わかりました。すぐに現場に確認します。」 「お願いします。」 電話をかける富樫 呼び出し音*1 「はい冴木。」 「対象と連絡が取れない。すぐに部屋の中を確認されたし。」 「了解。」 電話を通じて冴木側の音が聞こえる。 ドアをノックする音 光定の名前を呼ぶ声 現場の状況が手に取るようにわかった。 「応答ありません…。」 「中、見てくれ。」 「了解。」 失礼しますと言って冴木は扉を開いた。 「あっ。」 「どうした。」 「…。」 「どうしたんや。」 「…死んでます。」 「…は?」 「腹と頭を打ち抜かれています。」 「え!?」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー イヤホンを押さえていた指をスマホの画面に降ろした佐々木は、それを滑らせる。 「よくやった。」 「ブツは現場近くの便所のタンクの中です。」 「回収は任せろ。」 「お願いします。」 髪を掻き上げた佐々木はエンジンをかけ、車を走らせた。 呼び出し音 「どうした。」 「光定の件、完了しました。冴木が良い仕事をしました。」 「やはりその目に狂いはないな。」 「恐れ入ります。」 「で。」 「はい。専門官には捜一に手を回して頂いて、ブツの回収をお願いしたく。」 「造作もない。任せろ。」 「冴木にはマルトクの継続監視を命じます。」 「こちらも万全の体制で冴木をフォローする。」 「ありがとうございます。」 「ところで。」 「はい。」 「仁川は何か言っていたか。」 「勇介にひとことはありますか。」 「心配いりません。お任せください。」 「恐ろしい男よ。」 「はい。」 「ま、佐々木、おまえも同等に恐ろしいがな。」 「いえ彼が象だとすれば私はそこいらの犬ころです。」 「そこまでか。」 「はい。」 「…。」 「なので専門官。重々お気を付けください。」 「わかっている。」 「では、また報告いたします。」 「長いな…。」 「お待たせしました。なんですか。」 「大丈夫ですか。周り。」 「…大丈夫です。誰も居ません。」 「光定、完了しました。」 「完了…ですか?」 「はい。完了です。」 「…ということは専門官は…。」 「はい。紀伊主任。あなたの申し出を了承しました。」 「あ…あぁ…。」 「どうしました?」 「あ…あの方は…やはり…自分のことを…。」 「信頼なさってますよ。」 「ありがとうございます!」 「あのー感謝の意は私じゃなくて専門官にお願いします。」 「いや、あなたあってこそです!」 「あの、自分は組織の人間として当たり前のことをやっただけです。」 「いやそんなことはない。」 「おべっかはもう良いでしょう。」 「あなたには感謝しきれません。」 「ま、とにかくこれで仲間内の結束力は高まったわけです。紀伊主任、あなたはあなたの役割を特高内で果たしてください。」 「はい。」 「あなたのプロとしての仕事ぶり、期待してますよ。」 「あなたには感謝しきれません…ね。」 きびすを返した片倉はポケットをまさぐった。 あるはずのものが無い。 すれ違う職員のひとりに彼は声をかける。 「わりぃタバコ一本恵んでもらえる?」 「あ、はい…。」 「あなたには感謝しきれません。」 「へ?」 喫煙所への到着を待たずに、彼はそれに火を付けた。 「どうしたらあんなこと言われるようになるんかねぇ…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 11 Jun 2022
- 152 - 138 第127話3-127.mp3 「え?ノビチョク事件のホシ?」 「はい。」 「…名前は。」 「朝戸慶太。1977年東京生まれです。」 「なんで古田さんがそのホシを抑えてんですか。」 「わかりませんよ。とにかくマルトクには秘密にしてほしいって依頼なんです。」 神谷がタバコをくわえると、側に居た若い者がすかさず彼のそれに火を付けた。 「ふぅー…。で、野本さん。あなたの役回りは。」 「この朝戸慶太の身の回りを洗う。2日間で。」 「わかった。こっちでやりましょう。」 「助かります。」 「この件はこちらで預かります。報告の是非はこちらで判断します。」 電話を切った神谷はタバコの火を消した。 「おい一郎。」 「はい。」 スキンヘッドの顔に傷跡がある大男が返事をした。 「この男、江國に調べさせてくれ。写真はあとでおまえのほうに送る。」 「かしこまりました。」 「リミットは24時間。24時間であるだけのネタをこっちまで送ってくれ。」 一郎と呼ばれる大男は数名の手下を従えて部屋から出て行った。 「あれ?どうしたの。もう少し楽にしてよ。」 目の前の雨澤がずいぶんと小さくなっているのを神谷は指摘した。 「あ…自分、これが普通なんで。」 神谷と雨澤を取り囲むように先ほどの辰巳のような強面の男たちがずらりと立ち並んでいる。 そうここは仁熊会。 熊崎仁がこの部屋のかつての主だった場所だ。 「オヤジは長い間不在でね。その留守を俺が預かってるって感じなんだ。この事務所。」 「事務所…。」 「うん事務所。いいでしょ。和の雰囲気で。」 部屋の壁には日章旗が掲げられ、そのすぐ側に大きな神棚がある。 その対局には日本刀のようなものと、不惜身命の筆文字の軸があった。 「あ、はい…。」 ー何が和の雰囲気だよ、知らねーって…。誰が見ても伝統的なヤクザ事務所でしょー。勘弁してよー。オヤジって言ってるし…。オヤジってあれでしょ。組長でしょ。オヤジの長期不在ってあれでしょ。ムショってことでしょ。で、なに?あの日本刀で指詰めたりとかすんの?何なの神谷さんって…。さっき東京の江國に調べさせろって言ってたけど、あの江國ってウチの社長のこと言ってんの?まさかウチの会社ってここのフロント企業とか? 「多分、いま雨澤君が思ってること、半分は正解だよ。」 「へ?」 「とにかくここは今、俺が仕切ってる事務所なの。だからここの人材は君が好きに使って良いよ。」 「はい?」 「ほら見た目はこんなだけど、みんな結構良い奴なんだ。」 周りを囲む面々を見る。 掛け軸に不惜身命とあるが、それはただのスローガンではないことが彼らの面構えが示している。 いい人なのかもしれない。 人間根っからの悪人ってのはそうはいない。 だが彼らの圧は半端ない。 無理だ。この圧は気質で受けるプレッシャーとは異質のものだ。 死線を生きる連中しか耐えることが出来ないものだ。 「言っとくけど今はうちらのような商売は世間からの風当たりが強いわけ。だから気質の人に迷惑はかけることは絶対にない。もしもそんなことしたら一発で俺らみたいな生き物は食いっぱぐれる。だだから雨澤君。それは心配しないでくれる?」 「…じゃあちらの事務所はどんな事業を?」 「民間防衛会社。」 「?」 「ほら民間軍事会社って聞いたことある?」 「あぁなんかニュースとかで。」 「あれと似たような会社。ブラックウォーターとかワグネルとか有名だけど、そこみたいに傭兵みたいなことはやっていない。ウチは顧客からの依頼を受けて、情報を集めて悪い奴らが悪いことをできないようにしてる。」 「顧客って…。」 「いろいろ。守秘義務があるからね。」 「…。」 「ま、今の時代ドンパチするよりももっと効率的に抑止できる方法があるってこと。」 「カシラ…よその人間にすこし喋りすぎでは…。」 側に居たリーゼント頭の男が言葉を挟んだ。 「あん?」 「あ、いや、その…。」 神谷の凄みに彼はひるんだ。 「雨澤君はさ。死線をくぐってんだよ。」 「え?」 「あれは同業だ。」 「同業?」 「あぁ。同業を見抜いてさ、しかもそいつを巻いてさ。」 曽我のマンションでの一部始終を伝えると彼は雨澤に右手を差し出した。 「自分、卯辰と申します。生まれ持った危険察知能力が、雨澤さんあなたには備わっているようです。」 「…なんか、神谷さんにもそんなこと言われたような。」 「ほら雨澤君、握手握手。ハンドシェイクぜよ。」 神谷に促されて雨澤は彼と握手を交わした。 「神谷君。早速だけどさっきの江國社長からの仕事、この次郎と一緒に取り組んでくれない?」 雨澤は卯辰に連れられて仁熊会が入るこのビルの3階に移動した。 「ウチは民間防衛会社です。自分はその中で情報処理部隊を預かっています。」 こう言って卯辰は小さな部屋の扉を開いた。 「え?」 雨澤は驚いた。 扉の大きさに反して、広大な面積のフロアが目の前に飛び込んできた。 「このビルは仁熊会の持ち物です。3階のフロアはすべて私ら情報処理部隊に割り当てられています。」 広大なフロアであるが、すべてのデスクがパーティションで仕切られ、個人の様子が容易に見えないように工夫されている。 「アニキ。ご苦労様です。」 強面の職員が立ち上がって卯辰に挨拶した。 「おう。ごくろうさん。」 卯辰が歩いていることに気がついた職員は皆、立ち上がって彼に対して挨拶をする。 「この手の職場とは思えない雰囲気でしょう。」 「あ…まぁ…。」 「ま、みんな任侠の世界の出身ですからどうしても抜けないんですよ。」 「え、えぇ…。」 ガラス張りの個室に通された雨澤はそこで卯辰と改めて対面した。 「あらためまして私、仁熊会の情報処理部隊の責任者をやっています、卯辰と申します。」 名刺を受け取った雨澤はそれに目を落とす。 仁熊会 情報処理部長 卯辰次郎とある。 「さっきカシラの部屋にいた頭つるつるの一郎って奴覚えてます?」 「え、えぇ。」 ー覚えてるも何も一番凄み合った人じゃん。 「あいつ俺のアニキでして。」 「アニキ?」 「はい、実の兄なんです。」 「え?そうなんですか。」 「はい。見てくれが対照的なんで意外に思われるんですが、同じ卯辰なんですよ。名字が。なんでややっこしいんで、ここじゃ俺のこと次郎。んであっちのほうは一郎で呼んでください。」 「あ…はい…。」 強面つるっぱげ、長身の大男の一郎に対して、この次郎は髪はリーゼント、しかし背は低く腰も低い。漫画に出てくる対照的な設定の兄弟そのものだ。 「この会社のトップは神谷のカシラです。その下に一郎が統括する営業部。自分が統括する情報処理部があるって感じです。」 ーカシラ…やっぱり神谷さん若頭ってことですか…。 「で、雨澤さん。あなたは今からここのスタッフを自由に使って、江國社長からの仕事を出来る限り早く完了させるんです。」 ーよく考えたらなんか変だ…。俺は江國社長の会社の社員。神谷さんの言うことを聞けって社長に言われて、結局社長の仕事をさせられてる…。しかも地方のヤクザ事務所で…。何なんだこれ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 28 May 2022
- 151 - 137 第126話3-126.mp3 トイレに行くと言って席を立った古田は、奥にいるセバストポリの店主、野本と接触した。 「どういった男ですか。」 「最上さんのホシと目される男や。」 「えぇっ!」 「しーっ。」 普段感情を表に出さない野本であるが、この古田の発言には流石に驚かされた。 「ただ今はパクるタイミングじゃない。」 「逃亡の危険性は。」 「いろいろ話してみたところただの素人や。」 「素人がノビチョクなんて物騒なものを手に入れられるんですか。」 「そこが気になるところ。ほんで野上さん、あんたに頼みたい。」 「なんでしょう。」 「朝戸慶太。昨日東京からここ金沢に来た。奴の過去と交友関係を洗ってほしい。」 古田はメモを野本に手渡す。 「朝戸慶太ですね。わかりました。これ、特高の片倉さんの協力を仰いでもいいでしょうか。」 「特高か…。」 古田は難しそうな顔をした。 「なにか不具合でも?」 「時間の使い方は古田さんの勝手ですが、それにこちらを巻き込むようなことはお控えください。」117 「…いや、それはやめておけ。」 「ですが東京の人間を調べるには、現場、特高の力を借りるのが一番手っ取り早いですよ。」 「うーん…。」 「奴がホシだってのは、特高は知ってるんでしょう?」 「知らん。」 「あ…そういうことですか…。」 野本は古田が表に出せない動きをしているのを察した。 「しかしホシを前にして悠長なこともしてられませんし。」 「そこを元外事のあんたにお願いしたいんや。」 野本は頭を抱えた。 ー年々、古田さんの要求が無茶になってきてると思ってたけど、これはさすがに無理だぞ…。 ー俺一人の力であんな一般人のことをすぐに調べるなんてできっこない。 ー事態が事態だってのに、ここで特高の協力を仰がないなんて考えられんだろう。 ーまさか古田さん。功を焦っているとか? ーだとしたら不味い…。 「野本?」 「あ、はい。」 「頼めるか。」 「まぁやってみます。」 「どれくらいで調べられる。」 「2日ください。2日あればおおまかなことは調べられます。」 「さすが天才野本。」 「天才?」 「あぁあんたは天才や。」 「なんですかその小学生みたいな褒め言葉。」 「悪い気せんやろ。」 「まぁ。」 「あの朝戸、死んだ妹の墓参りがメインの訪問って事で昨日、金沢に来たらしい。」 「そういう設定なんですね。」 「そうや。その設定を忠実にこなしとる。」 「設定をこなす?というと…。」 「本当に妹の菩提を弔いに寺におった。ちなみにそこでワシはあいつと接触した。」 古田は野本に寺での一部始終、そして朝戸と同じ宿に泊まっていることを野本に説明した。 「なるほど…。妙なこともあるものですね。」 「おいや。」 「で、大丈夫なんですか。」 古田は自分の頭を指した。 「これか。」 「はい。倒れるほどの頭痛ってのはちょっと…。」 「ダメやと思う。」 「え?」 「ははっ冗談。多分疲れや。」 「…まぁそれならいいんですけど。」 「朝戸の細かい話はこれから聞き出して、あんたに送る。それを参考に調べのほう、すすめてくれんけ。」 「了解。」 朝戸の席に古田が戻ってきた。 「大丈夫ですか。トイレ結構時間かかってたんで、まさかまた倒れてるんじゃないかって思いましたよ。」 「いやーさっき倒れたのが良い方に作用したのか、こういったらなんですがびっくりするくらい出まして。」 「びっくりするくらい出た?」 「ええ。いままでたまっていたものが。」 「ははははは!」 声を上げて朝戸は笑った。 「なんかあるじゃないですか。ウォシュレットすると、その刺激でどれだけでも出てくるみたいな。」 「そんな話、初対面の人間にします!?」 朝戸は笑いをこらえるのに必死である。 「嫌いじゃない?この手の話。」 「いや…まさか…旅先でこんな…。」 「あ…。」 お互いが笑った。 「いやぁまぁそのそっち系の話なら自分もネタありますよ。」 「え?本当に?」 古田は喜々として朝戸の話を聞き出そうとした。 「お楽しみ中ごめんなさいね。」 野本がランチを持ってきた。 プレートの上には大きなチキンソテー。その横にポテトサラダと千切りキャベツが添えられている。 これらを白ご飯とコンソメスープでいただく食事だ。 「ご飯のおかわりは自由です。必要なら声かけてください。」 目の前に食事が出され、自分たちの会話がいかにこの場にふさわしくないか、それを肌で感じた二人は静かにそれを食べ始めた。 「うっ…。」 突然古田の動きを止め、俯いたため朝戸は箸を止めた。 「え?藤木さん?」 「…。」 「ちょ…。」 「うまい。」 「え…。」 「やっぱうまいなぁ。」 「何その古典的なやつ…。」 「いやぁ朝戸さん。自分、ここのご飯の炊き具合が本当に好きなんですよ。ちょっと硬めで粒がひとつひとつてて立ってて、かといって、水分をしっかり含んでてもちっとして。」 「はぁ。」 「で、この米とおかずがバッチシ合う。何杯でもいける。」 「確かに。」 「どんなにおかずがうまくっても、主食が残念だと台無しになっちゃうじゃないですか。でもここのご飯は裏切らない。今日はチキンソテーですが、多分ハンバーグでも鯖の塩焼きでも刺身でもから揚げでもなんでもいける。」 「そうですね。ってかご飯だけでいけますよ。」 「そうでしょう。」 「実は昨日の夜、駅の回転寿司に行ってみたんです。」 「はい。」 「確かにおいしいんです。東京の回転寿司と比べて別物です。」 「ですよね。」 「でもいまの藤木さんの話を聞いて思いました。ネタの良さもそうなんですが多分米とか、水とか全部の平均値が高いんですよね、ここの食事は。」 「あーそれあるかも。」 「本当にうまいものって結局のところ東京に集まると思うんです。」 「うん。」 「だけどそれを味わえるのは、あそこでそれなりの地位や経済力を得た一握りの人間。彼らはその本当にうまいものを知ってる。でも僕ら庶民はそれをしらない。一方、ここ金沢では東京でしか味わえない本当にうまいものほとんどの人は知らないけど、大多数がレベルの高い食事を常日頃から摂取してる。食の平均点が高いんでしょうね。」 「あーそうかも。仮に東京は基礎点数が50点のところ。一部のひとが100点をたたき出して平均を伸ばしている。」 「はい。」 「一方、ここの人は基礎点数がすでに70点あるって感じですね。」 「そうそう。」 「なるほど、面白い考察ですね朝戸さん。」 「いまの世の中と同じですよ。」 ー来たか…。 「と言いますと?」 「ごめんなさい。これ以上はせっかくの食事を台無しにしてしまう。」 「妹は事故で死んだんじゃない。殺された。」 「警察のお偉いさんの息子がひき殺した。証拠は持ってる。誰なのかも特定している。警察に直談判したけど取り合ってくれなかった。」 「法的措置も検討したけど時間がかかる。だから別のアプローチを考えている。」125 ーまぁあの住職の話が本当やとすると飯は不味くなるわな。 ーしかしここで会話を途切れさせるのもよくないし…。 ーあれ?ちょっと待て…。 朝戸が食事を続ける中、古田は箸を止める。 ーあれ…?さっきの住職の話…ワシ、なんか昔聞いたことあるような気がするんやが…。 「妹は事故で死んだんじゃない。殺された。」 「警察のお偉いさんの息子がひき殺した。証拠は持ってる。誰なのかも特定している。警察に直談判したけど取り合ってくれなかった。」 「法的措置も検討したけど時間がかかる。だから別のアプローチを考えている。」125 ー事故じゃなくて殺された。 ー事件として明るみになっていない…。 ー証拠はあるし、誰が犯人なのかも特定済み。 ー法の裁きでは時間がかかる。 ーだから別の方法で…。 古田は目を瞑った。 聞いたことがある。 そう。直接自分に誰かが同じようなことを言っていた。 「一色…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 14 May 2022
- 150 - 136 第125話3-125.mp3 「どうされました?」 背後から声をかけられた古田は振り返った。 黒衣をまとった住職らしき男性が立っていた。 「あ、どうも。」 古田は彼に向かって頭を下げる。 「あたながご覧になっていたこの銀杏の木は、藩政期に植えられたものと言われています。」 住職は銀杏の巨木を仰ぎ見る。 「はぁー…んでこんなに大きいんですな。この辺りを歩いとってら、ずいぶん立派な木があるなって思って、ついふらっと境内の中に入り込んでしましました。」 「あぁいいんですよ。どなたでも自由にお参りいただければいいんです。ご縁ですから。」 「あ、はい…。」 「どちらから?」 「駅の方からです。地元の人間です。」 「あぁそうなんですか。」 「仕事もリタイヤして、地元のことをちょっと見つめ直してみようかとこの通りをぶらぶらしとるんです。」 「どうです?」 「近すぎて当たり前すぎて何が良いのかわからんかった地元の景色。あらためてそれと向き合うとその良さを感じることができます。」 「それは結構なことです。」 銀杏の巨木の下にある木製のベンチに住職はよっこらしょっと言って腰をかけた。 「私のような人、結構いらっしゃるでしょう。」 「まぁポツポツですかね。なにせ観光地からはすこし離れてますから。」 「たしか私の先にも若い男性がこちらに入ったような気がしたんですが。」 「あぁあの方はお墓参りです。」 「お墓参り?」 「えぇ。奥に墓地があります。そちらでお参りされています。」 「あ…そうですか…。」 「気の毒な方なんです。」 「…と言いますと。」 「5年か6年前ですかね。あの人、妹さんを事故で亡くしてましてね。」 「それは気の毒に。」 「ちょっとこちらの方に来る用事があったようで、ついでにお参りに来られたようです。」 聞きもしない朝戸の身の上話をスラスラと話す住職に古田は違和感を感じた。 「そうですか…。」 「その妹さんの三回忌の法要をここで執り行ったとき、ちょっとけったいなことをあの人言ってましてね。」 「けったいなこと?」 「ええ。」 「それは?」 「妹は事故で死んだんじゃない。殺された。」 「殺された!?」 住職はうなずく。 「どういうことです。」 「警察のお偉いさんの息子がひき殺した。証拠は持ってる。誰なのかも特定している。警察に直談判したけど取り合ってくれなかった。」 「で?」 「法的措置も検討したけど時間がかかる。だから別のアプローチを考えている。」 「別のアプローチとは?」」 「それはわかりません。」 こう言うと住職は立ち上がった。 「なんのご縁でしょうか…。」 「?」 「警察関係者がここで彼の前に現れるとは。」 「え?」 「とぼけなくてもいいですよ。」 「え…何のことですか。」 「警察を敵視している者の前にその対象がひょっこり出現。なんまんだぶなんまんだぶ…。」 こう念仏を唱えながら、住職は庫裏の方へ姿を消した。 「なんでワシのことを見抜いた…。」 古田は思わず本堂を見た。 「御仏が引き合わせた…か…。」 砂利の音 墓地の方から砂利の音が聞こえたため、古田は身構えた。 ー妹の事故死。警察に対する怨恨。法的措置では時間がかかるから別のアプローチ。そして最上さんの仇であるとの情報。 ーまさかその警察のお偉方が最上さんやったと? ーほやけどなんでほんなノビチョクなんてややっこしいもんを使った…いや、使えたんや…。 ーノビチョクなんて化学兵器、ツヴァイスタン経由でしか手に入らんぞ…。 ー一個人が仇討ちに使うには入手も困難やし、なにせ回りくどすぎる。 砂利の音はもうすぐそこだ。 ーとにかく目の前に重要参考人がおる。 ーどうする…ワシ…。 うつむき加減の朝戸が現れた。 ー朝戸慶太…。 古田の視線に気がついたのか、彼はこちらのほうをチラリと見た。 頭痛音 突如、古田の側頭部に痛みが走る。 「あイタ…タタ…。」 目の前がブラックアウトした古田はよろめき、その場で膝をついた。 と同時に誰かに身体を支えられたようだ。 「大丈夫ですか。」 「あ…大丈夫大丈夫…。」 すぐに回復した視界に飛び込んできたのは朝戸だった。 「あ…。」 「救急車呼びましょうか。」 「あ…いえ…。」 朝戸が自分の顔をのぞき込んでいる。 ようやく状況をつかんだ古田はとっさに立ち上がった。 「申し訳ありません。」 「なんで謝るんですか。」 「申し訳ない、ご迷惑をおかけしました。」 「いや、本当に大丈夫ですか。」 「はい大丈夫です。」 と言いながら若干足下がふらつく様子を見逃さなかった朝戸は心配そうに古田を見る。 「あー血圧がね、ちょっとあれでして、稀にあるんです。」 「だったら尚のこと心配です。すこし休憩された方が。」 「いえ本当に大丈夫…。」 古田の視界はぼやけ、またも黒く閉ざされてしまった。 目覚めの音 「はっ!」 天井が自分の目の前にあることから、自分が仰向けになっていることが瞬時にわかった。 身を起こすとそこは6畳の和室だった。 どこだここはと思った瞬間、部屋の引き戸が開かれた。 「あぁ目が覚めたみたいですね。」 「ここは…。」 「ここはあなたの部屋ですよ。」 「ワシの部屋?」 「はい。」 「え?どういうこと?」 「あれ?覚えていない?」 古田は目をつぶって記憶を呼び起こす。 そうだ。朝戸を追って寺に行った。 いやその前に朝戸が滞在する宿に部屋をとった。 …そうだここはその自分の部屋だ。 記憶が断片的で、時系列的にそれを呼び起こすことができないでいる自分に気がついた。 「藤木さんとおっしゃるんですね。」 「あ?」 「宿のオーナーから教えてもらいました。自分、朝戸って言います。」 「あ、はい。」 「急にいびきかいて寝ちゃうんだから、こっちもびっくりしましたよ。」 「え?」 「救急車呼んだんですが、寝てるみたいだから、どこかで寝かせればしばらくしたら起きるだろうって言われてタクシーで自分の泊まる宿まで運んだんです。そしたらまさかまさかであなたもここのお客さんだったって。」 「あ…。」 「オーナーに聞きました。仕事でここに滞在するとか。」 「はい…。」 「働きすぎなんじゃないですか。」 「…よく言われます。」 「ま、無事目が覚めてよかった。」 「ありがとうございます。本当にご迷惑をおかけしました。」 朝戸はミネラルウォーターのペットボトルを古田の前に差し出した。 「ここのオーナーさんからです。」 「あぁ、何から何までお気遣いいただいて…。」 「じゃあ自分は部屋に戻りますんで。」 引き戸に手をかけた朝戸に古田は声をかけた。 「あの。お礼と言ってはなんですが、お食事でもいかがでしょうか。」 「いやそこまでのことはしていませんよ。」 「いやいや、ご迷惑をおかけして何もしないなんていけません。」 「んー…。」 「付き合いのある喫茶店が郊外にあるんです。よかったらそこで昼飯なんか。」 70過ぎた老人が43の自分に頭を下げてお願いをしている。 「喫茶店…いいですね。」 「ありがとうございます。」 「お願いします。ちょうど私も金沢グルメ巡りに疲れていたところだったので。」 「ちょっと待ってください。すぐに予約とります。」 電話呼び出し音 「もしもし。」 「あぁ古田さん。お久しぶりです。」 「藤木ですけどランチあいてる?」 「…藤木さんですか。」 「大丈夫?」 「了解。」 「じゃあしばらくしたら行きます。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 30 Apr 2022
- 149 - 135 第124話3-124.mp3 金沢郊外のパチンコ店。 駐車場に車を止めていた佐々木の胸元が震えた。 「…はい。」 「光定を消してください。」 「…。」 「至急でお願いします。」 「何があったんですか。」 「奴が転びました。」 「奴?」 「光定です。」 「石大のセンセですか。」 「はい。」 「転んだ…。」 「そうです。」 「じゃああの研究はどうするんですか。」 「知りません。もうそんなことは言ってられません。」 「いけません。」 「…。」 「いままでどれだけの労力と時間、予算をかけあの研究をしてきたとお思いなんですか。」 「んな事言ってられます!?当の研究員が転んだんですよ。」 「天宮憲行をはじめ鍋島研究に携わる人間が皆殺され、生き残るものは光定公信ただ一人。その光定公信は未だ我々の手中にあります。現在のところ奴らには鍋島能力を手に入れられる可能性が見いだせない。」 「うむ。」 「となれば、鍋島能力、それ自体を消滅させるという方法もあるのでは。」 「能力の存在そのものを消し去る?」」 「はい。鍋島能力に関係するすべてのモノを潰すんです。」116 「専門官は承知してらっしゃるのですか。」 「…。」 「やっぱり…。」 「もうだめだ…。」 「光定を消すというのは紀伊主任の発案ですか。」 「…。」 紀伊の無言はすべてを語っていた。 「仲間割れですか?」 「そうなりたくない。そのための措置です。」 「とにかく専門官の了解を得てないことを、自分がやるなんてできません。」 「鍋島能力については、空閑がそれを継承したと思われます。」 「空閑が継承?」 「はい。」 「え?」 「今回の光定切りはその空閑からの発案です。」 「主任は空閑が継承したといえるなにかをご覧になったのですか。」 「この目では見ていません。ですが効果はすでに。」 紀伊はちゃんフリ記者の三波に対する空閑の措置を彼に説明した。 「弱いですね。」 「弱い?」 「空閑からのものだけがソースだと弱いです。椎名も同意見だって言うのも空閑伝えなんでしょう。」 「…。」 「裏とらないと。」 「正直自分、身動きがとれないんです。」 「どうして。」 「特高班長の目が光ってて…。」 「特高班長…。」 「はい。」 「気づかれた?」 「おそらく。」 佐々木は手のひらで自分の頬をなでる。 「それなら主任の焦りっぷりも納得できますね。」 紀伊は沈黙する。佐々木は頬をなでながらひたすらに考えを巡らせる。 1分ほどの沈黙が流れた末、佐々木は口を開いた。 「自分が裏とりましょう。」 「え?」 「ちょうど確かめたいことがあったんですよ。椎名について。」 「椎名だって?空閑じゃなくって?」 「ええ。」 「警部いいんですか。椎名は専門官の強力なエスですよ。」 「大丈夫です。裏をとるだけです。専門官にはこのことは内緒にしておいてください。」 「…はい。」 「裏がとれ次第、専門官の指示を仰ぎます。それまでは紀伊主任、あなたは早まったことはしないように。」 「しかし時間が…。」 「光定が本当に転んどるんでしたら、今手を打つのも明日手を打つのも、結果はそう変わりませんよ。」 「…本当に大丈夫ですか。」 「紀伊主任。何を言いたいんでしょうか。」 「アルミヤプラボスディアです。」 「アルミヤプラボスディア…。」 「別に確証も何もありません。ですが曽我殺しの件、手際の良さからその線もあるかと。」 「…。」 「捜査一課もアルミヤプラボスディアの線を捨てきっていない。」 「だからなんなんでしょうか。」 「アルミヤプラボスディアはロシア系の民間軍事会社。ツヴァイスタン人民軍と深いパイプがあると聞いています。」 「…。」 「人民軍と言えばその対局にあるのがオフラーナ。」 「何を言いたいんでしょうか。」 「我々と対峙するために現れた…とか…。」 「だとしら?」 「光定がアルミヤプラボスディアの手に渡るとか。」 「奴らの手に渡らせる前に消す、ですか。」 「はい。」 佐々木は髪を掻き上げた。 「光定公信という存在を消し去る。そうすることで鍋島能力も未完のままこの世から消えたかに見せかける。しかし能力は空閑に継承されており、まだ研究の継続は可能である。ってな感じでしょうか。」 「はい。」 「一理あります。」 「では…。」 「ですが自分はそうは考えません。先ほども主任に言ったように。空閑が本当にそれを継承したかどうかの確認が取れていません。仮に空閑が継承できていなかったら、それこそアルミヤプラボスディアの思うつぼ。我々は長年管理育成してきた鍋島能力を自分の手で消し去ることになってしまいます。」 「あ…。」 「ですのでいずれにせよ確認は必要です。私が椎名に確認をとります。空閑に聞いたところであなたと同じ対応をされるでしょうから。」 「…わかりました。」 「ただ急を要するのは理解しています。できるだけ速やかに確認をとり、私の方で対応します。」 「警部自らが対応されるのですか。」 「専門官の了解が得られれば。」 「感謝いたします。」 「いえ。なので紀伊主任はそのまま特高としての任務を遂行してください。そして片倉につけいる隙を見せないように振る舞ってください。」 「わかりました。」 「私から専門官にあなたの状況を報告しておきますので。」 「助かります。」 「では。」 電話を切る音 「ふぅ…。」 電話をかけ直す音 「なんだ。」 「紀伊はもうダメです。」 「なぜ。」 「片倉に勘づかれているようです。」 「やはり。」 「今の奴はただ泳がされているのではと。」 「わかった。こちらで対応する。」 「紀伊もアルミヤプラボスディアを疑っていたのですが。」 「…いい勘持ってんだけどな、あいつ。」 「はい。ですがそれとこれとは別です。」 「そうだな。」 「さらにチェス組は仲間割れを起こしています。」 「仲間割れ?」 「はい。」 「どのように?」 「光定を消すよう空閑が紀伊に命じました。」 「は?なんで?」 「転んだようです。光定。」 「光定が転んだ?」 「はい。マルトクに。」 「マルトクに?」 「はい。そのため一刻も早く粛正が必要であると。」 「仁川がいるだろう。仁川が止めるはずだ。」 「それがその仁川が空閑の背中を押したようです。」 「なんだって?」 「なのでそれを仁川本人に確認をとります。真意は何なのかと。」 「まて警部。」 「待てとは?」 「仁川は思慮深い男だ。奴はきっと何らかの考えがあって光定粛正にGoを出しているはず。」 「紀伊曰く、空閑は鍋島能力を継承したと。」 「空閑が能力を継承した?」 「はい。」 「それを受けて仁川がGoを出した的なことを言っていました。」 「それは本当なのか。」 「それも含めて仁川に確認をとろうかと。」 「どうやって。」 「高橋勇介の名前をちらつかせれば食いつくでしょう。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 内線電話が鳴る音 「椎名ー電話出てー。」 「あ、はい。」 受話器とる 「はい。」 「椎名さんに外線で高橋さんって方から電話入ってます。」 「どこの高橋さんですか。」 「ちゃんフリの方の紹介でとおっしゃっています。」 「ちゃんフリ…ですか…。」 ボタンを押す音 「お電話変わりました、椎名です。」 「高橋勇介です。」 「あー高橋さんですか、その節はどうも。」 「すぐ終わります。」 「はい。」 「空閑は本当に鍋島能力を継承したんですか。」 「ええ。」 「証拠はありますか。」 「いいえ。」 「でも継承していると?」 「はい。」 「あなたなりのなんらかの根拠があっての判断ですか。」 「あーそれですか、それはすいませんクリエイティブのことは理屈で説明できることばっかりじゃないんですよ。それに関しては感覚的なもんです。」 「空閑の言っていることは確からしいと?」 「うーんそうですねぇ。」 「継承者がいるなら彼をして研究を続ければいい。だから転んだ光定は消した方が良い。」 「えぇおっしゃるとおりです。」 「深謀遠慮の仁川さんにしては随分と短絡的に見えますが。」 「いやいやいや、高橋さんのことを思ってのことですよ。」 「勇介にひとことはありますか。」 「心配いりません。お任せください。」 電話切る 「お客さん?」 「あ、えぇちゃんフリの方からの紹介してもらってた方です。以前提出したデザイン案について確認したいことがあるって電話です。」 「え?新規先?」 「はい。」 「なんか脈ありそうな感じだったけど…。期待してもいいかな?」 「これは良いと思いますよ。」 「いつぐらいに動きそう?」 「そうですね…多分今週末には…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 16 Apr 2022
- 148 - 134 第123話3-123.mp3 「なに?駅に現れた?」 「はい。古田さんから電話があってすぐです。」 「で。」 「山県の店の様子を覗ってたんですが、対象が休みだとわかったんでしょう。すぐに引き返しました。」 「どこに向かった。」 「武蔵が辻の方に歩いて行きました。」 「歩いて…。」 「アシないんでしょうか。」 「かもな。」 「付けますか。今ならまだ間に合うかと。」 「時間の使い方は古田さんの勝手ですが、それにこちらを巻き込むようなことはお控えください。」117 「いや、いい。」 「わかりました。」 電話を切った古田はたばこの火を消し、宿がある東山から武蔵が辻の方面に向かって歩き出した。 向かって右側に先ほど婦人が言っていた、ロシア系の人間が多数宿泊するアパートがある。 築50年のプレハブアパート。見た目こそ昭和感満載のアパートであるが、手入れは行き届いているようだ。 たしかに物音ひとつ聞こえない。 外国人が大勢住んでいるのに、話し声のひとつの聞こえない。 ーあれか…リノベーションとかして防音関係もがっつり対策しとるんかな…。 アパートと反対側には民家が建ち並んでいる。 これらの戸建ても築40年から50年程度と古いものが多い。 こちらからはテレビの音が聞こえたり、お茶の間で話す声が聞こえる。 ずいぶん大声で独り言を言ってるなと思ってふとそちらを見ると、窓の隙間から電話をしている老人が見えたりもする。 日中に生活音がよく聞こえる。 そうこの辺りは高齢者が多いのだ。 アパートの扉が開いた。 出てきた白人男性と目が合った。 TシャツにGパン。スマートフォンを手にしている。 彼の厚い胸板、太い腕周りを見た古田は、素直に屈強な体つきが魅力的だと思った。 その魅力的な白人男性がこちらに向かって気さくにも軽く手を振る。 思わず古田は照れのためペコリと頭を下げた。 男性はにこりと笑って大通りの方に歩いて行った。 「ああいう人がちらほら住み着くのはわかる。けど大挙してやろ…。」 古田は足を止め街の様子を眺めた。 「異質さしか感じんわ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 金沢駅を出た朝戸は別院通りを歩いていた。 この通りには飲食店が多い。 開店前の準備だろうか。それらの前に業務用の車両が横付けし、何かを運んでいる姿が散見された。 「じゃあな。」 店の中から現れた髭面の白人男性がバンの助手席に乗り込む。 続いて運転席に中東系の若者が座り、エンジンをかけその場から走り去っていった。 ふと店を見ると、そこにはボストークと刻まれた看板があった。 「ボストーク…ロシア語かなんかかね…。」 店を横目に朝戸はそのまま進んだ。 「にしても以外と外人多いんだな、ここ。駅の方も外人ばっかだし宿のほうもそうだし…。」 「駅の門は俺的にはいただけねぇけど、街としては古いものと新しいもの、日本風のもの外国のもの、決行良い具合に混ざってて悪くない。」 「それでいて良い感じで人が少ないんだよ。それが良い。ただザ・観光地はダメだ。風情がない。そういう意味ではビショップの宿のチョイスは絶妙だ。」 「あイタ…。」 朝戸は足を止めた。 「俺、何しに金沢に来てたんだっけ…。」 周囲を見渡す。 飲食店が多いと思われていた通りは過ぎていた。 目の前に大きな寺院建築がある。 「あ…そうだった…。」 足を止めた彼は寺院の名前を携帯で検索した。 画面の地図上にピンのような目印が表示される。 「なんだ、宿のすぐ近くじゃないか。」 両手をポケットの中につっこんだ朝戸は、そのままうつむき加減に東山方面へと向かった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 小橋の真ん中に立ち、浅野川の上流を眺める古田はつぶやいた。 「しっかし、こんなところちゃんと歩くのも初めてかもしれんな…。」 この橋から上流を望むと川は左側に湾曲しており、その向こう側の右の川沿いに主計町がある。 主計町は明治期から昭和初期にかけて栄えた茶屋町。 その情緒ある町に向かって川沿いを散策できるよう、このあたりは整備されていた。 「灯台もと暗し。こうやって改めて来るといいとこやがいや。」 視線を下にやると可動堰がある。 水の音、時折聞こえる鳥の声。すぐそこを通る自動車の音。 これらの音が街全体の静寂さを逆に際立たせる。 川に沿って立ち並ぶ古めかしい家々がなんともいえない郷愁を感じさせた。 「当たり前の景色やけど、こうやってちゃんと向き合うと何とも言えん、いい感じなもんやな。」 こう言って古田は彦三方面に向かって歩き出した。 前述の川上流の主計町やひがし茶屋街は観光客がひしめき合っているが、ここまで降りてくるとその数はまばらとなる。 すれ違う者もこの付近に住まう者ばかりといった感じだ。 「うん?」 周囲を見回しながら向こう側からひとりの男がやってくる。 観光客か。 そう思った瞬間、古田は自分に電流が流れる感覚を覚えた。 ー朝戸…。 スマホを片手に何かを探すように歩く彼を一旦やり過ごした古田は、しばらくしてその後をつけ始めた。 ーあいつがノビチョク事件の実行犯…。 ーそんな大それた犯行をして、逃亡先の金沢で観光やと…。 ーサイコパスとかじゃないかいや…。 「この朝戸が一昨日から山県久美子の様子を覗いている。」121 ーほんでなんでこいつが山県久美子を…。 ー山県とどういった接点があるっていうんや…。 ーいや待て、サイコパスとかやったらんなもんワシの想像やとどうにもならんがいや…。 朝戸が古田の尾行に気づく様子はない。 しばらく進んで朝戸は足を止めた。 ーなんや? 彼の視線の先を追うとそこには一軒の寺があった。 ー寺?は? 気づくと朝戸はその境内に吸い込まれていった。 「ちょ…。」 自分の想像を裏切る彼の行動に古田は歯ぎしりした。 「えーま…。」 彼もまたその寺の中に吸い込まれていった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 02 Apr 2022
- 147 - 133 第122話3-122.mp3 「まいど。」ドア閉まる音タクシー走り出す金沢の観光PR映像の中に必ず入り込む風景がある。格子と石畳が続くひがし茶屋の町並みだ。古田が降り立ったのは、そのひがし茶屋街から少し離れた昭和の風情が色濃く残った住宅地。そこにある築40年程度のプレハブ住宅を今風に改造した民泊施設があった。「お姉さん。」買い物帰りと思われる婦人が通りを歩いていたので、古田は彼女に声をかけた。「なんけ?」「いやぁ久しぶりにここらへん来てんけど、こんな宿みたいなの昔あったけ?」「あーあれね。あれ最近流行りの民泊やわいね。ここらへん結構あの手のやつあるげんよ。」「あ、ほうなんけ。」「え?あんたどんだけぶりなんけ。」「ほうやねぇ10年ぶりくらいかぁ。」「ここらへんに住んどったん?」「あ、いや、住まいは駅の近くねんわ。」「あれまぁ、いま一番キラキラしとるところやがいね。」「おいね久しぶりに帰ってきたえらいことになっとるんやね。ほんでどれどれって感じで、観光気分でここらへん歩いてみたって感じねんわ。」「まぁ喋り聞いたら完全に地元の人やもんね。」「ほっけ。」「ほうやわいね。」「…やっぱ、この手の宿って観光客ばっかなんけ、利用者。」「基本的にはね。」「え?基本的?」「そう。」婦人は古田が指していた宿とは違うアパートを指した。「あんまり大きな声出せんげんけど、あそこの民泊はちょっと違うみたい。」「まぁアパートやしね。」「いやそういうことじゃなくて。」「ちょっと違う?」「なんか外人多いげんわ、あそこ。」「外人?」「うん。」「あーまぁなんか意外と金沢、外人にも人気やって聞くさかいね。ってやっぱり観光やがいね。」「いやそういう意味じゃなくて。」「どういう意味?」「なんていうか最近ロシア語みたいな言葉話す外人がバタバタって泊まるようになって、ずーっとその人ら泊まっとれん。」「え?なに?ビジネスかなんかけ?」「いや、別にこのあたりでそれらしい仕事があるって話も聞いたことないげん。ほやからなんか気持ち悪いねって近所でもちょっとした話になっとれん。」「えーっと、そっち系の人らって金沢によけ居ったけ?」「居らんわいね。どっちかって言うと富山の方は中古車の買い付けとかで結構居るイメージあってんけど…。」ーロシア系の人間が急に大勢利用するようになった民泊…。なんか気になるな…。「正直、不安ねんわ。」「なんか面倒なこととか?」「いやーなんて言うんやろ。別に騒いでうるさいとか、道路を汚すとかそんなんないげんけど、ほら見慣れんヒトらやがいね。そんなヒトらが急に増えて、静かーにしとるって結構気味悪くない?」「そんなに静かなん?」「うん。」「ほうか…。」礼を言って古田は婦人と別れた。ー静かなロシア系…。きな臭いな…。携帯を手にした古田は履歴を見る。「時間の使い方は古田さんの勝手ですが、それにこちらを巻き込むようなことはお控えください。」117発信ボタンを押すのを古田は思いとどまった。「今はそっちに構っとる暇なんかない。」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー玄関扉を開く音「ごめんください。」しばらくして奥から男が現れた。「いらっしゃいませ。」「予約も何もしていないんですけど、今日泊まれますか?」「あ、えぇ…少々お待ち下さい…。」男はパソコンの画面を覗き込んで部屋の状況を確認する。「えーっと…そうですね…。ただの六畳間でよければ空いてます。部屋には押入れと布団しかありませんが。」「おいくらですか。」「一泊朝食付きで4,500円です。」「え?」「なんです?」「あ、いや…びっくりするくらい安いなって…。」「ありがとうございます。でも本当に最低限の設備しかありません。ちなみに風呂はありません。近所の銭湯を使ってください。」狭い階段を登ってすぐに3部屋がある。うち2部屋はドアノブがついた洋室と思われるもの。古田が案内されたのは入り口が引き戸になっている部屋だった。部屋の中は畳だけが敷かれており、ちゃぶ台のようなものもなにもなかった。「布団は押し入れに入っています。館内は禁煙ですのでタバコは外でお願いします。」「あ、はい…。」「お客様はこちらにはお仕事か何かで?」「え?」「荷物らしいものも何もお持ちでないですから。」「あぁいや、荷物類は近くの事務所に置いてあるんです。」「事務所?」「えぇ…こう見えて私、写真を生業にしてましてね。」古田はカメラバッグを男に見せる。「ちょっとこちらのスタジオで撮影の仕事がありまして、三脚などの大きな道具はそこに置かせてもらって、これだけ持ってるって具合です。」「へぇそうなんですか。」「予定していたモノが業者の不手際で届かなくって、それが届くまでわたしはここ金沢で足止めってわけです。」「それは災難でしたね。」「ま、これもいい機会なんで、金沢の下町風情漂うこの界隈を拠点にしばらく滞在してみようかと、こちらに転がり込んだ次第です。」ごゆっくり。こう言って男は部屋から姿を消した。「さてと…。」こう言うと古田は部屋の中をひと通りあらためた。照明フードの中、押し入れの奥、土壁、ふすま、障子。どこにも盗聴器や盗撮カメラの類はない。なくて当たり前なのだが、一応秘匿性の高い仕事をしている手前、万が一に備えてのことである。カメラバッグを担いで古田は一度宿の外に出た。タバコを吸う音「ふうーっ。」ー玄関の下駄箱はいっぱい…。朝戸は今、ここにおるんかねぇ…。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー開店前のボストーク。一台の大型業務用バンが店の前に横付けされ、荷物が中に運ばれていた。「Как долго я должен их хранить? カックどーロゴや ドルジェン いふラニチ こいつら、いつまで預かってればいいんだ?」「日本語で頼む。誰かに聞かれるとやっかいだ。」「あぁ…。」「金曜までだ。」「明後日か。」「5月1日金曜、開店前までの間、地下倉庫に隠しておいてくれ。」「わかった。」ボストークのマスターとカウンター越しに会話をするのは、ニットキャップを深くかぶり、メガネを掛けた髭面の白人男性のようだった。「ほらアイツいるだろう。」白人男性は顎で荷物を運ぶ男を指す。「あいつが当日の朝、何人か連れて別の車でここに来る。そこで再度これらを積み込む。」マスターは頷き、入れたコーヒーを男の前に差し出した。「どうしたんだその髭。」「付け髭さ。」「そんなことわかってる。」「東京で公安を巻いてきた。道中素のままの顔をさらけ出してるのも不用心だろ。」「いずれ割れる。」「わかってる。金曜まで時間が稼げればいい。」「どうした…意味深な言い方だな…。」「これで終わりだ。」「終わり?」「あぁ終わりだ。終わりの前に自由にさせてもらうよ。」「自由か…。」「そうだ自由だ。」「まさかお前からそんな言葉を聞くとは思わなかったよ。ヤドルチェンコ。」「まったくだ。」ニヤリと笑ったヤドルチェンコはコーヒーを飲む。そして携帯を操作し、表示された写真をマスターに見せる。「これは?」「ケイタアサト。ナイトと言われる男だ。」「ナイト…。」「キングから聞いたことあるだろう。」マスターは頷く。「こいつを明日までにここに誘導する。来たらこれを渡してくれ。」リモコンのようなようなものをカウンターの上に置き、ヤドルチェンコはコーヒーを飲み干した。「C4を使うのか…。」「あぁ。」「ナイトは経験者なのか。」「いやただの民間人だ。」「大丈夫なのか、それで。」「わからん。」「なんだそれは…。」「奴らが言ってる破滅ってのが本気なら、やれるだろうさ。」「試すのか。」「いいや。」「じゃあ…。」「信じてみるよ。」Sat, 19 Mar 2022
- 146 - 132 第121話3-121.mp3 交差点で信号待ちをする男の横に何者かが気配を消すように立った。 「よくやった。」 男は彼にそっと何かを手渡した。 「頼むぞ。」 受け取った彼はなんの返事もしない。 信号が青になると同時に二人は自然と距離をとり、別々の方に向かった。 「やっぱり内調だと、公安のグリップは効かせにくいって事かねぇ…。」 矢高の目の前に短く刈り込んだ髪型の老人が、背を丸める姿勢で歩いている。 姿勢は悪いが彼の足取りは確かだ。見た目とは違い、その体力は未だ衰えを見せていないといったところか。 ー古田登志夫…。齢70を過ぎて公安特課のハブ役を担うバケモノ。 矢高は自分の気配を消し、古田の後を追い始めた。 ースッポンのトシと言われたその執念の捜査姿勢。俺がいた能登署まで噂されてたよ。あれから何年だ…。あんたのような昔気質のサツカンってのはずいぶん減ったような気がする。 時折頭を指でかきながら、古田は大通りを進む。 ーこれも時代の要請…。でも俺はあんたのやり方は否定しない。空中戦だけじゃ絶対に相手を制圧できないからな。最終的には地上軍投入で押さえ込まないことには制圧できない。あんたのような存在は絶対的に必要だ。ただ…。 辻を曲がった古田は彼の前から姿を消した。 矢高はそのまままっすぐ進んで、古田が曲がった通りの方を横目で見た。 先ほど交差点で何かを手渡した男が古田と接触していた。 「あんたは年を取り過ぎた。」 ポケットからニットキャップを取り出した彼はそれを深くかむり、その場を後にした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 前方から歩いてくる男にただならぬ気配を感じた古田は立ち止まった。 「ナニモンや…。」 「古田登志夫だな。」 「…。何でワシの名前を…。」 「んな事はどうでもいい。俺はこれをあんたに渡しに来ただけ。」 男は数枚の写真を古田に手渡した。 「これは?」 「朝戸慶太。」 「朝戸?…こいつが何か。」 「こいつの背景をよく見てみろ。心当たりが無いか。」 「心当たり?」 老眼鏡を取り出した古田はそれをかけ、数枚の写真を見比べる。 瞬間、古田の顔から血の気が引いた。 「まさか…。」 「そうだ。山県の勤め先だよ。」 古田は数人の協力者をつかって、山県久美子の様子を監視している。 妙な男が山県をつけているという情報は彼のもとには入っていた。 だが身元までは割れていない。 なぜこの見ず知らずの男がそれを知っているのか。 「この朝戸が一昨日から山県久美子の様子を覗いている。」 「こいつが…。」 「知っていたか。」 「あぁ。」 流石と言って男は続ける。 「心配はない。部屋の中を覗くとか更衣室を覗くとかじゃない。ただ遠巻きに山県の様子を見ているだけ。」 「様子を見るだけ?」 「そうだ。自分から接触するようなことはない。距離を保っている。」 「…。」 「山県久美子の管理はあんたの大事な仕事だろ。気をつけるに越したことはない。」 「で、あんたは。」 「名乗るほどのものではない。」 「…。」 「この朝戸、一昨日に東京からこの金沢にやってきた。宿泊先は東山の宿だ。」 男はメモを古田に渡した。 「…あんた、どこのモンや。」 「…どこの人間だろうが、お前には有益な情報だろう。行動は起こしておいたほうがいいと思うぞ。」 こう言い残して男は古田の前から姿を消した。 折りたたまれていたメモ用紙を開いた瞬間、古田の背筋は凍りついた。 「最上の仇…やと…。」 「ノビチョク事件を受けてわかったことがある! 公安機能の強化として鳴り物入りで新設された公安特課の実力の無さが露呈してしまったことだ。 公安警察は犯罪を未然に防ぐのが指名。 予算措置も十分にされている組織であるにもかかわらず、破壊活動を許してしまった! 何という体たらく! 公安はこの失態をどう弁明するのだろうか!」 メモを握りしめた古田の耳に街頭演説の声が届いた。 「翻って自衛隊の実力は凄まじい! こちらは事件発生から1時間も経たずに現場の原状回復に着手。 神経剤による影響を取り除くことに成功した! また一時心肺停止に陥った被害者の一命を取り留めることにも成功した。 この点だけでも評価できるのに、あの実力組織は 原状回復時に周辺に混乱ももたらすことなく秩序を保っていた。 これは民間人に被害者を出してしまった公安特課の対応とは対象的である!」 声の出どころを見極めるために古田は大通りに出た。 旭日旗を持ち、亡国の安保政策を糾弾するという横断幕を掲げた5名程度の男たちが交差点に立っている。 街頭演説を耳にして足を止めるものは少なくない。 「立憲自由クラブ…。」 中のひとりが「5.2決起! 防衛軍創設を求める全国運動 於 金沢駅」のプラカードを持っていた。 「あぁワシや。対象の様子はどうや。…ほうか…今日は休みか。ほれなら自宅に張り付いてくれ。理由は聞くな。で、例の男が確認できたら、ワシに報告ほしい。」 電話を切った古田はすぐさま手元の写真を携帯で撮影し、電話の先の人物にそれを送った。 「選択と集中という言葉がある。 この言葉の通りに安全保障戦略を考えれば、我が国においては公安よりもやはり自衛隊の充実に力を入れるべきではないだろうか。 日本海側に最近続々と漂着をする不審船、現在全国で多発するテロと思える事件。 もう一刻の猶予もない! 即時防衛軍創設!これを政府に要求する全国同時運動を行う! きたる5月2日土曜!午前10時!同志諸君!金沢駅で集結しよう!」 弁士がひと通り演説を終えると聴衆から拍手が起こった。 「東山まで頼む。」 「あいよ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「椎名くん?」 「あっ…はい。」 怪訝な顔つきでこちらを見る課長がいた。 「手、止まってるよ。」 「あ…すいません…。」 「例の案件、どうせまだ先なんだからさ、目の前のそれ早く上げてくんない?」 「わかりました。」 「休憩はその後にしてよ。」 「すぐやります。」 「こっちは少ない人員でどう仕事さばくか、ギリギリの調整やってんだからさ。」 携帯通知音 「あ、嫁さんだ。」 課長は携帯を触りだした。 人に厳しく自分に甘い。この言葉をそのまま体現したような存在だ。 おそらくこの時この場にある者が皆、そう思ったことだろう。 椎名はフロア全体から立ち込める妖気のようなものを感じ取った。 「あーやっきねー。」 「どうしました。」 「宝くじ外れたってよ。」 「あー…。」 「あれぜってー当たんないようにできてんだよな。どうせ知った人間だけでアタリ回して、俺らみたいな下層民はカモ。ぜってーそうだよ。くそー。」 そうだと思うなら買わなければいい。この時この場にある者みながそう思った。 「くそー、なんか一発逆転できねーかな。あーむしゃくしゃするわー。んと思い通りにならねーよ。」 「課長溜まってますね。」 「おうよ。」 「課長に合うかどうかわ分かんないですけど、5月2日に金沢駅でなんか面白いイベントがあるらしいですよ。」 「5月2日?」 「はい今週の土曜日です。」 「なにあるの?」 「何があるのか詳しくは知りません。人づてに聞いただけなんで。なんかゲリライベント的なもんらしいです。」 「へぇ…。」 「ただその前日の夜に予行演習的なものをするらしいんですよ。なんで興味あったらそこにふらっと様子を見に行くってのもいいかも。」 「ネットに情報上がってないの?」 「今のところはまだ。」 「ふうん。」 「第一いまの段階で誰がどんな事するのかわかってたらゲリラでもなんでもありませんよ。」 「たしかにそうだね。」 「こう…溜まったものを発散するのって、正直トシ取ったらなかなかできませんからねぇ。」 「そうなのよ。それに何をするにしても金がかかっちゃうのよ。」 「あーわかる。でもそのイベント、タダらしいっすよ。」 「あぁそう。それはいいねぇ。」 「リハ見てないわーって思ったら、スルーでいいんじゃないですか?自分はそうしようと思います。」 「あ、椎名くんも行くの?」 「えぇ。」 「溜まってんだねぇ君も。」 誰のせいだよとこの時この場にある者みながそう思ったのは言うまでもない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等はTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 05 Mar 2022
- 145 - 131 第120話3-120.mp3 「おはようさん。」 この軽い挨拶に特高部屋内のスタッフ全員が立ち上がって応えた。 「おはようございます。」 自分の席に着くと同時に、主任である紀伊が側にやってきた。 「片倉班長。」 「なんや。」 「ヤドルチェンコ、ロストしました。」 「は?」 「申し訳ございません。」 「え?なに?また?」 「はい…。」 「え?張りついとってんろ。」 「はい。」 「それがなんで?」 「例のマンションに帰ったのを最後に、行方をくらましました。」 「マンションに帰ったんに行方不明?」 「はい。」 「んなだらなことあっかいや。」 片倉の言葉遣いに苛立ちが見える。 「管理会社の協力の下、部屋の立ち入りをしました。しかし、奴の姿を確認できませんでした。」 「…。」 「班長?」 「ってことはあの会社もグルか…。」 片倉は立ち上がった。 「やってくれたなぁ…。」 「え?しかしこのマンションの管理会社はヤドルチェンコとは何の関係もないことは確認済みですが。」 「どこでどうあいつらと繋がっとるか…んなもん結局の所わからんやろ。」 「は、はぁ…。」 「なんか気になるところなかったか。部屋ン中。」 「いえ、ピンク系のフィギュアとかコンテンツが大事にしまってある以外は特に。」 肩を落とした片倉は力なく席に座る。 「はぁー…かつてはロシアの情報部で腕を鳴らした強者が、いまは雑貨商という仮面をかぶったただのピンクの横流し。がっくりやな。」 「…そう見せて実は…ってのがヤドルチェンコの本来の姿なんでしょうが…。」 「…案外それ、ただの思いこみなんかもしれんぞ。」 「と言いますと?」 「俺らはロシア情報部、ウ・ダバの教育係、世界を股にかけたテロ組織の指南役ってタグに引っ張られとるだけなんかも。」 「まさか…。」 「実はこの日本の素晴らしいコンテンツの山々に取り憑かれてしまって、ここで今までの反動でそっちに全フリしたみたいな。」 「んな馬鹿な…。」 「…んなわけねぇか。」 「はい。」 「あてはないか。」 「ヤドルチェンコですか。」 「あぁ。」 「現在、周辺の監視カメラからデータを集めています。これを分析すれば少なからず手がかりは得られるものと。」 「それ、うちのIT班を使うな。」 「え?」 「外注しろ。その手の解析についてはここの会社しかない。」 「どこですか。」 「HAJAB。ここが例のサブリミナルの解析で目覚ましい結果を出した。」 ーえ?何だって? 「一日足らずで世の中のどういったネット動画に例の映像が挟み込まれているかを抽出するプログラムを書き上げた。」 「しかし…このタイミングでちゃんフリか…。弱ったな…。」 「どうした。」 「実はちょっと具合の悪いことが起きててな。」 「なんだ。」 「そのちゃんフリ見てくれよ。」 「なんだ…これ。再生できない動画がたくさんあるじゃないか。」 「そうなんだ。少し前からこの状況だ。」 「これは?」 「わからん。キングいわくメンテナンスかもしれない。メンテナンスだとするとその部署に明るい協力者はいないから様子を見るしかないと言ってる。」90 ーまさか…あれは班長が…。 「公安徳課は警視庁公安部と公安調査庁の寄り合い所帯。それ故なにかと綱引きする。お互いが自分の仕事にプライド持つのは構わんけど、それが任務に影響を及ぼすとなると困る。捜査に行き詰まったら思い切って外部委託することも一つの選択や。な、主任。」 「あ…はい…。」 「動画の解析なんやけど、お前誰かに遠慮しとったやろ。」 「え?」 「あ、ほうや、ところであれはどうや。」 「あれとは?」 「ほら池袋の車突っ込んだんはウ・ダバの仕業やってSNSで触れ回った出本の正体。」 「すいません。まだ着手していません。」 「あ、そうか。」 「はい。すいません。ヤドルチェンコに気を取られていました。申し訳ありません。」35 「あれは消えるSNSを利用した情報工作やった。おれがちょっとIT担当に呼び出して聞けば引き出せた情報やった。」 「…。」 「うちのIT担当は理系の良い大学を出て、IT企業で仕事しとったイマドキ中途採用人間。こいつらの死後の比重は年々、ここ警察でもでかくなってきとる。今までの地べた這いずるような捜査も大事やけど、こいつらの空中戦も見過ごせん。IT班の重要性、これをお前はよく理解しとる。ほやからお前なりに気ぃ遣ってんろ。定時で帰らすの。あいつらにへそ曲げられたら今後の警察を誰が支えるんやってな。」 「…。」 「わかっとるよ。紀伊。お前は人のこと、周りのことをよく考える事ができる優秀なサツカンや。就職氷河期世代の警視庁叩き上げ。苦労を知る人間は他人の苦労にも目が届く。ほやから俺は特高の主任に抜擢されとるんや。」 「…。」 「つまりお前の優秀さは俺以外の上の人間もよくわかっとる。そういうこと。」 片倉は紀伊の肩を軽く叩いた。 「HAJABに依頼してヤドルチェンコの行方を特定しろ。特定後速やかに俺に報告するんや。」 「はい。」 「HAJABを主任に紹介したのは俺やからな。そこんところちゃんと理解してマッハで対応頼むぞ。」 彼と面と向かっていた紀伊の背筋は凍りついた。 片倉の顔からは感情が消え失せていたからだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー バイブ音 トイレで用を足す紀伊の胸元が震えた。 携帯を手にした彼はそこに表示されるテキストに戦慄した。 ー光定を消せ…。 この空閑からのメッセージにしばらく紀伊の動きが止まった。 「いまは動けない。」 「やれ。」 「だから今は無理だ。」 「なぜ。」 「動画解析プログラムが完成している。」 「なんのことだ。」 「キングが作ったサブリミナル動画がどういった動画に差し込まれているかを自動で選別するプログラムだ。」 「ということは…。」 「そう警察はもうちゃんフリの動画を止めている。」 「だからか…。」 「さらにここにきて俺が逃がしたヤドルチェンコを、そのプログラムを使って行方を追えとの指令が出た。」 「そんなことできるのか。」 「いまの動画解析プログラムの応用だ。顔認証をうまく組み合わせて、町中なの監視カメラを分析する。おそらくすぐに結果がでる。」 「わかった。ヤドルチェンコには公共交通機関は使うなと指示する。」 「その方がいい。車の方がまだましだ。」 「しかしそれとクイーンの件は別だ。」 「だから俺がその解析プログラムの担当なんだって。そんな暇ないってよ。」 「馬鹿いえ。それくらいやれよ。お前特高なんだろ。」 「え?」 「キングから聞いたぞ。」 「キングが…。」 「特高は特別な機関だから不可能なことはないってキングから聞いた。」 「ただ今は物理的に無理だ。俺の方で足がつく。」 「キングもお前の行動怪しんでいたぞ。」 「えっ。」 「信頼回復にはクイーンの始末が必要だ。」 「そうなのか…。」 「そうだ。」 「わかった。やってみる。」 「時間は無い。早急に。」 「任せてくれ。」 「頼んだ。」 水を流す音 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「あ、社長からです。」 こう言って新幹線の座席に座っていた雨澤は黙った。 「…。」 「社長、何て?」 雨澤はうなだれた。 「どした?」 「見てくださいよ…。」 横に座る雨澤のパソコン画面を覗き込むと無数の動画ファイルが並んでいた。 「この動画ファイルから特定の人間を抽出して、時系列的にマップデータに落とし込めって。」 「特定の人間?」 「はい。こいつです。もうすでに3Dモデル化もしてあります。」 データを見た神谷は思わず呟いた。 「ヤドルチェンコ…。」 「え?」 「あ、いや。」 「神谷さん知ってるんですか。こいつ。」 「いや…ほら見た目完全にロシア系じゃん。だからそれとなくっぽい名前つけてみた。」 「はい?」 「あ別にワシリスキーとかマカロフとかでもいいんだけど。いまぽっと思いつたのがヤドルチェンコだったってだけ。」 「なんすかその映画のワンシーンを再現してみた的な。」 「あ、それそれ。」 「中二っすか。」 「ってか、社長はこのヤドルチェンコを抽出しろと?」 「ヤドルチェンコで決定ですか。」 「名前つけたほうがわかり易くない?」 「まぁ。」 「さっきのサブリミナル動画抽出プログラムいじれば比較的簡単じゃない?」 「確かに抽出は簡単です。」 「問題はマッピングかぁ。」 「あ、でもちょっとまってください。」 キーを叩く音 「あ、丁寧に全部のファイルに座標データついています。」 「おーじゃあ簡単じゃん。」 「あのーファイル数尋常じゃないんですけど…。」 「それならウチのオフィスでやれるって。」 「だから何なんすかそのオフィスって…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 19 Feb 2022
- 143 - 130 第119話3-119.mp3 「はあ!?」 「ま、そういうことで雨澤君は神谷君の言うこと聞いて。ね。」 「ねっ…て…。」 「その分手当弾むからさ。」 「そらぁ現にいま、新幹線で金沢に向かってるんですから出張手当ぐらいは…。」 「出張手当だけでいいの?」 「え?」 「さすが雨澤君。自分を犠牲にしてまで社の利益に貢献する。日本人独特の自己犠牲の精神。僕は好きだなぁ。」 「いや、ちょ…ちょっと。」 「心配しないで、今回の仕事が終わったらちゃんと報いるから。」 「あ、はぁ…。」 「だから仕事が終わるまでは神谷君の指示に従ってね。」 電話は切られた。 「社長なんて言ってた?」 「今回の仕事終わるまでは神谷さんの指示に従えって。」 「そう。」 神谷は雨澤に缶コーヒーを差し出した。 「よろしくな。雨澤君。」 「あ、はぁ…。」 「盃を交わすとしようじゃないか。」 「盃?これコーヒーですよ。」 「あ、ごめん俺、酒飲めないんだ。」 ではと言って神谷はそれに口をつける。 「刑事みたいに張り込みしたり、変な奴に追っかけられたり、なんなんすかこの2日間は。」 「何なんだろうね。」 「あの連中、また俺らのこと追っかけるとか無いんでしょうか。」 「無いとは言い切れんな。」 「マジっすか…。」 「うん。」 「なんなんすかあの連中。」 「わかんね。でもヤバい連中だってのはわかる。」 「それは俺でもわかります。だって曽我を殺したのはあいつらなんでしょ。」 「それはまだわからん。だからあいつらのことをちょっと調べてやろうと思ってさ。金沢で。」 「金沢で調べる?」」 「うん。」 「なんでわざわざ金沢で?」 「一応それなりに使える人いるから。」 「…探偵とかですか?」 「ちょっと違う。」 神谷の言っていることがよくわからない。そういった表情で雨澤はため息をついた。 「俺、HAJABってIT企業に入ったはずなんすけど。なんでこんなことになってんですか。」 「やったじゃん突貫の動画解析プログラム。IT企業らしい仕事やってんじゃん。あれお前位のスキルがないとあんだけのスピードでできなかったんだから。」 「自分はその仕事だけで良かったんですが…。」 「いや、君を一介のSEで留め置くのは宝の持ち腐れだよ。君はいいもの持ってる。」 「何がですか。」 「ほら刑事の勘的なこと言ってたじゃん。あれズバリ的中してたろ。だから難を逃れることができた。本能というか危険察知能力っていうのか、ああいう人間が生物として生まれ持った能力の高さってのが最後の最後でものを言う。」 「はぁ…。」 「とにかく手伝ってくれよ。社長も報酬ははずむ的なこと言ってただろう。」 「まぁ…。でも返りが大きいって事は、それなりにリスクも…。」 「あぁ大きい。」 「何やるんですか?」 「こんな新幹線の中じゃ言えない。金沢に着いたら俺のオフィスで話そう。」 「オフィス?神谷さん事務所持ってるんですか?」 「うん。」 「え?神谷さんって正直ナニモンなんすか?」 「事務所に行けばわかるさ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「クイーンについては今あれこれとこちらから動くと足がつく可能性がある。しかし奴がこのままの状態でいることは好ましくない。」 椎名からのメッセージだった。 「で、どうする?」 空閑は返信した。 「ルークに始末してもらおう。」 「ルークに?」 「ああ。ルークは警察を押さえている。あいつなら石川の警察を動かしてクイーンを始末することもできるはず。」 「ルークにそこまでの力が?」 「ある。なにせあいつは特高の人間だ。」 「特高?」 「そう。」 「特高って戦前にあった特別高等警察のことか?」 「あくまでも通称だ。正式名称は警視庁公安特課機動捜査班。警視庁にしかない公安特課の精鋭部隊。公安の精鋭中の精鋭ってとこだ。」 「知らなかったぞ…俺…。公安だってのは聞かされてたけど、そこまでのポジションだってのは。」 「あ、そう。」 「なんだ…あいつ俺らにどこまで隠してんだ…。だから信用できないんだ。」 「だからここであいつの俺らに対する協力具合を試すんだよビショップ。」 「と言うと?」 「クイーンは連絡途絶。警察に転んでしまった可能性も捨てきれない。ならば警察内にいるクイーンの手で落とし前をつけさせようじゃないか。君が言うとおり、いまのクイーンを作り出した元凶はルークにあるんだからさ。」 「…いつになったら実用化できるんだ。」 「え?」 「あぁ。いつになったら瞬間催眠は実用化できるんだって!」 「おい…お前…そんな大きな声…。」 「問題ない。車の中だ。それにしても…どんだけ待たせるんだお前らは!さっさと結果出せよ!」 「うるせぇ!サツの中の調整ひとつできねぇ奴がデケェ口叩くんじゃねぇよ!」 「クイーン?ナイト?んでビショップにキング?あーおれはルーク。アホか。ガキの遊びじゃねぇんだよ。ぶっ壊せとかぶっつぶせとか言ってっけど、なんかそこらじゅうでちょこちょこテロっぽいもんが発生してるだけ。今んとこしょぼいんだよ結果が。そもそもノビチョク使っても結果微妙って時点でお察しなんだけどな。」 「おいてめぇ。いまなんつった?」 「しょぼいんだ。結果が。俺がほしいのは破滅だ。」90 ー警察エリートとも言われる奴が、ああも感情露わにするもんか…。 「いや…しかしあいつ、どうも頼りにならないところがある。」 「ルークが?」 「あぁ。」 「でも、あいつにはお仕置きが必要だとビショップ、君言ってたじゃん。」 「確かに…。」 「結局どっちに転んでも君には不利益は無いと思うよ。」 「どうして?」 「クイーンははっきり言って、もう用無しだ。君が鍋島能力を手に入れたんだから。」 「…。」 「ルークも信用できない。だから用のないこの二人を同時に消す絶好の機会だと思わない?」 「…ナイトの制御はどうする。」 「ほらだって、副作用を抑える薬ってのがあるだろう。」 「山県久美子。」 「そう。それで十分さ。リアル山県があれば予定の日までは持つだろう?」 「いや、それはわかんない。」 「持たせるんだ。」 テキストだけが表示される携帯電話の画面。 そこからとてつもない圧が放たれている。 空閑は返信ができなかった。 「最悪、君の鍋島能力を使えばいい。そうすればナイトも山県も動かせるはず。」 「…。」 「理論上は。」 「確かに。」 「ビショップ。君はいま無敵なんだ。なにも心配することはない。」 「無敵…。」 「そう。だから汚れ役は下の人間にやらせな。俺だったらそうする。」 「キング…。」 「昨日、今日、明日。ちゃんフリの例の特集はこのまま配信される。多少の手直しをKに求められたけど、それはこちらの求めるものを却下するものではない。木曜日にはこっちのサブリミナルは完了する。俺らはそのときを待つだけさ。」 ーそのサブリミナルも協力者が転んだせいで、阻止される可能性が出てきた訳なんだが…。 「キング。」 「なんだ。」 「すまない...。」 「なんだよ水くさいぞ。」 メッセージアプリ閉じた空閑は携帯をしまった。 顔を上げた空閑の前には安井隆道の家があった。 家の前には車二台止められるスペースがあるが、そこには車がなかった。 「キング...。本当にすまない...。俺の不手際だ…。」 肩を落とした空閑はその場を後にした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 05 Feb 2022
- 142 - 129 第118話3-118.mp3 10年前 警視庁捜査第一課の管理官として赴任早々、3件の捜査本部の指揮を執る羽目になった陶の疲労は極限に達していた。 「管理官。ひどく疲れた様子です。さすがにお休みになった方が良いかと思います。」 ある係長が気を利かせて声をかけてきてくれた。 「そら休みたいさ…。けど不眠不休で動いてる現場を尻目に俺だけスヤーってわけにいかないだろ。」 「いやいや、管理官は捜査本部の頭脳。頭脳が疲弊してしまっては、正常な判断ができなくなります。半日でもいいですから休んでください。」 「そんなに俺ヤバい?」 「はい。顔に疲れたって書いてあります。」 陶は窓ガラスに映り込んだ自分の顔を見た。 ぼんやりと映り込む自分の目は充血し、その下にははっきりとクマのようなものが見える。 「ヤバいね…。」 「はい。その外見、現場の士気に影響します。」 「わかった。少し休む。」 陶は係長の進言通り、半日だけ自宅で休息をとることとした。 都会の雑踏 携帯電話の着信 ー休むって言ったろ…。 表示されるそれを見ると電話帳未登録の番号からだった。 一時的とはいえ仕事から解放されたことで気が緩んでいたのだろうか。 陶は警戒することもなくそれに出た。 「はい。」 「陶晴宗さんですね。」 「どちらさまですか。」 「朝倉と申します。」 「朝倉?」 「はい。」 「なぜこの電話を。」 「そんなことはたいした問題じゃありませんよ。むしろ何の警戒もなく電話に出る。そのあなたの不用心さの方が問題です。」 突然の電話でありながら自分を試すような物言い。 いつもの陶ならばここで相手をやり込める発言を展開するのだが、いまは疲労の局地。そんな余裕はない。くだらない電話に付き合う暇はないとして、そのまま無言でそれを切ろうとした。 「キャリアで捜一の管理官。久しぶりの逸材でもさすがに疲労困憊ですか。」 ーなんだこいつは。中の人間か。 「おまえは誰だ。」 「朝倉ですと言いました。」 「どこの朝倉だ。」 「石川。」 「イシカワ?」 「ああ。」 「イシカワなんて捜査本部はない。」 「くくく…。」 「何がおかしい。」 「お疲れだなぁ。」 ー何者だ。 「何者だっていわれても石川の朝倉としか言いようがない。家に帰って休息をとったら私のところに連絡をくれ。」 ーなんだ…。なんでこいつは俺の思っていることがわかるんだ。 「疲れてたら碌なことはない。電話もかけ間違える。だから私から先に電話をかけた。」 「…。」 「貴様はここの番号にかけ直すだけ。」 「…。」 「待ってるよ。」 電話は切られた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー アラーム音 「んっ…。」 アラーム止める 見覚えのある天井。カーテン。壁紙。 自分を包み込む天国のような寝具。 周りには誰もいない。 間違いない自分の家だ。 ーそうだ。休めって言われて家に帰ったんだった…。 どの道を通ってどうやって家にたどり着いたかわからない。 途中、何かを食べた記憶もない。 目が覚めるとここにいた。 「ヤベぇわ…俺…。」 携帯電話を見ると誰からの着信も入っていない。 こんな穏やかな時間を過ごすのはいつぶりだろうか。 ギリギリまでこの平穏な時間を過ごそう。そう思った陶は枕に顔を埋めた。 「待てよ…。」 とっさに身を起こした彼は再び携帯電話を見る。 着信履歴に見覚えのない電話番号があった。 「家に帰って休息をとったら私のところに連絡をくれ。」 「夢じゃなかったのか…。」 「何者だっていわれても石川の朝倉としか言いようがない。」 「イシカワの朝倉って何なんだ…。イシカワ…朝倉…。朝倉ってのが名前だろう…。ってことはイシカワって…なによ?」 「貴様はここの番号にかけ直すだけ。」 「貴様だってよ。偉そうに…。」 陶は表示されている番号に電話をかけた。 呼び出し音*2 「おぉゆっくり休めたか?」 「あんた誰だ。」 「だから言っただろう。石川の朝倉って。」 「だからイシカワって何なんだ。」 「…。」 「おい。」 「あらあらまだお疲れか?陶管理官。」 「こっちは質問してんだ。質問に質問で返すな、このタコ。」 「無礼だな。」 「は?」 「確かに頭頂部は昔に比べて寂しい事になっているのは事実だが、タコ呼ばわりされるほど禿げ上がってない。」 「だからそんなこといっれる訳じゃ…。」 「県警本部長の朝倉だ。」 「は?」 「石川の本部長、朝倉忠敏だ。」 「え?」 「鈍いぞ。陶。」 「え?は?」 血の気が引いた瞬間だった。 「あ…いや…あの…。なんで石川の本部長が…。」 「だめなのか?電話をかけたら。」 「あ、いえ…。」 「キャリアで桜田門の捜一管理官。さぞ優秀な人材かと思って様子伺いの連絡したらこの程度か。」 「も、申し訳ございません!」 「何が?」 「朝倉本部長とはいざ知らず、非礼の数々。誠に申し訳ございません!」 「あー。」 「本当に申し訳ございま…せんでした…。」 「いい。たいした問題じゃない。こちらも説明不足だった。」 「いやいやいや…。私が愚かでした。この非礼、伏してお詫びいたします。」 「もういい。」 「…。」 「どうだ?捜一は。」 「重責です。」 「あぁそういう建前のことを聞いているんじゃなくて。」 ーなんだこの男。会ったこともない俺に、なんでこんなにグイグイ来るんだ…。 「電話では無理か。」 「いや…。」 「貴様の家の近くに公園があるだろう。そこで10分後待っている。」 「え?」 電話は切られた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 犬の散歩でそこを通過する者。 子供の求めに応じてここに連れ出された感じの母親。 肩を寄せ合うカップルなど 陶の自宅から徒歩で5分の場所にある平日夕方のこの公園は賑わっていた。 ふとある人物が陶の視線に入ってきた。 仕事をさぼって休憩中と見える、頭頂部がいい具合にはげ上がったうだつが上がらない中年男性がひとり、ベンチに腰をかけていた。 「確かに頭頂部は昔に比べて寂しい事になっているのは事実だが、タコ呼ばわりされるほど禿げ上がってない。」 ーあれか…。 彼の横にかけた陶は静かに声をかけた。 「朝倉本部長ですか…。」 「どうしてわかった。」 「完全に周囲に同化してました。これは公安経験者じゃないとできません。」 「ほう…。ここに来るまでのわずかな時間に俺のことを調べたか。」 「大まかですが。」 「ふっ…。」 「スパイ防止法の成立に尽力したが残念ながらそれは廃案。法律の成立の可能性が消えてしまったのを見て、あなたは日本海側の警察本部の勤務を願い出ました。そう。現場の実力でそれを封じ込めることにしたのです。そして現在石川の本部長となっています。」 「半分正解。半分間違い。」 「はい?」 「で、どうだ?捜一の管理官は。」 「…正直激務過ぎます。」 「抱え込みすぎだ。」 「といいますと?」 「司令塔は司令塔の仕事をしろ。現場に首を突っ込みすぎるな。役職に応じた役割ってものがある。貴様は管理官だ。その名の通り管理、そして指揮に徹しろ。」 「しかし…。」 「他の管理官の仕事ぶりをみて、自分もそうあらねばならんと思い込んでいるに過ぎん。よく見ろ。そいつら、貴様以外はみんなノンキャリだろう。」 「はい…。」 「あいつらのほぼ上がりのポストが管理官だとすれば俺らはまだ始まりの途上。とすればパワーのかけ方も違う。その辺りをわきまえるんだな。でないとすぐに潰れるぞ。」 「…。」 「いいかあいつらもおまえを見てるんだ。自分たちの首を預けるに値する人間かどうかって値踏みしてるんだ。いくら苦楽を共にしてくれても、結果が伴わなければ上司として無価値だ。そんなもんだぞ陶管理官。」 「それは捜一の課長からも言われています。」 「捜一の課長はノンキャリ指定席だからな。あいつらのいうことはノンキャリの総意と思って差し支えない。せいぜい味方に取り込むんだ。」 「はい。」 「ま、いまの貴様を見ていると昔が懐かしくなるよ。俺も貴様のような時期があった。」 「え?本部長もですか?」 「あぁ俺は警視庁じゃなかった。その点貴様は俺より優秀ってことだよ。」 「あ…いえ…。」 「とにかくキャリアで警視庁捜一管理官なんてもんはなれるもんじゃない。自信を持て。陶管理官。」 「は。はいっ。」 「ははは。素直でいいぞ。」 「ありがとうございます。」 「ただ、いまの貴様がいっぱいいっぱいになっているのも事実。まずは早急に貴様の分身となる人材を発掘しろ。そしてそいつを格別の待遇を持って取り籠め。自分の負担を分散させろ。」 「それはキャリア、ノンキャリ関わらずですか。」 「できればノンキャリがいい。キャリアになると妙な利害関係を持ち出す可能性がある。」 「わかりました。アドバイスの通りにいたします。」 「まずは一人のノンキャリを貴様に紹介する。」 朝倉は一枚の写真を陶に見せる。 「これは?」 「佐々木統義警部補。こいつは俺の石川の分身だ。」 「本部長の…。」 「ああ石川における…な。こいつを貴様に紹介する。俺の分身だと思って気軽に話してくれ。きっと貴様の力になるはずだ。」 「どうしてそんなことまで。」 「有望だからだ。」 「?」 「警視庁捜査一課課長はノンキャリの指定席。そこをキャリアの貴様がまず押さえるんだ。」 「え?」 「そのために自分の分身を作れ。早急にな。」 まぁ肩の力を抜いて適度に頑張れ。そう言って朝倉は立ち上がった。 「本部長。」 「なんだ。」 「捜一課長はノンキャリの指定席。これは長年の伝統です。これを崩すのは並大抵の事ではありません。」 「貴様は並の人間ではない。だから捜一の管理監に抜擢された。自分が背負っている宿命を感じたまえ。」 「宿命?」 「鈍いぞ陶。」 そう言って朝倉は姿を消した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー それから10年経った現在 ノック音 「どうぞ。」 ドア開く 「ご多用のところ失礼いたします。」 「内調の人間がなぜ私のところに?」 中に入ってきたのは内閣情報調査室の陶だった。 「今日は先生だけにお耳に入れたいことがありまして、伺った次第です。」 「わたしだけに?」 「はい。野党前進党の幹事長を務める英才、仲野康哉先生でなければ、我が国に降りかかる災厄を収拾できません。」 「我が国に降りかかる災厄?」 「はい。」 「なんですか。それは。」 「アルミヤプラボスディア。」 「アルミヤプラボスディア…。」 「ご存じですね。」 「存在は。」 「さすがロシア通の仲野先生です。」 「官邸マターです。なんで官邸じゃなく私なんですか。」 「現政権には期待できません。」 「…。」 まぁ掛けてと仲野に促されて、陶はソファに座った。 「内調の人間が官邸に期待できないという発言。耳を疑いますね。」 「期待できないものを期待できないと正直に言うことさえできないようだと、これまた非常にマズい状態であるとお思いになりませんか?」 「何事も立場というモノがあるでしょう。」 「…確かに。」 「で、私に何ができると?」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 22 Jan 2022
- 141 - 128 第117話3-117.mp3 「こんな時間になんです?」 突如かかってきた古田からの電話だった。 「石大の井戸村の背後で糸を引く男がおる。井戸村はどうやらそいつと決別するようや。」 「…。」 「どうした?マサさん。」 「古田さん…。」 「なんや。」 「休みでしょ。休みの時は仕事のことは一切考えん方がいいです。」 「なんやその言い方。」 「いいですか。古田さんは岡田課長から休めと言われとるんです。いまのあなたの仕事は休むこと。んなんにそれせんと仕事しとる。」 「いいがいや。わしはわしでフリーの立場でやれるだけのことやろうとしとるんや。休みの間の時間の使い方ぐらいワシの勝手にさせてくれ。」 「時間の使い方は古田さんの勝手ですが、それにこちらを巻き込むようなことはお控えください。」 突き放したようにもとられるこの富樫の言い方に、古田はショックを受けた。 「いま古田さんから報告いただいた件は、すでに相馬さんが把握しとります。」 「相馬が?」 「はい。」 「…。」 「なんで古田さん。あなたは岡田課長に言われたとおりお休みください。休めば気力も体力も復活する。そうすればかつてのスッポンのトシの復活です。」 「かつての…。」 「はい。」 「マサさん。」 「なんです。」 「ワシ、そんなにおかしいか。」 「え…。」 「ワシ、ほんなに妙なこと言っとるか?」 ここで「はい」なんて言えるわけがない。富樫は黙った。 「ほうか…やっぱりほうなんやな…。」 「…はっきり言って異常なんです。」 「・・・。」 「古田さんがやっとったこの仕事。わしらご隠居さんみたいな人間がやることじゃありませんよ。オーバーワークにもほどがあります。」 「まぁ…。」 「この歳になりゃ自分のこともままならんがになっとるっちゅうがに、いろんな人間のハブやれってどうかしとりますよ。それやるがは上の連中でしょうが。」 「マサさん。それはこの組織の特性上しゃあないことなんや。できてまだ5年程度。人材不足は否めん。いろんな方面に負担がかかるのはしゃあない。」 「だから準備不足なんです。」 「準備しとったら、今みたいなこと防げたんか?あ?」 「…。」 「たぶんこの手のことは最低でも10年は準備に必要やと思うぞ。」 「じゃあもうちょっと若い連中をあてがえばいいじゃないですか。」 「若いとできんがや。」 「なにが。」 「難しい連中ばっかやろ、このシマ。言うこと聞かんがや。しかもできたてほやほやの部署。特段実績もない。そんな部署で言うこと聞かせられてる人間言うたら、それなりに説得力のある人間じゃねぇといかん。勉強ばっかで実績無しのキャリアなんか無理や。そこで現場たたき上げ、信頼と実績のマサさんが抜擢された。そう思えんけ?」 この古田の考察と明瞭な発言。認知症とは思えない。 「いやだから、この過酷な仕事が古田さんをそんな状態にしたって事実があるじゃないですか。」 古田はため息をつきしばらく間をとって口を開いた。 「マサさん。実はワシはワシで自分の妙な感覚を感じ始めとったんや。」 「…。」 「マサさんもそうや。岡田にしてもそうや。周りの様子を見りゃ、あぁなんかワシやらかしとるっぽいなってのはわかる。ただ正直なにがどうおかしくなっとるか。具体的なところがわからんがや。」 ーなるほど…。ほんでいま自分が考えとったそのこと自体も忘れてしまうんか…。だから認知症状ってわけか…。 「古田さん。ほやから休息なんですよ。仕事デキすぎ古田さんでさえ、その多忙さにやられてほんなことになっとるんですから、ワシもいい加減このポジションから足洗わんと同じことになります。このヤマ超えたら、やっぱり自分引退します。」 「だめや。」 「え?」 「マサさん。いまのマルトク、とりわけこの石川のケントクの実質的現場指揮を執れるのはマサさん。あんたしか居らん。」 「いや岡田課長が…。」 「普通の組織なら岡田でいい。けどさっきもワシ言ったがいや。まだ5年程度の日の浅い組織やって。このマルトク。」 「はい。」 「かつての公安調査庁を警察に組み込む形で再編成された公安特課。今のこの状態を快く思わん連中がまぁまぁ居るのは、マサさん。あんたならわかっとやろ。」 「はい…。」 「公安調査庁は朝倉忠敏の古巣。奴の影響があの事件ですべて排除されたとは思えん。朝倉シンパってのがまだ相当数居る。だからと言って、あからさまな監視はNGや。反感買ってややっこしいことになるしな。」 「はい。」 「あいつらはあいつらで結構なプライド持っとるがいや。そんな気高き人間を監視するには、目立たん存在が一番。ワシらのような現場から一線を退いたようなジジイが目立たんところから目を光らせるのが一番なんや。岡田のような役職ついとる人間がが目を光らせるとあからさまに目立つ。けどワシらのようなお疲れさまでしたっていつでもポイできる存在は気にかけん。」 「確かに周りはワシら年寄りのこと、居っても居らんでもいい感じで見とるでしょうね。」 「マサさんが言うように、正直この歳でハブ役なんてオーバーワークや。周りもそう見とる。けどそれが上の狙いやったとしたら?」 「納得できんくもないです。」 「な。」 「…。」 「組織の雰囲気ってのは10年ほどせんと変わらんもんや。ほやからあと5年。あと5年はマサさんに頑張ってもらわなな。」 「なに言っとるんですか。古田さんには早く復活してもらわな困ります。ほやから今はゆっくりと休んで…。」 「マサさん。もういい。」 「へ?」 「もういいんや。ワシは。ワシは自分の限界を感じとる。」 「ちょ…。」 富樫は目の前にあるモニターに目をやった。 椎名が外から帰ってきたようだ。牛乳を飲み、彼はパソコンの画面をのぞき込んでいる。 「あんただけに言っておきたいことがある。もう少し時間いいか?」 部屋に取り付けられたカメラの映像を切り替えるも、その中は見ることができない。 「いいでしょう。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「Я уже говорил с майором Зинкавой. さっき仁川少佐と話した。」 「Как все прошло? どうでしたか」。 「Решение было принято в 6 часов вечера. 18時に決行だそうだ。」 「Тогда мы будем готовы к этому времени. ならばこちらもそれまでに準備します。」 「Есть ли какие-нибудь признаки того, что они знают о наших передвижениях? 我々の動きを察知している気配はあるか?」 「Сейчас нет. 今のところありません。」 「Хорошо. そうか。」 「Но。ですが」 「Но? Что это такое? ですが何だ?」 「Меня беспокоит, что до сих пор нет никакого движения. Бюро общественной безопасности является членом фракции Офрана, поэтому мы знаем, чем они занимаются. Но в Японии есть и другие разведывательные подразделения. 未だ何の動きもないのが気になります。 公安特課はオフラーナ派なのでその動きはつかめます。 ですが日本には他にも情報部隊が存在します。」 「Что это? なんだそれは?」 「Силы самообороны. 自衛隊です。」 「Силы самообороны? 自衛隊?」 「Да.はい。」 「Вы имеете в виду военную разведку? 軍の諜報部隊ということか。」 「Да, сэр.その通りです。」 「Насколько он хорош? 実力のほどは?」 「Я не знаю.不明です。」 「Ну... …。」 「Я могу сказать тебе одну вещь. Силы самообороны обладает более высокими оперативными возможностями по сравнению со Специальной службой безопасности. ただこれだけは言えます。治安機関である公安特課と比べて、自衛隊は作戦能力が優れています。」 「Я знаю. Возможности Силы самообороны считаются угрозой в нашем мире. 知っている。自衛隊の実力は我が世界でも脅威とされている。」 「Мы должны опасаться организации, которая так тайно работает против нас. その実力組織が我々に秘密裏に動いているとしたら用心しなければなりません。」 「Не беспокойся об этом. それは心配ない。」 「Почему вы так уверены? どうしてそう言い切れるのですか。」 「Япония - страна, где политика всегда тянет на поле. 日本という国は必ず政治が現場の足を引っ張る。」 「Политика?政治が?」 「О.あぁ。」 「Понятно.… なるほど。」 「Подполковник Примаков отдал мне приказ в случае необходимости без колебаний выполнять свои обязанности. プリマコフ中佐からはいざというときは迷うことなく任務を遂行せよとの命令だ。」 「Нет смысла колебаться. 迷いは意味がない、と。」 「Да.そうだ。」 「Это пустая трата времени, не так ли? 宝の持ち腐れ…ですか。」 「Это верно.Господин Ятака.」 そういうことだ。矢高さん。」 「Тем не менее. Я думаю, что было бы лучше разогнать Службу специальной безопасности. とはいえ、公安特課を攪乱するに越したことないかと存じますが。」 「Действительно. 確かに。」 「Можно мне попробовать? 試してみてもいいですか。」 「Разрешить. 許可する。」 「Большое спасибо. Я сделаю это прямо сейчас. ありがとうございます。すぐに始めます。」 「Удачи! 健闘を祈る。」 「Пока. それでは。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等はTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 08 Jan 2022
- 140 - 127 第116話3-116.mp3 熨子山 天宮ゆかりの現場にいる佐々木の胸元が震えた。 新着メッセージの通知のようである。 「ちょい俺便所。」 こういって佐々木はその場を外した。 「陶専門官。こちら佐々木です。」 「天宮憲行のコロシの現場にあった洗面器。ここから採取されたのが天宮ゆかりの指紋。で、土の中から掘り出されたゆかりの側には憲行の財布。しかし犯行時刻にゆかりが憲行と接触した形跡はない。」 「はいそうです。」 「曽我の時と似ている。」 「曽我殺し?曽我殺しは石川実行部隊による粛正と専門官から聞きましたが。」 「いや粛正の実行犯が殺された件だ。」 「え?それは初耳です。」 「だろうな。」 「なんかややっこしいですね。」 「とにかくその曽我を殺した人間が発見された状況と、天宮ゆかりが発見された状況が酷似してるんだ。」 佐々木は驚きも何もなく淡々と受け答えした。 「天宮ゆかりにせよ曽我殺しのホシにせよ、我々のあずかり知らないところで、こうもわかりやすい形でやられるとな…。」 「何らかの意図を感じますね。」 「だろう。」 「ゆかりの件も見つけてくださいと言わんばかりでしたから。」 「ゆかりが憲行の研究の手綱を引いていたわけだが、奴が死んでしまった今、ゆかりの存在意義はなくなった。それを我々に見せつける。」 「我々に対抗する意思を持つ連中によるものか。」 「人民軍派。」 「必然的にそうなるか。」 佐々木は顎に手をやった。 「奴らの動きはどうなんですか。」 「不審船の漂着が物語っていると思わんか?」 「…やはりそうなんですか。」 「それに関してはマルトクでも全く情報を得られていないようでね。」 「マルトクすらも煙に巻く…特殊部隊のニオイがします。」 「正規軍ではないはずだ。ここで正規軍が出るとツヴァイスタンが国際的非難にさらされる。」 「となれば民間軍事会社ですか。」 「アルミヤプラボスディア。」 「なるほど。」 「残念ながら作戦行動となると我々治安組織はお手上げだ。」 「しかしこのまま奴らの好き勝手にさせるわけにはいきません。」 「もちろんだ。」 「究極的にあいつらの目標は鍋島能力の奪取です。ですがこの能力の研究者はこちら側の手中にあります。現段階ではまだこちらの勝ちです。」 「となるとここからひっくり返しに来るか。」 「だと思います。そこでアルミヤプラボスディアです。」 「…何をする気だ、あいつらは。」 「何らかの実力行動では?」 「光定公信を奪うのか?」 「いやそんなことなんかでアルミヤプラボスディアを使わんでしょう。」 「となると…。」 「可能性の一つとして、頭の片隅に留め置いておいてくださるとうれしいです。」 「わかった。」 「天宮憲行をはじめ鍋島研究に携わる人間が皆殺され、生き残るものは光定公信ただ一人。その光定公信は未だ我々の手中にあります。現在のところ奴らには鍋島能力を手に入れられる可能性が見いだせない。」 「うむ。」 「となれば、鍋島能力、それ自体を消滅させるという方法もあるのでは。」 「能力の存在そのものを消し去る?」」s 「はい。鍋島能力に関係するすべてのモノを潰すんです。」 陶は思わず唾液を飲み込んだ。 「それはヒトもということだな。」 「はい。」 「我々と人民軍派の全面戦争になる…。」 「アルミヤプラボスディアは民間軍事会社。さきほど専門官が仰るように、ドンパチで我々に勝ち目はありません。」 「ウ・ダバを持ってしてもか。」 「そもそもこの件に関しては、ウ・ダバにとって得になることがありません。奴らはもはやビジネステロリストです。地下鉄爆破テロ未遂事件のような、オリジナリティをもったテロをするような集団ではありません。ただのテロの下請けです。」 「確かに…。」 「そこで専門官にお願いがあります。」 「なんだ。」 「暇を乞いたいのです。」 「暇乞い?」 「はい。」 「ここで離脱だと?」 「表向きです。」 「と言うと?」 「一旦自由の身になってアルミヤプラボスディアの動きに目を光らせたいのです。5月1日。ここで石川の部隊が金沢駅で何らかのテロを起こします。やつらはそれで今手一杯です。おそらくマルトクも何かしらの兆候を見つけてそれを阻止するよう動いているでしょう。石川部隊、マルトクこの両者が睨み合う中、奴らだけノーマークとなるのはまずいです。」 「うーん。」 「専門官は私が離脱して、県警内にグリップを効かせる人間がいなくなることを恐れていらっしゃるのでしょう。」 「そうだ。」 「私の代わりに県警内にグリップを利かせられる人間はもう一人おります。」 「誰だ。」 「公安特課の岡田の下に冴木という男がいます。あいつは信頼できるこちら側の人間です。」 「冴木か…。」 「実はこの冴木からのネタによるものなんです。今回の私の離脱は。」 「それは?」 「矢高慎吾。」 「矢高?」 「はい。ご存じでしょうか。」 「あ、いや…。」 「能登署を辞め、以降行方知らずのこの矢高、先日の千種の事故死の時、ひょっこり現場に姿を現した。」 「なんだそのもの言い。佐々木、おまえその矢高の知り合いなのか。」 「はい。」 「どういう関係だ。」 「同じ穴のムジナですよ。」 「同じ穴のムジナ…。」 「はい。」 「かつて三好という男が朝倉部長に言い放った言葉だな。」 「朝倉ではありません。」 「…キャプテン。」 「はい。」 「なぜその矢高がいま?」 「千種の事故死の現場にやつがいたって報告が入ったとき、ようやくピンときたんです。」 「どうピンときた。」 「千種の事故現場には矢高とマルトクの古田が居合わせとりました。古田は千種の死を見届けながら、矢高の方は遠くからその様子をうかがう。このふたりがマルトクの人間であるはずがありません。千種は石川部隊の大事な実験台。となると千種の重要性を知るのはマルトク以外に何があるかって。」 「人民軍派か。」 「はい。あいつ実は昔から人民軍派のモグラやったんじゃないかって思ったんです。」 「矢高が人民軍…。昔から…。」 「どうしました専門官?」 「あ、いや。続けてくれ。」 「それやったらなんか説明がつくんです。キャプテン逮捕からまもなく辞職、その後行方不明って流れが。」 「キャプテン逮捕に矢高が一枚かんでいるとか?」 「憶測の域を脱しませんが…。なんか綺麗に収まりませんか?話が。」 陶は沈黙した。 「とにかくその自分の見立てが正しいとなると、矢高の役割として考えられるのは次の2つです。ひとつは人民軍派として鍋島能力の研究進捗の管理を行う。ふたつめはわれわれオフラーナ派といわれる連中の動向監視。しかしこのひとつめの鍋島能力の進捗管理については、先ほども言ったように、奴らにとって芽のないものとなりつつあります。従ってその消滅作戦を展開するとなれば3つめの役割が出てくるのではないでしょうか。」 「なんだ。」 「人民軍派の実質的実力集団、アルミヤプラボスディアの日本における目となる。」 「アルミヤプラボスディアの目。」 「はい。雇われ軍人集団の水先案内人。」 「まずい。まずいぞ。」 「そこで私の離脱です。」 「できるか。」 「やりましょう。」 「わかった。こちらから話を通しておく。おまえはそのまま離脱し矢高を追え。」 「了解。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 天宮ゆかりの現場捜査員が佐々木を呼びに公衆便所まで来た。 彼はそとから呼びかける。 「警部、大丈夫ですかー。えらい長いこと籠もってらっしゃるようですけど。」 返事がない。 「警部?」 便所の中に入った彼は個室の扉に鍵がかかっていないことに気がついた。 「え?」 「佐々木警部?いないんですか?」 失礼しますと言って扉を開いたそこはもぬけの殻だった。Sat, 09 Oct 2021
- 139 - 126 第115話3-115.mp3 冷蔵庫を開くと、いつもそこにあるはずの牛乳がないことに気がついた。 「しまった…。」 ジャージ姿のまま椎名は外に出た。 部屋を出て徒歩三分。横断歩道の先にコンビニエンスストアがあった。 信号が青になり歩き出すタイミングで、コンビニから客が出てきた。 その客と横断歩道上ですれ違いざまに椎名は口を開いた。 「Мы готовы.」 「Спросите в туалете.便所で聞く」 コンビニに入った椎名はそのまま店のトイレに入った。 そしてその備品棚に手を伸ばす。 そこには一台の携帯電話が置かれていた。 「Офрана начинает терять свою популярность. オフラーナは仲間割れが始まっています。」 「В частности. 具体的に。」 「Главнокомандующий настроен скептически.Никому нельзя доверять. 司令塔が疑心暗鬼になっている。誰も信用できない状態です。」 「Как они могут сделать это послезавтра? そんな状態で明後日決行できるのか?」 「Они должны это сделать. Они никак не могут повернуть назад после того, что они сделали. 奴らはやらざるを得ない。ここまでやって引き返すなんてできるわけがありません。」 「В котором часу? 時刻は。」 「В 6 вечера, я предлагаю. 18時で私から提案します。」 「Это когда ты будешь дома なるほど帰宅時間というわけか。」 「Да. И это время праздников, когда все начеку. Нет времени лучше настоящего. はい。しかもこれから休日という皆が油断しきった時間。ここを狙わない術はない。」 「Вот тогда мы и переедем. では我々もその時間に動く。」 「Где я должен быть? 私はどこにいれば。」 「Вы будете находиться в районе станции Канадзава. Я сообщу вам, где меня встретить. 金沢駅周辺にいてくれ。合流場所は追って連絡する。」 「Да. はい。」 電話を切った彼はそれを元の箇所に戻した。 そこから出た椎名は牛乳を手にしてレジに向かう。 「274円です。」 「ディンギで。」 ディンギ音 「Спасибо.」 「Пожалуйста.」 店を出た椎名はうつむき加減で家に向かった。 「俺を鍋島そのものにする催眠をかけてもらった。」 「なんだ…それ…。」 「話すと長くなる。とにかく俺はあいつの手で鍋島能力を手に入れた。」 「待て。鍋島能力ってまさか。」 「そう。ルークが欲しがっていたやつさ。」 「実用化できたのか。」 「多分。実際俺はクイーンにもちゃんフリの三波って奴にも使って、その効果を得た。」111 ーまさか空閑が朝戸同様、鍋島のコピーとなるための実験台になっていたとはな…。 ー紀伊の差し金か…。 ーしかしあの紀伊という男も相当のクソだな。 ー陶の手下だとは聞いているが、上司がクソならその部下もクソと言ったところか。 ー朝戸ならず今度は空閑までも鍋島能力の実験台にするとは…。 ーこうも簡単に仲間を売るものか…日本の連中は…。 ーいやオフラーナ特有の使い捨ての手法か…。 ーしかし結局のところ空閑をしても完璧な実用化には至っていないってわけだ。 ー意のままに相手を操れる能力を空閑が手に入れたなら、その能力を行使された三波と光定が同じ場所で落ち合う、なんてこちらにとって都合が悪いことは起こりえない。 ー仮にそれが偶然だったとしても光定は音信不通だ。光定に何かがあったのは間違いない。 ー確かに光定は朝戸に対して特別な感情を持っている。だがそれは光定を真人間に戻すほどの要因たり得ない。 ー基本あいつはマッドサイエンティスト。 ー鍋島能力の研究自体を捨てて、別の何かに重きを置くようなことはしないはず。 ー一時的な気の迷いか…それとも転んだか…。 後方に尾行の気配を確認しながら、椎名はそのまま進む。 ーそもそもこの鍋島能力、光定公信というコミュ障の人間が研究をすることに意味があった。 ーあいつは人との接触を極度に避ける。人と接点を持たない人間は、そこから情報が漏れる危険性は少ない。 ー天宮や小早川、曽我のような色気を出すような人間がこの能力の研究の主力であることは、後々の面倒ごとを引き起こす。 ーいいタイミングだったよ。あいつらが消えたのは。 ー天宮はゆかりによって消され、曽我は光定と空閑。小早川は陶だ。 ー指示系統が全部違う。 ー訳わからないだろうなあいつら。 ちらりと後ろを見て、またもうつむき加減に歩みを進める。 ーちょろい。特高だか何だか知らんがチョロいぞ。 ーすべてがチョロい。 ーまぁ精々お互い潰し合ってくれ。 ー明後日には面白い展開が待ってるさ。 部屋に戻った彼は牛乳パックを開け、グラスにそれを注いだ。 そしてそれを一気に飲み干す。 続いてノートパソコンを開いてメールのチェックをした。 ー片倉京子からメール…。 「明日には最終原稿と素材送りますんで。」 「はい。ですが明日の朝には届けてくださいよ。朝の7時必着です。」84 パソコンに表示されている時計は7時10分。 いま目にしている京子からのメールは7時ちょうどの受信だった。 ー本当にいままで原稿書いてたのか、あいつ…。 あきれると同時に京子の仕事に対する執着心の凄まじさに驚きを感じた椎名は、それを開き添付されている原稿にさっと目を通した。 これまで3回連続で北陸新幹線の人糞散布事件についての考察をしてきました。この事件の後にノビチョクが散布されたところから考えると、この事件はそれを想定した予行演習、もしくは実験的な意味合いが強いと考えます。 ですが、いまはそんなことはどうでもいい。 ここ数日、立て続けに全国各地でテロのような事件が起こっています。 そのすべてが普通ならトップニュースで扱われるほどの重大事件です。 これは異常事態です。ひょっとすると同時多発テロのようなものがこの国で起こっている可能性があります。 もしもそうだとしたらこの国は大変危険な状態にすでにある。 しかし私たち個人は、そういった危険から身を守る具体的な方法を持っていません。 そこで何が大切なことか。 皆で助け合うことだと思うのです。 身近な家族、余裕があれば身寄りのない隣人。これらをお互いで助け合ってください。 助け合いの精神は余裕から生まれます。 危機において最も大切なのは精神的余裕です。 精神的余裕がなければ正常な判断ができません。正常な判断がなければ危機に遭遇する確率は高まります。 しかし精神論で余裕を持てといっても難しい。 状況は時々刻々と変化します。それは私たちにとって耐えがたいストレスとなります。 そういうときはいったん情報をシャットアウトするのも一つの方法ではないでしょうか。 洪水のように押し寄せる情報。これを整理するだけで私たちの精神は削られます。 削られた精神は疲労をもたらし、正常な判断を鈍らせます。 そんな時は生き物として備わっている動物的勘に頼ることも大事なのではないでしょうか。 押し寄せる情報をいったん遮断し、動物的勘を研ぎ澄まし、危機に当たる。 そして一息ついたときに情報を得る。 こういう危機管理があってもいいのではないかと思うのです。 最近、テロのようなものが起きすぎです。 そしてこのテロの報道に私たち発信側は忙殺され、受け手のみなさんも情報の処理に困っている。 こんな時は一度立ち止まってみましょう。 そして深呼吸して自分が置かれている状況を落ち着いて見てみましょう。 生き物として生まれ備わった勘を研ぎ澄ましてみましょう。 ひょっとするとこの情報の洪水。これがテロ行為そのものなのかもしれません。 落ち着き払ったら、戸惑う人に手を差し伸べましょう。 これが秩序を保つ有効な方法なのではないでしょうか。 ーさすが片倉京子。当たらずとも遠からず。いい線ついている。 「私がこうやってちゃんフリって媒体で過去の事件をテロ目的の実験だって報道することを想定し、本来の目的から一定の人間の目を逸らそうとしている。」84 ーだがそれも一面的なもの。 パソコンを畳んだ椎名はそれを鞄にしまい、着替えだした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「おはようございまーす。」 編成責任が詰めている部屋の扉を開いて入ってきたのは片倉京子だった。 「おう京子。」 「どうでした?昨日の特集の反応。」 「まぁこんなもんや。」 画面に表示されている再生回数は7千程度だった。 「結構渋い数字ですね。」 「しゃあないやろ。タイムリーじゃないんやし。」 「ですね。」 「でも大事なんだよこういう番組は。」 「というと?」 「タイムリーってのは表層的なんだ。現象としてしか捉えられない。考える力を奪う。ま、視聴者をあほにする装置ってわけだ。」 京子は彼の物言いに引っかかった。 「あほ?」 「おう。あほ。ばか。だら。」 「え?なんか当たりきついですよ。」 「なによ京子、おまえにいってるわけじゃないだろ。市井のあほばかに言ってんだ。」 この編成責任、こんな乱暴な言葉使いをする人間じゃなかったはずだ。 忙殺の日々によって荒んだ心になってしまったのか。 まさかちゃんフリ全体がそうなってしまっているのはないか。妙な不安感が京子を覆った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 02 Oct 2021
- 138 - 125 第114話3-114.mp3 「内紛でしょうか。」 「小寺三佐、それは私も考えていた。天宮憲行はオフラーナ派のツヴァイスタンシンパ。一方、妻の天宮ゆかりは人民軍派のツヴァイスタンシンパ。同じシンパといえど出自が違う。このふたつ、犬猿の仲だ。」 「その通りです、赤石隊長。オフラーナ派の下間芳夫の影響からツヴァイスタンにのめり込んでいった憲行と違って、ゆかりは生粋の活動家。しかも過激派です。ゆかりは夫を隠れ蓑にして活動に明け暮れていました。」 「そうだ。あの二人は見せかけの夫婦。その証拠にゆかりはしょっちゅう外出していたと聞く。」 「警察が聞き込みに行ったときも、ゆかりはいなかったと情報が入っています。」 「うん。」 「大方、活動のための外出でしょう。遺体が発見された熨子山ですが、ここの中腹にある住宅地の中に人民軍派のアジトがあります。」 「以前から金沢の特務機関がマークしていたやつか。」 「はい。ヤメ警の矢高慎吾も出入りする場所です。」 「人民軍派の日本での主な活動目的は鍋島能力の軍事転用。その管理をしているのが天宮憲行の妻である天宮ゆかり。」 「今回、公安特課が天宮の家に乗り込んで聞き込みをしました。天宮憲行は鍋島能力研究の本丸。完全に天宮は疑いがかけられています。それを知ったゆかりは即座に夫を消した。人民軍派のネットワークをもって。」 「殺しの手口が慣れている。プロの仕業と見て間違いない。」 「はい。人民軍派といえばアルミヤプラボスディアあたりの仕業の可能性が高いでしょう。」 「だな。」 「しかしその天宮憲行を消すことを断行したゆかりも今朝遺体で発見されました。しかも見つかりやすい形で。」 「わざとそうしたんだろう。」 「おそらく。」 「なぜか。」 「誰も入り込まない山奥に遺体を捨てる。これならゆかりは憲行と一緒に口封じされたと言うことで片づきます。ですが今回はあえて見える形でゆかりの遺体を埋めた。オフラーナ派である憲行は人民軍派であるゆかりによって損切りされた。その報復として今度はオフラーナ派の何者かが人民軍派のゆかりを見せしめに殺した。」 「いや違う。」 「と、言いますと?」 「矢高だ。」 「矢高が?」 「そうだ。おそらく今回の天宮ゆかり殺しは矢高によるもの。オフラーナ派の仕業と見せかけてゆかりを粛清した。奴はこちらの存在を認識している。故に我々を撹乱するためにゆかりをそうやって始末したと俺は考える。」 「なるほど。ご明察です。」 「にしてもオフラーナ派と人民軍派の鍋島能力をめぐる仁義なき抗争。それをこの日本という場所で繰り広げるというのはどうにかならないものか。」 「なりませんな。警察だけではどうにもならん規模です。マフィアやヤクザの抗争とわけが違います。」 「迷惑以外のなにものでもない。」 「おっしゃるとおりです。これもMKウルトラの研究がツヴァイスタンという貧困国ではできないことから来ます。」 「なぜこんなに胡散臭く、かつ実用化の可能性が低い研究をやりたがるんだツヴァイスタンは。当のアメリカも、それが流れついたロシアも結局価値なしと見捨てたのにだ。」 「それはちょっと違うかと。」 「違う?」 「はい。」 「どう違う。」 「アメリカは確かにMKウルトラの研究を捨てた。しかしロシアはどうでしょう。ウルトラが流れ着いたときはまだあそこはソ連でした。ソ連崩壊が研究を諦めさせたに過ぎません。ツヴァイスタンは旧ソ連。鍋島研究を行っていた元ソ連の研究者は皆、ツヴァイスタンに行きました。ロシア連邦としては鍋島研究は不要なのでしょうが、ソ連は未だその実用化を諦めていないと考えたほうが良いかと。」 「確かにそうかもしれんな。」 「御存知の通り、ツヴァイスタンの経済状況はひどい。その中でこの手のモノになるかどうかもわからない研究を進めることに批判的な勢力がいます。」 「ツヴァイスタン外務省だな。」 「いかにも。この鍋島能力の研究を主導するのはあくまでもツヴァイスタン内務省警察部警備局、通称オフラーナです。オフラーナは瞬間催眠を実用化し、自国の反体制派の粛清に利用しようとしています。人民軍派は核を持ってはいますが、核はあくまでも抑止力としてか使用できないことを彼らは知っています。今あの国の軍に必要なのは通常兵器の充実です。しかしツヴァイスタン人民軍の装備は旧ソ連のものを未だに使用している状況です。いざ紛争や戦争となれば火力の面で劣る。したがってツヴァイスタン人民軍は非対称戦を展開することを余儀なくされるのですが、そこに瞬間催眠のような力があれば、非常に有効です。」 「相手側の兵士を簡単にこちら側に取り込めるからな。」 「はい。そのような力を軍事転用できるとなれば、無敵のゲリラ部隊の誕生です。鍋島能力はある意味、核よりも実用的で脅威となる兵器となります。」 「もしもその力をツヴァイスタン人民軍が手に入れたら、世界のパワーバランスが崩れる。」 「おっしゃるとおりです。ツヴァイスタン人民共和国の現首脳部が望むのは現体制の保持です。これが鍋島能力を手に入れてしまうことで、確実に自国を取り巻く環境が変化します。隣接するロシア、中国といった強大な国家からの干渉を招くこととなるでしょう 。」 「世界の覇権を得られるかもしれない能力を手に入れたがために、早々に友好国から見切りをつけられ、自滅の道を歩むか。」 「とにかくツヴァイスタン外務省には頑張っていただく他ありません。」 「そうだな。」 「ところで赤石隊長。」 「なんだ。」 「ベネシュの件です。奴が金沢で存在が確認されており、かつ隊長の見立ての通り、矢高の活動が活発化しているとすると、逼迫してるのではないでしょうか。」 「何がだ。」 「何らかの実力行動がある危険性です。」 赤石は腕を組んだ。 「単なる過激派のテロ行為で留まる可能性がありますが、ややもすれば、アルミヤプラボスディアのようなほぼ軍事組織ともいえるような連中による作戦行動が取られる可能性もあります。」 「たしかに小寺三佐の言うことももっともだ。しかし我々はアルミヤプラボスディアがそのような作戦行動をとるという確定的な情報を得ているわけではない。現段階では単なる憶測。憶測だけで行動するわけにはいかん。」 「しかし事が起きてから対応していては、全てが後手に回ります。せめて予防的配備だけでもできないでしょうか。」 「水際対策はあくまでも警察の管轄だ。我々の範疇ではない。」 「ですから予防的配備です。もしものときに即応できる体制を整えるだけです。」 席を立ちコツコツという足音。 外を眺める赤石の視線の先には、訓練に勤しむ隊員たちの姿があった。 「先の東倉病院の件もあります。あれは公安特課の松永課長から化学兵器によるテロの危険性に備えるようにとの働きかけが国家安全保障局にあったから、我々が即応体制を整えることができたのです。」 「しかし警察OBに被害者が出た。」 「だから今回こそはそのようなことは避けたいんです。背後にアルミヤプラボスディアという民間軍事会社がおり、かつその精鋭部隊トゥマンのトップ、マクシーミリアン・ベネシュも金沢にいる。一旦事が起こるとその被害はノビチョク事件の比ではないことも想定しておかねばなりません。」 コツコツと音を鳴らしていた赤石の足は止まった。 「まさかトゥマンがすでに着上陸している?」 「わかりません。が、想定しておいて損はありません。最近は不審船の漂着が多発していますので。」 「すぐに司令官の判断を仰ぐ。」 「ありがとうございます。」 「小寺三佐は直ちに金沢に行け。現地特務と合流しろ。」 「はっ。」 「いくらトゥマンが精鋭部隊だとしても、現地の有力な協力者がいないことには効率的な部隊運用はできん。矢高は我が国におけるトゥマンの目。矢高の動きを最優先で監視しろ。」 「了解。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 着信音 「はい。」 「俺だ。」 「あ…。」 「あれから動きはあったか。」 電話を耳に当てながら男は周囲を見る。 現在時刻は朝の7時半。 ゴミ捨て場に自宅のゴミを出そうと外に出た瞬間にそれはかかってきた。 周りに人影らしきものはない。 彼は続けた。 「公安特課の相馬と岡田。このふたりがウチの店に来てからは何もありません。」 「そうか。」 「例の看護師は。」 「以後自宅待機のようです。」 「仁川は。」 「連絡はありません。」 「片倉京子は。」 「あれからうちの店には来ていません。」 「オフラーナは。」 「ヤドルチェンコからコンタクトがありました。」 「どういった?」 「ブツを隠すため店を借りたいと。」 「ブツ?」 「はい。」 「なんだそれは。」 「おそらく金曜に予定されているあれに関するものかと。」 「火器類だな。」 「たぶん。」 「いいだろう。好きにさせてやれ。」 「無効化しますか。」 「いや。見守るんだ。」 「しかしこのままだと、奴らにいいようにやられます。」 「それでいいんだ。」 「…そうですか。」 「いいか。何でもかんでもドンパチやる時代は終わったんだ。好きなようにやらせてやれ。最終的に俺らのものになりさえすればいい。オフラーナはそのままで行け。」 「わかりました。」 「ただひとつだけ気をつけてくれないか。」 「なんでしょう。」 「自衛隊だ。」 「自衛隊?」 「そうだ。」 「自衛隊がなぜ?」 「あいつらはあいつらで情報部隊を持っている。」 「自衛隊の情報部隊?」 「ああ。これは公安よりも目立たず厄介だ。しかもあいつらは警察よりも作戦や火器類に詳しい。だからヤドルチェンコらのブツの管理は十分に注意しろ。」 「わかりました。」 「良くも悪くもボストークはいろんな人間が出入りする。全員が諜報員だと思って対応してくれ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 18 Sep 2021
- 137 - 124.2 第113話【後編】3-113-2.mp3 ツヴァイスタンから亡命してきた拉致被害者、仁川征爾。 報告書によれば拉致された仁川はあの国の秘密警察オフラーナの厳重な管理の下、秘密警察要員として育成された。 仁川の主な任務は日本語教育、亡命・移民者の管理監督だった。 一方的に人生を狂わされた仁川だったが、彼は彼なりの努力をもって、ツヴァイスタン労働党員の党籍を得るまでになった。 労働党員となった彼の生活水準は貧困にあえぐあの国の中にあっては比較的良い部類であり、食うには事欠かない生活を送っていたようである。 そんな彼が命がけであの国から脱出してきた。 なぜか。 理由は二つ考えられる。 ひとつは純粋にツヴァイスタンに嫌気がさして逃げてきた。 もうひとつは亡命を偽装し、何らかの目的をもって日本にやってきた。 この二つの論調は日本政府を二分した。 しかしツヴァイスタンに関する情報が極端に少ないことから、この議論に決着をつけることはできない。 どちらも可能性がある。 したがって政府は仁川征爾を警察管理の下、厳重にその動向を監視することとした。 「仮に仁川がツヴァイスタンの工作員だったとしても、警察の厳重な管理下にあれば何もできない。」 百目鬼は後ろ手に組んで、室内を歩く。 「問題はその厳重な管理がザルだった場合…なんだよな…。」 高橋勇介こと陶晴宗。山田正良こと矢高慎吾。 この二人が仁川征爾の東京での聴取に最後まで関わった。 陶は現在、内閣情報調査室の専門官。 矢高は得体の知れない存在。 このどちらもの存在が一連の事件の周辺に存在する。 「内調と連携をとるふりしてあそこの動向に探りをいれてた松永課長をノビチョク事件をきっかけに速攻で亡き者にし、俺を介してマルトクを縛る。こいつは松永課長の懸念通りといったところか…。」 百目鬼は報告書を開き、陶の写真を見る。 「高橋勇介…。あんた腹違いの兄弟と結託してなにしようってんだ? あんたの企みにやられるほど我が国の公安警察は弱くないぜ…。ただ…。」 視線をずらし続いて矢高の写真を百目鬼は見る。 「山田正良…。こいつなんだ。俺が気になるのは。」 固定電話をかける音 呼び出し音 「百目鬼です。上杉情報官お願いします。」 「しばらくお待ち下さい。」 しばし無音 「百目鬼です情報官。このたびは貴重な資料の提供ありがとうございます。」 「礼には及ばんよ。」 「これでわかったことが二つ。さらに知りたいことがひとつあります。」 「なんだ。」 「まずわかったことひとつめです。陶は限りなく黒に近いグレーです。」 「なぜ。」 「説明すると長くなります。とにかく捜査一課のツテを利用して捜査の攪乱を図っています。」 「証拠はあるのか。」 「はい。」 「なんだ。」 「高橋勇介という名前です。」 「なんだ?それは奴の偽名だが。」 「いいえ違うようです。」 上杉は黙った。 「わかった百目鬼、おまえがそう踏んだならそれでいい。」 「ありがとうございます。」 「でわかったこと、もうひとつはなんだ。」 「仁川征爾。奴も限りなく黒に近いグレーです。」 「陶がクロだから、か。」 「はい。」 「落とせるのかそれで。」 「まだわかりません。わかりやすい陶と比べて奴は全くつかめません。」 「本場仕込みだからな。」 「はい。」 「任せる。」 「ありがとうございます。」 「で、なんだ。さらに知りたいことは。」 「陶の片割れです。」 「矢高か。」 「はい。」 「それはおまえがかまうな。」 「と言いますと。」 「防衛省の管轄だ。」 「はい?」 「矢高についてはDIH(自衛隊情報本部)で動いている。」 「あぁ…そうだったんですか。」 「おまえらマルトクは出しゃばるな。」 「わかりました。」 「陶にしろ矢高にしろ、マルトクとDIHがマークする重要人物。そのふたりに接点をもつ仁川征爾。いずれにせよ最重要人物であるには変わりない。」 「はい。」 「仁川の動向は細心の注意を持って監視せよ。」 「かしこまりました。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 11 Sep 2021
- 136 - 124.1 第113話【前編】3-113-1.mp3 熨子山山頂の展望台に続く遊歩道。 愛犬を連れ立って歩く男がいる。 木々が生い茂る地形のためか、薄明(はくめい)時のこの場所はまだ暗い。 帽子の上から装着されたLEDライトの光が、暗がりに漂う自分の白い吐息を照らす。 気温は11度。 「ワンッワンッ!!」 めったに鳴くことのない愛犬が突如立ち止まり吠えだした。 「どしたぁペロ。」 犬が吠える先には雑木林。もちろんその先には人気がない。 嫌な予感しかしない。 LEDライトを手にした彼は恐る恐るペロが吠える方を照らす。 彼の予感は的中した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「なに?天宮の奥方が遺体で見つかった?」 「はい。先程熨子山で発見されたと報告が入りました。現在所轄と本部の捜一が現場に入っています。」 石川の公安特課、富樫からの報告だった。 「状況は。」 「なんでも土の中に埋まっとったとのこと。」 「埋まっていた?」 「はい。第一発見者は犬です。」 「犬?」 「ほとんど吠えることがない犬が突然吠えだし、何事かとその飼主が犬が吠える方を見た。そしたら土の中から手ぇみたいなもんが出とった。んで通報って感じです。」 「ふうむ…。」 「ただ理事官。ちょっとおかしな点がありまして。」 「なんだ。」 「発見されたのは熨子山の遊歩道からちょっと入った雑木林の中なんです。」 「それがどうした?」 「山に埋めるとなると、普通は人の目に触れない奥深いところでしょう。ほれなんにこいつは違います。遊歩道からそんなに離れとらん場所に埋めた。」 「しかも手が出てたって言ったよな。」 「はい。」 「わざと発見されるように、そこに埋めた。」 「可能性あります。」 「とするとなぜこのタイミングで…。」 「誰かに対するメッセージ的なもんですかね。」 「どういう?」 「わかりません。」 「だよな。」 「理事官。どうしますこの件。」 「天宮の奥方だからな…。事件とは無関係ってわけにはいかないだろ。」 「ですが捜一のシマです。」 「捜一…。」 百目鬼は暫し沈黙した。 「天宮殺しの現場に千種が愛人であるとして侵入。現場の書斎で捜一の警部が対応。お引き取りいただいた…。その後、古田と接触した千種は車に轢かれて死亡…だったよな。」 「はい。そういう奇妙なことがありました。」 「その千種の対応をした警部ってどんなやつだ。」 「佐々木統義(のりよし)。古株デカです。自分もかつて何度か絡んだことあります。いわゆる昔気質な奴です。」 「古田的な感じか。」 「うーんちょっと違うかも。古田さんと違って年齢も比較的若いですからね。言うなら結構ドライな感じですか。」 「ドライ?」 「はい。」 「え?それどういうの。」 「うーん…。なんかこう面倒くさがり的な?」 「面倒くさい?」 「はい。やっかいごとにはあまり関わりたくないって感じを受けました。その代わりといっては何ですが、クレバーな印象を持ちました。」 「なるほど…何となく見えてきた。」 「そうですか。」 「その佐々木、この天宮の奥方の件も勿論、臨場してるんだろうな。」 「でしょうね。」 「にしても千種のときのこいつの対応が気になるんだよなぁ…。」 「関係者以外立ち入り禁止。なのに千種をほいほい現場に入り込ませ、そこで話し込む。あり得ませんからね。」 「やっかいごとを引き受けたくない人間が、だ。」 百目鬼と自分の考えが同じであることを確認し、富樫は言葉を続けた。 「特別な事情がない限り佐々木はこのような行動はとりません。なにせクレバーな男ですから。」 「特別な事情とは…。」 「事件解決の糸口をやつなりに掴んどって、あえてそういうリスクをとったか…。」 「まったく別の事情があって千種と個人的にコンタクトをとる必要があったか、だな。」 「いずれにせよ佐々木個人の性格などを知らんことには、そのあたりも目星がつかん。ということで佐々木の周辺を洗いました。」 「よし。」 「基本的には奴はやはり面倒くさがりです。捜査については可もなく不可もなく。目立った実績を作るわけでもなく、失点もない。失点を無くすことで生きてゆくタイプですね。」 「失点を無くすことに重きを置く人間がリスクをとる、ありえんな。」 「はい。」 「となると何が奴をそうさせている。」 「いろいろ調べたんですが、それっぽいものが出てこんのです。思想的なもの、派閥的なもの、経済的なものはシロです。ですが1個だけ気になる箇所がありました。」 「なんだ。」 「佐々木には腹違いの弟がいます。」 「弟?」 「はい。」 「それが何か。」 「この弟の情報…調べても調べても出てこんのです。」 「マルトクの情報網を持ってもか?」 「はい。」 「存在そのものが消されとると思うくらい、手がかりすらない。」 「名前もか。」 「いえ、名前だけはわかってます。」 「名前は。」 「高橋勇介。」 電話を切る音 「ここでか…。」 百目鬼の視線の先には先ほどまで読み込んでいた、 「平成27年 仁川征爾 保護経過観察報告書」があった。 「それにしても情報が多すぎる…。」 こう呟く百目鬼の前には一枚の写真が貼り付けられたホワイトボードがあった。 その写真は頭をハゲ散らかした男のものだった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 数時間前 「なんでこの汚い頭の男の写真が片倉、お前から俺のところに送られてくるんだ。」 「と言いますと?」 「こいつの写真は俺と岡田で止まってるはずだ。」 「いえ。自分のところには石川のマルトクから送られてきました。」 「ケントクから?岡田が送ってきたのか?」 「いえ。岡田個人が自分に送ってきたんじゃなくって、ケントク代表メールからうちの部下の個人アドレスに。」 「岡田の部下から片倉の部下にか?」 「はい。」 「何だそれは…。」 「普通はないことです。」 「だな。」 「メールを送った人間と受け取った人間の把握はできているんだな。」 「送った人間はケントクのことなのでわかりません。受け取った人間はわかります。」 「その人間監視しろ。」 「すでに監視しています。」 「よし。」 「ま、とにかくこのハゲです。こいつはただのハゲじゃありません。」 「ハゲハゲ言うな。名前で言え。誰が誰だかわからなくなる。」(片倉の発言を遮るように) 「あ、はい。ハゲ男こと矢高(やたか)慎吾ですが、結果的にこいつはかなり怪しい。」 「どう怪しい。」 「アルミヤプラボスディアと何らかの関係があります。」 「アルミヤプラボスディアだと?」 「はい。」 彼の机の上には高橋勇介こと陶晴宗の資料と併せて、山田正良こと矢高慎吾の資料があった。 「矢高は能登署のデカをヤメたことになっていますが、奴は密かにソトイチのメンバーとしてここに警視庁に配属されてました。」 「うん。それは俺も調べた。」 「ソトイチは対ロシア、東ヨーロッパ対応の外事。奴はその中でも旧東側諸国で依然として影響力を持つロシア系民間軍事会社アルミヤプラボスディアの我が国での活動状況を監視するスタッフだったようです。」 「うん。それも知ってる。」 「で、この矢高。あることがきっかけで免職になってるんです。」 「免職?」 百目鬼は資料に目を落とす。 「それはご存知でない?」 「うん。」 「癒着ですよ。」 「癒着?」 「はい。よくある話です。監視する側がいつの間にか取り込まれた的な。」 「具体的には。」 「金銭の授受。」 「賄賂か。」 「はい。」 「あちゃー。」 「監察に現場押さえられて懲戒です。」 再び手元の資料に目を落とす。 ー矢高慎吾。仁川取り調べの後、一身上の都合で依願退職。仁川の聴取に最後まで対応するも、同僚の田中の死ショックを受け退職を申し出た…。 ーこの報告書と片倉の今の話、合致しない…。 「片倉、整理したい。矢高が能登署を辞めたのはいつだ。」 「6年前です。」 「その矢高がソトイチに来たのは?」 「辞めて直ぐに流れで来ています。」 「で、懲戒を食らったのはいつだ。」 「それから1年後です。」 ー矢高が能登署を辞めた時期、ソトイチを辞めた時期、そのどちらもこの資料と合致する。 ーなるほど、矢高がアルミヤプラボスディアの監視役をしていたってのはソトイチなりの自演ってわけか。 ーまぁ仁川の「じ」の字も出せるわけないわな。 ーなにせ俺もいまのポジションになるまで、仁川の「じ」も知らなかったんだ。 「理事官?」 「あ…。」 「いいですか続けて。」 「あ、うん。」 「以後、矢高は行方をくらました。しかしある時、不意に奴の目撃情報がソトイチにもたらされることになります。」 「ソトイチに?何だ。」 「アルミヤプラボスディアの精鋭部隊にトゥマンっていう部隊があるのは理事官ご存知ですか。」 「いや。不案内だ。すまない。」 「この矢高、そのトゥマンのリーダー格であるマクシーミリアン・ベネシュという男と東京第一大学で目撃されとるんです。」 「アルミヤプラボスディアの人間と矢高が東一で?」 「はい。」 「なんで。」 「よろしくないことが理由でしょう。」 「というと?」」 「何らかの技術研究が目当かと。」 「それは?」 「それは特定できていません。」 「そうか…。」 「大方、矢高が東一にベネシュを斡旋でもしたんじゃないですか。」 「民間軍事会社の人間が東一…。あすこそんな軍事系の研究なんかしてたっけ。」 「いいえ。あすこは学問と軍事のつながりを嫌う風潮が最も強い場所だってのは、卒業生の理事官が肌身を持ってご存じのはず。ですがほら、目下のあれがあるじゃないですか。」 「あれ?」 「はい。」 うろうろと室内を歩き回っていた百目鬼は足を止めた。 「…なるほど。あれか…。」 「はい。アルミヤプラボスディアの上得意先にはツヴァイスタンという国家があります。」 「瞬間催眠…。」 「その軍事転用。」 「天宮周辺が臭いか。」 「はい。」Sat, 11 Sep 2021
- 135 - 123.2 第112話【後編】3-112-2.mp3 「私は上司に報告しました。医者がタレこんだ写真はなかったと。すると数日後、警察はその家に抜き打ちの持ち物検査に入りました。」 「で…。」 「彼女は毅然としてそんな写真はありませんって言い通しました。まさか窓の木枠にそれが入ってるとは警察も思わず、結果はセーフでした。」 「同朋意識があなたの心を動かした結果…ですか。」 「いいえ。そんな高尚な意識は私は持っていません。それまでに私は数々の日本人移民、亡命者を通報し、検挙してきました。その任務遂行能力の高さを買われて私は秘密警察の管理下に置かれたようなものですから。」 「ではなぜその家族だけにそのようなリスクをとった?」 「写真が美しかった…。」 「はい?」 「私にはその家族に思い入れも何もありません。ただ単純純粋に写真が美しかった。それが警察の手に渡ると燃やされる。それは私には耐え難いことだったんです。」 「は、はぁ…。」 「先生もわかるでしょう。理屈抜きに美しいものってこの世に存在するんです。」 「まぁ…。」 「あの写真。また見てみたい…。」 「ちなみにそのご家族のその後は。」 「知りません。」 「そのご家族の名前は。」 「思い出せません…。」 ここで仁川は頭痛を訴えたため、その日の小早川研究所での催眠聴取は終了した。 「さぁ仁川さん、今日は帰りましょう。」 高橋という担当者が仁川にこう声をかけると、彼を担いで車まで運んだ。 「田中、仁川さんお疲れだ。このままマンションまで送ってくれ。」 「わかりました。」 仁川と一緒に後部座席に座った高橋は座席のシートを自分の指でなぞったり、叩いたりした。 ーモールス…。 「オレ オマエノ ミカタ。」 仁川も同様の手法で彼に応えた。 「ダレダ オマエ。」 「タカハシニアラズ。」 「ナマエハ。」 「マダイエナイ。」 「ナンノヨウダ。」 「オフラーナ。」 「ショウコハ。」 「コレカラジコ。」 「ジコ?』 「キヲツケロ。」 気をつけろ。こう彼がモールス信号で伝えた瞬間だった。 運転席に身を乗り出した高橋は、田中を振り切ってハンドルを掴み、それを強制的に右に切った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「田中事故死の後、欠員補充なし。山田と高橋の両名が交代で仁川の聴取に臨むことになった…。」 読みかけの報告書を一旦机の上に置いた百目鬼は天を仰いだ。 開かれたそこには取調べ担当官である高橋の情報が写真付きで記載されている。 高橋勇介こと陶晴宗。元警視庁捜査一課課長その人だった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 28 Aug 2021
- 134 - 123.1 第112話【前編】3-112-1.mp3 5年前 都内マンションの一室。 仁川征爾はここに3ヶ月の間、軟禁状態で警察からの聴取を受けることとなった。 聴取係は山田、高橋、田中の3名。 見るからに偽名とわかるこの3名の担当官、彼ら2名がペアとなり、交代で仁川と向き合った。 取調べは過酷だった。 下間によって連れ去られた当時の詳細から始まって、ツヴァイスタンに入ってからどういう人間と出会ったか。朝目覚めてから夜眠るまでどう言った毎日を過ごしていたのか。待遇は。価値観は。生活環境は。食事は。 どういった統治機構で国は治められているのか。どういった連中が力を持っているのか。軍の状況は。警察の状況は。経済状態は。衛生状態はどうか。微に入り細に入り聴取された。 人間の記憶には限界がある。 仁川は彼らの聴取の全てに答えることはできなかった。 そこで彼らは仁川の潜在的な意識にアプローチする方法を取り入れることとした。 ある日仁川はある場所に連れられることとなる。 それが東京第一大学第2小早川研究所だった。 警察の聴取では自分の記憶をたどることで、彼らの問いかけに応えていたが、ここでの聴取は別物だった。 小早川を前にして目を瞑り、彼の問いかけに自然に答える。 すると次第に当時のあの場所が鮮明な映像となって蘇ってきた。 砂埃まみれの街。近代的とは決して言えない煉瓦造りの低層の家々。舗装もろくにされていない道路にジープのような軍用車が荒っぽい運転で駆け抜ける。遠くから怒鳴り声のようなものが聞こえたかと思えば、自分の洋服を下から引っ張るものがある。 そこに目をやると垢のためかそれとも排気ガスの煤(すす)のためか、顔を黒く汚した幼児が自分に物乞いをしていた。 臭い。得も言われぬ不快な匂いが周囲に立ち込めている。 ひとことで言うとこの場は極めて不衛生だ。 目の前の酷い有様に眼を逸らすように天を仰ぎ見る。するとそこには地上とは対照的な抜けるような青空があった。 「ツヴァイスタンは晴れの日が多いんですか。」 「はい。晴れの日は過ごしやすいです。」 「というと?」 「雨の日は最悪です。都市部はそうでもないですが田舎の方の道路の大半が舗装されていませんから、水溜りだらけになる。標準で不衛生ですから、そこに長雨なんかが続くと病気が蔓延します。」 「あなたも病気にかかった?」 「はい。」 「どういった病気にかかりましたか?」 「腸チフスです。」 「腸チフス?」 「幸い自分は秘密警察の管理下にある身分でしたので、早めに医師に診てもらう事ができて無事回復しました。」 「と言うことはそうでないケースもあると。」 「あの国は労働党員であることが生きる上で最も重要な事です。労働党員でないものは人にあらずです。」 ツヴァイスタン人民共和国はツヴァイスタン労働党による一党独裁の国家。 国家は党の所有物。 つまり議会も行政機関も司法も全て党執行部の下位機関。 上位機関の決定は下位機関にとって絶対的拘束力を持つという民主集中制を採用しているこの国で、支配政党である労働党員になる。これがこの国で人間らしい生活を営むための必要最低限の条件だ。 労働党員でない人間。これはただのヒトという生き物にすぎない。 それは見方によっては家畜と同等であるということだ。 「秘密警察の管理下にあったとおっしゃいましたが、具体的にあなたはどういった任務に従事されていたんですか。」 「主に日本から亡命してきた人を監視していました。」 「日本からの亡命者?」 「はい。亡命者もそうですしツヴァイスタンの政治体制に共感して住み着いた日本人。これらも監視しました。」 「それだけですか。」 「…。」 「あなたのように拉致されて来た人達は。」 「もちろん監視対象です。」 「監視とはどういったことを?」 「ツヴァイスタン労働党員の先輩として彼らに近づき、色々を話して反体制的な思想を持っていないかを調べたり、協力者から密告を受けることもあります。それを上官に報告し対応します。」 「具体的な事例を教えてください。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 首都ベルゼグラードから150キロ離れた地方都市グンリム。 椎名こと仁川は郊外のとある家の前に立った。 ノック音 ドア開かれる 玄関ドアから顔を覗かせたのは、小学校にあがるかどうかの年齢の幼き少女だった。 「お母さんの調子はどうだい?」 「時々起きて編み物とかしてる。」 「そうか。少し良くなったんだ。」 「おじさんのおかげ。」 「おじさん…。」 「うん。ジュコフおじさん。」 「麗。おじさんはやめろって言ったろ。おにいさんだ。君のお兄さんとは10歳しか変わらないんだぞ。」 「ジュコフさんは大人だけど兄さんはまだ子供。おじさんで良くない?」 「良くない。そこいらのおっさんと一緒にしないでくれる?こんなピチピチの男子をさ。」 「ピチピチって…。ジュコフさんって本当に日本語上手だね。」 「…。」 「本当にツヴァイスタン人なの?」 「言ったろ。モンゴル系なの俺。見た目がアジア系だからって勝手に日本人扱いしないでくれる?」 「だってすっごい上手だもん。」 「そりゃ俺頭いいから。」 「あはは。」 仁川は持っていたリュックを部屋の床に置いた。 「どうしたのジュコフさん。その荷物。」 「あぁこれか。ちょっとね。」 リュックから取り出したのはノコギリやミノ、金槌といった工具類だった。 「それでなにするの?」 「それはお楽しみ。あ、そうそう。来月、悠里のやつ夏休みで3日だけここに帰ってくるってさ。」 「え!本当!」 「うん。正確な日にちは決まってないんだけど、成績優秀者だけがもらえる特別休暇みたい。」 嬉々とした下間麗は母親にも伝えてくると言って、部屋の奥に引っ込んだ。 「さてと…。」 タバコに火をつけてそれを吸う音 部屋を眺めた彼はおもむろに窓を外し始めた。 上司 "Это Шимома, но у него дома может быть фотография".「下間だが写真を家に持っている可能性がある。」 仁川 "Фотографии?"「写真?」 上司 "По наводке врача, который выезжает на дом. Он видел нечто подобное в спальне. Чем ты занимался?"「往診に行っている医者からの密告だ。寝室にそれらしきものがちらりと見えたらしい。お前今までなにやっていた。」 仁川 "Простите, сэр".「申し訳ございません。」 上司 "Запрещено хранить СМИ, которые не прошли цензуру тех, кто имеет связи с иностранными государствами. Иди и собери его".「外国とパイプのあるやつの検閲が通っていないメディアの保持は禁止だ。回収してこい。」 仁川 "Как пожелаете.「仰せのままに。」 上司 "Только не усугубляйте ситуацию".「ただことを荒立てるな。」 仁川 "Что ты имеешь в виду?「と言いますと?」 上司 "Асуко находится под контролем Имагавы. Эта бесхозяйственность может быть использована позже".「あすこは今川の管理下だ。この不始末は後々利用できる。」 ー写真…。 奥から麗が戻ってきた。 「ジュコフさん。なにやってるの?」 「ここの家、窓しっかり閉まらないの前から気になってたんだ。たぶんこのガラス窓の枠がちょっと傾いてんじゃないのかな。今日はこれをバラしてつけ直そうかなって。」 「ジュコフさんってなんでもできるんだね。」 「頭がいいからさ。」 「でもくさい。」 「くさい?」 「うんタバコ臭い。」 やれやれと言って仁川は火を消した。 「麗ちゃん。」 「なに?」 「お兄さん、帰ってきてほしいよね。」 「当たり前でしょ。」 「だったらジュコフお兄さんの言うこともきいてくれる?」 「え?なんで。」 「いいから。麗ちゃんとお母さんのためなんだ。俺のいう事聞いてくれないと悠里兄さん帰ってこれないかもしれない。」 「えー。」 「しーっ。」 仁川は麗の口を抑えた。 「写真隠してるでしょ。」 「え…。」 明らかに麗の顔色が変わった。 「お父さん。外国出張多いよね。いまも出張中。そういうお家がその手のもの持ってるとどうなるかわかってるよね。」 「持ってない。」 「嘘言っちゃいけない。」 「持ってないよ。うちにある写真は検閲通ったものだけ。」 「絶対に?」 「絶対。」 「嘘ってわかったらお兄さん帰ってこれないどころか、皆殺しだよ。」 「…。」 「持ってるね。正直に言いな。」 麗は黙ったままだ。 「ふぅ…。さすが悠里の妹だね。肝が座ってる。いいよ。それでいい。」 「…。」 「その写真持ってきな。俺が隠してやる。」 「…。」 「信用していないな麗。」 そう言うと仁川は作業を進めた。 木枠を固定するネジをすべて外し、それを弓なりに持ち上げる。するとそれは簡単に外れた。 木枠にはガラスを充てがう溝が切ってあるが、仁川はそれの一部をミノや彫刻刀のようなものを使って更に彫り込んだ。 「よし。」 どこから取り出したのか一枚の絵葉書大の紙を手にした仁川。彼はそれを筒状に丁寧に丸めて、今切った溝に入れた。 「ほら。ここに入れときゃ絶対にバレない。」 「…。」 「お母さんにちゃんと説明して写真持ってきな。」 再び奥の部屋に姿を消した彼女はしばらくして一枚の写真を手にして戻ってきた。 「これしかないの。私達の家族写真。」 写真には抜けるような青空、レンガ造りのこの自宅を背景に、車椅子に座る下間志乃を囲む芳夫、悠里、麗の姿が写っていた。 「これが他国に渡りでもすれば、ツヴァイスタンの生活水準が推し量られる。絶対に検閲は通らないよ。」 「だから隠してた。」 仁川はその写真を見つめてしばらく動かなかった。 「いいだろう。お兄さんに任せなさい。」 こういうと彼は先程の紙ペラ同様、その写真を丁寧に丸めて木枠にそれを収めた。 「いいか。このことは俺と麗、そしてお母さんしか知らないことだ。俺ら三人の秘密だぞ。もしもバレたらこの中の誰かがチクったってことになるからな。」 麗はうなずいた。 「よし、いい子だ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 28 Aug 2021
- 133 - 122 第111話3-111.mp3 深夜のちゃんねるフリーダム。報道以外のほとんどのフロアの電気は消えている。そのなかで社長室の電気だけは煌々と灯っていた。 「ま、かけて。」 「あ、自分外します。」 「いやいい。デスクも一緒にいてくれ。」 「あ、はい。」 安井と黒田がソファに座るのを見届けて、加賀は立ち上がった。 そして二人の前まで来て、なんの予告もなく安井の顔面を拳で殴りつけた。 殴打音 「あ…が…。」 「社長!」 「デスクは黙ってろ。」 自分の拳をハンカチで拭いながら、加賀は安井と向かい合いようにソファに腰を掛けた。 「ひとりでなんでもかんでも背負うんじゃねぇよ。バカが。」 「…。」 「安井君。なんで俺に相談してくれなかったんだ。なんで黒田君にも相談してくれなかったんだ。俺ら三人はちゃんフリ立ち上げのメンバーだろ。」 「…。」 「言いたくないのか。」 安井は加賀の問いかけに答える様子はない。ただうつむいて加賀とも黒田とも目を合わせないようにしている。 「言いたくないなら聞かない。ただし黙秘をするということは君の考えは俺の解釈に一任するってことでいいんだな。」 「…。」 「反論の余地はなくなるぞ。」 「…。」 「いいだろう。」 こう言うと加賀は立ち上がった。 「原因究明はひとまず置いておいて、まずは原状回復だ。安井君。マスターデータをどこに保管している。」 安井は持っていた自分のリュックから外付ハードディスクを数個とりだして、机の上に置いた。 「これで全部です。」 「よし。じゃあ早速ここから対象のデータ抽出して、配信停止しているやつ復旧をしてくれ。」 「社長…。」 ようやく安井は加賀の顔を見た。 「なんだ。」 「何も聞かないんですか。」 「何を聞く。」 「どこにこれを隠していたとか。一体どういう管理をしているんだとか。」 「…。」 「そもそも何でこんな事をやったのか。」 加賀は安井の言葉を遮った。 「言ったろう。原因究明なんざしてる暇はないんだ。いまは原状回復が最優先。君の文句を言えば24時間あっても足りない。さっさと取り掛かってくれ。」 「あ…。」 「言わなくてもわかってる。安井君。今回のこと、君なりの思いやりの結果だったんだろう。その正否を問うほどいまは時間はない。幸いウチの会社も被害は今の所軽微だ。そして三波君。彼の容態も安定している。」 今まで張り詰めていたものがプツンと切れた瞬間だった。 安井は嗚咽した。 「安井。徹夜だぞ。」 かつては相撲部としてならした安井の大柄な体も、この状況下では虫のように小さくなっていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー いつものように頭から布団を被って寝ていた椎名。その彼の側に忍ばされた携帯電話が無音の状態で光った。空閑からのメッセージだった。 「遅くにすまん。緊急で知らせたいことが起こった。」 椎名は携帯電話を自分に引き寄せ、布団のなかでそれを操作していることが悟られないように、フリック操作でそれに返す。 「何だ。」 「クイーンと連絡が取れなくなった。」 この表示に椎名は手を止めた。 「この切羽詰まった状況で一方的にこちらからの連絡手段を遮ると言うことは、二つ可能性が考えられる。ひとつはあいつが警察の手に落ちた。もう一つはあいつが裏切った。」 「落ち着け。早まるな。」 「早まってなんかいない。悠長なことは言ってられない。」 「だから落ち着けって!」 空閑からのメッセージが一旦止まった。 「確かにこのタイミングで連絡が取れなくなるのは不自然だ。ビショップ。お前、クイーンと何かあったか。」 「鍋島にしてもらった。」 「えっ?」 「俺を鍋島そのものにする催眠をかけてもらった。」 「なんだ…それ…。」 「話すと長くなる。とにかく俺はあいつの手で鍋島能力を手に入れた。」 「待て。鍋島能力ってまさか。」 「そう。ルークが欲しがっていたやつさ。」 「実用化できたのか。」 「多分。実際俺はクイーンにもちゃんフリの三波って奴にも使って、その効果を得た。」 「具体的には。」 「俺とのやり取りを記憶から消し、クイーンには病院に戻っていつものように振る舞え。三波には家で引きこもれって暗示をかけた。結果その通りの行動を二人はとった。」 「やったな!とうとうやったな!おめでとう!」 「でも…。」 「でも?でも何だ。」 「今、その二人はなぜか石大で合流している。」 「何だって…。」 「そこで音信不通ってわけだ。」 空閑は続けてメッセージを送ってくる。 「どうだキング。クイーンの奴、警察の手に落ちたか裏切った、どっちだと思う。」 椎名はこの返事を打つために1分ほど間をおいた。 「どっちも疑った方がいい。」 「どっちも?」 「ああ。警察の手に落ちて、こちらからの接触を絶っている可能性もあるだろう。」 「なるほど。」 「いずれにせよ手を打った方がいいな。」 「どう手をうつ。」 「少し考えさせてくれ。」 「時間がない。」 「今の状況でバタつくのは得策じゃない。相手に付け入る隙を与える。朝にはこちらから連絡する。それでどうだ。」 しばしの間を置いて空閑から返信が来た。 「キング。」 「何だ。」 「キングはルークのこと信用できるって言ってたよな。」 「ああ。」 「どう信用できる。」 「どうって?」 「キングはルークのどう言った点が信用できるって思ってるんだ。」 「おいおい、何言ってんだ。仲間だろう。」 「クイーンですらこうだ。ルークも十分怪しい。」 「何?」 「そもそもナイトをあんな状態にさせた原因を作ったのはルークだ。」 「待てビショップお前何言ってんだ。」 「5年前、東京で妙な事件が多発したの、お前覚えてるか?」 「いや…知らない。」 「殺人事件が起こって間もなく犯人逮捕。でもその犯人はみんな自殺。」 「あぁ…そんなのあったかも。」 「それ全部、クイーンの実験だった。」 「え!?」 「その5年前のやつも、俺がやられたのと同じ実験。俺はたまたま今正気を保ってるが、あの時のやつは全員自殺って結末だった。つまり失敗だ。」 「鍋島能力を手に入れるための実験だったって言うのか?」 「そう。そしてルークはその実験対象にクイーンの親友であるナイトを充てがった。」 「ルークがナイトを?」 「あぁ。」 「いや待て。ナイトはもともと妹の死で精神を病んでいた。それがための頭痛にも悩まされていた。クイーンはそんなあいつを見かねて、強度が非常に強い催眠であいつの緩和医療を施していた。そうだろう。」 「違う。ナイトの精神状態を追い込んだのはルークだ。」 「どういうこと?」 「ルークはナイトの妹の死、その揉み消しに警察が噛んでいる証拠を奴に突きつけた。復讐を遂げる方法をクイーンは持ち合わせていることを仄かしてな。」 「何だって…。」 「唆(そそのか)したんだルークは。ナイトが自ら実験対象に名乗りを上げるように。結果はご存知の通りさ。」 「じゃあなぜナイトは前例のように自死しない。」 「キングも知ってるだろう。緩和ケアと称する催眠。それと副作用を打ち消す薬の処方。この二つで精神のバランスを保ったわけだ。ナイトの警察への憎悪は治らない。だから定期的に奴に緩和医療の一環で警察への復讐を果たした記憶をねじ込むことで心の充足を与える。一方で憎悪の元となった妹の喪失感。これを紛らわせるために朝戸紗希と瓜二つの山県久美子の肖像を見せる。この二つの絶妙なバランスがナイトを今日まで延命させた。」 「ルークが今のナイトを作り出した元凶ってことか。」 「そうだ。」 椎名はしばらく返信するのを止め、空閑の発言の流れを見直した。 自らを鍋島にするようにクイーンに依頼し、それは成功したかのように見えた。しかし今一つ完璧な力を得られたかの確証を得られる状態ではなく、ひょっとすると失敗だったかもしれない。そこにクイーンの連絡途絶。彼が警察に寝返ったと判断。 そして返す刀でルークを糾弾。そもそもナイトをあんな状態にしたのはルークに全て責任があると言っている。 ー何を言っている。 ー朝戸をあんなにしたのはお前だろうが。空閑。 ーなんて自己中心的な人間だ。 ー今の今まで朝戸を利用してきたのはどこのどいつだ。 ー朝戸の精神を落ち着かせるために、光定は催眠を使って警察への復讐を何度も達成したかのような暗示をかけた。 ーしかしどうも効き目が薄い。 ーそこでお前が何を光定に提案した? ーそうだ。お前は一流の嘘は所々に本当のことを入れるって、朝戸に実際の復讐行動をとるように暗示をかけたほうが達成感が出るんじゃないかって光定を唆したじゃねぇか。 ーで、そのデビュー戦が東倉病院のノビチョクだ。 ーお前が殺人マシーン朝戸を作り出したんだ。そしてそいつを利用して3日後おっぱじめようとしてんじゃねぇか。 ーこのサイコパス野郎が。 「なぁこれでもルーク信用できるのか。」 「そんな事があったなんて知らなかった。」 「そうか。」 「気をつけよう。それはそれで対応を考える。」 「頼む。」 「これも朝まで待ってくれ。こっちも監視の目がきつい。」 「すまない。では。」 そっと携帯電話をしまった椎名は寝返りを打ちながら声を発した。 「Мы готовы. 準備は整った。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 男は暗闇の中目を開いた。 「天宮と曽我、小早川が立て続けに死んだ。」 がばりと起き上がった彼は牢屋越しに見える人影に近寄った。 「全員か?」 「そうだ。」 「いつだ。」 「昨日と今日。」 「たった二日で…。」 「心当たりが?」 「天宮の奥方は。」 「行方不明。」 「まさか…。」 「なんだ。」 「あいつらが動いてる…。」 「あいつら?」 「まずい…。マズすぎる…。」 「何だ何のことを言ってるんだ。」 「軍だ。」 「軍?」 「ツヴァイスタン人民軍…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 21 Aug 2021
- 132 - 121 第110話3-110.mp3 部屋から顔を覗かせたのは年老いた男だった。 まばらな白髪頭。老眼鏡なのか鼻メガネをかけている。 上目遣いでこちらの方を注意深い様子で見る。 「言っとったお客さん連れてきた。」 三好がこう言うと老人は目を細めて、彼の後ろに立つ岡田を見る。 頭から足の爪先までを舐めるように。 「入んな。」 人ひとりの出入りしか出来ないほど狭い玄関口。 三好と岡田が靴を脱ぐと、それだけでそこは埋まった。 上り框のところには灯油のポリタンクが二つ積み重ねられ、それが狭小さに拍車をかける。 二人は身を捩りながら奥に進んだ。 部屋に入ると壁の至る所にポスターが貼られている。 「憲法9条を殺すな」「原発反対」「男女平等共同参画」「日米安保反対」「消費税反対」といったものだ。 ポスターが貼られている他は、以外にも小綺麗に片付けられており、老人は部屋の畳によっこらしょっと言って座った。 「まさかポリ公をウチの中に入れることになるとはね。」 「ゲンさん。今日は本当にありがとう。」 「岡田と申します。この度は貴重な機会を頂戴しまして本当にありがとうございます。」 二人とも彼に頭を下げて改めて謝意を示した。 「警察に頭を下げられるようになるなんか思っとらんかったわw」 「玄蕃さん。私の頭は下げるためにあるようなもんです。頭を下げて何とかなるんでしたら、いくらでも下げます。」 「やめてくれ。ゲンさんでいい。」 「はい。」 「事情は三好から聞いとる。何でもまずい動きがあるらしいな。」 「はい。ご存知やと思いますけどここ最近の不審船漂着関連です。」 「あれな…。おたくらは把握しとらんがか。」 「恥ずかしながら上陸部隊の情報は全くと言っていいほど把握できていません。」 「わしらにとっては極秘の会合。それをどうやって聞きつけたんかわからんが、あんたらは先回りして必ずそこにおる、そう言う存在やった。わしらは肌でアンタらの凄さ知っとるから分かる。」 「…。」 「そんな日本の公安警察の情報網を掻い潜る。並の人間にできる芸当じゃない。しかも一度ならず何度も。組織的や。」 「はい。」 「厄介な相手やな。」 「ええ。」 「ワシらはワシらの革命の姿がある。この革命はワシらの手で成し遂げなならん。よその者がこっそりワシらのシマに入り込んで引っ掻き回されるのは御免や。」 「とにかく自国のことは自国で。そこのあたりは我々と社会改良党とでは組めるということですね。」 玄蕃は頷いた。 「ま、前置きはここまでとしてや。」 玄蕃は押し入れから大きな紙を引っ張り出してきてそれを二人の前に広げた。 それは何枚ものコピー用紙を張り合わせて作った、畳1畳程度の大きさの日本地図だった。 「これは?」 「見てピンとこんけ。」 岡田は地図を繁々と見る。 日本海沿岸部のところどころに赤丸シールが貼られていた。 そして福岡、島根、鳥取、兵庫、福井、石川、富山の県庁所在地に青丸シールが貼られ、各県の所々に黄色の丸シールが貼られている。 「この赤のマークは…。」 「そう最近立て続けに発生し話題の不審船漂着事件の現場や。過去3年分の漂着地点が網羅されとる。」 「3年分?」 「そうや。」 「え?そんな前から?」 「んなもん。昔、三好が絡んだ工作船漂着事件の頃から似たようなことあるやろういや。」 「あ…えぇ…。」 「岡田さん。俺とゲンさんはその時からの付き合いなんですよ。」 三好が間に入った。 「そんな昔から…。」 「ご覧の通りゲンさんは生粋の社会改良党員。下間悠里の上陸ん時にあいつが滞在した村の住人なんです。」 「え?あの時の。」 玄蕃はうなずく。 「あそこは社改党の党員が多い村でして、昔から噂があったんですよ。その連中がツヴァイスタンの工作員を手引きしとるんじゃないかって。」 「ワシの村の人間にそんなことをする人間はおらん。それだけは断言する。あの事件はわしらのそういった世間からの疑いの目を逆手にとって、下間らがやったことや。わしは奴らのやり方が憎たらしい。わしらはほんな汚いやり方で革命なんかせんわい。」 「そうでしたか。」 「あん時からわしら社改党は独自のネットワークで、その手の連中の監視をしとる。あんたら公安が役に立たんかったからな。ほら、赤丸ダントツで石川県トップやぞ。」 「面目ない。」 岡田は素直に詫びた。 「話戻すぞ。青は不審船が漂着した県の県庁所在地。んでこの黄色。これが今回あんたらに伝えなあかんやつや。」 黄色のシールは不審船が漂着していない県にも貼られている。福岡や兵庫には全くなく、富山県に比較的多く確認できる。その中でも飛び抜けて多く貼られているのが石川県だ。 「これアパート、マンションとかの賃貸物件なんや。」 「賃貸物件?」 「ああ。築30年以上経ったいわゆるボロ物件。最近このての物件、中国とか東南アジア、インド、中東系とかの連中が住み着いとるの知らんけ。」 「知っています。実際見たことあります。」 「治安がどうこう言うけど、言うほどそんなヤンチャな人間っておらんもんや。実際下手な日本人よりもちゃんとしとるって話も聞く。」 「そうなんですか。」 「需要と供給で商売は成り立つ。人口減少で不動産経営も厳しい、昔ながらの大家連中もそういう人間相手に商売せんことにはやってけんしな。で、最近この黄色のところで新しい顔が見かけられるようになったって情報が入った。」 「新顔?」 「ロシア系。」 「ロシア系?」 「そう。ロシア系の人間の出入りが確認されとる。あ、いや言い方が悪かった。確認はされとらん。けどそっち系の言葉が話されるのを聞いたって言うのを、この地図は網羅しとる。」 「え…こんなに。」 「赤マークに比例して、こいつも石川がダントツや。あ、でもなこれはのべなんや。今現在、こんだけの物件があるっちゅうもんじゃない。ほら。」 玄蕃が指さす黄色のシールの側に日付けのようなものが書かれている。 「これは対象物件の生活の気配が無くなった時期の日付け。仮に退去日としよう。」 「…金沢の中心部に徐々に集まってくるようにも見えますね。」 「その通り。遠くの方からこっちの方に徐々に。」 「あれ?」 「気づいたけ。」 「富山のほとんどが4月12日の日付けですね。」 「そうねんて。2週間前に忽然と姿を消しとるんや。」 「同時多発的な動き…。偶然とは思い難い。」 黄色丸シールで現在有効であると思われるものは6箇所ある。 「ゲンさん。この物件、物件名とか部屋番号の情報は。」 「あるに決まっとる。」 「それ貰えませんか。」 「やることはできるけど。何する。」 「ガサ入れます。」 「やめとけ。」 「なんで。」 「無理やそれは。」 「だから何で。」 「国際問題になる。」 「国際問題?」 「特定の民族をターゲットにしてガサ入れたなんて世間に知れると、人権派のメディアの格好の餌食になるぞ。」 「でも事が起こってはどうにもなりません。我々は犯罪を水際で防ぐのが仕事です。」 「岡田さんって言ったっけ?」 「はい。」 「あんたの言っとることは正しい。けどそれだけやと握りつぶされるぞ。」 「それはありません。」 「何でそう言い切れる。」 「そういった捜査妨害が入らないないように、我々の公安特課が設立されたんです。」 「だからわしが言っとるのはそう言った官僚サイドの話じゃないんや。」 「というと。」 「政治やって政治。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 光定は相馬と一緒だった部屋にまだいた。 「随分と思い悩んでいらっしゃるみたいですね。クイーン。」 「…。」 「だったら継続したほうが良いんじゃないんですか。このままナイトとビショップを観察し、実験の結果を見守るって具合に。」107 坊山に届けられた携帯電話。 テーブルの上に置かれていたそれを手にとった彼は画面をタップした。 通知が何件も来ている。 ロックを解除するとビショップからのものであることがわかった。 SNSと電話どちらからも連絡が入っていた。何度も。 「今日はもういい。」 そう言って光定はそれをしまった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「何ですか。大川さん。」 鬱陶しそうに空閑は電話に出た。 「違うじゃないか。」 「はい?」 「三波の話だよ。」 「何が。」 「全然、自宅に引き篭もっていないじゃないか!三波の奴いま病院だぞ!」 「え?」 「今、ちゃんフリの中の人間から連絡があった。三波、救急車で搬送されたって。」 「救急車?」 「中の奴、カンカンだ。とうとう身内に手ェ出したなって。空閑!お前何やってくれたんだ!」 「え、待って。嘘だろう。」 「嘘なわけがないだろう!」 「待て。落ち着け。病院ってどこだ。」 「石大だ。」 「石大?」 ーえ…石大だったらクイーンからその情報入るはずだけど…。 「聞こえないのか石大だ!」 「待て待て。大声出すな落ち着け。大川さん。あんた三波が石大に本当に運び込まれたって確認したのか。」 「確認?んなもんするか!ってかそんな悠長なこと言ってる場合かよ。全部…バレるぞ…。」 ー何で…。催眠、効いてないのか…? 「おい。」 ーいや。実際クイーンには効いていた。三波も効いていた。なのに何で…。 ー待てよ…。クイーンの奴、俺からの電話に出ない。メッセージの既読もない。 ー三波は石大に搬送…。何で石大に?金沢には他にも阿保ほど病院あるぞ。 ー偶然? ーまさか…俺が催眠をかけた人間二人が同じ場所に…集められた? 「おい空閑!」 「えっ。」 「え、じゃないだろう。どうするんだよ。」 「その中の奴、なんて言うんだ。」 「なんて言うって…。」 「名前だよ。」 「何でお前にそれを。」 「いいからすぐ言え。俺が何とかする。」 「安井…隆道…。」 「ちゃんねるフリーダムの安井隆道だな。」 「あぁ。」 「家は。」 「窪かそのあたりだったと思う。」 「窪ね。」 「待て、何をする。」 「おとなしくしてもらう。」 「お前、さっきもそんなこと言って、三波はそうなってなかったじゃないか。」 「うるさい。黙れ。次は違う。」 「何が違う。」 「今度は確実に仕留める。」 「仕留める…?」 「大川さん。あんたはそのまま動くな。あんたが動くと足がつく可能性がある。俺に任せろ。」 「…んなこと言うけど。」 「俺の言うことを聞け。そして俺とのやり取りの履歴を全て消せ。お前の身のためだ。」 「待て、空閑。お前何する気だ。」 「いいか。もう俺とは関わるな。お前はお前のケツを拭くことだけ考えておけ。」 「俺のケツ拭き?」 「それぐらい自分で考えろや。」 電話を切った空閑は即座に光定に電話をかけ直す。しかしそれに応答する気配はない。 「…俺らみたいなちっぽけな存在が何をできるって言うんだ。できっこないことを夢想して悦に浸っていても、現状はちっとも変わりやしないよ。」107 「クイーンの奴…。寝返ったな…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 切った電話を力なく床に落とした。 「お父さん。」 振り返ると息子の雄大がいた。 「あ、もう帰ってたのか。おかえり。食事は用意してある。レンジでチンして食べてくれ。」 「お父さん。空閑先生と何やっとらん…。」 「…。」 「ねえ。お父さん。」 「どこから聞いた。」 「…全部聞いた。」 この雄大の言葉を聞いて大川は彼に言い訳できない状況になっていることを悟った。 「いいか。もう俺とは関わるな。お前はお前のケツを拭くことだけ考えておけ。」110 さっきの空閑の言葉が頭をよぎったその時だった。 雄大が大川に抱きついた。 「お父さん。お願いやから無茶だけはせんといて…。」 「雄大…。」 大川の胸は雄大の涙によって濡れていた。 「あんな声で空閑先生怒鳴るなんかお父さんじゃないみたいや。なんか最近お父さんどんどん別人になって行っとる…。」 気づかれていた。 「しかし…親の苦労子知らずですかね。」18 「俺はなんて傲慢だったんだ…。」 大川は雄大をそっと抱きしめた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 14 Aug 2021
- 131 - 121 第109話3-109.mp3 ー瞬間催眠なんか誰がどう考えてもただのオカルト話だ。誰も取り合ってくれない。 ーだが相馬周。あの男なら話を聞いてくれるはずだ。 ーいや...。そもそもあの男はこの事を調べるために俺に接近してきた。 ーそれをうっすらと感じていたから、俺はあの男のオファーに乗った。 ーそう。縋る思いで。 井戸村は石大病院に向かうタクシーにあった。 窓からは流れゆく金沢の夜の街並みが見える。 ーあのときの俺は目標を失っていたんだ。 ー生きる糧を失っていただけなんだ。 ーぽっかりと空いてしまった心の穴。それを埋めることができればそれで良かった。 石大病院の病院部長のポストを斡旋した男の姿が、井戸村の頭から離れない。 ー別に金が欲しかったんじゃない。 ー寂しかったわけでもない。 ーただ理由が欲しかった。 ー生きる理由。働く理由が欲しかったんだ。 タクシーを降り職員通用口から再び医学部に戻った彼は暗い廊下を進んだ。 ー自分が生きている証拠として、金という数字がただ銀行口座に貯まる。 ー貯まったところで何をするわけでもない。 ー俺には資産を託す子供がいるわけでもないからな。 自販機でコーヒーを買う音 「井戸村さん。僕に話って何ですか。」 背後から声をかけられた。 「その声は相馬さんですね」 「はい。」 「瞬間催眠…。」 「坊山さんから聞いたんですか。」 「はい。」 井戸村は振り返った。相馬が立っていた。 ーなんだ...。まだ30前後の若者なのか。 電話とメールでしかやり取りしたことがなかった井戸村は、相馬の意外な外見に正直なところ肩をすかされる思いがあった。 「井戸村さんも思い当たる節があった?」 「あ、はぁ...。自分は何を研究しているかは聞かされていませんでした。ただ天宮先生、小早川先生、曽我先生そして光定先生の研究環境を整えろとだけ言われてました。」 「誰に?」 「わかりません。」 「わからない?」 「自分は名前も知らないんです。顔もしっかりと覚えていない。わかるのは男と言う性別だけです。」 「という事はあなたはその人間と会ったことはある。」 「はい。」 「素性の分からない人間の言うことを聞く。…なるほど脅迫でしたか。」 「…それに近い部分もあります。」 「あなたとその男とのそもそもの接点は。」 「東一繋がりです。」 「同窓生。」 「彼はそう言って私に近づいてきました。」 「素性を明かさない時点で、それも本当かどうかは分かりませんね。」 「相馬さん。あなたこそ何者なんですか。」 「ただの人材コンサルタントです。」 「いや違う。あの男と同じ臭いがする。」 相馬は黙った。 「自分の過去と現在を全て分析して、断りようもない魅力的な未来を提示するこの手法。あの男と同じです。」 「…井戸村さん。」 暗がりに相馬の目が光ったように見えた。 「貴重な情報ありがとうございます。」 「はい?」 「となれば貴方の身にも危険が及ぶ恐れがあります。」 「なぜそれを…。」 「井戸村さん。貴方は今日はこのまま自宅へ帰って下さい。明日からは普段通り過ごして下さい。貴方の身の安全はこちらで確保しましょう。」 「身の安全を確保?ですか?」 「はい。」 「え?何者何ですか…。あなた。」 「言い方は悪いですが井戸村さんは私にとって貴重な商品です。商品に傷がつくなんて事になったら、私も商売あがったりですよ。」 「はぁ…。」 「先生方の研究環境の整備を命じられていたんでしたよね。」 「は、はい。」 「その先生方が立て続けに亡くなってしまった今、指示が来るはず。」 「はい。今はその指示待ちです。」 「向こうからコンタクトがあったら、こちらから派遣する人間にそれを報告して下さい。」 「派遣する人間?」 「はい。」 「誰ですか。それは。」 「ご心配なく。多分ピンときます。」 もう夜は遅い。お互い休みましょう。相馬はそう切り出した。 「光定先生は?」 「先生は今日はここに泊まるようです。」 「瞬間催眠の研究ですか。」 「ま、そんなところですか。」 「なんでそんな平然としてるんですかあなたは。」 「え?」 「国を滅ぼす研究ですよ。光定先生がやっている研究は。」 「瞬間催眠が国を滅ぼす?何で?」 「あ、いえ...どう滅ぼすのか分かりませんが...少なくともそういう意図を持った研究だっていうのはさっき気付きました。」 「貴方と接触していた男が匂わせていたんですか。」 「はい。何かこそこそしてるとは思ってました。やたらと各方面に調整を求めてくるんです。今考えるとあれがひょっとしてと思い返されることもある。」 「…。」 「事実、人が死にすぎですよ…。しかも立て続けです。」 「井戸村さん。」 「…何です。」 「片足突っ込んだらもう引き返せないんです。ことが終わるまでは何としても踏ん張って下さい。」 「...。」 「武器は持ってるだけなら怖くもなんともない。但し意図を持った瞬間それは脅威になる。」 どことなく余裕のある振る舞いを常に見せる相馬だったが、この時の彼は明らかに顔つきが違っていた。 「脅威...。」 「我々は全力であなたを守る。だからあなたも全力で我々に協力してほしい。脅威からこの国を護るために。」 この言葉を聞いた瞬間、井戸村は悟った。 相馬が何者であるかを。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「光定を泳がす?」 「はい。」 「その真意は。」 「光定はコミュの相馬の協力者となりました。同じコミュの人間同士、連携して当初の計画通りテロ行為の準備を進めるということです。」 「コミュの相馬?」 「はい。」 「相馬の奴、うまく光定を取り込んだな。」 「はい。テロの予定日は5月3日。今週の金曜です。ギリギリまで光定を泳がせて周辺の連中を炙り出し、一斉検挙としたく存じます。」 「わかった。でも無理は禁物やぞ。あまりギリギリまで引っ張ると撃ち漏らした奴が暴発する可能性がある。」 「承知しています。よって最終的な判断については。岡田課長。あなたに判断を仰ぎます。」 「わかった。それについては理事官にもマサさんから報告しておいてくれ。」 「了解。」 「マサですか。」 電話を切った岡田に声をかけたのは三好だった。 「はい。」 「ギリギリまで引っ張るって、どこまで引っ張る気なんですか。」 「予定日は5月1日。今週の金曜。」 「時間は?」 岡田は首を振る。 「仮に5月1日になったと同時に決行という段取りなら、前日の午前には何らかの判断を求められる。」 「明後日の午前に百目鬼理事官から指示が降りるとすれば、その手続きにかかる時間を加味して…。」 「リミットは明日いっぱいですか。」 腕時計に目を落とした岡田は呟いた。 「27時間…。」 「厳しいですね。」 「まさかテロなんてもんをこの国で計画しとるとはね…。」 「しかも金沢駅。」 「こんなクソ田舎の駅でテロを起こす。そんなモンのために我が国に部隊を相当数隠密上陸させる。」 「どう考えても、ただのテロじゃないですわな。」 沈黙したふたりの前に一棟の古びたマンションがあった。 彼らはお互いの見合って頷いた。 「こちら岡田。今から対象と接触する。」 「了解。」 富樫の応答を受け、二人は眼前のマンションに吸い込まれていった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「ビショップは空閑。ナイトは朝戸。クイーンは光定…。」 「はい。」 「チェスじゃん。」 「はい。」 「そうだとすれば他にも同じような面子がいるってわけか。」 「キング。ルーク。ポーンです。」 「気になるのは大将のキングだね。」 「はい。」 「そこのところ徹底的に調べてくれるかい。」 「それが手がかりらしきものがないんです。」 「…。」 「相馬はギリギリまで光定を泳がせて、尻尾を出すところを捕まえることを自分に提案しました。」 「泳がせる…。」 「リミットは27時間。27時間後締め切ります。岡田課長も承認済みです。」 「わかった。それまではそちらに任せる。」 「ありがとうございます。」 「朝戸と光定の張り付きは問題ないんだな。」 「はい。」 「空閑は。」 「塾は臨時休業。現在行方を追っています。」 「空閑は朝戸と接触する可能性もある。おそらく金沢市内もしくは近郊にいるはずだ。寝ずに探せ。」 「はい。ですが何分にも人員が不足気味でして。」 「わかってる。それは金と気合でカバーしろ。他部署に協力を仰ぐわけにはいかない。」 「もちろんです。」 「あ、そうだ。」 「何です?」 「捜査員のサングラス着用、徹底してね。」 「はい。」 電話を切った百目鬼は携帯電話を床に叩きつけた。 「クソが!」 「どうする…。急にタイムリミットが設定されちまったぞ…。27時間。27時間だ…。落ち着け。落ち着け、俺…。」 「だから私が東倉病院のヘマを埋め合わせる結果を出せばそれでいいんでしょう。そうすりゃ大蔵省もグチグチいってこない。」 「おい…。」 「大蔵省であろうが、防衛省であろうが、察庁内であろうが文句は言わせません。結果出します。」 「いつまでに。」 「3ヶ月。」 「長い。」 「じゃあどれだけが希望ですか。」 「1ヶ月。」 「無理です。」 「やれ。それくらい早くないと説得力がない。」 「じゃあやります。」30 「1ヶ月どころじゃねぇよ。あと27時間だよ。」 床に落ちた携帯を拾い上げた百目鬼はそれをポケットにしまった。 「最悪を想定してやるだけやりました。あとは俺も現場を信じて27時間走り続けるだけですね。」 ドアをノックする音 「どうぞ。」 「失礼します。ご依頼のものをお持ちしました。」 手渡されたマチ付きの封筒を開き、彼はそれに目を落とした。 書類の右端には機密とハンコが押してある。 「官房長は何と?」 「閲覧後速やかに処分されたいとだけ。」 「わかった。ありがとう。」 「それでは。」 ドアを閉める音 百目鬼が手にする書類。その表紙にはこう書かれていた。 「平成27年 仁川征爾 保護経過観察報告書」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 07 Aug 2021
- 130 - 120.2 第108話【後編】3-108-2.mp3 「だけど事実はオカルト研究だった。そう言う事ですね。」 「結局あの時もあいつは俺にブラフをかけていたって訳だ。」 「利用されましたね。」 井戸村はため息をつく。 「そう言うことを俺は言ってるんじゃ無いんだ坊山。」 「はい?」 「別に俺はいいんだよ。コロコロ手の内で転がされても。」 「じゃあ…。」 「許せんのだよ。その男が。あいつこう言っただろう。『もしもそれがそんなオカルト研究だとしたら、この国は滅ぶでしょうね。間違いなく』ってよ。」 「はい。」 「これって裏返したら国を滅ぼす研究をしてますよって宣言だろ。」 「あ…。」 「俺は許せんのだよ。国立大学って名の下で国を滅ぼす研究をしてる輩が。そして知らなかったとはいえその片棒を担いで、今まで人より良い生活をしてきた自分がよ。」 井戸村の顔は紅潮している。 酒によるものではない。怒りによるものか、それとも恥によるものか。とにかく彼のプライドがそうさせているのだろう。 「坊山。」 「はい。」 「お前も楠冨も光定に近づきすぎた。距離をとるためにしばらく仕事は休め。」 「え?楠冨もですか。」 「そうだよ。気づけよ鈍いぞ。」 坊山は井戸村の言葉の真意がわからない。 「とにかく俺は俺なりのやり方で事態の収拾を図る。その間はお前ら2人に危険が及ぶ恐れがある。だから休むんだ。有給とか欠勤とか言ってられん。とにかく俺との接点を消せ。わかったな。」 こう言った井戸村は坊山の分の会計を済ませて、店から出て行った。 「接点消すって…。んならなんでこんなところに呼び出せんて…。」 冷めてしまった餃子を口に入れ、もぐもぐとそれを噛む。 店の隅に置かれたテレビでは歌舞伎の襲名披露のニュースが流れていた。 「先代の想いを継いで、精進して参りますね…。」 「想いを継ぐ…。」 餃子を噛む口の動きが止まった。 「まさか部長…。」 その様子を遠巻きに観察する古田がそこにあった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 31 Jul 2021
- 129 - 120.1 第108話【前編】3-108-1.mp3 「ちょっくら外で煙草吸ってきてもいいけ?」 「どうぞごゆっくり。」 古田は店から出た。 「はいもしもし。」 煙草を咥え火を付ける音 「井戸村ってまだそこにいるの?」 「おう。おる。」 「もうしばらくしたら坊山って男が合流するみたいよ。」 「坊山?」 「ええ。そいつの部下。病院の人事課長。」 「部下が何しに。」 「わかんない。」 「ふうむ…。」 「井戸村。何でも随分ヤバいことに首突っ込んでたみたいよ。」 「ヤバいこと?なんや?」 「それもわかんないの。とにかく周りを巻き込みたくないからってウチの楠冨帰らせたみたい。」 「…何や…ひょっとしてその坊山ってやつがヤバいんか。」 「違う。坊山も楠冨と一緒よ。巻き込みたくないんだって。」 「待て待て。巻き込みたくないげんに、楠冨は家に帰らせて、何で坊山は呼び出しなんや。」 「わかんないわよ。私、井戸村じゃないんだし。」 煙をゆっくりと吐き出した古田は空を見上げた。 数時間前まで雲に覆われていた空だったが、月明かりによってその切れ間が見えるほどになっていた。 「トシさん?」 「あ…うん…。」 「で、私はどうすればいいの?」 「そうやな…楠冨については一旦これで離脱してもらうとしようか。せっかく井戸村が気を利かせてくれたんや。」 「そうね。」 「痕跡は消したい。楠冨を離脱させたらマスターも離脱してくれ。」 「わかったわ。」 「何度も言うが山県久美子のストーキングについては心配ない。だからマスターは通常業務で頼む。」 「了解。」 「トシさん。」 「うん?」 「忙しいと思うけど。ちゃんと休んでね。」 「あ?」 「あれからメモとってる?」 「メモ?何のことや。」 「何言ってんの。この間、トシさん石大病院にかかった時からメモとってないって言ってたでしょ。」 「あれ?んなこと言っとったけ?」 「え…。」 電話口の森は心配そうな声を出した。 「トシさんクガの件は何なのかわかったの?」 「クガ?」 「そう…クガ…。クガのこと追っかけてるって言ってた件よ。」 古田は黙った。 「大丈夫?トシさん。疲れていない?」 「…マスター。今日は何曜日や。」 「え?」 「今日は何曜日や。」 「…火曜日よ。4月28日。」 「ってことは平日やな。」 「…そうよ。」 振り返ると中華料理店「談我」看板が見える。 「何でワシこんなところで飯食っとるんや。」 「え…。」 森は絶句した。 「また電話するわ。落ち着いたら店にも行くし。じゃあ。」 「え?トシさん?ちょっと待って。」 森の呼びかけを遮るように古田は電話を切った。 「ふぅ〜。」 店の外で煙草を吸う古田の前を通過し、忙しない様子で店の中に入っていく男があった。 「奴さんと思し召しき人物登場。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 店に入ると奥のテーブル席にひとり、肩を落とすように佇む男の姿があった。 「部長。」 こう呼びかけると男は顔を上げた。 いつも自分に高圧的に接している井戸村ではない。 明らかに彼は憔悴していた。 「…相馬さんは。」 「光定先生と応接です。自分、井戸村部長からすぐに来るよう言われてましてって言ったら、どうぞって言ってくれました。事務局の施錠は警備室に引き継いできました。」 「そうか。で光定先生は。」 「よくわかりません。」 「わからない?」 「はい。相馬さんと応接にいたんですが、なんかわからんがですけど、ただ項垂れてうーうー言っとりました。」 「?」 「相馬さんはご心配なくって言って自分送り出してくれたんで、戸締りは警備室にお願いしてすぐここに向かったんです。」 「そうか…。」 「で、部長何なんですか。何をご存知なんですか。」 こう言って坊山は井戸村のグラスにビールを注ごうとするが、それは手で蓋をされた。 「酔った勢いで話すことじゃない。呑むのはお前も控えてくれ。」 「は、はい。」 坊山は熱い茶と餃子をオーダーした。 「お前…あんな写真見てよくメシ食う気になるな…。」 「まぁ写真ですから。現物でしたらちょっと無理ですけど。」 「俺なんか想像しただけでも、まだ上がってくるぞ。」 「確かにびっくりはしましたが、自分はそこまでじゃありません。もっと酷いもの見てますから。」 「救急搬送の患者とか…。」 「まぁ…。」 「そうか…。」 「ま、そんな話はどうでもいいでしょ。部長の心当たりって何なんですか。」 「それよりも坊山。その催眠の実験とやらを光定先生がやってるって話、もう少し詳しく教えてくれないか。」 「詳しくと言われてもこれについてはそれ以上のことはわかりません。自分が聞いたのは光定先生は『瞬間催眠』っていうものの実験を至るところでやってるってことです。で、それが気づくと自分でもとんでもないところまで発展していて、収拾がつかない状況になっているらしいってことです。」 「瞬間催眠…。」 「ええ。」 「なるほど…噂通りだ。」 「噂とは?」 「あれは俺がまだ東一の職員だった頃の話だ。ただの都市伝説だと思っていた。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 東京第一大学医科学研究所事務部 「え?第2小早川研究所?」 「はい。」 「いや。聞いたことがない。」 「そうですか。」 「何よそれ。どこにあんのよ。」 「本学の中です。」 「え?このキャンパスの中に?」 「はい。僕ら職員も知らない秘密の研究室。存在は一部の人間しか知らないって話です。」 「あの俺、一応管理課課長なんだが。」 「何でも総長直轄の研究室でマル秘だとか。」 「都市伝説だろ。」 「わかりませんよ。」 「で?」 「機関の人間が出入りして、密かに研究してるって話です。」 「何だよそれ。アニメの見過ぎだぞ。第一なんだよ機関の人間とか。」 「小早川先生がやってる研究、井戸村課長はご存知ですか。」 「知らね。」 「催眠です。」 「催眠?」 「はい。天宮先生からの流れを受け継いで瞬間催眠の研究をされています。」 「瞬間催眠?何だそのオカルト。ってか瞬間催眠とか機関とか総長直轄とか香ばしさオンパレードじゃん。」 「その香ばしさを隠れ蓑にして第2小早川研究所は堂々と研究をしてるって話です。」 「ないない。あり得ない。もしもそれが本当だとしたら、この医学研究所の管理を任されている俺が存在すら認識できていなかった責任を問われる。つまり俺の首が飛ぶ話だ。」 「そう思って自分、課長にご注進申し上げたんです。」 阿呆らしい。こんな下らない話に付き合っている暇はない。 そう言って井戸村は話を切り上げようとした。 「ですが今課長と話してて気がつきました。」 「おいおい。まだ続ける?」 「第2小早川研究所は本来あってはならない存在です。だから課長は今のまま何も知らないことを管理する。これが求められるのでは?」 「なんだお前。小難しいこと言うなぁ。」 「すいません。変な話をしてしまいました。忘れてください。」 見るなと言われれば見たくなる。 食べるなと言われれば食べたくなる。 触るなと言われれば触りたくなる。 それと同じように忘れてくれと言われれば、忘れられなくなる。 ただの都市伝説であると一笑に伏していた井戸村だったが、第2小早川研究所の存在が頭から離れなかった。 だが同時に部下の言葉が頭を過ぎる。 「第2小早川研究所は存在してたらいけない存在です。だからむしろ課長は今のまま何も知らないことを管理する。これが求められるのでは?」 初めからその話を聞かなかったことにすれば良い。そうすれば第2小早川研究所は存在しないのだ。 あれから第2小早川研究所の名を口走る者は誰一人と居ない。 彼は自分にあの話をして間もなく退職した。 井戸村は黙して語らずを決め込んだ。 月日は経ち、その都市伝説の存在を思い出すことも無くなったようなある日。男が井戸村を訪ねてきた。 「賢明な判断をされました。あなたは。」 唐突にこう切り出した彼の容姿に特徴のようなものはない。 それ故に姿かたちを思い出せない。ただ東京第一大学の出身であることだけは井戸村の記憶に残っていた。 「何をおっしゃっているのかさっぱり分かりませんが。」 「それで良い。」 彼は鞄の中からおもむろに一冊のパンフレットを取り出した。 「お仕事の斡旋です。」 「はい?」 パンフレットを手にした井戸村はその表紙を声に出して読む。 「石川大学医学部附属病院?」 「こちらの病院部長というポストに空きが出ます。こちらに移られるのは如何でしょう?」 「え、私が?」 「はい。」 「まさか…私は…。」 「いいえご心配なく。お役御免ではありません。ヘッドハンティングです。」 「ヘッドハンティング?」 「はい。病院部長は石川大学病院の事務方トップの役職です。待遇は今より数段上です。悪い話では無いはずです。」 井戸村はパンフレットを開いて読み込んだ。 「井戸村敬(たかし)。1965年千葉県柏市生まれの50歳。10年前、妻涼子とは離婚。離婚の原因はお互いの子供に対する価値観の相違。妻、涼子は子供を求めるも貴方は不要であるとし、二人の間に深い溝が生まれた。やがて二人は別居。半年の別居期間を経て離婚。涼子は間もなく再婚し子供を授かり幸せな家庭を築く、かたや貴方は独り身。頼れるものは若くして購入した都内のマンションとコツコツ貯めた2,000万円の金融資産。その内訳は預貯金が大半。僅かながら投資信託も持っています。今後は投資の割合を増やし、向こう10年の間に1億程度の金融資産を作り上げる。そして60才でリタイア。余生を過ごす。これが目標。」 「…なぜそれを。」 「現在貴方は50歳で東京第一大学の課長。その年齢でその役職ならこれ以上の出世は望めません。慣例から見ればどれだけ長く見積もってもあと二三年で出向です。そうなれば年収ダウンは避けられず、夢の1億円の金融資産はほぼ不可能となります。ですが石川大学病院の病院部長の年収は最低でも1,200万円。手取りで見れば約900万円ですか。現在貴方の年収は700万円ですから手取りで500万程度。差額は400万です。一方では出向、一方では年収大幅アップ。どちらを取るのが賢明かはもちろんあなたならお分かりでしょう。」 「話がウマすぎる。」 「はい。おいしい話です。」 「なぜそんなウマい話が俺のところに。」 「言ったじゃないですか。あなたが賢明な方だからですよ。」 「だから何なんですか。その賢明って。」 「黙することを決めたんでしょう。」 「は?」 「第2小早川研究所ですよ。」 「えっ…。」 「管理課長という役職にあるあなたなら、その気になれば第2小早川研究所の存在を調べることはできた。事実あなたは気になったでしょう。第2の存在が。だがあなたはそれを堪えた。調査はしないという選択をした。その選択によって第2小早川研究所の存在は完全な都市伝説となった。」 「まさか…。」 「我慢強く、分を弁えた行動。期待に応えるものでした。」 「…。」 「何かの拍子であなたが第2を調べる可能性があった。だから先にこちらから手を打った。そういうことです。つまり。あなたは我々の手の内にあるということです。」 瞬間、井戸村は気がついた。 「ブラフだったと言うのか。」 男は頷く。 「と言うことは第2研究所は…。」 「それは私にも分かりません。あるかも知れないし無いかも知れない。」 「その物言い…。」 「いいですか。あなたはもはや我々の手の内にある。つまりあなたには選択権は無いということです。そもそも断る気はないでしょう。こんな良い話。」 「裏がある。」 「ありません。あなたは石川大学病院の病院部長としての責務を果たすだけです。」 「何ですかそれは。」 「調整ですよ。」 「具体的には。」 「いま石大にいらっしゃる天宮先生。そしてここ東一で研究に勤しむ小早川先生。この二人の研究を全面的にバックアップする環境を石川大学で整備してください。」 「研究…。それは瞬間催眠なんですか。」 「なんですかその珍妙な研究は。」 「あ…いえ…。」 「研究の詳細は私も知りません。国の威信がかかる重要な研究だとだけ私は聞かされています。もしもそれがそんなオカルト研究だとしたら、この国は滅ぶでしょうね。間違いなく。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーSat, 31 Jul 2021
- 128 - 119.2 第107話【後編】3-107-2.mp3 個人が警察組織を打倒する。そんなものどう考えても無理だ。 ただでさえ非正規雇用の身分で経済的に不安定。それが故に精神状態も不安定。 そこに妹の仇を討つために警察組織を打倒するという壮大な野望を植え付けられた彼は、自身の現実と目標との果てしない距離に絶望し、社会に対する怨みを増幅させる。 この状態が続けば朝戸の精神は消耗しきる。 それが光定には見えていた。 だから鍋島の複製を作り出すための実験を、朝戸に行った。 もしも鍋島能力を朝戸が手に入れることができたとしたら、彼なりの復讐を成し遂げることができるだろう。 なぜなら対象を意のままに操ることができるようになるのだから。 警察のお偉方が処罰されるよう鍋島能力を使えばいい。 自分が直接的な手を下すことなく、相手を絶望のそこに突き落とすことができる。足がつくことなど考えなくていい。 そして警察からは然るべき謝罪と賠償を得ればいい。 そうすれば心の安寧は取り戻せるはずだ。 しかし結果は失敗だった。 朝戸には鍋島のような力を与えることはできなかった。 彼に残ったのは記憶障害と猛烈な頭痛だけ。 東一の患者へのテストから、朝戸の末路は見えている。 耐え難い頭痛、記憶障害から開放されるために自死するのみだ。 結果的に光定は朝戸を死もたらす死神となったのだ。 「ナイトを救う方法を探してたんじゃないのか。クイーン。」 「…。」 「ナイトが催眠の副反応に悶え苦しむ姿。それを作り出したのは自分だってお前言ってたよな。お前は悪くはないさ。ナイトが勝手に望んだんだ。お前はそれに応えただけだ。応えて催眠をかけた結果、ああなった。ナイトもそれは理解している。でもそれはあいつが本当に望んでいた結果じゃないよな。あいつは警察への復讐を遂げることを本当は望んでいたんだよな。」 「…。」 「だったらその復讐が果たせそうなチャンスを逃すな。いま目の前に、世の中をガラガラポンしようとしてる奴がいるんだ。チャンスだろう。」 「…俺らみたいなちっぽけな存在が何をできるって言うんだ。できっこないことを夢想して悦に浸っていても、現状はちっとも変わりやしないよ。」 「そういう諦めの良さが世の中を変えることに何の役にも立たないことくらい、賢いお前なら分かるよな。」 この空閑のメッセージには光定は反論できなかった。 「夢想でも何でもない。俺にはプランがある。そしてそれを実現するための資金もコネクションも。」 「何だそれ。」 「俺はあの日以来、この日のためだけに全ての時間を費やしてきた。悦に浸る名ばかりの活動家とは違うんだ。」 「どうだか…。」 「証明しようか。」 ここでメッセージは止まった。 今、光定は自分の車の中にいる。 時刻は21時。病院の駐車場だ。 暗闇の車内でラップトップを開き、コミュ専用のメッセンジャーアプリを使用して空閑とチャットをしていた。 古いものから徐々に消えていく、チャットのタイムライン表示を眺め彼は大きくため息をついた。 突然車の助手席のドアが開かれ、目出し帽を被った男が乗り込んできた。 流れるように胸元から拳銃を取り出した彼は、その銃口を光定の口に差し込んだ。 「こういうこともできる。」 空閑からメッセージが届いていた。 「あ…が…。」 恐怖しか感じない。 目からは涙が溢れ、口からは涎が滝のように流れ落ちる。 「いつでもできるんだ。ただやんないだけ。」 「あ…あ…。」 「どう?夢想かな?」 光定はパソコンを指差して空閑に返信したいと精一杯のジェスチャーで伝える。 しかし男は光定の口から銃を抜かない。そのままの状態で返信しろと言う。 「ごめん。僕が悪かった。」 この文章を打つとしばらくして助手席の男の携帯が鳴った。 それを受け目出し帽の男は光定の口に突っ込んでいた銃を引き抜き、音もなくその場から姿を消した。 咳き込む音 「何はともあれ、とりあえず大川尚道をこちらに取り込みたい。だからいい方法教えてくれないか。」 「…わかった。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「随分と思い悩んでいらっしゃるみたいですね。クイーン。」 「…。」 「だったら継続したほうが良いんじゃないんですか。このままナイトとビショップを観察し、実験の結果を見守るって具合に。」 「…。」 「反論をしないあたり、心はどうも決まってるみたいですね。」 「…。」 「一度この世界に足を踏み入れたら。ね、クイーン。わかってますよね。」 「…。」 「そう。止めると言うことは、ね。」 光定は相馬の前で頭を抱え唸り声を発するしかなかった。 「うー…うー……。」 ノック音 「坊山です。相馬さんいらっしゃいますか。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 24 Jul 2021
- 127 - 119.1 第107話【前編】3-107-1.mp3 「大体のことは掴めました。」 「…。」 「改めて聞きます。あなたは本当のところどうしたいんですか。」 「…。」 「このまま朝戸と空閑の様子を観察…もとい、ナイトとビショップを観察し、その実験結果を見て次なる研究へ繋げていく。という道もありますよ。」 「…。」 「やめるのは簡単です。ですが天宮先生も小早川先生も曽我先生も、みんな居なくなった。もうあなたしか居ないんです。この研究を担う人材は。」 「…。」 光定は沈黙を保った。 3日後の5月1日金曜。 金沢駅において何らかのテロ行為が予定されている。なにも昨日、今日決まった話ではない。この日に決定的なアクションを起こす。これは空閑によって以前から予定されていた。光定は催眠用の写真を用意したまでだ。彼はこのテロ自体には正直さほど興味はない。そしてその全体像も知らない。知っているのは朝戸がその実行をになっている。それぐらいだ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1年前… キーボードの打鍵音 「これ使って。」 光定は一枚のJPGファイルを添付してメッセージを送った。 すると少し間をおいて空閑から返信があった。 「グロ画像。マジふざけんな。」 光定が送ったのは両目の写真。突然このようなものを送りつけられる。この空閑の怒りは当たり前だ。 「速攻消したわ。」 「君が催促していたアレなんだけど。」 「俺が催促?舐めたこと言ってるとクィーン、テメェん所にカチコミに行くぞ。」 「目から取り込む催眠薬。とりあえずそれっぽいもの作ってみたんだけど。」 「目から取り込む催眠薬?」 「うん。」 「え?あれが?」 「うん。」 「え?マジ?」 「マジ。」 「もう一回送るから、次はちゃんとそれ見て。」 「いやだよ…あれまじキモいし。」 「送るよ見て。」 光定は先ほどの画像を再度送った。 そしてすかさずそれに言葉を添えた。 「実験したいんだ。ビショップ。君なら協力してくれるよね。」 2分後、空閑から返信が入った。 「もちろん。」 画像を見るのも嫌がっていた空閑が、今回はそれに反応すら示さない。 自分の依頼を全面的に受け入れるだけ。 これを見て光定はプリントされた写真以外に、電子データでも鍋島能力の効果は一定程度得られるのではないかと推測した。 「この画像データを利用して、大衆に対する実験をしてみたい。」 「大衆?」 「単刀直入に言うと、キングにお願いしたいんだ。」 「キングに?何を?」 「彼、映像制作できるって聞いたことある。」 「それがなにか役に立つのか。」 「動画投稿サイトってあるじゃない。あそこにでこの画像を流す事できないかな。」 「流すって言ったって、この画像をドーンって出したところでグロ画像扱いでBANされるだけだろ。」 「サブリミナル。」 「サブリミナル?」 「そう。」 「…なるほど。確かにその手があった。」 「サブリミナルならこの画像の存在を表に出すことなく実験できる。」 「でも問題があるぞそれ。」 「何?」 「確かにキングは動画を作ることはできる。けどそれを大衆が見てくれる保証はない。」 「あ…。」 「キングの動画の腕のほどは知らないけど、仮にいいもの作ったとしても、それって見てもらわないことにはどうにもならない気がするんだ。」 「確かに。」 「俺がやってる塾もそうだ。どんなにいい授業してもそれが広まらないことには経営なんて成り立たない。」 「いいアイデアだと思ったんだけどな…。」 「いや…諦めるのはまだ早い。とりあえず俺、キングに相談してみる。」 それから3日後。空閑から光定に連絡が入った。 「大丈夫だ。キングが動いてくれる。」 「でも見てもらわないと始まらないって話は?」 「ちゃんねるフリーダムって知ってるか?」 「知らない。」 「ネット動画チャンネル。保守系の時事ネタばっかりやってる。」 「へぇ。」 「そこ一応登録者数50万持ってるんだ。ここならツテ頼って入り込んでできるかもって。」 「キングはそこの動画作ってるの?」 「いや、そこまでは俺は聞いていない。けどキングだからなんとかやってくれると思うよ。」 「…そうだね。キングだからね。」 「そうキングだから。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 気づけばちゃんねるフリーダムの動画に自分が提供する目の写真が挟み込まれていた。 この動画とこの動画に写真が入っていると空閑から教えられ、それの確認を自分がした。 マグカップのブラックコーヒーの中にほんの数滴のシロップを落とすようなサブリミナル映像。そこにそれが入っていると事前に教えられていても見落としてしまうような塩梅でそれは入っていた。 完璧だった。 よほどのことがない限り他人に気づかれることはない。 但し薄く仕込まれているので、その動画による効果は期待できない。 ちゃんねるフリーダムの登録者数は50万であるが、個々の動画の再生数は平均4、5万。 ものによっては100万代の再生を叩き出しているものもある。 今のところ光定が確認した3本の動画は平均的な再生回数のものであり、この動画についてはこれからの再生数の上昇は期待できない。 今後新たに配信される動画に、継続的にサブリミナルを仕掛ける必要がある。 ただでさえ入っているかどうかもわからない程度の薄さにしたサブリミナル。 質をカバーするには量的対応が必要だ。 このことをキングは理解していた。 以降全てではないが、かなりの頻度でサブリミナル映像の配信をキングは成功させた。 しかも継続的に。 相手の意を汲んで確実な仕事する。これがキングと言われる所以だ。 流石である。 それから三ヶ月経ち、サブリミナルの効果が確認できる瞬間がやってきた。 空閑が経営する学習塾「空閑教室」の塾生が3割増えたのだ。 そう。当初実験では目の画像と併せて「本当の学びは空閑教室へ」とのメッセージを表示していたのだ。 空閑教室では特に営業活動らしいことは行っていない。 媒体に広告を出稿するようなこともほとんどない。 そんな無名の学習塾が突如塾生3割増の結果を得られた。サブリミナルによるものとしか考えられない。 このことで鍋島能力のサブリミナルは大衆に対して一定の結果を得られることが分かった。 さらにこの時、思ってもなかった成果を得ることとなる。 それが大川雄大の入塾だった。 雄大の保護者である大川尚道は保守の名の知れた論客。 この大川尚道をこちら側の陣営に取り込むことができれば、何かしらの世論形成に役に立つ。 後々自分にとっては有益になるであろう。 そう考えた空閑は光定に相談を持ちかける。 「大川尚道をこちらに取り込みたい。」 「こちらに取り込むって、どういうこと?」 「時はきた。」 「ごめん。ビショップが言ってることが全くわからない。」 「君のサブリミナルは決定的だ。いよいよこれで事を起こせそうだ。」 「事を起こす?」 「ああ。俺はインチョウを開放させたい。ルークはこの世の中の不公平を是正したい。これを一度に成し遂げる行動の道筋が見えたんだ。」 「へぇ…。」 「革命だよ。」 この空閑の言葉を聞いた瞬間、光定は一気に冷めた。 「革命」 この言葉を叫んで何の成果も出さずに去っていった、前世代の自己陶酔的な連中の行動の数々を光定は知っている。 彼らは口々に反体制的なこと叫んでいた。 それが今はどうだ。 社会の枢要を占める年齢になった今、当時叫んでいたこととは真逆の行動をしているではないか。 自らの利権を如何にして守るか。彼らが当時最も嫌っていた存在そのものに成り下がっているではないか。 目の前でチャットをする空閑光秀。彼もまたその一員となるのか。 自分はコミュという存在には一定の感謝をしている。 なぜなら自分と朝戸を結びつけてくれた場所だから。 しかしそれとこれとは別。 あいにく自分は空閑とは違って、インチョウこと下間悠里には何の思い入れもない。 ルークが何をどうしようと考えていようが、それは自分にとってはどうでもいい。 彼は自分と朝戸の接点を作ってくれただけの存在。 そもそも自分とルークとはほとんど接点がない。 鍋島能力の研究。これさえできれば十分だ。 革命ごっこに付き合う程、自分は時間も心の余裕も無い。 「ごめん降りる。」 気がつくと光定は空閑との接点を解消する言葉をタイプしていた。 即座に空閑から返信が来た。 「無理だよ。」 「何で。」 「ナイトはいいのか?」 「ナイトは関係ないだろう。」 「関係あるよ。」 「どう関係あるっていうんだ。」 「世の中をひっくり返すくらいの事でもしないと、ナイトの妹の仇は討てないよ。」 「どうして。」 「あいつの仇は警察組織そのものだ。ナイトは常々そう言ってる。つまりその組織を打倒することがナイトを救うことだろう。」Sat, 24 Jul 2021
- 126 - 118.2 第106話【後編】3-106-2.mp3 二人は声を出して笑った。 携帯バイブの音 「うん?」 椅子の背もたれにかけたスーツの上着から携帯を取り出した井戸村はその表示を見ると不愉快な表情になった。 「部長?」 「ちょっと席を外す。すぐに戻るから。」 井戸村は店の外に出た。 「なんだ。こんな時間に。」 「病院部長。至急ご報告があります。」 「なに…坊山まさかお前、東一のお客さんに無礼でも…。」 「それどころじゃありません。」 かぶせてくる坊山の物言いに、井戸村はただごとではないことを察した。 「なにがあった。」 「光定先生。ヤバいですよ。」 「光定先生がヤバい?」 「はい。」 「先生がヤバいのは今に始まったことじゃない。」 「確かに…ってかそういう時限の話じゃないんです。」 「具体的には。」 「写真送ります。とりあえずそれ見てください。」 すぐに何枚かの画像が送られてきた。 それを見た瞬間、猛烈な吐き気をもよおした井戸村は足元のドブに構わずそれを吐き出した。 「おえっ!おええぇっ!」 食堂と口の中に充満した吐瀉物の酸味を帯びた香りが、鼻腔を伝ってくる。アルコール、そして強めのニンニク臭が混じったそれは井戸村の意識を朦朧とさせた。 「この写真が光定先生の机から出てきたんです。」 「ま…まて…なんでこんなもんが…。」 「わかりませんよ…とにかくこんなもんを持っとる事自体がおかしいんです。んで。」 「んで…なんだ。」 「たくさんあるんです。」 「たくさん?」 「どれから報告すればいいんかわからんがですが、なんか現実離れしたことばっかで…。」 「何を言ってるんだ坊山。」 「笑わんといてくださいよ。」 「笑うなって…。」 「笑わんといてくださいよ。」 「わかったわかった。」 「先生、なんか催眠の実験をそこらじゅうでやっとるみたいなんです。」 「はぁ?」 懐疑的な返事をした井戸村だった。が、それは直後一定の沈黙が流れたことで撤回された。 坊山はおそるおそる声をかける。 「どうしました部長。」 「…風のうわさだ。」 「うわさ?」 「あぁ噂を耳にしたことがある。」 「なんです?」 「しかし…もしもそれが本当だとしたら…。俺はとんでもないことに力を貸していたことになるんじゃないか…。」 内線電話の音 「はい。」91 「私だ。小早川先生が亡くなりました。」 「え…。」 「研究室で飛び降り自殺です。」 「待て坊山。」 井戸村は坊山に待てと合図をする。 「え?」 「小早川に天宮のすべてを引き継ぐ件は一旦なしです。」 「ええ…。わかりました…。では一旦止めます。」 「国の威信をかけた大事な研究してるんだ。いままで順調に成果を上げてて、最後の最後でチョンボ。それだけは避けたい。」 「…。」 「あなたもそうですよね。井戸村さん。」 「…。」 「追ってこちらから指示を出します。次はありませんよ。」 電話を切った部長の額、首筋におびただしい汗の粒が見えた。 「部長…いかがなされましたでしょうか。」 「小早川先生が亡くなった。」 井戸村はその場に座りこんだ。 ただの酔っ払いと他人には映るだろう。だが周りの様子を気にするほど余裕はない。 下半身に力が入らないのだ。 井戸村の様子がおかしいことは電話越しでも坊山に伝わった。 「部長?」 「嘘だろう…。」 「大丈夫ですか。しっかりしてください部長。」 「坊山。いまお前どこだ。」 「もちろん病院です。」 「相馬さんは。」 「光定先生と応接におるかと思います。」 「そうか。」 「どうします?」 「その写真は見なかったことにしろ。すぐ相馬さんと合流するんだ。」 「はぁ…。」 「光定に怪しまれるとまずい。」 「あの…部長。」 「相馬さんの対応が終わったらお前すぐに談我まで来い。」 「談我ですか?談我ってあれですか。」 「あぁ南町の。」 「わかりました。」 「至急だぞ。わかったな。」 「はい。」 電話を切った坊山は一度回収した光定のスマホを、机の引き出しの中へ再び戻した。 そしてあたりに誰も居ないことを確認して消灯。その場から逃げるように立ち去った。 「あれ?部長?」 外に様子を見に来た楠冨に地面に座りこんで放心状態の井戸村が飛び込んできた。 彼女は駆け寄る。 「部長?しっかりしてください。」 顔を覗き込むも生気がない。 軽く肩をたたいて呼びかけるも返事がない。 とっさに彼女は井戸村の頸動脈に指を当てる。 温かい。そして妙な拍動もない。 「部長。どうされたんですか。」 手を握って穏やかに声をかけると、それは軽く握り返された。 「良かった。」 「帰るんだ。」 「はい?」 「君はすぐ家に帰るんだ。これ以上俺と関わらないほうがいい。」 「え?どういうことです?」 「どうも俺、かなりヤバいことに足突っ込んでたみたいだ…。周りに迷惑をかけたくない。」 そう言うと井戸村は財布の中から5千円札を取り出してそれを彼女の手に握らせた。 「すぐにこれで帰るんだ。」 「なんですか。急ですよ。」 「いいからすぐに帰るんだ。」 「嫌です。」 「馬鹿野郎!」 周囲もはばからず一喝する井戸村に楠冨は沈黙した。 「巻き込みたくないんだ…わかってくれ…。」 「巻き込む?」 「お前ら巻き込みたくないんだよ。これは俺の方でけじめをつける。」 「お前らって…部長なにいってるんですか。」 「お前も坊山も巻き込みたくない。俺の不始末だからな。」 「…。」 「とにかくお前はここから消えろ。坊山は俺の方でうまくやる。」 「坊山課長はいまどこなんですか。」 「こっちに向かっている。」 「私もご一緒します。」 「駄目だ。頼むから俺の言うとおりにしてくれ。お前は一刻も早くこの場から消えてくれ。」 「いいえ。」 「頼むこの通りだ。」 自分の勤務先の事務方のトップである男が目の前で土下座までしていた。 「わかりました。」 「坊山は任せろ。」 「はい。」 店内の音 店に戻ってきた井戸村は力なく椅子に座った。 一緒にいたはずの女性の姿はない。 呼び出し音 「もしもしワシや。何あったんか後で教えてくれんけ。」 「あら何のこと?」 「おたくのエスさんがマークしとる対象、様子がおかしい。」 「わかったわ。後で報告するわね。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 29 May 2021
- 125 - 118.1 第106話【前編】3-106-1.mp3 Wi-Fiスポットである一階ロビーにいるはずの相馬。その彼の姿が見えない。 このまま応接に戻っても光定しかいないとなると、これまた自分が叱られる。 一応、探すだけ探したというアリバイは作らねばなるまいと坊山は周辺を探った。 といってもここには暗くなった2件の喫茶店。郵便局、受付、外来の一部など限られたものしかない。 お客人の姿はどこにも見当たらなかった。 バイブ音(短い) 「うん?」 坊山は足を止めた。 妙な音が聞こえた気がする。 ここは外来の廊下。その長い廊下先は暗闇が待ち構えている。 ー勘弁してくれ…。夜の病院、そんなに得意じゃないんやって…。 と心のなかでつぶやいた瞬間、その廊下の先に二人の幼女が手をつないでこちら見て立っている。 なんてどこかで見た映画の1シーンが頭をよぎり、更に彼の恐怖心を増幅させた。 バイブ音(短い) 「はっ!」 確かに聞こえた。 短いバイブレーションの音だ。 ーマジかいや…。これ、俺その音の出どころを調べる展開じゃないんけ…。 またもバイブ音(短い) 自分はいま外来の長い廊下にいる。バイブ音はどうやらこの外来診察室のなかのどこかから聞こえるようだ。 坊山は音の聞こえたほうを見た。 「心療内科…。なんや…光定先生、スマホ外来に置きっぱなしやってんな…。」 バイブ音(短い) 「あぁ…でもこの暗い病院に不気味に鳴るバイブ音…マジで気味悪い…。」 短いバイブ音連続 「おいおいおいおい…。で、この引戸開けたらバーンって無しやぞ…。」 恐る恐るドアを開いた彼は暗闇の中、照明のスイッチを探す。 長いバイブ音 「ひぃっ!ってかなんでこのタイミングで!?」 スイッチ音 真っ暗な部屋の中が瞬く間に昼間のように明るくなった。 「あーまだ鳴っとる…。」 音の出どころは光定のデスクの中だ。 引き出し開ける音 バイブ止まる スマホに表示されていた着信表示を見た坊山の動きは止まった。 「B i s h o p…ビショップ…。」 「え?ナイトって何?」 「…。」 「…ナイトって何よ。」 「朝戸のことだ…。」104 「ナイト、ビショップってきたら…これチェスじゃん。ナイトがアサトって奴なら、このビショップってのもナントカって奴なんけ…。」 スマホを手にした坊山はその画面を指でタップする。 見たこともないアプリの通知が無数に来ているのがわかった。 そこから先は進めない。 それが顔認証であるためだ。 「あ、俺ひとの携帯勝手に何やっとれんて…。」 余計なことをするところだった。 坊山は手にしたそれをポケットにしまって部屋を出ようとする。 ガンッという音 自分の腿を机に思いっきりぶつけてしまった。 「あ…ああ…。」 彼はうずくまった。 「ってぇ…。なんねんて…なんで俺、こんな目ばっかに…。」 ふと坊山は視線を感じた。 今ほどの衝撃で光定の机の引き出しが僅かに開いていた。 「なんだよ…。」 固唾を飲んだ坊山は恐る恐るそこに手をかける。 そしてそおっとそれを開いた。 「なんだ…これ…。」 坊山は身動きが取れないでいた。なぜなら誰のものかわからない眼球だけを写された写真が一枚、そこにあったかたらだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 「いらっしゃい。あ、古田さん?」 「おう大将。わしのこと覚えとってくれたんけ?」 「もちろんですよ。久しぶりですねぇ。」 「いつ振りかいね。」 「そうですねぇ...確か村上さんのアレがあってしばらくしていらっしゃった、あの時ぶりですか。」 「って事は...。」 「8年9年ってところですか。」 「うわーそんなに。言われてみれば大将。随分頭に白いモン混じった感じするね。」 「まぁ孫生まれましたから。」 「孫!?」 「えぇ。」 「うへぇ…。そりゃ変わるわ。」 「それに引き換え、古田さんは何も変わってないですね。なんかまだまだこう…オーラみたいなのが出てますよ。」 「あらそう?」 「え?どうしたんですか。その言い方。」 「あ、いや。気にせんといて。」 「熱いのでいいですか。」 大将は9年ぶりのいつもの対応を見せた。 「いや今日はいい。」 「え?」 「今日は酒なしや。酒なしで大将んところの餃子を腹いっぱい食べたい。塩焼きそばと餃子二人前で頼む。」 「わかりました。」 古田はおしぼりで顔を拭う。 「だから一緒に来ないか東京。そんな財団の専務理事になったところで、俺ひとりだと生きる上で何の張り合いもない。」 「えー困ります。」 「それとも何?まさか気になる人とかいるの?君は。」 「まぁ居ないことはないですけど。」 「…おいおい。さっきは誰も声かけてくれないって嘆いていたじゃないの。」 「ごめんなさい。」 「うそだろ…。こっちは期待したんだぞ。」 「わかってますよ。」 「う…。」 井戸村はビールを飲み干した。 「ぷはーっ。」 「部長みたいにスパッと自分の気持を表に出してくれたらいいんですが。」 「なんだ…そいつ、はっきりしないのか。」 「わざとはっきりしないのか、本当に奥手なのかわからないんです。」 「年は。」 「わたしよりちょっと上くらいです。」 「ってことは…。」 「40くらい?」 「40にもなってそんな感じなの?」 「はい。」 「そりゃある種病気だな。」 「そうかも。」 「でもそいつが良い?」 「はい。」 「どういうところが。」 「全部受け入れられる度量の大きさみたいな。」 酒が入ったためか、それとも照れか、楠冨は頬を赤らめているようだった。 「君みたいな魅力的な女性を虜にする男か…。どんな奴なんだろうな。」 「部長ほど魅力も渋さもありません。ただのそこら編の野郎です。」 「でも器が大きい…だろ。」 「…。」 「羨ましい限りだよ。まったく…。」 井戸村はビールのおわかりを注文した。 「はいお待ち。」 古田の前に塩焼きそばと餃子が一度に出された。 「おーこれこれ。これやって。」 割り箸を割る音 「いただきます。」 「ふーっふーっ…はふっはふっ、おう、うん…。ごくん。これこれ。これやって。」 餃子のタレを小皿に注ぐと、ついでに彼は焼きそばにもそれをさっとかけた。そして再びそばを口に運ぶ。 「(´~`)モグモグ。」 「んと古田さんってうまそうに食べるよね。」 「うん?」 「いやぁ俺が言うのも何だけど、古田さんが食うところ見てると、こっちまで腹減ってくるんですよ。」 「んならワシ、ここの宣伝してやっか。ネット動画とかで。」 「あぁそれいいですね。いい宣伝になるかも。」 「3兆円。」 「はい?」 「3兆円やぞワシの出演料。」 「いいですよ。3兆円ですね。3兆年払いで。」 「ふっ…。」 「何なんですか。この小学生みたいなやり取り。」 「ちょっとやってみたかったんや。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 29 May 2021
- 124 - 117 第105話3-105.mp3 ノックする音 「失礼いたします。」 ドア開く 「あれ?」 坊山が立ち止まったため、光定は彼の背中にぶつかった。 「あの…坊山さん?」 「あーそうやった…。」 「はい?」 「Wi-Fiスポットどこやって言っとったんでした。お客さん。」 「Wi-Fi?」 「ひょっとしたら一階のロビーに居るんかも。」 「はぁ…。」 「ちょっと呼んできます。先生はこちらでお待ち下さい。ついでにお茶も用意しますんで。」 ただひたすらに呆れた顔を見せる光定には目もくれず、坊山はその場から姿を消した。 「ダラなこと言っとんなや!それのどこが報道ねんて!結局洗脳して上書きしとるだけやろうが!」 「…。」 「自分の思うようにいかんくなったら他人の記憶を催眠で上書き。なんちゅうご都合主義なんや。ひとを変える前に自分変えれまこのボケ。」103 「自分がなんとかしろよ。」 「え?」 「人ばっかり頼るんじゃないよ。自分がそのナイトを引っ張り出してやれよ。」104 「言いたいこと言ってくれるよ…。」 三波の言うことは最もだ。 しかしそんなことぐらいわかっている。 わかった上で理性的な行動が取れない自分があるのだ。 「自分を変えるなんてかんたんなこと言うけどさ、そんなことできるんだったら僕みたいな医者なんてこの世に必要ないんだよ。」 「…なんとかしたい。なんとか朝戸を止めたいんだ。けど、あいつとはもう関わりたくない自分がいる…。」 光定は深くソファに座り、そのまま目を瞑った。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「先生も先生やけど、あの東一の輩も輩やわ。ほんとに勝手なんやって。こっそり俺の後付けてきたかと思えば一緒に部屋の中盗み聞きして、共犯ですねって。」 暗くなってしまった外来の廊下を歩いく坊山は饒舌だった。 「ちょい自分、事務局と連絡とりますのでどこかWi-Fi使える所ありませんかって…。用を済ませたらすぐ応接室に戻りますんでって待っててくださいって言うけどさ、応接お通し完了の報告せんかったらせんかったで、東一のお客様に無礼があったとかで、俺が怒られるの。井戸村病院部長に。あんたは良くてもよく思わん人間がいるんやわ。んとあの人コマけぇんだよ。」 ロビーに着いた坊山は肩を落とした。 「なんで居らんがや…。どこ言ってんて…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「っくしゅん!」 「あらどうしました病院部長。」 「なんだろう。急にむず痒くなって。」 「にんにくが刺激強すぎましたかね。」 「確かにマシマシにしたけど…でもそんなもんでクシャミなんか出るか?」 「あ、風邪気味なんですよ。ほら人間、体が欲するものを自然と摂取したくなるって言うじゃないですか。多分、最近の激務で身体が悲鳴あげてるんですよ。だから精のつくにんにくを食べたくなった。」 「いや…そうじゃなくて…。」 「私、部長の身体が心配ですぅ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「そう…片倉さんの下で…。」 「はい。」 「だったら光定のことの大体は知ってるんだ。」 「はい。」 「いまの会話、どこまで聞いた。」 「ナイトって何よってあたりからは聞いています。」 「あぁ…そこからか。」 「テロってなんですか。」 「今週の金曜にそのナイトがテロを起こすらしい。金沢駅で。」 「え?」 「え?だろ。」 「はい。」 「にわかには信じられない。でもそういったことの連続なんだよな。ここ数日。つい数時間前も空閑に変なことされてこの病院に来たんだし。」 「空閑が三波さんを…。」 「思い出しました。そう言えばその時光定先生、写真か何か見せながら話していました。」 「そう。写真見せながら羽交い締めにしてたんです。で、最後にこうやり取りしたんです。」 「この間、君空閑のところに資料届けてきてくれただろう。」 「はい。」 「あれは天宮から入手した写しだ。原本があいつの自宅かどこかにあるはず。」 「わかりました。自分が探して来ましょう。」53 「誰です?クガって。」 「知りません。聞いたことありません。」71 ーここで空閑か…。 「数日前の俺なら、んなダラなこと言っとんなまで片付く話なんだけど、いまの俺にとっては別にって感じで普通に受け入れられるんだわ。」 相馬も三波も自分らを取り巻く状況の異常性を理解している。 だが事態はそれを超える形で事は進行している。 異常な状態を更に異常な状態で覆い被せてくる。 いっそこの波に乗っかってしまおう。随分と楽になるのではないか。 そう思ったことは何度もある。 だが二人は思いとどまっている。 何がそうさせるのか。 彼らは恐れているのだ。 戻ってこれなくなることを。 ギリギリの精神バランスを保つこと。これがいまの二人にとって最も苦痛であるのかもしれない。 「空閑ってどういう人間なんですか。」 「わかんね。ま、なんかそいつが不完全な鍋島能力を持ってるらしい。テロを防ぐと同時にその空閑のガラも抑えたほうが良さそうだ。」 「ですね。ところで朝戸はどこに。」 三波は首を振る。 「そんなもん…三波さんひとりで何ができるっていうんですか。」 「でもあいつマジで警察だけはやめてくれって言ってる。」 「んじゃあ警察が動いたってわからんければいいんじゃないですか。」 「うん?」 「俺に任せてください。三波さんが警察にチクったって感じにはしません。だって俺が勝手に聞きに来たんですから。」 「相馬…。」 「三波さんはとにかくここでひとまず安静にしてください。その鍋島能力の影響で何かあると具合悪いですから。」 「わかった。」 で、と言って相馬はメモ用紙の切れ端を三波に手渡した。 「自分の連絡先です。ご存知の情報は随時ここに。」 「お、おおう。」 「くれぐれも京子には内密にお願いします。」 「そうか。京子もお前のこと。」 「多分知らんとおもいます。」 「多分?」 「ええ多分。」 「ふっ…。」 「何かあれば構わず連絡ください。」 じゃあといって相馬は部屋から出ていった。 「ふぅ…。かつてのバイト君に気ぃ使われるようになっちまったか…。」 「6年経って随分頼りがいのある感じになってたんだな…。」 渡されたメモ用紙に目を落とし彼はそれを握りしめた。 「頼んだぜ。相馬。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「あぁお待たせしました。」 待たせたことに申し訳無さもなにもない感じで相馬は光定と向かい合うように座った。 「ちょっと事務局と連絡をとってまして。」 「僕に何の用ですか。」 「小早川先生がお亡くなりになられたのはご存知ですよね。」 相馬はスマートフォンに目を落としながら光定に話しかける。 「はい。」 「例のアレですよ。」 「例のアレ?」 「とぼけないでください。アレです。アレの今後をどうするか、その指示をいただきに来たんです。」 部屋に入ってきてから禄に目も合わせない。光定はこの男の態度にさすがに頭にきた。 そもそも事務局とは連絡をとったのだろう。なのになぜ今、見せつけるように自分の前でスマホをいじっているのだ。 「あー気にしないでくださいね。これでも自分ビビってるんです。先生になんか変なことされないかって。」 相馬はちらりとだけ光定を見て、またスマホに目を落とした。 「目が何かのキーなんでしょう。自分、具体的なこと知らないんで用心のためです。悪く思わないでくださいよ。」 「…。」 「で、アレどうするんですか。こちらはもう先生にしか指示を仰げないんです。」 「一旦終了です。」 「終了…?」 「はい。」 「成果は。」 「十分でしょう。」 「…。」 「十分じゃないですか。鍋島能力はその目の写真だけでも一定の効果を持つ。その事は実証済みです。それだけでも十分じゃないですか。」 「本当に十分ですか?」 「整理します。あなたは瞬間催眠の実用化を研究していた。その研究の集大成が自分にその瞬間催眠を仕掛けた彼。名前は確か…。」 「空閑です。」 「そう空閑。彼は熨子山で死んだはずの鍋島とシンクロし、あなたにその瞬間催眠をかけた。ここ石川大学病院に戻ってじっとしてろと。熨子山に居たはずのあなたは気づくとここに居た。」 「はい。」 「この時点であなたは空閑の瞬間催眠は不完全だと悟った。なぜなら鍋島は催眠をかけられたことすら相手に気づかせなかったから。」103 十分なわけがない。自分が目指すのは鍋島惇の複製だ。不完全なものはただの催眠でしかない。鍋島能力とは言わない。 「あなたは本当にそれでいいんですか。」 「いいわけ無いだろう!」 突如として大声を出す光定を前に相馬はスマホから目を上げた。 「俺の最愛の友人を実験台にまでにしたんだ!とっておきの実験台だ!東京のしょうもない患者連中とか、そこいらの何も考えていない市中の人間とはワケが違うんだよ!」 「…。」 「でも、もう無理なんだ…。ビショップまで実験台にした。でもそれも不完全だった。僕のお人形さんはまた壊れる…。お人形さんは壊れるんだ!」 ービショップ? 「空閑ってどういう人間なんですか。」 「わかんね。ま、なんかそいつが不完全な鍋島能力を持ってるらしい。」105 ここで相馬は木下とのやり取りを再び思い出した。 「千種くんがその場からいなくなるのを見計らって、光定先生は電話をかけたんです。そこであの人はこう言ってました。」 「ビショップ。僕だ。」 「頼みがある。」 「違う。それはもういい。」 「曽我を消せ。」 「悪いことは言わない。すぐにアイツを消すんだ。」 「天宮が死んだ。話は後だ。あれのことが曽我から漏れるとまずい。こっちは天宮周辺の証拠隠滅の手を打った。」 「早急に。」53 71 「待て。空閑とビショップは同一人物なのか。」 「?」 「空閑はビショップなのか?」 光定は口をつぐむ。 相馬は再びスマホに目を落としながら続けた。 「そうなんだな。」 「…だったらなんですか。」 「いや。」 「あなた、空閑を知ってるんですか。」 相馬はうなずく。 「なぜ。」 「コミュで。」 「コミュで…。」 「彼はコミュの運営側だった。」 「そう…。あなたもコミュ。」 「で、これからアレどうするんですか。」 「え?」 「せっかくの研究。ここで終わらせていいんですか。」 「良いわけがない。でも…。」 「でも?」 「もう自分ではどうしようもない。」 先程から送られてきていたテキストの配信が止まったのを見計らって、相馬はスマホを胸元にしまった。 そして光定と面と向かって口を開いた。 「自分が聴きますよ。あなたのすべてを。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 22 May 2021
- 123 - 116 第104話3-104 .mp3 金沢郊外のとあるテナントビル。 その中のひとつの扉には一枚の紙が貼られていた。 「体調不良のためしばらくの間休講とさせていただきます。」 この貼り紙をみた塾生たちは皆、それをスマホで撮りどこかに送っている。 その場で親に電話で連絡を取るものもいるし、これ幸いと友達と遊びに行く連中もいる。 その行動は人それぞれだ。 事前に案内が出ていなかったのだろう。皆、驚きを隠せない様子だった。 「千種の死を受けて急の休み。(゚ν゚)クセェな。」 踵を返した古田は外に出た。 ここ数日振りっぱなしだった雨がようやく上がったようだ。 濡れた地面に街灯の明かりが反射して、キラキラと輝いて見える。 こころなしか空気もいつもより澄んでいるようだ。 しかし彼の心はそれとは対照的に晴れない。 「っても、今のワシには空閑を追う術がない…。」 携帯が鳴る。 ちゃんねるフリーダムの加賀からだ。 「すまんな…。いまは電話に出る気になれんわ。」 着信音が切れる 近くに止めてあった自分の車に乗り込んだ古田はため息をついた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「しばらく休暇をとれ?」 「はい。」 「なんですか突然。」 「業務に支障が出てまして。」 「なんで?」 「古田さんお疲れでしょう。」 「いいえ。疲れてなんかいません。」 「いや疲れとる。」 「なにが。」 「あの、さっきも同じやり取りしてるんですけど。」 「…へ?」 「えぇ…。」 「…。」 「とにかく古田さんは休んでください。古田さんの代わりは冨樫をあてます。」 「んな、マサさんやと…。」 「心配はあるでしょうが、それ以上に自分は古田さんの身体が心配です。」 「…そんなに、ですか。」 「はい。」 「はぁ…。」 「まずはしっかり食べて、7時間以上の睡眠をとってください。ゆっくり風呂入って、ただダラダラしてください。」 「その後は?」 「ですからそういう先のこととかは考えんととにかく休むんです。」 「ですが。」 「命令です。」 「…。」 「いいですか。命令ですよ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 目の前に中華料理屋が見えた。 そのすぐ横にはコンビニもある。 「岡田のだらまの言うとおりにしてやるか…。」 このとき彼の口元は僅かながら緩んでいた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「はっ!」 突然背後から自分の肩を叩かれた坊山は驚き振り返る。 そこには相馬がいた。 「あ!ああ!」 「しーっ。」 とっさに相馬は坊山を鎮め、彼と一緒に聞き耳を立てる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「え?ナイトって何?」 「…。」 「…ナイトって何よ。」 「朝戸のことだ…。」 「なに?それ。あだ名みたいなやつ?」 「そう…。」 「あ、そう。」 「朝戸だけは僕のことをまっさらの目で見てくれたんだ…。」 「…。」 ナイトというあだ名を口走ってなぜ一瞬黙ったのだ。ひょっとしてこのナイトというあだ名が外に知られるのはまずいことなのか。三波の直感はそこにひっかかるものを感じた。 「お願いだ。朝戸を助けてくれ。」 「だから何遍も言ってるでしょう。助けるのは俺じゃない。」 「頼むって。」 堂々巡りの会話が続くこの状態に三波は思わずため息を付いてしまった。 「はぁー…。」 「お願いだ。」 「自分がなんとかしろよ。」 「え?」 「人ばっかり頼るんじゃないよ。自分がそのナイトを引っ張り出してやれよ。」 「いや、それは…。」 「さっきから何なんだよ。自分で蒔いた種じゃねぇかよ。瞬間催眠の実験をそこらじゅうでやっておいて、気づいたらとんでもないことになってて怖くなって、収集つかんくなって助けてください。アホかよ。」 「…。」 「じゃあさ、どうすりゃそのナイトを助けたことになんの?テロを思いとどまらせればそれでめでたしめでたしなの?そりゃあそのテロによる被害者が出ないんだから、それはそれでいいことなんだけどさ。そのナイトってやつはそれで救われるわけ?」 「ってかナイトって言うのやめてくれないか…。」 「は?」 「なんか第三者にその名前言われたくない。」 「なんで。」 「なんでも。」 ーなんだこいつ…。やっぱりナイトってなんか意味ありげだな。 「で、どうしたいのさあんたは。警察は駄目ってどうすりゃいいんだよ。そもそもなんで警察にそいつ恨みなんか持ってんだよ。」 光定は口をつぐんだ。 3日後の5月1日、金沢駅で何かしらのテロ事件が発生する。それはこの光定という男と旧知の仲である朝戸という男、別名ナイトの手で決行されるらしい。それを主導しているのが空閑という男。三波に妙な接触を図った男だ。 空閑は光定によって鍋島能力すなわち瞬間催眠を自在に操れる力を手にしたかに見えた。 が、それは不完全のものだということがわかった。 三波はあらためて呆れた。 突然自分と直接コンタクトを取って来たかと思えば、空想のような話を並べ立てる。 なんだこの男。 客観的に見れば彼の発言はただの異常者による戯言。中二病を拗らせた妄想の爆発でしかない。 しかしこの男、事実をしっかり抑えている。 午前中に東一で小早川と会っていたこと。空閑に妙な接触をされたこと。 これらは自分しか知り得ない事実だ。 この機密情報を知る術を彼は持っている。 この事実だけは彼の発言に一定の説得力をもたせた。 「なぁなんで朝戸は警察のこと恨んでるんだ。」 「警察が揉み消した。」 「え?」 「警察がナイトを作り出した。」 ーおや?またナイトが出てきたぞ。 「どういうことよ、それ。」 「朝戸の妹を殺したのは警察のお偉方の倅。そのことを警察はもみ消した。」 「待て待てありえんでしょ。そんなの都市伝説のたぐいでしょ。」 「違う。僕は証拠をみた。」 「証拠?」 「そしてその証拠は警察からリークされた。」 「え?身内から?」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「かなり香ばしい展開やなぁ…。」 ボソリと独り言をつぶやく坊山とは対象的に相馬の表情は険しいものだった。 おじさん二人が病室の扉を背にして、地べたにペチャっと座り込んで聞き耳を立てる姿を不審に思わないものは居ない。 看護師がときおり怪訝な顔を見せながら彼らの前を通過した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「見たんだ。朝戸の妹を轢き殺した車が警察幹部が借りる駐車場に止められている写真を。」 「その写真が警察の内部からリーク?」 「そう。その写真を持っても捜査中ってひとことで朝戸は追い返す。ここで朝戸の警察に対する恨みは決定的になった。」 「で、ナイトになった。」 「…。」 「ナイトになるって具体的にどういうことなんですか。」 「…。」 「言いたくないんですか。」 光定は黙ってしまった。 「ふーっ…。」 息をついて窓の際に経った三波は闇の部分が大きい金沢の夜景を見下ろした。 無言の時間は3分ほど続いた。 「俺ひとりに何ができるってんだ…。」 こう三波が自分にしか聞こえないほどの声でつぶやいたときのことである。 ドアがノックされた。 「光定先生。人事の坊山です。先生にお客様でして。」 二人は顔を見合わせた。 光定のほうが三波に何やらうなずき口を開いた。 「そういうことはスマホで連絡してって言ったでしょう。」 「あの…先生、スマホ持ってらっしゃらないようでして…。」 光定は白衣の胸のあたりを弄る。 あるはずのスマホがない。 どうやら失念したようだ。 「東一のお客様ですので、私の方でお引取りいただくわけにもいきません。いかが致しましょうか。」 「ちっ…。わかりました。すぐ行きます。」 また来ますと言って光定は病室を後にした。 外には坊山だけが待っていた。 「東一のお客様は、応接室で待ってらっしゃいます。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 光定が居なくなった病室は静寂だった。 その静けさが情報が渋滞する三波の頭の中をさらにかき乱した。 「だからって俺に何ができるってんだ…。」 ドアを開く音 「三波さん。」 自分の名前を呼ぶ声がしたのでそちらを見る。 三波は言葉を失った。 「相馬…?」 「時間がないので手短に行きます。ご協力お願いします。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 15 May 2021
- 122 - 115 第103話3-103.mp3 「どうしたんですかヤスさん。」 「三波の居場所がわかったぞ黒田。」 「え!?どこですか。」 「家だよ。」 「家?」 「自宅で引きこもってる。」 「は?」 「なぁあいつの住所ってどこだよ。俺行くから。」 突然の電話と三波の情報、黒田は状況を飲み込めないでいた。 彼の前に座る加賀はそのまま続けろと合図をする。 「住所って言われても俺もあいつの家なんて知りません。調べて俺が行きます。」 「いや俺が行く。」 「何言ってんですか三波は俺の部下です。俺が行きます。ヤスさんは会社に戻ってください。」 「なんでだよ。俺が引っ張ってきたネタだ。俺がやる。」 「ヤスさんはヤスさんの仕事があるでしょう!」 「…。」 「ヤスさんは制作の頭なんだから。そこを仕切るのが本文じゃないですか!」 「なんだよ!俺が突き止めたんだぞ!」 「三波は家になんかいませんよ。」 「は?」 「あいつはいま大学病院です。」 「だ…い…がく病院?」 「はい。救急車で搬送されたみたいです。さっき石大病院から会社に連絡ありました。」 安井は言葉を失った。 「命に別状はない状態のようですが、しばらくは入院しないといけないようです。」 「…なにがあった。」 「わかりません。詳しい様子を聞いていませんので。」 「お前はいま病院にいるのか。」 「いや。病院からは来られても困るということで、会社で待機しています。一応、三波の親御さんにも連絡はしました。」 「いつそれ知った。」 「ついさっきです。ついさっき病院から会社に連絡がありました。」 「そうか。」 「ヤスさん。一旦会社に戻ってきてください。通常業務が残っています。」 「だな…。」 「ヤスさん?ヤスさん!?」 電話は切られていた。 「素直に会社に戻ってくるとは思えないね。」 「はい。おそらく大川のところにカチコミに行くんじゃないでしょうか。」 「どうする。」 「大川についても警察に通報済みです。」 「なるほど。それなら安井君が大川と接触しても取り押さえられておしまいだな。」 「はい。」 「で、サブリミナル加工されたコンテンツの配信停止の進捗は?」 「完了しました。」 「ご苦労さん。これでウチが世間様に迷惑をかけるようなことは一応なくなったってわけか。」 「はい。」 「じゃあ早速元のやつに差し替える作業を始めてくれないか。」 「それなんですが…。」 黒田は奥歯に物が詰まったような表情だ。 「どうした。」 「マスターデータが見当たらないんです。」 「え?」 「マスターに差し替えるって、ヤスさん大川に言ってたんでどこかにあるはずなんですが。」 「制作のスタッフもわかんないの。」 「はい。おそらく安井さんしかわからない形でがどこかにしまったんだと思います。」 加賀は頭をかいた。 「安井君が大川のところにカチコミに行ったら、そのまま署まで連行ってことになるぞ。」 「そうなったら差し替え作業ができなくなります。」 「安井君を連れ戻すんだ。」 「ですがどうやって。」 「君も大川のところに行くんだ。先回りして安井君をここまで引っ張ってこい。」 「しかし自分は大川の居場所は…。」 「じゃあ俺が話たがってるって安井君に言って連れてきて。」 「それで戻ってきますかね。」 「駄目かな。」 「いくら社長でも…。」 「まダメ元で言ってよ。俺、戻ってくると思うよ彼。」 「なんでですか。」 「だって安井君、僕らを守るために大川の悪さの片棒を担いだんだ。俺らは彼にとっては守る対象。ってことは俺らの本気のお願いには耳を傾けてくれるんじゃないのかな。」 確かに加賀の言うことも一理ある。 「やってみますか。」 「うん。やってみようよ。」 「わかりました。」 黒田は部屋から出ていった。 「さてと…。」 机の上にある固定電話。 そこから加賀は電話を掛ける。 呼び出し音つづく 「あれ?」 呼び出し音 「おかしいな…出ない…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「三波を診ているのは光定?」 「はい。」 「で。」 「あ…すいません。自分、今日はもう帰ってるんで詳しいことはわかりません。」 「そう…ですか。」 「申し訳ない。今日はちょっとはずせない用がありまして。」 「いや、こちらこそお取り込み中に電話して申し訳なかったです。またよろしくおねがいします。」 「あ…。」 「なんです?」 「私の部下の坊山というものがまだ残っています。よかったらその男を使ってください。」 「坊山さん…ですか?」 「はい。坊山には私から話を通しておきます。」 「あ、いやそれは結構です。」 「え?いいんですか。」 「ええ。あまり他の人を巻き込みたくないんでそれはやめてください。」 「わかりました。」 「またよろしくおねがいします。」 「誰ですかぁ病院部長。」 助手席に座っていた女性が井戸村が置いた携帯を覗き込んだ。 「あ、あぁ…まぁいいじゃないか。」 「光定先生のご報告。坊山課長をご指名。結構重要人物じゃありません?」 「いい。君には関係ない。」 「冷たいんですね。せっかくこうやって二人っきりになったのに。」 「何いってんだ。光定先生に帰れって言われたくせに。」 「あら一応、これでも先生に信頼されたんですよ。だから先生の服を直接ロッカーまで取りに行ったんですから。」 「…そうだな。」 「で、どちらに連れて行ってくれるんですか。」 「あぁ、中華なんかどうかなぁって思って。」 「中華?」 「うまいんだそこの餃子。」 「にんにくですか…。」 「大丈夫。次の日まで残らないから。」 「そんな精のつく物食べてどうするんですか病院部長。」 井戸村の頬は少し赤くなった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー タクシーのドアが閉まる音 走り去るタクシー 「またここか…。」 相馬の眼前には石川大学病院がそびえ立っていた。 夜間受付でしばらく待っているとカーディガン姿の男がこちらに歩いてきた。 「相馬さんですか。」 「はい。」 「坊山です。」 坊山は自分のネームプレートを相馬に向けてみせる。 「話は井戸村病院部長から聞いています。どうぞ。」 相馬は坊山に続いた。 「光定先生はいま病棟です。救急搬送された患者とお話しています。」 「えっと…光定先生は心療内科の先生です…。その先生が救急?」 「あぁもともとは脳神経の方なんですよ。なのでそっちのほうの対応もできます。」 「へぇ、知らなかった。」 「知らなかった?え?そうなんですか。」 「はい。」 「あの…光定先生って東一やとどういう扱いなんですか?」 「どういう扱いって?」 「あ、その…。」 「僕ら職員にはわからないこともたくさんあります。」 「あぁ、確かにそんなもんですね。」 「はいそんなもんです。」 「ま、なんで今はちょっとこちらでお待ち下さい。」 相馬は応接室に通された。 「先生にお知らせしてきます。東一からのお客さんやって。」 「よろしくおねがいします。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 病棟ナースステーション。 「どうも。」 「あ、課長。」 「どう?先生。」 「あぁ光定先生ですか。」 「うん。」 「三波さんの部屋に入ったきりですよ。かれこれ15分は経ってますかね。」 「そうか…。」 「どうしました。」 「いやね、先生に急なお客さんでね。」 「こんな時間に?」 ナースステーションの時計は19時を回っている。 「うん。」 「改めてもらったらどうです。」 「そうもいかんがやわ。なんせ東一の職員さんやし。」 「あらら…。」 「しゃあない。ちょっと様子みてくるか。お客さん待たすわけにもいかんし。」 ナースステーションを後にした坊山は光定が入っている三波の病室の前に立った。 「だら!」 ノックをしようとした瞬間部屋の中から声が聞こえたため、彼はそのまま止まった。 なぜならこの個室部屋。遮音性が高い部屋であるからだ。 ーどんだけでかい声で話とれんて…。 坊山は思わずそれに聞き耳を立ててしまった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「整理します。あなたは瞬間催眠の実用化を研究していた。その研究の集大成が自分にその瞬間催眠を仕掛けた彼。名前は確か…。」 「空閑です。」 「そう空閑。彼は熨子山で死んだはずの鍋島とシンクロし、あなたにその瞬間催眠をかけた。ここ石川大学病院に戻ってじっとしてろと。熨子山に居たはずのあなたは気づくとここに居た。」 「はい。」 「この時点であなたは空閑の瞬間催眠は不完全だと悟った。なぜなら鍋島は催眠をかけられたことすら相手に気づかせなかったから。」 「そうです。」 「この話、オカルトだと思わない人はいません。オカルトと判断された時点でこのことはエンタメ消化されます。」 「あなたは我が身をもって瞬間催眠の存在を認めるのに、ですか。」 「だからもどかしいんです。」 光定はため息をつく。 「警察です。やはりあなたが警察に自首するしか友人を止める方法はありません。」 「警察は信用できません。」 「なんで。」 「朝戸は警察に恨みを持っています。それも尋常じゃないほどの恨みです。その恨みの対象である警察に僕が駆け込む。彼の精神は間違いなくぶっ壊れます。ぶっ壊れるとそれが引き金になって何をするかわかりません。」 「それなら先にその朝戸を取り押さえるよう、僕の方から警察に…。」 「駄目だ!!」 びっくりするほどはっきりとした声を出した光定を三波は見つめるしかなかった。 「警察は駄目だ。認めない。」 「でもそれ以外に方法はありません。」 「どうして。あなたは報道記者でしょう。真実を世の中に伝えるのが仕事なんでしょう。」 「だから言ったじゃないですか。オカルトなんですよ。いま僕ら二人が話していることは世間一般にはただのオカルトなんです。」 「じゃあ信じるように仕向ける催眠をかけましょう。」 「は?」 「僕が処方します。三波さん。あなたはその処方された映像を挟み込みだけでいい。大衆はそれで潜在的に真実だと刷り込まれる。」 「だら!」 沈黙が流れた。 「だ…ら…?」 「ダラなこと言っとんなや!それのどこが報道ねんて!結局洗脳して上書きしとるだけやろうが!」 「…。」 「自分の思うようにいかんくなったら他人の記憶を催眠で上書き。なんちゅうご都合主義なんや。ひとを変える前に自分変えれまこのボケ。」 「ぼけ…。」 「ここに戻ってくる前に調べさせてもらったわ。ヒカリ。あんたコミュの人間やろ。」 「ヒカリ…。」 「あんたそこで何勉強したんけ?聴く力ってもん身につけたんじゃないんけ?…あぁそうか。運営側か。運営側やし聴くと見せかけて洗脳する。そっちがわの考え方が染み付いてしまったなやな。お気の毒に。そりゃに潰れるわけや。コミュ。」 「コミュをバカにするな!」 光定は三波の胸ぐらを掴んだ。 「おうおう威勢のいいことで。でもそのコミュで知り合った仲間である朝戸ひとりの暴走も止めることができんのは事実ですよ。」 「言うな!」 「そのお仲間も随分と中二病拗らせたもんですな。ひとりの個人がどんなテロできるっていうんですか。んでそれをすることで何が変わるっていうんですか。いいですか。就職氷河期って言うけど、俺だって立派な氷河期世代なんやしな!自分だけが悲劇のヒロインみたいな考えしとんなやって、せめてそいつに言ってやれま!」 瞬間、光定の拳が三波の頬を捉えた。 しかしそれは頬に触れるだけだった。 彼はその場に崩れ落ちた。 「言わないでくれ…。」 「なんだよ…。」 「言わないでくれよ。ナイトのことは悪く言わないでくれよ…。」 「ナイト?」 「あ…。」 「え?ナイトって何?」 病室の前で立ち尽くす坊山の首筋には妙な汗が流れていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 08 May 2021
- 121 - 114 第102話3-102.mp3 「どうです。気分が悪いとかありませんか。」 「まぁ…。」 「頭痛はまだあると聞きましたが。」 「はい。」 「どんな感じの頭痛ですか?」 「…突然、頭の奥深くからズキンと来る感じです。」 「あぁ…。」 ーなんだこのやり取り。無表情だけど普通じゃん。片倉さんから聞いているコミュ障って話と違うぞ。 「詳しい検査をしないことには頭痛の原因はわかりません。明日、検査しましょうか。」 「はぁ。」 「いまは検査できる人間がいませんので、明日MRI撮りましょう。それまで三波さん。こちらでお休みください。」 「あ…でも…。」 「お仕事ですか?」 「はい。」 「死にたいんだったら行ってもいいですよ。」 「はい?」 「死にたければこのまま退院してもいいですよ。」 「え?それ…どういうことですか。」 「殺されるってことです。」 突拍子もないこの光定の発言に三波は唖然とした。 「あなた妙な男と接触したでしょう。」 なぜそのことを知っている。 背筋が寒くなった。 「…はい。」 「そこでその男の目を見た。」 なんだ。まさか現場を見たというのかこの男は。 「…なんでそのことを。」 光定はふうっと息をついた。 「何を隠そう私も、その男にあなたと同じことをされたんで。」 「え?」 「ついさっきですよ。」 「だから私もあなたと同じ。頭がズキンって痛くなる。」 そう言うと光定はしかめっ面になり、自分の頭に指を当てた。 「いいですか。」 彼は病室の椅子を指差す。 「どうぞ。」 そこに掛けた光定は大きくうなだれた。 「不完全なんですよ…。」 「はい?」 「不完全なんだ。」 「な…ん…の…ことですか。」 「鍋島ですよ鍋島。」 「鍋島?」 「瞬間催眠とでも言えばおわかりでしょうかね。」 「しゅ、瞬間催眠?」 「三波さん。あなたさっきまで東京第一大学で小早川先生と会ってたでしょう。」 「え…。」 「なにかめぼしいネタでも引っ張れましたか。」 どうもこの目の前の光定公信。今日の自分の行動とその目的を把握しているようだ。 三波は覚悟を決めた。 「まぁまぁです。」 「そうですか。」 「で、なんですか。その鍋島が不完全ってのは。」 「知りたいですか。」 「はい。」 「知ったらちゃんフリで流すんですか。」 「もちろん。」 「いつ?」 「できるだけ速やかに。」 「金曜までに流せますか。」 「は?金曜?」 「はい。」 GWに突入する前日の5月1日。この金曜日までになぜその瞬間催眠に関する報道を彼は希望するというのだ。 「え、なんですか金曜って。」 「…。」 「なにかあるんですか金曜に。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 携帯が震える 「はい。」 「相馬さんですか。」 「あ、はい。」 「わたくしケントクの富樫と申します。古田さん、ちょっと体調崩したみたいでして、しばらく自分が代わりを務めさせていただきます。」 「え?」 「相馬さんは特高の方ですが、今はケントクにレンタルされているご身分。管理監督はあくまでもケントクにあります。古田さんと私の交代は、ケントクの長である岡田課長の命令でございます。」 「岡田課長…。」 「はい。なのでよろしくおねがいします。」 「あの、古田さんの体って。」 「頭の病気です。」 「はい?」 「急性の認知症とでもいいましょうか。」 「急性?認知症?」 「はい。急に整わんこと言うようになってまして。」 「んなダラな…。それって天宮のところに行ったときに言われたやつなんじゃないですか。」 「そうじゃないんです。リアルに業務に支障が出てるんです。」 「いや、そんなはずない。ついさっきまで自分、古田さんと連絡取り合っていましたよ。」 「どんな感じでした?」 「特に変わったことは…。」 「あらそう?」 「なんです?そのオネェ言葉。」95 「…そう。なの?」 「何なんですか古田さんさっきから、その変な話し方。」95 「え…まさかあれって…。」 「どうしました。なにか思い当たる節でも。」 相馬は古田が妙な話し方をしていたことを富樫に話した。 「オネェ言葉ですか…。」 「はい。」 「古田さんにそのケがあるってのは聞いたことはありませんねぇ。」 「自分もです。」 「ま、そのあたりは頭の片隅にいれておくとしましょう。」 「はい。」 「で相馬さん。あなた今どこですか。」 相馬の目の前には安井さやかが住むアパートがあった。 「笠舞あたりに居ます。」 「そこで何を?」 「三波さんの手がかりがないかと思って。」 「三波?」 相馬は安井の妻を三波が追っていたことを富樫に報告した。 「安井ねぇ…。」 「はい。ちゃんフリのカメラマンです。」 「個人を特定できないような普段とは違う身なりで石大病院におって、その後同僚の奥方の家の前に立つ。…何か調べとりますね。三波。」 「はい。」 「安井ですね。わかりました。すぐにケントクでマークします。」 「お願いします。」 「三波の行方不明は我々の方で調べます。とにかく相馬さん。あなたは元の通り光定マークに戻ってください。」 「ですが。」 「いまは個人的な用向きを優先している場合じゃありません。それとも何か。三波の行方に心当たりが?」 「いえ…。」 「あなた一人でできることは限られる。ここはケントクにまかせてください。」 「わかりました。石大に戻ります。」 「さてと…。」 相馬との電話を切った富樫は目の前にある複数のモニターの中のひとつを見る。 「ちゃんフリの安井ねぇ。それと今朝接触した椎名がただ今ご帰還ってわけか。」 椎名の住むアパートの部屋の中が映し出されたそれを見ながら、富樫はつぶやいた。 「ケントクから北署。」 「はい北署。」 「ネットメディアのちゃんねるフリーダム。こちらの安井というカメラマンをマーク。動きを随時報告されたい。」 「了解。」 「いい加減ガキみたいなことやめろよ…クソ国家が…。」 「絶対に許さねぇ…。」23 「立憲自由クラブのサイト見て思わずついて出たあのセリフ。ワシをすっ飛ばして特高のどいつかと連絡をとっとること。ちゃんフリのカメラマンと接触を持っとること。こいつのこれらをワシはどう理解すればいいんや。」 富樫は装着していたインカムを一旦外して、顔を両手で擦った。 「ふぅー。しっかし古田さん。こんなハブなんかようやっとるわ。処理する情報が多すぎる。んなもん爺がすることじゃないわ。そりゃ頭もおかしくなるわ。」 電話がなる 「はい富樫です。」 「おうマサさん。どうや。」 「どうって…無理ですよすでに。」 「ほうか。」 「でも課長命令ですから…。」 「すまんな。」 「ってか、どうも古田さん。あなたがほんな認知症やとは自分は思えんがですが。」 「んなもん体の良いあれやわい。」 「あれ?」 「おいや。あれや。」 「え?あれって。」 「クビ。」 「…。」 「ま、そもそもこんなジジイにハブやらせとる時点で、この組織お察しなんや。」 「古田さん…。」 「マサさんもほどほどにしとけや。こき使われるだけこき使われてポイやぞ。」 「まぁ…。」 らしくない。こんな発言古田らしくない。 「これでワシもようやく肩の荷が下りた。ちょっくらカメラでも持ってブラブラするわ。」 「え、でも古田さん、別に本当にクビになったわけじゃなくて、少し休めって言われただけでしょう。」 「だからクビなんやって!」 感情的を顕にする古田のこの発言に富樫は素直にショックを受けた。そのため言葉が出なかった。 しばらく沈黙を経て、その電話は古田の方から切られた。 「ハブのお役がごめんになったことはちゃんと理解しとる。物事をちゃんと理解しとるように見えるけど、ときどきかなり怪しい言動…。斑ボケってやつかな…。」 窓に映る自分の顔。 どうみてもいいジジイだ。 富樫はふと自分も大丈夫だろうかと不安になった。 「瞬間催眠…急性認知症…。んなもん急に聞かされて信じろっちゅうほうが無理や。」 彼は画面が真っ暗のスマホに目を落とす。 「けど、それをリアルに体験すると受け入れざるを得なくなる…。」 つぶやいたと同時にその液晶が光った。 岡田からだ。 「はい富樫。」 「三波、石大病院に搬送された。」 「えぇっ!?」 「頭が割れるとかで自分で救急車呼んだらしいんやわ。」 「容態は。」 「今ん所安定しとるって。片倉さんにも報告してやってください。」 「了解。あ。」 「なんです。」 「いま相馬が石大病院に向かっています。」 「お、タイムリーですね。引き継ぎ早々いい仕事しますねマサさん。」 「いえ…。」 「相馬の手綱はマサさん。あなたに任せましたよ。」 「はい。」 「俺は三好さんと動く。」 「三好と?」 「あぁ。なんで椎名の監視の方も同時並行でお願いします。」 「椎名も…。」 「心配せんといてください。古田さんみたいな無茶苦茶な仕事はさせません。ここでマサさんに倒れられでもしたら、ウチもうお手上げですから。」 「はぁ…。」 「古田さんは抱え込みすぎです。」 「まあ確かに。あの方は全部引き受けてしまうきらいがあります。」 「断れない性分なんでしょう。 あの人はここいらで休んだほうがいい。認知症の症状も体がサインを発してるのかも知れんし。」 「あ、聞いたことあります。忙しさが限界に達すると健忘症が出るとか。」 「今回のマサさんの措置、俺と三好さんのタッグ。一応負担を分散させる意図があるんですわ。」 「あぁ。」 「マサさんは相馬と椎名。んで片倉さんと俺、んで百目鬼理事官の連絡役。」 「とケントクの司令塔ですか。」 「はい。」 「ただ自分の仕事が増えたような気がしますが…。」 「あ、バレた?」 「ま、でもこうやってパソコンと無線機の前で座ってできる仕事です。嫌いな仕事じゃありません。」 「そう行ってくれると助かります…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 01 May 2021
- 120 - 113 第101話3-101.mp3 目を開くと白い天井が見える。 ここはどこだ。自分の家の部屋ではないことは明らかだ。 彼はとっさに身を起こす。 「痛っ…。」 右側頭部にズキンとした痛みを覚え、彼はゆっくりと体を倒した。 「すいません…。頭が割れそうなんで救急車、お願いできませんか…。」100 「そっか…俺、救急車呼んだんだった…。病院か…ここ…。」 目を瞑り眠りにつこうとした。 「はっ!」 飛び起きた彼はベッド右側にあるカーテンを開いた。 眼下には山側環状線が見える。 瞬間、三波の背筋が寒くなった。 「とにかく、石大に近づくのはやめろ。」89 「ここ、石大だ…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 数時間前 北陸新幹線内 彼はネットで光定公信に関する情報を情報を漁っていた。 かれこれ一時間。 彼の表情は冴えなかった。 「なぜだ…。」 光定に関連するキーワードを片っ端から検索をかけた。 東京第一大学 医学部 曽我 小早川 天宮 瞬間催眠 MKウルトラ 石大病院 心療内科 論文 学会など思いつくものを手当り次第当たった。 しかしなんの収穫もない。 「研究論文もヒットしないし、交友関係らしきものも見えない。曽我、小早川、天宮それらの人間を調べても光定のみの字もヒットしない。なんだこれ…。」 ふと窓の方を見るとトンネルの中を走っている。自分の姿がそこに映し出されていた。 「こんな時代にネットに存在の痕跡すらないなんて、むしろ不自然だよ。」 窓に映る自分の顔には疲労がにじみ出ていた。 しばし休息を取ろう。 そう思ったときのことだ。彼は視線を感じた。 自分と対局にあるもう一方の窓側席に座る女性が時折こちらを窓越しに見ているようだった。 「そっか…こうやってひっそりと様子を見る立場ってのに徹するって事もあるか…だったら表の世界で検索かけても何もヒットしないよな。」 彼は再びパソコンと向き合った。 そして巨大掲示板サイトを開き、まずは東京第一大学の医学部に関するネタを当たる。 すると以下の書き込みを発見した。 382 名無しさん 東一のヒカリはマジでヤバい 388 名無しさん >>382 ヒカリって何よ 389 名無しさん >>388 ○定 401 名無しさん >>389 どうヤバい? 403 名無しさん >>401 意味不明な目の写真を机に大量溜め込み 極度のコミュ障 404 名無しさん >>403 工作乙 410 >>404 ほらどう見てもやばい奴なのに、こうやってすぐ火消しが湧く 411 >>410 Fランの僻みは別の場所でお願いします ーこのヒカリ…。光定のことだ。 三波はヒカリという単語でもって再度、さまざまな検索をかける。 すると今度は東一医学部ではない、全く別のスレッドで今と似たようなことを告発する書き込みがヒットした。 ー光定に粘着している奴がいるってこと? ー掲示板だし、そういうこともあるか…。 ーでも表の世界じゃ光定の存在感は全く無い…。 「あれ?」 検索結果に何故かSNS板の2013年の過去ログがあった。 「コミュ?…え?」 今から7年前のログだ。コミュは6年前の鍋島事件によりその主催者である下間悠里が逮捕。結果コミュは実質的に解散状態になり存在は忘れさられている。事実、三波もこの検索結果をみてコミュという存在があったことを思い出したほどだ。 スレッドを読みすすめると「ヒカリ」という単語が確認できた。 533 名無しさん ヒカリってばちくそ頭いくない? 534 名無しさん 誰それ 535 名無しさん 医者らしいよ 536 名無しさん >>533>>535 コミュ障だけどいい人 ーえ?これマジで光定じゃないの? もしもこのヒカリと呼ばれている人物が三波の推測通り、光定のことを指しているとすると、6年前の当時からすでにコミュの活動が金沢だけではなく、東京の方でも行われていた可能性がある。なぜなら光定は昨年この金沢にやってきたのだから。 ー新幹線も開通していない7年前に、わざわざ金沢の小さいサークル活動に参加するなんてちょっと考えにくいしな…。 6年前、曲がりなりにも自分はコミュの特集を放送している。 しかも岩崎こと下間麗への直接インタビューは生中継だ。 そこいらの人間よりはコミュについては詳しい。しかし彼らが活動の範囲を東京まで広げていたことを、三波はこのとき初めて知った。 ーコミュ…ね…。 彼は当時スクラップしたコミュに関する記事にざっと目を通す。 6年前の状況がつい昨日のことのように思い出された。 コミュは仁川征爾こと下間悠里が運営していたSNSサークル。自分の悩みを相談すると同時に他人の意見を聴くスキルを磨く場所でもあった。 なぜコミュでは他人の意見を聴く力を磨いたのか。 他人の意見を受け入れるということは、相手に一定の理解を示すということ。 全く受け入れられないものでも形式的に受け入れるとしよう。すると相手は理解してくれている気になり、徐々に心を開きいろいろを話してくる。 ここで自分は相手の良き理解者になっていることに気がつく。はじめは客観的にこの自分の立ち位置を評価しているが、次第に相手の考えによって包み込まれ、自分の考えは二の次になる。なぜならこのときすでに、自分は良き理解者にならねばならないと思い込んでしまっているからだ。こうなれば主体性というものはどこかに置き去りにされる。 究極的には相手に自分の考えを委ねてしまうのだ。 この思考プロセスを巧みに利用したのがコミュだった。 悠里は委員長と崇められ、コミュ内ではカリスマとして君臨する。 彼は目ぼしい人材を運営側へと引き抜き、テロ組織の幹部として彼らを教育。 結果、石電ウェブサイトへのDOS攻撃を実行、金沢の繁華街で自爆テロは未遂に終わった。 ーお悩み相談を入り口に仲良しグループをつくるサークルと思いきや、テロリスト養成場。コミュはそのための洗脳の場だった…。 ーそういやそのコミュ参加者のその後の足取りって追ってなかったな。 こう心のなかでつぶやいた三波は鍋島事件後のコミュについて調べだした。 そして20分ほどして彼は確信をする。 ーこいつは今も十分活動してる…。 あんな大きな騒ぎを起こした団体だ。表立って活動なぞできるはずもない。 しかしその当時の運営側であった連中の一部が今でも繋がりを持ち、何らかの活動をしていることがわかった。 ある連中はボランティア団体を設立し、活動の中で聴く力の尊さを同時に普及している。 またあるものはカフェを作って、そこでカルチャースクールを開き、聴く力を養成。 あるものは学習塾での講義を通して、その生徒にコミュでのノウハウを教え込んでいるらしい。 悠里が運営責任だった当時は、彼が主体となり、その神経組織として幹部がいた。その他参加者は彼らの駒として自らの意思を持たずただ動く。まさに共産主義、全体主義的組織としてコミュはあった。 しかし悠里なき今、コミュは個がそれぞれの意思でもって活動するゲリラ展開をしているようだ。 ーにしてもこいつら、どうやって活動のネットワークを構築してるんだ…。 ーいや待て…。たしかコミュは自前のSNSアプリを介して当時から連絡を取り合っていたとか聞いたことがあるぞ。 ーもしもそのアプリが今も有効ならそれも可能か…。 光定がコミュの参加者であり、もしも今もそれに関わっているとするなら。 そう考えた彼の背筋に冷たいものが流れたのを思い出した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 扉が開かれる スリッパの音 カーテン開ける 「あ、元気そうですね。」 ベッドに腰をかける三波を顔を見下ろす彼は無表情だった。 三波はすかさず白衣姿の彼の胸元を見た。 彼の名前は光定公信だった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 24 Apr 2021
- 119 - 112.2 第100話【後編】3-100.2.mp3 5年前 「にわかには信じがたい話です。」 「正常な感想だ。」 「ですが他ならぬ陶課長のお話です。」 「ということは?」 「信じます。信じますが…なかなか受け入れられません。」 「いいんだ。そう言ってくれるだけで十分だ。」 「しかしどうしてそんな大事なことを自分に。」 「俺は苦労人をリスペクトしている。」 「…それは自分のことですか。」 「そうだ。」 都内駅構内の某コーヒーチェーン店。 入れ代わり立ち代わり人が出入りする店の奥に向かい合って座る中年男性ふたり。 彼らの存在を気に留めるものはいない。 「調べさせてもらったよ。随分ハードな生き方を強いられてきたみたいじゃないか。」 「なぜ自分なんかに関心をお示しに?」 「なんだろう…。なんでかな。」 「こう言ってはなんですが、裏があると思ってしまいます。」 「正直でよろしい。」 陶はコーヒーに口をつけて、ふうっと息を吐いた。 「氷河期世代ね。」 「は?」 「失われた20年って口じゃ簡単に言うけど、そのただ中にある当人にとってはたまったもんじゃないよな。」 「…。」 「紀伊。君はその氷河期世代の中でもこうやって警視庁に入り公務員という地位を勝ち取った。氷河期世代の中で見ればいわゆる勝ち組だ。世間的に、な。」 「…。」 「公務員。なってしまえばこっちのモン。そうそうクビになることもないしな。生涯安泰。あとは結婚し家庭を持ち、子を育て、そこそこのポジションに行き、いっちょ上がり。なんて世間は見る。確かにそう言った側面はある。だがこの警察という組織。実際のところは階級、権力、学歴、縁故、派閥、人間関係と得られるものはストレスしかないと思えるほどのクソみたいな職場だった。違うか?」 「…。」 「ドラマの刑事みたいに活躍できる自身の姿を想像していたのに、圧倒的に多い意味不明な事務作業。そして人間関係を円滑に運ぶという名目の組織内営業。上司はキャリアとかいう学歴だけは立派なジャリ。叩き上げで一番苦労している現場がジャリの思惑一つで翻弄される。こんな環境でどこが勝ち組だ。」 「ですが…それでも就職で苦労している同世代の人間を見れば、自分は恵まれています。」 「奴隷。」 「え。」 「そういうの奴隷っていうんじゃないのかな。」 「奴隷…。」 「自分の考えを押し殺し、言われるがままに機械のように動く。奴隷じゃないか。」 紀伊は何も言えない。いや言えるはずもない。 そもそもこの眼の前にいる陶という男。警視庁捜査第一課の管理官だ。陶はキャリアをジャリ呼ばわりしたが、彼自身がキャリアという存在そのもの。ただ彼がジャリであるかどうかはわからない。 「いや、言い方が悪かった。忠臣とでも言おうか。」 今更だ。ここで言い方を変えてもなんのフォローにもなっていない。 ただの嫌味にしか聞こえない。 そう。好むと好まざるとにかかわらず、自分はこういう連中の相手をさせられる。 世間から羨ましいと言われる環境とは必ずしも言えない。 こう紀伊は心のなかでつぶやいた。 「言っておくけど、俺にとって忠臣って言葉は奴隷と一緒だから。意味合いは。」 「え?」 「忠臣蔵ってヤツあるだろ。」 「はい。」 「俺、あんなもんが美化される世の中って良くないと思ってる。」 何を言ってるんだ。 主君の無念を晴らす美談ではないか。 警察という絶対的な縦組織でこれを好まない人間はいないはずだが。 「どうしてそうお思いなんですか。」 「浅野内匠頭が吉良を切りつけたから、部下が敵討ちなんかしなきゃいけなくなった。曲がりなりにも浅野は藩主だ。藩主は部下の面倒を見なきゃいけない。なのにそれを放棄して吉良を切りつけた。どうせ切りつけた理由はメンツとか一時的な感情が原因なんだろ。ちっぽけなプライドのために部下を路頭に迷わせ、挙げ句自分の仇討ちをさせる。しまいには部下らはその仇討ちの責任をとって切腹。なんでこれが美談として語り継がれているんだ?俺には四十七士は浅野の我儘に翻弄された被害者にしか思えんぞ。」 「…たしかに。」 「無能な上司に翻弄されて、そいつらの代わりに活躍し犠牲になる。それが忠臣って言うなら、忠臣がいない世の中のほうが正常だ。異常な状態を賛美する世の中は狂っている。」 忠臣蔵は絶対的な勧善懲悪劇であるといままで思いこんでいた紀伊は、この陶の見解を聞いて目から鱗が落ちる思いだった。 「忠臣とか、忠義とか言いように言われるけど、そんなもんが美化される世の中は上の世代が無能であることの裏返しでもあるんだと俺は思う。」 「…自分らをいいように使うための一種の洗脳ですか。」 「ま、そういうことだ。」 「管理官は上層部に不満をお持ちで。」 陶はうなずく。 「紀伊。お前もそうなんだろう。」 「…。」 「君等氷河期世代は、世代まるごと忠臣になることを求められている。そう思わないか。」 「前世代の不始末を片付け、挙げ句そのうまい汁を後の世代に吸われる。」 「そう。」 「御免被ります。」 「だよな。」 「管理官は何をしたいんですか。」 「救いたい。」 陶のこの唐突で率直な言葉。紀伊は面食らった。 「あの…。」 「お前ら氷河期世代は時代に翻弄された世代だ。生まれたタイミングだけで割りを食っている世代。不憫だ。」 なぜこの陶は自分ら氷河期世代にこうも同情的なのか。 彼は自分よりも10程上。バブル世代と言われ、世間一般では氷河期世代とは価値観が違い、確執すら生じる世代だ。 「氷河期世代を作り出したのは政府の経済政策の失敗によるところが大きい。ならばそれは政府によって救済されるべきだ。だがそれは実行される気配がない。」 「…。」 「結局面倒くさいんだ。全世代の中で氷河期世代ってのはごく一部。そのごく一部を救済するためにその他大勢を説き伏せるのは非効率。そこで出てくるのが魔法の言葉「自己責任」。その言葉の下で救済されるべき対象を切り捨てる。」 「切り捨てる…ですか。」 「あぁ。しなくても良いはずの苦労を強いて、挙げ句死ねという。」 「奴隷と言われても返す言葉がないですね。」 「しかし君らは一応この日本で生活を送ることができる。理不尽な境遇に妥協さえできれば。」 「といいますと?」 「そんな妥協さえ許されず、本当に社会的に抹殺された存在を俺は知っている。」 「え?」 「まさに政府によって苦しめられ、政府によって殺された人間。その存在を俺は知っている。」 「殺された?政府に?」 「ああ。本来ならお前ら同様救われねばならないはずの人間だ。」 「いや…それはありえないです。」 「有り得る。」 「なぜ。」 「俺がその存在の面倒を見ていたから。」 「は?」 「俺はその監視役だった。俺はこの目で見たんだ。ひとりの日本人が政府の力によって存在を消される瞬間を。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「百目鬼がモグラ?」 「はい。ここ数日の百目鬼理事官の私に対する接触は怪しさしか感じません。」 「思い当たらないこともない。」 「専門官。妙な芽は早めに摘むことをおすすめいたします。」 「ただあいつは元からあんな感じの男だ。」 「専門官。松永課長なき今、あの人は公安特課の事実上のトップです。」 「わかった。手を打つ。建設的な提案。すまない。」 「いえ…。」 「やはり君等氷河期世代は優秀だ。難しいミッションをしっかりこなす能力を持っている。もっと評価されるべきだ。」 「…私は今が一番です。これ以上のものは望みません。」 「今とは?」 「あの…それは…。」 「お前が一番と思うものはなにかな。」 「あ…それは…その…。」 紀伊は口ごもった。 「自分は専門官と仕事ができる今が、一番生きている実感を得られています。」 「おべっかはいらない。」 「いいえ本心です。」 陶は黙った。 「必ずや鍋島能力の開発を成し遂げます。成し遂げ、専門官のお考えになる組織立ち上げの力になります。」 「紀伊。俺は忠臣はいらんぞ。」 「私の主君は専門官です。忠臣になるわけがありません。」 「はぁ…優秀だな…。」 「我々とキングに救済を。」 「あぁ。」Sat, 17 Apr 2021
- 118 - 112.1 第100話【前編】3-100.1.mp3 自宅に帰ってきた三波はベッドに倒れ込んだ。 「痛ぇ…。頭痛ぇぞ…。なんだこれ。」 「今日手に入れた情報はすべてデタラメだ。小早川は気が狂っていた。お前は疲れている。このままおとなしく家に帰るんだ。そこでじっとしていろ。」94 「何しやがったあいつ…。さっきまではそこまでじゃなかったのに、ここに来て何だこの頭痛…。おとなしくしてろって、このまま寝てろってのかよ。」 身を起こそうとすると自身の後頭部に鈍い痛みが走る。 「あ、痛っ!」 彼は突っ伏した。 「やべ…これあれかな…。脳梗塞とかかな…。だったら洒落になんねぇぞ…。」 三波は携帯を手にした。 「すいません…。頭が割れそうなんで救急車、お願いできませんか…。」 電話を切った三波は薄っすらと目を開く。 自分の部屋の天井がぼんやりと見える。 白いそれにカーテンの隙間からわずかに差し込む日差しが影をつける。 瞬間、彼の意識はとんだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「なんでこのタイミングであなたがそんなことを。」 「ちゃんフリの中の協力者が、自分の身内から被害者を出すことは許さんって鼻息荒くしてるんだ。」 「その手の管理はあなた自身で完結してください。大川さん。」 「自分の手に負えない状況だからビショップ。あんたにこうやって報告してるんだ。今までの動画をすべて元の状態のものに差し替えるって言い出している。」 携帯を持つ方の逆の手で、空閑は自分の頭を抱えた。 「…困る。すっごい困る。」 「こっちだって困ってる。そっちが三波に勝手に手を出すからこんなことになった。こっちは死にものぐるいでちゃんフリの中をグリップしていたんだ。それを引っ掻き回したのはそっちのほうだ。オトシマエはビショップ、そっちでつけてもらわないと困る。」 大川の言い分は正しい。 だが何が正しいか、何が誤りか。そんなことを今は議論している場合ではない。 「三波はいまどこにいる。」 「家。」 「家?」 「ええ自宅のはずです。そこで休んでます。」 「なんだ…ベッドに縛り付けてたりするのか。」 「んなことするわけ無いでしょ。自分の意志で自宅に帰ったんです。」 「自分の意志で帰る?」 「はい。」 「ただ家に帰るだけの人間が突然消息不明になるか?」 「何もかもが鬱陶しくなって急に外部との連絡を断つ奴だっています。」 「なんだそりゃ。随分と都合のいい言い訳だな。お前にとって。」 「そりゃそうですよ。俺にとって都合のいい状態にしたんですから。」 「は?」 「ま、そういうことです。その中の人間にはこうでも言って鎮めておいてくださいよ。」 「そう言ってもそいつは三波の家にカチコミに行くぞ。」 空閑はため息をつく。 「そうなったらそうなったで、俺の力がどれだけのモンかわかるから、逆に良いんじゃないんですか。」 「え?」 「カチコミかければいいよ。でもきっとあいつは出ない。」 「なんでそう言い切れるんだ。」 「くどくど説明する暇はありません。いま俺が言ったように、その中の人間に言ってみてください。」 「…わかった。」 電話を切る音 「三波の持っているネタよりも三波自身の安否のほうが今は重要になっている。ネタ元の安否確認をする前にそのネタをばら撒くようなことするかな…。裏取りとかもしないといけないだろうし…。」 こういった瞬間、空閑は動きを止めた。 「裏取り?」 「待てよ…三波が小早川と接触したこと。このこと自体が何かの裏取りだとしたら…。」 即座に空閑は電話を掛ける。 「やったか。」 「やることはやった。」 「どうやった。」 「三波は自宅に引きこもっている。」 「引きこもる?」 「あぁ引きこもるように仕向けた。」 「なんだそれは…家に帰るだけだったら外といくらでも連絡取れるだろうが。」 「心配ない。それはできないように暗示をかけている。」 「暗示?」 「あぁ。」 「暗示…ってなんだ。」 「暗示だ。」 「まさかクイーンに。」 「とにかく三波については一応心配のない状況は作った。おれが電話をお前にかけたのは別の用向きがあってな。」 「なんだ。」 「ルーク。お前んところにスパイいないか。」 「スパイ?」 「あぁ。」 「ふと思ったんだ。今回の三波の背乗りの段取りの良さ、動きの良さ、プロの指南役がいると見て間違いないってお前言ってたろ。」 「ああ。」 「プロなら今回のミッションの最大の目的は三波の無事の帰還じゃない。三波が得たネタそのものと、それの裏取りだ。」 「そうだ。」 「しかしそれはあくまでも三波が主体だったらと考えたときに成り立つシナリオだ。」 「というと?」 「仮に三波がそのプロによって使用される立場だったらとしたらどうだ。」 「あ…。」 「三波は自分の取材のために小早川と接触した体になっている。しかし、それは三波の指南役のプロがすでに持つネタの裏取りだったとしたら。」 「ちゃんフリによる報道という三波の目的はヤツ自身の連絡途絶によって未達成。が、指南役の目的は三波の取材によってすでに達成している可能性がある。か。」 「ルーク。三波はお前ら警察の網を見事かいくぐって動いた。お前のところにその指南役がいるとすれば、今回の件しっくり来るような気がするんだが。」 紀伊は自身の記憶を総動員して心当たりのあるものを洗う。 ここ数日自分と接点を持った人物を思い出し、その人物の一挙手一投足を分析する。 疑わしい人物がいた。 百目鬼だ。 急に自分に接近してきたと思えば捜査一課に鍋島能力の存在を匂わせてみて、その出方を見てみろと言う。そして片倉からの離反も促す。 この一連のテロまがいな事件の背後に鍋島能力の実験結果がある。その因果関係を知っているのはキング、ビショップ、クイーン、ナイトそしてルークと呼ばれる自分の5名しかいない。 「ルーク?」 「あ…。」 「思い当たるのか。」 「…この商売してりゃ、心の底から信頼できる人間なんていない。周りを疑えばきりがない。」 「ということは。」 「心当たりがないことはない。」 「どうすんだ。」 「なんとかするさ。」 「できるのか。」 「やる。やらないと後がない。」Sat, 17 Apr 2021
- 117 - 111 第99話3-99.mp3 東京都と埼玉県にまたがるように自衛隊の駐屯地がある。 リュックを担いだ男がひとり、そこに歩いて入っていった。 「なるほど。今川は心当たりがあると。」 「はい。我が国のツヴァイスタンシンパに鍋島能力の研究を委託した可能性があると言っています。」 「しかしそれはあくまで今川の個人的な予想。」 「その個人的な予想の裏を取るのは警察の仕事です。」 「ツヴァイスタンによる重大犯罪に加担した男の見過ごせない発言。事件の真相を明らかにすることを職務とする警察は動かざるを得なくなる。」 「普通ならば。」 「そう。普通ならば。」 肘を付き、両手を口の前で組む彼の表情の細かな様子は2メートル離れたここからは窺いしれない。 「今回は法務省の方にも手を回しています。おそらくそこからもNSSに報告が入るでしょう。」 「ならば今度ばかりは警察は普通の対応を取らざるを得ないか。」 「はっ。」 「なにかと足を引っ張るな、警察は。」 「組織自体は職務をまっとうする意志があるのですが…。」 「が?」 「その中にはいろいろと拗らせた奴がいるみたいでして。」 「朝倉みたいなやつか。」 「はい。」 「そいつが足を引っ張っていると…。」 「引っ張るだけなら良いのですが。」 「無能な働き者か。」 「はい。」 「我々の世界では部隊の全滅を招きかねない、問題のある人間。」 「しかもその人間が中枢にいる。」 「せっかくの予算も人事とセットでなければ、有効たりえんか。」 「おっしゃるとおりです。」 「しかし小寺。警察には警察の職務を全うしてもらわねば困る。我々はあくまでも自衛隊。犯罪を未然に防ぐのはあいつらの仕事だ。この分野で我々がでしゃばるわけにはいかない。」 「はい。我々は状況が発生したときの対応に備えるまでです。」 「しかしできることならその状況は未然に防ぎたい。」 「そうも言ってられないかもしれません。」 「というと?」 「ベネシュの姿を目撃したとの報告が上がっています。」 「ベネシュ!?」 「はっ。」 「どこで。」 「石川です。」 組んでいた両手を解いて、彼は天を仰いだ。 「いよいよ本体の上陸ときた…。」 「状況はこちらにとって着実に良くない方に進んでいます。」 「防衛出動の可能性か。」 「その可能性はいつでも念頭に置いておく。それが我々の職務でございます。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー バイブ音 自分の懐が震えたため彼はそれを手にした。 画面に表示される名前を見て彼は思わず足を止めた。 ーえ?百目鬼理事官? 片倉は基本的に百目鬼との連絡は古田というハブを通して行っている。 先方から直接電話連絡が入るというのは、平常ではない何かが身内に起こっていることを示している。 片倉と百目鬼が直接連絡をとるのは、先日、気配を消して突然自分に声をかけてきた渋谷駅以来だ。 彼はイヤホンを装着し即座にそれに出た。 「お疲れさまです。どうしました。」 「良くないことが起きている。」 「…でしょうね。理事官直々のお電話です。」 「トシさんのことだが。」 「え?トシさん?」 「認知症の疑いがある。」 「は!?」 「肝心のハブを介しての情報伝達が難しい状態だ。だから俺からお前に直接連絡した。」 「え、トシさんが認知症?んな突然…。だらな…。」 「あぁ言っておくが、天宮とか千種に認知症じゃないかって言われた件じゃないぞ。」 「え?他にもトシさんを認知症っていうやつが?」 「あぁ。」 「誰が?」 「神谷。」 「神谷?神谷って…あの仁熊会の神谷ですか。」 「うん。まぁそのあたりはちょっと置いておくとして、神谷から聞いたそのトシさんの症状を専門家にぶつけてみた。完全にそれらしい。しかしこの手の病気の場合、徐々にその症状が表面化する。専門家も突然の発症に疑問をいだいていた。」 片倉は歩きながら頭を抱えた。 ことが急であるのと同時に、受け入れがたい情報。この2つが彼の思考能力を急激に低下させた。 「俺らのハブが認知症。絶望以外の何物でもない。」 「はい。」 「さっきまではな。」 「…は?」 「この認知症。怪しいぞ。」 「怪しい?何が。」 「刑務所に収監されている今川いるだろう。」 「あぁ今川惟幾ですか。」 「そう。その今川、興味深い発言をした。ついさっき法務省から連絡が入った。」 こう言って百目鬼は先程法務省からもたらされた、今川とその面会者のやり取りの一部始終を片倉に披露した。 「急に認知症のような症状が出た...ですか。」 「あぁ疼痛を抑えるための催眠治療を受けた直後から。」 「トシさんはその疼痛に?」 「いや、アイツは高血圧と狭心症だ。」 「じゃあ。」 「片倉。石川大学病院だぞ。トシさんがかかってんのは。」 「でもなんでトシさんに催眠治療なんか。」 「だから言ってるだろうが。石川大学病院だって。」 「あのぅ…理事官。自分、ちょっと頭の整理がつかんがです。」 「天宮。」 「天宮?」 「天宮なんだよ。その難治性疼痛を抑える催眠療法を施したのが。」 「天宮が…催眠療法を?」 「そうだ。ちなみに天宮はツヴァイスタンのシンパだ。催眠と聞いて片倉、ピンとこないか。」 「瞬間催眠。」 「そう。」 「え…まさか…。」 「石川大学病院がその今川が言っていた外注先と考えられないこともない。」 「もしもそれが本当にそうやったとしたら…。」 「患者を適当に見繕って、瞬間催眠の人体実験を行っていた可能性がある。」 「MKウルトラ異聞にある瞬間催眠。その人体実験ですか。」 「ああ。」 「その対象の一人が、その今川と面会した男の父親。」 「そして古田登志夫。」 「いや待ってください。理事官。」 「なんだ。」 「トシさんとは自分長い付き合いです。自分はあの人のことは把握しています。あの人、つい最近も石大にいつもの高血圧と狭心症でかかっとりますが、仮にその、瞬間催眠の人体実験的なもんをそん時に受けたとしたら、誰がその施術をしたというんでしょうか。天宮はすでに引退しとります。」 「何いってんだ。トシさんは天宮本人と直接接しているだろう。」 「いやいや。ほれやったら天宮本人がトシさんを認知症呼ばわりなんかせんでしょう。その催眠療法の副作用が認知症やとしたら。自分で催眠療法のまずい部分をあえて被験者に暴露しとることになる。」 「なるほど…確かにそうだな。自分にとって都合の悪いことをあえて披露するのは天宮にとってなんの得もない。」 「となるとトシさんはどのタイミングで、催眠療法を…。」 「いや、タイミングなんていつでもあるだろう。トシさんは石大病院をかかりつけにしてんだから。」 「いやだから天宮は引退しとるんです。」 「弟子筋の奴がいるじゃないか。」 「曽我ですか。」 「曽我もあるだろうし…。」 「小早川…。」 「全滅か。」 「いや。まだいますよ。」 「確かに…もうひとりいるな。」 「光定公信。」 片倉が光定の名前を口に出すと二人に沈黙が流れた。 「光定は相馬がマークしている。」 「ですね。」 「司令塔のトシさんがあまり芳しくない。ここは直属の上司である片倉。お前が相馬の指揮をしてやってくれ。」 「いや、ちょっと自分もういっぱいいっぱいです。」 「じゃあどうする。」 「ケントクにお願いできませんか。」 「ケントクか…。岡田か。」 「はい。」 百目鬼は何を考えているのか、暫く返事をしない。 「理事官?」 「あ、あぁ…岡田だな。わかった。だが岡田が相馬の管理をするのはちょっと避けたい。」 「なぜ?」 「理由は言えない。ケントクは良いが他に信頼できるヤツいないか。」 「富樫はどうでしょう。」 「富樫?」 「はい。トシさんと個人的に交友関係があるベテランです。」 「できるのか、その男。」 「できるもできる。あの三好さんのバディですよ。」 「三好。ツヴァイスタンハンターのあの三好か。」 「はい。あと椎名ウォッチャーでもあります。」 「椎名…。」 「はい。椎名賢明。本名、仁川征爾です。」 「仁川…。」 「どうしました?」 「いや…ちょっと気になることがあってな。」 「なんです?」 「いや…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 10 Apr 2021
- 116 - 110 第98話3-98.mp3 「古田の様子がおかしい?」 「はい。」 「何が。」 「同じこと何度も言うんですよ。」 「何度も同じことを?」 「はい。」 警察庁警備局公安特課。 松永専用の公安特課課長室で百目鬼は足を机の上に乗せて何者かと電話をしていた。 「具体的には?」 「空閑ですよ空閑。」 「…あぁ、千種が光定の書類を渡したと思われるやつか。そいつがどうかしたか。」 「古田さん。自分にその空閑を調べてくれって電話かけてきたんです。百目鬼理事官から自分を使えって言われたんでって。」 「うん。俺が神谷くんを紹介した。」 「で、空閑教室って塾をやってるってのを聞いたんで、すぐに下のモンに調べさせたんです。」 「うん。ってかその下のモンって言い方、ちょっとマズくない?組のモン的で。」 「でも一応自分、今は仁熊会の若頭ってことになってますんで。サツカンとして振る舞うと下のモンが良い顔しません。」 「あ…そう…。」 「で、ものの10分してですよ。また古田さんから同じ電話かかってくるんです。」 「同じ電話?」 「はい。空閑教室の主を調べろって。空閑は空気の空に閑散の閑。門構えって。」 「あらら。」 「えっとさっきも電話もらいましたがって言ったんですが、それはワシを語った別のモンやって言うんです。」 「で。」 「で、これがあと2回繰り返されました。」 百目鬼の表情が険しくなった。 机の上に乗せていた足を降ろし、彼は座り直した。 「ぱたっと電話が止んで数時間後、また古田さんから着信がはいったんです。そうしたら次は空閑じゃなくてスガを調べろって。」 「スガ?」 「はい。」 「古田さん。空閑については大体調べはついたんですが、今度はスガですか?」 「え?」 「あの…今日、古田さんから空閑について調べろって依頼されて、一応さっき自分のところにレポート上がってきたんですが、これじゃなくて別件のスガですか。」 「あ…ワシ…あれ?」 「先に依頼受けたのは空閑。いま古田さんが依頼されてるのはスガです。」 「あ、空閑でいい。そう。空閑やった。すまんワシなんか勘違いしとったみたいや。」 「マズイな…。」 「やはり理事官もそう思われますか。」 「認知症の疑いがあるね。」 「はい。」 「わかった。神谷君。君はトシさんにはとりあえず適当に合わせていてくれない?」 「はい。ですがどう適当に合わせればいいか正直わかりません。なにせ身近にそういう人がいないもんで。」 「とにかくこの手の人にの言うことは『はいはい』と聞いておくんだ。」 「しかし同じことをこうも何度も繰り返されると…。」 「気持ちはわかる。けどそれが一番円滑にことが運ぶ。とにかく怒ったり否定することだけはしないように。」 「はい…。」 「トシさんのことは俺の方で専門医にあたってみる。」 電話をピッと切る音 車のドアを開いてそれに乗り込む 「ふぅ…。」 「その冴えない表情。あれでしょ。」 「え?」 「ほらさっき連チャンでかかってきてたあれ関係。」 運転席の雨澤はシートベルトを締めてエンジンを掛けた。 「なんでわかったんだ。」 「だってあのとき頭抱えてたじゃないですか。」 「あぁ…。」 「俺がヤバメの状態でも冷静に的確な指示を出し続けられるあなたが、さっきの連チャンの電話には随分と取り乱してた。何度も同じことで電話かけてましたよね。あの電話の人、ちょっと認知入ってるんじゃないんですか?」 「わかってたのか…。」 「まあ。」 「どうして?」 「ま、身近にあんな感じの人いたんで。」 「いた…。」 「あ、死んでませんよ。施設に入ってます。」 「親御さんとか?」 雨澤はうなずく。 「親父です。」 「そうか。」 「さっきの電話めっちゃデジャヴでした。」 「…。」 「その人、あなたとどういう関係なのかは知りませんけど、とにかくはいはいって聞いておいたほうがいいっすよ。」 「それ言われた。」 「あ、そうですか。それは懸命なアドバイスです。」 「でも正直しんどいんだけど。」 「それは相手も一緒。相手は好きでそういう状態になってるわけじゃない。病気がそうさせてるんです。そう思うだけで少しは優しくなれませんか。」 神谷は天を仰ぐ。 「って言ってもなかなか難しいんですよねぇ。他人なら結構客観的に接することができるんですが、下手に知った仲だとね、ほら正常な状態の相手と今の要領を得ない相手を比較して、もどかしくってイライラしてしまう。自分もついカーッとなって親父をアホバカ呼ばわりしたことがありましたよ。」 「そう…。」 「神谷さん、結構イラツイてるから、結構深い仲だったんですね。」 「まぁ、ね。」 「頼ってるんですよ。その人。神谷さんを。」 この雨澤の一言が神谷に刺さった。 古田の容量の得なさに苛立ちを覚えていた神谷は、自分の狭量さを恥じた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ドアが開かれる音 椅子に座る音 「お久しぶりです。部長。」 「その部長っていうのはもうやめてもらえないか。」 こう言って彼は自分のなりを彼に改めて見せた。 「びっくりしたよ。君がここに来るとは…。」 「いつか伺いますって手紙にも書いたじゃないですか。」 「確かにそうだが本当にくるなんて…ってことは。」 ここで男は言葉に詰まった。 「父は先月旅立ちました。」 「そうか…。」 「その節はいろいろとお気遣いいただき本当にありがとうございました。」 「いや…。」 「特に苦しむこともなくあっという間でした。」 「…それはなによりだ。」 「本当に安らかな顔でした。あんなに穏やかな表情、認知症になってから見たことがなかった。最後の最後であの表情なら結果オーライ…ってことですか…。」 「よくやったよ君は。」 「ありがとうございます…。」 目の前の男がこらえきれず涙する様子を見て、彼もまた目頭が熱くなった。 「すいません。気丈にしてるつもりだったんですが、部長を久しぶりに見てなんか親父と同じ感覚を受けてしまって、ははは…涙腺がガバガバになってしまいました…。」 「ははっ。よせ。」 涙が止まらない。 これだけ涙を流すのはいったい何時ぶりだろうか。 「今日、ここに伺ったのは父の報告ともうひとつありまして。」 「もうひとつ?」 「はい。自分はあなたの更生に期する人物として刑務所から特別に面会を許された身です。」 「…。」 「あなたの更生に一役買えそうな話を持ってまいりました。」 「なに?」 立会人の表情が一瞬こわばった。 「今から私が話すことがこの刑務所の規則に違反することになるなら、立会人さん。すぐに止めてください。」 立会人は何の反応も示さない。ただノートに目を落とすだけだ。 この反応に男は自分の申し出が了承されたと理解した。 「父は日記を書くのが日課だったみたいなんです。遺品整理してたら昔の物がたくさん出てきました。」 「それはそれは。」 「つい読みふけりました。父が日記をつけ始めたのは母が亡くなってからのようで、その日の天気や感じたことを簡潔に書く形の日記でした。その愛想もない日記を読み返していると、父がひとりになってから、この世界をどう見ていたのかというのが手にとるようにわかるんです。母を亡くした寂しさ。息子である自分を気にかける様子。世相の見方。春夏秋冬の季節の移ろいをどう感じ取っていたか。面白みもなにもないただの2,3行の報告文ですが、その分リアルに伝わってきました。」 「君はお父さんが見ていたものを追体験したわけか。」 「はい。」 「それはそれで、ある意味辛い体験だ。」 「はい。結構堪えました。」 「だろう。」 「ですがひと通り目を通してあることに気がつきました。」 「あることに気がついた?」 男はうなずく。 「父はある日を境に認知症のような症状を見せるようになった。」 「ある日を境に?」 「はい。」 「なに?待って。どういうことだ。」 「父は原因不明の難治性疼痛に悩まされていました。鎮痛剤を飲んでも、ブロック注射をうってもあまり良くならないんです。これは昔からです。それで悩む父の姿は自分もかつて見ていました。日記にもこの疼痛についてよく触れています。」 「ふむ。」 「父は医師から疼痛を抑える可能性があると催眠療法を勧められ、それを受けることにします。結果、症状は改善します。これには父は驚いていたようです。」 「催眠療法…か。そんなものが効くのか。」 「わたしもにわかには信じられないんですが、当の父が効いていると言ってるんです。そうなんでしょう。」 「だな。」 「ですがこのあたりから日記を書くペースに異変が出てきます。」 「なに?」 「毎日書いていたはずの日記の更新がランダムになりはじめるんです。何も書かない日が出てきました。それはやがて一日おきになり、一週間おきに。ついにはそのノートはただのメモ帳のようになるんです。」 「なんだって…。」 「備忘録としてのメモ帳でしょうね。買い物リストのようなもの、地図っぽい絵が書かれるようになりました。私が自分の財産を付け狙っているとか、不安を抱えている様子もそこには書かれていました。」 「典型的な認知症の症状だな。」 「はい。催眠療法を受け2,3ヶ月も経たないうちにこのざまです。タイミングがおかしいと思いませんか。」 「まぁ…。」 「父の一種錯乱する様子が書き留められたノート。私には見るに堪えない代物でしたが、目を背けるわけにもいかないと思い、向き合いました。するとそこに気になるものを見つけたんです。」 「…なんだ、それは。」 「目の絵。」 「メノエ?」 「はい。」 「え?何だ、メノエって。」 男は自分の片目を指差す。 「これですよ。この目です。この目の絵が何個も書かれてあったんです。鉛筆で。」 「え…。」 「それだけでも狂気じみているのに、そこに変な言葉も書かれてました。」 「変な言葉?」 「ボーフとかボークとか。」 この言葉を聞いた瞬間、彼は戦慄した。 「意味分かんないんで、自分なりに調べてみたんです。このボーフとかボークって言葉のこと。するとこれロシア語で神って意味だそうですね。」 「…ツヴァイスタンでも同じ意味で使われる。」 少し間をおいて放たれたその言葉に男はうなずいて応えた。 「父はロシアとかツヴァイスタンには関心も何も示したことがなかった。そんな父がこんな言葉をノートに書き記す。これは普通じゃありません。普通じゃないことが父の身に起きていた。しかも催眠療法とかを受けた頃からです。」 「…。」 「ツヴァイスタンといえば今川さん。あなたなら何か知ってるんじゃないかと思って、ここに来ました。」 「…。」 「今川さん。」 「かつて聞いたことがある。」 立会人はペンを構えた。 「鍋島がもつ瞬間催眠の能力を第三者も利用できるものにするために研究をする機関があると。」 「鍋島?瞬間催眠?」 「あぁ。君も知ってる通りツヴァイスタンは完全縦割りだ。俺はそれ以上のことは知らない。ただあの国のやり口は知っている。だから想像はできる。」 「どう想像できますか。」 「外注さ。」 「外注?」 「あぁ俺みたいなエージェントを使って、外で研究させるのさ。それがスパイ天国のこの日本って感じでな。」 「石大病院でもそんなことがまかり通るんですか?」 「できないことない。日本にはツヴァイスタンのシンパはうようよいるからな。」 「だとしたら…。」 「大変なことになる。」 車のドアを閉める音 「ご苦労さまでした。」 「できる限りのことはやりました。」 「ありがとうございます。報告は入っています。」 「え?報告?」 「はい。」 横に座っている彼は封筒を男に手渡す。 「謝礼です。受け取っておいてください。」 受け取った瞬間、かなりの額が入っていると想像がつく厚みを感じた。 「こんなに?」 「いいから。何も言わずに。」 男はそれを鞄にしまった。 「父親を実験台にされたんですから。」 「…。」 「これで警察が本腰入れて動いてくれることを期待しましょう。」 「はい。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 03 Apr 2021
- 115 - 109 第97話3-97.mp3 「話が違うだろうが。」 「電話かけてくるのは止めてくれって言ったはずだが。」 「緊急事態に馬鹿丁寧にSNSでクレームつけるバカが居るか!」 声を荒げて電話をかけるのはちゃんねるフリーダムカメラデスクの安井隆道だ。 彼は犀川の河川敷に立ち、雨音と川の流れの音によって自分の声が他人に聞かれないよう配慮をしていた。 「身内には被害者は出さないって約束だっただろうが。」 「出さない。そういう事になっている。」 「そういう事になってないから電話してんだよ!」 「なんだって?」 「その反応…。まさかあんた…。」 「え?何?何があったんだ。」 安井は深くため息をつく。 「はぁー…。」 「何が…。」 「三波が行方不明になった。」 「え!?」 「理由はわからん。でも察しはつく。俺らのことを探ったんだろうさ。」 「我々のことを探る…。」 「そろそろ潮時だってのは、俺から椎名には伝えた。三波とか黒田とかが俺の周辺を探り出しているってな。」 「ってことは、まさかキングが…。」 「ふぅ…あのさ、そのキングとかってニックネームか何かは知らねぇけどさ。話がややこしくなるから俺の前では椎名って名前でアイツのこと呼んでくれないかな。」 「あ…あぁ。」 「で、なんでその椎名が三波を巻き込むんだ?」 「いや待って。この件は私もいま初めて知ったんだ。」 「いやいや、あんたが初めて知ったとかそんなことはどうでもいいの。大川さん、とにかく俺があんたや椎名の協力をすることで、その何かはしらんけど、企んでいるそいつからちゃんフリの連中には災いが及ばなくする。そういうことだったよな。」 「あぁ…。」 「その約束が反故にされたんだけど。これどう落とし前つけてくれんの?」 「ちょっと待って。すぐに確認する。」 「確認なんていらねぇよ。三波が行方不明なのは事実。」 「とにかく待ってくれ。」 そう言った大川は一方的に電話を切った。 「ちっ…。」 しばらくして安井に大川から電話が入った。 「どうよ。」 「すまん。確認が取れない。」 「あの、誰に確認とってんのさ。大川さんよ。あんたが俺に持ち込んだ案件だぜ。あんた自身で落とし前つけてくれよ。」 「すぐに修正するよう働きかける。」 「修正?働きかける?」 「ああ。」 「アホか。」 「…。」 「自分が動けよ。約束が違うだろう。こっちはこっちでやることやってんだ。いますぐその確認とるそいつんとこに殴り込みにいけよ。」 「…。」 「できないの?」 安井の言葉に大川は口をつぐんだままだ。 「あんたができないんだったら俺が直接行くよ。そいつんところに。」 「待ってくれ。」 「待てる状態じゃねぇから、こうやって電話かけてんだよ!」 「何かの間違いだ。俺の方で修正をするからあんたはちゃんフリでそのまま…。」 「いいかげんにしろ!」 「…。」 「わかった埒が明かない。俺が今までやってきたことはすべて解消する。」 「解消?」 「ああ。配信全部差し替えだ。マスターに置き換える。」 「待ってくれ!」 「さっきから待って待ってって、あんた何もせずにただお願いしてるだけじゃん。」 「いいのか安井。金が止まるぞ。」 「金?」 「あぁ。あんたの息子の治療には金がかかる。その源が絶たれるぞ。」 「…。」 安井は黙った。 「息子さん、あんまり芳しくないそうだな。」 「まぁ…。」 「そもそもあんたのほうだろう。俺に金の相談をしたのは。俺はそれに乗っかってあんたにミッションを与えた。その対価としてあんたは相応の金を手にした。」 「…。」 「こっちは金払ってんだ。多少の不都合ぐらい許容したらどうだ。」 「それとこれとは別だ。仕事をする対価として金もらう。これは当然のこと。プラスアルファとして身内の身の安全も保証する。これがあんたと俺との契約だ。その契約があんたのほうから不履行となった。もう俺はその縛りに従う義理はない。」 正論だ。安井の発言に咎められる点は一切ない。 「大川さん。あんたは大きく見誤ってるよ。」 「なんだと?」 「俺は良樹の治療費を捻出するためにあんたに金の相談をしたんじゃない。」 「なに?」 「はっきり言ってぺらぺらなんだよ。世の中のコメンテーターって奴は。適当に聞きかじったことをもっともらしく話せりゃ成立するんだ。特にあんたは立ち位置が絶妙だ。左右どちらにも偏ることなく、バランスの良いコメントに徹する。極端な意見を嫌う人間からは良識人であるかのように見られる。基礎的な教養もなくその立場を得られるんだからウマいよな。」 「なんだと…。」 「まさか保険適用の考え方すらも欠落してるほど、ペラいとは思わなかったよ。治療費500万とかのネットの見出しだけ見て本気でそんだけの費用が俺に必要になってると思ってるとはね。いろんな意味であんたは普通じゃない。ずいぶんな世間知らずだ。やれやれ…。きっと今まで苦労らしい苦労してこなかったんだ。あんたは。いや、そうじゃない。これというほど他人に関心を持ってこなかった。だからペラいんだ。」 「テレビで誰かが言ってたことを、さも自分も同じことを考えていたって体でものごとを知ったかで話す連中はよくいる。いわゆるバカ野郎だ。だがそんなバカ野郎とあんたは決定的に違う。あんたはコウモリ野郎かもしれないけど、自分で表の顔と裏の顔を使い分けて、何かの目的を達成しようとしている。行動を起こしてるんだ、自分の頭で考えてな。だからあんたはよくやってるよ。」18 「私はあなたの新自由主義を排斥する言論活動に共感しています。だから続けてほしんだ。あんたの活動。米国にいつまでも支配されているこの国は駄目だ。ちゃんフリなんて保守を語ってるがただの腰抜けメディア。あんたの持論を私は支持しますよ。」18 空閑からは一定の評価を得られていたはずの自分の言論をペラいと一蹴する制作現場の声。 正反対の評価がすぐそこにあることを目の当たりにして大川は何も言えなかった。 「じゃあなんでお前は金がいるんだ。」 「慰謝料。」 「慰謝料?」 「家に迷惑をかけた。だから俺は身を引く。身を引いてこの金を渡す。そしてあんたらがしでかそうとしてるなんだか訳のわからん企みの影響を受けないようにする。それくらいしか俺にはやれることはない。」 「離婚するのか。」 「ああ。」 「息子は。」 「俺に父親の資格はないさ。」 「なぜ。」 「あんたには関係ない。」 大川はここで自分を見たような気がした。 すべてを悟ったかのように振る舞う安井。立場や環境の違いはあるにせよ息子の雄大と向き合う姿とダブって見えた。 「あんた、ほんとうに知恵絞って雄大と向き合ったか?どうして雄大が自分の方をちゃんと見てくれないのか、胸に手を当てて脳みそちぎれるくらい自問自答したことあるか?ないだろ?」 「ムカつくんだよ。そういった基本的なこともやりもしないで偉そうにしやがって。そのくせ被害者ヅラだよ。ふざけんなって。」18 「空閑…。」 「クガ?は?」 「安井。」 「なんだよ。」 「あんた、心の底から息子と向き合ったことあるか?」 「え?」 「あんた息子のことを脳みそが引きちぎれるくらい考えたことがあるのか?」 「なんだよ…。」 「なぁ。」 「…。」 「どうなんだよ。」 「俺になりに考えた結果さ。」 「考えた結果、金だけおいてあんたは身を引くのか。」 「あぁ。」 「そうすることで息子は幸せになるのか。」 「…多分。」 「本人に聞いたのか。」 安井は口ごもった。 「本人の意思をちゃんと汲み取ったのか。」 「なんだよあんた…。」 「なぁ。」 「うるせぇ!」 妙な二人のやり取りはこの安井の大声で中断された。 「とにかく三波をなんとかしろ。そうしないと全部バラす。」 「…わかった。」 「いいな。すぐにだ。」 「やるだけやる。」 「あと。」 「なんだ。」 「俺の身内にひとりでも犠牲になるやつがいたら大川さんよ。ただじゃおかねぇからな。」 「ただじゃおかない…。」 「ああ。」 「たぶんそうも言ってられなくなるさ。」 電話切れる 「わかったようなこと言いやがって…。評論家風情がよ…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 橋の下影に潜んで一部始終を見ていた黒田はため息を付いた。 「はぁ…全部聞いてしまったよ…。」 「わかった埒が明かない。俺が今までやってきたことはすべて解消する。」 「ああ。配信全部差し替えだ。マスターに置き換える。」 「あのサブリミナル映像、全部ヤスさんの仕業だった…ってことが証明された、か…。」 黒田は携帯を操作する。 「安井さんなりの理由はあるみたいだけど…あなた。やっちゃいけないことをやっちまったよ。」 コール音 「あ、黒田です。社長、安井さんの件抑えました。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「そうか分かった。」 こう言うと加賀は電話を切った。 「どちら様で。」 「あぁうちの報道部のデスクさ。」 「報道部…。」 書類を片付けながら男は加賀の表情を観察する。 「それにしても久しぶりだな。どうだ。仕事の方は。」 「ご覧の通りです。なぜか副支店長なんかやってます。」 「営業店勤務は問題ないか。」 「はい。もう大丈夫です。その節は色々とご迷惑をおかけしました。」 「いや佐竹君。君には迷惑を被っていないよ。」 「あ、そうでした。」 お互いが笑った。 「今も山県さんとは連絡とってるのかい。」 「いいえ。当時の方とは疎遠です。」 「そうか…。」 「社長は山県さんとは。」 「まぁ年に一回話すか話さないか…。」 「会ったりするんですか。」 「まぁ場合によっては。」 「変わりない感じですか。」 「いやぁあれから6年だからね。銀行も退職してあの人庭いじりばっかりしてるらしいし、すっかり老け込んでね。もう完全に見た目おじいちゃん。」 「そうですか。」 「顔だしてやりなよ。喜ぶと思うよ。」 「今更な気がしますが…。」 「ほらあの人酒好きだろう。」 「はい。え?まだあの調子で飲んでるんですか。」 「うんそうみたい。あれ絶対体に良くないよ。かつての部下からも言ってやってくれよ。」 「6年ぶりにあって酒やめろって言うかつての部下って、かなりムカつくヤツだと思いますが。」 「たしかにそうだな。ははは。」 「社長。」 「うん?」 「あまり抱え込まないでくださいよ。」 「うん?どうした?」 「相当やばいヤマなんでしょう。」 「…。」 「なんでもかんでも自分ひとりで抱え込むのはよくありません。私で良ければ力になりますよ。」 「佐竹君…。」 加賀はふうっと息を吐いた。 「振ってるよ。振りまくってる。その点は問題ない。」 「そうですか。」 「けどさ。」 「けど?」 「熨子山の時とか、鍋島の時とどうもスケールが違うみたいなんだわ。」 「スケールが違う?」 「うん。もう自分みたいな一民間人とかじゃ何も役に立てない気がする。」 「社長でさえですか。」 「うん。」 「それってどういう規模感なんですかね。自分じゃ想像も付きません。」 加賀は立ち上がる。そして窓の外を見つめる。 「いよいよ表に出てきたとでも言おうか…。」 「表に出てきた?」 「ああ。」 「いままで裏にあったものが、表に出た。」 「そう。」 「はて?」 「戦争さ。」 「戦争?」 佐竹は加賀の現実離れしたこの言葉に、うまく反応できなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 20 Mar 2021
- 114 - お便り 8お便り3-7.mp3 今回はhachinohoyaさん 林進さんからのお便り紹介です ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Fri, 19 Mar 2021
- 113 - 108 第96話3-96.mp3 スリッパを引きずるような音が聞こえたため、楠冨はそちらの方を見た。 力なくスツールに腰を掛ける検査着姿の光定がそこにあった。 「先生…。」 うつむいたまま反応を示さない光定を見て彼女はそっと湯呑を差し出した。。 「ささ、熱いお茶でもお召し上がってください。体が温まりますよ。」 「うん…。」 茶をすする音 静寂の中、ただ光定の茶を啜る音だけがこの空間に響く。 二人の間に無言の時間がどれだけ流れただろうか。 このいつまで続くかわからない沈黙を破ったのは光定だった。 「何も聞かないんですね。」 「何のことですか。」 「僕が急にいなくなったこと。」 ーなんだ…随分流暢に話すじゃないの。 「私が聞いてどうなるんですか。」 「何言ってんですか。病院長から僕の様子を見てこいって言われたんでしょ。」 「様子を見るだけです。先生がどこに行っていたとか、何をしていたとかを探ってこいと言われていませんので。」 「で、本当に僕の様子を見ているだけ…。」 「はい。」 「マジですか…。」 光定は呆れ顔だ。 「まるでロボットですね。君は。」 「私がここにいるのは仕事の一環です。仕事に私情を挟み込むほうがむしろ良くないことだと思いますが。」 「訂正。軍人みたいだ。」 「それは褒めてらっしゃるので?」 「そう受け止めてもらって結構です。」 「普通の人は絶対にそう受け止めませんよ先生。」 クスリと笑った楠冨を見て、光定も少し顔をほころばせた。 「先生の服、乾かしてきます。」 「あ、いい。自分でやります。」 「え?これがないと先生一生その格好ですよ。その格好で院内ウロウロされると坊山課長の言ったとおり、いろいろ面倒なことになります。」 「一応、自分のロッカーに着替えあるんですよ。」 光定は鍵を楠冨に手渡した。 「僕のロッカーは19番。これでジャージ持ってきてもらえますか。」 「私が先生のロッカーを?」 「はい。」 「それはちょっと…。」 「大丈夫。僕から病院部長に言いますから。」 「先生から病院部長に?」 光定はその場で電話をかけた。 「あ…光定です。」 「大丈夫ですか先生。坊山から聞いています。とにかく風邪とか引くと大変なので、楠冨を使ってください。」 「ちょっと急な用事があって抜け出してしまいました…。」 「あぁいいんですよ先生。そのあたりを調整するのが我々事務方の仕事ですから。」 「彼女に着替えをロッカーまで取りに行かせますので、病院部長お願いできますか。」 「かしこまりました。すぐに対応します。」 「あ、でも。」 「なんです?」 「彼女に持ってきてほしいので。」 「…はぁ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 男性医師だけが使うロッカールーム。 ここに足を踏み入れるのは医師という資格を持つものだけ。 その前に医師ではない井戸村が落ち着かない様子で立っているのを、看護師の楠冨は目撃した。 「部長。」 「鍵貸して。男子ロッカーだ。ここから先は流石にお前を入れるわけにはいかんよ。」 「ダメです。」 「はぁ?」 「先生は私にとってこいと言われました。なので私が中に入ってとってきます。」 「おいおい。楠冨君。そういう四角四面なことはこの場では止めてくれないか。ここに看護師の君がいることも、病院部長の俺がいることも先生方に説明するのに時間がかかるんだ。」 「部長は外で見張っていてください。私が中に入ります。」 「おいこら!」 「しーっ。」 「あ…。」 「大きな声出すと休んでる先生からめっちゃ睨まれますよ。部長。」 「ぐぬぬ。」 「そうこうしてるうちに時間ばっかり経っちゃうんで、私行ってきますね。」 ドアを閉める音 「う…なんか臭い?」 汗臭さなのかそれとも消毒の臭いなのか。得も言われぬ落ち着かない臭いがロッカールームに充満していた。 「男子のロッカーってどうなってるんだろ。ヤバいもんとかも入ってたりするのかな…。」 「ヤバいもんって…なによ…わたし…。」 「16番…あった。」 ロッカー開ける音 「うわっ汚なっ…。」 中には何かが詰まってパンパンになったコンビニ袋のようなものが数個、雑然と押し込められるようにあった。 「なに…これ…男のロッカーってこれが標準?ってかどこにジャージあるの…。」 「まさか…これ一個一個中身確認しないといけないの?嫌だなぁ…。」 楠冨はいやいやながらも結んで封されているそれを解く。 「うえ…これただのゴミじゃん…。」 開けた瞬間なんとも言えない不快な臭いが楠冨の鼻腔に流れ込んできた。 「Σ(゚ё゚ノ)ノ クサッ!!」 彼女はそっとそれを再び結び直して、ロッカーの奥にねじ込んだ。 続いて解いた大きめのコンビニ袋に見事ジャージを発見。自分の引きの強さに我ながら感心してさっさとその場から立ち去ろうとした。 「それにしてもあんたも板についたわね。」 「何がです?」 「看護師の革を被ったスパイ?」91 「スパイついでに他のも調べておきますか…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「あれ?病院部長どうしたんですか?」 井戸村はロッカールームの前を通りかかった医師に声をかけられた。 「あ、いやちょっと今、業者がロッカールームのほら、あの、例の火災報知器の点検で来てまして。」 「あれ?そんなアナウンスありましたっけ?」 「いやぁその…坊山のやつが、皆さんに周知するのを忘れていまして。なので私がここに突っ立っているって次第です。」 「あぁ部下の尻拭い的な…。」 ご苦労さまですと言った彼は、井戸村に背を向けその場から立ち去った。 ふと腕時計に目を落とす。 楠冨がロッカールームに入って5分経過している。 「おい…なんでそんなに時間がかるんだ。」 彼は部屋のドアを少し開く。 「楠冨君。楠冨君。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「何これ…。」 目の前に出現した不気味さしか感じられない物の集合に、彼女は身動きが取れないでいた。 「楠冨君。楠冨君。」 遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞こえたため、彼女は我を取り戻した。 とっさに彼女はスマホのカメラでそれらを収める。 シャッター音 「ってかこれ…早く社長に報告せんと…。」 彼女はロッカーに鍵をかけ直した。 「なんだ。随分時間がかかっていたじゃないか。」 「えぇ…ちょっと予想外に散らかっていて…。」 「散らかる?ただのロッカーだぞ。」 「そのただのロッカーの中が散らかってて、ここまで時間がかかったたんです。」 「…そんなにか?」 「はい。臭うものもありました。」 「ふぅ…。」 「病院部長の方から医師用ロッカーの取り扱いについて、一度周知させたほうが良いかと思います。」 「だな…。」 「男のロッカーってみんなあんな感じなんですか?」 「知らんよ。人それぞれだろう。」 「部長は?」 「うん?俺?」 「ええ。わたし部長の中も見てみたいかも…。」 「あ…あぁ…。」 上目遣いで自分を見つめる楠冨に、井戸村は満更でもない表情を浮かべた。 「今日の晩は空いてるが。」 「え?」 「え?」 「え?違うの?」 「はい。」 「うそ…。」 「いいえ。本当です。」 「あ、そう…。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「おい…どういうことぃや…これ。」 「それはこっちが聞きたいくらいよ。」 「光定がなんで山県久美子の写真をこんなに沢山溜め込んどれんて。しかもこれどう見ても盗撮やぞ。ほらこれなんか病院の中の監視カメラっぽいがいや。」 「何かしら…これもその、研究てやつ…?。」 ー目の写真を仕事場の机の中に溜め込む妙な行動を光定はとっとる。 ーあいつにその手の収集癖があるとしたらさもありなんなんやけど…。対象が対象で久美子やしな…。 「いや、ほうやとしてもロッカーっちゅう、個人的なスペースにこんなもん溜め込んどんのはおかしいやろ。」 「そうね、プライベートスペースだものね。」 「あぁそれ。プライベートスペース。…うん?」 「どうしたの?」 ーパブリックな仕事のスペースには目の写真が盛りだくさん。んでプライベートスペースに久美子の写真が盛りだくさん。 ーひょっとして用途が違う? 「トシさん?」 「あ、あぁ。」 「そういえばトシさん、久美子の周辺が最近おかしいって言ってたじゃない。」 「あぁ。」 「あれと関係は?」 「ようわからん。でもそのおかしなやつが久美子をつけとるっていうのは本当に昨日からの話や。」 「じゃあこの写真は別件ってことかしら。」 「わからん。けどこいつは異常や。」 「光定ってひょっとして久美子のストーカーなのかしら。」 「それやったら、当の光定本人が久美子をつけるやろう。」 「わかんないわよ。鍋島の例があるから。」 「鍋島…。」 「ほらあれ、なんかウチの店に監視カメラ仕込んで観察するとか七面倒臭いことやってたでしょう。」 「あぁ。」 ー確かにそうや。鍋島は橘経由の相馬卓でほんな事しとったな…。 「あ、でも今回はそのつけてる人の顔とか割れてんのよね。」 「おう。」 「そいつの身元とかってどうなの?」 「まだわからん。ま、時期わかるやろう。けどわかったとしてもマスターには流石に教えれんな。」 「ふぅ。」 「ま、ストーカーについては心配せんといてくれ。こいつには万全な監視をやっとる。いざとなれば実力で抑え込む。」 「警察も昔と随分変わったのね。」 「ストーカーとしてやと久美子からの届けがないと対応できんけど、公安マターなもんでね。これ。結構自由にやれるんやわ。」 「なんだかややっこしいのね。」 「まあね。警察は一個人の用心棒ってわけじゃないんでね。警察が簡単に個人の領域に入り込めるようになるのも別の意味で怖い話やぞ。」 「確かに。」 ー個人の領域か...。 ープライベートとパブリック。 ー公私。 ー光定のパブリックにはよう分からん目の写真。 ープライベートには山県久美子の写真。 ープライベート...。 ー個人的なつながり…。 「クガってだれですか。千種さん。」 「クガ?」 「はい。おそらく光定先生と何らかの交友がある人物だと思うんですが。」 「空閑先生は僕の恩師です。」 「恩師?」 「はい。塾の講師です。」 「それはなんですか。大学受験のときの学習塾とかですか。」 「はい。そうです。」 「塾の名前は。」 「空閑教室です。」83 「空閑…。」 「え?」 「ほうや、ワシ…こいつのことを追わんといかんかったんやった。」 ーほうや。あのハゲ散らかし男に気ぃとられ過ぎとった。 「どうしたのトシさん。」 「あ、あぁ…。」 「大丈夫?」 「あぁ、なんかやっぱり歳なんかね。物忘れが…。」 「物忘れ?」 「おいやなんか立て続けに他人にお前認知症じゃないんかって言われてな。」 「メモ魔のトシさんが?ありえないわ。」 「メモ?」 「うん。もしも認知症になってもいつも手にしてるメモ見ればすぐに思い出すわよ。」 古田は胸のあたりを弄った。 スマートフォンサイズのメモ帳がそこにはあった。 「あ、これか。」 「これかって…何?どうしたの?」 どれどれと言って古田はそれを開く。 「あーワシ…この間石大病院にかかったときから、ろくにメモとっとらん…。」 「え!?トシさんが?」 「なんか変か?」 「変よ。それ。」 森のこの声を受け、古田はページを捲る。すると毎日のように何かしらの記録をつけているのがわかった。 「クガ。」 「あ?」 「とにかくトシさんはいまはそのクガって人なのか何なのかはわからないけど、それを追うのよ。」 「あ、おう。」 電話を切る 「スガ…って言っとったっけ…マスター。」 こう言って古田は再び電話を耳に当てた。 「あぁ神谷さん。ちょっと調べてほしい奴がおりまして。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 13 Feb 2021
- 112 - 107 第95話3-95.mp3 「あぁ。ご報告ありがとうございました。え?それはもう…ええ。東京のとある財団の専務理事に空席が出るらしくてですね。話しはすでについていますからご心配なく。え?あぁ…勿論、東一出身者の特別ポストですよ。理事長さんはただの飾りですから、井戸村さん。そこならあなたの予てからの希望の通り、石川なんて田舎じゃなく、東京でやりたいようにやれますよ。」 石大病院の外、バスのりばのベンチに腰を掛けて電話をする相馬の姿があった。 「私ですか?私はこのとおりしがない人材コンサルタントです。これが私の仕事ですので仕事をしたまでですよ。」 「いや、突然電話をかけてきたかと思えば、どうしてこうも私の心情の内幕までも全て知ってるんですかね。此処ってところにズバッと提案を投げてくる。すごい人ですねあなたは。あなたのような人材が側にいれば、その組織はまさに百人力。」 「お褒めに預かり光栄です。あの、ところで小早川先生の後任人事の件は?」 「わかりませんよ。東一とのパイプは光定先生だけになってしまったんで。」 「東一出身は井戸村さん、あなたもそうだし他にも職員でも複数いるでしょう。」 「いや、なんだかんだ言って事務方は影響力はありません。あくまでも教授や医師側がこの病院では力をもっていますから。」 「そうなんですか。」 「はい。御存知の通り光定先生はあんな感じです。こうなった今、このままこの病院にいても東一出身として大きな顔していられるとは思えません。何せ東一に冷ややかな目を向ける勢力もありますから。」 「一刻も早く泥舟から逃げたい。と。」 「はい。」 「でも本当に機を見るに敏。」 「それはあなたの方です。こうもタイミングよく私にこんなうまい話を持ちかける。すべてあなたの掌の上なんてことはありませんよね。」 「ありません。偶然です。」 「そういうことにしておきましょう。」 雨影に白衣姿らしきものを見た。 「おいでなすった。」 「はい?」 「光定先生のご帰還です。」 「まったく…どこに行ってたんだ…。」 「そこのところよろしくおねがいします。」 「了解。」 病院内に吸い込まれていく光定を見届け、彼もまた病院内に入っていった。 「なに?光定先生が帰ってきた?」 「はい。なんかぼーっとして誰もいない外来にいます。」 「外来に?」 報告を受けた坊山は診療時間が終了した人気のない、心療内科の外来に向かった。 ノック音 「総務人事課の坊山です。失礼します。」 スライドドアを開いた坊山は言葉を失った。 そこには雨でびっしょりになった白衣を纏い、力なくただ呆然と壁を見つめる光定が座っていたのだ。 「光定…先生…?」 返事がない。 「光定先生。大丈夫ですか。」 呼びかけても反応がないため坊山は彼の体を擦った。 「先生!しっかりしてください!おいだれか!タオルか何か持ってこい!」 「やめ…て…。」 光定は彼の手を振り払った。 「先生。でもそれやと風邪ひきます。」 「課長どうぞ。」 「…おうありがとう。」 坊山は光定の頭を拭き出した。 「やめろ。」 「何いってんですか。」 「やめろ!僕にさわるな!」 ガシャーン音 「せ…先生…。」 「なんで僕の言うことが聞けないんだ!」 「あ…は、はい…。」 「何で君は僕の言うことが聞けないんだって言ってるんだ!」 こんなに感情を顕にする光定を見たことがない坊山は、目の前の光景に戸惑うしかなかった。 それは勿論この場に居合わせた職員においても同様だ。 「あ…いえ…それは…。」 「ほっといてくれ!」 「ほっとけるか!風邪引くだろうが!」 「え…。」 「理由もクソもあるか!体冷えたら風邪引くでしょうが!そうなったら私は責任問題なんですよ!クビが飛ぶんですよ!」 「あ…。」 「いいからじっとしててください!」 そう言うと坊山は強引に光定の頭を拭いた。そして看護師から渡された検査着を光定に突き出す。 「これに着替えてください。」 「え…。」 「先生の服はこちらで乾かします。それまではこれで凌いでください。」 「で…も…。」 「服が乾くまでここにおればいいじゃないですか。このまま検査着着て病院の中ウロウロすると先生もそうですけど他の人がびっくりしますから。」 「はい…。」 内線を押す音 「あー坊山です。心療内科の外来にだれかひとり看護師よこして。できるだけ気が利くやさしい感じの人。え?何で?理由は聞くな。は?やましいこと?ダラなこと言うな!人事の俺がなんでそんなことするんだよ!」 電話を切った坊山が振り返ると全裸の光定が検査着に着替えていた。 「小早川先生は天宮先生の代わりに東一から来られる優秀な先生だ。光定先生も天宮先生の秘蔵っ子。とにかく東一のお客様には粗相の内容にしろ。」91 ーこれ…大丈夫か…。東一の先生に裸になれって言って実際そうなっとる…。 ノック音 「はい。どうぞ。」 ドアが開かれ現れたのは私服姿の楠冨看護師だった。 「え?楠冨さん?」 「はい。」 「なんで?」 「病院部長直々のご指名です。」 「病院部長?」 「はい。嫌とは言わせません。」 「は、はぁ…。」 ー何だよ…こいつ部長にも色目使ってんのか…。 坊山は改めて楠冨の姿を見た。 制服姿のときと違って、流行りのダボッとしたシルエットの服装だ。 業務時のセクシャルさを感じさせない。 ーこいつ何でまた、こうも隙あれば噛んでくるんや…。 ーなにが目的なんや…。 「さ、さ。後は私にお任せください。坊山課長は通常業務にお戻りください。」 「はぁ…。」 「とっとと出てけま。」 「あ…よろしくおねがいします…。」 ドアを閉める音 「光定先生。なにか用があれば何なりとおっしゃってください。私は隣で熱いお茶の用意でもしてますので。」 光定は楠冨には何の反応も示さなかった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 雨の音 「はい。光定はいま井戸村に任せています。」 「大丈夫なんか。その井戸村は。」 「わかりません。」 「ちょっとうまい話ふったらコロッとこっちに転ぶってのはどうも…。」 「古田さんの懸念することもわかります。その逆もしかりってことですよね。」 「ああ。」 「そのための古田組のヘルプなんでしょ。」 「まぁそうねんけど。」 「自分はその方がどんな人かは知りませんけど、古田組ですから間違いないです。」 「あらそう?」 「なんです?そのオネェ言葉。」 「あ…。」 「自分は一旦、光定から離脱します。」 「わかった。井戸村の管理はウチのエス経由で行う。」 「よろしくおねがいします。」 「相馬。んでお前はこれからは。」 「個人的な方を。」 「個人的な方?」 「はい。」 「さっきから何なんや、そのお前の個人的な用向きって。」 「それ聞きます?」 この相馬の問いかけに古田は自分の野暮さを恥じた。 「あ…。」 「あぁ京子の件じゃありませんよ。」 「…そう。なの?」 「何なんですか古田さんさっきから、その変な話し方。」 「あ、いえ…。」 「ま、ちゃんフリ関係であるのは間違いないんですけどね。」 「ちゃんフリ関係?」 「はい。」 「待て、相馬。」 「なんです?」 「ちゃんフリって言うと実は気になる話が入っとってな。」 「なんですか。」 「ついさっきワシのところにはいってきたんや。三波って記者が行方不明になったらしい。」 「え!」 相馬は思わず声を出してしまった。 しかし幸い彼がいる石川大学病院のバス停には誰もいなかった。 「なんやその反応。」 「あ…いえ…。」 「まさかその三波ってやつに用事があったとか。」 「は…はい。」 「つい1時間ほど前に金沢駅の防犯カメラに映ったのを最後に、行方がわからんくなっとる。」 「なんで三波さんをマルトクが。」 「片倉関係。」 「課長ですか。」 「ああ。詳しいことはまた今度。とにかくその三波はケントクが追っとる。相馬。お前もその三波に要があるんやったら、探してくれま。」 「あ、はい。」 「とにかくヤバい山に首突っ込んだ関係ねんわ。」 「ヤバい山に首を…。」 「おう。ほやから頼む。」 「了解。」 電話を切る音 ーなんだ…なんで三波さんが…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー クラクションの音 「あ。」 信号が青になっていたことに気がついて、三波はアクセルを踏み込んだ。 ルームミラーを見ると後続の車の運転席の男が、なにやら不機嫌極まりない顔つきである。 「ごめんよ。ちょっとボーッとする事くらいあるって。」 携帯バイブの音 携帯を手にした三波はそれが黒田からの着信であることを確認して、それをそのまま放置した。 シャッター音 「ありがとうございました。」 「いえ…。」 「今日手に入れた情報はすべてデタラメだ。小早川は気が狂っていた。お前は疲れている。このままおとなしく家に帰るんだ。そこでじっとしていろ。」94 「何だったんだ…あれ…。」 「ってか、誰だよあいつ…。」 三波の運転する車は自宅に向かって走行していた。 「とにかくいま、俺が独自の動きを見せるのはよくない。とりあえずあいつが言ったように動こう。そうすればアイツは尻尾を出す。」 再び携帯が震える。 今度は片倉だった。 「はい三波です。」 「あっ。出た。」 「はい。すいません。ちょっといろいろありまして。」 「おい、どうしたんや。迎え寄越したんに急に消えやがって。」 「いきなり向こう側から接触してきましたよ。」 「は?」 「とりあえず自分は向こうの言うとおりにしようと思います。」 「おい待て。あんた何言っとるんや。」 「すいません。片倉さん。自分一旦自宅に帰ります。」 「おいおい。」 「帰ってから改めて連絡します。僕の動物的な勘がそう言っています。」 「勘か。」 「はい。」 「で俺は。」 「自分と接触したあいつ調べてください。」 「今やっとる。」 「あ・・・。」 急に三波は無言になった。 「おいどうした?」 「あの…なんか頭が痛いんです。」 「頭が痛い?」 「はい。で、ボーッとする。このままだとしんどいのもあって家に帰ります。」 「わかった。気をつけてな。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 30 Jan 2021
- 111 - 106 第94話3-94.mp3 「死んだ!?小早川が?」 「おいや。自殺。あんたがさっきまでおった研究室から飛び降りた。」 「なんで?」 「わからん。」 「本当ですか…。」 「本当。いよいよヤバい感じや。三波あんた、今どこや。」 「まさにいま新幹線降りたところです。金沢駅です。」 「よしわかった。んならそのまま駅におってくれ。迎え寄越す。」 「迎えですか?」 「あぁこの手際の良さ、マジもんの仕業や。このままやとあんたの身に危険が及ぶのは時間の問題。」 三波はとっさに壁を背にした。そしてあたりを見回す。制服姿の学生、スーツを着た仕事上がりの男。携帯の液晶画面を巧みな指使いでなぞるOL風の女性。 ここを行き来すす殆どの人間が、束縛から開放されたような感じを受ける。 「駅の中ですか…。今の時間帯は人多いですよ。」 「人が多いんやったらなお結構。少ないより安全や。すぐに迎え寄越す。金沢駅のどこにおるんや。」 「あーゆうたろうのところです。」 「ゆうたろう?」 「ええ。」 「あれ?あの人形の。」 「はい。」 「わかった。待っとれ。」 新幹線乗り場から出てきた三波の姿を追っていた空閑は、駅の金沢港口で壁を背にする彼の姿を見て歯噛みした。 ーだよな…。 ー東京から金沢まで2時間半。そんだけ時間があれば携帯ひとつでちゃんフリにひと通りの状況を伝えることができる。 ー要はその状況をここでどう挽回するかということだ。 一旦外に出てしまった情報。事後に出本の蛇口を締めて得られる効果は少ない。一旦外に出た情報は独り歩きする。そして人から人へ伝播する。口止めは事が起こってからでは何の意味も持たない。ここで空閑に求められるのは、出本の情報の信憑性が疑わしいと受け手に思わせることだ。 ーしかし光定にはうまくいったが、三波にもうまくいくかどうか?この力。 ーこんな人混みのなかであいつに近づいて、いざってときに、変に騒がれたりするとどうにもならんぞ…。 ーしばらく様子でも見るか。 壁を背にする三波を見て空閑は気がついた。 電話を終えた彼はスマートフォンを触っていない。 何かを観察するように周囲を見ている。 ーなるほど誰かを待っているのか。 ーそれにしても厳重な警戒ぶりだ。これなら怪しいやつが近づくのも難しい。 ープロの指南役がいるってわけか…。 ーしかしこのまま放っておくとあいつは第三者と直接接触する。そうなると手遅れだ。 ーイチかバチかやってみるか。 一旦駅の外に出た空閑は、そのまま回り込むように移動し三波に接近した。 そして加賀人形を模したキャラクターである郵太郎の像の前で自撮りをする。 しかしそれがどうもうまくできない。 「あのーすいません。」 不意に声をかけられた三波はそちらを見る。目の前に男が立っていた。 「何か?」 「あの…写真撮ってもらえませんか。」 「写真?」 男は自分の背後にある郵太郎をさしている。 「あ、あぁ…。」 「ありがとうございます。これでお願いします。」 距離を詰めてスマホを手渡そうとする彼の様子に三波は戸惑った。瞬間、彼は目の前の男と目があってしまった。 「えーっとこのボタンを押せばシャッターが切れますんで…。」 「あ…はい…。」 シャッター音 「ありがとうございました。」 「いえ…。」 「今日手に入れた情報はすべてデタラメだ。小早川は気が狂っていた。お前は疲れている。このままおとなしく家に帰るんだ。そこでじっとしていろ。」 こう言って空閑は三波の肩を軽く叩き、その場から立ち去った。 立ち去る空閑の姿を見届けて三波もまた金沢駅を後にした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「おかしい…。」 「どうしましたデスク?」 「いや、キャップと連絡つかないんだ。」 「え?キャップって東京でしょ、いま。」 「ううん。もう新幹線で金沢に着いているはずなんだ。」 「え?もう?」 「うん。」 「私、見てきましょうか。駅のほう。」 「見に行って何になるのさ。子供が迷子になったわけじゃないんだしさ。」 「たしかに…。」 黒田の携帯が震える ーえ?片倉さん? 席を外した黒田はそれに出た。 「はい。黒田です。」 「まずいことになった。」 「三波ですか。」 「ああ。」 「何がどうなっているんですか。あいつと連絡が取れないんですよ。」 「わからん。ウチの若いモンに駅まで迎えに行かせたんや。ほしたらおらんがやってんて…。」 「何で…。」 「黒田。心当たりあるか?」 「いえ…。」 「実は小早川が死んだ。」 「え!?」 「んで三波にも危険が及ぶ可能性があるから、ウチの若いもんを迎えに行かせたんや。」 「でもいなかった。」 「ああ。」 「誰かに連れ去られたとかは?」 「わからん。駅構内のカメラはいま解析中や。」 「くそっ!」 「なぁ黒田。何でもいい。なにか心当たりがないか。」 頭をかきむしって黒田は考えた。 三波失踪を目の当たりにして気が動転しているのか、今日一日の彼の言動を追うも気が散ってしまう。 「待て待て。キャップ。キャップはここで記者の指揮を取れ。石大は京子に行かせろ。」 「京子?」 「うん。京子に行かせろ。」 「え…。でもあいつ特集抱えてるじゃないですか。しかも明日配信でしょ。」 「ああ。明日の配信から連チャンで3回ほど配信する予定さ、でもそれはそれ。あいつにも現場手伝ってもらおう。」 「あ…いや…この件は自分がやります。」 「なんでさ。」 「自分がやらないといけない気がするんです。」 「何そのぼやっとした理由。」 「いいから!俺がやりますよ!」55 「まさか…。」 「何ぃや。」 「また大学病院に行ったとか…。」 「いやそれはない。石大には近づくなって俺は口酸っぱく言った。本人もそれは了承済みや。」 「じゃあ…。」 「あ、待て。キャッチや。折り返す。」 電話を切った黒田は休憩コーナーのソファに力なく座った。 「…なんだ。だとしたら何が考えられる…。」 「おいどした?」 力なくうなだれる様子の黒田を見かけ、心配になったのか通りがかった安井が声をかけた。 「ヤスさん…。」 「なんだお前、随分としょぼくれて。今朝からの俺に対する失礼な言動。少しは反省でもしたか。」 「三波が行方不明になりまして。」 「あ、そう…うん?え?いまなんて言った?」 「三波と連絡が取れなくなったんですよ。」 「連絡が取れないって?」 「メールもSNSも電話もだめです。」 「電話も?」 「おかけになった電話は…って感じです。」 「マジかよ…。」 黒田はその言葉には答えずにうなだれた。 「待てよ黒田。考えすぎかもしれねぇぞ。三波あいつ取材中とかで取り込んでて連絡がつかないだけかもしれないぞ。早まるなって。」 「いやあり得ないんです。この状況で連絡がつかないことが。」 「あり得ない?」 「はい。」 黒田の携帯が震えた。 「はい。」 「拉致られたわけじゃない。三波は自分でどこかに消えた。」 「え?」 「カメラの解析結果が出た。あいつは西口の郵太郎のところで迎えを待っとった。けど何を思ったんかわからんけど、 どっかに行ってしまった。」 「なんで…。」 「わからん。アイツ自身、身の危険を感じとった。ほやから俺はとっとと金沢に帰るように言った。こっちからの迎えの件も了解済みやった。ほうなんにこれや。」 「よほどなにか気になることが起こったか…。」 「自分の身に降りかかる危険をかなぐり捨てるほどの何かが?」 「しかしだとすると、その徴候みたいなものがカメラに写っていてもおかしくないはず…。」 「あ、まて黒田。」 「はい?」 「俺、いまその映像を見とるんやけど…。あれ?なんか代わりに写真撮ってやっとる。」 「写真を撮る?」 「おう。なんか観光客か知らんけど郵太郎とツーショットみたいな感じの写真を撮ってやっとる。」 「それは関係ないでしょう。」 「ほうやよな…。いや、でもこの直後やぞ三波がここからおらんくなるの。」 「写真撮影して三波は居ても立っても居られない状態になって、その場から立ち去った…。んな馬鹿な。」 「バカみたいやけど…一応こいつ調べてみるか…。」 とりあえず警察としては三波の行方を調べる。ちゃんフリはできるだけことを大きくしないでほしい。そう言って片倉は電話を切った。 「黒田。大丈夫か。」 「あ…ええ…。」 「わかった。三波だな。俺の方でもあたってみる。」 「すいません。」 「なんでお前が謝んだよ。」 「…。」 「俺らは仲間だろ。」 安井は拳を黒田に向けて握った。 黒田はそれに応えるように彼もまた拳を握って、彼のそれを軽く叩いた。 ため息をついた黒田の目に空席のキャップ席が映りこんだ。 「キャップ。きっと片倉さんがなんとかしてくれる。頑張ってくれ。」 「安井君が編集室で何をやってるのかどんな手段を使ってでもいい。すぐに突き止めろ。」 「手段を選ばず…ですか…。」 「これ以上の詮索は無用。いいな。これは社長命令だ。」 「すぐにとは具体的に…。」 「本日中。」78 遠くにある安井の背中を見て、黒田は自分にしか聞こえない程度の声でつぶやいた。 「俺は俺の仕事をすることにするよ。」Sat, 23 Jan 2021
- 110 - 105.2 第93話【後編】3-93-2.mp3 「それが朝戸を鍋島にするってやつだったってか。」 「そう。」 「でも、すでにその実験は失敗に終わっている。その失敗続きのそれを、なんで朝戸にもって思ったんだ。」 「可能性をみたんだ。」 「可能性を見た?」 「うん。鍋島能力の発動の条件には膨大な負のエレルギーの蓄積ってのがあるんだけど、そのときの朝戸の感情の爆発は凄まじくってね。いままでに経験したことがないほどのものだったんだ。鍋島自身が抱えていた負のエレルギーも凄いけど、これも相当なもんだ。だから今度はうまくいくかもしれないって思ったんだ瞬間的に。」 「負のエネルギーか…。」 「ビショップ。君は当時の朝戸ほどの負のエネルギーは持ち合わせていない。東京で施術した対象の誰よりも負の感情を持っていない。」 「…。」 「そんな君に施術する…。いったいどういう結果がでるだろうね?ひひひ…。」 光定は不気味に笑い出した。 「あぁ…鍋島さん…僕に力を与えてください…。あなたはかつてこの場所にいた。ここで2人を殺した。そして同級生2人の人生をぶっ壊した。ここは聖地だ!お願いします…僕に、ビショップに、力を与えてください。」 急に宗教儀式めいてきた場の雰囲気と、狂乱ともいえる光定の様子に空閑は言葉を失った。 ーいいのか…俺…。 ー本当にこいつに自分のすべてを委ねていいのか…。 ーその術とやらが失敗したら俺はどうなる? ー自我を保っていられるのか? ーでも…ここで引き下がれるわけがない…。 ーほかに方法が俺には見いだせないんだ…。 「いい?はじめるよ。」 こう聞こえた瞬間。空閑の目の前に1枚の写真が見せられた。 左右両方の薄っすらと開く切れ長の目だった。 例えるなら増女(ぞうおんな)の能面のような目だ。 「これはすべてを見通す目です。ビショップ。君の心の中のすべてをこれは見通しています。これを見た瞬間、あなたは抗うことはできません。」 抗えない?自分はただ写真を見せられているだけだ。そう思った空閑だったが、それから目を背けようと思うもそれができない。むしろ吸い込まれるようにその写真を見つめてしまう。 「はい。すでに術は始まっています。とにかくこの目と向き合ってください。」 気高くも見えるその目は、見方によってはこちらを冷笑しているかのようにも取れる。いや、悲しみ哀れんでいるのか。むしろ侮蔑しているのか。違う叱っているようにも見える。 「そうですね…いろいろ見えますね…。いろいろ見える。それはすなわち、全てあなた自身なんです。」 ー俺…自身…? 瞬間写真が差し替えられた。 空閑の体は硬直した。 「この目をもつあなたこと鍋島惇は、ここで穴山と井上の両人を手際よく殺しました。ひとりはハンマーで。もうひとりはナイフで。そして現場にいた一色貴紀をこの力を使って眠らせた。そしてあなたは一緒にいた村上にもこの術をかけ、これらの犯行のすべてを自分の仕業であると刷り込ませて、事件の早期終結を図るよう暗示をかけた。」 「…。」 「この熨子山という場所、そしてこの小屋の中には鍋島さん。あなたの情念が詰まっています。つまりあなたの情念の受け皿。私はここにもうひとつの情念の受け皿を作ります。それがこの空閑光秀というこの男です。」 「…。」 「見てください。たくましい体をしてるでしょう。あなたという存在に遜色のない体をしています。そしてなによりこの空閑光秀。頭がいい。この空閑。この日本をぶっ壊したいそうです。破滅を願っているようです。いかがでしょうか。あなたに相応しい受容体だと思うのですが。」 「…。」 空閑は硬直したままだ。 彼は光定が見せる、見開かれた目の写真をただひたすらに見つめている。 「鍋島さん。この空閑光秀のすべてをあなたに差し出します。」 瞬間、空閑の脳裏に鮮明な映像が流れた。 「クソなんだよお前らは。ムカつくんだよお前らは。でもな…一応お前らは俺に声をかけてくれた。一色は先輩連中に俺のことをバカにするなと食って掛かった。そんとき思ったよ。クソ野郎ばっかの高校だけど、ここを去れば俺はまたひとりになる。」 「…。」 「別にお前らに頼ろうとは思っていなかった。ただ心の何処かでお前らという存在に少しは救われていたのかもしれない。だから高校を辞めようとは思わなかった。」 「…じゃあ…なんで…。」 「なに?」 「じゃあなんで…一色や村上をお前は…。」 「…。」 「なんで一色の彼女を…。」 「それ…聞く?」 「え?」 「野暮だぜ…。佐竹。」 「な…鍋島…。」 「俺はツヴァイスタンからの金というシャブに手を出した。シャブに手を出した人間の末路は俺は知っている。」 「お…おい…。」 「どうせ悲惨な終わりしかないなら、劇的な終わりを俺は望むよ。」2−118 突如として空閑は涙を流しだした。 そして口を開いた。 「あんたの記憶、あんたの思い、あんたの感情、あんたの苦しみすべてを感じた…。鍋島、あんたの目を介して。」 「ビショップ?」 「そうだよな。あんたも辛かったんだ。そうだと思うよ。」 「どうしたのビショップ。」 独り言をつぶやく空閑の様子を光定は心配そうに見る。 「どうせ悲惨な破滅しかないなら、劇的な終わり、それを俺も望むよ。」 「…大丈夫?」 空閑が光定の問いかけに応えるにはしばしの時間を要した。 「え?何か言った?」 「遅っ…。」 「え、どうした?何か俺、おかしい?」 「まぁちょっと…ってか大丈夫かい?」 「大丈夫って…勿論なんの問題もない。」 「頭が痛いとかない?」 「いや、別に。なに?ひょっとして…成功した?」 「わかんない。ただ今の君の様子は、今までにまたことがない感じ…って…。」 光定は動けなかった。 そう空閑が彼の目を見つめていたためだ。 「な…に…これ…。」 「なるほど。これか。」 「え…。」 動けない。そして頭がボーッとする。 「クイーンありがとう。おかげでどうやらうまく行ったみたいだ。」 光定の目はうつろだ。 「お前はすぐに病院の仕事に戻ってくれ。もう俺は大丈夫だ。ここでのやりとりも忘れてくれ。」 「わかった。」 そう言うと光定は空閑に背を向けて直ちに小屋を出た。そして止めてあった車に乗ってその場から立ち去った。 小屋にひとり残った空閑は天を仰いだ。 「光定と朝戸を引き合わせたのは警察か…。ちっ…ルークに違いない…。その時点からすでにかよ、あいつ…。結局この能力の実用化だけだけじゃないのか、アイツの目的は…。キングはルークは信用できるとか言ってたけどよ。」 「5年前。東京の方で妙な殺人事件が起こっていたの覚えてる?」 「え?なに?」 「ほら殺人事件が起こるたびに犯人自殺。全部で8件。」 「なんとなく覚えているが…。」 「あれ、全部鍋島複製実験の失敗事例。」 「な、なんだって…。」 「あの自殺した犯人たち、みんな東一病院にかかってたんだ。」 「マジかよ…。」 「なんで警察は東一病院まで捜査しに来なかったんだろうねぇ。待ってたのに。僕。」92 「捜査なんかしにくるかよクイーン。それを防ぐのがルークの仕事なんだしさ。」 空閑は小屋の扉を開いた。 雨は止む気配がない。 「さて…思わぬことで俺には鍋島の力が手に入ったわけだ。まずは手始めにこいつを三波とやらに使ってみて検証してみるか。」 彼は雨の中歩き出した。 「ルークに対する総括はその後でいい。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 26 Dec 2020
- 109 - 105.1 第93話【前編】3-93-1.mp3 5年前… 「はい。」 「光定先生ですか。外来に先生を訪ねてきた方がいらっしゃってまして。」 「だ…れ?」 「あの…朝戸さんとかおっしゃっています。」 「朝戸?」 「はい。どうします。」 「あ…じゃあ…僕の部屋まで案内してあげて…。」 「え、いいんですか。」 「う…ん…。」 「でも第2小早川研究所の立ち入りは小早川先生から厳重に管理せよと言われているんですが。」 「問題ない。その人は信頼できる人だ。」 ドアが開く音 「よう。」 「どうしたの。」 「どうもこうもない。」 そう言うと朝戸は1枚の写真を写真を光定に見せた。 「なにこれ?」 「犯人。」 「え!?」 「紗季を殺した犯人さ。」 「…本当なのか。」 朝戸は首を縦に振る。 「じゃあさっそく警察に…。」 「ダメだった。」 「え?なんで?」 「もう行ってきた。何回も。でも警察として捜査は十分に行っているってさ。」 「どういうこと?それ。」 「俺の訴えは却下ってこと。」 「はぁ!?何いってんの!?警察の捜査が不十分だから朝戸、君が個人的に調べたんだろ。」 「そう。」 「なに?その写真の奴の証拠が…とか?」 「証拠はある。」 「じゃあ。」 「とにかく警察としては十分に捜査をしている。警察に任せてほしいってさ。」 「ってことは…。」 「体の良いお断りさ。」 「バカか!」 光定は声を荒げて机を叩いた。 「お前…そんな怒ることあるんだ…。」 「当たり前だ!こんなの怒らずにいられるか!遺族だぞお前は。遺族の訴えに耳を貸さない警察だと?ふざけんな!」 鼻息荒く部屋の中をうろつく光定はふと朝戸を見た。 彼の目にはいっぱいの涙が湛えられていた。 「悔しい…悔しいよ…光定…。」 「朝戸…。」 「この写真のガキ…。警察のお偉方の倅なんだってさ…。」 「え…。」 「これ見てくれ。」 光定はペラ紙の資料らしきものを受け取った。 「事故当時、ボンネットあたりを凹ませた車両が走り去っていったって目撃情報がある。そこにあるのが多分その車両の写真。で、その下にあるのがその車が止めてある写真。」 「この止めてある写真って…普通に駐車場じゃん。」 「そう。そこの契約者が警察のお偉方ってわけ。」 「十分な証拠じゃん。こんだけ揃ってて警察動かないの!?」 朝戸はうなずく。 「マジかよ!!」 「マジ。」 「バカかよ!!死ねよ!!」 「それ。」 「え?」 「それなんだ。」 「うん?」 「俺、今回ばっかりはマジでぶっ殺そうかと思ってんの。」 光定は朝戸からただならぬ殺気を感じた。 「そこで光定。君に相談があってここに来たんだ。」 「ちょっと待って…殺すって…ははは…冗談だろ。」 「ううん。本気。」 「ダメだろ…いくらなんでも…。」 「なんで?さっきお前死ねよって言ったじゃん。」 「言ったけど…。」 「考えてみてくれ。ほらのうのうと生きてんの。こいつ。」 朝戸は犯人と言われる人物が写った写真をペラペラと光定に見せる。 「方やこっちは犯人を突き止めたのにそれもみ消され、泣き寝入り状態。妹の紗季は犬死。不平等だよ。」 「う…うん…。」 「不平等じゃない?」 「不平等…さ…。」 「不平等はもう懲り懲りさ…。」 「朝戸…。」 「何なんだよ!ふざけんな!どいつもこいつも甘い目に会いやがって。俺は人より努力してんだよ!物心ついたときから受験勉強頑張ってやってきて、それなりになんとかいい大学に行ったんだ。そしたら氷河期だよ。何なんだよ!何のために勉強したんだって!ゴミみたいなところに就職するために勉強してきたんじゃねぇんだよ!ゴミしかないなら始めっから勉強なんかしなかったって!で、一旦非正規でその場を凌ごうと思ったら何?非正規は職歴に入らない?アホか!?誰も好きで非正規やってんじゃねぇ!お前らがしくじったから俺は非正規なんだって!おかげさまで俺は未だに非正規。バイトの掛け持ちなんざしてる。そんな中で妹がひき逃げ。ひき逃げした当人は警察のお偉方の倅。その身分故にお咎めなし。なにこれ!?どこの階級社会だよ!どこの中世だよ!ふざけんな!どいつもこいつも死んでしまえ!この国なんか滅んでしまえ!もううんざりなんだよ!」 感情の爆発だった。 錯乱にも近い状態の彼を光定は黙って見るしかなかった。 大声で叫ぶ朝戸であったがしばらくして静かになった。 「警察の倅。このネタは警察からもらった。」 「え?警察から?」 「俺のことは警察の中のあるルートから聞いたって。突然俺のバイト先に来てさ。これが紗季のひき逃げの真実だって言って、この資料を俺にくれた。」 「それって…なんで?」 「ワカンネ。ただ見るに見かねたってさ。」 「で?」 「自分には警察の中の闇を正す力はない。でも俺にはできるかもしれないって。」 「え?どういうこと?」 「俺も同じ質問をそいつにした。するとそいつはこう言った。『光定を知ってるかって』」 「俺?」 「ああ。」 「なんで俺のこと…。」 「コミュで会ったことがあるって。」 『コミュ?俺がその警察官に?」 「うん。」 「なんて名前?」 「名前は職業柄明かせないって。」 「誰だろう。」 「とにかくお前を頼れって。お前なら俺の思いを成就させてくれるって言ってた。だから今日ここに来た。」 その警察官とは一体誰なのか。光定は皆目検討もつかなかった。 「光定。お前、なんかすごい研究をしてるんだって?」 「え…。」 「そいつ言ってたよ。それが役に立つって。」 ーえ…なんでその警察が俺の研究のことを…。 「何研究してんだ?お前。」 「あ…いや…別に…。」 「もったいぶらずに教えてくれよ。でその力俺に分けてくれないか。」 「いや…これはまだ実用化できる代物じゃなくて…。」 「光定…。」 彼は気がついた。目の前の朝戸が絵に書いたようにがっかりしていることを。 「ど、どうしたの。」 「だめか。」 「だめって…。」 「お前も結局は俺を見放すんだ。」 「ちょ…チョット待って。何言ってんの?そもそもなんで、君はそんなどこの誰かもわかんない人の言う事を鵜呑みにするんだ。」 「でたらめなのか、その研究ってやつは。」 「デタラメとは言わないけど…。」 「俺はぶっ壊すんだ!」(かぶせて) 「朝戸…。」 「はっきり言ってもう法的手続きとかどうでもいいの!とにかく破滅させたいの!警察を!そうすりゃ少しは溜飲も下げれるって!」 「…。」 「どんだけ我慢すればいいんですか!?どんだけ待てばいいんですか!?」 「…。」 「生まれてこの方我慢することしかしてこなかった俺に、なお我慢しろと!?もうできねぇよ!」 そう言うと朝戸は光定に渡していた資料を奪いとり、それをかばんに片付けた。 そして踵を返した。 「もういい。実力行使する。」 「何言ってんだよ。待って。」 「待たない。もうお前と会うことはないだろうよ。」 研究室の扉に手をかけたときのことである。 「待って!」 「…。」 「待ってくれ朝戸。実力行使ってなんだよ。」 「…言わせんな。」 「殺すのか。」 「だから言わせんな。」 「殺すのか!」 振り返った朝戸は光定に向かってうなずいた。 「殺したらどうする。」 「…警察に捕まるのも癪だ。どこかで俺も死ぬ。」 「やめろ。」 「なんで。」 「汚物を消毒して、なんで君が死ななければならないんだ。」 「なに?」 「朝戸。君が死ぬ必要はない。死ぬのはそいつと警察だけでいい。」 「ふっ…おいおい。流石にオレ一人で警察に突撃かまして全滅させるなんてできねぇぞ。」 「わかってる。別のアプローチがある。」 「別のアプローチ?」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【公式サイト】 http://yamitofuna.org 【Twitter】 https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVM ご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。 皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。 すべてのご意見に目を通させていただきます。 場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。Sat, 26 Dec 2020
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